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国境に異変あり
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この世界における土木工事は、基本的に全て人力で行われる。
重機や土木機械がない以上、大人数で一斉に道具を手にして取り掛かるのが普通の光景だ。
極稀に大規模事業の時に土魔術が使われることはあるが、それも足場を固めたり盛り土や軽い掘削をするぐらいで、一気に工事の進捗が進むほどの効果はない。
現代日本の工事技術がいかに優れているのか、俺はこの世界で改めて実感したほどだ。
さて、なぜ俺がそんな話をしているかといえば、実際に今、この身で魔術抜きでの土木作業に従事しているからだ。
もうこっちで暮らしてそれなりに経ち、不便さにも慣れたと思っていたのだが、やっぱ辛ぇわ。
ゴードンとの決闘は、軍団長の登場によって勝敗は有耶無耶なまま終了となった。
こうなると、開始前にミラが言ったように、見ていた連中による多数決で勝敗を決めることになるはずだったが、見つかったのが軍の実働部隊トップである軍団長だったのがよくなかった。
練兵場の無断使用が軍団長の怒りを相当買ってしまったらしく、多数決を取る暇もなく、あの場にいた兵士達は再訓練と称して城の外へ連れ出されてしまった。
おかげで決闘の決着はつかないまま終わったが、だからといって再戦を、ということはできない。
そんな暇がないのだ。
俺とゴードンのせいで荒れに荒れた練兵場の地面を、決闘に関わった当事者三人が罰として、整地しなくてはならないからだ。
それも魔術抜きの手作業で。
さて、ここで当事者なら二人では?と思うだろうが、ここで思い出してほしい。
確かに戦ったのは二人だが、その前に当事者以外で決闘を引き受けた人物がいたことを。
「……ぬがぁあー!なんだこれは!なんで我が土堀なんぞせにゃならんのだ!」
黙々と三人が作業している中、突然ディースラは大声を上げると、手にしていたシャベルを放り投げた。
「ちょっとディースラ様、ダメですって。ここの整地をするのが俺達三人の罰なんですから。さっさと終わらせないと、夜になっちゃいますよ」
荒ぶるディースラの近くにいた俺がそう声をかけるが、それで静まるわけもなく、今にも火を噴きそうなほど不機嫌な様子だ。
「それもそうだな…となるか!なんじゃい!なんで我がこんなことをさせられとる!?我は決闘に参加しとらんのに!」
「ディースラ様が決闘を煽ったのも悪いって、軍団長に言われたからでしょう?ディースラ様が強く言えば、決闘に発展する前に収められたはずだって」
決闘が中断された後、俺とゴードンは軍団長から直々にお叱りの言葉を頂いたのだが、その際、決闘へと至った経緯についても吐かされ、この騒動にはディースラも無関係ではないと判断した軍団長により、俺とゴードン、ディースラの三人は練兵場の地面を修繕するという作業を強いられている。
しかも、あくまでも罰なので他の人間は手伝ってはいけないという制約までつけられてしまった。
「それもお主らが言わねば、我は今頃、シャスティナ達と遊びに行けておったというのに!この裏切り者!」
悔しがるディースラが言うのは、今頃パーラとシャスティナの二人が城下町で遊んでいることについてだ。
俺もディースラもこうして作業をする間、パーラが暇になることを気遣い、シャスティナが外へ連れ出してくれている。
恐らく、俺とゴードンもディースラのことを軍団長に言わなければ、彼女も一緒に行ったことだろう。
ちなみに、ミラとフラッズもパーラ達についていってここにはいない。
罰で手伝いができないのならいても意味はないということで、意外と人当たりのいいフラッズがシャスティナに絡むと、じゃあ一緒に行こうという超展開があった。
ミラは渋っていたが、結局押しの強いフラッズに連れていかれた。
「全部喋れって脅されたら言いますよ、そりゃ。あの軍団長、すげぇ怖かったんですから」
軍団長の叱責は声を荒げることはしないが、静かに圧を与える話し方で聞く側を責めてくるため、つい全て白状してしまう凄味があった。
それに、この決闘へ俺を引きずり込んでくれたディ―スラに意趣返しをしたいという思いもあり、どうせなら道連れにしてやろうと思ったまでのこと。
「でも、ディースラ様も結構真面目にやってましたね。てっきり、もっと早く放り出してどこかにいくと思ってましたよ」
「ふん、我とてそうできるならしておったわ。だが、ああも言われて投げ出すのはドラゴンの沽券にかかわるというもの」
唇を尖らせるディースラが言っているのは、軍団長が俺とゴードンから話を聞き、ディースラにも責任ありと判断した時に口にした言葉についてだ。
『事の次第に関わる以上、たとえどなたであっても罰は受けていただく。よもやディースラ様ともあろうお方が、逃げはしますまいな?あぁ、一応お尋ねしますが、ドラゴンとしての誇りはお持ちでしょう?』
軍団長も伊達に年を食っていないようで、この国ではVIP扱いのディースラに対し、そのように言ってのけたのだから凄い。
それを受けて、ディースラもぐぬぬとしながら、渋々だが罰を受け入れたのだった。
まぁ結局、ついさっきシャベルを放り投げたのだが。
「そうですね、そのドラゴンの誇りのためにも、もう少しだけがんばりましょうよ。もう三割は終わってるんですし」
「逆に言えば、あと七割はまだってことだ。おいどうするよ?日が暮れるまでもうそんなねぇぞ」
なんとかディースラの機嫌を直して作業に戻らせようとかけた俺の言葉に、そう返してきたのはゴードンだった。
少し離れた所で作業していたのだが、ディースラの声を聞いてやってきたのだろうか。
その手には土の付いたシャベルが握られており、この男も意外と真面目に作業をしていたようだ。
初対面の時に見せていたギラギラしたものが大分薄まっているのは、先のバトルで色々と発散したからだろう。
「…どうするもなにも、真面目にやるしかないですよ。ただ突っ立ってても地面が戻るわけでもなし、地道に埋めてくだけですよ、地道に」
「んなこたぁ言われなくても分かってんだよ。俺様が言いてぇのはな、そろそろ土魔術で一気に終わらせちまおうってことだ。どうせ監視もいねぇんだしよ、さっとやっちまおうぜ。バレやしねぇだろ」
この男、地道にコツコツやっていたと思いきや、やはり根っこの部分は真面目なタイプではないらしく、イラついた表情で土魔術の使用を提案してきた。
気持ちはわかるが、それでは罰にならないと言おうとしたが、俺よりも早くディースラがゴードンに釘を刺す。
「やめておけ。ここまでやって残りを土魔術で片づけたところで、あの男は当たり前に見抜くぞ」
「…何を仰っているのやら。そんなわけありませんよ。魔術を使おうが手でやろうが、整地は整地ですぜ?」
ディースラにそう言われ、ゴードンは一瞬ムッとした顔を見せたが、相手が相手だけにすぐにそれをひっこめて、しかし慇懃無礼な口調で返す。
ゴードンからすれば、整地に魔術も手作業も違いはないと言いたいのだろうが、それは魔力の感知能力が低い人間ならではの言い分だ。
「たわけ。あれだけの範囲の土を魔術で動かせば、しばらくは魔力の痕跡が残る。お主らにはわからずとも、あの軍団長は気付くであろうな。あれはそれほどの男だ」
軍団長の実力を意外と高く買っているディースラだが、その見立ては俺も同意できるものがある。
先程少し見ただけでも分かるほど、軍団長からは古強者に相応しい雰囲気が感じられ、その積み重ねた経験に裏打ちされる実力は、まず間違いなく俺やゴードンよりも高い。
それだけの猛者なら、魔術発動後に残留する魔力に気付く可能性は十分にある。
罰であるのだから魔術は使わせないと言われたのに、それを破ってはどうなることか。
あの怖い軍団長の怒りの波動に晒されるのは、一度だけで十分だ。
「確かにまぁ、あの軍団長なら…」
同じ軍属ということもあり、軍団長のことを知っているゴードンは、険しい表情ながら納得がいったという態度だ。
エゴの塊のようなゴードンがこう言うのだから、軍団長の強さというのはやはり相当なものなのだろう。
「わかったであろう?今から土魔術なぞ使ったところで―…ん?」
土魔術による整地がいかにまずいかを理解しているだけに、げんなりとした顔でそう言いかけたディースラが、不意に練兵場の外へ通じる門を見て動きを止めた。
「ディースラ様?なにか?」
その佇まいにただ事ではない何かを感じとった俺は声をかけのだが、それが聞こえていないかのように一点を見つめるディースラの姿に、その見つめる先を俺も見つめる。
しかし、そうしてみても門の向こうには普通の景色が広がっているだけで、特別変わった何かがあるわけではない。
一体何を気にしているのかと、再び尋ねようと思ったその時、土煙を纏った騎馬が城の正門へと駆け込んでくのが見えた。
「…何やら、よくないことが起きておるようだな。二人とも、我は城へ行く故、後は任せたぞ」
「は?いや、何を言って…あ」
初めて見せるほどの神妙な顔でそう呟くと、俺が止める声も間に合わない程の勢いでディースラが駆けていく。
あっという間に練兵場から去っていくディースラに、残された俺達二人だけであとの作業をするのかと思っていると、ゴードンが信じられないことを言いだした。
「確かにあの馬はなんかあるって感じだったな。これは俺様も城に行かねえと……ってことでアンディよ、後はお前やっとけ」
「はあ!?ちょ…あ」
ディースラに続いてゴードンまでもが城へ行くと言い、こちらも止める間もなく走り去っていった。
まるで逃げるようにして去っていった二人に、俺は一人残されてハタと気付く。
あの二人がいなくなるということは、俺一人でここの整地をしなくてはらないのか、と。
三人がかりで半分も終わっていない作業を、日が暮れるまでの間に俺一人でどれだけやれるのだろう。
そんな悩みが出てきたところに、門の向こうからゴードンが顔だけを出し、こちらへ叫ぶような大声を放つ。
―おい!それとそこな!罰どころじゃなくなるかもしれんから、魔術でさっさと埋めとけ!
それだけ言って顔を引っ込めたゴードンは、今度こそ城の方へと行ったようだ。
俺一人だけの手作業で整地は無理な以上、土魔術でやるしかないが、そうすると軍団長に怒られそうで怖い、しかし人手が足りずこのままでは…という葛藤を覚える。
ただ、ゴードンがああ言ったのは、恐らく軍団長がそれどころではなくなることを予見したのか、それはつまり、この国にとっても決して小さな事件とは言えない何かが起こるとでもいうのか。
ディースラも騎馬を見て不穏なことをつぶやいていたし、一騒動ありそうな気もするが、出来れば俺に累が及ばないことを期待したい。
SIDE:バトレイ・ソロン・リッコー
無断で練兵場を使い、外部の人間を巻き込んだ決闘騒ぎに関わったとして、兵達の再訓練を行っていたわしの目に、一騎の騎馬が城へ猛烈な勢いで向かってくるのが見えた。
遠目に見える馬と鞍上の兵士の恰好から、国境警備の任に就いている者だと分かる。
それが近付いてくるにつれて、ひどく汚れが目立つ姿だと分かると、そこに浮かぶ表情からも何か火急の用があって駆けてきたと推測できた。
進む先が丁度わしらの近くを通ると読み、何事があったかを確かめるためにもわしが直々に声を上げて止めてみることにした。
「そこの者!止まれ!わしはスワラッド商国第三軍軍団長、バトレイ・ソロン・リッコーである!さように急ぐのはいかなる由によるものか!」
年老いたとはいえ腹から出せる声量は、若いものにもまだまだ負けぬという自負がある。
果たして、その声が届いたおかげか、騎馬はわしからやや離れた場所で馬を止め、こちらの問いにかすれた声で応えた。
「火急の用にて、馬上よりご無礼仕る!自分は東方国境警備軍所属のグーリであります!国境にて変事あり!直ちに対応を求めるとの伝令と、書簡をお持ちした次第!」
こちらの身分を知りながらも、すぐにでも走らせることができるよう馬を下りずにいるこの兵士は、伝令役としては正しい対応だと、内心で褒めておく。
国境警備軍は国の安全を守る最初の壁とも言え、そこから中央へ向けて発せられた伝令は、必ず城内の決まった場所に書面や伝言を伝えるというのが鉄則だ。
今はあくまでもわしが軍団長として馬を止めたため、その進みを再開させるためにも明かしていい情報を言ったにすぎず、詳報は抱えている書面にでも載っているのだろう。
「変事だと?何が……いや、承知した!行け!」
「は!」
体を横にずらし、馬の行く道を空けると、騎馬が暴れるようにして儂の傍を通り過ぎていく。
そのままの勢いで城の正門へと駆けていく様子に、国境で起きたという変事に対して嫌な予感を覚える。
わしがスワラッド商国に仕えてから今日まで、ああも慌てた伝令がやってきたことなどまずなかった。
国境地帯での小競り合いなど珍しくはないが、大抵の問題は現地の者で対処ができ、事態の推移と結果は事後報告だけで事足りていた。
だがああした伝令がやってくるということは、現地では対応できないほどの何かが起きたということであり、国境で起きる変事となれば他国からの侵攻というのがまず頭をよぎった。
国同士の正面からぶつかる戦など、もう長いこと起きていなかったというのに、何故今?という思いと共に、ついに来たかという思いもあった。
スワラッドと国境を接している国はいくつかあるが、そのどれとも敵対していないとはいえ、全く問題もないというわけでもない。
隣り合う国同士である以上、大なり小なり国境線で火種を抱えている。
我が国もそれは例外ではなく、どこかの国が何かのきっかけで攻めてきたとするなら、戦へと向けて動くことになるだろう。
少し考えてから周囲へ訓練の中止を告げ、後を部隊の指揮官に託すと、わし自身は城へと向かう。
伝令のあの様子から察するに、決して小さな事件ではありえず、すぐにでも城で緊急の会議が開かれるはずだ。
軍団長であるわしもそこに呼ばれるであろうし、ここは早々に城へ戻るとしよう。
城の正門は、駆け込んできた伝令の慌てようが伝染したかのように騒がしかった。
門衛や城内巡回の兵士などがわしの姿を見つけ、何事かと詰め寄ってくるのを宥めるのに少し時間を使いつつ、城の中心部へと向けて歩く。
そうしていると、丞相の部下として見たことのある文官とばったり出くわし、わしに大会議場への招集を伝えてきた。
どうやら城内の主要な役職の者へ声をかけて回っているようで、もうすでにかなりの者が集まっているらしい。
行き先として教えられた会議場へ入ると、今城に詰めている高位の貴族や軍人といった面々が揃っており、さらには病でお休みになられているはずの陛下の姿まであった。
まだ体調は万全ではないのか、顔色はあまり優れてはいないが、それを押してでも会議へ加わられるということに、事態の大きさが窺い知れる。
―軍の派遣もそうだが、後詰の手配も…
―出立は早ければ明日であろう。間に合わせるしかないとはいえ、なんとも…
―たかだか百騎ほどの軍勢だとか?国境警備軍も不甲斐ない
―商人ギルドに物資の調達を頼むとして…
この短い時間で国境警備軍からの情報は周知されているのか、長机につく者達は思い思いに所感を口にしたり今後の対策などを話し合ったりしている。
「バトレイ!」
情報をほぼ持たないわしが誰かから話を聞こうと室内を見回すと、誰かに名前を呼ばれた。
声の主を探してみると、こちらへ手を振る男の姿を見つけ、そちらへと近付いていく。
「ヤムスタ、お前も来ていたか。ここは空いているか?」
「ああ、お前のために空けておいた。座れ」
知った顔が多い中で、さらに親友とも呼べる男と言葉を交わせば不思議と落ち着くもので、勧められるままに空いていた椅子へと腰を落ち着かせる。
ヤムスタ・ハシュ・クンハー、スワラッド商国第二軍軍団長であり、同じ時代に騎士を目指して切磋琢磨した無二の友だ。
つい先日も会ってはいるが、こうして重要な会議の席で顔を合わせれば、顔に刻まれた皺の深さからも互いに年を取ったものだと、つい思ってしまう。
「…して、この召集は何事だ?わしは正門で国境警備軍の伝令と遭遇したが、それだけでな。何も知らんのだ」
先に会議室にいたのなら、わしより情報は持っているだろうと思い、ヤムスタに今起きている事態について尋ねる。
「いや、知っていることとなら俺とてそう変わらん。さっき文官が読み上げた書面を聞いた程度だが、それによると、五日ほど前に連合が国境線を越えて攻め込んできたらしい。宣戦布告もなしにだ」
「…確かか?」
「ああ、その攻めてきた連中が掲げてた旗に装備、そういったのが連合の物なのは確実らしい。村が二つ襲われ、内一つは生存者もいないほどの虐殺が行われ、もう一つの村は自警団と駆け付けた警備軍で撃退したが、被害は小さくないそうだ」
「なんと…。その後、攻めてきた者達はどうしたのだ?国へ戻ったのか?」
「分からん。追い返すので精いっぱいで、どこに行ったかまでは把握していないらしい。国境の向こうへ戻ったのならいいが、まだこちら側をうろついているとしたら問題だな」
それを聞き、思わず唸る。
スワラッド商国の東方にある国で、国境を接しているのは二つの国のみ。
その内の一つが月下諸氏族連合だ。
国同士が地続きである以上、国境を越えて攻め込んでくる可能性は常にある。
無論、それを想定して国境には兵を配しているが、そうさせないのが外交というものだ。
だが今回、連合は宣戦布告どころか何の前触れもなく攻めてきたのだから、外交交渉が生きる余地のない完全な奇襲だったと言える。
「だが何故だ?わしの知る限り、連合とは敵対関係にはなかったはずだ」
スワラッド商国の東方は三国がそれぞれ国境を接しているだけに、絶妙に均衡が保たれた場所でもある。
国の安全を考えれば、無暗にそれを崩すということを選択するのは考えにくい。
「俺もそこは気になってる。国境での小競り合いはたまに聞くが、それだって大きな武力衝突にまで発展したことはない。スワラッドとしても、近年では連合とうまくやっていたはずだが、何故今攻めてきたのかってのを悩んでるところだ」
そう言われ、周りの声へ耳を傾けてみると、やはり連合がなぜ攻めてきたのかわからない不気味さを話している者も多い。
同時に、鼻息を荒くして連合への報復として、向こうの領土へと侵攻することを主張する声もちらほらと聞こえてくる。
攻め込まれておいて黙っていることなどありえないというのは、軍属であるわしも同じ気持ちだ。
とはいえ、やられたからやり返せと、何の備えもなく動くのはあまりにも愚かだ。
それに何より、あまりにも違和感だらけの連合の今回のこの動きに、果たして安易に動いていいものか不安を覚える。
普通なら、あちらの事情で攻めてきたと思うところだが、もしこれが何かの謀や行き違いなどによるものだったりすると、慎重な対応を心掛けなくてはならない。
わし程度がそう思うのだから、日頃から企み事に気を張り、自身もそれを行う丞相も当然わかっていることだろう。
チラリと丞相のいる場所を見てみれば、そこにあったのは日頃見せることのないほどに険しい顔だ。
周りが勝手気ままに話しているのを止めることもせず、会議の進行を自ら行いもしないその様子は、深遠を見通そうと苦しんでいるようにも見える。
それなりに長い付き合いだ、深い悩みがその胸を占めているのは十分に伝わってくる。
ヤムスタと視線を交わし、そろそろ丞相に会議を主導してもらうべく動こうとしたその時、突然外と大会議場を繋ぐ扉が勢いよく開かれた。
バンというあまりにも大きい音に、室内にいた者達が一斉に静まり、その意識が音の発生源へと向かう。
何事かと多くの瞳が見つめる中、果たしてそこに立っていたのは誰もが知る人物であった。
全開になった扉へ手を添えるようにして立つ人影、誰あろうそれはディースラ様だ。
はて、確かあの方には練兵場の整地を罰としてやってもらっていたはずだが、なぜここに?
ひょっとしたら、城へ向かう騎馬を見てしまったのか?
あの時の様子を思い出せば、練兵場からは慌てて駆けていく馬は見えないことはないし、気になってやってきたのだろうか。
だとしたら、わしの与えた罰を放り出してきたということになるのだが…まぁそれはいいとしよう。
今はそれどころではないしな。
そんなことを考えていると、ディースラ様が室内を一度見まわし、おもむろに口を開いて大声を発した。
「話は聞かせてもらったッ!この国は滅びるッ!」
『な、なんだってぇーー!?』
あまりにも突然の発言に戯言と聞き逃すこともできず、居合わせた全ての人間の口から思わず同じ言葉が飛び出してしまった。
人間とは明らかにかけ離れた知識を持ち、その力は天変地異すらも操るとされるディースラ様の言葉だ。
そこには妙な説得力と共に恐ろしさもあり、わしの耳には滅びの足音が遠くで聞こえた気がした。
「おやめください、ディースラ様。お戯れが過ぎます」
どこか楽し気な様子のディースラ様の背後から、シャスティナ殿が姿を見せる。
その顔には呆れが浮かんでおり、普段あまり表情の変化を見せない彼女しか知らぬわしには、それは珍しいものだった。
「かっかっかっかっか!よいではないか、何やら悩み深い空気であったのだ。ここで一つ冗談でも飛ばしてやれば、鬱気も晴れよう」
「はぁ、だとしても他にやりようがあったでしょうに。そのようなことをなされて、また罰を与えられても知りませんよ?」
「うっ…嫌なことを言うでない」
二人のやり取りから、先程の滅びるというのがディースラ様の冗談だと分かり、室内にいる誰もが安堵の息を吐く。
なんともひどい冗談を口にするものだ。
ディースラ様なりに会議室の空気を変えようとしたのだろうが、だとしてももう少しやり方を考えてもらいたい。
心臓が止まりかけたわ。
「…お?おお!レオニスではないか!お主、臥せっておると聞いていたが、もう起きてよいのか?」
そんな中、ディースラ様が陛下の姿を見つけると、満面の笑みで陛下の下へと向かう。
毎年竜候祭がある時は王自らがディースラ様の下を訪れることになっているが、今年は体調不良でそれもできなかったため、陛下の姿を見て声をかけてくださったようだ。
ああして陛下の名を親し気に呼ぶなど、ディースラ様ぐらいしかできんな。
「久しいな、ディースラ殿。見ての通り、だいぶ良くなった。とはいえ、まだ万全ではないのでな、こうして座っているだけしかできぬ身よ」
「であるか。王たるもの、一身をなげうってでも民のために働かねばならぬからな。適うならば自愛せい」
「ご忠告、痛み入る」
時として人を顧みることのないディースラ様だが、こうして王の身を案じるのは、我が国との友誼を大事にしてくれている証拠だ。
それを陛下も分かっておいでか、ディースラ様の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべている。
「しかしディースラ殿、このようなところに何用かな?今は少々、大事な会議をしておるのだが…」
「分かっておる。国境を侵されたのであろう?」
「ほう、誰ぞより聞かれたか。今はそのことで会議をしておる故、申し訳ないがお相手は―」
「まぁ待て。時にお主等、月下諸氏族連合とやらがなぜ攻めてきたのかわかっておらぬのであろう?我には一つばかり、心当たりがあってな、それこそが此度の侵攻の原因だと睨んでおる。どうだ?戯れにでも構わぬゆえ、我の言うことに少し耳を傾けてみぬか?」
瞬間、大会議場全体がうねる様などよめきが起きた。
今わしらが気になっているものの答えを、ディースラ様が持っているということに誰もが驚く。
現状、連合が攻めてきたという事実のみで我が国は対策を立てることになるが、そこには重要な要素である『なぜ攻めてきたのか』というのが欠けたままになっている。
今後の方針を決め、また方策を過たないためにも、ディースラ様のいう心当たりとやらがいかなるものか、わしらは心して聞かねばならない。
はてさて、どんな話が飛び出すのやら。
SIDE:END
重機や土木機械がない以上、大人数で一斉に道具を手にして取り掛かるのが普通の光景だ。
極稀に大規模事業の時に土魔術が使われることはあるが、それも足場を固めたり盛り土や軽い掘削をするぐらいで、一気に工事の進捗が進むほどの効果はない。
現代日本の工事技術がいかに優れているのか、俺はこの世界で改めて実感したほどだ。
さて、なぜ俺がそんな話をしているかといえば、実際に今、この身で魔術抜きでの土木作業に従事しているからだ。
もうこっちで暮らしてそれなりに経ち、不便さにも慣れたと思っていたのだが、やっぱ辛ぇわ。
ゴードンとの決闘は、軍団長の登場によって勝敗は有耶無耶なまま終了となった。
こうなると、開始前にミラが言ったように、見ていた連中による多数決で勝敗を決めることになるはずだったが、見つかったのが軍の実働部隊トップである軍団長だったのがよくなかった。
練兵場の無断使用が軍団長の怒りを相当買ってしまったらしく、多数決を取る暇もなく、あの場にいた兵士達は再訓練と称して城の外へ連れ出されてしまった。
おかげで決闘の決着はつかないまま終わったが、だからといって再戦を、ということはできない。
そんな暇がないのだ。
俺とゴードンのせいで荒れに荒れた練兵場の地面を、決闘に関わった当事者三人が罰として、整地しなくてはならないからだ。
それも魔術抜きの手作業で。
さて、ここで当事者なら二人では?と思うだろうが、ここで思い出してほしい。
確かに戦ったのは二人だが、その前に当事者以外で決闘を引き受けた人物がいたことを。
「……ぬがぁあー!なんだこれは!なんで我が土堀なんぞせにゃならんのだ!」
黙々と三人が作業している中、突然ディースラは大声を上げると、手にしていたシャベルを放り投げた。
「ちょっとディースラ様、ダメですって。ここの整地をするのが俺達三人の罰なんですから。さっさと終わらせないと、夜になっちゃいますよ」
荒ぶるディースラの近くにいた俺がそう声をかけるが、それで静まるわけもなく、今にも火を噴きそうなほど不機嫌な様子だ。
「それもそうだな…となるか!なんじゃい!なんで我がこんなことをさせられとる!?我は決闘に参加しとらんのに!」
「ディースラ様が決闘を煽ったのも悪いって、軍団長に言われたからでしょう?ディースラ様が強く言えば、決闘に発展する前に収められたはずだって」
決闘が中断された後、俺とゴードンは軍団長から直々にお叱りの言葉を頂いたのだが、その際、決闘へと至った経緯についても吐かされ、この騒動にはディースラも無関係ではないと判断した軍団長により、俺とゴードン、ディースラの三人は練兵場の地面を修繕するという作業を強いられている。
しかも、あくまでも罰なので他の人間は手伝ってはいけないという制約までつけられてしまった。
「それもお主らが言わねば、我は今頃、シャスティナ達と遊びに行けておったというのに!この裏切り者!」
悔しがるディースラが言うのは、今頃パーラとシャスティナの二人が城下町で遊んでいることについてだ。
俺もディースラもこうして作業をする間、パーラが暇になることを気遣い、シャスティナが外へ連れ出してくれている。
恐らく、俺とゴードンもディースラのことを軍団長に言わなければ、彼女も一緒に行ったことだろう。
ちなみに、ミラとフラッズもパーラ達についていってここにはいない。
罰で手伝いができないのならいても意味はないということで、意外と人当たりのいいフラッズがシャスティナに絡むと、じゃあ一緒に行こうという超展開があった。
ミラは渋っていたが、結局押しの強いフラッズに連れていかれた。
「全部喋れって脅されたら言いますよ、そりゃ。あの軍団長、すげぇ怖かったんですから」
軍団長の叱責は声を荒げることはしないが、静かに圧を与える話し方で聞く側を責めてくるため、つい全て白状してしまう凄味があった。
それに、この決闘へ俺を引きずり込んでくれたディ―スラに意趣返しをしたいという思いもあり、どうせなら道連れにしてやろうと思ったまでのこと。
「でも、ディースラ様も結構真面目にやってましたね。てっきり、もっと早く放り出してどこかにいくと思ってましたよ」
「ふん、我とてそうできるならしておったわ。だが、ああも言われて投げ出すのはドラゴンの沽券にかかわるというもの」
唇を尖らせるディースラが言っているのは、軍団長が俺とゴードンから話を聞き、ディースラにも責任ありと判断した時に口にした言葉についてだ。
『事の次第に関わる以上、たとえどなたであっても罰は受けていただく。よもやディースラ様ともあろうお方が、逃げはしますまいな?あぁ、一応お尋ねしますが、ドラゴンとしての誇りはお持ちでしょう?』
軍団長も伊達に年を食っていないようで、この国ではVIP扱いのディースラに対し、そのように言ってのけたのだから凄い。
それを受けて、ディースラもぐぬぬとしながら、渋々だが罰を受け入れたのだった。
まぁ結局、ついさっきシャベルを放り投げたのだが。
「そうですね、そのドラゴンの誇りのためにも、もう少しだけがんばりましょうよ。もう三割は終わってるんですし」
「逆に言えば、あと七割はまだってことだ。おいどうするよ?日が暮れるまでもうそんなねぇぞ」
なんとかディースラの機嫌を直して作業に戻らせようとかけた俺の言葉に、そう返してきたのはゴードンだった。
少し離れた所で作業していたのだが、ディースラの声を聞いてやってきたのだろうか。
その手には土の付いたシャベルが握られており、この男も意外と真面目に作業をしていたようだ。
初対面の時に見せていたギラギラしたものが大分薄まっているのは、先のバトルで色々と発散したからだろう。
「…どうするもなにも、真面目にやるしかないですよ。ただ突っ立ってても地面が戻るわけでもなし、地道に埋めてくだけですよ、地道に」
「んなこたぁ言われなくても分かってんだよ。俺様が言いてぇのはな、そろそろ土魔術で一気に終わらせちまおうってことだ。どうせ監視もいねぇんだしよ、さっとやっちまおうぜ。バレやしねぇだろ」
この男、地道にコツコツやっていたと思いきや、やはり根っこの部分は真面目なタイプではないらしく、イラついた表情で土魔術の使用を提案してきた。
気持ちはわかるが、それでは罰にならないと言おうとしたが、俺よりも早くディースラがゴードンに釘を刺す。
「やめておけ。ここまでやって残りを土魔術で片づけたところで、あの男は当たり前に見抜くぞ」
「…何を仰っているのやら。そんなわけありませんよ。魔術を使おうが手でやろうが、整地は整地ですぜ?」
ディースラにそう言われ、ゴードンは一瞬ムッとした顔を見せたが、相手が相手だけにすぐにそれをひっこめて、しかし慇懃無礼な口調で返す。
ゴードンからすれば、整地に魔術も手作業も違いはないと言いたいのだろうが、それは魔力の感知能力が低い人間ならではの言い分だ。
「たわけ。あれだけの範囲の土を魔術で動かせば、しばらくは魔力の痕跡が残る。お主らにはわからずとも、あの軍団長は気付くであろうな。あれはそれほどの男だ」
軍団長の実力を意外と高く買っているディースラだが、その見立ては俺も同意できるものがある。
先程少し見ただけでも分かるほど、軍団長からは古強者に相応しい雰囲気が感じられ、その積み重ねた経験に裏打ちされる実力は、まず間違いなく俺やゴードンよりも高い。
それだけの猛者なら、魔術発動後に残留する魔力に気付く可能性は十分にある。
罰であるのだから魔術は使わせないと言われたのに、それを破ってはどうなることか。
あの怖い軍団長の怒りの波動に晒されるのは、一度だけで十分だ。
「確かにまぁ、あの軍団長なら…」
同じ軍属ということもあり、軍団長のことを知っているゴードンは、険しい表情ながら納得がいったという態度だ。
エゴの塊のようなゴードンがこう言うのだから、軍団長の強さというのはやはり相当なものなのだろう。
「わかったであろう?今から土魔術なぞ使ったところで―…ん?」
土魔術による整地がいかにまずいかを理解しているだけに、げんなりとした顔でそう言いかけたディースラが、不意に練兵場の外へ通じる門を見て動きを止めた。
「ディースラ様?なにか?」
その佇まいにただ事ではない何かを感じとった俺は声をかけのだが、それが聞こえていないかのように一点を見つめるディースラの姿に、その見つめる先を俺も見つめる。
しかし、そうしてみても門の向こうには普通の景色が広がっているだけで、特別変わった何かがあるわけではない。
一体何を気にしているのかと、再び尋ねようと思ったその時、土煙を纏った騎馬が城の正門へと駆け込んでくのが見えた。
「…何やら、よくないことが起きておるようだな。二人とも、我は城へ行く故、後は任せたぞ」
「は?いや、何を言って…あ」
初めて見せるほどの神妙な顔でそう呟くと、俺が止める声も間に合わない程の勢いでディースラが駆けていく。
あっという間に練兵場から去っていくディースラに、残された俺達二人だけであとの作業をするのかと思っていると、ゴードンが信じられないことを言いだした。
「確かにあの馬はなんかあるって感じだったな。これは俺様も城に行かねえと……ってことでアンディよ、後はお前やっとけ」
「はあ!?ちょ…あ」
ディースラに続いてゴードンまでもが城へ行くと言い、こちらも止める間もなく走り去っていった。
まるで逃げるようにして去っていった二人に、俺は一人残されてハタと気付く。
あの二人がいなくなるということは、俺一人でここの整地をしなくてはらないのか、と。
三人がかりで半分も終わっていない作業を、日が暮れるまでの間に俺一人でどれだけやれるのだろう。
そんな悩みが出てきたところに、門の向こうからゴードンが顔だけを出し、こちらへ叫ぶような大声を放つ。
―おい!それとそこな!罰どころじゃなくなるかもしれんから、魔術でさっさと埋めとけ!
それだけ言って顔を引っ込めたゴードンは、今度こそ城の方へと行ったようだ。
俺一人だけの手作業で整地は無理な以上、土魔術でやるしかないが、そうすると軍団長に怒られそうで怖い、しかし人手が足りずこのままでは…という葛藤を覚える。
ただ、ゴードンがああ言ったのは、恐らく軍団長がそれどころではなくなることを予見したのか、それはつまり、この国にとっても決して小さな事件とは言えない何かが起こるとでもいうのか。
ディースラも騎馬を見て不穏なことをつぶやいていたし、一騒動ありそうな気もするが、出来れば俺に累が及ばないことを期待したい。
SIDE:バトレイ・ソロン・リッコー
無断で練兵場を使い、外部の人間を巻き込んだ決闘騒ぎに関わったとして、兵達の再訓練を行っていたわしの目に、一騎の騎馬が城へ猛烈な勢いで向かってくるのが見えた。
遠目に見える馬と鞍上の兵士の恰好から、国境警備の任に就いている者だと分かる。
それが近付いてくるにつれて、ひどく汚れが目立つ姿だと分かると、そこに浮かぶ表情からも何か火急の用があって駆けてきたと推測できた。
進む先が丁度わしらの近くを通ると読み、何事があったかを確かめるためにもわしが直々に声を上げて止めてみることにした。
「そこの者!止まれ!わしはスワラッド商国第三軍軍団長、バトレイ・ソロン・リッコーである!さように急ぐのはいかなる由によるものか!」
年老いたとはいえ腹から出せる声量は、若いものにもまだまだ負けぬという自負がある。
果たして、その声が届いたおかげか、騎馬はわしからやや離れた場所で馬を止め、こちらの問いにかすれた声で応えた。
「火急の用にて、馬上よりご無礼仕る!自分は東方国境警備軍所属のグーリであります!国境にて変事あり!直ちに対応を求めるとの伝令と、書簡をお持ちした次第!」
こちらの身分を知りながらも、すぐにでも走らせることができるよう馬を下りずにいるこの兵士は、伝令役としては正しい対応だと、内心で褒めておく。
国境警備軍は国の安全を守る最初の壁とも言え、そこから中央へ向けて発せられた伝令は、必ず城内の決まった場所に書面や伝言を伝えるというのが鉄則だ。
今はあくまでもわしが軍団長として馬を止めたため、その進みを再開させるためにも明かしていい情報を言ったにすぎず、詳報は抱えている書面にでも載っているのだろう。
「変事だと?何が……いや、承知した!行け!」
「は!」
体を横にずらし、馬の行く道を空けると、騎馬が暴れるようにして儂の傍を通り過ぎていく。
そのままの勢いで城の正門へと駆けていく様子に、国境で起きたという変事に対して嫌な予感を覚える。
わしがスワラッド商国に仕えてから今日まで、ああも慌てた伝令がやってきたことなどまずなかった。
国境地帯での小競り合いなど珍しくはないが、大抵の問題は現地の者で対処ができ、事態の推移と結果は事後報告だけで事足りていた。
だがああした伝令がやってくるということは、現地では対応できないほどの何かが起きたということであり、国境で起きる変事となれば他国からの侵攻というのがまず頭をよぎった。
国同士の正面からぶつかる戦など、もう長いこと起きていなかったというのに、何故今?という思いと共に、ついに来たかという思いもあった。
スワラッドと国境を接している国はいくつかあるが、そのどれとも敵対していないとはいえ、全く問題もないというわけでもない。
隣り合う国同士である以上、大なり小なり国境線で火種を抱えている。
我が国もそれは例外ではなく、どこかの国が何かのきっかけで攻めてきたとするなら、戦へと向けて動くことになるだろう。
少し考えてから周囲へ訓練の中止を告げ、後を部隊の指揮官に託すと、わし自身は城へと向かう。
伝令のあの様子から察するに、決して小さな事件ではありえず、すぐにでも城で緊急の会議が開かれるはずだ。
軍団長であるわしもそこに呼ばれるであろうし、ここは早々に城へ戻るとしよう。
城の正門は、駆け込んできた伝令の慌てようが伝染したかのように騒がしかった。
門衛や城内巡回の兵士などがわしの姿を見つけ、何事かと詰め寄ってくるのを宥めるのに少し時間を使いつつ、城の中心部へと向けて歩く。
そうしていると、丞相の部下として見たことのある文官とばったり出くわし、わしに大会議場への招集を伝えてきた。
どうやら城内の主要な役職の者へ声をかけて回っているようで、もうすでにかなりの者が集まっているらしい。
行き先として教えられた会議場へ入ると、今城に詰めている高位の貴族や軍人といった面々が揃っており、さらには病でお休みになられているはずの陛下の姿まであった。
まだ体調は万全ではないのか、顔色はあまり優れてはいないが、それを押してでも会議へ加わられるということに、事態の大きさが窺い知れる。
―軍の派遣もそうだが、後詰の手配も…
―出立は早ければ明日であろう。間に合わせるしかないとはいえ、なんとも…
―たかだか百騎ほどの軍勢だとか?国境警備軍も不甲斐ない
―商人ギルドに物資の調達を頼むとして…
この短い時間で国境警備軍からの情報は周知されているのか、長机につく者達は思い思いに所感を口にしたり今後の対策などを話し合ったりしている。
「バトレイ!」
情報をほぼ持たないわしが誰かから話を聞こうと室内を見回すと、誰かに名前を呼ばれた。
声の主を探してみると、こちらへ手を振る男の姿を見つけ、そちらへと近付いていく。
「ヤムスタ、お前も来ていたか。ここは空いているか?」
「ああ、お前のために空けておいた。座れ」
知った顔が多い中で、さらに親友とも呼べる男と言葉を交わせば不思議と落ち着くもので、勧められるままに空いていた椅子へと腰を落ち着かせる。
ヤムスタ・ハシュ・クンハー、スワラッド商国第二軍軍団長であり、同じ時代に騎士を目指して切磋琢磨した無二の友だ。
つい先日も会ってはいるが、こうして重要な会議の席で顔を合わせれば、顔に刻まれた皺の深さからも互いに年を取ったものだと、つい思ってしまう。
「…して、この召集は何事だ?わしは正門で国境警備軍の伝令と遭遇したが、それだけでな。何も知らんのだ」
先に会議室にいたのなら、わしより情報は持っているだろうと思い、ヤムスタに今起きている事態について尋ねる。
「いや、知っていることとなら俺とてそう変わらん。さっき文官が読み上げた書面を聞いた程度だが、それによると、五日ほど前に連合が国境線を越えて攻め込んできたらしい。宣戦布告もなしにだ」
「…確かか?」
「ああ、その攻めてきた連中が掲げてた旗に装備、そういったのが連合の物なのは確実らしい。村が二つ襲われ、内一つは生存者もいないほどの虐殺が行われ、もう一つの村は自警団と駆け付けた警備軍で撃退したが、被害は小さくないそうだ」
「なんと…。その後、攻めてきた者達はどうしたのだ?国へ戻ったのか?」
「分からん。追い返すので精いっぱいで、どこに行ったかまでは把握していないらしい。国境の向こうへ戻ったのならいいが、まだこちら側をうろついているとしたら問題だな」
それを聞き、思わず唸る。
スワラッド商国の東方にある国で、国境を接しているのは二つの国のみ。
その内の一つが月下諸氏族連合だ。
国同士が地続きである以上、国境を越えて攻め込んでくる可能性は常にある。
無論、それを想定して国境には兵を配しているが、そうさせないのが外交というものだ。
だが今回、連合は宣戦布告どころか何の前触れもなく攻めてきたのだから、外交交渉が生きる余地のない完全な奇襲だったと言える。
「だが何故だ?わしの知る限り、連合とは敵対関係にはなかったはずだ」
スワラッド商国の東方は三国がそれぞれ国境を接しているだけに、絶妙に均衡が保たれた場所でもある。
国の安全を考えれば、無暗にそれを崩すということを選択するのは考えにくい。
「俺もそこは気になってる。国境での小競り合いはたまに聞くが、それだって大きな武力衝突にまで発展したことはない。スワラッドとしても、近年では連合とうまくやっていたはずだが、何故今攻めてきたのかってのを悩んでるところだ」
そう言われ、周りの声へ耳を傾けてみると、やはり連合がなぜ攻めてきたのかわからない不気味さを話している者も多い。
同時に、鼻息を荒くして連合への報復として、向こうの領土へと侵攻することを主張する声もちらほらと聞こえてくる。
攻め込まれておいて黙っていることなどありえないというのは、軍属であるわしも同じ気持ちだ。
とはいえ、やられたからやり返せと、何の備えもなく動くのはあまりにも愚かだ。
それに何より、あまりにも違和感だらけの連合の今回のこの動きに、果たして安易に動いていいものか不安を覚える。
普通なら、あちらの事情で攻めてきたと思うところだが、もしこれが何かの謀や行き違いなどによるものだったりすると、慎重な対応を心掛けなくてはならない。
わし程度がそう思うのだから、日頃から企み事に気を張り、自身もそれを行う丞相も当然わかっていることだろう。
チラリと丞相のいる場所を見てみれば、そこにあったのは日頃見せることのないほどに険しい顔だ。
周りが勝手気ままに話しているのを止めることもせず、会議の進行を自ら行いもしないその様子は、深遠を見通そうと苦しんでいるようにも見える。
それなりに長い付き合いだ、深い悩みがその胸を占めているのは十分に伝わってくる。
ヤムスタと視線を交わし、そろそろ丞相に会議を主導してもらうべく動こうとしたその時、突然外と大会議場を繋ぐ扉が勢いよく開かれた。
バンというあまりにも大きい音に、室内にいた者達が一斉に静まり、その意識が音の発生源へと向かう。
何事かと多くの瞳が見つめる中、果たしてそこに立っていたのは誰もが知る人物であった。
全開になった扉へ手を添えるようにして立つ人影、誰あろうそれはディースラ様だ。
はて、確かあの方には練兵場の整地を罰としてやってもらっていたはずだが、なぜここに?
ひょっとしたら、城へ向かう騎馬を見てしまったのか?
あの時の様子を思い出せば、練兵場からは慌てて駆けていく馬は見えないことはないし、気になってやってきたのだろうか。
だとしたら、わしの与えた罰を放り出してきたということになるのだが…まぁそれはいいとしよう。
今はそれどころではないしな。
そんなことを考えていると、ディースラ様が室内を一度見まわし、おもむろに口を開いて大声を発した。
「話は聞かせてもらったッ!この国は滅びるッ!」
『な、なんだってぇーー!?』
あまりにも突然の発言に戯言と聞き逃すこともできず、居合わせた全ての人間の口から思わず同じ言葉が飛び出してしまった。
人間とは明らかにかけ離れた知識を持ち、その力は天変地異すらも操るとされるディースラ様の言葉だ。
そこには妙な説得力と共に恐ろしさもあり、わしの耳には滅びの足音が遠くで聞こえた気がした。
「おやめください、ディースラ様。お戯れが過ぎます」
どこか楽し気な様子のディースラ様の背後から、シャスティナ殿が姿を見せる。
その顔には呆れが浮かんでおり、普段あまり表情の変化を見せない彼女しか知らぬわしには、それは珍しいものだった。
「かっかっかっかっか!よいではないか、何やら悩み深い空気であったのだ。ここで一つ冗談でも飛ばしてやれば、鬱気も晴れよう」
「はぁ、だとしても他にやりようがあったでしょうに。そのようなことをなされて、また罰を与えられても知りませんよ?」
「うっ…嫌なことを言うでない」
二人のやり取りから、先程の滅びるというのがディースラ様の冗談だと分かり、室内にいる誰もが安堵の息を吐く。
なんともひどい冗談を口にするものだ。
ディースラ様なりに会議室の空気を変えようとしたのだろうが、だとしてももう少しやり方を考えてもらいたい。
心臓が止まりかけたわ。
「…お?おお!レオニスではないか!お主、臥せっておると聞いていたが、もう起きてよいのか?」
そんな中、ディースラ様が陛下の姿を見つけると、満面の笑みで陛下の下へと向かう。
毎年竜候祭がある時は王自らがディースラ様の下を訪れることになっているが、今年は体調不良でそれもできなかったため、陛下の姿を見て声をかけてくださったようだ。
ああして陛下の名を親し気に呼ぶなど、ディースラ様ぐらいしかできんな。
「久しいな、ディースラ殿。見ての通り、だいぶ良くなった。とはいえ、まだ万全ではないのでな、こうして座っているだけしかできぬ身よ」
「であるか。王たるもの、一身をなげうってでも民のために働かねばならぬからな。適うならば自愛せい」
「ご忠告、痛み入る」
時として人を顧みることのないディースラ様だが、こうして王の身を案じるのは、我が国との友誼を大事にしてくれている証拠だ。
それを陛下も分かっておいでか、ディースラ様の言葉に嬉しそうな笑みを浮かべている。
「しかしディースラ殿、このようなところに何用かな?今は少々、大事な会議をしておるのだが…」
「分かっておる。国境を侵されたのであろう?」
「ほう、誰ぞより聞かれたか。今はそのことで会議をしておる故、申し訳ないがお相手は―」
「まぁ待て。時にお主等、月下諸氏族連合とやらがなぜ攻めてきたのかわかっておらぬのであろう?我には一つばかり、心当たりがあってな、それこそが此度の侵攻の原因だと睨んでおる。どうだ?戯れにでも構わぬゆえ、我の言うことに少し耳を傾けてみぬか?」
瞬間、大会議場全体がうねる様などよめきが起きた。
今わしらが気になっているものの答えを、ディースラ様が持っているということに誰もが驚く。
現状、連合が攻めてきたという事実のみで我が国は対策を立てることになるが、そこには重要な要素である『なぜ攻めてきたのか』というのが欠けたままになっている。
今後の方針を決め、また方策を過たないためにも、ディースラ様のいう心当たりとやらがいかなるものか、わしらは心して聞かねばならない。
はてさて、どんな話が飛び出すのやら。
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