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病室ではお静かに

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「正直すまんかったと思っておる」

 そう言って俺へ頭を下げるディースラ。
 謝っているのかそうでないのか微妙な態度だが、今日までの付き合いで初めて見せるその殊勝な態度は新鮮だ。

 丞相の執務室前で扉にノックダウンされた俺は、すぐにベッドのある場所へと運ばれて介抱された。
 幸い怪我らしい怪我はなく、脳震盪に伴う気絶だったためにすぐ目覚めたが、枕元にいたディースラが突然誤ってきたので一瞬面くらってしまった。

「ま、まぁあんなとこにいた俺もよくなかったし、特に大した怪我なんかもないんでお気になさらず」

 盗み聞きをしていた俺の自業自得な所もあり、ディースラにしてみても外に人がいるのを確かめずに扉を蹴り開けたのは反省しているようなので、あまりくどくどと言うものでもない。
 相手が相手だけに、鬼の首を取ったように責めて怒らせるのも怖いしな。

「パーラ、俺はどれくらい気絶してた?」

「そんなに長くはないよ。ここに運んで、すぐ目が覚めたぐらい」

 今俺が横たわっているベッドは立派なもので、この部屋自体も造りからして迎賓用だと思われる。
 恐らく丞相の執務室があったエリアの近くでベッドが使える場所ということで、急遽選ばれた部屋なのかもしれない。

「アンディ、水でも飲みますか?」

「あぁ、こりゃどうも。いただきます」

 部屋の中を見回す俺に、水の入ったグラスが差し出された。
 透明度がかなり高いそのグラスは、一見しただけで高級品だと分かり、この部屋の備品とすれば格が合った見事な逸品だと思える。

 それを見た途端、急に喉の乾きを覚え、用意してくれたシャスティナに礼を言って、煽るようにして水を喉に流し込む。

「ぷぅ…生き返るぅ」

 やや温い水が喉から胃を通っていく感覚は、それまで残っていたぼんやりとした意識をスッキリと覚醒させてくれる。

「その様子だと本当に大丈夫そうだ。それで、気絶している間、シャスティナとパーラから簡単に話は聞いたが、我がここをいつ離れるのか知りたいそうだな?」

 気絶してから今まであまり時間は経っていないそうだが、俺達があそこにいた理由を聞くことぐらいはできたようだ。

「ええまぁ。俺達が大陸行きの船を探すために、そろそろサーティカを離れようと思ったので、ディースラ様はどうするのかと気になった次第でして」

 シャスティナの話だと、ディースラは俺達を気に入っているので、なるべくなら帰るタイミングも一緒にと勧められたが、まだ滞在するというのなら俺達はここでお暇させてもらおう。

「そうさなぁ、かき氷の件はいい返事も貰えなかったし…」

「あ、やっぱりだめだったんだ」

 扉越しに聞いて知りはしたが、改めて本人の口から聞いてパーラが反応する。
 俺が気絶している間に丞相の気が変わるという奇跡はおきなかったようで、かき氷専用魔術師の確保というディースラの野望は潰えたかに思える。

「うむ、スワラッドが抱える氷雪系の魔術師はどいつも手が空いておらぬそうでな。『かき氷などと訳の分からんものに回せる魔術師はいない』と言われたわ。ぐぬぅ、丞相の奴め」

 その時のことを思い出してか、歯ぎしりをしだすディースラは迫力が増して怖い。
 恐らく丞相もそのままつっけんどんに言ったわけではないだろうが、当人にそう思わせる程度には取り付く島もなかったのかもしれない。

 とはいえ、氷雪系魔術師がスワラッド商国で重宝されるのは分かりやすい理由があり、数の少なさから他に回す余裕がないというのも分かっていたことなので、丞相の言葉は真っ当なものだといっていい。
 急にやってきてかき氷作りに魔術師を工面しろと迫るディースラがおかしいだけだ。

「我が国での氷雪系魔術師の価値は、ディースラ様が思うよりずっと高いのですよ。丞相が仰ったのは、優先すべきことが他にあるという意味でしょう」

「だとしても、こうして足を運んで我が頼んでおるのだぞ?もっと配慮というものをだな―」

「お言葉を返すようですが、丞相は十分に配慮されています。今は内務方も立て込んでおり、丞相と会うにはそれなりの手間と時間を要します。城に来て一晩で面会できたのは、ディースラ様が相手だからこそです。会ったうえで、希望に添えないと言った丞相のお気持ちをお考え下さい」

 スワラッド商国としては、今までもこれからも付き合いが続くディースラの機嫌を損ねたくないというスタンスが大前提としてある。
 ドラゴンとしての恐ろしさと、齎される利益のためなら、スワラッド側としては多少の我が儘ならば聞いておきたい。

 しかしそれでも、ディースラを前にして氷雪魔術師を手配できないと言ったのは、丞相にとっても秤にかけての決断だったはず。
 不興を買うのを覚悟してでも断ったのは、為政者として何かしらの思惑があったからかもしれない。

「ふん、まぁよかろう。かき氷専従の魔術師は今は諦めるとしてだ、シャスティナよ。しかし祭りの時に限ってはどうだ?祭りの間のみ、氷雪系の魔術師を一人ならば、かき氷作りに配せるのではないか?」

 シャスティナに説かれて考えを変えたのか、ならば期間限定の魔術師貸し出しを申し出る。
 氷雪系の魔術師が貴重なのは十分わかったが、しかしそれならば出向のような形で限られた期間のみ動かせばいいと考えたようだ。

「それは…出来ないこともありませんが、やはり丞相がお決めに…」

「やはり奴に呑ませねばならぬか。難儀な事だ…よし、もう一度あれと話してくるぞ。シャスティナ、お主も共に来い。我だけだとまたさっきのようになりかねん」

「はっ…それは構いませんが、アンディ達はいかがいたしましょう?」

 自分が考えたものに何かの手応えを覚えてか、今すぐにでも部屋を出ようとしたディースラをシャスティナが止める。

「ぬ?あぁ、そう言えば我がここを起つ時期についてだったか。丞相と改めて話をしてから決めるつもりだが、それが終わったらまぁ長々と滞在する理由もないしのぅ。…お、そうだ!どうせならお主等、我に同道して共に縄張りまで行かぬか?」

『は?』

 さも名案かのように、ディースラの縄張りへ一緒に行くことを誘われたが、俺とパーラはあまりにも突拍子もない提案に揃って間抜けな声を出すしかできない。

「うむうむ、それがいいな。どうせ大陸行きの船は我の領域を通るのだ。ならば、二人が乗るその船を、我が途中まで引っ張っていってやろう。これで風待ちなどせずとも、早々にあちらの大陸へ行けるぞ」

 一瞬何をいきなり変なことを言うのかと思ったが、話を聞いてみれば、海を自在に泳ぐディースラが船を曳くというのは確かに悪くない。
 風待ちの時間が丸々浮き、航行速度では並の帆船よりもずっと早く、しかもドラゴンという強力な護衛付きも同然となれば、なんと魅力的な提案なのだろう。

「…まぁ結局縄張りを通るんだし、それも悪くありませんね。パーラはどうだ?」

「うーん、悪くはないけど…ディースラ様はなんで私らを縄張りに連れていきたいんですか?」

 あくまでもディースラの突飛な思い付きかもしれないが、そう考えた動機や原因といったものが何か、パーラは気になるらしい。

「なんでもなにも、一人で帰るのもつまらぬからな。お主らとの船旅は中々に面白かったゆえ、一緒におれば退屈はせずに済む。それだけだ」

 あっけらかんと言い放たれたそれは、なんともしょうもない理由だと言ってしまえばそれまでだが、ようは退屈しのぎに俺達が選ばれただけのようだ。

 ディースラはこの後、ドラゴンの姿で自分の縄張りまで泳いで帰るのだろうが、当然その時は彼女一人きりでの移動となる。
 連れ合いのいない旅を嫌い、わざわざ俺達が乗る船を牽引してまで一緒にいようというのだから、いつもはよっぽど退屈を感じていたのかもしれない。

 長く生きたドラゴンとして、成熟した精神を持つと思われるディースラだが、祭りを楽しむ姿からは賑やかさを好む質だと分かる。
 片道とはいえ、ただ静かに海を行くよりは、誰かと会話を楽しみながら一緒に行く方が楽しいという言い分には、頷けるものを感じた。

 特に含むところもなく、またディースラの言い分には呆れながらも納得を覚えたパーラも同意し、俺達はディースラと共に彼女の領域へと同行することを一先ずは決めた。

「となれば、さっさと話をまとめてしまうか。シャスティナ、丞相との面談を午後のなるべく早くにできぬか?」

「難しいかと。丞相も多忙な身ですし、先程ディースラ様と会われたのもなんとか時間を捻出したはずです。面談を終えてすぐにもう一度というのはなんとも…。ご期待に添えるかはわかりませんが、お伝えしましょうか?」

「頼む。叶うなら今日中に話をしたいが、無理ならなるべく早くにとな」

「はっ、かしこまりました」

 俺達の同行が決まった途端、何かに目覚めたように丞相との面談を急ぐディースラだったが、相手が国のトップに近い存在だけあって、すぐに会えるというわけではなさそうだ。
 一応シャスティナが繋ぎを取るようだが、あれだけ吠えて去った後で丞相と会える肝の太さは流石ドラゴンというべきか。

 やることができたシャスティナは部屋を出ていき、残ったのが俺とパーラとディースラの三人になると、静寂が部屋を満たす。

「…あの、ディースラ様?シャスティナさんは行ってしまいましたが」

「ぬ?ああ、そうだな。返事を持ってくるのはいつになるのやら。それまでここで待たせてもらうぞ。構わぬな?」

「あ、はい」

 別にどっか行けというわけではないが、シャスティナと一緒に行かなくていいのかという意味で尋ねたものにそう返されては、ダメだと言うことはできない。

「ねぇディースラ様、私らが行くその領域ってどんなところなんですか?やっぱりドラゴンが住むんだから普通の人間には厳しいとか?」

 そんな中、これから俺達が向かうことになる場所についてパーラが尋ねた。
 ドラゴンが住まう領域とはいえ、大陸行きの船が通過するのだから人を拒絶するような厳しい場所とは考えにくいが、確かにこれは聞いておかねばなるまい。

「そんなことはないぞ。我が塒にしておるのは小さな島なのだが、そこはこことさして変わらぬ環境だ。今はおらぬが、太古の昔には人が住んでいた形跡もある。全く人が訪れることのできない土地ではない」

「へぇ、太古の昔にってことは今は住んでないんだ。いたのはどれくらい昔のこと?」

「さてな。千年ほど前だったか、我がそこに移り住んだ時にはもうおらんかった。あったのは家やら船やら、人がいたという朽ちた痕跡のみだ」

 ドラゴンの寿命を考えれば、千年というのはそれほどでもないが、人間にとってみれば一つの文明が滅んでもおかしくはない時間だ。
 どれほどの人間が暮らしていたのかはわからないが、小さな島でしかも周りの海は恐らく魔物やら荒天やらでまともに船を出せる環境ではなかっただろう。
 ディースラが言う痕跡というのも、千年以上前にどこかから漂流してきたか、あるいは島流しにでもあった人間達が暮らした名残なのかもしれない。

 これから向かうであろう場所への想像が膨らませていると、突然部屋の扉が勢いよく開かれた。
 一瞬シャスティナが帰ってきたのかと思ったが、それにしてはノックの一つもなく、あまりにも乱暴だ。

「邪魔するぞ」

 入室を許されようという意図などまるでない言葉と共に、辛うじて壊れていないレベルで開いた扉の向こうから現れたのは、やはりシャスティナなどではなく、見たこともない男が一人と、その後ろについてくる女が二人。

 男の方は扉をくぐる際に窮屈そうにするほどに体格がよく、身長も二メートル近いほどの長身と相まって、随分と威圧感のある佇まいだ。
 見るからに上等な布を使ったと分かる藍色を基調とした、ベトナムの民族衣装であるアオザイに似たシルエットの服を身に纏っている。

 城でも何度か着ている人を見たが、この国の伝統衣装、それも城に詰めるほどには上流階級の人間が着るものなのだろうか。
 少し着崩しているのは男の性格の表れか、だらしなさというよりは乱暴な性格をしていそうな印象を受ける。

 浅黒い肌はこの国の人間が持つ特徴と同じだが、服の上からでも分かる良く鍛えこまれた肉体はどこか肉食獣を思わせる獰猛さが秘められているようだ。
 年齢は二十かそこら、高く見積もっても二十代後半あたりか。
 こげ茶色の長髪を後ろに流している姿は、ともすれば流麗な印象を与えるが、ギラギラとした目つきと口元に浮かべる不敵な笑みから、中々あくの強そうな性格に思えた。

 その後ろに着く二人の女性はどちらも露出の高い、スワラッドでもよく見かける女性の民族衣装で、どちらも黒と赤が配色された同じような服であることから、男の従者だろうと予想する。
 年齢は十代後半といったところか。

 顔は両名ともオリエンタルな美人といった趣で、金髪ロングの女性の方はグラマーな体格に気だるげな空気を纏った、まるで百戦錬磨のキャバ嬢かのような、男を堕落させる退廃的な雰囲気がある。
 黒髪のショートの女性は体格こそスレンダー気味といった感じだが、服から垣間見える引き締まった肢体からは色気が隠しきれておらず、まさに雌豹を彷彿とさせる強い女の魅力が具現化した姿だと評していいだろう。

「女が二人に男が一人…てこたぁ、そこで横になってんのがそうか?ミラ」

「恐らくは」

 値踏みするように俺達を見ていた男の視線が俺に止まると、男は背後にいた内の一人、ミラと呼ばれた黒髪ショートの女性へとそう問いかけ、すぐに女性も答えを返す。
 その言いようから、どうやらこの三人は俺を探してここへやってきたようだが、ミラの返答を受けて顔が歪むほどの邪悪な笑みを浮かべる男の様子に、嫌な予感が湧き上がってくる。

「思ったよりも小せぇな…まぁいいや。よぅ、お休みの所失礼するぜ。いきなりだがお前さん、今城内で噂の、ドラゴンの試練を突破したってやつだな?名前は確か…なんだっけ?おい、ミラにフラッズ、お前ら知ってるか?」

「いえ、私は聞いておりません。若が先走りましたから」

「アンディですよ、アーンーディー。もーふたりとも、あーしが聞いてなかったらどうすんですか」

 三人の中で俺の名前を知っていたのが、金髪でグラマーな女性で、名前はフラッズと言うらしい。
 その喋り方にはかなりの軽薄さが感じられるが、今のやり取りで何となくわかるものとしては、他二人が大雑把なのをフラッズがカバーしているような印象だ。
 グラマーな女で気配り上手とか、無敵かよ。

「どうもしねぇよ。そしたらそいつから聞きゃあいいだけだ」

「そういう適当なところ、若の悪い癖ですよー」

「うるせぇ。もうお前黙ってろや。で、どうなんだ?お前がアンディか?」

 フラッズから苦言が飛び、若干不機嫌になりながらも、若と呼ばれる男性は俺へ声をかける。
 ここですっとぼけてもいいのだが、こうしてここに来ている時点で俺がアンディだと誰かから教えられて確信しているはずなので、ここは素直に答えておくとしよう。

「確かに俺の名前はアンディですが、そういうそちらはどなだでしょうか?まだ部屋に来てから名前も聞いてませんが」

「無礼者!若に対してその口の利き方はなんだ!」

 真っ当なことを尋ねたのに、ミラが俺の無礼をなじってくる。
 その剣幕は今にも張り倒してきそうな激しさがあり、そっちの趣味がある人間にはご褒美だろうが、俺には怖さと不快感しか与えてこない。

 俺はその若がどういう立場の人間かも知らないのだから、そう尋ねたというのに、いきなりそう言われてはこちらの態度も堅くなる。

「いやだから、その若ってのがどういう人なのか知らないんで、どういう口の利き方をすればいいのかもわからないんですよ」

「貴様…っ、若を知らぬと言うか!」

「はぁー、未だにこんなのがいるとはな。俺の顔を知らねぇなんざ、お前どこの家だ?おら、ここ見ろ。これ見りゃあわかんだろ」

 さらに怒るミラに対し、男の方は自分の左肩の部分を指さしながら、呆れと侮蔑の籠った目を俺へと向けてきた。
 よっぽど自分を知らない人間というのがありえないのか、まるで虫けらでも見るような視線に晒されて俺の不快感はさらに上昇する。

 こういう時、真っ先に相手に食らいつくのがパーラだが、城の中では行儀よくしろと言い含めておいたのが効いているのか、今はまだ大人しいものだ。
 ただし、近くのテーブルに置いてあった用途のよくわからない金属の容器を手にしており、きっと何かあればそれで殴り掛かるつもりなのだろう。

 パーラよりも先に俺が殴りかかりたくもなるが、城内での乱闘騒ぎで迷惑をかける人の顔が頭に浮かび、ここはグッと堪えて男の肩の部分をよく見てみる。
 すると、肩口に金属と宝石で作られたバッジのようなものが着けられているのが見えた。

 それまで服の意匠だと思っていたものが、細かな文様が刻まれた金属のプレートに、大小の宝石で何かの紋章を象っていると分かり、それが家紋だとすれば、宝石をふんだんに使った紋章を持てるそれなりの大身の貴族家の人間ではないかと想像できる。

 だが、もともとこの国の人間ではない俺は、紋章だけで貴族家を見分けることなど当然できるわけもなく、男の正体についてはまだ分からない部分が多い。
 それは恐らくパーラも同じで、男が貴族家の者だとは推測できても、そこどまりだろう。
 シャスティナがいればもう少し違ったかもしれないが。

「…その紋章、どっかで見たのぅ。確か北方候の何某かだった気も…」

 そんな俺達の中で、紋章に見覚えがあった者が一人いた。
 誰あろう、ディースラだ。
 彼女もスワラッド商国とは付き合いも長いため、記憶の中に紋章を知っている貴族家というのもそれなりにいるのかもしれない。

「いや違うか。伯爵のボー…ボケナス…なんとか」

 ただ、その記憶もまだ曖昧なようで、意味はあるがしかし家名ではありえない言葉が漏れるほど頼りない。

「プレモロだ!プレモロ伯爵家!ゴードン・レーク・プレモロが俺の名だ!」

 らちが明かないと思ったのか、苛立ちを隠さない声音で男が名乗る。
 意図せずディースラはゴードンの神経を逆なでしたようだが、さっさと名前を言ってくれればその苛立ちは覚えなかっただろうに。

 しかしこの男、伯爵家に縁ある人間だったのか。
 振る舞いが粗野丸出し過ぎて、とてもそうは思えないが、まぁ世の中には鼻ほじりながら書類を処理する王様もいるし、こいつもそっちの部類の貴人かもしれない。

「おぉ!プレモロ伯爵!いつぞや、我に求婚しよったあの洟垂れ小僧の家だ!」

 え、そのプレモロ伯爵ってのは、ドラゴンに求婚したってこと!?
 言ってはなんだが、ディースラなんて凶暴で性格の悪い化け物ウナギみたいなもんだろ。
 なんともまぁ、大したチャレンジャーだ。

 いや、でもディースラの人間形態に惚れてというのならわからなくはないか。
 このドラゴンも人の姿の時の見た目だけは美少女だからな。

「懐かしいのぅ。あの時もその紋章を見せて、自分を売り込んできおったわ。まぁ我が元の姿に戻って鼻息を吹っかけてやったら、小便漏らして逃げていったがな。かっかっかっかっか!そういえばどうだ、ハンソンの奴は元気にしとるのか?」

 中々の黒歴史を含んだ個人の事情を、これだけのメンツの前で明かすディースラのデリカシーのなさに戦慄を覚える。
 今この女は、一人の人間の尊厳を地に叩きつけたのに気付いていないのか?

「あぁ?なんだてめぇ、何の話をしてやがる。俺様の家の誰がお前に求婚したって―」

「あ、若、若ー。ハンソン様というのは、若のひいおじい様じゃないですか?恐らくですけど、ハンソン様が若い時、ディースラ様に求婚した時の話じゃないですかね。それと、そちらの方はディースラ様で、若がいつかぶった切るって言ってるドラゴンですよー。お願いなので、怒らせないでくださいね」

 急になれなれしくなったディースラを訝しむゴードンだったが、フラッズがなだめるようにして説明をすると、今度は信じられない物を見るような目をディースラへと向ける。
 俺のことは知っていても、傍にいたのがディースラだったというのは今知ったようで、その驚愕は今日初めて見せる顔だ。

「何?……こいつが、ドラゴン?こんなのが?」

「こんなのとは言うではないか。見た目で力を計ろうとはお主、あまり勘のいい質ではないのぅ」

 煽るような言葉を吐きながら胸を張るディースラに、不審な目を向けるゴードンだったが、すぐにその目は驚愕に見開かれ、一歩その場から後退りすると荒い呼吸を吐き出した。

「んだこりゃあっ…化け物かよ」

 言うほどゴードンも察しは悪くないのか、ディースラをよく観察してその力の片りんを察知してしまった恐れが、今の行動に現れていた。

 多少武の心得があれば、漂う気配に本能で危険性を察する程には危険な生物だと分かるし、魔力の探知ができれば、漏れ出ている魔力の質と量で少女の姿をした化け物というのは気付ける。
 ゴードンがどちらであったのかはわからないが、察しは悪くともディースラのヤバさに気付けたあたり、ただのアホなボンボンというわけでもなさそうだ。

「失礼な。我はどこにでもおるドラゴンよ。ほれ、どこから見ても可憐な美少女であろ?」

 美少女て。
 自分で言うか、それ。
 というか、ドラゴンはどこにでもいねぇし。
 ありふれた生物で世界最強って、どんなふざけた話だよ。

「若、ディースラ様の不興を買うのは…」

「分かっている!…失礼いたしました、ディースラ様。何分、物事を知らぬ若輩者故、ご無礼のほど、平にご容赦を」

 ミラに諭され、ゴードンはそれまで見せていた尊大な態度を引っ込めて、貴族らしい態度でディースラへと謝罪の意を表す。
 ここまでの姿と打って変わったその様子に、こんなのでも貴族としての教育を受けた人間なのだと少し感心した。

「ぬかしおる。そうは言うが、いつか我をぶった切るつもりなのであろう?」

 フラッズが零した言葉をしっかりと覚えていたようで、それでいたぶろうとでもしたディースラがニヤリと笑みを浮かべる。

「それは……私の戯言にございます。そのつもりで武芸に励むという、意気を示したまで」

「なんだ、つまらん」

 まるでいいおもちゃを見つけた猫のようなその笑みで、ゴードンが攻撃してくるのを誘っているつもりだろうが、ドラゴンを相手にそんな行動に出るほど、この男も馬鹿ではないらしい。
 あっさりと撤回したことでディースラもゴードンから興味を失ったように、身に纏っていた空気が和らぐ。

 これで考え無しのバトルジャンキーだったら、今のでディースラに殴りかかって大惨事となっていたかもしれない。
 そうすると、同じ部屋にいる俺達も迷惑を被るわけだが、ゴードンは横柄な態度で馬鹿っぽそうではあっても、分別のある男でよかったと思える。

「して?お主等はアンディに何の用があってきたのだ?ドラゴンの試練がどうのと言うておったが…」

 望んだ展開には発展しないと分かったからか、一気に冷めた態度となったディースラがゴードン達の来訪の目的を尋ねる。
 こういう時、面倒くさがらずに矢面に立ってくれるのは、今日までの親愛の賜と思っていいのだろうか。

「はっ、何分私も噂で聞いただけではありますが、そこの者がディースラ様の試練に打ち勝った当人だとか」

「うむ、相違ない。…よもや、試練の結果が不服か?」

「いえ、そのようなことは露ほどもなく。ただ、我が国が誇る魔術師すら退けた試練に打ち勝つとはいかなる者か、会ってみたく思いやってまいりました」

 なるほど、シャスティナが敗退した試練という時点で、この国の人間にしてみればその難易度はかなりのものと思い込み、それを突破した俺を見極めようとやってきたわけか。
 まぁヤクザのカチコミ染みた来訪は、ファーストインプレッションとしては最悪だったが。

「そうであったか。…しかし会うだけでは済ますつもりではないのだろう?お主のその目、何か企みあるものと見たぞ」

「…流石はディースラ様。いかにも、私はこのアンディを猛者と見て、一つ腕試しをいたしたい!」

 なんだかきな臭い話になってきたと、嫌な予感を覚えた俺は少しでも視線を遮ろうとディースラの背に隠れるようにして体の位置をずらすが、それを許さんという勢いでゴードンが睨みつけるような視線をぶつけてくる。
 そして、ディースラへ向けていた殊勝な態度を引っ込めると、獰猛な笑みでゴードンが声を張り上げた。

「ってことでアンディ!俺様と決闘をしろ!」

 そう言うだろうとはどこかで予想していたが、こうして実際に耳にすると決闘というワードはなんともテンションの下がる言葉だ。
 また馬鹿なのに目をつけられたと、思わず溜息が零れてしまう。

 ハッキリ言って受ける理由もメリットもないが、相手の地位を考えれば、下手な突っぱね方をすれば色々と厄介ごとに発展しそうで、それもまた面倒だ。
 とはいえ、どうせ近いうちにここを去るのだから、今更貴族家一つから恨まれようと知ったことかと考え、断ろうと開きかけた俺の口は、目の前で発せられた声によって塞がれてしまった。

「面白い!乗った!アンディ、お主の力を見せてやれ!」

「お断―…え」

 高揚した声で決闘を受けたのは、何故か俺ではなく、ディースラだった。
 このドラゴンは、本当に何でこんな勝手なことをするのだろうか。
 いつか誰か、こいつをひどい目に合わせてくれないものかと、この時ほど思ったことはなかった。

 なんか俺の人生ってこんなのばっかだなぁ。
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