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浮かれる学園

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 サッチ村から戻って来た俺達は、その足で学園長の下を訪ね、ハインツから聞いた話をそのまま伝えた。
 大恩あるラサン族の次期族長の弟が学園に乗り込んできて何を話すつもりなのかというのはレゾンタムも気にはなっていたため、俺の話を聞いてとりあえず何もわからないという不安からは解放されたが、同時に提案されたものについても頭を悩ませることとなった。

「子供でも扱えるような人工翼の開発、ですか…。まだ通常の人工翼の製造も本格的に動いていないのに」

 眉間にしわを寄せるレゾンタムは、ハインツの提案を無下にはしないものの、今の段階で受けるべきか悩んでいるようだ。

 今学園では人工翼の製造ラインの構築がようやく形になりだしたというあたりで、実動はまだまだ先のことだというのに、その亜種とも言えるような子供用の人工翼を一から作ろうなどと、話が先に進み過ぎだと思えてしまう。

「しかし、ハインツさんの言うことも一理ありましたよ。既にラサン族で死者が出ている以上、練習用の人工翼というのも早い内に用意した方がよろしいかと」

 まだヒエスにも話していないが、俺の中ではちょいとした案をもう考えている。
 クレインに引き渡した人工翼の作りを踏襲し、材料を見直して仕組みを簡略化させ、製造のコストと手間を大幅に抑えた、ハンググライダーかパラグライダーのようなものはどうだろうか。

 極論、ハンググライダーは金属のフレームと布で作れるし、パラグライダーは布と頑丈な紐で作れる。
 どちらも作り自体は複雑でもないため、作るだけならそう面倒でもない。
 何も人工翼然としたものである必要はなく、空を飛ぶ感覚を養うという一点だけを考えれば、そういった物でも十分に役に立つ。
 実際に飛ばしての実験は必要だが、練習用の人工翼としては一考の価値もあろう。

「…わかりました。とにかく一度ヒエス君と話をしてみましょう。勿論、アンディ君も一緒ですよ」

「ええ、分かってます」

 大変なことだとはわかっているため、俺にも仕事を与えようと逃がさんとするレゾンタムの鋭い視線に、俺も従順な返事を返しておく。
 ハインツから話を聞いてから、多分俺も手伝うことになると予想していたので、覚悟はしている。

「結構。それで、クレインさん達はいつ頃こちらへ到着すると?」

「そうですね…今日にでもサッチ村を発っているはずですから、四日か五日後といったところでしょうか。何分、ハインツさんが体調不良なもので、騎馬でもあまり速度は出せないと思いますし」

「ふむ、少し時間は足りませんが、とにかく今からでもヒエス君を交えて話を進めておくしかありませんね」

 四・五日程度では新しい人工翼の話などあまり進まないが、何もしないよりはましだ。
 とはいえ、俺の中にある素案をヒエスに伝えるぐらいなら、それほどの時間でもなんとかなるだろう。

「そういえば、俺は最近ヒエスと会ってませんけど、どうなんですか?一時期は疲れすぎてやつれてましたよね」

「相変わらず忙しいみたいですよ。ただ、一時期の人が押し寄せるようなことはもう無くなってますね。なんだかんだ話題にはなりましたが、今は冬季の休みに学園全体の意識は向いてますから」

 学園には長期休暇が年に二度ある。
 所謂夏休みと冬休みとなるわけだが、大体一ヵ月強の休みではディケットの街の近くに実家がある人間以外、基本的に帰省ということはできない。

 そのため、ディケットと実家の中間距離にある町や村なんかで家族と合流してバカンスというのが長期休暇の主な過ごし方となる。
 勿論、それが出来ないほど遠方に家族が住んでいる生徒もおり、この休暇はディケットから一歩も出ないという生徒も珍しくない。
 というか、そういう生徒がほとんどだ。

 勉強漬けの日々から解放されるというのはやはり嬉しいもので、長期休みの日を今か今かと待ち望む生徒達で学園の空気はかなり浮ついている。
 俺でも感じ取れるほどなのだから、当の生徒はもっとウキウキしているのかもしれない。

「冬季の休みですか。ヒエスは実家に戻るんですかね?」

「残ると思いますよ。確かご実家はディケットから大分遠くにありますから」

 ヒエスとは実家についての話をしたことはなかったが、レゾンタムは流石学園長だけあってそういうのは覚えていたようだ。
 もっとも、ヒエスが学園にとって重要な人物となったことで、気に留めているからこそ知っていたということもあるとは思うが。

「丁度いいことですし、ハインツさんから持ち込まれたその案件も、冬季休みの間に進めましょう。ヒエス君も授業がないのなら、人工翼の開発に割ける時間もそれなりに捻出できるでしょう。もちろん、アンディ君も」

 この時点で冬期休暇が削られることが決定したヒエス。
 学生にとっての休みの価値を考えると、少し同情してしまう。

「まぁ俺は元々暇なんで構いませんが、ヒエスにはあまり負担がないようにお願いしますよ」

「分かっています。私も生徒にああまで疲労を強いることなど、二度とあってはならないと心得ています」

 やつれたヒエスの顔を思い出してか、レゾンタムが一瞬歯を食いしばるような顔を見せた。
 人工翼に関することにはヒエスを欠かせないとはいえ、幽鬼のような有様を知っているだけにそんな顔にもなろう。

 レゾンタムは教育者としては真っ当な人間なので、生徒に対しての慈愛の精神は深く、そのためにヒエスに頼ることを心のどこかでは後ろめたさを覚えているのかもしれない。





 その後、大体想定していた日にち通りにハインツとクレインが学園へとやってきて、レゾンタムとヒエス、俺を交えて話し合いが進み、簡易版の人工翼の開発がとんとん拍子で進んでいった。
 完成形としては、提案したいくつかの中からハンググライダーを模した構造が採用された。

 人工翼の形を踏襲しつつ、構造もそれほど複雑ではないハンググライダーは量産もしやすかろうと、先を見据えてのチョイスだ。

 おもしろいことに、この話にウィンガルも加わり、開発にはペルケティアの潤沢なバックアップが約束された。

 使い手が限定される人工翼だが、子供用にと作られる簡易版であれば、もしかすれば鳥人族以外にも使えるのではないかというのを見込んでのことだそうだ。
 なお、この簡易版の人工翼は開発中に限り便宜上、簡易翼と呼ぶこととなっている。
 特にこだわりもないので、その呼び名を話し合いの場にいた全員はあっさりと受け入れた。

 元々人工翼の技術を飛空艇に流用するため、研究成果をどうにか手にしたいと学園までやって来たウィンガル達だが、どうやら今は簡易翼そのものを主都へ持ち帰る方向に目的がシフトしたらしい。
 遅々とした飛空艇開発に対する、別方向からのアプローチを簡易翼に期待しているようだ。

 こうして金銭的・人員的にもヒエスを支援し、早急に簡易翼を形にしたいと、ウィンガル一行は冬季休みの間もディケットに滞在することが決まった。

 一ヵ月ほどある冬季休みの間に簡易翼の開発がどこまで進むかは分からないが、人工翼をあの短期間で作り上げたヒエスのことだし、国の支援が整っているのならかなり早い内に試作品はできあがることだろう。

 これによってハインツも懸念が解消され一安心といったところだ。
 サッチ村で見た時よりも体調はだいぶ回復しているようだったが、簡易翼の話がまとまったことで安堵からか顔色も一層よくなっていた。

 当事者ではない俺にはあまりわからないが、この兄弟の喜びようからすれば、鳥人族の未来が開かれたと、そんな感じだろうか。

 同時に、簡易翼のテストパイロットについても議題として挙がる。
 これに関しては、人工翼の時の様に俺がテストパイロットをすればいいと思っている認識を改めさせてもらった。

 確かに人工翼は俺がテストパイロットを務めたが、あれはあくまでも他に適任がいなかっただけのこと。
 簡易翼に関しては、やはり鳥人族の子供に使わせてみなければならない。
 正直、俺は体格的には子供とは言えないし、体重に関してもそうだ。
 鳥人族はそもそも種族として体重が軽いということもあって、適任は自然と絞られてくる。

 そこで白羽の矢が立ったのは、クレインの娘であるジルだ。
 年齢的にはまだ子供と言える頃で、学園の生徒という立場が開発に協力しやすいということもあっての理由だそうだ。
 勿論、この後本人に意思を確認してからの正式決定となるが、クレインが言うにはまず断らんだろうとのこと。

 ジルも次期族長の娘として、簡易翼開発の意義は理解するだけの頭と胆力はあると、妙に胸を張ったクレインに強く言われては適任だと思えてくる。
 前に親子が一緒にいた時は、クレインもジルに対しては素っ気なく接していたように思えたが、今の様子を見ると中々に親バカの気があるのかもしれない。

 ただ、そんなクレインも万が一の事故はやはり気になるようで、飛行試験の最中に事故を起こした際のジルへの安全策については、凄味をもって俺とヒエスに念を押してきた。
 試作品の破損は勿論だが、命が失われることを許容できないのは俺達も気持ちは一緒なので、その辺りの対策は俺が責任をもって行うことにする。

 手っ取り早いのはジルに噴射装置を身につけさせて試験飛行を行わせることだが、俺もパーラも噴射装置は日常使いしているものなので、短時間ならともかく、長い時間貸し出すのは避けたいところだ。
 出来ればそれ以外で安全策を用意してやりたい。

 しかし、空中において不測の事態が起きた際、噴射装置以外で最低限ジルの命だけでも守れるものとなれば、俺は一つしか心当たりがない。
 そして、その頼る伝手は幸運にも学園内にあった。




「とまぁそんなわけで、お前さ、ちょっくら国許に連絡入れてパラシュートを一つ用立ててくんない?」

 簡易翼の話し合いの日から数日経ったころ、俺は学園内でブラブラしていたエリーを捕まえ、色んなことを伏せながらも端的に説明をし、既にソーマルガで存在するはずのパラシュートを一つ都合してもらおうと頼み込んだ。

 あの日の話し合いの後、試験飛行の際の安全策として俺が目を付けたのは、人工翼の時も一案として浮かんだパラシュートを装備しての試験飛行というスタイルだった。
 現状ではパラシュートの実物は、ソーマルガのダリアを頼るのがいいだろう。
 一から作るのも手間だしな。

「いやそう言われてもね、そのパラシュート?ってのを、私知らないんだけど」

「え?嘘だろ。飛空艇へのパラシュートの装備はもう決まってるってダリアさんも言ってたが?」

 それを聞いたのはもう一年以上前なので、とっくにパラシュートは実用化されて飛空艇に搭載されているはずだ。
 まさかそれをエリーは知らないというのか?

「私だって国のことを全部知ってるわけじゃないからね?飛空艇関連のことは私もある程度知れるけど、それ以上に知らないことの方が多いわよ」

 言われてみれば、エリーはまだ未成年の王族だし、そもそも飛空艇に関することは機密が絡んでくることが多いので、何もかも把握している方があり得ないか。
 しかし、それでも王族は王族だし、父親にねだるようにして何とか融通してくれないだろうか。

「そういうのって、私が言ってもすぐに手配してくれるかも怪しいわね。どうしても欲しいなら、アンディが直接言ったら?」

 なおも頼み込もうと口を開きかけた俺だったが、それを塞いだのはエリーからの何気なさを伴った一言だった。

「直接?まさか、ダリアさんがここに来てるのか?」

「そんなわけないでしょ。あの人もそんな軽い立場じゃないんだから。そうじゃなくて、私がソーマルガへ帰るのについてくればいいじゃない。アンディ、どうせ冬季休みは暇してるんでしょ」

「暇じゃない…こともないな」

 簡易翼のこともあって、冬季休みの間は忙しくなりそうだと思ったが、よくよく考えたらそんなことはなかった。
 もう設計図はヒエスに渡してあるし、実際に作るのに俺はいてもいいが必須ではなく、テストパイロットもジルが務めるとあって、正直俺は不可欠な存在という訳ではない。

 エリーが帰郷するのに同行するぐらいは、自由に動けるだろう。

「じゃあいいじゃない。しばらくしたら私達を迎えに飛空艇が来るけど、どうせならアンディの飛空艇でソーマルガに帰りましょ」

 上品な笑みをたたえながら言うエリーの言葉から、それが狙いかと分かった。
 多分、ソーマルガからエリーを迎えに来る飛空艇はせいぜい中型のやつになるはずなので、その居住性はどうしても今一になる。
 それに対し、俺達が持つ飛空艇はVIPを満足させる程度には乗り心地に優れているため、旅の足としてどちら選ぶのかを迷うこともない。

 それに、どうせソーマルガにいくなら、壊れたままのバイクを見てもらうという目的もある。
 多分まだクレイルズはあっちにいると思うので、バイクを直してもらえたら嬉しい。
 もしいなかったら、またその時に考えよう。

「そうだな、せっかくだし一緒に行くか。つーか、俺達が一緒でもいいんだよな?」

 ヒエスやレゾンタムに断りを入れる必要はあるが、何もずっと向こうにいるわけでもないし、ちょっと行ってくるぐらいは許されるだろう。

「大丈夫でしょ。アンディはうちの国じゃ貴族みたいなもんだし、下手な人間より信頼できるもの。そもそも私が同行を認めるんだから、気にしなくていいのよ」

「俺が言いたいのは、元々お前と同行する予定だった人達にちゃんと話を通せるのかって意味なんだが」

 付き合いの長さからくる信頼なのだろうが、だとしても元々エリーの帰郷に同行するはずの人達には説明も欠かしてはならない。

「分かってるってば。心配しなくても、ちゃんと私から言っておくわよ」

「ならいいんだが」

 なんとなくエリーはわがままを言って周りを振り回すイメージがあるので、最後まで何も言わずに出発しそうな気がしていた。
 前に一度、俺の操縦する飛空艇に潜り込んだ前科もあるしな。
 しかし、本人の口からはっきり言われたので、その心配はないものと思いたい。

「でも、冬季休みに入ると―」

「む…、エリー、ちょっとこっちに」

「え?きゃっ!」

 エリーの言葉を途中で遮り、その手を引いて俺の背後へとかばう。
 俺達がいるのは一方が中庭に面した通路であるため、壁側へとエリーを押し付けるような体勢になる。

「ちょちょっ、アンディ!?なんなの!?」

「動くな。何か来る」

 急なことで驚くエリーだったが、俺の一言ですぐに大人しくなり、その身を縮こまらせる。
 エリーは気付いていないようだが、冒険者としての経験で培った鋭敏な感覚から、俺達の方へと走ってくる何者かの気配を察知した。

 今は授業時間中で、教室外にいる生徒はそう多くない。
 校舎内を走り回る生徒や教員がいてもおかしくはないが、エリーを狙う暗殺者という可能性もある。

 エリーは完全な非戦闘員だ。
 安全な学園の敷地内とはいえ…否、そういう場所だからこそ俺が護ってやらねばッッ。

 念のためいつでも魔術を発動できるように身構えながら、徐々に近づいてくる足音へ備えていると、校舎の方から廊下を削るように滑り込む人影が見えた。
 恰好から生徒だと分かるが、その登場の仕方からただ事ではないと思い、なおも警戒を解かないでいると、向こうがこちらに気付いたようで、そのままの勢いで駆け寄ってきた。

 背中の存在を考え、迎撃の選択肢が頭に浮かぶのとほぼ同時に、エリーが上げた声でその考えが一瞬で掻き消えた。

「あら?お兄様?」

「へ?」

 今、お兄様といったか?

「やっぱりエリーじゃないか!こんなところでどうした?授業はいいのか?」

 俺の目の前で急ブレーキをかけ、立ち止まった生徒は実に嬉しそうな顔を見せ、俺の背後からひょっこり顔を出したエリーに声をかける。
 エリーがお兄様と呼んだとなれば、こいつはソーマルガの第一王子であるエッケルドか。

 兄弟だけあって顔のいたるところは似ているが、エリーが母親似なのに対して、エッケルドは父親をそのまま幼くしたような見た目なのは、血のなせる業かと奇妙な関心をしてしまう。
 このまま歳をとっていくと、グバトリアと見分けがつかなくなるのではと思ってしまうが、唯一父親とは異なる点として、頭のてっぺんで主張するアホ毛が見分ける材料になりそうだ。
 王子は寝癖を直す暇もないというのか?

 言動の端々に粗野なものは覗いているが、そこはやはり王族だけあって美男子と呼べるだけの見栄えを誇っている。

「はい、今は礼儀作法の授業で、基本の出来ている貴族は免除されますから。お兄様こそ、こんなところでなにを?」

「うむ、俺の方は今日の授業は終わったのでな、すこしのんびりしようと思って良さげな場所を探しているのだ。こっちのは確か、臨時講師のアンディ教諭だったか……ふむ、もしやお前のこれか?」

 エリーをかばう様にしていた俺に照準は移り、不思議そうな顔をしながらエッケルドが小指を立てる仕草を見せた。
 所謂、恋人を指すあれだ。
 身を寄せ合うようになっている姿から、そう推測したらしい。
 というか、こっちの世界でもそれで通じるのか?

「いえ、自分達は―」

「違います!私達はまだそういう関係じゃありません!」

 俺が言うよりも早く、エリーが割り込むようにして強くそう言い放つ。
 顔に赤みががしていることから照れてのことだとは思うが、言葉のチョイスとしては向こうに勘繰らせる要素があることには気付いていないのだろうか。

「ほう?まだ、ということはいずれそうなるわけか。なんだ、将来の義理の弟か」

「お兄様!」

 慌てるエリーに向けられるニヤニヤとした顔は、なるほど、あの親にしてこの子ありといった感じだ。
 悪戯小僧のようなこの目は、グバトリアが時折浮かべるものとほとんど同じだ。

 これはイジられるかと思って少し身構えたが、遠くから聞こえてきた声でそれも杞憂に終わる。

 ―殿下ー!

 こちらへ近づきながら殿下と呼ぶということは、エッケルドかエリーを探しているということか。
 どちらをというのは、エッケルドが顔色を変えたことで答えは出た。

「ちっ、もう来たか。…もう少し話したかったが仕方ない。二人とも、またいずれにでも落ち着いて話そう。ではな!」

「え、あ、お兄様!?」

「俺がこっちに行ったというのは内緒に頼む!」

 まるで何かに追われるようにして急いで立ち去っていくエッケルドに、俺もエリーも引き留めることは出来なかった。
 それと入れ替わるようにして、今度は別の生徒がエッケルドが去ったのとは反対の廊下から姿を見せた。

 こちらも男子だが、普人種で褐色肌という特徴からソーマルガの人間ではないかと予想する。
 線の細さはさながら貴公子そのもので、このまま正装を施せばマダムの餌食になりそうな魅力を醸し出している。

「あ!これはミエリスタ殿下!このような場所でお会いするとは…ご無沙汰しております」

 何やら焦った様子を見せる男子生徒だが、エリーをそう呼ぶということは、やはりソーマルガの人間か。
 やってきた方向からして、エッケルドを追ってきたのかもしれない。
 バタバタとしていた姿から一転して、見事な礼の姿勢を見せたところには、貴族に相応しい教養の香りが感じられる。

「ええ、久しぶりね、ベネディクト。何か急いでいたみたいだけど、どうかしたの?」

「は、実はエッケルド殿下を探しておりまして」

「あぁ、お兄様ならさっきまでここにいたけど…もしかしてまたなの?」

 渋い表情をするエリーに、ベネディクトと呼ばれた男子生徒も同じような顔を見せる。
 この二人の間では、エッケルドに関して何かしらの感情を共有しているようだ。
 まぁいい感情ではないのは顔を見ればわかるが。

「ええ、いつものです。しかしやはりこちらに来ていましたか。それで、どちらに?」

「あっちよ。ついさっき走っていったから、急げばまだ追いつけるかもね」

 内緒に頼むと言われた兄をあっさりと売るとは、エリーの兄を思う気持ちはさほどでもなさそうだ。

「左様ですか!ご無礼ながら、これにて失礼させていただきます!」

 顔が真剣なものに変わったベネディクトは、それだけを言ってすぐにエリーの指さした方へと駆けていく。

「エリー、今のは?それにエッケルド殿下がまたって?」

「あぁ、ベネディクトは幼いころからのお兄様の側仕えよ。入学も一緒にして、普段の身の回りの世話は彼がしているの。またってのは、お兄様ってちょっと自由過ぎる人だから、ああして時々ベネディクトを撒いてどこかに行っちゃうのよね。ベネディクトはまじめだから、お兄様を一人に出来ないってああして追いかけるのを、私も昔からよく見てたわ」

 懐かしむように目を細めるエリーだが、そこには呆れも含んでいるようにも思える。
 エッケルドは今も昔も変わらず世話役を振り回しているわけか。

 ああして逃げるエッケルドを追いかけるのも、ベネディクトにとっての忠義の表れなのかもしれない。

 ―殿下!お待ちを!殿……殿下この野郎!待ちやがれ!止まらねーとぶっ飛ばすぞダボがぁ!

 ―そう言われて止まれるかよ!俺はこれからまったり過ごす予定があるんだからついてくんな!

 廊下の向こうから聞こえてくるベネディクトの声は、いい加減堪忍袋の緒が切れたか、敬うような色は失せ、激しい言葉をエッケルドに投げつけている。
 それに返すエッケルドも、とても王族の落ち着きとは縁遠い、幼い子供のような主張だ。

「とても主従の言葉とは思えないな」

「普段はちゃんとしてるのよ、ベネディクトも。ただ、お兄様はベネディクトに面倒をかけっぱなしだから、それが積もり積もって時々ああなるの」

 エリーの言いようだと、完全にエッケルドがベネディクトにストレスをかけているようなので、溜まったものが弾ければああもなるか。
 まぁそうだとしても、忠義というものを考えさせられる言葉だったな。

「なぁエリー、もしかしてソーマルガに帰るのってエッケルド殿下も一緒になるのか?」

 嵐の様に通り過ぎて行ったあの二人で、ふと思ったのはエリーの帰郷にエッケルドとベネディクトの二人も同行するのかということだ。

「なにを当たり前の…あぁ、そういうこと。大丈夫よ、確かにお兄様たちもソーマルガには帰るけど、アンディの飛空艇に乗せろってことにはならないわ。元々ソーマルガからはお兄様と私に迎えの飛空艇が来ることになってるから、そっちを使うでしょうね」

「でもお前は俺の飛空艇に乗るんだよな?だったらエッケルド殿下も、ってことにならないか?」

 エリーだけならともかく、エッケルドはソーマルガの第一王子ということもあって、こっちの飛空艇に同乗するのは色々と責任が重い。
 勿論、事故などは起こすつもりはないが、気分の問題だ。

「それはないわよ。私達が冬季休みに入ったら、ソーマルガから迎えの飛空艇が来るんだけど、それに乗らないっていうのは王族として格好がつかないもの。私はともかく、お兄様は特にね」

 自国の王族を迎えに来るというのは、それを任された人間にとっては非常に名誉なことであり、特に飛空艇を使ってとなれば、限られた者のみに与えられる特別な任務となるそうだ。
 もしそんな人間に対し、他の手段で帰るからいらないと言ってしまえば、それはその人の誇りを汚すことにもなりうる。

 そのため、命や国の沽券にでもかかわるよっぽどの理由でもない限り、この迎えを拒むことはあまりよろしくない。
 特に、次期国王が約束されているエッケルドはな。

 臣下を大事にしない王に、誰が付いていくのかという話だ。
 もっとも、先程のベネディクトとのやり取りを見てしまえば何とも言えない気分になるが、王族としての公での振る舞いとしては気を配る必要がある。

 この点、エリーは王位継承権を保持してはいるがその位は低く、王位に就くことはまずないとされているので、兄よりはある程度自由に動けるため、俺の飛空艇を利用できるというわけだ。

「そういうもんなのか…まぁいい。それよりそろそろ昼だけど、おまえどうすんの?」

「どうって、普通に学食行くけど?」

「なら一緒に行こうぜ。俺も今日は学食だし」

「そうなの?パーラも?」

「いや、今日は別だ。あいつは冒険者の方の仕事で出てるからな」

 日課で冒険者ギルドの依頼を見ることにしている俺達だが、その中でもパーラが気に入ったものがあったようで、今日はそれで学園を離れていた。
 アミズの手伝いも毎日あるわけでもないし、たまにそういうのをやる暇ぐらいはある。

「…ふーん、そうなんだ」

 パーラの不在を聞いて、口調こそ素っ気ないが顔をニヤけさせたエリーは、纏う雰囲気からも機嫌がよくなっているのが分かる。

「なら、学食で食べながらソーマルガに向かう旅の予定でも話そうよ。最近、飛行同好会に顔出してなかったから、アンディとも話すの久しぶりだし」

「あぁ、まぁヒエスが忙しかったからな。チャムが止めてたんだっけ?」

「そうそう、体調を気遣ってね。あの子ったら、まるで会長のお嫁さんみたいな感じになってるのよ。もう結婚しちゃえばいいのに」

「まったくだ」

 嫁云々に関しては俺も思っていることなので、同意しておく。
 しかし言われてみれば、エリーとこうして二人で話すのはいつぶりだったか。
 大抵いつも傍にはパーラかリヒャルトがいたしな。
 ご無沙汰だったと言えなくもない。

「今更だが、今日は傍にリヒャルトはいないんだな。どうしたんだ?」

「あの子は授業中よ。今日の男子は貴族も平民も関係ないやつだから、私と違って抜け出せないの」

 礼儀作法と言っても、身分や性別で異なるものも多いし、男子と女子ではカリキュラムに若干の違いもあるのだろう。
 もしかしたら、今のエリーの様に授業が免除されるケースの方が珍しいのかもしれない。
 こんなでも王女様だし、礼儀作法に抜かりはないようだ。

 リヒャルトがいない理由も分かったし、そういうことなら俺がエリーを学食までエスコートしよう。
 先程からエリーもスキップで移動するぐらいには妙に機嫌がいいし、それが正解な気がしている。
 なんだろう、パーラがいないから嬉しいのか?
 あるいは、俺と二人で食事をとれるのが嬉しいとかかも。
 エリーの好意を知っているだけに、それが正解だと思えてきてなんだから面映ゆい。

 それにしてもエリーのやつ、スキップが下手糞だな。
 パーラに見つかったら十日間はいじられそうなひどさだぞ、お前。
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