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賄賂じゃない、対価だ

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「だが断る」

 ズバっと切り捨てるような拒絶の言葉に、落胆よりも納得の感情の方を覚えた。
 はい喜んでという答えは期待していなかっただけに、むしろ安心してしまうほどだ。

「なんで僕が君にそんなことを教えなくちゃいけないんだ。ただでさえキャシーの分の仕事もこっちに回されて忙しいのに、そんなことに時間を割く暇はない。」

 机の上にある書類に書き込みをしながら、こちらを見ることもなく平坦な声でそういうグロウズは、少し前に見た時より若干やつれて見え、そうなるほどに忙しいというのはなんとなく分かる。

 最初見た時は、『なん…だと、こいつ…事務仕事をしてやがる!?』と驚いたものだが、よくよく考えればそういうのをやらずに偉い地位にいられるわけがないので、やっていて当然だ。
 グロウズは絶対に脳筋タイプだと思っていただけに、驚きはひとしおだったが。

「…ま、そう言うと思ったよ。俺だって他に適任がいたらあんたのとこには来なかったさ。聖鈴騎士でキャシーさんの元教え子のあんたじゃなきゃな」

 キャシーとの手合わせの話をしたすぐ後、俺はその足でグロウズのもとを訪ねていた。
 ウィンガル一行がまとめて貸し切りにしている宿に顔を出すと、意外とあっさりグロウズの部屋へ通された。
 俺がグロウズとバチバチにやりあった話を応対した者は知らないのか、または害される心配がないと分かってそうしたのかは分からないが、話が早いのは有難い。

 部屋に入ってきた俺に軽く驚いたグロウズだったが、すぐに仕事へと意識を戻し、早々に用件だけを求めてため、キャシーの魔術や戦い方といった俺の今知りたいことの情報提供を頼んだのだ。
 その答えが、先程のにべもない言葉だったという訳だ。

「ところでグロウズ。あんた、ケランブーラって知ってるか?」

 このままだと話は進まないので、グロウズの弱点ともいえるものを取引材料に提示してみる。
 本当は俺のおやつにと用意していた品だが、キャシーの情報入手のためならグロウズにやるのも惜しくはない。

「ケランブーラ…聞いたことはある。強い酸味が特徴的だというあれだろう?」

「食べたことは?」

「ないよ。あまり美味い物じゃないと聞いているし」

 ケランブーラ自体、世の中にはそこそこ出回っているが、味わいに癖があるため、他に果物があればわざわざ好んで食べないそうだ。
 パーラやリッカは酸味が好きだと言っていたが、その酸味のせいで好みが分かれてしまう。

「まぁ酸っぱいのが好きって人間じゃないと、そういう感想にもなるな。けど、干果にしてみると甘くて美味しくなるんだ。というわけで、干したケランブーラがこれだ。俺のお手製だがまぁ食ってみろ、飛ぶぞ」

 机の上にスペースを見つけ、そこへケランブーラのドライフルーツが入った子袋を置く。

「干果ねぇ…たまに食べることはあるけど、本当においしいのには出会ったことがないな。まぁそう言うなら一つ貰おう」

 ケランブーラにはあまり期待していないようで、グロウズが渋い反応を見せつつも、袋の中から一切れ摘まんで自分の口へと運ぶ。
 小ぶりなそれを咀嚼しながら、書類へと視線を戻そうとしたグロウズの動きが止まる。

「なん…だ、これは」

 そうつぶやき、ゆっくりとした動きでまたドライフルーツを手に取り、驚愕に目を見開いて眺めだした。
 よく見ればグロウズの手は震えており、俺の目論見通り、この味に見事舌を捕らえられたようだ。

「その反応を見る限りじゃ、お気に召したようだな。どうだ?もっと食いたかったら素直に俺の―」

「どういうことだ!こいつはただの干果じゃあないな!?甘くてねっとりとして、奇妙なほど濃厚な味わいがある!なんだ、何をした!アンディ君!」

 想像以上の反応に、この後の話がしやすくなったと内心でほくそ笑む。

「…相当お気に召したようで。何をしたって、特別なことは何も。ケランブーラを干して、水分が多少抜けたところで、保存しただけだ」

 目を剥いて声を張り上げているグロウズだが、俺から言わせればお前の食ったのはごく普通のドライフルーツだ。

 以前、リッカ達と一緒に作ったケランブーラのドライフルーツだが、製造に風魔術を導入して作ったのは恐ろしく味のいいものになったため、他には出さず特別な時に自分達だけで食べることにしていた。
 それとは別に、普通の製法で作ったドライフルーツは普通に美味いものなので、おやつの時間などに食べたりしてたのを、今回グロウズに食わせてみただけだ。

 いわば、二級品のドライフルーツに過ぎないものなのだが、それを食べてのこのリアクションなのだから、今までこいつが食ってきたドライフルーツがいかに雑な作り方で出来たものだったかがよく分かる。

 基本的にドライフルーツというのは、水分を抜いた後に砂糖などをまぶして保存するのだが、俺の場合は水分は完全には抜かず、そこそこ水分を残した状態で冷蔵にまわす。
 こうすることで、酸味と甘みがゆっくりと混ざるように熟成されていき、あんぽ柿のようなねっとりとして爽やかな甘さのドライフルーツとなるのだ。

 …よく考えたら、結構特別な作り方だな。
 しかし、あえて言うこともないので黙っておこう。

「こんなに美味い干果は初めて食べたよ。…なんで僕にこれをってのは聞くまでもないね。引き換えにキャシーのことについて話をしろってことだろう?」

 グロウズも察しが悪い人間では無いので、俺がタダでドライフルーツを提供したとは思っていない。
 ジトリとした目を向けられたが、これは旨いものを食べられたことの喜びと同時に、嫌いな相手からそれがもたらされたことへの不満も覚えているからだろう。

「そういうこと。その袋は全部やる。それに見合う代金として、キャシーさんの魔術に戦法、癖なんかの情報が欲しい」

「さっき言ったことそのまんまだね。…まぁ手合わせする相手の情報が欲しいのは分かるけど、僕が仲間の弱点になるようなことをあっさり言うと思うかい?まぁ言うけど」

 言うんじゃねぇか。
 まさかドライフルーツでキャシーを売り飛ばすわけではないが、流石に同僚の弱点になるようなことまでは伏せるだろうし、俺に知られたところで問題のないレベルの情報しか開示しないとは思う。

 それでも、キャシーの戦い方をほとんど知らない俺からすれば、グロウズから与えられる情報は貴重なもので、こっちの質問にも答えてもらえるのならなお有難い。

「ま、この干果の代金分は話してあげるよ。それに、ちょっと気分転換もしたかったしね」

 机の上にある書類の束を見るに、グロウズの抱えている仕事量は相当なもので、むしろ気分転換というよりも現実逃避と呼んだ方がいい気がする。

「さて、じゃあ何から話そうか」

「ならまずは魔術だ。キャシーさんが植物を使うってのは何となくわかる。それがどこまでやれるのか、どんな欠点があるのかを知りたい」

「魔術ね。いいだろう。キャシーが使っているのは、葬送の花園と呼ばれる固有魔術さ。君も味わっただろうけど、植物を操作するだけだが、その応用力は並みの魔術とは一線を画す。攻撃、防御、捕縛と幅広く対応できる魔術で、その気になればキャシー単独でちょっとした街なら黙らせることも不可能じゃない」

 やはり固有魔術だったか。
 植物を操るというのも、俺が木の根で捕まったことから予想していた。
 しかし、街一つを壊滅ではなく黙らせるとは、植物特有の何かで丸ごと眠らせるのか、それとも単純にあの木の根で包み込んでしまうのか…。

 いずれにせよ、個人で持つ力としては、とんでもなく強大だと言える。
 仮に大規模な戦争があったとしたら、キャシーの魔術は戦略に組み込めるレベルではなかろうか。

「その葬送の花園ってのは、欠点はないのか?例えば使用に際しての特別な条件とか、それを発動させた後に何らかの制約が課されるとか」

「そういうのは聞いたことがないね。いつでも安定して使えなきゃ、彼女は今も聖鈴騎士にはいないさ」

 だろうな。
 固有とつくとは言え結局は魔術だ。
 本人の魔力さえあれば使用に制限はなく、意識さえしっかりしていれば自分の手を離れて暴走することもない。

 それほど強力なのに制約がないのはずるいと思うが、それが魔術というものなのだから仕方ない。

「でもまぁ、冬の間はどうしてもキャシーの魔術も使い勝手が悪いんだけどね」

「冬の間?…そうか、植物だからか」

「ああ。魔術の特性上、どうしても植物の状態というのに左右されやすいんだ。だから寒さが厳しくなると、操作も鈍くなる。初めてキャシーの魔術を食らった時を思い出してごらん。木の根っこで僕らは拘束されだろう?今は寒い時期だから、比較的動きが鈍くならない木の根を使ったんだ」

 キャシーの魔術では木の根っこから枝まで、恐らくある程度の柔軟性があれば、植物本体に多少無理な動きでも強制させることができるのだろう。
 しかし、植物というのは冬に近付くにつれて、その体の水分量や糖度などを変化させて寒さに備える生き物だ。

 もしかしたら、比較的温度が安定している土中にある木の根なら動かしやすいのか、あの時もキャシーは木の根を操ったのかもしれない。

「ちょっと待て。あの時も結構寒かったぞ。てことは、あれでもキャシーさんの魔術は本調子じゃなかったのか?」

 グロウズの言葉で気付いたが、その言いようだと先日、キャシーから受けた拘束は弱体化していたものであり、本当の力はあんなものじゃなかったということになる。

「そうなるね。キャシーの魔術が一番弱まるのは冬だと、本人も言っていたよ。逆に一番調子がいいのは夏だそうだ。植物の活動が活発で、力に満ちた枝葉はそこらの武器に勝る強度へ変えられるとか」

 それを聞いて、俺は背筋がゾワリとした。
 もしあれ以上の威力を秘めた植物の一撃が、捕縛ではなく攻撃という形で向けられたらどうなるか。
 植物というのはそこら中にあるわけで、そんなのが剣や槍と化して四方八方から意思を宿して俺に襲い掛かってくるのだ。
 想像するだけでチビりそうになる。

「…キャシーさんの魔術はどれぐらいの範囲までを掌握できるんだ?」

「さてね。正確な有効範囲までは僕も知らない。ただ、大分昔になるけど、魔力で硬度を上げた葉っぱをナイフみたいに飛ばして、20メートル先を飛んでいた鳥を撃ち落としたのを見たことはある。こんな小さいのをね」

 その時の鳥のサイズを両手で作ったのを見る限りでは、およそ40センチほどの大きさになるか。
 意外と大きいように思えるが、20メートルも離れるとかなり縮んで見え、しかも飛行しているのを狙って当てるのは至難の業。

 木の根を操り、葉を手裏剣代わりにもするとなれば、遠近両方へ対応できるらしい。
 応用力と精密性を兼ね備えている可能性は感じられる。

「他に弱点は?」

「はっはっはっは、それをわざわざ君に教えると思うかい?自分で見つけるんだね。情報提供はここまで。もっと欲しいなら、干果を背嚢いっぱいに持ってきなよ」

 どうやらこのドライフルーツの代金ではここまでらしい。
 とはいえ、意外と情報は手に出来たと思う。

 キャシーの固有魔術を考えると、植物相手に俺の魔術のうち水と土は分が悪いと思うし、かといって雷魔術に頼るのも燃費の面から躊躇われる。
 季節的に弱体化していても十分な力を見せつけたキャシーには、何か正攻法以外での手段を用意した方が良さそうだ。

 植物が相手なら農業の知識を生かして除草剤でも持ち込んでみようかと思うが、流石に即効性のあるものとなれば環境と人体に与える影響も無視できないので、今回は見送る。

 得られた情報を元に、他の頭のいい人間に相談してみるのも悪くはないが、手合わせにそこまで人の力を借り切るのもどうなのだろうか。
 グロウズから情報を引き出しただけでもよしとして、後はパーラにぐらいは相談しておこう。
 何か仕込むにしても、やはりパーラの手を借りることになるかもしれないしな。





 SIDE:キャサリン・ダウワー


 聖鈴騎士序列六位、葬送花のキャサリン・ダウワー。
 それが私の呼び名となり、すっかり耳に馴染んでどれくらい経ったか。
 三十年くらいかしら?

 生まれつき常人より多い魔力保有量のおかげで老いからも遠く、未だ若いままなのを羨む声にもすっかり慣れた。

 それだけ生きていると色々あるわけだけど、その中でもここ最近に起きたヒューイットの件は、師匠としても頭が痛いものだ。

 発端はサニエリ元司教が不当に無実の人間を投獄したというものだが、結果としてサニエリ元司教は屋敷の庭を吹っ飛ばされ、ヒューイットが激辛香辛料を盛られて治療院に担ぎ込まれるという結末へと至った。

 どういう風に話がねじ曲がったのか、ヒューイットが毒を盛られたという話を聞いた私は治療院へと駆け付けたわけだが、そこで見たのはお尻が痛いと泣いているヒューイットだったのだから、思わず笑ってしまった。
 そうしたら本人は涙目で睨んでくるものだから、その様もまた私の笑いを誘ってきて、お腹が別物になったと錯覚するぐらい、久々に笑わせてもらったわ。

 私の弟子だったころからそうだったが、ヒューイットは辛い物が苦手で、その弱みを狙って料理に香辛料を仕込まれたわけだ。

 正直、生意気に育ったとはいえ可愛い弟子であることには変わりなかったし、やった相手には何かしら報いを受けさせようとも思ったが、よくよく事情を調べていくとそんな気も失せた。
 流石に権力に任せて人の人生を狂わせかけたというのは見逃せず、暫くはヒューイットが謹慎処分とされた上層部の決定には私も異を唱えられない。

 とはいえ、ヒューイットほどの実力者をいつまでも押し込めておくことをしないのも国というもので、条件付きで謹慎を解除し、形式的な観察処分を経て復帰するという体をとることになる。
 そして、ヒューイットの身柄を預ける人間として、真っ先に名前が挙がったのは私だ。

 当然と言えば当然か。
 かつての教育係だったことに加え、私の固有魔術は捕縛に向いているため、万が一ヒューイットが暴走した際の拘束には私が最適任となる。

 そうしてヒューイットと共に、ウィンガル卿を始めとした視察団の護衛という任務に就いたわけだが、まさかその先で因縁の相手との遭遇が待っていたとは、夢にも思わなかった。

 サニエリ元司教の屋敷とヒューイットに痛撃を与えた人物、アンディという魔術師との再会に、あれだけ念を押していたにも拘らずヒューイットが暴走したため、私はウィンガル卿が向けてくる非難の視線でいたたまれなかった。

 元々の武器は取り上げられているとはいえ、剣の方もヒューイットは十分な腕があるため、要人が集まる場所で戦闘を行い、向こうの人間を惨殺するとなれば、私も相応に責任を取らされることだろう。

 ところが、アンディはヒューイットと互角に切り結び、それどころか他への被害を考慮して場所を移すという余裕を見せた。
 その場を収拾するため、殺すか殺されるか互いに一歩手前といった段階で、私の魔術で割り込んで拘束したが、正直、ギリギリだったと言える。

 後少し遅ければ、ヒューイットは命を落とすか、良くて四肢の一部を切り飛ばされていたことだろう。
 あれでも聖鈴騎士序列二位だ。
 それを追い込んだアンディには非凡なものを感じた。

 これで人間性に難があれば危険人物として排除も検討したが、話してみれば普通の青年といった感じで、こういった健全な人間を投獄したということに、ヤゼス教の一部が持つ闇の部分を悔やまずにはいられない。

 それからしばらくはアンディと顔を合わせることが増えた。
 学園側から請われて私が教師の真似事で講演をすることになり、経験者であるアンディに色々と手伝ってもらったりもした。
 アンディの性格や物腰は意外に私としっくりくるものがあり、親交を深めることはできたと思う。

 そんな中でふと頭をよぎるのは、この先、アンディが私と敵対する可能性についてだ。
 私が所属するヤゼス教と、元司教が発端とは言え、既に一度敵対行動をとられている。
 彼の為人を考えれば、短絡的な行動はそうそうしないとは思うが、既に一度起きたことなら二度目は切欠も小さくて済む。

 職業柄、教会や教国に敵対する可能性のある人間には注意を払うのだが、その感覚でアンディも見てしまうと、恐ろしさを覚える。

 優れた戦士としての片鱗を見せつけ、魔術師としても優れていると聞く。
 学園内には正規の教員でもない彼に敬意を払う生徒をそれなりに見たし、指導者としても素質はありそうだ。
 特殊な魔道具を保有し、空を飛ぶこともできると思われるアンディは、個人単位で見ても十分警戒に値する。

 こうなると、一度彼の実力をこの身で確かめてみたいと思うのは、私も現役の聖鈴騎士としての矜持があるからだ。
 どうにか機会はないものかと窺っていたら、偶々食堂で同席した生徒がいい切欠をくれた。

 やや強引ではあったが、アンディの実力を知ることのできる、模擬戦というか手合わせというか、とにかくそういう具合のものへ話を持って行けたのはよかった。
 これでアンディの実力を測ることができる。

 互いに魔術師であるし、他に迷惑のかからないよう私が場所の選定を買って出たが、おかげで有利な場所で戦える。

 ただ、私の固有魔術は植物を操るため、当然ながら周りに植物がなければ意味がない。
 それに、生命力の残った植物でなければ操ることができないので、戦うのは生きた森の中が一番いいのだが、街のすぐそばに森は見たらない。

 おまけに今の季節は冬。
 あまり明かしていないが、実は私の魔術は植物の活力がそのまま魔術の強化につながる特性を有している。
 寒い時期は植物の動きが弱まることで、私の魔術も制御が大分難しくなるため、今はあまり適した季節ではない。

 私に不利な条件は多いが、やりようはある。
 聖鈴騎士として生きてきた中で、魔術を万全に使えない状況も数多く乗り越えてきた。
 今回もその経験を生かして臨みたい。

 負けたところで何かを失うわけではないが、敗者に一つ言うことを聞かせられるなら、ここにいる間はアンディには肩揉み係でもしてもらおうかしら。
 この胸のせいで肩が凝ってしかたないのよねぇ。

 そう思うと、勝ちたくなってきた。
 少なくとも、しばらくは肩凝りから解放されるのなら価値はある。

 それに、アンディが手練れの魔術師だというのは分かっているけど、一体どんな戦い方を見せてくれるのか期待もしている。

 アンディの性格からして、私に関する情報をどこかで集めてくるはずだ。
 今この街で私に一番詳しいとしたら、それはやはりヒューイットだろう。
 師弟関係にあったせいで、ヒューイットには私の手の内は大分知られているし。

 あの二人は大分仲が悪そうだったけど、ヒューイットにはディケットにいる間はアンディともめるなときつく言っておいたから、アンディの方から情報を求めればとりあえず聞けはするはず。
 まぁ大人しくヒューイットが教えるかは分からないが、私の魔術や戦い方についてはアンディに知られていると思った方が、実際の模擬戦で対策された動きを見せられても驚きは少ないだろう。




 食堂で模擬戦の話をした翌日、ディケットの街から少し離れた場所にある小高い丘で、私とアンディは向き合っていた。

「お待たせしちゃったかしらね、アンディ君」

 ここを模擬戦の場所に指定したのは私だが、先に来ていたのはアンディだった。
 少し遅れてしまったようなので、まずは待たせたことを謝っておく。

「いえ、俺もさっき来たばかりです」

「…ふふ、なんだか私達、待ち合わせの恋人みたい」

「だとしたら、物騒な待ち合わせもあったもんですね」

 お互いに緊張はしていないようで、軽口をたたく程度の余裕はある。
 まぁあくまでも模擬戦なんだし、こういう雰囲気になるのは嫌いじゃない。

「それじゃあ早速だけど、始めましょうか。あ、条件は覚えてる?」

「ええ、勿論です。持ち込める武器は一つだけ、勝敗はどちらかの降参で、ガチの殺し合いは無し」

「うんうん、ちゃんと分ってるみたいね」

 模擬戦を行うにあたり、アンディには勝敗の決め方や細かい取り決めなどを伝えていた。
 この手合わせではアンディの魔術師としての腕を見たかったので、発動体だけを持ち込ませて魔術での戦いを行うつもりだった。
 当然私も、発動体であるこの長杖だけで臨む。

「…アンディ君、ちょっと聞くけど、君のそれって発動体?剣の形なんて珍しいわね」

 魔術師が使う発動体は、大抵が杖の形をしているのだが、アンディが持ち込んだのはどう見ても剣の形をしており、発動体としてはかなり珍しいように思える。

 発動体に杖が選ばれるのは、長い歴史で積み上げられた技術によって、杖にこそ魔術師の補助に必要な機能を詰め込めるからだ。
 そこらの木の棒をただ使っただけでは発動体として用は足りず、職人がそう目指して素材と形状で発動体に仕立て上げるからこそ、私たち魔術師が扱えるものとなる。

 しかし、アンディが腰に下げているのは鞘に入った剣そのもので、発動体として見るには少し難しい。
 世の中には剣の形をした発動体も存在するにはするが、杖よりも魔力の伝導率は劣るとされていて、好んで使う人間はいないと聞く。

「いえ、これは発動体じゃなく、見ての通りの剣です。持ち込んでいいのは武器一つだけってことで、何も発動体に限ってませんよね?」

「まぁそうだけど。発動体なしで魔術使う気なの?それだと、魔力もすぐに尽きちゃうでしょ」

 魔術師が発動体を使うのは、魔術の発動を補助することに加え、魔力の消費を抑えるという目的もある。
 一般的に、杖を使うことで魔術の発動に必要な魔力は四割節約できると言われていて、魔術師が発動体を使わない理由はないのだ。

「ご心配なく。俺は発動体なしで魔術を使うのに慣れてますから。詠唱もいりませんし」

 …今、何と?詠唱がいらない?

 何の気なしにアンディが放った言葉に、私は眉間にしわが寄るのをはっきりと自覚した。

 なんということだろう。
 アンディを非凡な人間だと思うことにしてはいたが、まさか詠唱も発動体もいらない、意識発動型の魔術師だったとは、あまりにも予想外だ。

 詠唱と発動体を用いた魔術が今の世の中では主流で、意識発動型の魔術はすっかり廃れたと言われている。
 廃れたとはいえ、決して詠唱型に劣っているわけではなく、むしろ勝っている部分の方が多いくらいで、応用力と発動速度においては、詠唱型とは比較にならない優位性を誇っていた。

 私の固有魔術も、本来は詠唱を必要とはしないのだが、魔力の消費を抑えるのと制御の精度を上げるためにあえて詠唱を組み込んでいる。
 そのせいで、アンディの魔術に対抗するにはどうしても速度では劣ってしまうだろう。

 応用力に関しては引けを取るつもりはないが、魔術合戦になれば結局は発動速度が物を言う。
 正面切って撃ち合うことになれば、私が不利になる。

 意識発動型の唯一の欠点である、魔力消費の重さに期待して持久戦を仕掛けるのも手だが、それでもどれほどやれるものか…。
 剣を持ち込んだ以上、魔術以外の手札の分だけ、アンディは攻撃の選択肢が増えている。
 馬鹿正直に、撃ち合いで応じてくるかも疑問だ。

「…キャシーさん?なんか顔色が悪いように見えますけど、大丈夫ですか?」

「え!?あ、あぁ、大丈夫。何ともないわ、うん。ちょっと驚いただけだから」

「そうですか?ならいいんですけど」

 色々と考えが頭の中を巡っている間、私の顔色も悪くなっていたのか、アンディに心配されてしまった。
 これから模擬戦をするってのに、相手にああいう不安を抱かせるのは流石に無粋すぎる。

「お互いに準備は出来てるようだし、早速始めましょうか。この石を上に放るから、それが地面につくのを開始の合図とする。いいわね?」

「ええ」

 落ちていた石を拾い、それをアンディの目の高さまで持ち上げて言うと、向こうも同意を示したため、思いっきり上へと放り投げる。
 私とアンディの間は五メートルほど離れているため、ちょうど中間あたりに落ちるように計算して投げた。

 太陽の光の中に消えるようにして飛んで行った石から途中で視線を切り、目の前にいる男へと意識を集中させる。
 相手の実力は決して低くないと見積もっているため、油断はしない。

 今いるこの丘は、一見すると土の塊のように見えるが、実際は多くの植物の根が複雑に絡まって隆起している、通称『大地の瘤』と呼ばれる根の集合物だ。
 根の数だけで言えば同じ面積での森の中とは比べ物にならないため、私の魔術で操る木の根の量としては不足はない。
 それどころかお釣りがくるほど、潤沢な攻撃手段を秘めている。

「―大地の禁を解く!先手はいただくわよ!踊る根の老身!」

 なので、開始と同時に魔術を発動し、足元にある地面から木の根を生やしてアンディを攻撃する。
 石を投げた直後からコッソリと詠唱は済ませており、地面に石が着くと同時に発動できる。
 決闘開始前の詠唱は卑怯だと言われているけど、私は気にしない。

 天に上ったものが地面へ落ちるのは自然の摂理だが、あの石が神の奇跡でそのまま空の果てへと行ってしまえば、私の詠唱も無駄になったかもしれない。
 しかし、石はやはりただの石。
 地面へコッという音を立てて転がった。

 同時に、足元の土を突き破って表れたのは私の魔術で操作された木の根だ。
 踊る根の老身と名付けられたこの魔術は、無数にある植物の根を束ねて槍のように尖らせ、拘束と攻撃、両方の意味を持たせてアンディへ襲い掛かる。

 そのまま食らって戦闘不能になるならそれでいい。
 だが、アンディの目を見ると特に驚いてもいないようだし、回避されるだろうとは予想している。
 そうなったらなったで次の手も考えてある。

 いくつかある選択肢のどれを選ぶか、アンディの行動次第だ。
 できればこのまま終わってくれることを期待しながら、予想もしない何かを見せて欲しいと思う自分がいる。

 さあ、アンディはどう出る?



 SIDE:END
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