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キャサリン・ダウワー

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 バキバキという濁った破砕音と共に、背中で窓を割りながら外へと飛び出す。
 鍔迫り合いから場所を移そうと、グロウズの蹴りを食らった勢いに乗って俺が自分からしたこととはいえ、背中に感じた衝撃は決してノーダメージという訳にはいかない。

 学園長室は窓にも高級なガラスを使っており、窓枠だった木片と共に砕けたガラスが陽光を受けて輝く中、バルコニーへと転がり出た俺は、すぐさま噴射装置を起動して上へと飛び上がった。
 まさかこっそり身に着けていた噴射装置がこんな形で活きるとは、世の中何があるかわからんもんだ。

 すぐに俺が一瞬前までいた場所へ剣が突き刺さり、それを追うようにしてグロウズもバルコニーへと姿を見せた。
 俺目掛けて投擲した剣を再び掴み、上空へと避難した俺を睨みつけるその顔には、俺への憎しみからくる獰猛さが張り付いている。
 元々細い目が鋭く開かれている様子は、一般人が見たらチビりそうなぐらいの狂気性がある。

 少しの間睨みあうも、俺が噴射装置を吹かして移動すると、それを追うようにしてグロウズもバルコニーを飛び越えて追従してくる。
 そのまま俺が下へと降り立つと、グロウズもなんの躊躇いもなく十メートル近い高さからその身を投げ出してきた。

 普通ならその高さから何の準備もなしに飛び降りるなど自殺行為だが、グロウズは聖鈴騎士として並外れた身体能力を持っているため、それで死ぬどころか怪我すらするわけがなく、俺もそうは思わなかった。
 当然のように怪我一つなく着地したグロウズは、依然俺を睨みつけて来る。

「ふーん、なるほど。場所を移したかったってわけか。まぁ確かにあそこには邪魔者が多かったからね。いい判断だ」

「そりゃどうも。そっちだって、学園長や視察人がいたらやりづらかったろう。感謝してくれてもいいぜ?」

 こうして学園長室を後にしたのも、グロウズの言う通り、あの場では非戦闘員が多く、怪我をさせるのも嫌だったために、こうしてわざわざ誘き出したに過ぎない。
 グロウズも、ウィンガルや女の聖鈴騎士を傷つけるのは本意ではないだろうからこそ、こうして乗ってきたわけだし。

「それもあるが、僕としてはキャシーから離れられたのが一番やりやすいのだがね」

「キャシー?」

「一緒にいたあの聖鈴騎士だ。僕は今、キャシーに身柄を預ける形で出歩いていてね。あいつの前では大人しくしているという条件が課されていたんだよ」

 なるほど、謹慎処分中のグロウズが何故ここにという謎はそういうわけか。
 強大な戦力であるグロウズをいつまでも謹慎させておくのは国としても勿体ないわけだし、いつかどこかで謹慎を解きたかったはずだ。

 謹慎させた側の立場もあるため、ただそれを解くというのもまずいのか、今回の視察へ同行させるのも、経過観察の一環なのかもしれない。

 それを聞くと、さっき学園長室で俺へと杖を向けていたように見えてその実、狙っていたのはグロウズの方だったのかもしれない。
 どんな魔術を使うつもりだったのか知らないが、俺や学園長達をまき来ないよう魔術を撃たなかった冷静さに、グロウズは助けられたようなものだ。

「大人しく…ね。偉い人の前で剣を抜いて、学園長室の窓を壊してもそう言えると?」

「そうだな、君がいなかったら、こんなことにはならなかったよ。残念だ。これで僕は後でキャシーに絞られてしまうな。やれやれだ。…けど、それも君を殺せるならば甘んじて受け入れよう」

「こっちだって、お前を殺せるなら殺してやりたいと思ってるさ。けど、流石にそれをすると俺はペルケティアで動きにくくなっちまう。だから、今回は少し痛めつけるだけで勘弁してやるよ。聖鈴騎士でよかったなぁ、グロウズ」

 あざけるような口調で煽ってみると、グロウズの態度は変わらないものの、立ち上る殺気はグンと増したように感じる。

「…中々言うねぇ。ここしばらく、僕にそんな口をきいた人間はいなかったよ」

「なら久しぶりに聞けて嬉しいだろ?」

「まったく、生意気な男だよ、君は」

 重く息を吐き、俺もグロウズもほぼ同じタイミングで地面を蹴って飛び掛かる。
 鋭く振るわれたグロウズの剣が俺の頭に向かってくるが、それに対して俺も剣を切り上げて対抗する。

 剣と剣がぶつかり合う激しい金属音が鳴るかと思いきや、実際にはギーンという酷く耳障りな音を立てて、片一方の剣が半ばから斬り飛ばされて宙を舞い、切っ先の方が地面に突き刺さった。

 たった今起きたことに驚愕するグロウズに、俺の方はしてやったりのニヤけ顔だ。
 短くなった剣を持っているグロウズに対し、俺の手にある剣は激しい振動からくる甲高い音を響かせたままで未だ健在だ。

 驚きから身を強張らせているグロウズに好機を覚え、俺の剣が足を切り飛ばすべく振るわれたが、流石は腐っても聖鈴騎士序列二位。
 一瞬で身を翻して剣閃を躱し、飛び退き際にもう使い物にならない剣を俺の顔面目掛けて飛ばしてきた。

 寸でのところでそれを弾くが、既にグロウズは距離を取っており、剣が届く距離にはいなかった。

「驚いたな。一体どういうわけだい?あれもそこそこいい剣なんだが、あっさり両断するとは。しかし、剣の技術ではないね?」

 ジッと俺の右手にある剣を見つめながら言うグロウズの顔は、純粋な驚きに加えてちょっとした恐怖に歪んでいるようにも見える。

 学園長室を出る前までは持っていなかった剣だが、これは俺が万が一に備えて、学園長室のすぐそばの木の枝にこっそりと隠していたもので、噴射装置で校舎から出てきた際に回収しておいたものだ。
 いざという時の武器とするつもりだったが、まさかグロウズ対策になるとは、運がいいのやら悪いのやら。

 先程は可変籠手での鍔迫り合いだったが、その感覚で打ち合ったせいで振動剣にやられたのだ。
 グロウズなら俺の武器が変わったことは気付けただろうが、頭に血が上った状態では見逃してしまったのか、もしくは武器が変わったところで問題はないという自信があったのかもしれない。

「まぁな。もう気付いてるみたいだが、こいつはある遺跡から見つけたもので、ただの剣じゃない。さっきみたいに、上手く剣筋を合わせれば、あの通り、剣身をスパッと両断できる代物だ」

 少し離れたところに突き立つ、剣の切っ先だったものを指さす。

 今俺が手にしている振動剣は、相手がよほどの剣豪で技術が剣の性能を凌駕していない限り、まともに刃を合わせれば相手の剣の方を両断できる威力を持っている。
 正直、この世界に存在するほとんどの剣や鎧は、この振動剣の前に藁同然の硬度しか発揮できない。
 業物とかならまた違ってくるかもしれないが、切断という一点に関していえば、これは突き詰めた機能を有したと言ってもいい。

「…さっきから気になってたんだが、なんであんたは剣を使ってるんだ?あの鞭はどうした?」

 ほぼ丸腰となっているグロウズに、若干の安心を覚えた俺は、襲われたときから持っていた疑問を叩きつけてみる。
 グロウズと言えば、あの巧みな鞭捌きが厄介だと思っている俺だが、もしもあれを使っていたら今頃はもう少し違った展開になっていたはずだ。

 意外とグロウズは剣の腕も凄かったが、正直、使い慣れていない感は否めない。
 潤沢な魔力で身体能力を底上げしている俺にしてみれば、十分にやりあえる相手だ。
 舐められているのかとも思ったが、追い詰められたような現状でも鞭を使わないのは流石におかしい。

「ああ、あれね。あれは今、上の連中に取り上げらられちゃっててさ。今回は持ってこれなかったんだ。あれば今頃、君は愉快な肉塊になっていたんだが、運が良かったね」

 ほう、それはいいことを聞いた。
 俺はよくよく運のいい男だ。
 日頃の行いのおかげかな?

 グロウズを相手にするとなった時、まず俺の中では魔術の使用は著しく優先度が下がっていた。
 なにせ、グロウズが使っていたあの鞭には、魔術を散らす効果があるものだから、無効化される分の魔力は身体強化に周した方がましだ。

 大量の魔力で身体能力を押し上げれば、たとえ相手がグロウズであろうと互角以上にやりあえると、そう思っていたのだ。

 しかし実際は、グロウズは例の鞭を取りあげられており、こんなことなら初っ端から魔術で押し切れば、決着はさっさとついていたことだろう。
 まぁそれも向こうの事情を知った今だから言えることではあるが。

「ということは、俺の魔術を防ぐ手立てはないということか。もっと早く知りたかったなぁ、そういうのは」

 苦々しい顔をするグロウズへ見せつけるように、目線の高さへ持ち上げた左手へ電撃を発生させる。
 普通はしないが、あえてチッチッという鳥の鳴くような音と光を際立たせていく。

 魔術が防がれないのなら、速度と威力が両立された電撃での一撃をお見舞いしよう。
 殺しはしないが、手足の一本は頂こうかな。

 ちょっとした優越感を覚えつつ、放電に強弱をつけてプレッシャーをかけていると、グロウズが歪んでいた表情をフッと緩める。

「…はぁ、仕方ない。ここまでだ、僕が悪かったよ」

 急に謝罪をしだしたグロウズに、意外さを覚える。
 こいつはプライドは高そうなどうしようもないクソ野郎だが、こうもあっさりを降参するタイプだったのだろうか。

「今更謝られたところで、こっちの気は―」

「あぁ、違う違う。今のは君に言ったんじゃない。キャシー、そろそろ止めてくれないか?勝手をしたのは謝るからさ」

 視線を上へ向けて言うグロウズに、俺も倣って上を見てみると、先程俺達が飛び出してきたバルコニーの手すりに立ち、杖をこちらへ向けている女の姿があった。
 この位置からだとパンツが見え…ないか。
 その女性はキャシーと呼ばれたことからもわかる通り、グロウズと一緒に学園長室へ来たあの女の方の聖鈴騎士だ。

 次の瞬間、俺とグロウズの間に、地面を割っていくつもの植物の根が勢いよく飛び出してきた。
 その根がうねるようにして俺とグロウズへを絡みつき、さらに手足を拘束するように締め付けてくる。
 辛うじて絞殺されていないだけで、喉元にもかなり強く巻き付いている根は、俺の呼吸を大分苦しくする程度の力が込められていた。

「っんだこりゃ!?ぐへぇ…」

「ひゃっはー!驚いたかい!?キャシーはね、植物を操る魔じゅいてててて!あれ!?キャシー!?僕まで巻き込んでるよ!?」

 邪悪な笑みを浮かべて自慢げだったグロウズだが、自分も拘束されていることに一拍遅れて気付いたようで、涙目になりながら頭上の女へと抗議を始める。

 自分を助けてくれるかと思ったら、まとめて拘束されてるんだからそういうリアクションにもなるわな。

 あっという間に俺達は土塗れで簀巻き状態となり、今この現象を起こしていると思われるキャシーは、階段状にした蔦を操って地面へと降りてくる。
 蔦のエスカレーターのようなそれは、グロウズが口走った植物を操るという魔術によってなされているのだろうが、元農家の俺からしたら羨ましい能力だ。

「当たり前でしょう。あなたは私の監督下にあるんだから。それなのに好きに暴れてくれちゃって。おしおきよ、おしおき」

 口調こそおっとりしたものだが、顔つきは初対面で見せていたあのトロンとしたものではなく、今は軽蔑するような目でグロウズを見ている女に、俺はかなりの怖さを覚えている。

 不意打ち気味だったとはいえ、こうしてあっさりと俺を捕まえた魔術は、発動速度と精度が並外れたものだった。
 そこそこの距離があったにもかかわらず、地面の下にあった木の根を一度に複数操り、しかもこの感触からすると魔力を使って補強もしてある。

 拘束に使われているからこの程度で済んでいるが、もしも殺す気だったら今頃俺は全身の骨を砕かれて死んでいたかもしれない、そんな恐ろしさを秘めた魔術だと言える。

 しかし、植物を操るということは固有魔術に分類されるとは思うが、そんなのがいるとは聖鈴騎士も中々層が厚い。

「だから悪かったって。僕も君に迷惑を掛けたくはなかったんだよ。けど、憎い敵を見つけちゃったからついさ」

「なにがついなのかしら。そういう危うさがあるから、お得意の武器も取り上げられたんでしょう。それとそっちのあなた。流石に目の前で同僚が殺されるのは見逃せないから、手荒で悪いのだけれども、拘束させてもらったわ」

 グロウズに向けるよりは幾分か和らいではいるが、それでも険しさのある目を俺に向けるキャシーの手には、未だ杖が臨戦態勢で握られたままだ。
 発動体の中には魔術を維持すると発光し続けるタイプもあるが、女の持っている杖もそうなのだろう。
 古木をより合わせたような長杖の先端に嵌っている宝石が、淡い緑色を放っている。

「…俺としてはそっちの奴が襲い掛かってきたから応戦しただけなんで、拘束される謂れはないんだが」

 とりあえずすぐにこっちの命を取るような様子はないので、抗議の意味でキャシーにそう声をかけたが、同時に木の根を切断しようと、向こうからは見えない位置で指先から電気を細く放出してみるが、どういうわけか切れそうな気配がない。
 可変籠手を鋸状にして試すが、これもいまいちだ。

 キャシーの魔術での補強が、俺の雷魔術を上回っているようで、この時点で向こうの方が魔術師として格上だというのは分かる。
 もうちょっと出力を上げれば話は変わるだろうが、そうしたら目立ってしまうため、今はこの拘束に我慢をするしかない。

「それに関しては私からも謝らせてちょうだいね。バカだとは思っていたけど、まさかあんな場でいきなり武器を抜くなんてバカだったなんて。どこで教育を間違ったのかしら」

「バカとはひどいな。これでも序列は君の上だよ?前々から言いたかったけど、君はもうちょっと僕に敬意を払ってもいいと思うね」

「うるさいわよ。バカはバカなんだから、序列は今関係ないの。さ、二人とも立ちなさい。私もまだまだ言いたいことはあるけど、とにかく上に戻ります。他の人達からのお叱りも受けてもらうから、覚悟するように」

 いつの間にか、全身を拘束していた木の根は地面から切り離され、俺達の上半身に巻き付くだけになっており、足だけは何とか歩けるような状態に緩和されていた。
 この状態でも拘束能力は健在なあたり、キャシーの魔術はどこまで効果を維持できるのか気になるところだ。

 主にグロウズが悪いことだが、学園長室を飛び出した際に色々と室内を荒らしたような気はするし、ここはキャシーの言うことに従って、大人しく学園長室に戻るとしよう。

 立ち上がり、先を歩きだしたキャシーについていこうとしたら、何故かグロウズの腰が引けている。
 見たところ、俺と同じ様に拘束は緩んでいるはずだが…。

「あの、キャシー?ちょっとこの拘束、変じゃないか?なんか股間の部分がきつくなってるんだけど」

 ヨロヨロと立ち上がったグロウズを見ると、確かに股間の部分には俺と違って根が締め付けるように回されている。

「あぁ、それ?さっき言ったでしょ。おしおきだって。私がいいって言うまであなたはその状態よ。別に死にはしないんだからいいじゃない。ほら、行くわよ。とっとと歩きなさいな」

「くぅ~…」

 振り返りもせずにスタスタと歩いていくキャシーに、それ以上言うのは意味がないとグロウズは観念したようで、股間への圧迫感に苦しそうにしながら病人のように歩き出す。

 グロウズには殺してやりたいほどの憎しみはあるが、今のこの姿を見ると同じ男としては同情の方が勝ってしまう。
 人によってはご褒美にもなりうるので、グロウズにもそうであったらいいなと、今だけは少しだけ優しい気持ちになれる。




 学園長室へ戻ってくると、俺とグロウズは縛られた格好のままで、レゾンタムとウィンガルのそれぞれから説教を受けることになった。
 自然と正座になるのは、この世界でも怒られる時の人間の所作だ。

「グロウズ卿、君にも色々と事情があるとは聞いているが、このような騒ぎを起こさせるために同行させたのではないぞ?私に恥をかかせるなど、一体何を考えているんだ」

「今回はアンディ君に非はないとも言えますが、要人が同席する場に武器を持ち込んだのは見過ごせません。要請したのは私ですが、礼儀を欠くことは無いようにと、事前にお願いしましたよね?」

 ウィンガルの方はともかく、レゾンタムは表情こそいつもの穏やかな微笑みを浮かべたものだが、それだけにその状態で受ける説教には堪えるものがある。
 可変籠手が武器化するのを見せてしまったのがよくなかったな。

『でもこのバカが―あ゛ん?』

 同じセリフを全く同じタイミングで口にした俺とグロウズが、互いを睨みあい、同時に縛られていない足で蹴りの応酬を始める。
 正座のまま蹴りをしてくるとは器用な真似をするが、それは俺も同じこと。

 こいつ、俺に全部の罪をなすりつけようとしやがって。
 元はと言えば襲い掛かってきたのが悪いんだろうが。

「おやめなさい、二人とも。反省が足りないようなら、縛り方を変えてもいいのよ?具体的には股間のあたり」

『サーセン』

 平坦なキャシーの言葉が俺達の動きを止め、速やかな謝罪を吐き出させた。

 グロウズは既に身をもって味わっているし、俺もあの姿を見ただけで十分なので、キャシーの匙加減で股間を締め上げられるのだけはマジ勘弁。

 その後、しばらくは大人しく説教を受け続けてようやく反省を認められた俺達だったが、グロウズは騒ぎを起こしたことでウィンガルからディケット滞在中は武器の携帯を禁じられ、行動の制限も新しく追加されることとなった。

 具体的には、キャシーに監視される時間が増え、歩き回るのにも彼女の許可が必要という、謹慎生活よりかはマシという程度の処分だ。

「すまなかったな、学園長殿。私の同行者がまさかあんなことをするとは思いもしなかった。そっちの者にも迷惑をかけた」

「こちらもこのような場に武器を隠して臨んだことの非礼をお詫びさせてください。そのおかげで大事にはならなかったとはいえ、礼儀を欠いたことには変わりありません」

 ウィンガルとレゾンタムがソファで対面し、お互いに謝罪をしあうことで、今回の件は学園長室の中で起きたこととして内々に収めようとしていた。

 偉い人が集まっている場でいきなり剣を抜いたグロウズに、それとは分からない状態で可変籠手を持ち込んで武器の形態を見せてしまった俺と、比重はともかくどちらにも非はあるともいえるため、この後の話し合いをスムーズに進めるためには、こういうやり取りが必要なのだろう。

 少し意外なのは、ウィンガルが普通に俺にも謝罪の意を示したことだ。
 彼にはどことなく横柄な印象を抱いていたのだが、身分が下と分かる俺に対してもそういうことができるあたり、こっちの世界では上等な人間の部類に入るのかもしれない。




「なんと…ではその人工翼なるものは鳥人族のためのものであり、普人族では扱えないと言うのか」

「全く使えないとは言いませんが、普人族であれをまともに扱えるとなれば、そこにいるアンディ君ぐらいでしょう。彼は、自前で人工翼を補助する魔道具を持っていますから」

「ではその補助するものがあれば話は違うのだな?ならばそれも作ってしまえばいい」

「それは難しいかと。噴射装置…その魔道具の名前ですが、使われている材料が希少過ぎて、製造は困難でしょう」

 俺とグロウズのことで中断していたが、ようやくちゃんとした話し合いが始まり、ウィンガルとレゾンタムはそれぞれの立場における情報をすり合わせていった。

 ウィンガルが学園に来たのは、やはり飛空艇開発の停滞を打ち破るために人工翼を提供してもらうためで、これは手紙で先に知らされていたので驚きはない。
 しかし、レゾンタムの方から明かされた人工翼の取り扱いの難しさに、当初の目論見から大分外れたことにウィンガルも参っているようだ。

「へぇー、じゃあ君があの屋敷を吹っ飛ばしたって話は本当なのねぇ」

「ええ、まぁ。キャシーさんは知らなかったんですか?俺はてっきり、自分がその犯人として指名手配されてるとばかり思ってましたよ」

 そんなレゾンタム達が話すソファからは少し離れ、俺とグロウズ、キャシーの三人は部屋の隅っこで雑談に興じていた。
 本来俺は人工翼の説明役ではあるものの、今はそれが必要な段階ではないため、まだお呼びがない状態で、キャシー達はウィンガルの護衛兼会談の証人役で同席する予定だったが、騒ぎを起こしたということで暫くは放置されることとなった。

「普通ならそうなってたでしょうけど、上層部も色々と混乱があったみたいなのよね。結局、枢機卿の何人かがサニエリ元司教の件は大事にしないって方向で動いて決着を急いだらしいわよ」

「それは多分、ガイバ君が頑張ったんだろうね。その枢機卿達ってのは、彼の上役の派閥と繋がりがあるって噂だし」

「こらぁ!誰が手を止めていいって言ったの!?揉みを止めない!あと、何かしゃべる時は語尾にごめんなさいでしょ!」

 突然口調を荒げたキャシーだが、その理由は彼女の背後に立つグロウズのせいだった。
 俺とキャシーは用意されていた椅子に腰かけているが、グロウズだけはキャシーの肩もみをするという仕事をさせられている。

 暴れたことへの罰としてマッサージを言い出したのはキャシーだが、素直に従っているのを見ると、グロウズは彼女に逆らえない何かがあるのだろうか。
 聖鈴騎士序列二位も堕ちたものだな。

「…くっ、僕にこんなことをさせるなんて、覚えておくことだね。ごめんなさい」

「なぁに?不服そうね。監視役の私を無視して勝手しておいて、これぐらいで済ませているのに文句でも?これから主都に戻るまでの間、語尾を僕はおバカちゃんですにしてみる?」

「キャシー様のご温情、痛み入ります。ごめんなさい」

「よろしい」

 顔には不満の色を浮かべながら、真面目にマッサージを行うグロウズの姿には、とてもあの化け物じみた強さは感じられない。
 侘しさの方が強いぐらいだ。

 ここまで話をしていて、俺はキャシーにはかなりの親近感と敬意を覚えている。
 俺と話すときは物腰も穏やかだし、とてもグロウズと同じ聖鈴騎士とは思えないぐらい、ちゃんとしていた。
 聖鈴騎士自体、そんなに数多く会ってはいないが、今のところガイバと並んで常識的な人間かもしれない。

 サニエリが俺にしたことは、あまり大っぴらには知られていないが、それでもそこそこの地位にあれば自然と耳にするレベルの出来事ではある。
 キャシーを始めとして、教会関係者の中にもサニエリの仕打ちには憤りを覚えている者も多いそうで、俺への同情と申し訳なさから、この友好的な接し方となっているようだった。

「…キャシーさんはグロウズとはどういう関係なんですか?聖鈴騎士同士ってのは分かりますが、それ以外にも何かあるような気がするんですが」

「あら、分かっちゃう?私、ヒューイットが若い頃の教育係やってたの。今じゃ序列二位だなんておだてられてるけど、これでも昔は手が付けられない悪ガキでねぇ。聖鈴騎士やれてるのは、私の教育の賜物じゃないかしら。そのおかげで、今もこの子は私に頭が上がらないってわけなの」

「へぇ、教育係。キャシーさんも若いのに、そういうのを任されるなんて優秀なんですね」

「若いって君、キャシーはこれでも五十歳をとうに過ぎてるよ。保有魔力の多さで若く見えてるだけさ。ごめんなさい」

「ちょっと、勝手に人の歳ばらさないでちょうだい」

「別に隠すことでもないだろ。ごめんなさい」

 呆れるグロウズと照れるキャシーの気安いやり取りを聞きながら、俺は驚きで口が開きっぱなしになる。

 この世界では確かに魔力量によって若さを保つという現象は普通にあるが、目の前にいるキャシーはどう見ても十代後半といった見た目だ。
 外見にはエルフの血を感じさせる特徴がみられないことから、普人種だというのは間違いない。

 魔力が多ければ多いほど、老いは遅くなるという法則を考えれば、五十代の女性が十代に見紛う見た目をしているということは、膨大な魔力を身に宿している証拠でもある。

「あの、これも教えてもらいたいんですが、キャシーさんは聖鈴騎士での序列はどこになるんですか?まさか一位とか?」

 つい恐る恐る尋ねてしまったが、やはり気になるのはキャシーの序列だ。
 本来の獲物を持っていなかったとはいえ、グロウズをあっさりと拘束し、俺の雷魔術に耐えるほどに木の根を補強できる魔力量を考えれば、決して低い序列とは思えない。

「あっはっはっは、まさか。流石にそれはないわ。今も昔も、序列一位は聖女だけの特別枠。そこだけは強さも関係ないの。ちなみに私は聖鈴騎士序列六位ね。夜葬花のキャサリン・ダウワーって名前に聞き覚えあるでしょ?」

 聖女!
 そういうのもいるのか。
 まぁ宗教国家ならそういう地位に就く人間はいてもおかしくはないが。

 しかしそうか、キャサリンだからキャシーか。
 愛称のようなものだが、普通に俺がそう呼んでも特にたしなめられないことから、そう呼ばれるのには慣れているのだろう。

 しかし夜葬花とは…確か前に監獄でグロウズがそんなのを口走ってたな。
 すっかり忘れていたが、キャシーというのもその時に聞いた気がする。

「初耳ですね」

「え嘘」

 ショックを受けているキャシーには申し訳ないが、夜葬花の方はともかく、キャサリン・ダウワーの名前は初めて聞いたな。
 多分、序列六位は外国でもそこそこ名前は知られているのかもしれないが、生憎俺はこれが初めてだ。

 それにしても、このキャシーですら序列六位とは、さらに上にまだ三人、同じくらい強い奴がいるとは、聖鈴騎士の層は厚すぎだろう。

「ヒューイット、もしかして私って地味?結構名前は知られてると思ってたんだけど。もっと派手な活躍をした方がいいのかしら?」

「いやぁ、そんなことは無いと思うよ。アンディ君は元々他国の人だからね。聖鈴騎士の序列とかも知らなかったみたいだし、知らなくてもおかしくはないさ。ごめんなさい」

 グロウズの言うとり、俺はペルケティアのことにはかなり疎いので、キャシーのことも知らなかったとしても落ち込まないで欲しい。

「…そうね、他から来たんなら聖鈴騎士の良心である私を知らなくても当然なのかも。あと、その気持ちの籠ってない謝罪は耳障りね。いい加減おやめなさい」

「ぐっ、自分でやらせておいて…」

 今のグロウズの言葉には、俺も同意しよう。
 俺に対しては普通なのに、グロウズに対しては中々辛辣なのは、それだけやったことに対する怒りのせいだとは思うが、それと同じくらい、親愛もあるがゆえの対応だと思おう。

「それより、私も君に聞きたいことがあるのよね。前にヒューイットが毒を盛られたって騒いだことがあったんだけど、あれも君がやったって本当?」

 恐らく、俺がグロウズの屋敷に忍び込んで食事に激辛香辛料を持ったことを言っているのだろうが、毒とはまた大げさな。
 まぁ辛さ耐性がほぼゼロのグロウズにとっては、毒と大差ないか。

「キャシー、それは何度も言ったろう。あの時の状況を考えれば、犯人は彼しかいない。使われた香辛料も、ペルケティアではまだ出回っていないものだと分かっている。飛空艇という常識外れの移動手段を持ち、他国との私的交易が容易なアンディ君なら、そういったものも手に入るだろうからね」

 ジロリと睨まれるが、俺としては後悔も反省もないので、睨み返してやる。
 予想はしていたが、やはりグロウズは俺の仕業だと気付いているようだ。
 根拠は状況証拠だけとはいえ、分かりやすいうえに正解だ。

「…まぁ実際、やったのは確かに俺ですがね。けど、それを責められる謂れはありませんよ。こいつはそれだけのことをしたんですから」

 指名手配がされてないことは分かったし、もうグロウズにもバレているのなら隠す必要はないな。

「そこに関してはどうでもいいの。ヒューイットが治療院で死にかけてたのは面白かったし、その後もお尻が燃えるって騒いでたのはもっと面白かったわ。プスス」

「わざわざ僕の病室に来てまで、ゲラゲラ笑ってたのは君ぐらいだよ。趣味が悪い」

 その時を思い出してまた笑いだすキャシーだが、グロウズの方は額に血管を浮かべるほどに忌々しい記憶のようだ。

 基本的に辛い物を食べた時のダメージは、次の日のトイレに現れる。
 特に、俺が使ったのは特上に辛いやつなので、肛門が地獄の炎に焼かれたようなものだったろう。
 正直、ザマーミロと思っている。

「気になったんだけど、ヒューイットが食べたのってどんなものなの?もしよかったら、その香辛料、少し分けてもらえないかしら?ちょっと試してみたいわ」

「試すって、食べる気ですか?」

「おいおいキャシー、やめときなよ。あんなもの、食べたら死ぬよ?」

「それはあなたが特に辛さに弱いだけでしょう。普通の人は少し食べただけでは死ないわよ」

「いやいやいや、本当に凄いんだって!」

 グロウズの言葉は確かに大袈裟だが、普通の人が平気で食べられるものでもない。
 興味本位で舐めたパーラがマジ泣きしたぐらいだ。

「大丈夫大丈夫、私、辛いの得意だから。で、どう?分けてくれる?もし貴重なものだったら、お金も払うわよ」

「貴重ではありますが、金を貰うほどのもじゃありませんよ。じゃあ後で小分けにしたのを用意しておきます。ただ、くれぐれも取り扱いには気を付けてください。目とかに入ったらえぐりだしたくなりますからね」

「…脅かさないでよ。でもありがとう。ヒューイットを一撃で沈めた香辛料となれば、やっぱり辛いもの好きとしては知っておかないとねぇ」

 この世界にも辛いもの好きというのはいるにはいるがそう多くなく、目の前のキャシーがその数少ない人間だと知って少しだけ引く。
 ただ、ジョロキアを超える辛さを体感したら、キャシーがどういうリアクションを見せるのか少し興味もある。

 約束はしたし、用意したのを目の前でちょっと舐めてみてくれないものか。
 願わくば、リアクション芸人ばりの姿を見せて欲しい。

「アンディ君、ちょっとこっちへ。ウィンガル卿へ説明して差し上げなさい」

 そうしていると、レゾンタムから説明役としての仕事で呼ばれる。
 どうやら話は人工翼の詳しいアレコレに移ったようで、ようやく仕事が回ってきた。

 キャシー達から離れ、レゾンタム達のところへ行くと、席を進められたのでベオルの隣へ腰かける。
 こちら側の話をほとんど聞いていなかったので、まずはどこから説明するべきか教えてもらおうか。
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