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丘合いの陣地にて
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迷宮で見つかった巨人が地上に出てきて暴れるようになってから、今日で十六日目になる。
最初に巨人を見つけたのはライオ達で、それなりに被害を出しつつも命からがら迷宮を脱出し、ギルドへとありのままを報告した。
当初、巨人のサイズから迷宮の狭い通路を抜けるのは不可能だと考え、対応にはゆとりを持って臨むつもりだったが、わずか二日で巨人は迷宮を掘り進み、本来の迷宮の出口ではない場所から外へと飛び出してきた。
元々イアソー山は岩盤と土砂で山肌の厚さは相当なものだったが、少し前にとあるバカ貴族が土砂崩れを誘発してくれたせいで、たまたま巨人が掘り進んだ先がその薄くなった山肌だったのも災いしたようだ。
想定外の事態に、イアソー山麓の各ギルド出張所では緊急事態を発令。
非戦闘員は直ちに退避し、冒険者を始めとした戦う術のある者達は巨人の迎撃へと動く。
出現位置は山の中腹辺りで、ほとんどの戦力が麓付近にあったことから、巨人が攻撃可能な位置まで下山するのを待って仕掛けたが、巨大な足の一振りと長大な腕の二振り、都合三度の攻撃で戦力が激減する被害を受けてしまう。
急ごしらえの戦力だったとはいえ、一度のぶつかり合いで迎撃部隊は人員の約一割を喪失し、それに脅威を覚えた現場のお偉いさん達は、急ぎアシャドル王国への救援と並行して他国へも支援要請を出した。
この辺り、荒事に慣れたはずの人間が巨人にあっさりと蹴散らされた光景が、アシャドル王国の軍隊だけでは心細いと判断させたようだ。
国のメンツや責任問題などで躊躇わず、ギルドの遠距離通信に頼れたのは、現場にいたトップ達がセインを始めとして柔軟で正しい判断をできる人間だったおかげだろう。
実際、俺はまだ巨人の戦闘能力を正しくは知らないが、あのサイズが攻撃をしてくると考えれば、こちらもガ〇ダムが欲しくなる。
迎撃部隊は大きな被害を受けたことで一度後退するが、巨人はそれらを無視して、今では麓街と呼ばれるかつての物資集積所へと攻撃を仕掛ける。
幸い、巨人の出現により早期に出された退避勧告のおかげで、ここでは建物以外は大きな被害も出なかったが、陣地の防衛行動をとらなかったことで指揮所としての機能は完全に喪失された。
そのまま巨人は暴れ続けるかと思われたが、冬特有の厚い雲によって日が遮られると、奇妙なことに巨人は休眠状態となり、その隙をついて別の場所に対巨人の前線基地を作ることが出来たという。
この時麓街にいた人間は、重傷者以外は全員がこの前線基地へと移っている。
「それがここ、丘合いの陣地というわけなの」
長々とイアソー山で起きたことの経緯を語り、セインは疲れが籠った溜息を吐き出すと、椅子の背もたれへと体重を預ける。
頑丈そうな木の椅子が立てるギシリという音は、彼女の肩にかかる重圧をそのまま表しているようにも感じた。
実際、今日までの苦労はかなりのもののようで、顔には深い疲労の色が見てとれる。
ここは陣地の中にある一際大きいテントで、巨人への対処についての会議を行う場所でもあるそうだ。
そんな場所だけあって、円卓風の巨大なテーブルを囲むようにして椅子が並んでおり、その一つを勧められて俺も座っている。
セインとの再会の後、久しぶりに会ったのだし場所を変えて少し話したいとここへ誘われ、俺が知りたいこの地での諸々の経緯を教えてもらった。
飛空艇の方は陣地の中に停泊スペースを急ぎ作ってくれており、そこをそのまま先遣隊の宿営地として借りることにもなった。
アルベルトは自分達のテントを設営したらここへ来るとのこと。
「なるほど。突発的な戦いだったそうですが、見たところこの陣地には物資も人も十分なようです。よく巨人と戦いながらこれだけの陣地を築けましたね」
初戦では被害も大きかったが、それでもこうして陣地が構築できるくらいには上手く立ち回っている事実は、セインの手腕によるところも決して小さくないはずだ。
「そこは退避命令が迅速に出されたおかげね。元々地揺れの可能性を考えて撤収しやすい体制にもしてたのよ。もっとも、あの巨人が太陽の光がなければ動かないって突き止めてなければ、ここまでの物資は持ち出せなかったでしょうけど」
「あ、やっぱりあれってそういうことなんですね。それに気付いたのは誰だったんですか?」
「最初に気付いたのはガイバさんだったわね。その後、他の冒険者達にも確認させて断定したのよ」
そのよくわからない習性のおかげで、残存していた戦力でも、よそからの援軍がやって来るだけの時間を稼げたわけだ。
聞けばここ何日かは、分厚い雲で太陽が遮られた日が多かったそうで、それも巨人の進撃を妨げた一因だろう。
「なぜ太陽の光がなければ活動できないか、その理由については?」
「さあ?そこまでは」
光の精霊云々はグバトリア達がアシャドル側に開示するか決めるそうなので、その情報がセインにまで下りて来るかは分からないため、太陽光を活動エネルギーとしている説の裏付けとなるところまでは流石に思い至らないようだ。
「そういえば、そのガイバさんはどちらに?ここの陣地内にはいるんですよね?」
麓ではセインと並んで幅を利かせていたガイバが、飛空艇の登場にすっ飛んでこなかったのは不思議に思っていた。
他のことで忙しかったとしても、顔ぐらいは見せると思っていたのだがな。
「彼は今ここにはいないわ。ガイバさんは巨人迎撃の時に、部隊の指揮を執って前線にいたの。けど、部隊を後退させる際、運悪く…」
痛ましい表情をするセインに、その時ガイバの身に何があったのかを悟った。
責任者としては真っ当な為人のガイバなら、部隊の後退時に殿を務めるぐらいはしそうだ。
「…そうですか。惜しい人を亡くしましたね」
「え?彼、死んでないわよ?」
哀悼の意を口にした俺に、キョトンとした顔でセインがあっさりと否定してきた。
「え?いやでも、今運悪くって」
「そう、派手に転んじゃって、腰を痛めちゃったのよ。それで後方送りにね」
俺のしんみりを返して。
なんだ、てっきり『運悪く命を落とした』とかだと思ったのに、腰をやっただけかよ。
詳しく聞くと、元々デスクワークで体が鈍っていた所に、突然の戦闘指揮で体に無理がでて派手に転んでしまったそうだ。
命に別状はなく、しかし激しい運動は難しいということで、ここを離れて静養させることとなった。
「本人は這ってでも指揮を執ると言っていたけど、流石にそれはね。ただ、ここに陣地を構えてからはガイバさんを残すべきだったと後悔してるわ。私ひとりじゃ全く手が足りないもの」
文官としては有能なセインだが、その下に着く人間すべてが有能であるとは限らず、人材不足に悩んでいるようだ。
考えてみれば、ガイバは聖鈴騎士でありながら商人ギルドでもそこそこ偉い地位にいる。
他国にまで派遣されるあたり、彼個人の能力の高さがうかがい知れるが、セインが嘆くほどに今この地ではガイバクラスの指揮官が不足しているのかもしれない。
「失礼、こちらにセイン殿がおられると聞いて参ったのだが」
そんな風に話をしていると、アルベルトがテントの中に入ってきた。
ここでの責任者にあたるセインに着任の挨拶でもしにきたのか、ちゃんと鎧と剣を身に着けた、騎士としての正装をしている。
「あら、ソーマルガから来た方かしら?どうぞこちらへ」
「は、では」
セインに勧められ、アルベルトも椅子に座る。
ここにアシャドルとソーマルガ、双方の現場指揮官が揃ったことになるが、二人はまだ互いに名乗り合ってはいないので、ここで自己紹介をすることとなった。
「名前は知ってるみたいだけど改めて、アシャドル王国内務尚書付き上級監査官のセインです」
何やら長々とした役職名を口にしたが、そういえばセインの正式な役職を知るのはこれが初めてだった。
派遣された先で一時的に名乗る役職は耳にする機会もあったが、こうして正式な名乗りを聞くと、一層偉く見えるのだから不思議だ。
「これはご丁寧に。私はソーマルガ皇国第一近衛騎士団副団長、アルベルト・ジャール・ミルリッグと申します。ソーマルガより支援のため、先遣隊200名の長として参りました」
流石は栄えある近衛騎士だけあって、言葉を飾らず名乗り返すアルベルトの姿は堂に入ったものだ。
「…この危急の折、ソーマルガ皇国の近衛騎士が駆けつけてくださるのはまことに心強い。先遣隊ということは、まだ後続の支援はあるということでしょうか?」
「勿論です。我が隊はあくまでも即応可能な人員で構成されているにすぎませんが、数日遅れでやって来る本隊には、二千の精兵が配されることとなっております」
「二千!それほどの数をよくぞ…」
その数に驚くセインだが、それには俺も同じ気持ちだ。
会議では千人を送るという話だったが、いつの間にか二千まで膨れ上がっているとは。
これは恐らく、光の精霊のことを聞いたグバトリアの決意からだろう。
「それだけ此度の事態を重く見ているのです。なお、本隊も飛空艇で参りますので、その停泊場所の選定も後程ご相談したく」
「そうですね。それだけの兵となれば、どれほどの数の飛空艇でやってくるか…」
「あぁ、いえ、やってくる数で言えば一隻のみですな」
セインが飛空艇のことをどれだけ知っているかわからないが、俺の飛空艇を基準にすれば大量の数が飛来する光景を想像したはず。
しかしアルベルトにこう言われセインは首を傾げるが、俺は薄々気付いていたことを確認のためにも口に出してみる。
「なるほど、ソーマルガ号を動員したんですね?」
「そうだ。流石にそれだけの規模となれば、中型や小型の飛空艇でチマチマ運べる数ではないからな。特別に今回、陛下の一声で使用許可が出されたのだ」
輸送力で見れば、この世界でのソーマルガ号はトップクラスと言っていい。
二千人もの人間とそれを支える物資となれば、あれ以上に適した移動手段はない。
他国に飛空艇を派遣はしないスタンスをとっているソーマルガではあるが、今回に限って言えば王がそれを許すほどに重大な事態と判断したのかもしれない。
「ソーマルガ号というと、あの?」
かつてソーマルガ号のお披露目をした際、アシャドル王国の人間も招待されていたため、セインにもその名前は知られていたようだ。
勿論見たことはないだろうが、それでもあれがきっかけでアシャドル王国では飛空艇開発がスタートしたのだから、文官としてそこそこ偉い地位にいる彼女が知らないわけがない。
「ええ、我が国が保有する超大型飛空艇、正式な分類では空母と呼ばれているものです。大兵力を動かすには、あれが一番使い勝手がよいと、陛下が申されたのです」
「まあ!そんなものまで派遣してくださるなんて。あぁ、でもどうしましょう。そのソーマルガ号、かなり大きいのでしょう?」
「確か全長200メートルってとこですかね」
「それは古い情報だぞ、アンディ殿。あれから色々改造が加えられて、全長は260メートルを超えたそうだ」
まじか。
ソーマルガの技術者の変態的な技術力は知っているし、どノーマルで運用はしないとは思っていたが、まさかデカさをいじっているとは。
そのペースで行けば、二年後には全長だけならニミッツ級の空母を超えるんじゃないか?
「に、にひゃくろくじゅう…そんな大きいの、困るわぁ」
空からやってくるにしては規格外のスケールに、セインはうろたえた様子を見せる。
彼女のこういう姿は初めて見るあたりに、ソーマルガ号の非凡な大きさを改めて理解した。
ここに来て上空から見た限りでは、多少の空き地はあれど、ソーマルガ号クラスの飛空艇が着陸できるスペースは陣地内にはなかった。
陣地の外、それも開けた場所となればかなり離れた所に停泊場所を探すことになるだろう。
遠路はるばるやってきた援軍に対する処置としては少し失礼かもしれないが、こればっかりは仕方ない。
「ソーマルガ号は単独で本陣としても機能します。相応に広い場所さえあれば、特別な防護などもいりません。場所の選定は、この大きさに見合うものだけを考慮していただければ十分です」
ソーマルガ号は所謂空母としての側面が大きく、船の中にあらゆる設備が揃っている。
広いところに着陸さえできれば、陣地の構築はいらず、何かあればそのまま飛び上がっての退避も容易だ。
アルベルトの言う通り、スペースさえ確保できれば問題はない。
「邪魔するよ。セイン、ソーマルガからの客ってのは…あぁ、やっぱり君か」
唐突にテントの入り口が開けられ、そこから見覚えのある顔が現れる。
いるだろうとは思っていたが、こうして姿を見たことで確信を得られた。
向こうも俺が来ているとは予想していたようで、目が合うとお互いに苦い顔に変わる。
「戻られましたか、グロウズ卿。攻撃隊の指揮、ご苦労様でした。被害の方は?」
一瞬走った緊張にセインは気付いたはずだが、それをないものとするようにグロウズへ尋ねる。
この言いようだと、やはり先程巨人と対峙していた部隊にはグロウズがいて、あの鞭と思われる攻撃もこいつのものだったということか。
「大したものじゃないよ。四名死亡、重軽傷者は二十名強ってとこ。怪我人は法術師に任せたから大丈夫だろうけど、明日からの編成は少しいじる必要がある。後であなたの方から通達を出しておいてくれ」
グロウズが連れて来たのか、ここには法術師がいるようだ。
治癒術のあてが見込めるなら、戦う人間にはこれほど心強いことは無い。
「ええ、そのようにしましょう。…ミルリッグ卿、こちらは聖鈴騎士のグロウズ卿です。ペルケティア教国からこの度、支援のために派遣されてきました。グロウズ卿、こちらはソーマルガ皇国近衛騎士副団長のミルリッグ卿です。あなた同様、支援部隊と共にいらっしゃいました」
この中では初対面になる二人をそれぞれセインが紹介する。
「へえ、ソーマルガからとはね。さっき撤退中に飛空艇を見たけど、あれで来たのかい?」
「ああ、ここのアンディ殿に運んでもらってな。そちらは聖鈴騎士だそうだが、アシャドル王国へはよく来られるのか?」
基本的に城に詰めることが多く、国を出ることがまずない近衛騎士と同じく、聖鈴騎士も自国の外で活動するあまりない。
この質問をするということは、アルベルトは聖鈴騎士というものを多少は知っているということだろう。
「まさか。隣国とはいえ、聖鈴騎士がそうそう他国に足を運ぶことは無いさ。ギルドからチャスリウスに支援要請があった時、たまたま手っ取り早く動かせたのが僕だったってだけだ」
肩をすくめてそう言うグロウズだが、彼自身聖鈴騎士としては序列が高く、また戦闘能力も考えると派遣する最少人数に含めるには最適だと言っていい。
謹慎明けで所属が一時的に浮いていて扱いやすいというのもあるかもしれない。
「グロウズ、あんたがここにいるってことはキャシーさんも一緒か?」
最後に見た時には、グロウズの観察処分はまだ解けることはなさそうだったし、キャシーもまだまだ反省させると言っていたので、キャシーとセットで派遣されたはずだ。
「いや、キャシーは後方で支援物資の采配を執ってるから、ここにはいないよ。君らが来る途中、ちょっとした関所みたいなのが見えたろ?キャシーはあそこさ。本当はまだ僕は観察処分中だから、彼女から離れすぎてはいけないんだけど、今は特例ってことでね」
そう言えばあったな、簡易陣地が。
なるほど、あそこにキャシーがいるとすれば、この前線基地へ送る物資の調整をするのにはちょうどいい距離だ。
グロウズを間近で見張ることは難しくとも、何かあれば駆けつけてシバくぐらいは出来るだろう。
「そうか。しかし、直線距離で近いとはいえ、飛空艇の俺達より先に参戦してるとはな。どんな手段を使ったんだ?」
密かに気になっていたのは、ディケットにいるはずのグロウズが、支援要請を受けてからの俺達より早くここに来ている点だ。
ディケットからイアソー山麓までは馬を潰す勢いで乗り継いだとしても、二十日はかかるはず。
「まぁ普通なら、ここに来るまではかなりの時間がかかっただろう。だが世の中には裏技ってのがあってね。僕とキャシーだけなら、君達の飛空艇に劣らない速度で移動する方法があるんだよ。生憎、そうそう教えることはできない手でね。これ以上は聞くなよ?」
そう言ってグロウズの手が腰の辺りにある鞭を撫でた。
無意識の行動なのだろうが、この話でそういう風な動きを見せると、鞭を使った高速移動でもあるのかと想像する。
前に一戦した時も、鞭での移動を使っていたので、そういう技術だろうか。
というか、キャシーに取り上げられていたはずの鞭がそこにあるということは、それだけ巨人との戦いに本気で挑む必要性を認めたわけか。
「二人だけ?…他に部隊は連れてきてないんですか?」
「ええ、最初にここに来たのはグロウズ卿とダウワー卿の二人だったわね。ペルケティア側から国境の守備に就いていた部隊が支援として派遣されたのは、その大分後のことよ」
別にグロウズが嘘をつくとかではなく、単に確認するのに適任なセインにそのことを尋ねてみると、あっさりと肯定の言葉が告げられる。
ペルケティアがどの程度の支援を考えていたかは分からないが、まず何より移動速度を優先して最小で最大戦力の聖鈴騎士二人を派遣したのかもしれない。
「それで、君達の方はどれだけの援軍で駆けつけてくれたんだい?」
椅子にドカっと腰掛けるながら、見たことがないほど真剣な目を向けてくるグロウズ。
こちらの戦力がどれだけあてになるのかを知ろうとしているようだ。
その視線の向く先は俺だったが、手で仰ぐようにして視線をアルベルトへ向けさせる。
先遣隊の隊長は俺じゃないのだから、答えるなら相応しい相手に任せよう。
「先程もセイン殿に話したが、先遣隊として二百人、遅れてやってくる本隊で二千人を動員している」
「そりゃ凄い大軍だ。で、その中には魔術師はどれぐらいいるのかな?」
「うむ、先遣隊の方には三人、アンディ殿とパーラ殿を含めれば五人だな。本隊の方は分からんが、それなりの数を揃えてくれるはずだ」
軍というのは歩兵が主力ではあるが、そこにどれだけの騎兵や魔術師が混ざるかで戦術の幅は変わってくる。
援軍にどれほどの魔術師が含まれているのか気にするのは当然だ。
アルベルトの言いようから、先遣隊の方はともかく、本隊では魔術師の数は期待していいという風にとれる。
普通なら心強いと思うものだが、何故かグロウズは気まずそうな顔でセインへと向き直った。
「そうか…。セイン、あのことはもう話したのかな?」
「いえ、これから伝えようかと思っていましたところに、グロウズ卿が入ってきましたもので」
「そりゃ悪かったね。じゃあ僕から彼らに言うよ」
険しい顔でセインと交わしたグロウズの言葉に、なにやら不穏なものを覚える。
そして、そのまま深刻そうな声を掛けられ、自然と俺の背中が伸びた。
「君達は飛空艇で僕達が戦っているところを見ただろうけど、あの時、僕らは魔術を使っていなかったのには気付いているね?」
「ああ、あんたの振るう鞭だけで巨人を押しとどめてたのは驚いたが、魔術が一つも放たれていないのは不思議だった。まさか魔術師がいないのかとも思ったが、そう言うってことは別の理由で魔術を使ってなかったのか?」
「その通り。あの巨人だが、実は魔術が全く通じない」
『…は?』
シレっと言われたグロウズの言葉に、俺とアルベルトはそろって間抜けな声が零れた。
いや、光の精霊が宿っているのなら、特殊な能力の一つも備えているかもしれないが、だとしてもこれは予想外だ。
「うん、気持ちは分かる。けど事実だ」
恐らく俺達のこの感情は、グロウズにとってはもう既に通過したものなのだろう。
達観したような目を向けられてしまった。
「私達が最初に巨人と戦った際、魔術師による攻撃も行ったのよ。その時は火魔術が使われたんだけど、巨人に当たる寸前に火急が霧散してしまったの。火以外に風魔術も同じように霧散してしまったことから、巨人は魔術を無効化すると結論付けたわ」
言葉を引き継いだセインの眉間を揉みながら言う姿に、魔術が使えないことによる戦術の狭まりには悩ましさを覚えているようだ。
「初戦では巨人に近付いて蹴散らされたもんだから、遠距離攻撃が一番安全で効果的だと思っていたのよ。けど、魔術が無効化された時の混乱っぷりったら…。弓矢も初戦で派手に使っちゃって残りは心もとないし、逃げ出そうとする兵をなんとか抑えるので精いっぱいだったわ。正直、グロウズ卿があと少し遅かったら、今頃ここの戦力はもっと減っていたかもしれないわね」
「聖鈴騎士グロウズが援軍で来た、しかもしなやかにして強靭な鞭は巨人に通じるとなれば、兵の士気も保てたでしょうね」
「そういうこと。アンディ君は身をもって知ってるだろうけど、僕の鞭は射程と威力に優れてるからね。特にあれだけでかい的なら狙いをつけるのに困らない。しかも魔術じゃないから、無効化もされない。矢を節約するためにも、僕が前線でこいつを振るってたのさ」
「飛空艇から見たが、巨人に向けられてた攻撃は俺が前に食らったのより規模がデカいように思えたが、あれは?」
「あぁ、それは破衝の鞭打って技だ。速度を犠牲にして、攻撃範囲と威力を増やす技術さ。ま、少し腕の立つ相手には躱されるけど、ああいうデカブツにはこういう面での攻撃が効果的なんでね」
俺の時には手を抜いていたわけではなく、単純に使う目的が違う技という訳か。
「…けど、それを使っても巨人を倒しきれないのが現状だ。魔術が効かないのに加え、あれ自体の硬さもかなりのものでね。僕はもうここで戦い続けて四日になるが、ああして足止めをして、日が暮れるのを待つしかできないでいる」
悔し気な顔のグロウズだが、足止めできているだけで凄いことで、彼らは知らないが精霊が宿っている巨人を相手にここまで善戦していること自体が驚愕だ。
しかし、魔術無効と高い物理耐性を兼ね備えた巨人とは、想定していたより何倍も厄介さが増したな。
「あんたの鞭でも倒しきれないとは、あいつはそんなに硬いのか?」
「そりゃあもう、ただ硬いってもんじゃないさ。剣やら槍で斬りつけると、とりあえず傷はつくんだ。でもすぐに塞がって直るんだよ」
「矢も通りはするけど、少し経てば内側から押し出されるようにして抜けるそうよ」
「だから、大槌や斧なんかでの叩く攻撃が有効だと言われてる。けど、あれには近付くのも危険だから、今のところは騎兵での突撃ぐらいが効果的ってところだね」
巨人は武器など持っていなかったが、その手足を振るうだけで人間など簡単に蹴散らすため、近付いて剣で斬りつけるなど自殺行為だ。
見たところ巨人はあまり敏捷性が高いとは言えないので、グロウズが言ったように騎兵による一撃離脱が比較的安全だと言える。
さっきグロウズが戦っていた時にいた集団の中には、確かに騎兵の数がそれなりに見られたため、鞭による攻撃の前段階では、騎兵による突撃戦法なんかが使われていたのかもしれない。
「だが陽が落ちると活動を停止するんだろ?ならその間に近付いて首をバッサリとやったらどうだ」
あれも人の形をしているのなら、頭を潰せば倒せるかもしれない。
しかし俺の言葉に、グロウズは首を振る。
「それはもう試したよ。あれは活動を停止してると言っても、完全に眠ってるってわけじゃあない。近付くと、普通に攻撃して来る。前にも闇に紛れて近付いたら、手か足で薙ぎ払われたらしい」
まぁここにいる人間なら、夜襲を考えていないわけがないか。
その場からは動かずとも、近付くと攻撃してくるとは、陽が落ちてからは体力を温存しているというパターンかもしれない。
「そうなると、本隊には投石器を持ってこさせる必要があるな」
ここまでの話で、魔術以外で遠距離から攻撃出来るものとして、アルベルトも投石器へ期待しだしている。
「まぁ悪くはないけど、設置する場所にもよるだろうね。投石器の射程距離を考えれば、かなり巨人に近付いて設置しないといけない」
グロウズの言う通り、投石器というのは意外と射程距離は短く、しかも重量物を発射するためには地面への固定も厳重に行われる。
一度位置を定めると、簡単には移動させにくい兵器だ。
大きさもそれなりにあり、設置も撤去も時間がかかるため、巨人の攻撃範囲が及ぶ地点に投石機を設置するのは危険が大きい。
「いや、その心配はない。ソーマルガ号は広大な甲板を擁している。そこに投石機を設置すれば、巨人からの反撃を考えずに、投石が出来るかもしれん」
ソーマルガ号という名前にグロウズは首を傾げているが、アルベルトのその言葉にハッとするのは俺とセインだ。
二千人を運ぶ巨大船ともなれば、投石器を船に取り付けて飛びながら運用するという可能性は簡単に思い浮かぶ。
特に俺なんかはソーマルガ号の甲板の広さを知っているため、その案はより現実的に思える。
「なるほど、今日まで投石器を使えなかったのは、まさにグロウズ卿の言う通りの懸念があったからですが、ミルリッグ卿がそう言われるなら…投石器の使用も検討したいところですね。ミルリッグ卿、ソーマルガ号への投石器搭載の件、正式にあなたの名前で皇国側へ提案してもよろしいでしょうか?」
「勿論だ。私からの優先事項として、直ちに伝えてくれ。調達先も、移動途中にエーオシャン辺りでが手っ取り早いということもな」
「ありがとうございます。誰かいますか!」
テントの外へ大声を投げかけると、控えていた兵士が中へ入ってくる。
「すぐに近くの街へ人をやって、ギルドへ遠送文の使用をお願いして。書簡が用意出来次第、出発させるように手配を」
「は!承知いたしました!」
命令を受けて駆け足で出ていく兵士を見送ると、セインは壁際にあった箱から筆記用具を取り出し、所管の準備を始めた。
ギルドの遠距離通信魔道具に使用する遠送文とやらに宛てるものだろう。
それを俺達は黙って見守るだけという、少し静かな時間が出来たのだが、その静寂はまた駈け込んで来た人間によって打ち破られる。
「失礼します!あ、隊長!大変です!」
「…馬鹿者、他の方々もおられる場で騒々しくするな。まずは落ち着け。どうした?何があった?」
「も、申し訳ありません!」
現れたのはソーマルガから一緒に来た先遣隊を率いるアルベルトの副官である女性兵士だ。
慌てた様子でアルベルトへと近寄ったが、言われて一度大きく息を吸い、落ち着きを取り戻してから再び口を開いた。
「我らの宿営地を訪れた一団が、飛空艇に乗せろと騒いでおります。今はパーラ殿が抑えていますが、すぐに隊長とアンディ殿を呼んで来いと」
「飛空艇に?なんだ、その一団とは?」
「分かりません。ただ、淡緑色の髪をした少女を中心とした妙な連中だとしか…」
女性兵士がそう言うと同時に、グロウズとセインは深い溜息を吐く。
淡緑色の髪をした少女というところに反応したようだが、セインはともかく、グロウズのこういう困った顔というのは初めて見た。
「…ミルリッグ卿、申し訳ありません。その少女ですが、恐らくこちらの手の者です。早速ご迷惑をおかけしているようで…。グロウズ卿、すみませんがお願いできますか?」
「ああ、あれに言うことを聞かせるなら、僕が行くしかないな」
どうやらセインとグロウズにとっては慣れたトラブルといったところで、すぐさまグロウズは動き出す。
「アンディ君、君も一緒に来た方がいいだろう。ことが飛空艇に関してとなれば、無関係じゃないんだし」
「そりゃそうだが、なんなんだ?あんた、淡緑色の髪の少女ってとこに反応して。焦ってるみたいにも見えるが」
「…まぁね。その少女―というか、そう見えるだけで実際は成人女性なんだが、実は僕らの陣地でちょっと扱いに困る人間でね」
「ほう、あんたが困るってのは相当だな。何者だ?」
「名前はイーリス。巨人との戦闘が始まってすぐ、援軍として駆け付けた方よ。傭兵でも冒険者でも、ましてやどこかに仕えているとかでもない。強いて言えば、自由に生きる戦士といったところかしら」
俺の問いに答えたのはセインだったが、その声は硬いもので、イーリスという女性に対して畏怖のようなものを抱いているのが分かる。
「へえ、どこにも属してない戦士ですか。珍しいですね」
この世界では、基本的には身分保証を求めてギルドや貴族の傘下などに収まるものだが、そう言ったところに属さずにいる戦士というのは稀だ。
全くいないことはないだろうが、少なくとも俺は初めて聞いた。
「そうね。そういう人間だから、しがらみもなく自由に振舞って、色々もめ事を起こすのよ」
再び深い溜息を吐くセインの姿に、この手の騒ぎはこれが初めてではなく、解決に苦労させられたのだろうと察せられた。
「そんな面倒な人間なら、追い出したらどうですか?今のこの状態で規律を乱す存在を内に抱え込むのは危険ですよ」
巨人という敵を前に、規律をもって士気をコントロールしないと内側から崩壊しかねない。
イーリスというのが騒ぎを頻繁に起こすなら、陣地からの追放も考えるべきだ。
「無理よ。現状は彼女の戦闘力をあてにしているんだから」
「…そうまで言わせるほど強いんですか?」
トラブルメーカーであることに目を瞑れるほど、イーリスを手放したくないとはよっぽどだ。
対巨人を考えれば、魔術師としての腕ではなく、グロウズ動揺、純粋に肉体的な戦闘術が優れているのだろうか。
「それはもう。なにせあの、『ユノツァルの壊し屋』なんだもの」
「ほう!ユノツァルの壊し屋か!それは確かに、セイン殿の言うこともわかるな。もう随分名前を聞いていなかったが、まさかアシャドルにいたとは」
「ええ、たまたま近くにいたそうです。滞在していた街の領主が彼女に直接交渉して、私達の下へ送り込んでくれました」
それまで聞いているだけだったアルベルトが、セインの言葉に激しく反応した。
冷静沈着でいることが多いアルベルトが、こういうリアクションを見せるのは珍しい。
しかしユノツァルの壊し屋とは、どっかで聞いたような気もするが…思い出せん。
まぁその程度の存在ということか。
「そんなに有名人なんですか?」
『え』
「…え」
抱いた疑問を素直に口にすると、信じられないようなものを見る目が三人から向けられた。
あ、これはまた、いつものやつか。
俺だけが知らない、知る人ぞ知るこの世界の常識。
知らないなんて信じられない、どういう育ち方をしてきたんだと、そう言われているような気分だ。
なるほどなるほど……俺、またやっちゃいましたか。
最初に巨人を見つけたのはライオ達で、それなりに被害を出しつつも命からがら迷宮を脱出し、ギルドへとありのままを報告した。
当初、巨人のサイズから迷宮の狭い通路を抜けるのは不可能だと考え、対応にはゆとりを持って臨むつもりだったが、わずか二日で巨人は迷宮を掘り進み、本来の迷宮の出口ではない場所から外へと飛び出してきた。
元々イアソー山は岩盤と土砂で山肌の厚さは相当なものだったが、少し前にとあるバカ貴族が土砂崩れを誘発してくれたせいで、たまたま巨人が掘り進んだ先がその薄くなった山肌だったのも災いしたようだ。
想定外の事態に、イアソー山麓の各ギルド出張所では緊急事態を発令。
非戦闘員は直ちに退避し、冒険者を始めとした戦う術のある者達は巨人の迎撃へと動く。
出現位置は山の中腹辺りで、ほとんどの戦力が麓付近にあったことから、巨人が攻撃可能な位置まで下山するのを待って仕掛けたが、巨大な足の一振りと長大な腕の二振り、都合三度の攻撃で戦力が激減する被害を受けてしまう。
急ごしらえの戦力だったとはいえ、一度のぶつかり合いで迎撃部隊は人員の約一割を喪失し、それに脅威を覚えた現場のお偉いさん達は、急ぎアシャドル王国への救援と並行して他国へも支援要請を出した。
この辺り、荒事に慣れたはずの人間が巨人にあっさりと蹴散らされた光景が、アシャドル王国の軍隊だけでは心細いと判断させたようだ。
国のメンツや責任問題などで躊躇わず、ギルドの遠距離通信に頼れたのは、現場にいたトップ達がセインを始めとして柔軟で正しい判断をできる人間だったおかげだろう。
実際、俺はまだ巨人の戦闘能力を正しくは知らないが、あのサイズが攻撃をしてくると考えれば、こちらもガ〇ダムが欲しくなる。
迎撃部隊は大きな被害を受けたことで一度後退するが、巨人はそれらを無視して、今では麓街と呼ばれるかつての物資集積所へと攻撃を仕掛ける。
幸い、巨人の出現により早期に出された退避勧告のおかげで、ここでは建物以外は大きな被害も出なかったが、陣地の防衛行動をとらなかったことで指揮所としての機能は完全に喪失された。
そのまま巨人は暴れ続けるかと思われたが、冬特有の厚い雲によって日が遮られると、奇妙なことに巨人は休眠状態となり、その隙をついて別の場所に対巨人の前線基地を作ることが出来たという。
この時麓街にいた人間は、重傷者以外は全員がこの前線基地へと移っている。
「それがここ、丘合いの陣地というわけなの」
長々とイアソー山で起きたことの経緯を語り、セインは疲れが籠った溜息を吐き出すと、椅子の背もたれへと体重を預ける。
頑丈そうな木の椅子が立てるギシリという音は、彼女の肩にかかる重圧をそのまま表しているようにも感じた。
実際、今日までの苦労はかなりのもののようで、顔には深い疲労の色が見てとれる。
ここは陣地の中にある一際大きいテントで、巨人への対処についての会議を行う場所でもあるそうだ。
そんな場所だけあって、円卓風の巨大なテーブルを囲むようにして椅子が並んでおり、その一つを勧められて俺も座っている。
セインとの再会の後、久しぶりに会ったのだし場所を変えて少し話したいとここへ誘われ、俺が知りたいこの地での諸々の経緯を教えてもらった。
飛空艇の方は陣地の中に停泊スペースを急ぎ作ってくれており、そこをそのまま先遣隊の宿営地として借りることにもなった。
アルベルトは自分達のテントを設営したらここへ来るとのこと。
「なるほど。突発的な戦いだったそうですが、見たところこの陣地には物資も人も十分なようです。よく巨人と戦いながらこれだけの陣地を築けましたね」
初戦では被害も大きかったが、それでもこうして陣地が構築できるくらいには上手く立ち回っている事実は、セインの手腕によるところも決して小さくないはずだ。
「そこは退避命令が迅速に出されたおかげね。元々地揺れの可能性を考えて撤収しやすい体制にもしてたのよ。もっとも、あの巨人が太陽の光がなければ動かないって突き止めてなければ、ここまでの物資は持ち出せなかったでしょうけど」
「あ、やっぱりあれってそういうことなんですね。それに気付いたのは誰だったんですか?」
「最初に気付いたのはガイバさんだったわね。その後、他の冒険者達にも確認させて断定したのよ」
そのよくわからない習性のおかげで、残存していた戦力でも、よそからの援軍がやって来るだけの時間を稼げたわけだ。
聞けばここ何日かは、分厚い雲で太陽が遮られた日が多かったそうで、それも巨人の進撃を妨げた一因だろう。
「なぜ太陽の光がなければ活動できないか、その理由については?」
「さあ?そこまでは」
光の精霊云々はグバトリア達がアシャドル側に開示するか決めるそうなので、その情報がセインにまで下りて来るかは分からないため、太陽光を活動エネルギーとしている説の裏付けとなるところまでは流石に思い至らないようだ。
「そういえば、そのガイバさんはどちらに?ここの陣地内にはいるんですよね?」
麓ではセインと並んで幅を利かせていたガイバが、飛空艇の登場にすっ飛んでこなかったのは不思議に思っていた。
他のことで忙しかったとしても、顔ぐらいは見せると思っていたのだがな。
「彼は今ここにはいないわ。ガイバさんは巨人迎撃の時に、部隊の指揮を執って前線にいたの。けど、部隊を後退させる際、運悪く…」
痛ましい表情をするセインに、その時ガイバの身に何があったのかを悟った。
責任者としては真っ当な為人のガイバなら、部隊の後退時に殿を務めるぐらいはしそうだ。
「…そうですか。惜しい人を亡くしましたね」
「え?彼、死んでないわよ?」
哀悼の意を口にした俺に、キョトンとした顔でセインがあっさりと否定してきた。
「え?いやでも、今運悪くって」
「そう、派手に転んじゃって、腰を痛めちゃったのよ。それで後方送りにね」
俺のしんみりを返して。
なんだ、てっきり『運悪く命を落とした』とかだと思ったのに、腰をやっただけかよ。
詳しく聞くと、元々デスクワークで体が鈍っていた所に、突然の戦闘指揮で体に無理がでて派手に転んでしまったそうだ。
命に別状はなく、しかし激しい運動は難しいということで、ここを離れて静養させることとなった。
「本人は這ってでも指揮を執ると言っていたけど、流石にそれはね。ただ、ここに陣地を構えてからはガイバさんを残すべきだったと後悔してるわ。私ひとりじゃ全く手が足りないもの」
文官としては有能なセインだが、その下に着く人間すべてが有能であるとは限らず、人材不足に悩んでいるようだ。
考えてみれば、ガイバは聖鈴騎士でありながら商人ギルドでもそこそこ偉い地位にいる。
他国にまで派遣されるあたり、彼個人の能力の高さがうかがい知れるが、セインが嘆くほどに今この地ではガイバクラスの指揮官が不足しているのかもしれない。
「失礼、こちらにセイン殿がおられると聞いて参ったのだが」
そんな風に話をしていると、アルベルトがテントの中に入ってきた。
ここでの責任者にあたるセインに着任の挨拶でもしにきたのか、ちゃんと鎧と剣を身に着けた、騎士としての正装をしている。
「あら、ソーマルガから来た方かしら?どうぞこちらへ」
「は、では」
セインに勧められ、アルベルトも椅子に座る。
ここにアシャドルとソーマルガ、双方の現場指揮官が揃ったことになるが、二人はまだ互いに名乗り合ってはいないので、ここで自己紹介をすることとなった。
「名前は知ってるみたいだけど改めて、アシャドル王国内務尚書付き上級監査官のセインです」
何やら長々とした役職名を口にしたが、そういえばセインの正式な役職を知るのはこれが初めてだった。
派遣された先で一時的に名乗る役職は耳にする機会もあったが、こうして正式な名乗りを聞くと、一層偉く見えるのだから不思議だ。
「これはご丁寧に。私はソーマルガ皇国第一近衛騎士団副団長、アルベルト・ジャール・ミルリッグと申します。ソーマルガより支援のため、先遣隊200名の長として参りました」
流石は栄えある近衛騎士だけあって、言葉を飾らず名乗り返すアルベルトの姿は堂に入ったものだ。
「…この危急の折、ソーマルガ皇国の近衛騎士が駆けつけてくださるのはまことに心強い。先遣隊ということは、まだ後続の支援はあるということでしょうか?」
「勿論です。我が隊はあくまでも即応可能な人員で構成されているにすぎませんが、数日遅れでやって来る本隊には、二千の精兵が配されることとなっております」
「二千!それほどの数をよくぞ…」
その数に驚くセインだが、それには俺も同じ気持ちだ。
会議では千人を送るという話だったが、いつの間にか二千まで膨れ上がっているとは。
これは恐らく、光の精霊のことを聞いたグバトリアの決意からだろう。
「それだけ此度の事態を重く見ているのです。なお、本隊も飛空艇で参りますので、その停泊場所の選定も後程ご相談したく」
「そうですね。それだけの兵となれば、どれほどの数の飛空艇でやってくるか…」
「あぁ、いえ、やってくる数で言えば一隻のみですな」
セインが飛空艇のことをどれだけ知っているかわからないが、俺の飛空艇を基準にすれば大量の数が飛来する光景を想像したはず。
しかしアルベルトにこう言われセインは首を傾げるが、俺は薄々気付いていたことを確認のためにも口に出してみる。
「なるほど、ソーマルガ号を動員したんですね?」
「そうだ。流石にそれだけの規模となれば、中型や小型の飛空艇でチマチマ運べる数ではないからな。特別に今回、陛下の一声で使用許可が出されたのだ」
輸送力で見れば、この世界でのソーマルガ号はトップクラスと言っていい。
二千人もの人間とそれを支える物資となれば、あれ以上に適した移動手段はない。
他国に飛空艇を派遣はしないスタンスをとっているソーマルガではあるが、今回に限って言えば王がそれを許すほどに重大な事態と判断したのかもしれない。
「ソーマルガ号というと、あの?」
かつてソーマルガ号のお披露目をした際、アシャドル王国の人間も招待されていたため、セインにもその名前は知られていたようだ。
勿論見たことはないだろうが、それでもあれがきっかけでアシャドル王国では飛空艇開発がスタートしたのだから、文官としてそこそこ偉い地位にいる彼女が知らないわけがない。
「ええ、我が国が保有する超大型飛空艇、正式な分類では空母と呼ばれているものです。大兵力を動かすには、あれが一番使い勝手がよいと、陛下が申されたのです」
「まあ!そんなものまで派遣してくださるなんて。あぁ、でもどうしましょう。そのソーマルガ号、かなり大きいのでしょう?」
「確か全長200メートルってとこですかね」
「それは古い情報だぞ、アンディ殿。あれから色々改造が加えられて、全長は260メートルを超えたそうだ」
まじか。
ソーマルガの技術者の変態的な技術力は知っているし、どノーマルで運用はしないとは思っていたが、まさかデカさをいじっているとは。
そのペースで行けば、二年後には全長だけならニミッツ級の空母を超えるんじゃないか?
「に、にひゃくろくじゅう…そんな大きいの、困るわぁ」
空からやってくるにしては規格外のスケールに、セインはうろたえた様子を見せる。
彼女のこういう姿は初めて見るあたりに、ソーマルガ号の非凡な大きさを改めて理解した。
ここに来て上空から見た限りでは、多少の空き地はあれど、ソーマルガ号クラスの飛空艇が着陸できるスペースは陣地内にはなかった。
陣地の外、それも開けた場所となればかなり離れた所に停泊場所を探すことになるだろう。
遠路はるばるやってきた援軍に対する処置としては少し失礼かもしれないが、こればっかりは仕方ない。
「ソーマルガ号は単独で本陣としても機能します。相応に広い場所さえあれば、特別な防護などもいりません。場所の選定は、この大きさに見合うものだけを考慮していただければ十分です」
ソーマルガ号は所謂空母としての側面が大きく、船の中にあらゆる設備が揃っている。
広いところに着陸さえできれば、陣地の構築はいらず、何かあればそのまま飛び上がっての退避も容易だ。
アルベルトの言う通り、スペースさえ確保できれば問題はない。
「邪魔するよ。セイン、ソーマルガからの客ってのは…あぁ、やっぱり君か」
唐突にテントの入り口が開けられ、そこから見覚えのある顔が現れる。
いるだろうとは思っていたが、こうして姿を見たことで確信を得られた。
向こうも俺が来ているとは予想していたようで、目が合うとお互いに苦い顔に変わる。
「戻られましたか、グロウズ卿。攻撃隊の指揮、ご苦労様でした。被害の方は?」
一瞬走った緊張にセインは気付いたはずだが、それをないものとするようにグロウズへ尋ねる。
この言いようだと、やはり先程巨人と対峙していた部隊にはグロウズがいて、あの鞭と思われる攻撃もこいつのものだったということか。
「大したものじゃないよ。四名死亡、重軽傷者は二十名強ってとこ。怪我人は法術師に任せたから大丈夫だろうけど、明日からの編成は少しいじる必要がある。後であなたの方から通達を出しておいてくれ」
グロウズが連れて来たのか、ここには法術師がいるようだ。
治癒術のあてが見込めるなら、戦う人間にはこれほど心強いことは無い。
「ええ、そのようにしましょう。…ミルリッグ卿、こちらは聖鈴騎士のグロウズ卿です。ペルケティア教国からこの度、支援のために派遣されてきました。グロウズ卿、こちらはソーマルガ皇国近衛騎士副団長のミルリッグ卿です。あなた同様、支援部隊と共にいらっしゃいました」
この中では初対面になる二人をそれぞれセインが紹介する。
「へえ、ソーマルガからとはね。さっき撤退中に飛空艇を見たけど、あれで来たのかい?」
「ああ、ここのアンディ殿に運んでもらってな。そちらは聖鈴騎士だそうだが、アシャドル王国へはよく来られるのか?」
基本的に城に詰めることが多く、国を出ることがまずない近衛騎士と同じく、聖鈴騎士も自国の外で活動するあまりない。
この質問をするということは、アルベルトは聖鈴騎士というものを多少は知っているということだろう。
「まさか。隣国とはいえ、聖鈴騎士がそうそう他国に足を運ぶことは無いさ。ギルドからチャスリウスに支援要請があった時、たまたま手っ取り早く動かせたのが僕だったってだけだ」
肩をすくめてそう言うグロウズだが、彼自身聖鈴騎士としては序列が高く、また戦闘能力も考えると派遣する最少人数に含めるには最適だと言っていい。
謹慎明けで所属が一時的に浮いていて扱いやすいというのもあるかもしれない。
「グロウズ、あんたがここにいるってことはキャシーさんも一緒か?」
最後に見た時には、グロウズの観察処分はまだ解けることはなさそうだったし、キャシーもまだまだ反省させると言っていたので、キャシーとセットで派遣されたはずだ。
「いや、キャシーは後方で支援物資の采配を執ってるから、ここにはいないよ。君らが来る途中、ちょっとした関所みたいなのが見えたろ?キャシーはあそこさ。本当はまだ僕は観察処分中だから、彼女から離れすぎてはいけないんだけど、今は特例ってことでね」
そう言えばあったな、簡易陣地が。
なるほど、あそこにキャシーがいるとすれば、この前線基地へ送る物資の調整をするのにはちょうどいい距離だ。
グロウズを間近で見張ることは難しくとも、何かあれば駆けつけてシバくぐらいは出来るだろう。
「そうか。しかし、直線距離で近いとはいえ、飛空艇の俺達より先に参戦してるとはな。どんな手段を使ったんだ?」
密かに気になっていたのは、ディケットにいるはずのグロウズが、支援要請を受けてからの俺達より早くここに来ている点だ。
ディケットからイアソー山麓までは馬を潰す勢いで乗り継いだとしても、二十日はかかるはず。
「まぁ普通なら、ここに来るまではかなりの時間がかかっただろう。だが世の中には裏技ってのがあってね。僕とキャシーだけなら、君達の飛空艇に劣らない速度で移動する方法があるんだよ。生憎、そうそう教えることはできない手でね。これ以上は聞くなよ?」
そう言ってグロウズの手が腰の辺りにある鞭を撫でた。
無意識の行動なのだろうが、この話でそういう風な動きを見せると、鞭を使った高速移動でもあるのかと想像する。
前に一戦した時も、鞭での移動を使っていたので、そういう技術だろうか。
というか、キャシーに取り上げられていたはずの鞭がそこにあるということは、それだけ巨人との戦いに本気で挑む必要性を認めたわけか。
「二人だけ?…他に部隊は連れてきてないんですか?」
「ええ、最初にここに来たのはグロウズ卿とダウワー卿の二人だったわね。ペルケティア側から国境の守備に就いていた部隊が支援として派遣されたのは、その大分後のことよ」
別にグロウズが嘘をつくとかではなく、単に確認するのに適任なセインにそのことを尋ねてみると、あっさりと肯定の言葉が告げられる。
ペルケティアがどの程度の支援を考えていたかは分からないが、まず何より移動速度を優先して最小で最大戦力の聖鈴騎士二人を派遣したのかもしれない。
「それで、君達の方はどれだけの援軍で駆けつけてくれたんだい?」
椅子にドカっと腰掛けるながら、見たことがないほど真剣な目を向けてくるグロウズ。
こちらの戦力がどれだけあてになるのかを知ろうとしているようだ。
その視線の向く先は俺だったが、手で仰ぐようにして視線をアルベルトへ向けさせる。
先遣隊の隊長は俺じゃないのだから、答えるなら相応しい相手に任せよう。
「先程もセイン殿に話したが、先遣隊として二百人、遅れてやってくる本隊で二千人を動員している」
「そりゃ凄い大軍だ。で、その中には魔術師はどれぐらいいるのかな?」
「うむ、先遣隊の方には三人、アンディ殿とパーラ殿を含めれば五人だな。本隊の方は分からんが、それなりの数を揃えてくれるはずだ」
軍というのは歩兵が主力ではあるが、そこにどれだけの騎兵や魔術師が混ざるかで戦術の幅は変わってくる。
援軍にどれほどの魔術師が含まれているのか気にするのは当然だ。
アルベルトの言いようから、先遣隊の方はともかく、本隊では魔術師の数は期待していいという風にとれる。
普通なら心強いと思うものだが、何故かグロウズは気まずそうな顔でセインへと向き直った。
「そうか…。セイン、あのことはもう話したのかな?」
「いえ、これから伝えようかと思っていましたところに、グロウズ卿が入ってきましたもので」
「そりゃ悪かったね。じゃあ僕から彼らに言うよ」
険しい顔でセインと交わしたグロウズの言葉に、なにやら不穏なものを覚える。
そして、そのまま深刻そうな声を掛けられ、自然と俺の背中が伸びた。
「君達は飛空艇で僕達が戦っているところを見ただろうけど、あの時、僕らは魔術を使っていなかったのには気付いているね?」
「ああ、あんたの振るう鞭だけで巨人を押しとどめてたのは驚いたが、魔術が一つも放たれていないのは不思議だった。まさか魔術師がいないのかとも思ったが、そう言うってことは別の理由で魔術を使ってなかったのか?」
「その通り。あの巨人だが、実は魔術が全く通じない」
『…は?』
シレっと言われたグロウズの言葉に、俺とアルベルトはそろって間抜けな声が零れた。
いや、光の精霊が宿っているのなら、特殊な能力の一つも備えているかもしれないが、だとしてもこれは予想外だ。
「うん、気持ちは分かる。けど事実だ」
恐らく俺達のこの感情は、グロウズにとってはもう既に通過したものなのだろう。
達観したような目を向けられてしまった。
「私達が最初に巨人と戦った際、魔術師による攻撃も行ったのよ。その時は火魔術が使われたんだけど、巨人に当たる寸前に火急が霧散してしまったの。火以外に風魔術も同じように霧散してしまったことから、巨人は魔術を無効化すると結論付けたわ」
言葉を引き継いだセインの眉間を揉みながら言う姿に、魔術が使えないことによる戦術の狭まりには悩ましさを覚えているようだ。
「初戦では巨人に近付いて蹴散らされたもんだから、遠距離攻撃が一番安全で効果的だと思っていたのよ。けど、魔術が無効化された時の混乱っぷりったら…。弓矢も初戦で派手に使っちゃって残りは心もとないし、逃げ出そうとする兵をなんとか抑えるので精いっぱいだったわ。正直、グロウズ卿があと少し遅かったら、今頃ここの戦力はもっと減っていたかもしれないわね」
「聖鈴騎士グロウズが援軍で来た、しかもしなやかにして強靭な鞭は巨人に通じるとなれば、兵の士気も保てたでしょうね」
「そういうこと。アンディ君は身をもって知ってるだろうけど、僕の鞭は射程と威力に優れてるからね。特にあれだけでかい的なら狙いをつけるのに困らない。しかも魔術じゃないから、無効化もされない。矢を節約するためにも、僕が前線でこいつを振るってたのさ」
「飛空艇から見たが、巨人に向けられてた攻撃は俺が前に食らったのより規模がデカいように思えたが、あれは?」
「あぁ、それは破衝の鞭打って技だ。速度を犠牲にして、攻撃範囲と威力を増やす技術さ。ま、少し腕の立つ相手には躱されるけど、ああいうデカブツにはこういう面での攻撃が効果的なんでね」
俺の時には手を抜いていたわけではなく、単純に使う目的が違う技という訳か。
「…けど、それを使っても巨人を倒しきれないのが現状だ。魔術が効かないのに加え、あれ自体の硬さもかなりのものでね。僕はもうここで戦い続けて四日になるが、ああして足止めをして、日が暮れるのを待つしかできないでいる」
悔し気な顔のグロウズだが、足止めできているだけで凄いことで、彼らは知らないが精霊が宿っている巨人を相手にここまで善戦していること自体が驚愕だ。
しかし、魔術無効と高い物理耐性を兼ね備えた巨人とは、想定していたより何倍も厄介さが増したな。
「あんたの鞭でも倒しきれないとは、あいつはそんなに硬いのか?」
「そりゃあもう、ただ硬いってもんじゃないさ。剣やら槍で斬りつけると、とりあえず傷はつくんだ。でもすぐに塞がって直るんだよ」
「矢も通りはするけど、少し経てば内側から押し出されるようにして抜けるそうよ」
「だから、大槌や斧なんかでの叩く攻撃が有効だと言われてる。けど、あれには近付くのも危険だから、今のところは騎兵での突撃ぐらいが効果的ってところだね」
巨人は武器など持っていなかったが、その手足を振るうだけで人間など簡単に蹴散らすため、近付いて剣で斬りつけるなど自殺行為だ。
見たところ巨人はあまり敏捷性が高いとは言えないので、グロウズが言ったように騎兵による一撃離脱が比較的安全だと言える。
さっきグロウズが戦っていた時にいた集団の中には、確かに騎兵の数がそれなりに見られたため、鞭による攻撃の前段階では、騎兵による突撃戦法なんかが使われていたのかもしれない。
「だが陽が落ちると活動を停止するんだろ?ならその間に近付いて首をバッサリとやったらどうだ」
あれも人の形をしているのなら、頭を潰せば倒せるかもしれない。
しかし俺の言葉に、グロウズは首を振る。
「それはもう試したよ。あれは活動を停止してると言っても、完全に眠ってるってわけじゃあない。近付くと、普通に攻撃して来る。前にも闇に紛れて近付いたら、手か足で薙ぎ払われたらしい」
まぁここにいる人間なら、夜襲を考えていないわけがないか。
その場からは動かずとも、近付くと攻撃してくるとは、陽が落ちてからは体力を温存しているというパターンかもしれない。
「そうなると、本隊には投石器を持ってこさせる必要があるな」
ここまでの話で、魔術以外で遠距離から攻撃出来るものとして、アルベルトも投石器へ期待しだしている。
「まぁ悪くはないけど、設置する場所にもよるだろうね。投石器の射程距離を考えれば、かなり巨人に近付いて設置しないといけない」
グロウズの言う通り、投石器というのは意外と射程距離は短く、しかも重量物を発射するためには地面への固定も厳重に行われる。
一度位置を定めると、簡単には移動させにくい兵器だ。
大きさもそれなりにあり、設置も撤去も時間がかかるため、巨人の攻撃範囲が及ぶ地点に投石機を設置するのは危険が大きい。
「いや、その心配はない。ソーマルガ号は広大な甲板を擁している。そこに投石機を設置すれば、巨人からの反撃を考えずに、投石が出来るかもしれん」
ソーマルガ号という名前にグロウズは首を傾げているが、アルベルトのその言葉にハッとするのは俺とセインだ。
二千人を運ぶ巨大船ともなれば、投石器を船に取り付けて飛びながら運用するという可能性は簡単に思い浮かぶ。
特に俺なんかはソーマルガ号の甲板の広さを知っているため、その案はより現実的に思える。
「なるほど、今日まで投石器を使えなかったのは、まさにグロウズ卿の言う通りの懸念があったからですが、ミルリッグ卿がそう言われるなら…投石器の使用も検討したいところですね。ミルリッグ卿、ソーマルガ号への投石器搭載の件、正式にあなたの名前で皇国側へ提案してもよろしいでしょうか?」
「勿論だ。私からの優先事項として、直ちに伝えてくれ。調達先も、移動途中にエーオシャン辺りでが手っ取り早いということもな」
「ありがとうございます。誰かいますか!」
テントの外へ大声を投げかけると、控えていた兵士が中へ入ってくる。
「すぐに近くの街へ人をやって、ギルドへ遠送文の使用をお願いして。書簡が用意出来次第、出発させるように手配を」
「は!承知いたしました!」
命令を受けて駆け足で出ていく兵士を見送ると、セインは壁際にあった箱から筆記用具を取り出し、所管の準備を始めた。
ギルドの遠距離通信魔道具に使用する遠送文とやらに宛てるものだろう。
それを俺達は黙って見守るだけという、少し静かな時間が出来たのだが、その静寂はまた駈け込んで来た人間によって打ち破られる。
「失礼します!あ、隊長!大変です!」
「…馬鹿者、他の方々もおられる場で騒々しくするな。まずは落ち着け。どうした?何があった?」
「も、申し訳ありません!」
現れたのはソーマルガから一緒に来た先遣隊を率いるアルベルトの副官である女性兵士だ。
慌てた様子でアルベルトへと近寄ったが、言われて一度大きく息を吸い、落ち着きを取り戻してから再び口を開いた。
「我らの宿営地を訪れた一団が、飛空艇に乗せろと騒いでおります。今はパーラ殿が抑えていますが、すぐに隊長とアンディ殿を呼んで来いと」
「飛空艇に?なんだ、その一団とは?」
「分かりません。ただ、淡緑色の髪をした少女を中心とした妙な連中だとしか…」
女性兵士がそう言うと同時に、グロウズとセインは深い溜息を吐く。
淡緑色の髪をした少女というところに反応したようだが、セインはともかく、グロウズのこういう困った顔というのは初めて見た。
「…ミルリッグ卿、申し訳ありません。その少女ですが、恐らくこちらの手の者です。早速ご迷惑をおかけしているようで…。グロウズ卿、すみませんがお願いできますか?」
「ああ、あれに言うことを聞かせるなら、僕が行くしかないな」
どうやらセインとグロウズにとっては慣れたトラブルといったところで、すぐさまグロウズは動き出す。
「アンディ君、君も一緒に来た方がいいだろう。ことが飛空艇に関してとなれば、無関係じゃないんだし」
「そりゃそうだが、なんなんだ?あんた、淡緑色の髪の少女ってとこに反応して。焦ってるみたいにも見えるが」
「…まぁね。その少女―というか、そう見えるだけで実際は成人女性なんだが、実は僕らの陣地でちょっと扱いに困る人間でね」
「ほう、あんたが困るってのは相当だな。何者だ?」
「名前はイーリス。巨人との戦闘が始まってすぐ、援軍として駆け付けた方よ。傭兵でも冒険者でも、ましてやどこかに仕えているとかでもない。強いて言えば、自由に生きる戦士といったところかしら」
俺の問いに答えたのはセインだったが、その声は硬いもので、イーリスという女性に対して畏怖のようなものを抱いているのが分かる。
「へえ、どこにも属してない戦士ですか。珍しいですね」
この世界では、基本的には身分保証を求めてギルドや貴族の傘下などに収まるものだが、そう言ったところに属さずにいる戦士というのは稀だ。
全くいないことはないだろうが、少なくとも俺は初めて聞いた。
「そうね。そういう人間だから、しがらみもなく自由に振舞って、色々もめ事を起こすのよ」
再び深い溜息を吐くセインの姿に、この手の騒ぎはこれが初めてではなく、解決に苦労させられたのだろうと察せられた。
「そんな面倒な人間なら、追い出したらどうですか?今のこの状態で規律を乱す存在を内に抱え込むのは危険ですよ」
巨人という敵を前に、規律をもって士気をコントロールしないと内側から崩壊しかねない。
イーリスというのが騒ぎを頻繁に起こすなら、陣地からの追放も考えるべきだ。
「無理よ。現状は彼女の戦闘力をあてにしているんだから」
「…そうまで言わせるほど強いんですか?」
トラブルメーカーであることに目を瞑れるほど、イーリスを手放したくないとはよっぽどだ。
対巨人を考えれば、魔術師としての腕ではなく、グロウズ動揺、純粋に肉体的な戦闘術が優れているのだろうか。
「それはもう。なにせあの、『ユノツァルの壊し屋』なんだもの」
「ほう!ユノツァルの壊し屋か!それは確かに、セイン殿の言うこともわかるな。もう随分名前を聞いていなかったが、まさかアシャドルにいたとは」
「ええ、たまたま近くにいたそうです。滞在していた街の領主が彼女に直接交渉して、私達の下へ送り込んでくれました」
それまで聞いているだけだったアルベルトが、セインの言葉に激しく反応した。
冷静沈着でいることが多いアルベルトが、こういうリアクションを見せるのは珍しい。
しかしユノツァルの壊し屋とは、どっかで聞いたような気もするが…思い出せん。
まぁその程度の存在ということか。
「そんなに有名人なんですか?」
『え』
「…え」
抱いた疑問を素直に口にすると、信じられないようなものを見る目が三人から向けられた。
あ、これはまた、いつものやつか。
俺だけが知らない、知る人ぞ知るこの世界の常識。
知らないなんて信じられない、どういう育ち方をしてきたんだと、そう言われているような気分だ。
なるほどなるほど……俺、またやっちゃいましたか。
応援ありがとうございます!
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