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無窮の座
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コンという音が聞こえ、たった今、目の前に置かれているチェス盤の駒が動かされたのだと気付く。
駒も盤も過度な装飾などない、オーソドックスな一揃いではあるが、久しぶりに見ると感慨深いものがある。
日本で普通に暮らしていると、自発的にでなければチェスに触れる機会というのはそうないのだが、異世界ではそもそもこのタイプのチェス自体がないため、前世を思い出して懐かしくなった。
……いや待て。
なんだこれは?
俺は今、どういう状況に置かれている?
簡素なテーブルと椅子、チェス盤が揃ってあるのならば、どこかのサロンだと言われてもおかしくはないが、そうするとこっちの世界ではついぞ見かけることのなかったチェスがあるのがおかしい。
似たような遊戯はあるが、目の前に置かれたまさにそのものというチェスには、地球の文明の匂いを感じてならない。
まさか、俺以外の転生者がコッソリと仕込んだサプライズ的な何かだろうか?
だが、俺の覚えている最後の記憶だと、パーラと一緒に精霊核晶に吸収されて意識を失ったはずだ。
なのに今、俺はチェス盤を前に椅子に腰かけているという状況は、奇妙を通り越して異常だと言ってもいい。
衣服も直前まで着ていたものではなく、白一色のトーガのようなものに変わっており、ここが死後の世界だと言われても納得できそうな趣がある。
「君の番だ。打たないのか?」
そう声をかけられ、初めて対面に座る誰かの姿に気付く。
俺と同じ様に椅子へ腰かけ、気だるげな目を向けて来るのは、同じくトーガ風の衣装をまとった一人の男だ。
見た目的には恐らく俺と歳はそう変わらず、顔だちは堀の深さがゲルマン系を思わせる感じで、焦げ茶色の髪の毛が波を打つようにして後ろへ撫でつけられている様は、別段珍しいものではないのだが、その目だけは珍奇な色を宿している。
本来は黒目に当たる部分の色が、赤と金と白がマーブル状に混ざった模様のように見え、しかも光の加減ではとうてい説明できないレベルで、三色の割合が常に変化している。
この世界での魔眼も普通と比べれば変わっているが、ここまでのものとなればいっそ異色も過ぎるというもの。
俺も今までいろんな種族を見てきたが、こんな変わった目を持った人間は初めて見た。
「…ふむ、チェスはあまり好きではないのかな?いや、実は私もこのチェス盤に触るのは初めてなんだ。なにせ、もう何万年も打ち手がいないまま放置されていたものでね。前任者からは好きにしていいと言われているが、この手の遊戯はやはり本場の人間を相手にしないと面白くない。だから君がこっちに来たこのを機に席を用意してみたのだが…いかんな、少し気が逸っていたようだ」
穏やかで親し気な口調で話しかけてくる目の前の男は、何やら俺にはよくわからないことを口にしているようで、それについて尋ねようとしたところ、俺は自分の口が開かず、喉を使っての発声もできなかった。
それどころか、椅子に腰かけたままの俺の体も身じろぎすらできない。
自分の体が自分のものではないようなその感覚に、精霊核晶に吸収された際に肉体のあらゆる機能を失ったのではないかという恐怖がよぎる。
まるで脳死状態の自分が、意識だけは覚醒しているような…。
「人間というのは実に面白い。あらゆる戦術が成り立つ戦いを、この小さな盤面の中に凝縮した遊戯を生み出す発想たるや、力任せに世界の全てを動かせる神々では考えつくことはまずできん。そうは思わないか?……さっきから私ばかりが喋っていてつまらんな。私は君と会話を楽しみたいのだがね」
溜息と共にそう言われるが、そもそも声が出ないのだから会話もくそもない。
勝手なことばかり言う男を、ちょっとした抗議の意味も込めて睨むように見てやる。
「ん?あぁ、そうか、喋れないのか。いやこれは悪かった。てっきり君なら肉体の位相も確たるものとすると思っていた。いやはや、あれだけの力を持ちながら、まだ普人種の域を出ないとはむしろ驚くべきことではあるな。そら、これで体の支配権は君に戻されただろう」
「……ぁ、お?おぉ、声…が」
男がパンと手を叩くと、それまでまったく自由にならなかった俺の口が動かせるようになり、合わせて声も出た。
試しにと上げた右手も、全く問題なく動かせる。
このことからもわかるが、手を叩くだけで俺の体に自由を取り戻させたこの男は、まず間違いなく超常の存在だと見ていい。
多少力のある魔術師程度が、この不可解な現象を生み出すことも解消することも出来はしないという、俺の確信に近い勘が囁いている。
「さあ、これで君も好きに動けるだろう。どうだ?一手付き合わないか?ん?」
体の調子を確認している俺に駒を掲げて誘いを寄こす男は、まだチェスを打つのを諦めていないのか、遠足前の子供のような楽し気な雰囲気を感じさせる。
あれだけの力を見せた相手だ。
下手に機嫌を損なうのは得策ではなく、これは付き合わないという選択肢は取れない。
「…まぁ構わないが、その前に俺の質問に答えて欲しい」
「よかろう。ただし、三手だ。君が三手打つごとに一つの質問を対価とする。恐らく、君の問いには余すことなく答えられるが、よりたくさんの聞きたいことがあるのならば打つ手をとめないことだ」
「どんだけチェスを打ちたいんだよ。わかった、それでいい」
「よし、ならば早速始めるぞ。黒の駒はお前にやるから、そっちが先手だ」
ウキウキといった表現がこうも似合うかという様子でチェス盤をセットする男に、先程の超常的な力を見せた時のような不気味さはもう感じられない。
コッコッという駒を置く音が辺りに響く。
俺はチェスが得意という訳ではないが、それでも最低限、ルールぐらいは知っているので、駒の動かし方に迷うことは無い。
対戦する男も、ルールは分かっているようで、楽し気に駒を動かしている。
今気付いたが、俺達が座っている椅子とテーブル以外、周囲の光景は宇宙空間そのものだ。
暗闇の中に大小の星や塵、ガスのようなものがそこかしこで光を放ち、宇宙服を着ていないこと以外は、紛れもなく宇宙にいると思わせる材料が揃っている。
三手打ち、まずは最初の質問を口にできる。
「教えてくれ。ここはどこで、あんたは誰なんだ?」
「それは二つの質問がくっついているな。一つずつと言ったろう?」
ちっ、バレたか。
あわよくば質問の数をごまかそうと思ったが、そうはいかないようだ。
「まずはここがどこかというのから教えよう。ここは『無窮の座』。君達定命の存在から見た、高位階の者達が住まう場所だ。こちらを天界、君達の生きる世界を下界と呼ぶこともあるがね」
可能性の一つとして考えていたあの世ではないと知り、一先ず安堵を覚えるが、まだよくわからない場所にいるということには変わりはない。
「高位階?精霊とかか?」
「精霊もいるし、亜神も英霊も、現世での依り代や寄る辺を持たない者は皆ここにいる。普通の人間では形を保ったままでは来れない場所だ」
精霊と亜神はともかく、英霊というのは初めて聞くな。
意味自体はなんとなく分かる。
恐らくは人々から信仰を捧げられるほどの功績を積んだ人間とかだろう。
「…俺は?自慢じゃないが、俺は何の変哲もない普通の人間だぞ」
「君が普通だとしたら、私は人間というものを初めて見たことになるな。まぁいい。君…いや君達は少し事情が特殊だ。どちらかというと、招待されてそこにいると思ってくれ」
「招待って誰に―いや、それよりも俺達?まさか、パーラもここにいるのか!?」
「質問は一つずつと言った。先のは最初の質問ということで少し色を付けたが、その問いに答えて欲しければ三手打つのだな」
コンと甲高い音をたて、俺のポーンが弾かれ盤外へ転がり出た。
ゲームはまだまだ続くようだ。
一つずつという割にはさっきは結構答えてくれていたようだが、それは質問への補足のようなものだったらしく、流石にパーラのことを尋ねるのは別の質問と見なされてしまったようだ。
仕方なくまた駒を動かし、三手打って次の質問タイムが訪れる。
「で?パーラもここにいるのか?」
焦りで口がもつれそうになるのを抑えつつ、改めてパーラの所在を尋ねる。
今いるのが死後の世界でないとすれば、パーラも俺もとりあえず生の終焉を迎えてはおらず、また共に生きていけることへの期待を抱いてしまう。
「ああ、いるぞ。ただ、私達とはまた別のところにだがね。…心配するな。危害を加えたりといったことはない。それどころか、今頃はいたく歓迎されているだろうよ」
一瞬、人質かもしくはひどい目にあわされているのかということが頭をよぎったが、それを口に出すよりも先に男に否定された。
「歓迎?なんで、誰に?」
「…何度も言わせるな。質問は―」
「ひとつずつってんだろ。分かってる。ほら、次はあんたが打て」
言わんとしていることを先回りし、同時に自分の駒も動かして向こうの手番を促す。
条件として飲んでおいて今更だが、質問とゲームを同時進行でやらなければならないこの状況に早くも辟易して来た。
面倒なやり方を引き受けたさっきの俺がバカだったと、今になってちょっと後悔している。
ある程度相手の実力を見ながら、ゲームが長引くように調整しつつ、三手使ったところで次の質問の機会が来た。
「あんたは何者だ?少なくとも普通の人間じゃないってのはわかる。そもそもここは普通の人間がいないってんだから当たり前だが、それにしたって正体が分からん」
「私の正体ね…。さて、なんと答えるべきか。別に言えないことがあるというわけではないんだが、説明が難しい。かつて私を指した言葉には楽園の偽王、魂の織り手というのもあった。しかしあえて言うなら…」
「言うなら?」
一瞬言い淀み、軽く伏せた目が再び前を向いた時、マーブル状の瞳が俺を捉える。
「星の意思…というのが君にはわかりやすいか」
その言葉で、心臓が大きな鼓動を一つ打つ。
以前大地の精霊と話したときも出てきたが、この世界では星の意思と呼ばれる人知を超えた何かが、生命と魂の循環を担っている。
人間側も星の意思に類する超常現象については薄々気づいており、呼び名は違えどそういったものを研究する者も少なからずいた。
未だ分かっていないことのほうが圧倒的に多い星の意思。
それを名乗る存在が目の前にいて、普通の精神状態を保てる人間がいるだろうかいやいない。
ゲボ吐きそう。
「俺はその星の意思ってのはよくわからんが、この星自身が人の形をとって目の前にいると解釈していいのか?」
「君が知覚しているこの姿は、対話がしやすいように用意した、いわば代理の幽星体だ。確かにその表現は正しいが、これが私の全てではないとだけは言っておこう」
大地の精霊の時もそうだったが、強い力を持った存在はこういった端末を使って会話をしたがる節がある。
伝承なんかでもが人や動物の姿をとって現れるというものは多いが、相対する相手に影響がない程度に力を抑えようという配慮からかもしれない。
「…今更なんだが、その星の意思ってのは一体何なんだ?精霊からそういうのがあると聞いてから、俺なりにもいろいろと調べてみたが、詳しいことはわからなかった」
「ふむ、それに関しては君に資格があるかどうかによるな。アンディ、ユーディーンはなぜ泣いた?」
「は?ユーディーン?」
急に言われ、何のことかわからないでいると、男はフーと長い溜息を吐く。
「そう返している時点で、君は資格を有していないということだ。私の口から星の意思についてこれ以上は語れないな」
何らかの符丁か、あるいは研究者ならば答えられる何かが今の問いにあったようで、それを外した俺は目の前の存在から星の意思についての詳しい情報を引き出すことはできなくなった。
資格の有無を問われた以上、この先は自力で探求しろと言われているようなもので、この話はとりあえず一旦脇に置くとしよう。
チェスの駒を動かしながら、次に聞くことを頭の中で整理していく。
「じゃあ次だ。俺をここに連れてきたのはあんたか?」
「いいや、違う。光の精霊だ」
やはりか。
最後の記憶で、光の腕が俺達を捕まえていたことから考えると、あれが光の精霊の仕業だとするならば、こうしてここにいることの原因も自ずと知れよう。
「すでに光の精霊はその存在が完全に失われた。今は星をめぐる大いなる渦の中で、再び生まれるのを待つだけとなっている。その光の精霊が、最後の力で君達を私のもとへと送ったのだ」
「なんでそんなことを?」
「さてな。封印から解放してくれたことに感謝して、ここへ送り出したというのも考えられるが、真意を知るにはもう遅い」
原因を作った当人が存在を失い、話を聞くこともできなくなってしまっては、俺達が連れてこられた理由は謎のままだ。
「あぁ、そういえば、その光の精霊に捕まって意識を失う直前、声を聴いたんだが」
「ほう?どんな?」
「女の声で『待っていた、私はただ』とかなんとか」
途切れ途切れでかろうじて聞き取れた程度だが、確かに女の声でそう言われた。
覚えている感じだと、渇望と安堵が混在したような奇妙さはあったが、それだけ感情のこもった言葉だともいえる。
「それは…光の精霊が言ったので間違いないだろう。しかし、待っていた、か。どうやら君の在り方に、あの者を重ねていたようだな。ふむ、そう考えれば君と彼を同一視するのも納得だな」
「あの者?」
一人納得したかのように頷く男に対し、俺の方は何のことやらわからない状態であり、ここで新たに表れた第三の存在についても聞かないわけにはいかない。
「君は光の精霊が巨人に封印された経緯は聞いているのだったな?」
「ああ、大地の精霊からざっと」
「誰が精霊核晶に光の精霊を封印したかは?」
「いや、それは聞いていない」
「そうか、ではまずはそこから話すとしよう。かつて光の精霊と心を通わせ、その果てに自由を奪った一人の人間のことをな」
淡々とした口調ながら、その奥に複雑な思いが籠っている男の言葉に、これから聞かされる話が一体どんなものか、期待と怖さを同時に抱かされる。
人類が発展と滅亡を幾度も繰り返した歴史の中、最も栄えたといわれる文明の中で、精霊をエネルギーとして利用するおぞましくも強大な技術が生み出された時代があった。
最初は力の弱い精霊になりかけのような存在を、人間側が多数の犠牲と引き換えに捕獲していたものが、積み重ねられた教訓と技術により、大精霊と呼ばれるほどのものすら捕獲できるまでになっていた。
「少し聞きたい。大精霊とは?」
ここで気になる言葉が出てきたため、男の話を遮って尋ねる。
俺の知る限り、大精霊というのは今初めて耳にしたはず。
「精霊と一口に言っても、その中でいくつかに分けられる。いずれ精霊へと至ることを嘱望される亜精霊、君達が想像するところの精霊、そして、あらゆる概念を象徴する大精霊といった具合だ」
亜精霊というのは耳にしたことはあるが、一口に精霊といってもそこまで分類があるとは。
このあたり、大地の精霊から聞かされた話にはなかったものだが、初めて聞く俺達が混乱しないようにか、あるいはあの時点では言う必要がないとでも思ったのか。
「光の精霊もその大精霊に?」
「いや、あれは原初の精霊の一つだからな。別格だ」
精霊自体が神として見られることは多いが、その中でも別格となればもう何と呼んだらいいのかわからない。
超神とかか?…ないな。
とりあえず聞きたいことは聞けたので、話はもとに戻る。
大精霊を資源として活用し、件の文明は更なる発展を遂げた。
極まった文明は生命の構造と可能性を自在に操り、長命種以外の寿命すらも果てしなく伸ばすことに成功したという。
まさに栄華を極めたといっていい文明だったが、人間というのはなんとも愚かなもので、発展した文明の中でも争いを企み、約束された破滅へジワリと進みだす。
切っ掛けはなんだったか、シンプルにたった一つのようでもあり複合的な要素でもあり、今でも一概にこうとは言えないが、やはり発端は原初の二精霊を捕らえようとしたことだろう。
当時、精霊をエネルギー資源として使う技術を確立していたのは数多ある国家の中で大国として数えられるうちの二つの国だけだった。
二つのうちの一つの国は、位階の異なる存在である精霊を分解してエネルギーへと変換して活用する術に長け、もう一つの国は精霊自体を特殊な物資へと封じ込め、電池のように使うという技術を用いていた。
この物質こそが、俺達が巨人の体で見たあの精霊核晶だそうだ。
どちらのやり方も精霊の意思を無視した非道と呼べるものだが、文明のあらゆるところで精霊が活用されている中では、表立って異を唱える声は多くはなかった。
それだけ、人間にとって精霊は倫理観の外にある存在だったともいえる。
消費され続けるエネルギーに対し、供給が追い付かなくなることが懸念され、より強力な精霊を使おうと画策した人類は、長い研究の末に原初の二精霊を顕現させることに成功した。
奇しくも、先に挙げた二大国家がそれぞれ、霧と光の精霊をほぼ同時期に分け合うようにして手中に収める。
霧の精霊を手にした国は、その内包する膨大なエネルギーを計測して歓喜し、すぐさま幽星体を分解する作業に入った。
人間を下等な存在とみていた霧の精霊は、そんな人間が自分の体を傷つけようとしたことに対して激怒し、自然現象を意のままに操る力を存分に振るい、一瞬で件の国とその周辺の国をも巻き込んだ大崩壊が起こされた。
当時その国々で暮らしていた人口約十億人が悉く死に、さらには数年間、崩壊後の土地ではあらゆる生物を死に至らしめるガスが発生し続けたということが、霧の精霊の怒りの大きさと恐ろしさを物語っている。
対して、もう一つの国の方はというと、光の精霊を顕現させたまではよかったが、それまで使っていた精霊を封印する物質、精霊核晶へ封じ込めるという作業ができずにいた。
なぜなら、光の精霊の力があまりにも強力だったからだ。
当時使われていた精霊核晶は、俺達が見たものよりもはるかに純度が低く、サイズも小さいもののため、光の精霊ほどの力を持つ存在を封じ込めるだけの霊的容量というやつが全く足りなかったらしい。
このことに悩み、光の精霊を今すぐどうにか出来ないと判断した人類は、一先ず対話を試みた。
結果としてこれがよかったようで、霧の精霊と違い、光の精霊はとりあえず人類を攻撃したりせず、意外にもここで初めて人類と精霊が対面で意思の疎通を行う歴史的瞬間となった。
それまでの精霊というのは、ただ資源として消費されていくばかりで人類側と言葉を交わすことはなかったのが、この対話に端を発し、次第に人類側は精霊へ対する認識を改めるようになっていく。
すなわち、資源ではなく一個の意思を持った生命として…。
光の精霊もまた、原初の二精霊という立場から人間を見下してはいたが、この対話によって次第に人間というものを理解し、心を通わせていった。
精霊を資源として成り立つ文明に対し、光の精霊が同胞の扱いに怒り狂うかとビクビクしながらも、原初の精霊の貴重な情報を取得するためにあらゆる解析が行われた。
光の精霊は人間側の求めに寛容さをもって応じ、精霊の資源化に対してはあまり苦言を呈することもない、友好的とも言っていい関係は短い期間だが確かに築かれていく。
しかし時代は、終焉へと向かって大きくうねり始めていた。
精霊の資源化技術において、二大巨頭の片割れとされていた国が霧の精霊によって滅ぶと、それによって生み出された混乱は残っていた国同士の間に暗雲をもたらす。
件の国が、保有する全ての技術ごと消滅したことで、精霊の資源化技術は光の精霊を擁する国のみが持つものとなり、いくつかの国が一方的な技術開示を求めて戦争を仕掛けてきた。
当然仕掛けられた国もこれに対抗し、あらゆる技術を用いた戦いが行われると、それに伴って戦火も拡大。
いくつかの国同士の戦争だったものが、いつの間にか全ての国と人類を巻き込んだものへと発展していく。
当初の予定では一年も続かないと目されていた戦争も、二年三年と長引いていった果てに、ついに人類はすべての戦争を終わらせる兵器の投入へと至る。
巨人だ。
俺の知っている巨人は、あのひょろ長い手足と顔のない頭という異形だったが、この時作られた巨人は筋肉質で強靭な手足を備え、巨大な槍と巨大な盾、背中には滅びの雨というのを生み出す鉤状の発振器官を備えた凶悪なものだったそうだ。
「…こうして聞くと、かなり強力な兵器のようだ。俺達が戦った巨人は、随分と弱体化したものだったんだな。しかし、何であんな弱体化してたんだ?」
「その辺りは、あの巨人を封印しようと奮闘した古代の人間の賜だろう。多くの犠牲を払い、危険な器官を削ぎ取り、力を奪おうとあらゆる毒を用いたのだ。封印した後も、力を取り戻さないように場を整えたようだが、結局は人間の手によって解かれたのだから、古代の人間がそれを知ったらどういう顔をするのか見ものだな」
それだけの兵器となれば、動かすのに並のエネルギーでは賄えず、光の精霊を封印した精霊核晶を動力として利用することが決まる。
友好的な関係を築いていた光の精霊を使わなければならないほど、追い詰められていたのか、あるいは厭戦気分がそれを選択させたのだろうか。
皮肉なことに戦争によって技術が一気に発展し、光の精霊を封印できるレベルの精霊核晶が作られることが、巨人を生み出した遠因とも言えなくはない。
結果として、光の精霊が封印された精霊核晶を搭載した巨人は暴走し、敵味方あらゆる人類を攻撃して回り、文明の終わりを引き起こすばかりか、人類は根絶一歩手前まで追い込まれた。
強すぎる力を兵器として自立稼働させてしまった愚かさのいい例だ。
「暴走と一口に言うが、原因はわかっていないのか?」
「そんなことはない。私のいま語っている記憶は、その当時に居合わせた人間や精霊の死後、吸収した際に拾い上げたものだからな。多面的に見た要因を擦り合わせて、大本の原因は割り出している。簡単な話だ。巨人が暴走したのは…」
「暴走したのは?」
「報われぬ愛ゆえに」
「は?愛?」
急に出てきた言葉に、思わず間抜けな顔で返してしまったが、一体どういうことなのか。
詳しく聞けば、光の精霊と対話がなされた際、主に言葉を交わしていたのは一人の男性で、その人物が光の精霊に惹かれて、種族を超えた愛を抱いたという。
だが人間と精霊、種族としての生きる時間も世界も違う以上、結ばれることはなかった。
「こういうのを聞くのもどうかと思うが、光の精霊ってのは美人なのか?」
「さて、人が感じる美醜を私は正確には理解できないので何とも言えないが、当時の人間が言うには、絶世の美女だそうだ。己が手の珠になるなら国を傾けるも一顧だにせずというのも聞いたな」
なんと、そこまでとは。
傾国傾城の美女とでも言おうか。
大昔の地球でいうところの妲己やヘレネーのようなものを想像してしまう。
狙ってかどうかわからないが、人間の男を骨抜きにしたその美貌には少し興味を覚える。
その男は光の精霊を自分だけのものにできないことを当然わかっていたが、それでもどうにか出来ないかと悩みに悩み、そして、その果てに狂ってしまう。
「『この愛が届かないのなら、僕は彼女と一つになろう』と、そう言ってその男は自らの肉体と精神を精霊核晶へと移し、光の精霊とともに巨人の肉体へと宿った。これはその者の独断であり、管理していた国や技術者も一切関与していない。結果として、これがまずかった。元々想定していなかった精霊核晶へ人間が入り込んだことが、巨人の暴走へと繋がったのだ。その際に、件の男の人格も崩壊したらしい。まぁ精霊と人間では精神の強度も深さも比べ物にならないし、当然だ」
精霊用の器に人間が入り込むという、意図していなかった混ざりもので何らかの機能不全を引き起こし、巨人の暴走へと繋がったわけだ。
誤った使い方をしたがために、文明が滅ぶことになったのだから、一人の人間がしでかしたことによる被害の大きさとしては過去最大といっていいのではなかろうか。
「…精霊核晶の中へ人間が入り込むなんてこと、可能なのか?」
「普通は無理だな。精霊と同じ位階に到達するか、肉体を魔力の塊へと変換する魔術を用いるかのどちらかの方法をとれば可能だ。ふむ、そういう意味では丁度君は条件を満たしているぞ」
「は?俺が?…まさか、いつの間にか位階が上がって―」
巨人も倒したし、大量の経験値でレベルアップ的な?
「そんなことはない。君はまだ下等な人間のままだ。五百年早い」
下等て。
しかしそのいいようだと、五百年努力すれば俺は位階が上がるってことにならないか?
まぁその頃にはもう俺は死んでいるだろうが。
「君は自分の体を雷に変えることができるだろう?雷化と呼んでいるらしいが、私が言っている肉体を魔力へ変換するというのはまさにそれだ」
「あぁ、あれか…てことは、その男も雷魔術の使い手だった?」
「そうだ。しかし、ただ雷魔術の使い手だからといって使える技ではない。優れた資質を前提とした弛まぬ研鑽の果てに至る極致とも言われている。君と件の人間は、優れた雷魔術の使い手だったと称賛しよう。誇っていいぞ」
「そりゃどうも。けど、その男と俺を同一視してたから、それであの時、光の精霊は俺を待っていたって言ったのか」
「恐らくはな。幽星体で人を見分けることができる精霊なら、普通の状態であれば君とあの男は違うと気付いていたはずだ。だが、光の精霊自身も長い時間の間に幽星体が消耗しきって、判断力が落ちていた。雷魔術の気配だけでそうと思い込んだのだろう。最後の時に君をここへ送ったのも、自分とともに消滅するよりはと思ったのかもしれん。一人、巻き込まれたのもいるが、そっちは災難だったというしかない」
雷魔術の使い手はレアではあるが全くいないというわけではないらしいし、過去にもいた使い手の一人がその男だったわけか。
先程言われた俺とその男が似ているというのも、雷魔術が共通点の一つとなっているのかもしれない。
しかし、パーラは巻き込まれただけか。
あいつも運が悪かったな。
「ついでに教えておこう。光の精霊とその男だが、実は相思相愛だった。彼女は男とともに歩むために、自ら精霊の位階を捨てようとすら思っていたほどだ。まぁ実際そんなことは無理なんだが、それだけの覚悟があった。だが男の方はともに愛し合っているだけに、結ばれない現実に打ちのめされ…」
「狂ってしまったと」
「ある意味、精霊核晶へと二人で封印されるというのも最良の解決法だったのかもしれない。暴走した以上、失敗だったというしかないが」
よく心中なんかするとき、来世に期待してなどと言うが、人間と精霊ならそれも無理だ。
そもそも生まれ方が違う以上、来世で互いを認識して再び結ばれることなどまずありえない。
その悩みの深さを俺は推測するしかできないが、なんとももの悲しい。
「…詰み、か」
いつの間にか、盤面は終局へと入っており、あと五手で俺の勝ちとなりそうだ。
この男、思ったよりもチェスが弱い。
会話に夢中でチェスを進めていたせいで、思ったよりも早い決着を迎えることになり、質問タイムの終わりが来ることに焦りを覚える。
まだまだ聞きたいことはあるのに、これでは質問することができなくなってしまう。
どうしたものかと唸っている間も、男は駒を動かす手を止めず、あっという間にチェックメイトとなってしまった。
「流石に知っている者のほうが有利か。私の負けだな」
「…まだ俺から聞きたいことはある。できればもう一戦、頼みたい」
終わってしまうのならまた始めればいいと思うのが当然のことで、俺の方から男に提案する。
だが返されたのは横に首を振る否定の姿だ。
「いや、チェスは今はもういい。やるなら後でだ」
「しかし」
「焦るな。質問を受け付けないと言っているのではない。少し歩こう」
そう言って立ち上がり、あたりに広がる星々の中を歩きだした男の背中を追いかける。
奇妙なことに、足元は何もないというのに歩くことはでき、一歩一歩踏み出すごとにちゃんと前に進んでいく感覚のなんと不思議なものか。
どこまでも続く宇宙空間を進んでいたかと思うと、ある瞬間から周りの景色が変わる。
それまでとは一変し、青空と大地、草花がある普通の地上といった様子に、ふと今来た道を振り返るも、背後には宇宙空間など毛ほども見えず、まるで映画のシーンが切り替わったかのようだ。
「どこへ向かっているんだ?」
「曙光の宮という所だ。そこは多くの精霊や神が集まる館だ。そこにパーラがいる。会いたいだろう?」
色々と不穏なキーワードはあったが、パーラがいると言われて俺の気持ちには逸るものが芽生えた。
精霊核晶へ吸い込まれる直前に、運命を共にすると覚悟した相棒だ。
ここに来るまで、全く気にしていないわけがなく、無事な姿を見れるのなら何よりだ。
自然と早くなりそうな足を何とか抑え、遠くに見える豪奢な西洋館といった趣の建物へ向けて歩いていく。
恐らくあそこが曙光の宮とやらか。
危害は加えないとは言われているが、あいつも見知らぬ場所に連れてこられて心細いだろうから早く顔を見せてやりたいものだ。
しかし、精霊と神が集まる館ということは、一種の魔窟と言っても過言ではないだろう。
それだけの場所だ、何があってもいいように精神を強く持っておかねば。
駒も盤も過度な装飾などない、オーソドックスな一揃いではあるが、久しぶりに見ると感慨深いものがある。
日本で普通に暮らしていると、自発的にでなければチェスに触れる機会というのはそうないのだが、異世界ではそもそもこのタイプのチェス自体がないため、前世を思い出して懐かしくなった。
……いや待て。
なんだこれは?
俺は今、どういう状況に置かれている?
簡素なテーブルと椅子、チェス盤が揃ってあるのならば、どこかのサロンだと言われてもおかしくはないが、そうするとこっちの世界ではついぞ見かけることのなかったチェスがあるのがおかしい。
似たような遊戯はあるが、目の前に置かれたまさにそのものというチェスには、地球の文明の匂いを感じてならない。
まさか、俺以外の転生者がコッソリと仕込んだサプライズ的な何かだろうか?
だが、俺の覚えている最後の記憶だと、パーラと一緒に精霊核晶に吸収されて意識を失ったはずだ。
なのに今、俺はチェス盤を前に椅子に腰かけているという状況は、奇妙を通り越して異常だと言ってもいい。
衣服も直前まで着ていたものではなく、白一色のトーガのようなものに変わっており、ここが死後の世界だと言われても納得できそうな趣がある。
「君の番だ。打たないのか?」
そう声をかけられ、初めて対面に座る誰かの姿に気付く。
俺と同じ様に椅子へ腰かけ、気だるげな目を向けて来るのは、同じくトーガ風の衣装をまとった一人の男だ。
見た目的には恐らく俺と歳はそう変わらず、顔だちは堀の深さがゲルマン系を思わせる感じで、焦げ茶色の髪の毛が波を打つようにして後ろへ撫でつけられている様は、別段珍しいものではないのだが、その目だけは珍奇な色を宿している。
本来は黒目に当たる部分の色が、赤と金と白がマーブル状に混ざった模様のように見え、しかも光の加減ではとうてい説明できないレベルで、三色の割合が常に変化している。
この世界での魔眼も普通と比べれば変わっているが、ここまでのものとなればいっそ異色も過ぎるというもの。
俺も今までいろんな種族を見てきたが、こんな変わった目を持った人間は初めて見た。
「…ふむ、チェスはあまり好きではないのかな?いや、実は私もこのチェス盤に触るのは初めてなんだ。なにせ、もう何万年も打ち手がいないまま放置されていたものでね。前任者からは好きにしていいと言われているが、この手の遊戯はやはり本場の人間を相手にしないと面白くない。だから君がこっちに来たこのを機に席を用意してみたのだが…いかんな、少し気が逸っていたようだ」
穏やかで親し気な口調で話しかけてくる目の前の男は、何やら俺にはよくわからないことを口にしているようで、それについて尋ねようとしたところ、俺は自分の口が開かず、喉を使っての発声もできなかった。
それどころか、椅子に腰かけたままの俺の体も身じろぎすらできない。
自分の体が自分のものではないようなその感覚に、精霊核晶に吸収された際に肉体のあらゆる機能を失ったのではないかという恐怖がよぎる。
まるで脳死状態の自分が、意識だけは覚醒しているような…。
「人間というのは実に面白い。あらゆる戦術が成り立つ戦いを、この小さな盤面の中に凝縮した遊戯を生み出す発想たるや、力任せに世界の全てを動かせる神々では考えつくことはまずできん。そうは思わないか?……さっきから私ばかりが喋っていてつまらんな。私は君と会話を楽しみたいのだがね」
溜息と共にそう言われるが、そもそも声が出ないのだから会話もくそもない。
勝手なことばかり言う男を、ちょっとした抗議の意味も込めて睨むように見てやる。
「ん?あぁ、そうか、喋れないのか。いやこれは悪かった。てっきり君なら肉体の位相も確たるものとすると思っていた。いやはや、あれだけの力を持ちながら、まだ普人種の域を出ないとはむしろ驚くべきことではあるな。そら、これで体の支配権は君に戻されただろう」
「……ぁ、お?おぉ、声…が」
男がパンと手を叩くと、それまでまったく自由にならなかった俺の口が動かせるようになり、合わせて声も出た。
試しにと上げた右手も、全く問題なく動かせる。
このことからもわかるが、手を叩くだけで俺の体に自由を取り戻させたこの男は、まず間違いなく超常の存在だと見ていい。
多少力のある魔術師程度が、この不可解な現象を生み出すことも解消することも出来はしないという、俺の確信に近い勘が囁いている。
「さあ、これで君も好きに動けるだろう。どうだ?一手付き合わないか?ん?」
体の調子を確認している俺に駒を掲げて誘いを寄こす男は、まだチェスを打つのを諦めていないのか、遠足前の子供のような楽し気な雰囲気を感じさせる。
あれだけの力を見せた相手だ。
下手に機嫌を損なうのは得策ではなく、これは付き合わないという選択肢は取れない。
「…まぁ構わないが、その前に俺の質問に答えて欲しい」
「よかろう。ただし、三手だ。君が三手打つごとに一つの質問を対価とする。恐らく、君の問いには余すことなく答えられるが、よりたくさんの聞きたいことがあるのならば打つ手をとめないことだ」
「どんだけチェスを打ちたいんだよ。わかった、それでいい」
「よし、ならば早速始めるぞ。黒の駒はお前にやるから、そっちが先手だ」
ウキウキといった表現がこうも似合うかという様子でチェス盤をセットする男に、先程の超常的な力を見せた時のような不気味さはもう感じられない。
コッコッという駒を置く音が辺りに響く。
俺はチェスが得意という訳ではないが、それでも最低限、ルールぐらいは知っているので、駒の動かし方に迷うことは無い。
対戦する男も、ルールは分かっているようで、楽し気に駒を動かしている。
今気付いたが、俺達が座っている椅子とテーブル以外、周囲の光景は宇宙空間そのものだ。
暗闇の中に大小の星や塵、ガスのようなものがそこかしこで光を放ち、宇宙服を着ていないこと以外は、紛れもなく宇宙にいると思わせる材料が揃っている。
三手打ち、まずは最初の質問を口にできる。
「教えてくれ。ここはどこで、あんたは誰なんだ?」
「それは二つの質問がくっついているな。一つずつと言ったろう?」
ちっ、バレたか。
あわよくば質問の数をごまかそうと思ったが、そうはいかないようだ。
「まずはここがどこかというのから教えよう。ここは『無窮の座』。君達定命の存在から見た、高位階の者達が住まう場所だ。こちらを天界、君達の生きる世界を下界と呼ぶこともあるがね」
可能性の一つとして考えていたあの世ではないと知り、一先ず安堵を覚えるが、まだよくわからない場所にいるということには変わりはない。
「高位階?精霊とかか?」
「精霊もいるし、亜神も英霊も、現世での依り代や寄る辺を持たない者は皆ここにいる。普通の人間では形を保ったままでは来れない場所だ」
精霊と亜神はともかく、英霊というのは初めて聞くな。
意味自体はなんとなく分かる。
恐らくは人々から信仰を捧げられるほどの功績を積んだ人間とかだろう。
「…俺は?自慢じゃないが、俺は何の変哲もない普通の人間だぞ」
「君が普通だとしたら、私は人間というものを初めて見たことになるな。まぁいい。君…いや君達は少し事情が特殊だ。どちらかというと、招待されてそこにいると思ってくれ」
「招待って誰に―いや、それよりも俺達?まさか、パーラもここにいるのか!?」
「質問は一つずつと言った。先のは最初の質問ということで少し色を付けたが、その問いに答えて欲しければ三手打つのだな」
コンと甲高い音をたて、俺のポーンが弾かれ盤外へ転がり出た。
ゲームはまだまだ続くようだ。
一つずつという割にはさっきは結構答えてくれていたようだが、それは質問への補足のようなものだったらしく、流石にパーラのことを尋ねるのは別の質問と見なされてしまったようだ。
仕方なくまた駒を動かし、三手打って次の質問タイムが訪れる。
「で?パーラもここにいるのか?」
焦りで口がもつれそうになるのを抑えつつ、改めてパーラの所在を尋ねる。
今いるのが死後の世界でないとすれば、パーラも俺もとりあえず生の終焉を迎えてはおらず、また共に生きていけることへの期待を抱いてしまう。
「ああ、いるぞ。ただ、私達とはまた別のところにだがね。…心配するな。危害を加えたりといったことはない。それどころか、今頃はいたく歓迎されているだろうよ」
一瞬、人質かもしくはひどい目にあわされているのかということが頭をよぎったが、それを口に出すよりも先に男に否定された。
「歓迎?なんで、誰に?」
「…何度も言わせるな。質問は―」
「ひとつずつってんだろ。分かってる。ほら、次はあんたが打て」
言わんとしていることを先回りし、同時に自分の駒も動かして向こうの手番を促す。
条件として飲んでおいて今更だが、質問とゲームを同時進行でやらなければならないこの状況に早くも辟易して来た。
面倒なやり方を引き受けたさっきの俺がバカだったと、今になってちょっと後悔している。
ある程度相手の実力を見ながら、ゲームが長引くように調整しつつ、三手使ったところで次の質問の機会が来た。
「あんたは何者だ?少なくとも普通の人間じゃないってのはわかる。そもそもここは普通の人間がいないってんだから当たり前だが、それにしたって正体が分からん」
「私の正体ね…。さて、なんと答えるべきか。別に言えないことがあるというわけではないんだが、説明が難しい。かつて私を指した言葉には楽園の偽王、魂の織り手というのもあった。しかしあえて言うなら…」
「言うなら?」
一瞬言い淀み、軽く伏せた目が再び前を向いた時、マーブル状の瞳が俺を捉える。
「星の意思…というのが君にはわかりやすいか」
その言葉で、心臓が大きな鼓動を一つ打つ。
以前大地の精霊と話したときも出てきたが、この世界では星の意思と呼ばれる人知を超えた何かが、生命と魂の循環を担っている。
人間側も星の意思に類する超常現象については薄々気づいており、呼び名は違えどそういったものを研究する者も少なからずいた。
未だ分かっていないことのほうが圧倒的に多い星の意思。
それを名乗る存在が目の前にいて、普通の精神状態を保てる人間がいるだろうかいやいない。
ゲボ吐きそう。
「俺はその星の意思ってのはよくわからんが、この星自身が人の形をとって目の前にいると解釈していいのか?」
「君が知覚しているこの姿は、対話がしやすいように用意した、いわば代理の幽星体だ。確かにその表現は正しいが、これが私の全てではないとだけは言っておこう」
大地の精霊の時もそうだったが、強い力を持った存在はこういった端末を使って会話をしたがる節がある。
伝承なんかでもが人や動物の姿をとって現れるというものは多いが、相対する相手に影響がない程度に力を抑えようという配慮からかもしれない。
「…今更なんだが、その星の意思ってのは一体何なんだ?精霊からそういうのがあると聞いてから、俺なりにもいろいろと調べてみたが、詳しいことはわからなかった」
「ふむ、それに関しては君に資格があるかどうかによるな。アンディ、ユーディーンはなぜ泣いた?」
「は?ユーディーン?」
急に言われ、何のことかわからないでいると、男はフーと長い溜息を吐く。
「そう返している時点で、君は資格を有していないということだ。私の口から星の意思についてこれ以上は語れないな」
何らかの符丁か、あるいは研究者ならば答えられる何かが今の問いにあったようで、それを外した俺は目の前の存在から星の意思についての詳しい情報を引き出すことはできなくなった。
資格の有無を問われた以上、この先は自力で探求しろと言われているようなもので、この話はとりあえず一旦脇に置くとしよう。
チェスの駒を動かしながら、次に聞くことを頭の中で整理していく。
「じゃあ次だ。俺をここに連れてきたのはあんたか?」
「いいや、違う。光の精霊だ」
やはりか。
最後の記憶で、光の腕が俺達を捕まえていたことから考えると、あれが光の精霊の仕業だとするならば、こうしてここにいることの原因も自ずと知れよう。
「すでに光の精霊はその存在が完全に失われた。今は星をめぐる大いなる渦の中で、再び生まれるのを待つだけとなっている。その光の精霊が、最後の力で君達を私のもとへと送ったのだ」
「なんでそんなことを?」
「さてな。封印から解放してくれたことに感謝して、ここへ送り出したというのも考えられるが、真意を知るにはもう遅い」
原因を作った当人が存在を失い、話を聞くこともできなくなってしまっては、俺達が連れてこられた理由は謎のままだ。
「あぁ、そういえば、その光の精霊に捕まって意識を失う直前、声を聴いたんだが」
「ほう?どんな?」
「女の声で『待っていた、私はただ』とかなんとか」
途切れ途切れでかろうじて聞き取れた程度だが、確かに女の声でそう言われた。
覚えている感じだと、渇望と安堵が混在したような奇妙さはあったが、それだけ感情のこもった言葉だともいえる。
「それは…光の精霊が言ったので間違いないだろう。しかし、待っていた、か。どうやら君の在り方に、あの者を重ねていたようだな。ふむ、そう考えれば君と彼を同一視するのも納得だな」
「あの者?」
一人納得したかのように頷く男に対し、俺の方は何のことやらわからない状態であり、ここで新たに表れた第三の存在についても聞かないわけにはいかない。
「君は光の精霊が巨人に封印された経緯は聞いているのだったな?」
「ああ、大地の精霊からざっと」
「誰が精霊核晶に光の精霊を封印したかは?」
「いや、それは聞いていない」
「そうか、ではまずはそこから話すとしよう。かつて光の精霊と心を通わせ、その果てに自由を奪った一人の人間のことをな」
淡々とした口調ながら、その奥に複雑な思いが籠っている男の言葉に、これから聞かされる話が一体どんなものか、期待と怖さを同時に抱かされる。
人類が発展と滅亡を幾度も繰り返した歴史の中、最も栄えたといわれる文明の中で、精霊をエネルギーとして利用するおぞましくも強大な技術が生み出された時代があった。
最初は力の弱い精霊になりかけのような存在を、人間側が多数の犠牲と引き換えに捕獲していたものが、積み重ねられた教訓と技術により、大精霊と呼ばれるほどのものすら捕獲できるまでになっていた。
「少し聞きたい。大精霊とは?」
ここで気になる言葉が出てきたため、男の話を遮って尋ねる。
俺の知る限り、大精霊というのは今初めて耳にしたはず。
「精霊と一口に言っても、その中でいくつかに分けられる。いずれ精霊へと至ることを嘱望される亜精霊、君達が想像するところの精霊、そして、あらゆる概念を象徴する大精霊といった具合だ」
亜精霊というのは耳にしたことはあるが、一口に精霊といってもそこまで分類があるとは。
このあたり、大地の精霊から聞かされた話にはなかったものだが、初めて聞く俺達が混乱しないようにか、あるいはあの時点では言う必要がないとでも思ったのか。
「光の精霊もその大精霊に?」
「いや、あれは原初の精霊の一つだからな。別格だ」
精霊自体が神として見られることは多いが、その中でも別格となればもう何と呼んだらいいのかわからない。
超神とかか?…ないな。
とりあえず聞きたいことは聞けたので、話はもとに戻る。
大精霊を資源として活用し、件の文明は更なる発展を遂げた。
極まった文明は生命の構造と可能性を自在に操り、長命種以外の寿命すらも果てしなく伸ばすことに成功したという。
まさに栄華を極めたといっていい文明だったが、人間というのはなんとも愚かなもので、発展した文明の中でも争いを企み、約束された破滅へジワリと進みだす。
切っ掛けはなんだったか、シンプルにたった一つのようでもあり複合的な要素でもあり、今でも一概にこうとは言えないが、やはり発端は原初の二精霊を捕らえようとしたことだろう。
当時、精霊をエネルギー資源として使う技術を確立していたのは数多ある国家の中で大国として数えられるうちの二つの国だけだった。
二つのうちの一つの国は、位階の異なる存在である精霊を分解してエネルギーへと変換して活用する術に長け、もう一つの国は精霊自体を特殊な物資へと封じ込め、電池のように使うという技術を用いていた。
この物質こそが、俺達が巨人の体で見たあの精霊核晶だそうだ。
どちらのやり方も精霊の意思を無視した非道と呼べるものだが、文明のあらゆるところで精霊が活用されている中では、表立って異を唱える声は多くはなかった。
それだけ、人間にとって精霊は倫理観の外にある存在だったともいえる。
消費され続けるエネルギーに対し、供給が追い付かなくなることが懸念され、より強力な精霊を使おうと画策した人類は、長い研究の末に原初の二精霊を顕現させることに成功した。
奇しくも、先に挙げた二大国家がそれぞれ、霧と光の精霊をほぼ同時期に分け合うようにして手中に収める。
霧の精霊を手にした国は、その内包する膨大なエネルギーを計測して歓喜し、すぐさま幽星体を分解する作業に入った。
人間を下等な存在とみていた霧の精霊は、そんな人間が自分の体を傷つけようとしたことに対して激怒し、自然現象を意のままに操る力を存分に振るい、一瞬で件の国とその周辺の国をも巻き込んだ大崩壊が起こされた。
当時その国々で暮らしていた人口約十億人が悉く死に、さらには数年間、崩壊後の土地ではあらゆる生物を死に至らしめるガスが発生し続けたということが、霧の精霊の怒りの大きさと恐ろしさを物語っている。
対して、もう一つの国の方はというと、光の精霊を顕現させたまではよかったが、それまで使っていた精霊を封印する物質、精霊核晶へ封じ込めるという作業ができずにいた。
なぜなら、光の精霊の力があまりにも強力だったからだ。
当時使われていた精霊核晶は、俺達が見たものよりもはるかに純度が低く、サイズも小さいもののため、光の精霊ほどの力を持つ存在を封じ込めるだけの霊的容量というやつが全く足りなかったらしい。
このことに悩み、光の精霊を今すぐどうにか出来ないと判断した人類は、一先ず対話を試みた。
結果としてこれがよかったようで、霧の精霊と違い、光の精霊はとりあえず人類を攻撃したりせず、意外にもここで初めて人類と精霊が対面で意思の疎通を行う歴史的瞬間となった。
それまでの精霊というのは、ただ資源として消費されていくばかりで人類側と言葉を交わすことはなかったのが、この対話に端を発し、次第に人類側は精霊へ対する認識を改めるようになっていく。
すなわち、資源ではなく一個の意思を持った生命として…。
光の精霊もまた、原初の二精霊という立場から人間を見下してはいたが、この対話によって次第に人間というものを理解し、心を通わせていった。
精霊を資源として成り立つ文明に対し、光の精霊が同胞の扱いに怒り狂うかとビクビクしながらも、原初の精霊の貴重な情報を取得するためにあらゆる解析が行われた。
光の精霊は人間側の求めに寛容さをもって応じ、精霊の資源化に対してはあまり苦言を呈することもない、友好的とも言っていい関係は短い期間だが確かに築かれていく。
しかし時代は、終焉へと向かって大きくうねり始めていた。
精霊の資源化技術において、二大巨頭の片割れとされていた国が霧の精霊によって滅ぶと、それによって生み出された混乱は残っていた国同士の間に暗雲をもたらす。
件の国が、保有する全ての技術ごと消滅したことで、精霊の資源化技術は光の精霊を擁する国のみが持つものとなり、いくつかの国が一方的な技術開示を求めて戦争を仕掛けてきた。
当然仕掛けられた国もこれに対抗し、あらゆる技術を用いた戦いが行われると、それに伴って戦火も拡大。
いくつかの国同士の戦争だったものが、いつの間にか全ての国と人類を巻き込んだものへと発展していく。
当初の予定では一年も続かないと目されていた戦争も、二年三年と長引いていった果てに、ついに人類はすべての戦争を終わらせる兵器の投入へと至る。
巨人だ。
俺の知っている巨人は、あのひょろ長い手足と顔のない頭という異形だったが、この時作られた巨人は筋肉質で強靭な手足を備え、巨大な槍と巨大な盾、背中には滅びの雨というのを生み出す鉤状の発振器官を備えた凶悪なものだったそうだ。
「…こうして聞くと、かなり強力な兵器のようだ。俺達が戦った巨人は、随分と弱体化したものだったんだな。しかし、何であんな弱体化してたんだ?」
「その辺りは、あの巨人を封印しようと奮闘した古代の人間の賜だろう。多くの犠牲を払い、危険な器官を削ぎ取り、力を奪おうとあらゆる毒を用いたのだ。封印した後も、力を取り戻さないように場を整えたようだが、結局は人間の手によって解かれたのだから、古代の人間がそれを知ったらどういう顔をするのか見ものだな」
それだけの兵器となれば、動かすのに並のエネルギーでは賄えず、光の精霊を封印した精霊核晶を動力として利用することが決まる。
友好的な関係を築いていた光の精霊を使わなければならないほど、追い詰められていたのか、あるいは厭戦気分がそれを選択させたのだろうか。
皮肉なことに戦争によって技術が一気に発展し、光の精霊を封印できるレベルの精霊核晶が作られることが、巨人を生み出した遠因とも言えなくはない。
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「暴走と一口に言うが、原因はわかっていないのか?」
「そんなことはない。私のいま語っている記憶は、その当時に居合わせた人間や精霊の死後、吸収した際に拾い上げたものだからな。多面的に見た要因を擦り合わせて、大本の原因は割り出している。簡単な話だ。巨人が暴走したのは…」
「暴走したのは?」
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「は?愛?」
急に出てきた言葉に、思わず間抜けな顔で返してしまったが、一体どういうことなのか。
詳しく聞けば、光の精霊と対話がなされた際、主に言葉を交わしていたのは一人の男性で、その人物が光の精霊に惹かれて、種族を超えた愛を抱いたという。
だが人間と精霊、種族としての生きる時間も世界も違う以上、結ばれることはなかった。
「こういうのを聞くのもどうかと思うが、光の精霊ってのは美人なのか?」
「さて、人が感じる美醜を私は正確には理解できないので何とも言えないが、当時の人間が言うには、絶世の美女だそうだ。己が手の珠になるなら国を傾けるも一顧だにせずというのも聞いたな」
なんと、そこまでとは。
傾国傾城の美女とでも言おうか。
大昔の地球でいうところの妲己やヘレネーのようなものを想像してしまう。
狙ってかどうかわからないが、人間の男を骨抜きにしたその美貌には少し興味を覚える。
その男は光の精霊を自分だけのものにできないことを当然わかっていたが、それでもどうにか出来ないかと悩みに悩み、そして、その果てに狂ってしまう。
「『この愛が届かないのなら、僕は彼女と一つになろう』と、そう言ってその男は自らの肉体と精神を精霊核晶へと移し、光の精霊とともに巨人の肉体へと宿った。これはその者の独断であり、管理していた国や技術者も一切関与していない。結果として、これがまずかった。元々想定していなかった精霊核晶へ人間が入り込んだことが、巨人の暴走へと繋がったのだ。その際に、件の男の人格も崩壊したらしい。まぁ精霊と人間では精神の強度も深さも比べ物にならないし、当然だ」
精霊用の器に人間が入り込むという、意図していなかった混ざりもので何らかの機能不全を引き起こし、巨人の暴走へと繋がったわけだ。
誤った使い方をしたがために、文明が滅ぶことになったのだから、一人の人間がしでかしたことによる被害の大きさとしては過去最大といっていいのではなかろうか。
「…精霊核晶の中へ人間が入り込むなんてこと、可能なのか?」
「普通は無理だな。精霊と同じ位階に到達するか、肉体を魔力の塊へと変換する魔術を用いるかのどちらかの方法をとれば可能だ。ふむ、そういう意味では丁度君は条件を満たしているぞ」
「は?俺が?…まさか、いつの間にか位階が上がって―」
巨人も倒したし、大量の経験値でレベルアップ的な?
「そんなことはない。君はまだ下等な人間のままだ。五百年早い」
下等て。
しかしそのいいようだと、五百年努力すれば俺は位階が上がるってことにならないか?
まぁその頃にはもう俺は死んでいるだろうが。
「君は自分の体を雷に変えることができるだろう?雷化と呼んでいるらしいが、私が言っている肉体を魔力へ変換するというのはまさにそれだ」
「あぁ、あれか…てことは、その男も雷魔術の使い手だった?」
「そうだ。しかし、ただ雷魔術の使い手だからといって使える技ではない。優れた資質を前提とした弛まぬ研鑽の果てに至る極致とも言われている。君と件の人間は、優れた雷魔術の使い手だったと称賛しよう。誇っていいぞ」
「そりゃどうも。けど、その男と俺を同一視してたから、それであの時、光の精霊は俺を待っていたって言ったのか」
「恐らくはな。幽星体で人を見分けることができる精霊なら、普通の状態であれば君とあの男は違うと気付いていたはずだ。だが、光の精霊自身も長い時間の間に幽星体が消耗しきって、判断力が落ちていた。雷魔術の気配だけでそうと思い込んだのだろう。最後の時に君をここへ送ったのも、自分とともに消滅するよりはと思ったのかもしれん。一人、巻き込まれたのもいるが、そっちは災難だったというしかない」
雷魔術の使い手はレアではあるが全くいないというわけではないらしいし、過去にもいた使い手の一人がその男だったわけか。
先程言われた俺とその男が似ているというのも、雷魔術が共通点の一つとなっているのかもしれない。
しかし、パーラは巻き込まれただけか。
あいつも運が悪かったな。
「ついでに教えておこう。光の精霊とその男だが、実は相思相愛だった。彼女は男とともに歩むために、自ら精霊の位階を捨てようとすら思っていたほどだ。まぁ実際そんなことは無理なんだが、それだけの覚悟があった。だが男の方はともに愛し合っているだけに、結ばれない現実に打ちのめされ…」
「狂ってしまったと」
「ある意味、精霊核晶へと二人で封印されるというのも最良の解決法だったのかもしれない。暴走した以上、失敗だったというしかないが」
よく心中なんかするとき、来世に期待してなどと言うが、人間と精霊ならそれも無理だ。
そもそも生まれ方が違う以上、来世で互いを認識して再び結ばれることなどまずありえない。
その悩みの深さを俺は推測するしかできないが、なんとももの悲しい。
「…詰み、か」
いつの間にか、盤面は終局へと入っており、あと五手で俺の勝ちとなりそうだ。
この男、思ったよりもチェスが弱い。
会話に夢中でチェスを進めていたせいで、思ったよりも早い決着を迎えることになり、質問タイムの終わりが来ることに焦りを覚える。
まだまだ聞きたいことはあるのに、これでは質問することができなくなってしまう。
どうしたものかと唸っている間も、男は駒を動かす手を止めず、あっという間にチェックメイトとなってしまった。
「流石に知っている者のほうが有利か。私の負けだな」
「…まだ俺から聞きたいことはある。できればもう一戦、頼みたい」
終わってしまうのならまた始めればいいと思うのが当然のことで、俺の方から男に提案する。
だが返されたのは横に首を振る否定の姿だ。
「いや、チェスは今はもういい。やるなら後でだ」
「しかし」
「焦るな。質問を受け付けないと言っているのではない。少し歩こう」
そう言って立ち上がり、あたりに広がる星々の中を歩きだした男の背中を追いかける。
奇妙なことに、足元は何もないというのに歩くことはでき、一歩一歩踏み出すごとにちゃんと前に進んでいく感覚のなんと不思議なものか。
どこまでも続く宇宙空間を進んでいたかと思うと、ある瞬間から周りの景色が変わる。
それまでとは一変し、青空と大地、草花がある普通の地上といった様子に、ふと今来た道を振り返るも、背後には宇宙空間など毛ほども見えず、まるで映画のシーンが切り替わったかのようだ。
「どこへ向かっているんだ?」
「曙光の宮という所だ。そこは多くの精霊や神が集まる館だ。そこにパーラがいる。会いたいだろう?」
色々と不穏なキーワードはあったが、パーラがいると言われて俺の気持ちには逸るものが芽生えた。
精霊核晶へ吸い込まれる直前に、運命を共にすると覚悟した相棒だ。
ここに来るまで、全く気にしていないわけがなく、無事な姿を見れるのなら何よりだ。
自然と早くなりそうな足を何とか抑え、遠くに見える豪奢な西洋館といった趣の建物へ向けて歩いていく。
恐らくあそこが曙光の宮とやらか。
危害は加えないとは言われているが、あいつも見知らぬ場所に連れてこられて心細いだろうから早く顔を見せてやりたいものだ。
しかし、精霊と神が集まる館ということは、一種の魔窟と言っても過言ではないだろう。
それだけの場所だ、何があってもいいように精神を強く持っておかねば。
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小説家になろうでも連載中です。
なろうの方が話数が多いです。
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次は幸せな結婚が出来るかな?
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