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遭遇!ラーノ族?

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 馬がメインの移動手段であるこの世界でも、様々な事情で馬に乗れない人間というのは少なからずいる。
 多くは幼少の頃に馬で怖い目にあったトラウマなどだが、あの馬の背中に乗って揺られる感覚がだめだというケースもそこそこ多い。

 そういった人間は生涯馬に乗らずに過ごすのも珍しくはないが、必要に迫られて馬の足に頼る時ということもある。
 そんな時どうするかといえば、解決法の一つとして馬車の荷台で運ばれるというのが存在する。
 馬に乗るのが怖くても馬車の荷台ならマシだというわけで、意外とそれでなんとかなるらしい。

 これは人間が馬を恐れている場合の手段だが、逆に馬が人を恐れている時にも使えそうだということで、馬がその背に乗せるのを嫌がるディースラを、荷台で運んでしまおうと考えた。

 ただ、単騎の馬と荷台付きの馬では速度が違うので、ディ―スラを乗せる荷台の方には手を加えることになる。
 積載量と安定性のために四輪の荷台は、そのままでは車体自体の重量もあってあまり速度が出ない。
 そこで車体を前後で半分に切断し、一人乗りの馬車という具合に、中世ヨーロッパで一世を風靡したチャリオットのようにして馬に曳かせるという方法を採用した。

 勿論、ただ車体を切っただけでは耐久性に不安があるので、突貫ではあるが各所に補強も施したチャリオットを作り上げた。
 車輪数が減ったことで軽くなった分速度は出るし、手綱も荷台部分で操作できるので、適度な距離間で馬も怯えないはず。
 長距離の移動も考え、乗り手が座って手綱を操れるようにもしてある。

 ちなみにこの世界では、過去にチャリオットは存在していたらしいが、今ではまず見かけない。
 理由として、人間相手にはそこそこ効果はあったが、野生動物や魔物を相手にするには取り回しも含めた使い勝手がよくないそうで、国家間の戦争がなくなるにつれて姿を消していったとのこと。
 今の世の中、戦いは対魔物がメインになるのだから当然か。




 スワラッド商国を横断する運河の端へ到着した俺達は、これから陸路で南へと向かい、まずはワイディワ侯爵領にある要塞の一つを目指す。
 ニリバワ率いる本隊は主に騎馬で編成されるが、物資を積んだ馬車が後発で付いてくる。
 馬を飛ばせば目的地はまでは二日ほどのため、野営と自衛のための最低限の装備を積んだ荷馬が、先発隊には随伴する。

 色々とあって予定は少し押しているが、船から人と物が降ろされるのを待つと、出発は昼過ぎになりそうだ。

「むっはーっ!これはよいな!よもや我が馬に乗れる日が来るとは!」

 ニリバワが部隊の編成を行っているのを横目に、早速試運転と称して、馬につないだチャリオットをディースラが乗りまわしている。
 最初は少し怯えた風だった馬も時間とともに落ち着き、今ではディースラの手綱捌きに応えて走れるほどだ。

「正確には馬が曳く荷台に乗ってるんですがね」

「細かいことはよいのだ!」

 上機嫌なディースラに並走しながらかけた俺の言葉に、返ってきたのはからりとした笑みだ。
 水場にいれば慣れた速さであっても、こうして地上を馬に曳かれて走るのはまた別の爽快感があるのだろう。

 今俺達がいるのは船着き場から少し離れた街道だが、長年の人の往来で踏み固められた道がそうなっているだけで、一雨くればぬかるむのは簡単に想像できる。
 足元が悪くなれば馬車の車輪もとられかねないが、チャリオットの方は多少軽くなっているので、多少のぬかるみなら馬の力で強引に進めるだろう。

「しっかし、ここも暑いねぇ。こっちに着いてから思い知ったよ、サーティカがどれだけ快適だったのか」

 少し遅れてついてきているパーラが、天を仰ぎながら額の汗をぬぐう。
 標高の高かったサーティカは冷涼な空気で過ごしやすかったが、ここワイディワ侯爵領に入ってからは照り付ける太陽と蒸すような湿気で汗が止まらない。
 ビシュマやモンドンは港町だけあって海風が涼しい街だったが、ここらは川辺であっても堪える暑さだ。

 そうなると馬の方も参っているのかと思うだろうが、スワラッド産まれだけあってこの環境にも適応しているようで、今走っている姿ではへばった様子がないのは頼もしい。

「ここらの人が言うには、今年は普段よりも暑いらしい。俺やお前は別に暑さに強いってわけじゃないから、気を付けないとな」

「そうだね」

 ―お三方!出発しますよー!

 馬を走らせている俺達に、遠くの方から声がかかった。
 出発の準備が出来たようで、集団の先頭で馬にまたがるニリバワが俺達へと手を振っている。

「ディースラ様、出発するようです。試乗はここまでとしましょう」

「であるか。ならば行こうぞ、スイリューオー!」

 少し先を走っていたディースラに近付いて声をかけると、手綱を振るって馬を操作してニリバワ達の方へと駆けていく。
 しかしディースラの奴、いつの間に馬に名前を付けたのか。
 チャリオットを曳いているので速さはそれほどでもないが、名前の響きだけならダービーを狙えそうな大仰さだ。

 まぁディースラも馬に乗るのを楽しんでいるし、自分の乗る馬を気に入る気持ちは分からんでもないが。

 俺とパーラもニリバワ達と合流するために、ディースラの後に続いた。




 ワイディワ侯爵領は他国との国境線を抱えているせいか、街道は整備されているとはあまり言い難い。
 いざことがあれば最前線となる土地である以上、敵が動きやすい道を用意することの危険を秤に乗せれば、多少の不便は国防のための礎になる。

 これがもう少し国境から離れればまた道路事情は変わってくるのだが、俺達が今走っている場所は馬車の通行は辛うじてできるが、大軍が進むには道幅が狭すぎるという、ある意味予想通りの道だ。
 足元は土を踏み固めただけであり、レンガ敷きなど望むべくもないが、その代わり雨さえ降らなければ馬車は走れるし、チャリオット付きの馬も問題なく走れている。

 街道を行くのはニリバワを先頭に、多少速度は落ちるが馬車よりもかなり速い速度で走れるディースラが続き、その後ろに引き連れられるようにして80人ほどの騎兵という構成の部隊だ。
 派遣される兵員の内、速度に優れたこの人数がまずは先行してワイディワ侯爵領の砦を目指す。

 当然全員が馬の背に乗っているが、その中の何人かは鳥型の騎乗動物に跨っている。

 見た目はダチョウのようなその騎乗動物は、俺がよく知るガイトゥナと同種のようだが、毛並や顔付きなどに若干の差異があり、ガイトゥナとは近縁種か亜種といったところか。
 こちらではバラムドという名で呼ばれている。

 全力の最高速度は馬に若干劣るが、加速能力と悪路踏破性では高い能力を示しているため、斥候には向いた騎乗動物とのこと。
 今は部隊内に混ざっているが、何かあれば抜け出して周辺を探るために単独で動くのだろう。

 そしてこれらの部隊とは別に、物資を積んだ馬車とその護衛の騎馬が少し遅れて着いてくる。
 移動速度を優先し、先行部隊は最低限の荷物だけしか持たないため、後詰となる馬車が食料や予備の武器などを運ぶ。
 ある意味、派遣部隊の生命線とも言える馬車には当然護衛も必要で、派遣部隊員の三分の一が輜重隊と護衛に回されるのは妥当なところだろう。

「ニリバワさん、確認しますが、まずは最寄りの村を目指すという方針でしたよね?」

 集団の先頭を走るニリバワへ馬体を寄せ、先程出発前に聞かされたことを尋ねる。
 一度受けた説明をもう一度求めるのは軍人としては無能だそうだが、俺は軍人じゃないので気にしない。

「ええ、砦の大まかな位置は分かってるけど、正確な道は現地の人間に聞くのが早いもの。それと、ラーノ族の目撃情報なんかも聞き出すつもりよ」

「ラーノ族の情報ですか。ここいらの村が知ってますかね?」

 月下諸氏族連合との国境で最初に被害にあった村はここから大分遠い場所にある。
 情報の伝達速度に関しては地球とは比べるべくもないこの世界で、果たしてこんな離れた土地にある村でラーノ族の目撃情報など期待できるかどうか。

「別に直接見たというのだけを求めてないわ。ここ数日で変わったこと、その前からあった変化なんかでもとにかくなんでもいい。なにもなくても、それはそれでいい判断材料になるものよ」

 本人は戦いしか能がないと言っていた割に、ニリバワは意外と情報の重要さと使い方を正しく理解している。
 小さなことでも情報としての価値は認め、また何もないことも情報の一部とするというのは、指揮官としては中々有能な考え方だ。

 実際、首都を出発する前の俺達に与えられた現地の最新情報はかなり少なく、こうして町村で情報を集めながら目的地へ向かうというのは、大分こなれたやり方だと感心するぐらいだ。

 そうして馬を走らせ続けていると、街道に人が暮らす場所が近いと示すものが現れ始め、最初に目指すとしていた村までたどり着いた。
 建物の様式はスワラッド独自の気配はあるが、魔物からの襲撃に備えた簡素な囲いで村全体を守っているだけの、まさにオーソドックスな村といった感じだ。

 村の名前は…なんだったか。
 ニリバワから聞いたはずだが忘れてしまったな。

「総員止まれ!…ここで休息をとる。各員、馬を十分に休ませておけ」

 村の入り口に差し掛かると、ニリバワが声を上げて全体を停止させる。
 その声で全員が馬を暴れさせることなく立ち止まれたのは、比較的速度が抑え気味だったこともあるが、派遣部隊に選抜された人員の能力の高さもあるだろう。

 俺やパーラなんかは、ニリバワの声に一拍遅れて動いていたのに、随伴している人員はもうめいめいに馬を休ませ始めている。
 こういう時の動きに慣れているというのが、兵達の行動の端々に見えるのがなんとも頼もしい。

「私はスワラッド商国より王命を受けてやってきた者だ。名はニリバワ。この村の代表者はおられるか?」

 突然押し寄せてきた騎馬の群れに、村人が不安そうな目を向けてきているが、中には武器を手にして険しい顔をしている者も少なくはない。
 これは先触れもなくやってきた俺達が悪い。
 一応、スワラッド商国の正規軍を示す旗は掲げているので、騙りではないと分かってもらえるとは思うが。

 とはいえ、しっかりと名乗ることで多少警戒心は和らいだようで、少し待って現れた村長と思しき人物がから、早速ニリバワが情報を聞き出す。
 俺はたまたまニリバワの近くで馬の世話を始めたので、その会話が聞こえてくる。

「ではこの辺りでは、特に怪しい集団など見ていないと?」

「はい。賊や魔物なんかはいないこともありませんが、百人ほどの馬に乗った集団というのは見ておりません」

 当然、尋ねるべきはラーノ族についてだが、やはりこちらの方まで来てはいないようだ。
 馬の脚を考えれば、ここ数日でこの辺りも十分に移動範囲となっていそうだが、百人ほどの馬を駆る集団ともなれば、完全に人目を避けるのも難しいし、目撃情報がないのなら北上はしていないと考えるべきか。

「そうか。…ところで、ヤブー砦まではこのまま街道を南下するのがいいのか?」

 ヤブー砦というのは、俺達が目指す場所だ。
 ワイディワ侯爵領では一番の城塞都市であり、連合との国境に最も近い街でもある。

「ええ、道なりに行けば着けますな。急ぐのでしたら村人が主に使う近道をお教えしましょうか?街道を外れて…あの山を西に回り込んで行く、道なき道ではありますが」

 村長が指さす先には、森の木々から頭をのぞかせるようにして聳える岩山があった。
 見た所、麓までは馬の脚で三十分ほどといったところか。

「川の水量次第では使えない道ですが、ここしばらくは雨も降っておりませんので大丈夫でしょう」

「それはいいことを聞いた。その道、使わせてもらおう。貴重な情報、感謝する」

「いえいえ、お役に立てたようで」

「うむ。ではな。…総員、騎乗用意!まずはあそこの岩山を目指す!」

 周辺情報の取得という目的は果たされ、馬の方も特に故障などはないため、短い休憩を終えて俺達は村を後にする。

「あばばばば!おぃいニリバワ!なんだこの道は!車輪が跳ねておるではないか!これではそのうち、我の尻も二つに割れてしまうぞ!」

「もうとっくに割れてございますよ、ディースラ様」

 街道を少し外れると途端に道も悪くなり、馬に跨る俺達はともかく、荷台に乗っているディースラは、古の銭湯にあるマッサージ機に掛けられたように激しく揺れ始めた。
 ちょっとしたアトラクションのようで、はた目には楽しそうではある。

 流石にニリバワに文句を言うが、彼女の方はそれをまともに取り合わず、馬を走らせていく。
 本来ならディースラを気遣うべきだが、移動を中断するほどの致命的な事情ではない限り、耐えてもらおうというわけだ。

 殊更時間に追われているわけではないが、砦に早く着くにこしたことはないため、近道を選んだニリバワに文句を言う者はいないが、今この時に限ればディースラにだけは噛みつく権利があるのかもしれない。

 ニャーニャーと文句を言うディースラを無視しつつ、岩山を迂回して走り続けていくと、足元の様子が変わる。
 それまでの石ころと土だけだった地面に、若干の水気が混じり始めると、すぐに馬の脚が水を跳ね始めた。

 見ると、俺達が進む先には川と呼ぶにはあまりにも浅い、いっそ水たまりといっていい程度の水場が広がっていた。
 恐らく本来はもう少し水かさがあり、馬でも渡るのが困難となっていたのだろう。

 リズルド達との邂逅で知った通り、この国では例年に比べて今日まで雨が少なかったため、その影響で馬どころか荷台付きでも通過できるほどに、現在のこの川は浅い。
 ディースラの乗る荷台が巻きあげる泥が、後方にいる俺達の方まで飛んでくるのを邪魔に思いつつ、川だったところを越えて再び荒れた道を走り続けていく。

 近道を通ったことで砦までの道はある程度ショートカットできたはずだが、それでも先は長い。
 俺自身、人馬一体とは決して言えない程度の腕しかないため、長く馬を走らせているとさすがに疲れてくる。
 次の休憩はいつだろうかなどと考えていると、先の方に人影が見えた。

 その人影は馬に乗った十人ほどの集団で、普通なら旅人か商人、巡察の兵士などといった者達かと思うところだが、今この場所で遭遇すると若干きな臭い。

 俺達が走っている場所は、先程の村の住民が主に使うルートであるため、普通に街道を行く人間と出くわすことはない。
 街道を外れて進む何者か、それも十人ほどとはいえそれなりの数がまとまって動いているとなれば、今の俺達がその正体を怪しむのは当然だろう。

 ニリバワがハンドサインで減速の指示を出すと、それに応えて俺達も馬の足を緩める。
 ディースラは乗り物の性質上、若干もたついたが問題なく速度を落とした。
 しかしこの女、この短時間でチャリオットを使いこなしているな。
 その内ドリフトとかしだしそうな気がする。

 完全に止まったところで、およそ百メートルほどの距離を空けて、謎の集団と俺達が対峙するという状況になった。
 こちらが向こうに気付いているように、向こうもこちらには気付いているはずだが、双方どちらも動かずに見つめあっているのは、相手がどう動くかの見極めのためだろう。

 まだはっきりとお互いの顔が見える距離ではないが、なんとなく睨みあっているような空気の中、俺は馬をニリバワの方へと近付けながら声をかける。

「何者ですかね、あれは」

 険しい顔のニリバワは俺の声に一瞬こちらを見たが、すぐに視線を前へと戻す。
 部隊を率いる者として、油断はせず、警戒を怠らない姿は頼もしい。

「さてねぇ。街道を外れて道に迷った旅人だったらいいのだけど、そんなわけはないわね。見た感じ、かなりの長物を持っているし、馬も立派なものよ」

 確かにあの集団の誰もが、対騎馬にも対応できるであろう長さの大剣や長槍らしきものを携えており、ただの旅人には似つかわしくはない物々しさがある。
 おまけに全員が遠目にも分かるほど体格のいい馬に乗っているとなれば、あれを一般人だと見做す能天気な奴はいない。

「見たところ、十人ほどの集団となれば、俺達が探すべき件のラーノ族というのはないでしょうね」

「そうね。一応、ラーノ族の分隊の一つと偶々遭遇したって言うのも考えられなくはないけど…」

「たった百人の騎馬兵で他国に攻め込んで、隊を分けますかね?」

「私なら絶対にしないけど、したらしたでこちらとしてはやりやすくなって助かるわ」

 機動力のある騎馬とはいえ、百人程度の数が敵国の領土内で兵力を分散させるのはあまりにも危険だ。
 勿論、そうすることのメリットもあるが、まともな指揮官ならまずそんなことはしない。
 まぁ指揮官が無能かイカれてるというパターンもあるが。

「まずあれがラーノ族かどうかも見極めが必要ね。誰か、目に自信のある者を寄越して頂戴」

「それならば自分が」

 ニリバワの要請に応え、後方にいた兵士の一人が名乗り出る。
 背中に長弓が見えることから、弓使いだとわかり、それならば遠くを見る能力にも長けているのだろうと納得した。

 その兵士が先頭に立つと、おもむろに左手を伸ばして指先を正体不明の集団へ向ける。
 何をしているのかと思ったが、よくよく見ると右手以外は弓を構えている時の姿勢と同じだと分かり、遠くの目標を射る時の態勢を取ることが彼にとっては合ったやり方のようだ。

 本当の所をいうと、百メートルほどの距離であれば俺もパーラも視力を魔力で強化すれば視程なのだが、それを言うタイミングを逃してしまったので、ここは仕事を彼に譲ろう。

「どうだ?連中の所属が分かるものはあるか?」

「は、馬体に付けられている布飾りがそうかと。四角の中に花と思われる紋様に……剣と月の交差する意匠!ラーノ族です!」

 そう焦るように言い切られた言葉に、周りで聞き耳を立てていた人間は表情を変える。

「チィッ!なんでこんなっ…警戒態勢!」

 まずないと思っていたラーノ族という判定で、ニリバワも硬い声で警戒を促す。
 すぐにこちらの兵達も武器に手を伸ばして、いつでも戦闘へ移れるよう構える。

 ここでのラーノ族との遭遇は予想していなかったわけではないが、それにしてはあの数でとなると予想外過ぎる。
 あの十人がスワラッドに攻め込んできた百人から分けられた部隊だとすると、どうやらまともな指揮官が率いてはいなかったのか、あるいは俺達よりもずっと深謀遠慮を秘めた指揮官がいたかのどちらだろうか。

 何にせよ、戦うか回避するかはニリバワの判断次第だが、何となくこちらの雰囲気としては一当てするような空気ができつつある。
 俺とパーラも剣を手元に置いて備えていると、突然後方にいた兵士の何人かが駆けだしていく。

「貴様ら待て!勝手な行動をするな!」

 ニリバワが止めようとするが全く聞く耳を持たず、槍を構えて攻撃的に馬を走らせるその兵士達の姿は、明らかな独断専行での突撃だ。

「ええい、どこの隊の者だ!」

「も、申し訳ありません!私の小隊の者です!」

 一泊遅れてやってきたのは、先程駆けて行った兵士達をまとめる小隊長のようだ。
 部下を御せなかったことの失態とニリバワへの申し訳なさからか、病気を疑わせるレベルで顔色を悪くしている。

「バカモノ!貴様は部下を抑えることすらできんのか!」

「は、お怒りはごもっとも。返す言葉もありません。あの者らは日頃から手柄に飢えておりまして。あそこにいるのがラーノ族だと知って手柄首にするのだと…」

「それを抑えるのが小隊長たる者の務めであると―」

「まぁ落ち着け、ニリバワよ。お主の気持ちも分からんでもないが、これはこれでよい機会よ。あれらをラーノ族と当てて向こうの反応を見ようではないか」

 彼らの暴走が隊全体に及ぼす危険を考えれば、ニリバワのこの怒りようは真っ当なものだが、それをディースラがなだめてむしろ利用しようという案を出す。
 もう既に駆けだしてしまって、しかも手柄を求めての暴走となれば今から追いかけても止められそうにはない。

 ならば、あれらをラーノ族とぶつけて向こうを消耗させれば捕虜にするのも楽になり、かなりの鮮度の情報を手に入れられるかもしれない。
 幸いにして隊全体の数ではこちらが上回っているし、先走った連中も大体十人ほどはいるので、一方的にやられるということはないだろう。

 おまけに暴走の実績がある兵士など今後の作戦では使い辛いので、ある程度の被害も許容できる。
 中々酷い手口ではあるが、感情を抜きにすれば悪くはない。
 汚い、流石ドラゴン汚い。

「ディースラ様が仰るのであれば…。しかし、私はこの隊を預かる者として、この小隊長の責任は後程改めて追及します。よろしいですね?」

「お主も堅いのぅ。まぁ好きにせい。それより、ぶつかるぞ」

 百メートルの距離を馬が駆けていくのにかかる時間は十秒に満たないため、ディースラが顎でしゃくって見せた先ではもうラーノ族とこちらの兵士が互いに攻撃の射程距離へと入っているところだった。

 ここで、突進していくこちらの兵士と、驚いていたせいかは分からないが立ち止まっていたラーノ族では当然突進の勢いが乗っている側の方が攻撃では有利になる。
 ラーノ族も一応迎撃の姿勢は見せているが、まず勝ち目はないだろう。

 単純に運動エネルギーが上乗せされた攻め手が全てを蹴散らす光景を見ることになる…と思っていた。

 だが実際はそうはならなかった。

 なぜなら、突っ込んでいったこちらの兵士達の姿が消えたからだ。
 いや、正確には消えたのではなく、馬の上から吹っ飛ばされて、地面に転がり落ちたというのが正しい。
 その証拠に、乗り手がいなくなった馬はラーノ族の傍をただ素通りしていく。
 結果、ラーノ族の眼前には、地面にうずくまる人間の姿が残るだけとなった。

「……なんだ?今のは。何が起きた?」

「どうやらラーノ族の一人が、すれ違う瞬間に乗り手だけを狙って馬から叩き落したようです」

「む、アンディ、君は見えていたのか?」

「ええ、まぁ。目はちょっといい方なんで」

 遠目には詳しくは見えないニリバワは、今の出来事が不思議で仕方ないといった様子だが、視力を強化していた俺は何が起きたのかしっかりと見ていた。
 ただし、見てはいたが理解できたとは限らない。

 向こうのラーノ族の一人が槍を構えたところまでは分かる。
 それに対して、こちらの兵士も馬上から槍で攻撃しようとしたが次の瞬間、鞍の上から吹き飛んで地面に転がされていた。
 何を言っているのかわからないと思うだろうが、俺だってわからない。

 ラーノ族が槍で攻撃をしたのは確かだが、その軌跡が全く目で追えなかった。
 しかも、明らかに槍を持つ手の数を超えていたと思えるほどの攻撃だ。
 魔術でも使われた可能性も考えたが、この距離ではそれも判別しにくい。

「ふははっ、なんだ、お主らは見えなかったのか?我はしっかりと見えていたぞ、あのラーノ族の男がしたことがな」

「なんと!流石はディースラ様!して、一体何が?」

 首を傾げる俺達がおかしかったのか、意地の悪そうな含み笑いと共に得意げにそう言うディースラ。
 流石は腐ってもドラゴン、人間の目では見抜けなかったことすら看破したか。
 俺なんかはディースラのその態度にちょっとイラっときていたのだが、ニリバワはむしろ感動しているようだ。

「さて、語ってもよいが、それよりもあれらは放っておいていいのか?まだ死んではいないようだが、おあのままにはしておけまい?」

 見た限りではかなり派手な倒れ方をしているが、そう言われて注視してみれば確かに倒れたままではあるが微かに動いている。
 怪我の程度はともかく、少なくとも生きてはいるようだ。

「それにどうやら、向こうも止めを刺す気はないようだ。ひょっとしたら、こちらとの対話を求めているのやもしれぬ」

 確かに、ラーノ族は倒れた兵士達を遠巻きに見ているだけで、止めを刺そうという気配が全くない。
 既にラーノ族はスワラッドの村を二つ襲い、そのうちの一つで虐殺を行った残忍さを示している。
 なのに、今はそれを毛ほども見せずにいる姿はあまりにも奇妙だ。
 聞いていた部族としての性質との乖離が大きいような気がして、なんだか気持ちが悪い。

「対話って、こちらの兵士を叩きのめしておいてですか?」

 ディースラの言葉に、思わずといった感じで唇を尖らせてそう言うパーラ。
 ラーノ族に対して抱いているイメージ的に、ここで対話を望むところにこいつも違和感を覚えているのかもしれない。

「今のに限れば攻めたのはこちら側からだからな。向こうとしては迎撃せぬわけにはいかんだろう」

 今あそこで転がっているのは暴走したこちらの兵士であり、ラーノ族の方から手を出してきたわけじゃない。
 ディースラの言葉を信じるなら、ラーノ族は対話を求めているのに武器を手にして襲い掛かってこられ、止むを得ず撃退したというのが今の状態だろう。

「あ、向こうから一人くるよ」

 そうしていると、ラーノ族の方からやや遅めのスピードで駆けてくる影が一騎。
 パーラが言うまでもなく、全員が気付いていたそれは、先程十人ほどいたこちらの兵士をたった一人で馬から叩き落した奴だ。

 単騎でやってくることの意味からすれば、少なくとも即戦闘を望んではいないとは分かるが、それにしても一体どいうつもりなのか。
 目の前までやってきたその騎馬に対し、呼応するようにしてニリバワが勢いよく前に出ていった。

 何人かがその背についていこうとしたが、こちらを一瞥する目に押し留められた。
 どうやら彼女が単身であれに応対するらしい。

 示し合わせたように二つの集団の中間で、二騎が相対する。
 何を話すのか、少し距離があるので十全に聞き取れないかもしれないが、叶うことなら向こうの意図や今日までの侵攻の目的など、諸々を聞き出してくれることを期待したい。
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