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暇を持て余した神々の遊び

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 曙光の宮と呼ばれる館は、この無窮の座と呼ばれる世界では中心的な建物になるそうだ。
 精霊に代表される高位の存在は基本的に生きるための食事や睡眠を必要とせず、特定の塒のようなものを持たないのだが、こういった建物はあちこちにあり、何かあるとその都度集会所のように使われている。

「私達はとかく時間を持て余しがちでね。こういった風に時折集まってはくだらない話をしたり、時折下界から珍しい食べ物や酒が持ち込まれたりもすると、宴会場にも変わる。ここはそんな場所だ」

 俺の前を歩く、星の意思と名乗った男が、曙光の宮で彼らがいかに過ごしているのかを教えてくれた。
 高位の存在とは言っても、そういうところは普通の人間と変わらないのだなと、ちょっぴりだけ親近感を覚える。

 門番もおらず、解放されている石造りの門を潜り、手入れはされているようだがどこか無機質な印象を受ける芝生の上を歩き、重厚な扉の前までやって来たのと同時に、扉がひとりでに開いていく。
 誰かがそれを行っているというわけではなく、何かの力が働いてそうなっているようだ。

 解放された扉の向こうには、玄関ホールと呼べる広大な空間が広がっており、そこでは様々な音や声が重なり、外の静寂とはうって変わった喧噪が生み出されていた。

 ちょっとしたスポーツにも使えそうな広さのホールには様々な人影が存在しており、多くが中央部分で騒いでいるか、壁際のテーブルや椅子で寛ぐ姿が見られる。
 これだけならどこかの貴族のパーティのようでもあるが、人影の多くが普通に暮らしている中ではまず見られない姿形をしているという点で、やはりここは別の世界なのだと感じさせられた。

 ほとんどが人間に近い見た目をしているが、細かい部分では確実に人間とは異なる部位が目立つ。
 獣人族やエルフのような亜人種などといった普人種との差異では到底収まらない、あからさまなその違いには、高位の存在ならではの人外さが窺い知れる。

 特に体のサイズに関しては、妖精クラスから象ほどの大きさまでと様々だ。
 流石にガ〇ダムクラスがいないあたり、体の大きさは常識の範囲内ではあるが、それにしてもバラエティに富んでいる。

 そんな中、部屋の中央には人だかりができており、そこでは何やら小柄な人影を囲んでワイワイと騒いでいる声が聞こえてくる。

「ばーっはっはっはっはっは!こりゃめでてぇな!儂らの係累が普人種から出るなんざ何百年ぶりだ!?あー、酒がうめぇ!」

 派手に笑い声をあげているのは、狼系統の獣人のような見た目をした体格の大きい男だ。
 全身が真っ白の毛で覆われ、顔付は完全に狼のそれであり、笑った際に大きく開く口元には鋭い牙が並んでいる。
 上機嫌で酒を呷る姿は、よっぽどいいことがあったのだとこっちにも伝わってくるほどだ。

「ほほほほほ、まことまこと。しかし、ほんにろうとし娘子よのぅ。どうじゃ?このままわらわのややにならんかえ?」

 そして傍で同じように上機嫌で笑う女性も、外見に狼系統の特徴があり、こちらは頭の上に生えている犬耳と長い髪の毛が真っ白な以外は普通の人間と同じ見た目だが、どこか人外染みた美貌は見ているだけで背筋が妙に寒くなる。

 小柄な人影を自分の胸元に寄せ、頭を撫でているところはほっこりするものにも見えるが、その仕草にも一々艶やかさがあってエロい。

「…何してるんだ?あれ」

 たった今ここに来たばかりの俺には、目の前で何が行われているのかさっぱりわからず、とりあえず一番偉いがゆえに事情を知ってそうな男に尋ねてみる。

「あの二人はどちらも狼の係累を統べる神だ。獣人もあれらを神として崇めていた時代があったほどに、下界でも名が知られている。あれは新しく自分達の係累に連なる者が生まれていたことを喜んでいるんだ」

「新しく生まれたって、そんなのしょっちゅうあることじゃないのか?狼系統の獣人なんざ、毎日どこかしらで産声を上げてるだろ」

「いや、あの二人が喜んでいるのは、数百年ぶりに『爪牙そうがなく至る者』が出たことからだ。丁度二人に揉まれている者がいるだろう?あれがそうだ」

「爪牙なく至る者?」

「普人種に生まれ、祝福や変性で獣人族としての特性が後天的に出た者のことを指す呼び名だ。あの子のように祝福で狼の因子を幽星体に埋め込まれた者など、何百年ぶりだということで騒いでいるんだ」

「ほぅ、祝福で…ん?それってもしかして」

 ふと心当たりのある人物が頭に浮かび、それを尋ねようと口を開きかけた俺を遮るように、ホール内に大声が響き渡る。

「うっだらぁあー!いつまで頭撫でてんのさ!いい加減ハゲそうになるっつーの!あと首も痛い!」

 もがきながらそう叫ぶ声は聞き覚えのあるもので、可愛がられていた人影の姿がハッキリ見えると確信を得た。
 あそこにいるのはパーラだ、間違いない。

 危害は加えられないとは言われていても、ああして元気な姿を見るとホッとする。
 ただ、その姿は最後に見たものとはだいぶ変わっていて、そのことに対する困惑を覚える。

「…どういうことだ?パーラのやつ、なんでまた狼化してる?」

 服装は俺と似たようなものではあるが、以前にも見た狼のような顔つきに変わっているパーラは、アミズが施した封印が解けているとしか思えない。

「そういえば、君達は狼の因子を封印したんだったな。この無窮の座に来た人間は、本来のあるべき姿になる。パーラの場合、狼の因子とよほど相性が良かったのか、あの姿になったのだろう。人間程度が施した封印など、ここでは無いものと同じだ」

 なんとも、アミズが聞いたら泣いてしまいそうなことを言うものだ。
 それに、パーラの狼化を抑え込むために東奔西走していたことは知られているようで、まるで俺達の人生を監視でもされていたような気分になる。

 星の意思というぐらいだし、そこで暮らす人間の営みを把握しているのは何らおかしくはないのだが、だとしてもピンポイントで俺達を知っているのは少し怖いな。
 もしかしたら、俺が今日までに秘かにしてきたあんなことやこんなことも知られているのだろうか。
 …よそう、これ以上考えると地面を転がりたくなってしまう。

 しかしそういう理由でパーラは狼の姿になっているわけか。
 俺の方は巨人と最後に戦っていた時の顔のままなので、あるべき姿というのには前世の姿は含まれないとみてよさそうだ。

「ばっはっはっは!貴様も狼の血を引くなら、これしきのことでどうにかなるものかよ!どれ!儂がもっと撫でてやろう!」

「やめよ。うぬは些か乱暴でいかぬわ。髪は女の命ぞ。それに、これは今はわらわのものじゃ」

 可愛がるのを巡って騒ぐ二人に、パーラの方は何とか抜け出そうと身をよじりだす。

「私はあんたらと違って、普通の人間なの!えぇい、だめだこいつら…こんなとこにいつまでもいられるか!私は脱出させてもらう!……あ」

 一際強くもがきだしたパーラだったが、その視線がツイと出口の方へと向くと、丁度俺と目が合ってしまった。
 呆けたような声の理由は、こんなところで俺と出会うことを想像していなかったとかかもしれない。

「…よっす」

 少しの時間、見つめあったままでいた俺達だったが、いつまでもそのままではいられないので、こちらからそう声をかける。
 すると、唐突にパーラが全身を震わせ始めた。
 原因は寒さなどではなく、感極まってのものだというのは潤み始めた目からもわかりやすい。

「あ…ア…アンディーーーっ!」

 火事場の馬鹿力でも発揮したのか、それまで逃げられないでいた拘束をあっさりと振り切り、パーラは狼の身体能力を生かした跳躍で俺の方へと跳びかかってきた。
 俺と会えたことへの感動からだろうか。
 目からは涙が、鼻からは鼻水を、口からは涎をまき散らしながら向かってくる姿は、再会の抱擁を考えていた俺の思考を一瞬で切り替えさせるのに十分なものがあった。

「うわ、汚っ」

「ばぶんっ」

 ついつい身を引いた俺の目の前を通り過ぎたパーラは、無様な声を上げて床との抱擁と接吻をしてしまう。
 一瞬、ホールを満たしていた喧噪が波を引くようにして消え去り、俺とパーラを中心に時が止まったかのような静寂が生まれる。

「…ぶへぇっ!ちょっとアンディ!何で避けるの!?」

 しかしその静寂もすぐに身を起こしたパーラによって打ち破られた。
 流石に再会の喜びを無碍にしたことは予想外だったようで、いまにも殴り掛かってきそうな剣幕だ。

「いや、悪い。俺も受け止めるつもりだったんだけど、お前、いろいろと噴き出してたからちょっとな…」

「そこをあえて受け入れる度量をさぁ!もーっ!……まぁいいや。とりあえず、お互い生きて再会できたことを喜ぼうか」

「ああ、そうだな。そっちは…色々変わってるみたいだが、元気なようで安心したよ」

 改めてこうして顔を合わせて言葉を交わすと、お互いの無事を確かに実感できるもので、なんだかいろんな感情が湧き出てきて少し泣きそう。
 見知らぬ場所で目覚め、訳が分からないうちにチェスをしていろんな情報を得たせいか、体感的に一年は離れ離れにでもなっていたような気分だ。

「そうなんだよ!何か私、目が覚めたら狼化してるわ、知らない人達にずっとイジられるわで、これどうなってんの?あの人達に聞いても、いいから飲めって酒を勧められるばっかりでさ。アンディ、ここが何かわかる?」

 げんなりとした顔のパーラは、どうやら俺と違って質問に答えてくれる親切には恵まれなかったようだ。
 その状態でああして可愛がられていたのだから、その心境はどんなものだったのか俺には想像することも難しい。
 チェスの対戦ありきではあるが、質問に答えが返ってきていた俺は結構ましなほうだったのかもしれない。

「ああ、ここは無窮の座っていうそうだ。俺達は巨人の体の上であの光る腕に捕まれただろ?あれ、やっぱり光の精霊の仕業だったらしい。そいつが俺達をここへ送ったようだ」

 とりあえず何も知らないと思われるパーラに、俺が聞きだした情報をかいつまんで伝えていく。
 とは言っても、俺も教えられたことしか知らないので、完全に全ての疑問に答えられるわけではない。
 案の定、パーラはある程度の謎は解消されたが、同時にわからないことも増えたため、少し混乱したような様子も見られる。

「死後の世界じゃないってのはよかったけど、それって結局どうなの?私達、ちゃんと元の世界に帰れる?それとも、いつまでもここで暮らすってこと?」

「それは…どうなんだろうな?悪い、俺もそこは分からない」

 パーラに言われて、俺もちゃんと元の場所へと戻れることが心配になるが、そもそもここは元居た世界とは隔絶した空間であるため、その辺りは全くわからない。

「そういうのは俺よりもこっちの―」

「おぉ!これはガルジャパタ殿!ようやく来たか!」

 パーラに星の意思と名乗る男を紹介しようとしたその時、さっきまでパーラを囲んで酒を飲んでいたあの狼の姿をした大男だ。
 ガルジャパタという名前を口にしながら俺の隣に立つ男を見ているということは、どうやらこの男にはちゃんと名前があったらしい。

「ああ、少しこの者と遊んでいだのだよ。しかし、私がおらずとも楽しんでいたようだな?ベラオス」

「うむ、あまりにも遅いので先にやらせてもらっていたぞ!隣のは、パーラと一緒に来た奴だな?歓迎しよう!さあ、こちらに来て飲め!」

 ベラオスと呼ばれた狼風の男は一瞬鋭い視線を向けるが、すぐに相好を崩すと杯を掲げながら手招きをしだす。
 誘うような言葉ではありながら、その声には力強さが籠っており、逆らい難い何かを俺に感じさせる。

 同時に、敵意も何もない、ただ存在の大きさからくる圧力というものが俺の体を襲い、このホールにいる全ての存在が俺の一挙手一投足を見極めようとしているような気がした。
 この杯を断るかどうか、それ次第で俺の扱いがどうなるのかという不安も覚えながら、断るという選択肢が選び難い空気の中、俺はベラオスから差し出された杯を受け取り、そこに満たされた酒を喉に流し込んでいった。

 ミードやワイン、エールや火酒といったどれとも違う味わいの酒をまずは一杯飲み干すと、周りから向けられていた圧力が消えたような気がした。
 許されたか。

「いーい飲みっぷりだ。さあ、もっと飲め!久しぶりの下界からの客人とあらば、まずは宴をせずにはいられん!皆もジャブジャブ飲んでくれ!」

『ウェーイ!』

 周囲へ向けてベラオスがそう声をかけると、あちこちからジョッキや木杯がぶつかる音が聞こえだす。
 樽や瓶から酒が注がれ、それらがホール内を行き交い大勢を酔わせていく。
 当然のように俺とパーラにも酒が配られ、宴会が始まってしまった。




「儂らは腹も減らんし喉も乾かん。だが、うまいものを味わう舌はあるし、酒を飲めば酔うこともできる。暇を持て余しておる儂らにとって、ここでは酒が唯一の娯楽だ」

「ここの酒も食べ物も、下界より持ちきたるものばかりよ。わらわ達は飲み食いはできようとも、作ることあたわぬのでな」

 俺とパーラを囲むようにして、酒を飲みながら語っているのはベラオスと、さっきパーラをかわいがっていた女の狼の神だ。
 名をシアザと言う。

 彼女はこの宴会が始まると同時に、パーラを再びかわいがろうと手を伸ばし、あっさりと捕まえてその腕の中にパーラを収めたままで会話に加わっている。
 口調からして高貴さが溢れているため、接し方に少し困る相手でもある。

「…あんたらみたいな神でも酔っぱらうってのか」

「うむ、一応はな。儂らともなれば体内に入った酒精を意図して抜くことはできるが、それでは酒を飲んだ意味がない。あえてこの酔いを楽しんでいるというわけだ」

 普通の人間とは存在がかけ離れている彼らにとって、体内に入ったアルコールを無効化するなど容易いことなのだろうが、酔うために酒を飲んでいるのだからそれをするのは無粋というわけか。

 俺の手に注がれた酒もアルコールがだいぶキツいものの、味と香りは上等な蒸留酒のようであり、安物のキャンディーをかみ砕きながら口の中で酒と転がしたい味わいだ。
 本来ならガブガブ飲めるものじゃないが、神達はアルコールなどないかのようなペースで飲み干していく。
 どこの世界も、神というのは酒好きなようだ。

 ちなみに、彼らのような神を相手に俺が敬語を使っていないのは、向こうがかしこまった態度は不要と言ったからだ。
 神と呼ばれる相手にそれはどうかとも思ったが、ガルジャパタを相手にも俺はこういう態度だったので、いまさらか。

 そのガルジャパタだが、ここに来てすぐはあちこちにいる神やら精霊やら色んなところから酒を勧められ、それをいちいち飲み干してはいたのだが、今はそれも落ち着いて少し離れたところで俺たちの会話を見守っているような感じだ。

「ほれ、こっちの皿のも食ってみろ。こいつがまた酒と合う!」

 そう言いながら差し出された皿には、エビチリのような料理が乗っていた。
 ただし、俺の知るエビチリと違い、餡の色は緑色だが。
 なんだこれ?バジルでも使ってんのか?

 知っている料理に似ているだけに、その正体を尋ねずにはいられない。

「…これは?」

「タズ虫の薬草煮だ。知らんのか?」

 なんと、こいつは昆虫料理か。
 海老のようなものも、よく見れば芋虫だと分かり、ますますもってエビチリとは違う料理と言える。

「ああ、初めて見た」

「ふぅむ、そうなのか。こんなに美味いもの、知らない者などいないと思っていたぞ」

 意外そうな顔をするベラオスだが、この見た目で味はいいとなれば、少なくとも俺の耳に噂ですら届いていないほどのレアな料理ということになる。

「だから言ったじゃん。私もアンディもそんな料理知らないって」

 先にパーラはこのタズ虫の薬草煮に触れていたのか、口を尖らせてそんなことを言う。

「タズ虫が生息しているのは第二大陸のみで、しかも薬草煮にして食べるのはごく一部の地域だけだ。一方、アンディ達がいたのは第一大陸。料理が伝わるには二つの大陸は離れすぎている。知らなくても当然だろう」

 ガルジャパタが助け舟を出すように、タズ虫についての注釈をしてくれた。
 流石星の意思だけあって、知らないことなどないかのような博識ぶりだ。

 このタズ虫というのも、俺がいたのとは別の大陸にしかいないとなれば俺達が知らなくて当たり前。
 飛空艇があるとはいえ、海を越えて別の大陸を目指したことはないしな。

「なるほど、そういうことなら猶更食わせたくなる。さあ、だまされたと思って一つ口にしてみろ」

 一層突き出してきた皿に圧されるようにして、添えられていたスプーンでひと掬い口に運んでみる。

 最初に舌を襲ったのは、たっぷりの餡から感じる爽やかな風味と苦さと甘さの混在した複雑な味だった。
 餡が絡んだタズ虫は、噛むと海老のようなプリプリとした食感と芋虫特有の内からクリーミーな甘さが弾け出て、口の中で餡と混ざり合うと抜群に美味くなる。

 たまらず料理が残った口に酒を流し込む。
 今飲んだのは香りが特徴的な酒だが、薬草煮と舌の上で出会うと渾然一体となり、何層にも重なった美味さが暴れるようにして俺の脳を侵す。
 ひたすらに美味い、そして恐ろしく酒に合う。

「どうやら気に入ったようだな」

 感想が顔に出ていたようで、何も言わずともベラオスにはタズ虫の薬草煮を俺の舌が完全に受け入れたことはバレてしまったらしい。

「ああ、見た目よりもかなりいい味だ。おまけに酒とも合う。これはあんたら酒飲みにはたまらんだろうな」

「おう、分かるか。儂らは腹が減らんからこそ、いかに酒と合うかというのが重要視される。もちろん、美味いに越したことはないが、中には単独で食っては不味くとも、酒を飲みながらだと絶品になるというのもあってな。少し前に食ったのは、とにかく臭いくせに酒と合わせるとこれがなんとも―」

 頼んでもいないのに酒のあてを熱く語りだしたベラオスに生返事を返し、別のところから伸ばされた手からの酌にベラオスが応じている隙に、ふとパーラの様子をうかがう。
 俺とパーラにも酒が配られ、チビチビとだが口にしている以上、酒にあまり強くないパーラの酔い具合が気になってくる。

「…おいパーラ、お前大丈夫か?それ結構強い酒だが、酔ってないか?」

「えー?まぁ酔ってるか酔ってないかでいえば…酔ってるかなぁ。イッシシシ」

 あ、これはだめだ。
 顔色ではそうとわからないが、言いようと笑い方が酔っぱらった時のサインを示している。
 たった一杯とはいえ、やはりアルコールがきつい酒は酔いも早い。

「ほほほほ、酔うておる顔もまた愛いのぅ。かくならば、わらわの乳を飲ませばや」

「阿呆か。婆の何にも出ない乳を吸わせてなんになるってんだ」

 なぜか酔っているパーラに自分の乳を吸わせようとするシアザ。
 酔いからかヘニャリとしている姿を見て、母性が刺激されたのだろうか。
 ベラオスが冷めた声で止めていなければ、きっと今頃は彼女の慎ましやかな胸部が俺の目の前に晒け出されていたかもしれない。
 惜しかった。

「…この酒も料理も確かに美味い。しかし、これらは下界から手に入れているとか?いったいどうやって?」

 二人がパーラを構いだしたあたりでキリがよさそうだと思い、そろそろ彼らから情報を引き出すのに動くとしよう。
 ここまで宴会に興じていたのも、それを聞くタイミングを計っていたからだしな。

「どうやってもなにも、儂らの中で下界に降りれる奴が調達してきたものを、こうして皆で分け合っているだけだ」

「なるほど。ここにいる誰もが下界に降りれる?」

「いや、そうではない。細かい説明は面倒ゆえに省くが、儂らのような力の強い者は基本的に下界には降りん。そういう奴はただそこにいるだけで周囲へ与える影響がでかいからな。余計な混乱を避けるためにも、己の力を極限まで内に封じ込める技を持つ者が、これらを調達するために動いてくれるのだ」

 こうしているだけでもわかるが、ここにいる奴らはどいつもこいつも無意識に発している力というか波動というか、異質なほどの力強さが俺にもよくわかる。
 ベラオスが言ったように、ただそこにいるだけでも与える影響というのを想像すると、確かにホイホイと下界に降りるのはまずい気がする。
 気が弱い人間なら見ただけで卒倒するだろうし、最悪は何かしらの汚染を大地に残しそうな、そんな危険もありそうだ。

「なるほど…ちなみに、その降りれる者が下界に降りている手段は?」

「そりゃあお前、死色ししょくの梯子で―」

「ベラオスっ!」

 突然、話している途中のベラオスを、シアザがその細腕で殴りつけた。
 まるでトラックにでもはねられたような姿で轟音とともに吹っ飛んでいくベラオスは、一度も床に体が触れない勢いで広間の壁に突っ込んでしまう。
 普通なら死んでいてもおかしくはないが、普通ではないベラオスはユラリと立ち上がる。

「~~ッッ!っなにしやがんだてめぇ!」

 急に殴られた者としては至極当然に、シアザへ怒りに染まった視線と声をぶつける。

「くらし者め!うぬが何を言わんとしていたか気付いておらぬか!」

 くらし者、たしか愚か者という意味だったか?
 同じ共通語にも、古文と現代文の違いがあるのは意外だが、それでもある程度伝わるのはそれだけ共通語が便利な証拠だろう。

 それにしても、貴人然としていたシアザが、髪が逆立つほどに険しい表情を浮かべて声を荒げる姿はとてつもない迫力がある。
 見ているだけのこちらさえも圧倒されてしまう。

「あぁん!?何のこと……あ」

 シアザに言われてようやく何かに気付いたのか、俺とパーラを見て呆けたような声を上げるベラオス。
 なにやら俺達の前では言ってはいけないものが飛び出したのか、それをシアザが殴って止めたといった印象だ。

「ベラオス、よもや君がそのことを言ってしまうか」

 一瞬妙な空気が作り出されたその時、離れたところにいたガルジャパタが声を上げた。
 ごく普通の音量の穏やかな口調だったが、それが却ってその場にいた誰もの背筋を伸ばさせる。

「も、申し訳ござらん!つい口が滑ってしまった。このアンディ、中々儂から言葉を引き出すのが上手いもので…」

「何を言う。酒が入ってのこととはいえ、うぬがにびなるばかりよ」

「ぐぬぅ…」

 シアザが冷めた目で叱責するが、頭を下げているベラオスが特にそれに反論をしないあたり、口が滑ったことへの反省はしっかりと根付いているようだ。

「いや、ベラオスの言うこともわからんでもない。確かにアンディの聞き方が上手かったというのはある。アンディ、君は恐らく、下界へ降りる方法を知りたかったのだろう?この無窮の座を離れ、下界に戻ろうとしているのではないか?」

「…まぁ、そうだ」

 ガルジャパタが言った通り、俺は下界に戻りたいと思っている。
 別にこの場所が嫌だとかそういうわけではない。
 腹も減らんということは一種の理想郷のようだが、それでも俺はやはり下界で生きたい。
 あっちでの知り合いも多いし、やりたいことだってまだまだある。

「ふむ、だからベラオスからその方法を聞き出そうとしたのだな。…まぁよかろう。さっきベラオスが言った死色の梯子、確かにあれなら下界に降りることは可能だ」

「ガルジャパタ殿、それは…」

 死色の梯子という言葉が再び出てくると、ベラオスが焦ったように声をかけるが、当のガルジャパタが手を上げて制すると黙り込んだ。
 見ればシアザも同様で、流石に上位者と思われるガルジャパタには殴り掛からないらしい。

 しかしこの反応を見る限り、その死色の梯子とやらは彼らの中では知られているが、俺のような外様には秘密にしておきたい何かなのかもしれない。
 あたかも国家における機密や、チョコボ〇ルのおもちゃのカンヅメの中身のように。

「なぜ下界に降りたいのかはともかく、生憎あれは君達には使えないものだ。諦めたまえ」

「…あんたらが使用を認めないからか?」

 秘密にしておきたいものである以上、簡単に使わせたくないというガルジャパタ達の意図も何となく透けて見える。
 なぜ、どうしてというのを尋ねてもいいが、果たして馬鹿正直に答えてくれるものだろうか。

「それもあるが、そもそも死色の梯子は我らのような存在が使うためのもの。君達程度の幽星体の強度では、触れた瞬間に塩の柱になってしまうぞ?」

「……え、塩?」

 急に怖い話が出てきたな。

「君達は我らに比べれば魂があまりにも小さく弱い。死色の梯子は便利なものだが、使用者の魂への負担が大きい。それに耐えられるほど、君もパーラも幽星体の位階は高くないのだよ」

 これはまた…なんということだ。
 天界と下界、それを行き来すると思われるその死色の梯子は、やはり特別な道具か装置のようで、俺のようなただの人間が使うには危険すぎる代物とみた。

 下界に戻りたい気持ちはあるが、流石に塩の柱になるのだけは勘弁だ。

 とりあえず死色の梯子はダメだというのは分かったが、それ以外の方法で下界に降りる方法はないのだろうか。
 一つがダメなら別の手でというのが俺の信条だ。

 それにこれだけ高位の存在が集まっている場なのだし、ひょっとしたら俺とパーラの二人ぐらいは地上に戻せる奴もいそうではある。
 まだまだ諦めるには早く、もう少しあがかせてもらうとしよう。

 それでもだめだったら…まぁガルジャパタに頼んでここで暮らすしかないか。
 本当に不本意ではあるが。
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