世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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交渉と異変

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 この世界における勲章について少し話をしよう。

 日本では勲章というと、国や団体が功績ある個人に贈るものを指すが、この世界でも概ねそれは同じだ。
 貴族の地位が血縁によって引き継げるのに対し、勲章は個人へ与えられるものであるため、人によっては爵位などよりも重要視されたりもする。

 国の施策に大きく貢献した者、多くの人命を救う行動をした者など、様々なケースで勲章は与えられ、平民から貴族まで、勲章を手にする機会は誰にでも等しい…と、表向きでは言われている。

 しかし実際は、功績を積むには何の力もない平民では到底無理な話で、叙勲に足る何かをなしえるのは自然と相応の地位や力のある人間に限られるため、完全に機会が平等とは言い難い。

 一方で、ただ地位に任せて手に入れられるものでもないため、勲章を持っている人間は貴族平民を問わず尊敬され、その存在はともするとアイドルのような扱いを受けるほどだ。

 さらに、勲章の種類によっては所持しているだけで国から年金を貰えるものもある。
 下は小遣い程度のものから上は一生食うに困らないレベルまで、その幅はかなりのものだが、多大な功績に対して爵位を与えるのに比べれば、支給額の上限で一人の人間を生涯養う方が安上がりだという狙いが透けて見えるあたり、よくできた制度かもしれない。

 ちなみに、俺のダンガ勲章は年金が付かないタイプのものだ。
 王族の命を救うことで与えられる勲章のわりに、年金が付かないのは妙に思えるかもしれないが、その代わりソーマルガ皇国内に限り、貴族と同じ扱いを受けることができるというのが特典としてある。

 他の多くの勲章が身分証程度の域を出ないのに対し、ダンガ勲章が貴族相当の地位を保証している点から、いかに特別かわかる。
 年金が付かない理由も、ダンガ勲章を持つ人間は国に申し出れば、最低限の生活保護のようなものを受けることができるため、何かあってもひとまず死ぬことはないからだ。

 そんなダンガ勲章だが、付随する権利にもう一つ、特大のものがある。
 それがソーマルガ皇国王城へ入る際の手続きの大幅な減免だ。
 減免とは言うが、よっぽどの事がない限り、基本的にフリーパス状態だと考えていい。

 一般人が気軽に城へ入ることはまずできないし、貴族であっても前もって登城の知らせで手間がかかるのに、ダンガ勲章を見せるだけで俺は特に何の足止めもされることなく城に上がれるのだ。
 これは侯爵や大身の伯爵といった大物貴族に与えられている権利とほぼ同じで、社会的信用だけなら大物貴族と肩を並べる存在だと言っていい。
 ソーマルガ皇国内限定ではあるが。

 その特別な権利を使って、俺は早速王城にて宰相との面会へ臨もうとしている。
 今はクレイルズの所にバイクを持ち込んだ翌日で、とある用事で朝一番に城へ来て宰相との面会を申請したところ、そのまま執務室へと通されてしまった。

 前に短期間だけ働いていた場所なので、案内不要と俺一人で向かうと、相変わらず朝から人の出入りが激しく、ここが政治の中心なのだと思うと感慨を覚える。
 すると室内にいた顔なじみの文官と目が合い、ハリムとの面会に来た旨を伝えると、ひとまずはと空いているソファに促された。

 要件的には、ここにダリアかクレイルズがいた方がいいのだが、あの二人も暇ではないので、今日は俺一人だ。

 パーラは多分、ダリアの家でまだ寝ているのだろう。
 出る際に一声かけたが、返事がないただの屍状態だった。
 昨夜はダリアが秘蔵の酒を出してきたせいで、随分遅くまで飲んでいたしな。
 ほどほどの俺に比べ、大して酒に強くもないのに浴びるほどだったパーラならそうもなる。

 勝手知ったる執務室ということで、それなりにくつろぎながらソファで待っていると、ようやくひと段落着いたハリムが対面へと座り込む。

「待たせたな」

「いえ、急に押しかけたのはこちらですから。むしろ、すぐにこのような場を用意していただき、感謝しています」

「うむ。…おぉ、そうだ。ミエリスタ殿下の件、手間を掛けさせたな。よもや迎えの飛空艇を使わんとは、おかげで出迎えが出来なかったわ」

 エッケルドと同じ飛空艇で来ると思っていたら、予定よりずっと早く帰ってきたエリーには、流石のハリムも予想外だったのだろう。
 エリーが俺達の飛空艇で帰るという連絡は出していたとは思うが、移動速度を考えるとどこかで追い抜いて先にエリーが到着してしまったと考えられる。

「お気になさらず。俺達もこっちに用事がありましたから、ついでです」

「そうか。それで、今日はどうした?なにやらわしに頼みがあるそうだが」

「はい、実は閣下に一つ、裁可を頂きたい件がございまして…」

 今日尋ねて来たのは、ハリムの許可なくしては実行できないある事を頼むためだ。
 大抵のことはダリアの裁量権でどうにかなるが、この件については宰相の許しがないとまずいのだそうだ。

「ほう、わしに直接頼むということは、生半なことではないのだろう?申してみよ」

 ハリムは俺の言葉を聞いて、鋭い視線と深い笑みが同居した、恐ろしさすら感じられる顔に変わった。
 これから話す内容によっては、その表情に見合う厳しい言葉も覚悟しなければならない。
 ダリアからも、ハリムの許しは絶対に必要だとしながら、それを得られる確証はなく、むしろ却下されるものと心しろとさえ言われている。
 それほどのことを、今から俺はハリムに頼むのだ。

「は、では。…閣下は魔導鎧をご存じですね?」

「無論だ。現在のわが国の技術力をもってしても、複製修復すら難儀している代物だ。あれの研究も今は停滞しているが、いずれソーマルガの魔道具技術に革新を齎すものだと聞いている」

「なるほど、実に意義深いことですね。ではその魔導鎧を一つ、譲ってほしいと俺が頼めば、閣下はいかが返答されましょうか?」

「…なんだと?」

 魔導鎧の貴重さを考え、いくばくかの勇気を込めて放った俺の言葉に、ハリムはその額に深いしわを生み出しながら、重苦しい声を吐いた。





 皇都へ到着したあの日、ダリアに導かれて遺物の保管所へ足を運んだ俺達は、まるで見本市のように重機が並ぶ中、目当ての品を探してさ迷い歩いた。
 当初考えていたのは、適当な重機から動力を抜き出して調整し、バイクに移植するというものだったが、ここにきてクレイルズがあるものに目を付けた。

 以前テルテアド号で見つけた、古代の戦闘用ロボット的な扱いをされていた魔導鎧だ。
 クレイルズはどの重機も動力を一目見ただけでバイクには向かないと言い、施設の奥まったところで隠されるようにしておかれていた魔導鎧をダリアから許可を貰って調べ、使えると踏んだようだった。

 ちなみに、巨大船からはトライクのようなものも見つかっているが、ダリアが言うにはあれは自走能力がないものだったそうで、バイクへ流用できる技術は形状を除いては見当たらなかったとのこと。

 魔導鎧は古代の衛星通信が使えない現状ではまともに動かない遺物ではあるが、元々無人で動いていたもののため、内部にはその巨体を十分に駆動させるだけの仕組みが備わっていた。
 門外漢の俺には分からないが、クレイルズの目にはかなりいい素材に見えたようで、随分熱心に調べていたほどだ。

 なお、この魔導鎧はソーマルガでも研究中であり、外部の人間に触れさせることは本来しないのだが、将来のソーマルガにおけるバイクの発展のためとクレイルズが説得し、今回だけは特別にとダリアが折れた形となる。

 ここの施設じゃ頭から数えた方が早いぐらいには偉いダリアが許したのだからと、クレイルズも鎧をバラすのに遠慮がない。
 一応、バラしても惜しくない程度には、状態の悪いやつを選んではいたようだが。

 おかげで六体あった魔導鎧は、自立しているのが五体に減ってしまったが、その甲斐あってバイクの動力には目途が立ったのだから、尊い犠牲だと思おう。
 バラバラになった魔導鎧の残骸を前に、ダリアが何とも言えない顔をしていたのは見なかったことにする。

 その魔導鎧から抜き出した何かの装置こそ、俺達のバイクに積み込む動力へ転用できると鼻息荒くするクレイルズだったが、そこにダリアからストップがかかった。

「機構を参考にするだけならともかく、部品を持っていくのはちょっとまずい。こいつは特定重要遺物と認定されていて、ここまで分解したのも実は結構ギリギリだ。さらに部品をどうこうとなれば、流石に上からの許可がいる」

 バイク関連の技術はクレイルズ達からソーマルガへ一部共有されているとはいえ、数の限られている魔導鎧を一つ分解して果たしてどれだけの技術的なフィードバックを得られるのか、ダリアには判断ができないのだろう。

 彼女も研究者であると同時に、施設の責任者を任せられるほどには偉い立場にもいる。
 とはいえ、独断で魔導鎧を外部に持ち出す権限がないのか、分解まではまだ見過ごせても、部品を俺達がもらうにはもっと上の偉い人から許可が必要なわけだ。

「上と言うと、セドリック殿ですか?」

 ダリアの上となれば、ここいらの施設全体の統括責任者であるセドリックだが、それならそう面倒な話でもない。
 俺とセドリックは面識もあるし、彼もまた優秀な研究者として知られており、クレイルズのやろうとしていることにも興味を示して許可を出してくれるはず。

「いや、もっと上さ」

「…なるほど」

 この話の流れには、以前も感じた気配がある。
 アイリーンに会うために、ソーマルガまでやってきて飛空艇の分析を依頼されたときのようなやつだ。

「うん、もう気付いたようだが宰相閣下の許可だよ。この手の遺物の管理はいくつかの部署はあるが、全体の一番上がハリム様だからね。君とは面識もあるから、話はしやすいだろ?」

「そりゃそうですが……ちょっと待ってください。その許可を貰うのって俺がやるんですか?ダリアさんじゃなく」

「そうだよ。この件はどちらかというと、君達の問題だし、私もやることは色々とあるのでね。それに、ハリム様に会うなら君が一番手っ取り早い。ダンガ勲章の力で、明日にでもハリム様と会うべきだね」

「マジっすか。…せめてクレイルズさんも一緒に行けませんかね?できれば、詳しいことを知る説明役が欲しいところなんですが」

「僕?まぁ構わないけど」

「何を言ってるんだ。クレイルズ君は明日もバイクの技術指導があるだろうに。そんな暇はないぞ」

 技術交流という名目で来ている以上、優先順位は決まっている。
 知人の頼み事よりも、国に任された責務を果たすことこそが、クレイルズ達がここにいる意義となる。
 私用と言えるようなことで振り回せないか。

「アンディ、仕方ないって。クレイルズさんも仕事があるんだから。ハリム様のところには私もついていくからさ、安心しなよ」

 頼るべきものを欠くことに悩ましさを抱いていると、パーラがそんなことを言って肩を叩いてきた。
 その言いようだと、まるで俺が寂しさから一人で行きたくないと思われているようではないか。
 こいつは今までの会話から何を拾い上げたんだ?
 欲しいのは魔導鎧を分解したことの釈明と、パーツの使い道を説明する役だというのに。

「お前が着いてきて何の役に立てんだよ」

「いつもニコニコ、笑顔の力で」

「世の中は意外と笑顔の力でなんとかならんぞ」

 あほなことを言うパーラについきつく返してしまったが、一国の宰相と会うのなら、一人よりも二人の方が緊張感も和らぐだろう。
 頼みごとの内容も内容だし、こんな奴でもいないよりはましか。





「―とまぁ、そういうわけでして」

 思い返してみると、パーラの奴、確かに今日は一緒に来るって言ってたな。
 にも拘らず、酒にやられてしまうとは、頼りにならん相棒だ。

 訪問の目的とそこに至るまでの出来事を話し終え、一旦下げていた視線をハリムに戻す。
 彼は先程から腕を組んで目を瞑ったままで、俺の話にどういう感情を抱いているのか悟らせないでいるようだった。

「なるほどな、そういうわけであれを…まぁ元々あれはお前から買い取ったものだから、欲しいというのならくれてやれんこともない」

 今は自分達の管理のもとにあるものの、しかし交渉の余地はあるというハリムの言葉に、少しの安ど感を抱く。
 機密だからと完全にシャットアウトされることも想定していただけに、この感触はそう悪いものじゃない。
 ただ、簡単なことではないというのも言外には伝わってくる。

「しかし無条件ではやれない、と」

「その通り。あの巨大船、ヘイムダル号とテルテアド号から買い取った物は、全て我が国の所有物として管理されている。法に則るなら、おいそれとは引き渡せない。だが、世の中には何事も裏の手というものがある」

 宰相ともあろう者が、正規のルート以外を口にするとは。
 とはいえ、ハリムはそういう人間だ。
 為政者として正しくあろうとはするが、そこに利があれば道を外した決断も厭わない。
 一緒に仕事をしていた時に、そういう判断をするのを何度か見たものだ。

「聞けばお前達が欲しいのは魔導鎧に使われている一部の部品だけだそうだな?」

「はい。一体を分解した甲斐もあって、いいのが見つかったとクレイルズ…バイクの技術者が喜んでましたから」

 件の品は多少手を加えるが、ほぼそのままバイクに組み込めば、修復どころかパワーアップすら見込める代物だそうで、持ち帰る道ではクレイルズもスキップをしていたほどだ。

「であれば、その魔導鎧は元々、お前の持ち物を預かっていたという風に処理してしまえば、一先ずの問題はない。書類は遡って手を加える必要はあるが、バイクの修復に必要な部品を抜き取った余りを、こちらが引き取るという話でいけるだろう」

 なるほど、あの巨大船にあってソーマルガが買い上げた諸々の中に、俺の持ち物として確保していた魔導鎧が一つ混ざっていて、それを研究材料の一つとして預けていたという体でいこうというわけか。
 ソーマルガの法律の絡みがある以上、下手に遺物の譲渡で処理してしまうよりも、元々そういう予定だったとした方が手間は少ないのかもしれない。

「では魔導鎧の件はそういう方向で?」

「うむ、何とかしておこう。後でわしの方からダリアにも話しておく。お前は自分のバイクを直すことに専念するといい」

 ハリムの許可が出たので、これでバイク修復はまた一歩前進できた。
 クレイルズにもいい報告ができそうだ。

「そうさせてもらいます。ご配慮いただき、ありがとうございます」

 思ったよりもサクっと話が進んで、俺も一安心だ。
 魔導鎧を一つ潰したにしては、特に対価を求められないところは少し不気味だが、そこは俺とハリムの間にある信頼が功を奏したと思いたい。

「ところで話は変わるが、アンディよ。お前、ミエリスタ殿下の求婚をこっぴどく断ったそうだな」

「なんっ…ですか、それ?確かに断りはしましたが、こっぴどくだなんて人聞きが悪い」

 それまでの真剣なものから一転して、急に婚約の話を振られて俺は妙に焦った声が出てしまった。
 確かに婚約を断ったが、ひどいことを言っての上という訳ではない。
 だがハリムには正しく伝わっていない可能性もあるため、これは様子をうかがってみると、ニヤニヤとしたその顔は、どうにも面白がっているようにしか見えない。

「しかし、ミエリスタ殿下が是非にと迫ったのを冷たくあしらったと聞いたが?」

 その口ぶりでは自国の王女への侮辱を咎めるようにもとれるが、実際はそういう感じでもなく、こちらをからかおうとしている意思が伝わってくる。

「そんなことは……聞いたのは誰からですか?」

「ミエリスタ殿下本人からだ。少し前に手紙でな」

 あいつ、まさか俺とのやり取りを全部ハリムに教えてるのか?

「ぐっ…ですが、その話は本人も納得して婚約の話は保留にと」

「そうだな、そう聞いている。しかしわしとしては、殿下との婚約をもって、お前を我が国に引き入れたかったのだよ」

 以前も勧誘されたが、どうもハリムは俺をソーマルガに引き入れ、あわよくば自分の派閥で手駒にでもしたいと思っている節がある。
 そのために、わざわざエリーに手紙で発破をかけていたみたいだしな。

「例のペルケティアの監獄から釈放させたのは覚えているな?あれをネタにと勧めたのだが、どうにもミエリスタ殿下は根が真面目すぎたわ。父親がああなのに…」

 グバトリアの人間性を知っているだけに、最後にハリムが呟いた言葉には頷いてしまう。
 あの父親にしては、実の娘であるミエリスタは意外と真面目だ。

 結構我儘放題に振舞っているように見えるが、エリーはあれで自分の行動で迷惑がかかる範囲というのを把握しているもので、致命的な責任が及ばないところには決して踏み込むことはしない。
 まぁぶっ飛んだ行動もする時はするので、そこは血のつながりを感じる時もあるが。

 俺に婚約を迫った時も、釈放の借りを使いはしていたがどうも自分の背を推す材料として使っていたように思える。
 その証拠に、料理対決ではあっさりとパーラに負けたと認めたのも、その借りを使わないで俺を振り向かせるのだと、そういう意思を確かに感じた。

 ハリムの提案に従ったようでその実、エリーは自分の意思を優先して行動した結果がああだった。
 長年エリーを見てきたハリムからすれば、思うように動かなかったことを嘆くか、もしくは自分の予想に収まらない動きを見せたことに成長を感じるか悩ましいといったところだろう。

「その釈放の際にご尽力いただいた件ですが、あらためてお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました」

「なに、お前には色々と世話になったからな。あの巨大船のことで、買取の金額を大幅に減らせたこともあったゆえのこと。それに、うまくすれば新しい借りを作れるとも思ったまでよ」

 流石は一国の政治を司る男だ、ちゃっかりしてる。
 ソーマルガ皇国から見て、俺との貸し借りの天秤を自分側に傾けるいい機会と判断し、ペルケティアに釈放の圧力をかけたというのは実に分かりやすい。
 無垢な親切心でやったといわれる方が逆に怖い。

「…借りですか。俺としてはそういうのはあまり作りたくないんですがね。何かで返して欲しいとかありますか?」

 今のところ、エリーの婚約以外では特に使われていない借りだが、こういうのは一度作ると中々面倒なもので、なるべくなら早い内に何とかしたいのが冒険者の心情だ。

「いや、今はないな。お前の気持ちもわからんでもないが、正直、これに関してはまだ返してもらいたくないというのが本音だ」

 俺を自国に引き込みたいハリムにしては、それを取引材料に使わないのは意外ではあるが、それをすると俺がどんな手を使ってでも逃げようとするのを悟っているのかもしれない。
 むしろ、即席にでも俺を手駒として動かしたいときに使えるチケット程度として考えているようでもあり、使いどころを見極めんとするハリムの強かさがうかがえる。

「そんなこと言わずに……そうだ。例の巨大船を買い取った代金、あれをチャラにすることで借りと相殺にしませんか?」

 不労所得を手放すのは惜しいが、今俺がソーマルガに出せる対価で一番効果がありそうなのはこれぐらいだ。
 エリーとの婚約でも相殺は出来そうだが、それをするのは俺の魂とエリーの誇りに傷が付きそうなので、まだ取るべき手段ではない。

 ちなみに、買取査定の大幅減額に関して、人によってはボられ過ぎだと騒ぐかもしれないが、あれに関しては巨大船を所有する諸々の面倒をソーマルガが引き受けてくれたことに対する礼の意味合いも大きい。
 それにあの時譲歩して見せたから、今俺は無事に娑婆の空気を吸えているのだ。
 大局を見ない人間こそゴネていただろうから、俺は賢かったと褒めて欲しい。

「ほう、そういう手で来るか。悪くはない……が、断る。そんなものでは価値は釣り合わんのでな。ふはははははは!」

 そう言うとは思っていたが、こうも高らかに笑われるとムカつくものを覚えるぜ。

 借りというのは非常に便利な手札だ。
 使い道は自由、不発に終わっても使った側に痛みはなしとくれば、金で手放すのが惜しくもなる。
 ソーマルガにとって、毎年俺に払う金よりもそちらの方が得だと、ハリムも分かっているのだろう。

「おぉ、そうだ。代金と言えば、今年の支払いはもう確認したか?ギルドを通しての送金は処理済みのはずだが」

「…ええ、およそ1600万ルパ、確かに確認しましたよ。額が額なので、ちょいと引き出そうとしたらディケットのギルドマスター直々に呼び出されて、聴取もされました」

 この世界ではギルドが銀行の一部も兼ねており、電子化とまではいわないものの、実際の貨幣を動かさない送金のシステムはある程度出来上がっている。
 そのシステムを利用して、今年最初の振り込みが行われたわけだが、白級の冒険者が一度に手にするには額が大きすぎると、ギルド側に不審がられてしまった。

「であろうな。1600万ルパ、決して少額とは言えん。そのディケットのギルドマスターは、ちゃんと仕事をしたな。好感が持てる」

「まぁ俺が何か悪いことをしていないかと、かなりしつこく聞いてきましたからね。ギルドマスターという職務に忠実ではあるのでしょう」

 冒険者という人種をよく知っているからか、必ず善良ではないということを念頭に俺を疑ってかかったのは妥当なものだ。
 ギルドマスターたるもの、ギルドに所属する人間には公平であるべきだが、疑わしい人間に厳しい目を向けるのをためらわないのは、トップとしては正しい姿だった。

 今後、ソーマルガからは年に一回、同じぐらいの金額が毎年支払われるそうだが、ディケットはもういいとしても、他の街でも引き出す度にああいうのがあると思うと、少し気が重い。

「アンディは白級だったな?そのランクの人間が急に大金を手にしたとなれば、わしとて―」

「失礼します!宰相閣下に至急のお取次ぎをお願いしたく!」

 突然、ハリムの言葉を遮るほどの大声が室内に響き渡った。
 声の主を探してみれば、一人の兵士が執務室の扉の辺りに立っている。
 ここまで走って来たであろう証に呼吸も若干荒く、額には薄っすらと汗も見え、おまけに表情も険しいとくれば、どうやらただごとではなさそうだ。

「何事か」

 さっきまであった穏やかな空気を一瞬で引っ込め、やってきた兵士に相対する様には、流石は宰相だと思わせる重みがある。

「はっ!即応室より、閣下宛に伝令を預かっております。こちらを」

 そう言ってスクロール状の羊皮紙をハリムに手渡すと、受け取ったハリムは明らかに緊張で顔を強張らせた。

「即応室だと?ふむ…確かに受け取った。下がってよい」

「はっ!」

 兵士が下がり、その場でスクロールを開いて中身を検めるハリムだったが、次第に眉間の皺が深くなっていき、目つきも見たことがないほどに鋭いものへと変わっていく。

「ハリム様?いかがなさいましたか?」

 その様子に他の文官達も心配になったようで、恐る恐るといった様子で声をかけた。

「…アシャドル王国で変事あり、とのことだ」

「変事、でありますか?今の時間で即応室からということは、ギルドを通じてのものでしょうが、一体どのような…」

「詳しいことはまだわかっておらんようだ。しかし、何か起きていることは確かな以上、備えねばならぬ。直ちに城内の全ての部署に特令待機を出せ。わしはこれより陛下の下に赴き、情報の統制を行う。急なことですまぬが、当面の内務はお前達で差配せよ。よいな?」

「はっ、かしこまりました」

 文官に指示を出し、スクロールを丸めなおしたハリムはその場を立ち去ろうとしたが、ポカンとして見守るだけだった俺と目が合うと、少し考えるそぶりを見せてから口を開いた。

「ふぅむ…よし、アンディ。お前も共に来い」

「は?来いってどこへ?」

「今のやり取りを聞いていなかったのか?陛下のところだ。場合によっては、お前の知恵が必要になるやもしれん」

「はぁ、何だかよく分かりませんが、一体何が起きてるんですか?」

「その問いにも歩きながら答えてやる。そら、行くぞ!」

「え、あ、ちょっと!」

 付いてくるのが当然とばかりに部屋を出ていくハリムに、俺もとりあえずその後ろに続く。
 別に付き合う義理はないのだが、何かが起きている以上、それを知らずに巻き込まれるのを回避するためにも、ハリムからは色々と聞き出す必要がある。

 先を行っていた背に追いつき、先程約束されたように俺の問いにハリムが答えていく。

 ソーマルガ皇国には他国で起きた事件を把握・分析するための部署として即応室というのがあるそうで、そこには他国からの救援等の情報も集まってくる。
 今回、冒険者・商人ギルドのみが所有と運用を行う、遠隔地へと情報を伝える魔道具により、アシャドル王国で何やら重大な出来事が起きたと知らされたらしい。

 恐らくソーマルガだけではなく、アシャドルの近隣にある国全てにこの情報は行っているはずで、今頃は各国の宰相クラスはハリムのように動いていることだろう。

 元々国からの干渉が薄いとされるギルドという組織だが、居を構えている国に一大事があれば情報の伝播等に協力することもやぶさかではなく、災害などがあれば当事国の代理で他国に救援要請をするという例は過去にもあった。

 しかし、その場合でも具体的な情報を先に明かし、どういう支援が欲しいかをあらかじめ伝えるものだが、今回に限ってはその情報がほぼなく、変事ありとだけしかない。

 それが逆に、アシャドルで起きている何かをギルドも把握できないほどのレベルなのではないかとハリムは予想している。

 これからグバトリアの元へ行くのは、情報を集め、その確度を高めるとともに、今後の方針を決める会議を行うためだ。
 勢いで着いてきてしまったが、そんなところに俺を引き込もうとは…ハリムめ、やってくれる。

 とはいえ、アシャドル王国には知り合いも多く、決して他人事で済ませていい土地ではない。
 激甚災害でも起きたのだとしたら、その支援には俺も進んで協力したいところだ。

 一体何が起きているのか、これから分かるとしても、何らかの覚悟が必要になるかもしれない。
 変事という時点で、穏やかに済みそうにはないという予感から、自然と表情が引き締まっていった。
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