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フィンディ

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この世界の砂漠という環境は、中央に近付けば近付くほど魔物の危険性は増し、水の確保も難しくなる。
そのため砂漠に数少なく存在するオアシスに人が集まり、魔物の脅威に備えて壁を築いて街が形作られていく。

しかしオアシスも枯れることはある。
単純に湧水が止まったり、あるいは砂嵐などで埋まっってしまったりと色々と原因はあるが、あまり大きくないオアシスではいつまでもそこにあるとは限らないのだ。
そうなると人はそこで生きていくことが難しくなり、水の枯渇と共に街を放棄する。
そのためこの砂漠にはかつては街であった残骸もかなりの数が存在していた。

風紋船が立ち寄る街の中で、砂漠の中央にあるフィンディという街は非常に重要な場所だ。
フィンディのオアシスは湖と呼べるほどの規模があり、地下からこんこんと湧き出る水のおかげで、未だかつて枯れる気配を見せたことがない。
過酷な砂漠で潤沢な水を補給できるこの街は、風紋船が必ず立ち寄ることからも賑わいは他の大都市と遜色ないほどだ。

砂漠の旅における貴重な補給地点であるため、一つの貴族家の領地とするには問題があり、そのためフィンディは複数の貴族家が持ち回りで派遣する複数の代官による合議制で運営されるという、皇国内にあって半ば共和制を思わせる統治が行われている。

砂漠のど真ん中にある大都市と言えばラスベガスを思い起こすが、フィンディはまさにそのイメージがぴったり当てはまる。
巨大な水場を囲むようにして建ち並ぶ街並みはそれ自体が壁の役目を果たしており、外縁部には特に頑丈な構造の建物が配置されていて、その中に風紋船が横付けしてそのまま甲板から都市部へと人が歩いて行ける作りの発着場が併設されている。

俺達の風紋船は朝にフィンディへと到着し、乗客達の一部はそのまま甲板から外壁上部を通ってフィンディに入り、馬車や荷車がある乗客は船からそれらと一緒に一度フィンディの壁外へと降り、少し離れた場所にある門から入場手続きを行って街へと向かう。
ドレイクモドキのいる岩場の近くを通る航路を利用する風紋船は一旦フィンディで待機とになったため、自動的に俺達乗客もここに暫く滞在するか、別の風紋船を使うかの選択を迫られることになった。

別の風紋船を使うと言っても、フィンディから南へと向かう航路は例外なくドレイクモドキのいる岩場の近くを通るため、目的地が定まっていない人はいいが、南側を目指す人はドレイクモドキの対応が済むまでここで足止めとなる。

なら岩場を通らないルートを使えばと思ったが、どうにもそういうわけにはいかないらしい。
風紋船は砂をかき分けて進んでいるわけではなく、船底に接触した砂が魔術的な効果で船の後ろへと流れるのに乗って前に進むため、人や荷物を大量に積んだ状態ではあまり起伏が激しい場所は得意ではない。

砂漠というのは何も平坦な砂地が広がっているわけではなく、堆い砂が丘を作っていたり、ゴロっとした岩がポツポツと存在する場所まである。
そんな場所を避けてなるべく平坦な地形を進むのが風紋船なのだ。
今回のドレイクモドキがいる岩場を通る航路も、周囲には砂丘が数多く存在しており、そう簡単に別のルートを進むという選択肢は選べない。

とっととドレイクモドキがどっかに行ってくれるのならいいが、いつまでも居座るのならやはり討伐を、という話になってしまう。
そして、冒険者や傭兵といった戦力として期待される職業の人間は、このせいでフィンディから出ていくことを止められている。
これはフィンディを治める代官が各ギルドを通して所属する人間に都市戦力への一時的編入の要請をしたせいで、特に黄ランクから上の者はほぼ強制的にこれを適用される。
この間は寝食はもちろん、装備類の補修や維持にかかる一切の費用を雇い主となる領主らが持つ上に、報酬も日毎で払われるため、黄ランク以上の冒険者らからしたら美味しい依頼として受け止められる。

一方で白以下のランクとなれば強制的ではなく参加を望むという程度となるが、戦力として数えられることはまずないので報酬や待遇の面ではあまり旨味はない。
精々宿賃が割り引かれる程度だが、それでもこの要請を断る人間はほとんどいない。
もしこの要請を断ったとしても特にペナルティなどはないが、他の冒険者たちからは腰抜け扱いされる。

冒険者や傭兵というのは舐められると致命的だ。
特に護衛の依頼の際にはそういった評価がついた者を雇おうとする依頼人はまずいない。
なので強制ではなくとも、今後も傭兵・冒険者としてやっていくつもりなら断るのは愚策とされ、基本的に全員が要請を受諾する。

俺もパーラもこの要請はフィンディの門前での待機中に門番から告げられており、しっかりと受諾する旨を伝えた。
なにせ断る方のデメリットが大きすぎるので、とりあえず受けておけば悪いことにはならない程度の認識でいい。
どうせ白ランクと黒ランクの俺達に討伐の要請など来ないのだから気楽なものだ。
ドレイクモドキが討伐されるにしろどっかいくにしろ、暫くはこの街でゆっくりするのも悪くない。

入場待ちの列にバイクを手で押しながら並ぶこと30分、ようやく俺達もフィンディへ入ることが出来た。
この見知らぬ街に入る瞬間というのはいつも期待に胸が高鳴ってしまう。
自分達の常識にはない風習、見たことも無い食材、不思議な形の衣服と興味が尽きることは無い。

フィンディの街は砂漠の真ん中にあるせいか、道に大きく張り出す形で屋根から布が伸びており、まるでアーケードの商店街の様で実に面白い。
朝を少し過ぎたこの時間は、いたるところに朝食を提供している店舗があり、そこから流れ出てくる香りに空腹が刺激される。

「いい匂い~。…アンディ、早くどこかに入ろうよ」
少し先を歩いて匂いに翻弄されたパーラが鼻をひくつかせながら、とうとう空腹の限界を訴えてきた。
実際俺もかなり腹は減っている。
フィンディに船が着いてから息つく暇もなくバイクを船から降ろす作業に動いていたため、朝食を摂る暇もなかった。
それはほかの乗客達も同様の様で、俺達よりも先にフィンディに入った客たちはもう既に思い思いの店へと足を向けている。

「そうだな。どこかいい所を見つけたらそこにいってみるか。できればフィンディ名物なんかがいいんだが」
「名物とかどうでもいいじゃん。とにかく何か食べないと…」
空腹に急かされた様子のパーラは、どこか挙動不審な動きでキョロキョロと周囲を見やりながら、不意にその動きをとめて一層激しく鼻をひくつかせ始めた。

「スンスン…スン…アンディ、あそこの店にしよう」
そう言ってパーラが指さしたのは、大通りに面した店の中では比較的大きい店舗だった。
客の出入りも活発なようで、この大きさの店なら席も十分にあるだろう。
「それはいいけど、なんか決め手でもあったのか?意外とあっさり決めたみたいだけど」
「なんかハンバーグによく似た匂いがしたんだよね。匂いを嗅いだら急に懐かしくなって、それで決めたの」
基本的に肉を焼いた匂いでハンバーグとそれ以外を嗅ぎ分けるのは難しいと思うのだが、食べ物が絡むと時々パーラは人外じみた能力を見せるからな。
俺には分からない判別の仕方があるのかもしれない。

こうして店の方から漂ってくる匂いを嗅いでも、言われればハンバーグの調理時の匂いに似ているかな?というぐらいだ。
「んじゃここに入るか。ハンバーグがあるならちょっと楽しみだな」
「そうだね。…見せてもらおうか。砂漠のハンバーグの実力とやらを」
「そういう言い方、どこで覚えてくるんだ?」
強者風の台詞を口にしながら不敵な笑みを浮かべたパーラが先に立って店へと入るのに続く。

「いらっしゃいませー!お二人ですか?あちらの席へどうぞ」
入ってすぐ元気に応対してくれた給仕の女性が指し示す席へと向かう。
俺達が通された席は壁際に置かれた少人数用のテーブルの様で、俺とパーラが対面で座るだけの広さしかない。
しかし圧迫感があるというわけではないので、これはこれでいいものだ。

早速店内を見回し、壁に掛けられているメニュー札を見つける。
どうやらここは酒場も兼ねているらしく、食事のメニューに負けない量の酒が銘柄ごとに壁に名前を掲げられていた。
その中には最近張り付けられたのか、真新しい木の板にでかでかとハンバーグと書かれたものを見つける。
「本当にあったな。パーラ、あれでいいか?」
「うん。あ、ついでにあのへんのも頼んでみようよ。聞いたことないや」
パーラが指さした先のメニューには聞き覚えのないものがいくつかあり、それらも一緒に頼むことにした。

給仕の女性を呼んでハンバーグといくつかの料理を注文し、待っている間の暇つぶしにと店の中を見回してみる。
朝から結構な賑わいのある店内では、こんな時間からでも酒を飲む人もちらほらと見受けられ、食事を摂っている客の中にはハンバーグを食べている姿もあった。
遠目には確かによく知るハンバーグのフォルムをしているが、鉄板皿を使っていないせいでアツアツ感は薄い。
まぁ砂漠のような暑い地域ではアツアツなのは敬遠されるからかもしれないが。

これからあれが運ばれてくることを先に知ってしまったせいで、俺の中のサプライズ感は薄れてしまったわけだが、位置的に他の客のハンバーグが見えないパーラの方はというと待ち遠しさを隠せない様子でソワソワとしている。

そうして暫し待つと、肉の焼けるいい匂いと共に料理が運ばれてきた。
「お待たせしましたー!当店自慢の特製ハンバーグです」
まずテーブルに置かれたのはこの店が手掛けたハンバーグだ。
見た目は既に知っていた通りだが、こうして間近で見ると俺のものとの相違点がいくつかある。

まず肉の焼き目が結構強い。
これは別にその店毎の焼き方があるので別にいい。
砂漠という環境において、傷みやすい食材をよく焼くというのは衛生観念的にも理解できる。

次に気になるのは立ち上る匂いだ。
肉の焼ける匂いに混ざって香辛料の香りがかなり強く感じられる。
これほどはっきりと食べる前から香辛料の匂いが感じられるということは、それだけふんだんに使われているということだ。
そのくせ料金は俺がアシャドルで出したハンバーグとそれほど変わらない。

これは乾燥した気候的にも香辛料を栽培するのに向いているため、ソーマルガでは他の国よりも安く香辛料が手に入るおかげでこうして料理も安いままだ。
砂漠という環境のせいで食材の鮮度が落ちやすいため、香辛料を多く使った調理法が多いのだろうと予想でき、その感覚でハンバーグを作ったせいで香辛料が強く感じられる出来となったのだろう。
少々エスニックな雰囲気が強いハンバーグだが、一つのバリエーションだと思えばこれはこれで悪くない。

早速ナイフで一口大に切り、口へと運ぶ。
咀嚼していく内に俺の胸の内に生まれたのは納得と落胆の入り混じった感情だった。
大まかな作り方に間違いはないようだが、肉の脂が調理の途中で抜け出てしまったのだと思われ、肝心のジューシーさはほとんどない。
これは砂漠の暑さが原因だろう。

ハンバーグに使う挽肉は、こねる段階から脂が溶けださないように手の温度にすら気を遣う必要がある。
俺がハンバーグを作る際は手はもちろんのこと、調理器具も水で冷やしてから使っていたほどで、それがこの砂漠では暑さのせいで冷やすという作業を難しくさせていた。
なので調理人はこの冷やす工程を省いてハンバーグを作ったのかもしれないが、そのせいでハンバーグ最大の旨味を失わせているのだから落胆の感情が湧くのも仕方ないだろう。

「あんまりいい出来じゃないな。まぁこれはこれで旅の思い出に―…パーラ?」
堪えきれない苦笑いを浮かべてパーラへと声をかけると、パーラの眉間に浮かんだ険しいしわが目に付いた。
まるで親の仇を見るような目でハンバーグを睨むパーラにかける言葉に悩んだ次の瞬間、ガタッと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったパーラが大声を上げた。
「このハンバーグを作ったのは誰だ!」
お前は海原雄〇か。

「ヒッ!う、うちの料理は全て父が作っていますけど…」
怯えた様子の給仕の女性はどうやらこの店の娘さんの様で、その父親が料理人をしているらしい。
「じゃあそのお父さんをここに呼んで。ハンバーグのことで大事な話があるから」
「は、はぁ…少々お待ちください」
未だ気圧された様子の娘さんは、自分よりも年下のパーラの言葉に素直に従って厨房へと小走りで向かった。
それを見送ることもせずに腕を組んで椅子に座り直したパーラは、目を閉じてただ待つ姿勢を保っている。

周りの客もヒソヒソ話をしながらこちらを遠巻きに見ていて、なんとも居心地が悪い。
そんな空気の中、重い足音を鳴らしながらこちらに近付いてくる人影があった。
先程の娘さんが一緒にいることからも、恐らくここの料理人だろう。
随分と恰幅が良く、丸坊主の頭も相まって堅気の人間なのを疑ってしまう。
タンクトップから覗く太い腕は筋肉で覆われており、果たして鍋を振るだけでこれほどになるのかと思うぐらいに力強さを伝えてくるようだ。

「おう嬢ちゃん、俺に話があるんだって?」
ギロリと目をむいてパーラに話しかけてくるその料理人は、不機嫌さを微塵も隠そうとはしない。
客商売的にどうなんだとも思うが、接客じゃなく調理にのみ携わるならこういう性格でもおかしくない。
むしろ仕事を中断させられたことに不機嫌さを表すぐらいには自分の仕事に誇りを持っているというのは好感を持てる。

「…このハンバーグ、作ったのはあなた?」
「そうだが?うまいだろ?少し前に作り方を教えてもらったばかりのうちの目玉だ。客の評判もいいし、最近はこれを目当てで―」
「これはハンバーグじゃないわ。ただの肉を固めて焼いただけの犬の餌ね」
上機嫌で自分のハンバーグがいかに評判かを語っている料理人に、割り込むようにして辛辣な言葉を吐き出すパーラ。
というか犬の餌て。
あんまり煽らないでほしいな。
親父さんの額に浮かぶ青筋がくっきりしてきてるぞ。

「ハンバーグの真の旨さは溢れ出る肉汁!ナイフを入れた瞬間の手応えで中に閉じ込められている肉汁が感じられない時点で、このハンバーグをハンバーグと呼ぶことは出来ない。誰から作り方を学んだか知らないけど、これは客に出していいハンバーグじゃないわね!」
徐々に興が乗って来たのか、声高にハンバーグの定義を語るパーラだったが、最後には椅子から立ち上がって料理人に指さしながらそう高らかに言い放つ。
しかし俺の角度からはパーラの口元に光るものが見えている。
多分、ハンバーグのことを語っている内に涎が出てきてしまったのだろう。

誰かから作り方を学んだということは、恐らくロメウスから作り方を学んだ料理人からまた更に学んだ、いわゆる孫弟子的な伝達をしたのかもしれない。
アシャドルとフィンディの距離的に見ても、旅の途中で習った料理人が帰ってきて広めているというのが自然だろう。
それなら伝言ゲームのように、人から人へと伝えられる際にある程度は技術の劣化もあり得る。

睨みあうパーラと料理人。
そしてその後ろではオロオロとする娘さんという、中々に面倒くさそうな場面が目の前にはある。
「言ってくれるじゃねぇか…。だがな嬢ちゃん!俺だって料理人の端くれだ。習った通りに作って、自分なりの工夫を混ぜ込んだ料理を貶されて黙っていられねーぜ。そこまで言うなら嬢ちゃんが言う本当のハンバーグを作ってもらおうじゃねーか」
「構わないよ。本当のハンバーグ、作ってやろうじゃないの。アンディ、やっておしまい!」
「あ、俺が作るんだ…」
途中から薄々そうなるんじゃないかと思っていたが、まさか自分の想像と寸分違わない流れで話が進むとは。

鼻息荒いパーラの様子から、これはとっとと済ました方がいいだろうと判断し、厨房を借りてサクッとハンバーグを作ることにした。
案内されて厨房に入ると、まず香しい匂いが鼻を突いた。
パーラもその匂いに反応したようでで、後ろの方からスンスンと鼻を鳴らす音が聞こえてくる。
多くの種類の香辛料がこの厨房にはあるようで、様々な香りはその用途を想像するだけで楽しくなってくる。

「竈はそっちのを使え。薪も傍に置いてある。器具はそっちのはまだ洗ってねーからこっちのから使ってけ。食材はそことここ、水はこっちの樽からだ。…あとで分からないことがあれば聞け」
丁寧に厨房のあれこれを教えてくれる料理人の親父さんの顔は先程よりもさらに不機嫌さを増していた。
煽られたとはいえ、自分の厨房に他人を入れるのはいい気がしないらしい。

「わかりました。俺達のいた席で待っててください。完成したら持っていきますから」
「ああ。…くれぐれも物を壊したりとかしないでくれよ。食材は使い過ぎないようにな。それと水もだ」
一度は厨房を出ていきかけた親父さんだったが、わざわざ戻ってきて念押しをするほどには俺のことを信用しきっていないようだ。
まぁ気持ちもわからんでもないが。

厨房の大まかな配置は分かったので、食材を見てみる。
傷まないように清潔な布でくるまれている肉は塊のままなので、まずは使う分だけを切り取って包丁でミンチにしなければならないが、塊のままの方が保存がきくので理にかなっている。
すこし触ってみて脂身が少なめな肉質だと分かったが、ハンバーグにするには問題ない。
野菜もそれぞれきちんと丁寧に保存のための処理が施されており、玉ねぎも目の粗い布で包まれているおかげで暗所に置くだけで長期間の保存が出来るだろう。
冷蔵庫が無いなりに工夫で食材をもたせようとする知恵は見ていると勉強になる。

調理に入る前にまずは調理器具の消毒と冷却を行う。
消毒に関しては雷魔術を使う。
まず弱めに電気を発生させた手でかるく調理器具を撫でた後、今度は少し強めにした電気で調理器具を満遍なく撫でていく。
これで完全に細菌を死滅させることができるわけではないが、この後の加熱でも細菌は殺せるので、あくまでも事前準備的な消毒に過ぎない。

続いての冷却にはパーラの助けを借りる。
包丁にまな板、ボウルに至るまで使うもの全てまとめると、そこに俺が霧状にした水を全体に吹きかけ、パーラの風魔術で一気に冷やす。
風紋船で使った冷却魔術で感覚を掴んだパーラは、極狭い範囲であれば詠唱を用いない意識発動型の魔術でも冷やすことが出来るようになっていた。
今は調理器具を冷やすだけなので、広い範囲をカバーする必要はない。
これで十分だ。

調理器具を冷やしたら後は時間の勝負だ。
肉の脂が溶けない内にミンチと成形を行い、一気に焼いて行く。
ここの竈はまだ完全な扱いが把握できていないので、細心の注意を払って火加減を見る必要はあるが、それ以外は慣れたものだ。
あっと言う間、というのは言い過ぎだが、それでも手早くハンバーグが完成した。

これに合わせるソースとして、すりおろしたニンニクにキャラウェイを少々加え、酢と塩で味を調えたものをかける。
ニンニクの香りをキャラウェイが適度に押さえ、食欲を刺激するいい香りが立つ。
豊富にある香辛料で少し凝ったものが作れるのは楽しいものだ。

完成した皿を手に、親父さんの元へと向かう。
俺達が先程まで座っていた席には、この店の主である料理人の親父さんと、その娘である給仕の女性が腰かけている。
まだ不機嫌そうな顔のままの親父さんの前に皿を置く。

見た目はそれほど違いはないが、立ち上る匂いの方には興味を示したようで、皿の方へと鼻を近づけた時の顔には料理人の探求心がありありと滲み出ていた。
「さぁ、これが私達が作ったハンバーグよ。おあがりよ」
「主に作ったのは俺だがな」
さも自分の作品のように言うパーラに突っ込むのを忘れない。
周りの人間が見守る中、親父さんが手に持つナイフがハンバーグに沈み込んでいった。





「…参った。こりゃあ確かに別物だ。これに比べたら俺が作ってたのは犬の餌―いや、糞以下だっ」
項垂れる親父さんはたった今食べたハンバーグが自分の作った物よりもはるかに旨いものだと知って落ち込んでいるようだ。
それにしても糞以下は言いすぎじゃないか?
そこまで酷いものじゃなかったと思うが…。

「分かってもらえたようね。何も私は貴方の料理人としての腕を悪く言うつもりはないの。ただ本当のハンバーグを知ってほしかっただけ。…ハンバーグっていうのはね、柔らかくて肉汁たっぷりで、なんていうか救われてなきゃダメなんだ。だからこれからは正しいハンバーグを作っていって欲しい」
「…そうだな。今まで俺が作って来たのは恥ずべきものだったが、これからはちゃんとしたハンバーグを客に出していこう。それが俺の料理人としての償いだ」
親父さんの肩を叩いて諭すように言うパーラだが、後半は何を言っているのかよくわからない。
しかし親父さんには分かるものがあったようで、なにか変な誓いを宣言しながらパーラと見つめ合っている。

それが伝播したのか、周りで見守っていた客もなんだか頷いているし、娘さんは何故か感動して泣いていた。
今何が起きてるんだ?

その後ハンバーグの作り方を親父さんに教えながら、急に増えた客からの注文をさばくために手伝っている俺。
どうやらハンバーグが生まれ変わったことを客の誰かが口コミで広めているらしく、客席もほぼ埋まっており、給仕の仕事にてんてこ舞いの娘さんをパーラも手伝っているぐらい忙しい。

「脂の溶ける温度か。なるほど、言われてみれば妙にしっくりくるな。あの肉汁はそういうことだったのか」
「肉だねを捏ねる際の手の温度でも脂は溶けてしまいます。砂漠の暑さである程度の脂が溶けてしまうのは仕方ないにしろ、調理の際に気を付けるだけで出来上がりは大分違います」
「それで気化熱…だっけか?この濡らして扇ぐやり方で冷たくするわけだな」
話しながらも手を止めずにいる親父さんは、貪欲に知識を吸い取ろうとしていた。

正しいハンバーグの作り方という点では、この脂の溶けることにだけ気を付ければあとは全く問題ないので、気化冷却で冷やしながら調理することでグッと味は良くなる。
恐らくハンバーグの作り方を教えた人間も、砂漠という気候のせいで冷やすという工程の難しさを鑑みて省いてしまったのだろう。
しかしハンバーグの旨さを保つ上で大事な温度こそを説明から抜いてしまうということは、その教えた人は本職の料理人ではなかったと言える。

「おいおい。人の山がすげーから来て見たら、なんでアンディがいるんだ?」
調理に勤しむ厨房の勝手口から、男性の声が聞こえてきた。
声の主へと目を向けてみると、そこには懐かしい顔があった。
「あれ、コンウェルさん。何してるんですか、こんなところで?」
「こっちの台詞だ。こんなところでもなにも、ここは俺の実家だよ」
「おや…そうなんですか?てことはコンウェルさんてフィンディの出身だったんですね」
なんと偶然入った店が知り合いの実家だったとは。
国を渡っても繋がる合縁奇縁、偶然とは面白い。

「おう、コンウェルか。帰って来たなら手伝え。今日は客の入りがすげーんだからよ」
別に疑っていたわけではないが、親父さんのその言葉で完全にコンウェルの言葉も裏付けられた。
「わかってるよ。厨房はアンディがいるから大丈夫だよな。なら俺はシャミーを手伝うよ」
そう言って厨房からホールへと出ていくコンウェル。
ちなみにシャミーというのは給仕の娘さんの名前で、年齢的にもコンウェルの妹だと思われる。

再会の挨拶や近況など話すことは色々あるが、とりあえず今はこの状況を乗り切ることだけを考えよう。
俺とパーラはこの忙しさを経験済みだが、親父さんたちはこの店が開業以来の大入りとなったせいで混乱状態が続いている。
仕方ないので落ち着くまでは手伝おうと思うが、多分これは閉店までやることになるだろう。
明日からは臨時でもいいから人を雇うことを考えてもらった方がいい。

ホールでは兄妹の再会を喜ぶ声が一瞬だけ聞こえたが、すぐに客が注文に上げる声にかき消されていく。
久しぶりに帰って来たであろうコンウェルに給仕の手伝いをさせるほどの忙しさをもたらしてしまったことは少し済まないと思っている。
ただ全ての元凶はパーラにあるので、悪いのはあいつだ。
忙しい分だけ思う存分こき使ってほしい。
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