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イブラヒム・エッダ・ワイディワ
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SIDE:ニリバワ・サーラーム
多くの城砦は攻撃や防衛に重きを置いて存在するのだが、都市を内に抱えるヤブー砦は行政機能をも備えている。
私達がワイディワ侯爵との会議のために訪れた建物も、防衛に不足のない頑強な城であり、有事の際には全域を指揮する総司令部としても機能するらしい。
有事の際というとまさに今がそうだと言えなくもないが、本来想定するのは他国との戦争か、国内の有力貴族達の反乱などといったものであり、それに比べると百騎程度の侵攻ではまだ一砦としてしか役目は求められていない。
そんな砦だけに、内部には要人のための施設も揃っており、その一つとして軍人や文官らが使う会議室もあり、私達はそこへ通された。
一応軍事施設という体裁からか、装飾や調度品は控えめだが、本格的な演武をするにも困らない程度の広い室内に、百人乗っても大丈夫そうなほどの巨大な机、長時間座っても疲れないようにと配慮された重厚な椅子がある光景は、重要施設の会議室として十分な威厳を示している。
本来は大勢が集まって会議をするこの部屋だが、ワイディワ侯爵は少数での話し合いを決めたようで、今いるのは私を含めた四人のみ。
上座に当たる最奥の椅子には当然ディースラ様が座り、左手側には私とグルジェが、少し距離を離した右手側にはワイディワ侯爵が座っている。
イブラヒム・エッダ・ワイディワ侯爵。
スワラッド商国東部の守護を一手に引き受け、代々が領地をよく治め、戦乱の芽を決して見逃さない手腕から、護国の雄として名高い大貴族だ。
初代のワイディワ侯爵は、当時の国王と親しい付き合いがあり、身分を超えた友情が二人の間にはあったという。
その初代も本人の能力の高さから、爵位を手にした後は王の右腕として政治の場で活躍も望めたが、国内が不安定だった時期に東部の国境の守りを不安視した王の悩みを慮り、国境地帯への領地替えを願い出て、今日まで代々に渡ってスワラッド商国の平和を守ってきた。
今私の目の前にいる今代のワイディワ侯爵だが、白髪が混ざった茶色の髪は年相応に薄くはなっているが、顔に走る皺の深さは積み重ねた月日の分だけ濃い。
恰幅のいい体格はともすれば不摂生の象徴にも見られかねないが、武を嗜むものが見れば全身には確かな筋肉が備わっており、厳めしい顔付きも相まって、生半な者は眼前に立つだけで強烈な威圧感に襲われることだろう。
他国の人間を招き入れておきながら、護衛を傍に置かずに対峙する様子は、スワラッド随一の実力者と囁かれるのに相応しい胆力の持ち主だと言える。
その姿は最後に見た二年前とそう変わりはないが、心なしか顔には疲労の色が濃いように思えるのは、ラーノ族が攻めてから今日までの深い心労のせいかもしれない。
記憶に間違いがなければ、年齢はもうとっくに六十は超えており、近々家督を息子に譲る予定らしいが、その前に今回のことが起きたのは、当主の座に就いた息子にいきなり難題を被せずに済んだと考えると、時機の良し悪しでは悩ましいところか。
「…なるほど、よくわかった」
重苦しさを伴う侯爵の声に、ここまで訥々と自分達のことを語っていたグルジェはその身を強張らせ、椅子に深く座ることもできずにただ次の言葉を待つだけの置物と化した。
寡兵で他国へやってきた将来有望な若者ではあるが、老練な侯爵の放つ威圧感に打ち勝つにはまだまだ若い。
侯爵の何気ない仕草、言葉にも反応してしまうあたり、今回は対話の相手が大きすぎただけだ。
「まず、件のラーノ族…ジブワとやらとその一党が、此度の我が領地への狼藉を働いた者達というのは理解した。そして、貴殿らがジブワ達の討伐で助力を申し出ていること、実に心強く思う」
険しい表情の侯爵だが、その口から出てきた言葉にグルジェは緊張していた面持ちを少し緩める。
既に私が侯爵に宛てた書簡で、グルジェ達がやってきた目的とその意義については伝えてある。
最初の襲撃以降、完璧に行方をくらましているジブワ達の追跡と、侯爵方の軍勢と轡を並べて討伐に臨みたいというものだ。
私達以外からの援軍となれば、本来は歓迎すべきことなのだが、自分の領地を攻められて領民も殺されている侯爵にとっては、同じラーノ族ということでグルジェもまた憎むべき対象となっても不思議ではない。
ただ、この口ぶりから察するに、一先ずラーノ族とはいえグルジェとジブワは別だと見做し、共に戦うという道も選べる相手と判断したのだろうか。
懸念があるとすれば、グルジェ達が裏ではジブワ達と繋がりがあって、こちらを謀っている可能性だが、ディースラ様がその辺りの危惧はしていないようなので、私達としても用心はするが過剰に警戒することもない。
そして、それは侯爵も同じだと思われる。
「騎馬の民と謳われたラーノ族を相手にするとなれば、なるほど同じラーノ族をぶつけるのが正しい。業腹だが馬の扱いではこの国の兵はそちらに劣るしな」
侯爵の言うように、正直なところ、この国では騎馬での戦いに長けた者というのは決して多くない。
船での戦いならばどこにも負けない自負はあるが、馬か船か、どちらに重きを置くかは国によって違うもので、得手不得手があるからこそ、今日まで互いの国は均衡がとれていたのだ。
「はい、まさに閣下が仰られるように、馬上で僕達以上に戦える民は寡聞にして覚えがありません。特別に遇することも不要にて、こちらのニリバワ殿達と同じく、ぜひ僕達も閣下の戦列へ加えていただきたく思います」
「…と申しておるが、どうなのだ?ニリバワよ。お前はこの者達と…襲撃犯と異なるとはいえラーノ族と馬首を揃えて戦えるか?」
ジッとグルジェを見つめながら、その口だけは私に覚悟を問うてきた。
私達が王から与えられた任務は、まず急ぎ状況を把握して、私の目から見た詳しい報告を首都へと送ることがまず一つ。
そしてもう一つの任務として、現地にて襲撃犯の討伐を助けるべく、侯爵の軍に加わるというものがある。
同じスワラッドの人間同士、私が連れてきた兵と侯爵の抱える兵では衝突もなく、軍事行動時の協調も恐らく問題はない。
だがここにグルジェ達が加わると、兵達の士気が途端に怪しくなる。
事情は大まかに説明してあるが、それでも攻めてきたのはラーノ族であり、憎しみを向ける先としてはグルジェ達はあまりにも都合がいい。
これらの兵の精神的な揺らぎを抑えつつ、軍事行動へ臨むことの難しさは侯爵も容易に想像できたが故の問いかけだろう。
「は、忌憚なく申さば、問題はないかと。もちろん、完全に保証できるものではありませんが、ここまでの旅路でこの者達の心根は多少なりとも分かったつもりです。共に討伐へ臨むのならば、私が連れてきた兵達の士気が揺らぐことはないでしょう。ご無礼を承知で申し上げるなら、閣下の兵達の方をご心配成されるべきかと。お見受けしたところ、些か兵の質に偏りがある様に感じました」
「ふん、確かにお前の言うことも分からんではない。領内の駐在兵力を再編した影響で、ここにいるわしの兵には若く未熟な者が多い。もしもグルジェ殿達と共に動くことを嫌って、兵の掌握が出来んでは話にならんな」
兵の練度についての苦言を呈したも同然の私の言葉にグルジェが目をむいて驚くが、侯爵の方は不機嫌になりながらも、事実と認めたうえで自らの兵の未熟さを嘆きだした。
現在、この国境地帯ではラーノ族の侵攻に端を発した極度の警戒態勢が敷かれている。
重要な軍事拠点であるヤブー砦には、平時であれば熟練の兵士も多く詰めているが、今は姿をくらましているジブワ達の追跡と、町村の防衛のために兵達が領内へと散らばっており、砦内に残ったのは経験の浅い若い兵士だけだ。
若さゆえの精神の未熟さで、味方と分かってもなおラーノ族と共に戦うことへ、内心では複雑な思いを抱えているのだろう。
そんな兵士をまとめ上げる苦労と、そういう兵でも戦力としてあてにしなければならない現状に、侯爵も苛立ちを隠せないようだ。
「とはいえ、それはこちらの事情だな、今は置け。しかし、共に戦うのに不安はないというのはいい答えだ。ではグルジェ殿、ここで我がワイディワ領軍への貴殿らの参陣、正式に認めよう。貴殿らの働きに期待する」
ジブワ達が馬を駆って領内にいる以上、グルジェ達の協力は願ってもないことのはずだが、少々勿体ぶった承諾となったのは侯爵の地位の高さを考えれば当然のものだ。
例え国がこんな状況の中であっても、他国の人間の助力には慎重に対処するのが、為政者として正しい判断だろう。
「ありがごうとざいます。つきましては、閣下にお尋ねしたいことがございます」
「ほう、どのようなことだ?」
「ジブワ達の現在地についてです。最後に目撃された場所、そして最終目的である彼奴等が求める新しい聖地、これらのいずれにも僕は足を運んでみてみましたが、終ぞ見かけることはありませんでした」
グルジェ達がここまで私達に同行した目的も、ジブワ達の現在地について知ることというのが大きく、領地の情報を最も手にする機会の多い侯爵ならばという期待がその目に現れている。
「うむ、こちらも初日の襲撃で遭遇した巡察隊と、運よく防衛が間に合った村の住人以外、その姿を見た者はいない。隣の領地へ行くにも、馬を使うなら必ず通る場所があるが、そこでの目撃もない。わしらの予想の一つに、貴殿ら連合の領地に戻ったというのも考えたが、話を聞くにそれもないのだろう?」
「はい。既にジブワ達は国を追われたも同然。仮に連合の領土へ舞い戻ってきていれば、どこぞの部族が見かけているはず。しかしこれまでその手の情報が得られていない以上、ジブワ達はまだこちらにいるのでしょう」
私が聞いた話だと、ラーノ族が最初に虐殺した村の次に襲撃した村では、偶々付近を巡察していた騎士達が村の自警団と共にジブワ達を撃退したらしい。
この二つの村の襲撃以降、ジブワ達は完全に行方が分からなくなっていた。
普通なら荒らすだけ荒らして国に帰っていったと考えられるが、グルジェ達から教えられたジブワ達の状況を考えると、まだワイディワ侯爵領に潜伏していると思われる。
「なるほど、聖地の件もあるしな。そうそう連合の領土へ戻ることは考えんか。となると、まず間違いなく我が領内にいるのだろうが…わしからも一つ尋ねよう。そのジブワ達の現在地だが、知って貴殿はどうするつもりだ?よもや、貴殿とその供周りのみで攻めるつもりではあるまいな?」
「…それも考えましたが、僕達はたった今とはいえ閣下の軍勢に加わった身。独断で行動をするつもりは毛頭ありません。ただ、ジブワ達が今どこにいて、何をしているのか、そしてどれほどの人々に危害を加えているのかを知らねばならぬと、そう思ったまでです」
グルジェとしては、同族のしでかしたことでラーノ族が今後被る非難を多少でも和らげたいと、侯爵と共に戦おうという目論見もあるはずだ。
恐らくジブワ達と対峙する時には真っ先に先頭を駆けることになるグルジェとしては、倒すべき相手の非道を知ることで、同胞へ向ける刃を揺らがせなくしたいのだろう。
「うむ……そう考えておるのならこれ以上は言うまい。その上であえて言おう。残念ながら、わしもジブワ達の行方は分からん。それどころか、手がかりもろくにない有様よ」
「そう…ですか」
慣れない土地を駆けずり回り、今日までその背中を捉えることすらできなかったジブワ達について情報を得られると期待していたが、侯爵の口から出たのはグルジェを落胆させるのに十分なものだった。
私も首都から船に乗り、その後に立ち寄った港で逐次手にしていた情報では、現地の兵にはその影すら掴ませていないほど完全に行方がわからない。
しかし一方で、侯爵が独自に手に入れた情報というのには多少なりとも期待していたところがあり、グルジェと共にそれを共有しようと思っていたのだが、当てが外れたようだ。
「その様子だと、わしに随分期待していたようだな。ここはひとつ、それに応えられなかったことを詫びるべきか?」
「いえ、そのようなことは…。閣下にすら所在を掴ませないだけ、ジブワが上手だったということでしょう。あの者の周りには、その手の経験が多い老兵もいたようです」
兵士を若者と老人で分けた時、単純にその優劣をつけるのが難しくなる。
若い兵は身体能力と扱いやすさに優れるが、一方で経験不足からの応用力と独自判断の弱さが問題になる。
これが老兵となれば、体力面では不安はあるものの、年の分だけ蓄積した経験と技術によってあらゆる事態への対応能力の高さが強みとなる。
今回、ジブワにはラーノ族から老兵が多く付き従ったそうだが、仮にその老兵に敵地での潜伏を得意とする者がいたとすれば、今日までジブワ達の姿を見つけられなかった理由も分かるというもの。
「厄介なものだ。いっそどこぞの村をまた襲いでもすれば見つけられようが、隠れようとするならばそのようなことはしないか。あの者らがこちらに潜伏しているのならば、一体略奪もせずに物資をどう賄っているのやら」
「そのことなのですが、少し気になることがあります。何故ジブワ達は、最初に村を一つ虐殺するという蛮行に及んだのでしょう?仮に物資を手にするためだとするならば、何も住民を全て殺す必要はないはずです」
首都のお偉方もさんざん首を傾げていたのだが、ラーノ族が最初に侵攻した村で虐殺を働いた理由が未だに分からない。
ジブワ達が国境を越えてきたことの発覚を遅らせるため、口封じをしたというのも考えられたが、それならばそのすぐ後に別の村を襲ったことに矛盾を感じる。
ラーノ族は戦いにおいては勇敢で冷徹だが、同時に戦士としての気高さも持ち合わせているのは有名だ。
ジブワ達が戦う術を持たない村人を皆殺しにしたというのも、どうにも奇妙に思えてしまう。
ジブワがラーノ族の中で異端なほど残虐だと言うのなら話は違うが、グルジェが語る限りではそうでもなく、付き従っている者も特筆して危険視する者はいないという。
「それはわしも考えていたことだ。最初は略奪のためかと思ったが、現場を調べさせたところ、持ち出されたのは村に蓄えてあった僅かな食料に燃料の類、野営用の道具に食器がいくつかだけだった。村人を一人残らず殺しておいて、金になりそうな高価なものにはほとんど手を付けなかったとはな」
「ええ、この手の侵攻なら、金目の物を放っておく方がおかしい。グルジェ殿、どうなのだ?ジブワ達が何を目的として蛮行に及んだのか、貴殿ならば理解できぬだろうか?」
この場で一番ジブワを知っているであろうグルジェなら、私達にも分からない部分を補ってくれるという期待を込めて、その目をジッと見つめて答えを待つ。
それは侯爵も同じで、二人分の視線を受けて少し考える仕草を見せたグルジェは、やや時間を置いてから重苦しそうに口を開いた。
「…心当たりはあるといえばある」
「ほう?それはどのようなものか、ぜひ私達にも教えてもらいたいな、グルジェ殿」
「あくまでも僕が思うところだと念を押させてもらおう。閣下、件の殺された村人達の遺体ですが、何か変わった点はありませんでしたか?」
「変わった点とな…おぉ、そういえば、遺体の数の割には血の痕が少なすぎると報告があったが?」
「やはりそうですか。その遺体の血ですが、恐らくジブワ達が持ち出したのでしょう。村の住民を殺したのも血液を手に入れるためです」
何気なく吐かれたグルジェの言葉に、おもわず私は顔を歪ませてしまう。
人の死に出血が伴うのは妥当ではあるが、血そのものを求めて人を殺したということには、言葉に出来ないおぞましさを覚える。
「血液を?なぜそんなものを欲しがる?」
「とある儀式のためです。ジブワ達はこちらの領土で、儀式を行うつもりなのです。身を潜めているのも、儀式に適した日を待ってのこと」
儀式、か。
ここに来るまでに運河で立ち寄った港町で、リズルド達が儀式で街側と揉めていたことをを思い出してしまう。
まさかあれと同じとは思わないが、儀式という言葉だけでこちらの気が重くなる。
「なんだと…?わしの領民を大勢殺すのが儀式だと申すか?なんのための儀式だというのだ、それは!」
グルジェの口から飛び出した意外な言葉に、私はあまり心を乱すことはなかったが、侯爵の反応はここにいる誰よりも激しいものだった。
自分の領民を殺されたのが、勝手に行われた儀式のためだと言われて頭に血が上らない領主がいたら、それはまともな領主とは言えない。
この侯爵はその点、至極真っ当な領主であるため、こうまで怒りを露にしているわけだ。
「閣下、どうかお静まりください。お気持ちはお察ししますが、今はグルジェ殿から話を聞くのが先決でしょう」
顔には出していないが、侯爵の迫力にグルジェは息を呑み、背もたれに体が付く程度にはのけ反っていた。
長年侯爵の地位で辣腕を振るっていただけあり、老いてもなお相対する者を圧倒する強い気配に、そのままにしてはグルジェが委縮して話が進まない。
ディースラ様は我関せずといった様子である以上、ここは私が宥めなくては。
「ぬぅっ…確かにそうだ。声を荒げて済まぬな、グルジェ殿。続きを聞かせてくれ。できればその儀式について、詳しく知りたい」
「は、ではまず、ジブワが成そうとしている儀式の名から。それは『死肉の君への拝謁』と呼ばれており、僕達ラーノ族に伝わる禁忌の儀式とされております。人間の血液を大量に用いてこの世ならざる者を―ぐぅあっっ!」
と、そこまで話したところで、グルジェがうめき声を上げて言葉を途切れさせた。
突然そうなったのは、体に巨大な青い手が絡みつき、強烈な力で彼を締めあげているからだ。
こちらにまでミシミシという、人体が立てる音としては異常なものが聞こえてくる。
その腕の正体は、グルジェの背後に立つディースラ様のものだった。
いつの間に回り込んだのか、一瞬前までディースラ様が着いていた椅子は今思い出したように激しい音を立てて部屋の奥へと転がっていった。
人とドラゴン、二つの姿を持つだけあってどちらの姿も自在に取れるのは知っていた。
今は右腕だけをドラゴンのものへと変えているようで、人の姿でありながらそこから延びる巨大な腕で人を握り包んでいる様子に、人とは一線を画す存在であることを改めて思い知る。
「貴様…なぜオクタレッカを知っているっ!」
「な…ぜ、とは…い、ち族の秘法…づぁあっ!」
ついさっきまでの気だるげだった様子から一転して、強い怒りと憎しみに顔を歪めるディースラ様の問いに、グルジェは苦し気な吐息と共にそう答えた。
しかしそれがお気に召さなかったのか、さらに握る力が増してグルジェを責め立てる。
「あれは我らが多くの犠牲と引き換えに封じ、その法理すら全て葬った!唯人が知るなどありえん!誰ぞより伝えられたのであろう!?精霊か?悪神か!?よもや竜族ではなかろうな!」
言葉を一つ吐きだすたびに、室内に力が波となって迸る。
触れてもいないというのに、頑丈な机が悲鳴を上げるように軋み、このままディースラ様の放つ力が増していけば、私はともかく、老齢の侯爵の体にかかる負担が限界を迎えかねない。
「……ぁ、お、お待ちください、ディースラ様!このままではグルジェ殿が死んでしまいます!どうかご寛恕を賜りますよう!」
「ニリバワの言う通りでございます!どうかお心をお静めください!何ゆえそこまでお怒りになられるのですか!?」
今にもグルジェを殺してしまいかねない剣幕のディースラ様に、一瞬呆気に取られていた私と侯爵は我に返り、縋りつくように許しを求めるが、こちらを一瞥したその目が私達の全身を恐怖で包む。
ここまでの旅路で見せた穏やかな気性にすっかり慣れていたが、こうして怒りに染まった目を向けられると途端に恐怖で体が動かなくなる。
やはりこの方は人間など足下にも及ばぬ強大な存在であることを、本能で感じてしまう。
「何故、だと?知らぬというのは幸せだな。ことの重大さはお主の想像を超えているぞ、イブラヒム。場合によっては、この国…いや、さらに多くの国が滅ぶことも覚悟せよ!」
国が亡ぶという言葉を受け、私は喉が詰まったように言葉が出ない。
それは侯爵も同じようで、ディースラ様の気迫もあるだろうが、顔色が青から白へと変わるほどの衝撃に襲われていた。
ジブワの討伐で事は解決すると思っていたところに、まさか国の興亡に関わる儀式の話となると、事態の急な拡大に膝が震えそうになる。
「国が亡ぶなど…オクタレッカというのが何かは分かりませんが、その状態ではグルジェ殿も口をきけません。ディースラ様、一先ず彼を解放し、それから話を聞いてはいかがでしょう?」
意を決し、ディースラ様の怒りを買う覚悟でグルジェの解放を願い出る。
先程からのデイ―スラ様のこの怒りは、オクタレッカとやらに対してのものだとは思うが、ただの儀式で国がいくつか滅んだところで、ディースラ様が気に留めるとは思えない。
ドラゴンとはそういう存在だからだ。
となれば、ディースラ様をこうまでさせる何かが、その儀式によって起きるということになる。
ここはグルジェを問い詰めるディースラ様の言葉から、オクタレッカについて知るべきだろう。
「ふんっ、ニリバワの言うことも尤もだ。今はその言を受けるとしよう。そら、これでいいか?グルジェよ」
「はぁっがっ…ぐぷっ」
虫けらを見るような目がこちらへ一瞬向けられ、そしてすぐにグルジェを包んでいた異形の腕が人の形へと戻ると、拘束から解かれたグルジェが地面に五体を擲つようにして蹲り、嗚咽交じりに荒い息を繰り返す。
「グルジェ殿、大丈夫か?」
「はぁっ…はぁ…ああ、とりあえずはな」
あれだけの締め付けを食らっては骨折の一つもあり得ると心配になり、声をかけた私に、グルジェは気丈に返すが、脂汗の浮く顔には激しい消耗が見てとれる。
手を貸してグルジェを椅子へと座らせると、ディースラ様が私を押しのけグルジェと目線を合わせて語りかけた。
「さあ、聞かせてもらおう。何故貴様らがオクタレッカを知っている?そしてジブワは何故その儀式を行おうというのだ?」
「…なぜディースラ様がそこまでお怒りになるのかは分かりませんが、僕もすべてを知っているわけではありません。ですが、答えられることは全て答えましょう」
グルジェが訥々と語る言葉によれば、ラーノ族にはオクタレッカという儀式が大昔から伝えられていたそうだ。
ただし、その儀式によって起こる何かについては曖昧で、『二つの月が重なる時、贄を捧げた者に大いなる力を授ける』ということしかわかっていない。
この贄というのが恨みや絶望が籠った大量の血液を指し、大勢の人間を無慈悲に殺して手に入るという点から、代々のラーノ族は忌避感から禁忌の秘儀として表に出すことを禁じてきたという。
こうして私と侯爵に話すことも、本来であればありえないことなのだが、ディースラ様の剣幕を受けて、今は従順に口を開いているようだ。
グルジェはこのオクタレッカを受け継ぐ家の者であり、次代の当主という身分から本格的なところはまだだが、予備知識として大まかには祖父から明かされていた。
そんな禁忌の秘儀をジブワがなぜ知っていたのかというと、ジブワとグルジェは遠くはなるが縁戚関係にあり、儀式についてもその関係で伝わっていたらしい。
元々同じ家から分かれたこともあり、本来秘匿されるべき儀式も、その際に二つの家にそれぞれ伝わったのかもしれない。
「なんたることだっ……あれほど念入りに法理を潰したというに、まだ人の下に伝わっていたとは!輝竜の阿呆め、雑な仕事をしおってっ!」
グルジェの話から儀式を伝える家が二つあることを知ると、ディースラ様は頭を抱えてしまった。
ここまでのディースラ様の言葉から推測するに、どうやら昔にオクタレッカという儀式を、ドラゴンとそれに類する超常の存在達が根絶しようと動いたのだろう。
それが完全に途絶えさせたと思っていたら、実はまだ現在に不完全ながら儀式として伝わっていて、ディースラ様を悩ませているようだ。
「…それで、ジブワめは何の目的で儀式をするつもりなのだ?話を聞いたところだと、お主ら、オクタレッカが実際に何を引き起こすかも分かっておらぬのだろう?」
少しの時間、痛みを払うように頭を振っていたディースラ様だったが、グルジェからの聞き取りを優先するべきと気持ちを切り替えたようで、若干震える声で話の続きを求める。
「は、恐らくですが、オクタレッカによって強大な力を手にし、その力でこちらにある聖地を占拠するつもりかと」
曖昧にしかわからない儀式だが、強大な力が手に入るというところはジブワも知っているはずなので、それを武器にすべく儀式を行うのなら、確かにそういう行動に出てもおかしくはない。
「ばかな!そのようなこと、わしが認めると思うか!?ジブワが新たな聖地と見なしている土地は既に把握し、守りも固めておる。もし攻めてくるのならば逆に討ち取ってくれるわ!」
「待て、イブラヒム。一つ答えよ」
「…は、なんでしょうか?」
自分の領地を一部でも奪いに来ると聞き、鼻息を荒くする侯爵だったが、ディースラ様の声に一気に冷静さを取り戻す。
「件のジブワ達によって虐殺された村の住民だが、数は分かっておるか?」
「は?あ、ええまぁ、大人と子供合わせて94人が犠牲になっております」
「…少ない」
考え込むような仕草でボソリ呟かれたディースラ様の言葉に、残る誰もがギョッとしてしまう。
失われた命の数を多寡で判断するなど、やはりドラゴンから見た人間などそんなものなのだろうか?
百人に満たぬとはいえ、咎なく死んでいった者達へのこの認識に、どうしようもなく悲しさと悔しさを覚える。
「なんと!お言葉を返すようですが、ディースラ様!確かに我が領全体でみれば数は少なく思われるでしょうが、そのような言いようはあまりにもっ!」
「そうではない、落ち着けイブラヒム。我が言いたいのは、件の儀式を正しく成すに、この人数の血液では足りぬという意味だ」
侯爵も犠牲になった自領の民に対する言葉に、ディースラ様相手にでもはっきりとした憤りをあらわにするが、それをディースラ様はやんわりと否定する。
どうやらディースラ様が言いたかったのは、儀式に使用される血液の量についてだったようだ。
「…そもそもオクタレッカとは、莫大な量の血液を対価にして、古き悪神をこの世に顕現させる儀式なのだ。百人に満たぬ人間の血液程度では、まともな結果は得られん」
「そ、そんなこと、僕が聞いた話には…」
「ほう、必要とされる血の量までは伝わっておらぬようだな。不完全な伝承だったというのは、幸いと言ってよいのやら」
儀式の肝と言っていい部分がグルジェ達には中途半端に伝わっていたことに、ディースラ様は複雑そうな顔だ。
オクタレッカが伝承に残っていたのは無念であるが、重要な部分が欠けていたことを喜ぶべきか悩ましいようだ。
「しかしそれならば、ジブワ達が儀式を行ってもその悪神が出てくることはないのでは?犠牲になった村人は気の毒ですが、その血は無駄に終わり、儀式による脅威はないと判断できるのではないでしょうか?」
「うむ、その通りだ。仮に血液が足りないことをジブワ達が知っていれば、今頃我が領内の村はもっと襲われている。だがそれがないということは、儀式の達成に血が不足することを彼奴等は気付いていない。失敗する儀式に賭けるとは、なんと滑稽な」
儀式に不足があるという一応朗報とも取れなくもないところに希望を見出し、最悪の事態が回避される可能性を私が口にすると、侯爵も鷹揚に頷いて乗ってきた。
国が亡ぶかどうかという危険が、自領から発生すると思えば気が気ではないだろうが、成功の見込みがないと分かれば幾分気が晴れるというところか。
なんにせよ、ジブワ達は未だ潜伏してはいるが、儀式によって事態が悪化することがないと分かれば気も楽になる。
思わず安どのため息を吐くのは私だけではなく、侯爵もグルジェもその表情が和らいでいた。
そんな私達の様子に、ディースラ様は呆れた顔を見せ、恐ろしいことを口走る。
「何を言っておる。確かに悪神の顕現はないが、不完全とはいえオクタレッカを行うとなれば破壊が巻き散らされるであろうな。少なくともイブラヒム、お主の領地は丸ごと消し飛ぶぞ」
『え』
間抜けな声を出したのは人間である三人だが、まさかそんな可能性が控えていたとはだれが予想しただろうか。
事態の好転などまるでなかったことにされた私達は、まるで時間が止まったかのように、ただ虚空を見るしかできず、正気に戻るのにしばしの時間が必要だった。
SIDE:END
多くの城砦は攻撃や防衛に重きを置いて存在するのだが、都市を内に抱えるヤブー砦は行政機能をも備えている。
私達がワイディワ侯爵との会議のために訪れた建物も、防衛に不足のない頑強な城であり、有事の際には全域を指揮する総司令部としても機能するらしい。
有事の際というとまさに今がそうだと言えなくもないが、本来想定するのは他国との戦争か、国内の有力貴族達の反乱などといったものであり、それに比べると百騎程度の侵攻ではまだ一砦としてしか役目は求められていない。
そんな砦だけに、内部には要人のための施設も揃っており、その一つとして軍人や文官らが使う会議室もあり、私達はそこへ通された。
一応軍事施設という体裁からか、装飾や調度品は控えめだが、本格的な演武をするにも困らない程度の広い室内に、百人乗っても大丈夫そうなほどの巨大な机、長時間座っても疲れないようにと配慮された重厚な椅子がある光景は、重要施設の会議室として十分な威厳を示している。
本来は大勢が集まって会議をするこの部屋だが、ワイディワ侯爵は少数での話し合いを決めたようで、今いるのは私を含めた四人のみ。
上座に当たる最奥の椅子には当然ディースラ様が座り、左手側には私とグルジェが、少し距離を離した右手側にはワイディワ侯爵が座っている。
イブラヒム・エッダ・ワイディワ侯爵。
スワラッド商国東部の守護を一手に引き受け、代々が領地をよく治め、戦乱の芽を決して見逃さない手腕から、護国の雄として名高い大貴族だ。
初代のワイディワ侯爵は、当時の国王と親しい付き合いがあり、身分を超えた友情が二人の間にはあったという。
その初代も本人の能力の高さから、爵位を手にした後は王の右腕として政治の場で活躍も望めたが、国内が不安定だった時期に東部の国境の守りを不安視した王の悩みを慮り、国境地帯への領地替えを願い出て、今日まで代々に渡ってスワラッド商国の平和を守ってきた。
今私の目の前にいる今代のワイディワ侯爵だが、白髪が混ざった茶色の髪は年相応に薄くはなっているが、顔に走る皺の深さは積み重ねた月日の分だけ濃い。
恰幅のいい体格はともすれば不摂生の象徴にも見られかねないが、武を嗜むものが見れば全身には確かな筋肉が備わっており、厳めしい顔付きも相まって、生半な者は眼前に立つだけで強烈な威圧感に襲われることだろう。
他国の人間を招き入れておきながら、護衛を傍に置かずに対峙する様子は、スワラッド随一の実力者と囁かれるのに相応しい胆力の持ち主だと言える。
その姿は最後に見た二年前とそう変わりはないが、心なしか顔には疲労の色が濃いように思えるのは、ラーノ族が攻めてから今日までの深い心労のせいかもしれない。
記憶に間違いがなければ、年齢はもうとっくに六十は超えており、近々家督を息子に譲る予定らしいが、その前に今回のことが起きたのは、当主の座に就いた息子にいきなり難題を被せずに済んだと考えると、時機の良し悪しでは悩ましいところか。
「…なるほど、よくわかった」
重苦しさを伴う侯爵の声に、ここまで訥々と自分達のことを語っていたグルジェはその身を強張らせ、椅子に深く座ることもできずにただ次の言葉を待つだけの置物と化した。
寡兵で他国へやってきた将来有望な若者ではあるが、老練な侯爵の放つ威圧感に打ち勝つにはまだまだ若い。
侯爵の何気ない仕草、言葉にも反応してしまうあたり、今回は対話の相手が大きすぎただけだ。
「まず、件のラーノ族…ジブワとやらとその一党が、此度の我が領地への狼藉を働いた者達というのは理解した。そして、貴殿らがジブワ達の討伐で助力を申し出ていること、実に心強く思う」
険しい表情の侯爵だが、その口から出てきた言葉にグルジェは緊張していた面持ちを少し緩める。
既に私が侯爵に宛てた書簡で、グルジェ達がやってきた目的とその意義については伝えてある。
最初の襲撃以降、完璧に行方をくらましているジブワ達の追跡と、侯爵方の軍勢と轡を並べて討伐に臨みたいというものだ。
私達以外からの援軍となれば、本来は歓迎すべきことなのだが、自分の領地を攻められて領民も殺されている侯爵にとっては、同じラーノ族ということでグルジェもまた憎むべき対象となっても不思議ではない。
ただ、この口ぶりから察するに、一先ずラーノ族とはいえグルジェとジブワは別だと見做し、共に戦うという道も選べる相手と判断したのだろうか。
懸念があるとすれば、グルジェ達が裏ではジブワ達と繋がりがあって、こちらを謀っている可能性だが、ディースラ様がその辺りの危惧はしていないようなので、私達としても用心はするが過剰に警戒することもない。
そして、それは侯爵も同じだと思われる。
「騎馬の民と謳われたラーノ族を相手にするとなれば、なるほど同じラーノ族をぶつけるのが正しい。業腹だが馬の扱いではこの国の兵はそちらに劣るしな」
侯爵の言うように、正直なところ、この国では騎馬での戦いに長けた者というのは決して多くない。
船での戦いならばどこにも負けない自負はあるが、馬か船か、どちらに重きを置くかは国によって違うもので、得手不得手があるからこそ、今日まで互いの国は均衡がとれていたのだ。
「はい、まさに閣下が仰られるように、馬上で僕達以上に戦える民は寡聞にして覚えがありません。特別に遇することも不要にて、こちらのニリバワ殿達と同じく、ぜひ僕達も閣下の戦列へ加えていただきたく思います」
「…と申しておるが、どうなのだ?ニリバワよ。お前はこの者達と…襲撃犯と異なるとはいえラーノ族と馬首を揃えて戦えるか?」
ジッとグルジェを見つめながら、その口だけは私に覚悟を問うてきた。
私達が王から与えられた任務は、まず急ぎ状況を把握して、私の目から見た詳しい報告を首都へと送ることがまず一つ。
そしてもう一つの任務として、現地にて襲撃犯の討伐を助けるべく、侯爵の軍に加わるというものがある。
同じスワラッドの人間同士、私が連れてきた兵と侯爵の抱える兵では衝突もなく、軍事行動時の協調も恐らく問題はない。
だがここにグルジェ達が加わると、兵達の士気が途端に怪しくなる。
事情は大まかに説明してあるが、それでも攻めてきたのはラーノ族であり、憎しみを向ける先としてはグルジェ達はあまりにも都合がいい。
これらの兵の精神的な揺らぎを抑えつつ、軍事行動へ臨むことの難しさは侯爵も容易に想像できたが故の問いかけだろう。
「は、忌憚なく申さば、問題はないかと。もちろん、完全に保証できるものではありませんが、ここまでの旅路でこの者達の心根は多少なりとも分かったつもりです。共に討伐へ臨むのならば、私が連れてきた兵達の士気が揺らぐことはないでしょう。ご無礼を承知で申し上げるなら、閣下の兵達の方をご心配成されるべきかと。お見受けしたところ、些か兵の質に偏りがある様に感じました」
「ふん、確かにお前の言うことも分からんではない。領内の駐在兵力を再編した影響で、ここにいるわしの兵には若く未熟な者が多い。もしもグルジェ殿達と共に動くことを嫌って、兵の掌握が出来んでは話にならんな」
兵の練度についての苦言を呈したも同然の私の言葉にグルジェが目をむいて驚くが、侯爵の方は不機嫌になりながらも、事実と認めたうえで自らの兵の未熟さを嘆きだした。
現在、この国境地帯ではラーノ族の侵攻に端を発した極度の警戒態勢が敷かれている。
重要な軍事拠点であるヤブー砦には、平時であれば熟練の兵士も多く詰めているが、今は姿をくらましているジブワ達の追跡と、町村の防衛のために兵達が領内へと散らばっており、砦内に残ったのは経験の浅い若い兵士だけだ。
若さゆえの精神の未熟さで、味方と分かってもなおラーノ族と共に戦うことへ、内心では複雑な思いを抱えているのだろう。
そんな兵士をまとめ上げる苦労と、そういう兵でも戦力としてあてにしなければならない現状に、侯爵も苛立ちを隠せないようだ。
「とはいえ、それはこちらの事情だな、今は置け。しかし、共に戦うのに不安はないというのはいい答えだ。ではグルジェ殿、ここで我がワイディワ領軍への貴殿らの参陣、正式に認めよう。貴殿らの働きに期待する」
ジブワ達が馬を駆って領内にいる以上、グルジェ達の協力は願ってもないことのはずだが、少々勿体ぶった承諾となったのは侯爵の地位の高さを考えれば当然のものだ。
例え国がこんな状況の中であっても、他国の人間の助力には慎重に対処するのが、為政者として正しい判断だろう。
「ありがごうとざいます。つきましては、閣下にお尋ねしたいことがございます」
「ほう、どのようなことだ?」
「ジブワ達の現在地についてです。最後に目撃された場所、そして最終目的である彼奴等が求める新しい聖地、これらのいずれにも僕は足を運んでみてみましたが、終ぞ見かけることはありませんでした」
グルジェ達がここまで私達に同行した目的も、ジブワ達の現在地について知ることというのが大きく、領地の情報を最も手にする機会の多い侯爵ならばという期待がその目に現れている。
「うむ、こちらも初日の襲撃で遭遇した巡察隊と、運よく防衛が間に合った村の住人以外、その姿を見た者はいない。隣の領地へ行くにも、馬を使うなら必ず通る場所があるが、そこでの目撃もない。わしらの予想の一つに、貴殿ら連合の領地に戻ったというのも考えたが、話を聞くにそれもないのだろう?」
「はい。既にジブワ達は国を追われたも同然。仮に連合の領土へ舞い戻ってきていれば、どこぞの部族が見かけているはず。しかしこれまでその手の情報が得られていない以上、ジブワ達はまだこちらにいるのでしょう」
私が聞いた話だと、ラーノ族が最初に虐殺した村の次に襲撃した村では、偶々付近を巡察していた騎士達が村の自警団と共にジブワ達を撃退したらしい。
この二つの村の襲撃以降、ジブワ達は完全に行方が分からなくなっていた。
普通なら荒らすだけ荒らして国に帰っていったと考えられるが、グルジェ達から教えられたジブワ達の状況を考えると、まだワイディワ侯爵領に潜伏していると思われる。
「なるほど、聖地の件もあるしな。そうそう連合の領土へ戻ることは考えんか。となると、まず間違いなく我が領内にいるのだろうが…わしからも一つ尋ねよう。そのジブワ達の現在地だが、知って貴殿はどうするつもりだ?よもや、貴殿とその供周りのみで攻めるつもりではあるまいな?」
「…それも考えましたが、僕達はたった今とはいえ閣下の軍勢に加わった身。独断で行動をするつもりは毛頭ありません。ただ、ジブワ達が今どこにいて、何をしているのか、そしてどれほどの人々に危害を加えているのかを知らねばならぬと、そう思ったまでです」
グルジェとしては、同族のしでかしたことでラーノ族が今後被る非難を多少でも和らげたいと、侯爵と共に戦おうという目論見もあるはずだ。
恐らくジブワ達と対峙する時には真っ先に先頭を駆けることになるグルジェとしては、倒すべき相手の非道を知ることで、同胞へ向ける刃を揺らがせなくしたいのだろう。
「うむ……そう考えておるのならこれ以上は言うまい。その上であえて言おう。残念ながら、わしもジブワ達の行方は分からん。それどころか、手がかりもろくにない有様よ」
「そう…ですか」
慣れない土地を駆けずり回り、今日までその背中を捉えることすらできなかったジブワ達について情報を得られると期待していたが、侯爵の口から出たのはグルジェを落胆させるのに十分なものだった。
私も首都から船に乗り、その後に立ち寄った港で逐次手にしていた情報では、現地の兵にはその影すら掴ませていないほど完全に行方がわからない。
しかし一方で、侯爵が独自に手に入れた情報というのには多少なりとも期待していたところがあり、グルジェと共にそれを共有しようと思っていたのだが、当てが外れたようだ。
「その様子だと、わしに随分期待していたようだな。ここはひとつ、それに応えられなかったことを詫びるべきか?」
「いえ、そのようなことは…。閣下にすら所在を掴ませないだけ、ジブワが上手だったということでしょう。あの者の周りには、その手の経験が多い老兵もいたようです」
兵士を若者と老人で分けた時、単純にその優劣をつけるのが難しくなる。
若い兵は身体能力と扱いやすさに優れるが、一方で経験不足からの応用力と独自判断の弱さが問題になる。
これが老兵となれば、体力面では不安はあるものの、年の分だけ蓄積した経験と技術によってあらゆる事態への対応能力の高さが強みとなる。
今回、ジブワにはラーノ族から老兵が多く付き従ったそうだが、仮にその老兵に敵地での潜伏を得意とする者がいたとすれば、今日までジブワ達の姿を見つけられなかった理由も分かるというもの。
「厄介なものだ。いっそどこぞの村をまた襲いでもすれば見つけられようが、隠れようとするならばそのようなことはしないか。あの者らがこちらに潜伏しているのならば、一体略奪もせずに物資をどう賄っているのやら」
「そのことなのですが、少し気になることがあります。何故ジブワ達は、最初に村を一つ虐殺するという蛮行に及んだのでしょう?仮に物資を手にするためだとするならば、何も住民を全て殺す必要はないはずです」
首都のお偉方もさんざん首を傾げていたのだが、ラーノ族が最初に侵攻した村で虐殺を働いた理由が未だに分からない。
ジブワ達が国境を越えてきたことの発覚を遅らせるため、口封じをしたというのも考えられたが、それならばそのすぐ後に別の村を襲ったことに矛盾を感じる。
ラーノ族は戦いにおいては勇敢で冷徹だが、同時に戦士としての気高さも持ち合わせているのは有名だ。
ジブワ達が戦う術を持たない村人を皆殺しにしたというのも、どうにも奇妙に思えてしまう。
ジブワがラーノ族の中で異端なほど残虐だと言うのなら話は違うが、グルジェが語る限りではそうでもなく、付き従っている者も特筆して危険視する者はいないという。
「それはわしも考えていたことだ。最初は略奪のためかと思ったが、現場を調べさせたところ、持ち出されたのは村に蓄えてあった僅かな食料に燃料の類、野営用の道具に食器がいくつかだけだった。村人を一人残らず殺しておいて、金になりそうな高価なものにはほとんど手を付けなかったとはな」
「ええ、この手の侵攻なら、金目の物を放っておく方がおかしい。グルジェ殿、どうなのだ?ジブワ達が何を目的として蛮行に及んだのか、貴殿ならば理解できぬだろうか?」
この場で一番ジブワを知っているであろうグルジェなら、私達にも分からない部分を補ってくれるという期待を込めて、その目をジッと見つめて答えを待つ。
それは侯爵も同じで、二人分の視線を受けて少し考える仕草を見せたグルジェは、やや時間を置いてから重苦しそうに口を開いた。
「…心当たりはあるといえばある」
「ほう?それはどのようなものか、ぜひ私達にも教えてもらいたいな、グルジェ殿」
「あくまでも僕が思うところだと念を押させてもらおう。閣下、件の殺された村人達の遺体ですが、何か変わった点はありませんでしたか?」
「変わった点とな…おぉ、そういえば、遺体の数の割には血の痕が少なすぎると報告があったが?」
「やはりそうですか。その遺体の血ですが、恐らくジブワ達が持ち出したのでしょう。村の住民を殺したのも血液を手に入れるためです」
何気なく吐かれたグルジェの言葉に、おもわず私は顔を歪ませてしまう。
人の死に出血が伴うのは妥当ではあるが、血そのものを求めて人を殺したということには、言葉に出来ないおぞましさを覚える。
「血液を?なぜそんなものを欲しがる?」
「とある儀式のためです。ジブワ達はこちらの領土で、儀式を行うつもりなのです。身を潜めているのも、儀式に適した日を待ってのこと」
儀式、か。
ここに来るまでに運河で立ち寄った港町で、リズルド達が儀式で街側と揉めていたことをを思い出してしまう。
まさかあれと同じとは思わないが、儀式という言葉だけでこちらの気が重くなる。
「なんだと…?わしの領民を大勢殺すのが儀式だと申すか?なんのための儀式だというのだ、それは!」
グルジェの口から飛び出した意外な言葉に、私はあまり心を乱すことはなかったが、侯爵の反応はここにいる誰よりも激しいものだった。
自分の領民を殺されたのが、勝手に行われた儀式のためだと言われて頭に血が上らない領主がいたら、それはまともな領主とは言えない。
この侯爵はその点、至極真っ当な領主であるため、こうまで怒りを露にしているわけだ。
「閣下、どうかお静まりください。お気持ちはお察ししますが、今はグルジェ殿から話を聞くのが先決でしょう」
顔には出していないが、侯爵の迫力にグルジェは息を呑み、背もたれに体が付く程度にはのけ反っていた。
長年侯爵の地位で辣腕を振るっていただけあり、老いてもなお相対する者を圧倒する強い気配に、そのままにしてはグルジェが委縮して話が進まない。
ディースラ様は我関せずといった様子である以上、ここは私が宥めなくては。
「ぬぅっ…確かにそうだ。声を荒げて済まぬな、グルジェ殿。続きを聞かせてくれ。できればその儀式について、詳しく知りたい」
「は、ではまず、ジブワが成そうとしている儀式の名から。それは『死肉の君への拝謁』と呼ばれており、僕達ラーノ族に伝わる禁忌の儀式とされております。人間の血液を大量に用いてこの世ならざる者を―ぐぅあっっ!」
と、そこまで話したところで、グルジェがうめき声を上げて言葉を途切れさせた。
突然そうなったのは、体に巨大な青い手が絡みつき、強烈な力で彼を締めあげているからだ。
こちらにまでミシミシという、人体が立てる音としては異常なものが聞こえてくる。
その腕の正体は、グルジェの背後に立つディースラ様のものだった。
いつの間に回り込んだのか、一瞬前までディースラ様が着いていた椅子は今思い出したように激しい音を立てて部屋の奥へと転がっていった。
人とドラゴン、二つの姿を持つだけあってどちらの姿も自在に取れるのは知っていた。
今は右腕だけをドラゴンのものへと変えているようで、人の姿でありながらそこから延びる巨大な腕で人を握り包んでいる様子に、人とは一線を画す存在であることを改めて思い知る。
「貴様…なぜオクタレッカを知っているっ!」
「な…ぜ、とは…い、ち族の秘法…づぁあっ!」
ついさっきまでの気だるげだった様子から一転して、強い怒りと憎しみに顔を歪めるディースラ様の問いに、グルジェは苦し気な吐息と共にそう答えた。
しかしそれがお気に召さなかったのか、さらに握る力が増してグルジェを責め立てる。
「あれは我らが多くの犠牲と引き換えに封じ、その法理すら全て葬った!唯人が知るなどありえん!誰ぞより伝えられたのであろう!?精霊か?悪神か!?よもや竜族ではなかろうな!」
言葉を一つ吐きだすたびに、室内に力が波となって迸る。
触れてもいないというのに、頑丈な机が悲鳴を上げるように軋み、このままディースラ様の放つ力が増していけば、私はともかく、老齢の侯爵の体にかかる負担が限界を迎えかねない。
「……ぁ、お、お待ちください、ディースラ様!このままではグルジェ殿が死んでしまいます!どうかご寛恕を賜りますよう!」
「ニリバワの言う通りでございます!どうかお心をお静めください!何ゆえそこまでお怒りになられるのですか!?」
今にもグルジェを殺してしまいかねない剣幕のディースラ様に、一瞬呆気に取られていた私と侯爵は我に返り、縋りつくように許しを求めるが、こちらを一瞥したその目が私達の全身を恐怖で包む。
ここまでの旅路で見せた穏やかな気性にすっかり慣れていたが、こうして怒りに染まった目を向けられると途端に恐怖で体が動かなくなる。
やはりこの方は人間など足下にも及ばぬ強大な存在であることを、本能で感じてしまう。
「何故、だと?知らぬというのは幸せだな。ことの重大さはお主の想像を超えているぞ、イブラヒム。場合によっては、この国…いや、さらに多くの国が滅ぶことも覚悟せよ!」
国が亡ぶという言葉を受け、私は喉が詰まったように言葉が出ない。
それは侯爵も同じようで、ディースラ様の気迫もあるだろうが、顔色が青から白へと変わるほどの衝撃に襲われていた。
ジブワの討伐で事は解決すると思っていたところに、まさか国の興亡に関わる儀式の話となると、事態の急な拡大に膝が震えそうになる。
「国が亡ぶなど…オクタレッカというのが何かは分かりませんが、その状態ではグルジェ殿も口をきけません。ディースラ様、一先ず彼を解放し、それから話を聞いてはいかがでしょう?」
意を決し、ディースラ様の怒りを買う覚悟でグルジェの解放を願い出る。
先程からのデイ―スラ様のこの怒りは、オクタレッカとやらに対してのものだとは思うが、ただの儀式で国がいくつか滅んだところで、ディースラ様が気に留めるとは思えない。
ドラゴンとはそういう存在だからだ。
となれば、ディースラ様をこうまでさせる何かが、その儀式によって起きるということになる。
ここはグルジェを問い詰めるディースラ様の言葉から、オクタレッカについて知るべきだろう。
「ふんっ、ニリバワの言うことも尤もだ。今はその言を受けるとしよう。そら、これでいいか?グルジェよ」
「はぁっがっ…ぐぷっ」
虫けらを見るような目がこちらへ一瞬向けられ、そしてすぐにグルジェを包んでいた異形の腕が人の形へと戻ると、拘束から解かれたグルジェが地面に五体を擲つようにして蹲り、嗚咽交じりに荒い息を繰り返す。
「グルジェ殿、大丈夫か?」
「はぁっ…はぁ…ああ、とりあえずはな」
あれだけの締め付けを食らっては骨折の一つもあり得ると心配になり、声をかけた私に、グルジェは気丈に返すが、脂汗の浮く顔には激しい消耗が見てとれる。
手を貸してグルジェを椅子へと座らせると、ディースラ様が私を押しのけグルジェと目線を合わせて語りかけた。
「さあ、聞かせてもらおう。何故貴様らがオクタレッカを知っている?そしてジブワは何故その儀式を行おうというのだ?」
「…なぜディースラ様がそこまでお怒りになるのかは分かりませんが、僕もすべてを知っているわけではありません。ですが、答えられることは全て答えましょう」
グルジェが訥々と語る言葉によれば、ラーノ族にはオクタレッカという儀式が大昔から伝えられていたそうだ。
ただし、その儀式によって起こる何かについては曖昧で、『二つの月が重なる時、贄を捧げた者に大いなる力を授ける』ということしかわかっていない。
この贄というのが恨みや絶望が籠った大量の血液を指し、大勢の人間を無慈悲に殺して手に入るという点から、代々のラーノ族は忌避感から禁忌の秘儀として表に出すことを禁じてきたという。
こうして私と侯爵に話すことも、本来であればありえないことなのだが、ディースラ様の剣幕を受けて、今は従順に口を開いているようだ。
グルジェはこのオクタレッカを受け継ぐ家の者であり、次代の当主という身分から本格的なところはまだだが、予備知識として大まかには祖父から明かされていた。
そんな禁忌の秘儀をジブワがなぜ知っていたのかというと、ジブワとグルジェは遠くはなるが縁戚関係にあり、儀式についてもその関係で伝わっていたらしい。
元々同じ家から分かれたこともあり、本来秘匿されるべき儀式も、その際に二つの家にそれぞれ伝わったのかもしれない。
「なんたることだっ……あれほど念入りに法理を潰したというに、まだ人の下に伝わっていたとは!輝竜の阿呆め、雑な仕事をしおってっ!」
グルジェの話から儀式を伝える家が二つあることを知ると、ディースラ様は頭を抱えてしまった。
ここまでのディースラ様の言葉から推測するに、どうやら昔にオクタレッカという儀式を、ドラゴンとそれに類する超常の存在達が根絶しようと動いたのだろう。
それが完全に途絶えさせたと思っていたら、実はまだ現在に不完全ながら儀式として伝わっていて、ディースラ様を悩ませているようだ。
「…それで、ジブワめは何の目的で儀式をするつもりなのだ?話を聞いたところだと、お主ら、オクタレッカが実際に何を引き起こすかも分かっておらぬのだろう?」
少しの時間、痛みを払うように頭を振っていたディースラ様だったが、グルジェからの聞き取りを優先するべきと気持ちを切り替えたようで、若干震える声で話の続きを求める。
「は、恐らくですが、オクタレッカによって強大な力を手にし、その力でこちらにある聖地を占拠するつもりかと」
曖昧にしかわからない儀式だが、強大な力が手に入るというところはジブワも知っているはずなので、それを武器にすべく儀式を行うのなら、確かにそういう行動に出てもおかしくはない。
「ばかな!そのようなこと、わしが認めると思うか!?ジブワが新たな聖地と見なしている土地は既に把握し、守りも固めておる。もし攻めてくるのならば逆に討ち取ってくれるわ!」
「待て、イブラヒム。一つ答えよ」
「…は、なんでしょうか?」
自分の領地を一部でも奪いに来ると聞き、鼻息を荒くする侯爵だったが、ディースラ様の声に一気に冷静さを取り戻す。
「件のジブワ達によって虐殺された村の住民だが、数は分かっておるか?」
「は?あ、ええまぁ、大人と子供合わせて94人が犠牲になっております」
「…少ない」
考え込むような仕草でボソリ呟かれたディースラ様の言葉に、残る誰もがギョッとしてしまう。
失われた命の数を多寡で判断するなど、やはりドラゴンから見た人間などそんなものなのだろうか?
百人に満たぬとはいえ、咎なく死んでいった者達へのこの認識に、どうしようもなく悲しさと悔しさを覚える。
「なんと!お言葉を返すようですが、ディースラ様!確かに我が領全体でみれば数は少なく思われるでしょうが、そのような言いようはあまりにもっ!」
「そうではない、落ち着けイブラヒム。我が言いたいのは、件の儀式を正しく成すに、この人数の血液では足りぬという意味だ」
侯爵も犠牲になった自領の民に対する言葉に、ディースラ様相手にでもはっきりとした憤りをあらわにするが、それをディースラ様はやんわりと否定する。
どうやらディースラ様が言いたかったのは、儀式に使用される血液の量についてだったようだ。
「…そもそもオクタレッカとは、莫大な量の血液を対価にして、古き悪神をこの世に顕現させる儀式なのだ。百人に満たぬ人間の血液程度では、まともな結果は得られん」
「そ、そんなこと、僕が聞いた話には…」
「ほう、必要とされる血の量までは伝わっておらぬようだな。不完全な伝承だったというのは、幸いと言ってよいのやら」
儀式の肝と言っていい部分がグルジェ達には中途半端に伝わっていたことに、ディースラ様は複雑そうな顔だ。
オクタレッカが伝承に残っていたのは無念であるが、重要な部分が欠けていたことを喜ぶべきか悩ましいようだ。
「しかしそれならば、ジブワ達が儀式を行ってもその悪神が出てくることはないのでは?犠牲になった村人は気の毒ですが、その血は無駄に終わり、儀式による脅威はないと判断できるのではないでしょうか?」
「うむ、その通りだ。仮に血液が足りないことをジブワ達が知っていれば、今頃我が領内の村はもっと襲われている。だがそれがないということは、儀式の達成に血が不足することを彼奴等は気付いていない。失敗する儀式に賭けるとは、なんと滑稽な」
儀式に不足があるという一応朗報とも取れなくもないところに希望を見出し、最悪の事態が回避される可能性を私が口にすると、侯爵も鷹揚に頷いて乗ってきた。
国が亡ぶかどうかという危険が、自領から発生すると思えば気が気ではないだろうが、成功の見込みがないと分かれば幾分気が晴れるというところか。
なんにせよ、ジブワ達は未だ潜伏してはいるが、儀式によって事態が悪化することがないと分かれば気も楽になる。
思わず安どのため息を吐くのは私だけではなく、侯爵もグルジェもその表情が和らいでいた。
そんな私達の様子に、ディースラ様は呆れた顔を見せ、恐ろしいことを口走る。
「何を言っておる。確かに悪神の顕現はないが、不完全とはいえオクタレッカを行うとなれば破壊が巻き散らされるであろうな。少なくともイブラヒム、お主の領地は丸ごと消し飛ぶぞ」
『え』
間抜けな声を出したのは人間である三人だが、まさかそんな可能性が控えていたとはだれが予想しただろうか。
事態の好転などまるでなかったことにされた私達は、まるで時間が止まったかのように、ただ虚空を見るしかできず、正気に戻るのにしばしの時間が必要だった。
SIDE:END
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