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童顔ってレベルじゃねーぞ
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ちょっとしたいざこざはあったものの、基本的に第三市街は治安がいい所なので、その後の移動は特に問題が起こることなくマルステル公爵邸へと到着した。
大通りの行き当たる先は城の門ではあるが、その手前に広い敷地を用意できるのが公爵家の特権だろう。
進行方向の右手にマルステル公爵邸はあるらしく、屋敷を囲う塀はもう既に俺達の横を流れていっていた。
結構塀を眺めているが、未だ門が見えてこないことから敷地面積は相当なものだと予想される。
暫く進むとようやく門が見えてきた。
長大な塀の中間にあたる門の部分は、大通りから馬車一台分内側へと凹んで建っており、その前には完全武装した門番が4人、こちらを見ていた。
このままバイクが近付いていってもいいのかと思ったが、どうも門番はこちらを警戒している様子ではなく、むしろ整列して出迎えるぐらいには礼を持って当たろうとしているように感じられる。
「なんか俺達を見ても警戒しませんね」
「多分先程私達から話を聞いていた兵士の方が気を利かせて話をしてくれていたのかもしれませんわね」
そう言えば事情聴取の際にも、オーゼルの身分を聞いた兵士が一人、どこかに駆けて行ったが、あれはこのためだったのか。
恐らく公爵家の人間が家に戻るのを遅らせていると判断して、事前に屋敷へとオーゼルの今の状況とじきに到着する旨を伝えてくれたのだろう。
横一列に並ぶ門番の前にゆっくりとバイクを停め、オーゼルがサイドカーから降りて一歩前に出る。
するとそのタイミングに合わせてか、右手にある門から一人の女性が出てきた。
身に着けているエメラルドグリーンに近いドレスは袖が長いながらも生地の薄さでそれほど暑さを気にしないでもいいのは涼しげな顔からも明らかだ。
背格好はオーゼルよりも頭一つ小さいぐらいで、髪形から顔立ちまでとにかくオーゼルとそっくりである。
肌と髪の色は同じだが、目の色がオーゼルとは違って赤みがかった黒といった様子からも、近しい血縁関係にはあるが姉妹ではないということを推測する。
年齢はそれほど離れていないようなので、いとことかだろうか?
そんな俺の予想はオーゼルの口から飛び出した言葉で否定された。
「お母様!」
…オカアサマ?
オカアサマ…おかあさま…お母様。
母親!?いやいや、どう見ても10代半ばぐらいにしか見えないんだが。
もしかしてかなり若い時にオーゼルを生んだとかか?
確かにこの世界の貴族の風潮だと、結婚する女性は若いほどいいとなっているが、これは流石に…。
口にこそ出しはしないが、その言葉に衝撃を受けたのはどうやら俺だけではないようで、リアシートにいるパーラからも息を呑む音が聞こえたことからも、どうやら同じくらいの驚きを抱いたらしい。
そんな俺達の驚きをよそに、目の前では親子の感動の再会劇が行われようとしていた。
小走りで母親に駆け寄ったオーゼルが頭一つ小さい体を抱きしめ、母親もその背中を撫でるように腕をまわす。
パッと見は親子というよりも姉妹の再会と言っても通じるかもしれない。
「おかえりなさい、アイリーン。…少し痩せたんじゃない?」
「いえ、そんなことはありませんわ。むしろ少し筋肉が付いたぐらいです」
「あら、そうなの?…あぁそれと、遺跡発見の件、すごいじゃない。久しぶりの慶事で国が盛り上がりそうだって陛下も喜んでらしたわよ」
「まあ、陛下が?畏れ多いことですわ。…そういえばお母様はどうしてこちらに?てっきり領地の方にいるものとばかり思っていましたのに」
「その話をする前に、そちらの方たちを紹介してくれないかしら?」
オーゼルの言葉を手で制し、俺とパーラの方へと視線をよこした母親から紹介をねだられたオーゼルが、今思い出したと言わんばかりにハッとした顔で俺達を見る。
あの顔は完全に俺達を忘れていたな。
「ええ、もちろんそのつもりでしたわ。二人とも、こちらへ」
取り繕うように若干早口になったオーゼルの手招きで、俺達はバイクを降りてオーゼルの隣まで歩いて行く。
「お初にお目にかかります、奥様。アイリーンお嬢様の護衛として雇われました、アンディと申します」
「同じく、パーラです」
ペコリと頭を下げて挨拶をする俺達を見て、微笑ましそうな声色で話しかけてくる。
多分若い俺達が精一杯の礼儀作法に倣った挨拶をするのが母親としてそういう感情を抱かせたのかもしれない。
「どうもご丁寧に。私はこの子の母親でディーネといいます。…護衛というには随分若いようだけど、もしかしてアイリーンとは友達なのかしら?その伝手で護衛を引き受けたとか」
ディーネの言うことは一応当たっているのだが、護衛というよりも俺達は旅に同行しただけというニュアンスが含まれているようだ。
「お母様、この二人は確かに私の友人ですけど、アンディは白3級にパーラは黒2級の立派な冒険者ですのよ。」
「まあ、そうなの?…その若さで黒2級も十分すごいけど、白3級となると相当な物ね。…あぁ、とりあえずこんなところで立ち話も辛いでしょうから、中でお話をしましょう」
そう言って俺達を屋敷の方へと案内する。
暑さに慣れていない俺達の様子にすぐ気が付くあたり、流石は公爵夫人としての応対が上手いと思わせる。
バイクは門を入ってすぐの来客用の馬車置き場に停めさせてもらった。
チラチラと興味を含んだ視線が門番をはじめ、ディーネからも注がれていたので、屋敷に向かう道中でバイクのことをオーゼルが説明する。
今俺達が歩いている道はしっかりとした石畳敷きの道なのだが、その幅がかなり広い。
馬車は2台が同時に余裕を持ってすれ違えるぐらいの広さはあり、道の両端にある生垣が目隠しとなって向こう側は見えないが、それでもここに来るまでの間に見てきた塀の長さから想像するに、かなりの面積の庭があると思われる。
そして、この道の向かう先にある屋敷がこれまたすごい。
生垣に遮られているとはいえ、建物の両端が未だ見えない時点でかなりの広さがある上に、2階建てとなれば延べ床面積はそうとうなものになるだろう。
それこそエーオシャンで泊まったレジルの宿並みかそれ以上かもしれない。
外観は特に華美さにはこだわっているようには見えず、使われている建材も白壁を基調として所々に金属と木材を組み合わせた装飾こそあるものの、公爵という身分を考えると些か質素に感じてしまう。
そう言えばとここに来る途中に出会った某男爵家の馬車は貴族らしい派手さ、むしろ下品さすら感じられた物だったが、それと比べるとこちらは随分と落ち着いたものだ。
ルドラマもそうだったが、この世界では権力が強い人間ほど質素な屋敷に住みたがるのだろうか?
そんなことを考えているうちに、屋敷の玄関へと到着し、使用人によって開かれた扉を潜って中へと入る。
中に入って真っ先に飛び込んできた絢爛豪華な光景に思わず息を呑む。
足元からして複雑な模様の描かれた石細工の廊下に、壁には種々様々なタイプの絵画に独特な模様の布が壁を伝って彩っている。
陽の光と風に晒される外観には特別な手を加えず、自然なままの美しさを楽しませる。
そして内部にこそ装飾をふんだんに施すことによって外と中のギャップを楽しめるというやり方は、これを考えた人間が人を驚かせることを楽しむ茶目っ気を持つことを表しているように思えた。
吹き抜けの玄関ホールには魔道具の照明だと思われるシャンデリアが高い天井に吊り下げられており、正面には恐らく公爵家の面々だろうと思われる一家の肖像画がでかでかと飾られていた。
顔立ちが似た線の細い貴公子然とした若い男性が左右の端に立ち、今よりも少し幼さが残るオーゼルとディーネの二人が真ん中に並べられた椅子に座って描かれたそれは、芸術の良し悪しが分からない俺から見ても結構な逸品だと思わせるほどの何かを醸し出している。
使用人に指示を出し終えた所を見計らい、ディーネに声をかける。
「ディーネ様、あの絵はご家族の肖像でしょうか?」
「ディーネ様だなんて。アイリーンのお友達なんだからそんなかしこまった言い方しなくてもいいのよ?普通におばさんとかディーネちゃんとかでも」
「いや流石にそれは…」
幾らなんでも公爵夫人をちゃん付けで呼ぶなどできないし、おばさんと呼ぶには見た目がまだ随分と若いので抵抗もある。
ディーネも特に呼び方に拘っているわけではないので、特にそれ以上口にはせず、俺の質問に答えてくれた。
あの肖像画はやはり家族のもので、描かれているのはオーゼルが10歳ほどの頃なので今から5・6年前のものだそうだ。
一家の肖像と入っても、そこには父親が描かれていないのが気になる。
「ディーネ様、ここには公爵様が描かれていないようですけど」
「描かれてるわよ?ほら、あの右端」
ディーネが指さした先にはオーゼルの据わる椅子の背もたれに手を乗せて微笑む青年の姿がある。
どう見ても父親というよりも兄の一人だというその姿だが、俺は今自分の隣に立つディーネを思い出し、謎が解けたのと同時に戦慄を覚えた。
おいまじか。
母親に続いて父親までも年齢不詳とか、この家は不老の呪いでもかかってんのか?
そんな考えが顔に出ていたのか、ディーネが笑う声に俺の意識は現実に戻された。
「ふふ、皆そういう反応をするのよね。確かに昔からジャン、あぁ私の夫の名前ね。ジャンの見た目が随分若いからアイリーンと兄妹に見られて困ってたのよ。三児の父親なのにって時々落ち込んでたわね。ふふふ」
その時のことを思い出して笑うディーネだったが、俺から言わせればあんたも同類ですよ。
そんな話をしていると部屋の用意が整ったと伝えてきた使用人に続き、ディーネが歩き出す。
追いかけるようにして俺達もその後に続く。
20帖ほどの広さのある部屋に通された俺達は、ディーネに勧められるまま部屋の中央にあったテーブルに着く。
対面にディーネとオーゼルが座ったタイミングで運び込まれてきたお茶が手早く用意された。
「このお茶はうちの領内で作られたものなのよ。ここ何年かはいい出来のものが続いてるから、よかったら飲んだ感想を聞かせてもらえるかしら」
「では失礼して」
ニコニコとした顔のディーネに断って一口頂く。
見た目は透明に近い褐色といったものだったのに、口に含んだ途端溢れるように広がる風味はジャスミンティーに似た上品な香りを思わせる。
微かな渋みが通り過ぎた後に残る酸味がキレのいい飲み口を演出しており、飲み干した後に思わず漏れる溜息すら香りを孕んでいた。
「おいしいですね。香りもさることながら、余韻にまで強い印象を残す味わいが格別です。これはお高いのでは?」
「皇都で手に入れるには少し値が張ることは確かよ。でもマルステル領内でなら少し奮発するぐらいで買える程度の値段かしら」
空になっていた俺のカップにディーネが手ずからお茶を注ぎつつそう言った。
先程よりも笑みが深まっている様子から、どうやら俺の感想は彼女のお気に召す物だったようだ。
「今年の葉もいい出来の様で安心しましたわ」
久しぶりの味にオーゼルも機嫌がよさそうだ。
パーラも気に入ったようで、一口飲んでは軽く息を吐いて余韻を楽しんでいる。
しばしお茶を楽しむ空間となっていた室内に、オーゼルの言葉が響く。
「それで先程の話ですけど、どうしてお母様がこちらに?」
「どうしてって、私達は皇都で待つって手紙を出したでしょう?」
「はい?いえ、手紙には至急領地へ戻れとしか」
そう言ってオーゼルが身に着けていた小物入れから取り出した手紙をディーネへと差し出す。
「あぁ、これは少し前に出した手紙だわ。この後にもう一回出してるんだけど受け取ってないの?レジルの所に手紙が届いてたと思うけど」
「受け取ってませんわね。確かに先日まで婆やの所に世話になっていましたけど、そんな手紙があったら婆やから渡されているはずですわ」
どうもお互いにズレがあるようで、ここは中立の立場の俺が話をまとめてみようと、双方から話を聞いてみた。
その結果わかったのは、どちらの言い分も正しく、その上で上手い事タイミングが外れていた事が原因だった。
ディーネが手紙を出したのは六日前で、オーゼルがソーマルガに帰ってくるならまずエーオシャンでレジルの所に泊まると分かっていたため、手紙を持たせた人間をレジルの宿に行かせたという。
レジルであれば手紙を託せば確実にオーゼルに渡ると思っていたのだろう。
ところがここで予想もしていなかった事態が起きる。
なんと手紙が届くよりもずっと早くオーゼルがエーオシャンに到着し、そしてジェクト以上の速度で皇都への道を走破してしまったのだ。
手紙を持った人間がどういう移動手段を使ったかわからないが、皇都からエーオシャンまでは馬車でも四日かかると言われている。
俺達がおよそ二日かけて皇都へたどり着いたことからも、丁度入れ違う形で今頃レジルの元へと手紙は届いていることだろう。
要するに、バイクというこれまでの流通の常識にはまらないイレギュラーな存在が生み出したすれ違いの結果が今の状態というわけだ。
「そう言うことだったのね。まさかジェクトよりも早く移動できる移動手段なんて思いもしなかったわ」
「こればかりは実際にバイクを知らない人間には想像できないでしょうから、仕方ありませんわね」
お互いの現状を理解し合ったところで、話の続きとなった。
そもそもオーゼルを領地へと呼び戻すことになったのは、遺跡発見の功で国王がオーゼルを謁見を望んだことが始まりだった。
今の国王はマルステル公爵の兄で、オーゼルは彼の姪にあたる。
元々オーゼルの父親は第二王子として王宮で暮らしていたが、兄が次期国王と決まった段階で、自らマルステル公爵家へと養子に出たという経緯があるのだそうだ。
そのため、ソーマルガに存在する他の2家の公爵位の貴族と比べて、幼い頃より王家とはかなり親しく付き合う機会に恵まれていたという。
子供の頃はこの伯父がオーゼルを特に可愛がっていたということもあって、大手柄を立てた姪を公的な立場と伯父の立場の両方から褒めてやりたいということで、弟であるマルステル公爵がその話を聞き届けて、こうして急いで呼び戻される運びとなったわけだ。
どうやら悪い方向での緊急の呼び戻しではなかったと一安心する。
「ということは、陛下との謁見が既に準備されているということですのね?」
「そうよ。最もあなたがこんなに早く来るとは思ってなかったから、ジャンが城から戻って来たら改めて前倒しで謁見の予定が組まれるでしょうね。その際には他の貴族の方々もいる前での謁見になるでしょうから、覚悟しておいた方がいいわよ」
それだけを聞くと発破を掛けられているようだが、ディーネの顔からはオーゼルを気遣うものも見え隠れしているので、単に気を緩めさせないように言った言葉だったようだ。
「…あぁ、そう言えば今は税収の報告で高位貴族が一度に集まる時期でしたわね。そうですか、それだけの人達の前で…」
ブルリと身を震わせるオーゼルだったが、それは怖じ気づいたそれではなく、むしろ歓喜に近い感情が顔からも溢れ出おり、それは恐らく大物貴族の前で自らの功績を誇れる機会に対しての思いだろう。
「さて、それじゃあアイリーンが謁見の時に着るドレスの新調をしなくちゃね。今日…はもう遅いから明日仕立て屋さんに来てもいましょうか」
時間的にはまだ昼を少し過ぎたぐらいだが、この世界でのドレスの新調となると一日仕事になるので、流石にこの後からとはいかず、明日からオーゼルの採寸から仕上げまで超特急で行われるとなれば暫くはかかりっきりになるだろう。
「ではそろそろ俺達は失礼させていただきます。アイリーン様、依頼完了の受領書を頂けますか?」
ギルドの依頼として護衛を務めた俺達は、依頼人であるアイリーンから依頼完了のサインが書かれた受領書をギルドに提出して初めて報酬がもらえる。
母娘で話すこともあろうと俺達は受領書を受け取ったら屋敷を去ることにした。
「それは構いませんけど、あなた達今日の宿はまだ取れていないのでしょう?どうせならウチに泊まっておいきなさいな」
受領書を手渡されながらオーゼルにそう言われ、今から宿を探してもどれだけの時間がかかるかを考えた。
今日来たばかりの皇都ではあるが、大通りを走って来て見た限りでは人の多さは流石大都市と言えるほどだ。
宿も街の規模に比例して多いとは思うが、それでもあの人の群れを見てしまうと正直不安になる。
オーゼルのその申し出は確かにありがたいが、あまり厚かましく居座るのも日本人の気質からして抵抗があるので、ここは丁重に―
「本当に?よかったー。街で人の多さを目にした時から宿はとれないんじゃないかって思ってたんだよね。それじゃあアンディ共々お世話になります」
「ええ。遠慮などなさらないで。私達は友達なんですもの」
お断りをと考えている内に、さっさとパーラが世話になることを決めてしまっていた。
せめて『ご迷惑では→遠慮なさらず→いえいえ→いえいえ→ではお言葉に甘えて』の下りぐらいはやらせてくれよ。
まあ俺達の間なら遠慮もあまり考える必要がないというのもあったかもしれないが、それでもパーラのナチュラルに人の好意に乗っかれるところは素直にすごいと思う。
「それじゃあ二人はアイリーンに任せていいかしら?私は明日からの手配に動くわね。あまりお構いできなくて申し訳ないけど、自分の家だと思って寛いでちょうだいね」
そう言ってディーネは使用人と何やら話しながら部屋を出ていく。
多分ドレスの仕立て職人に声を掛けたり、登城の際に使う馬車やら随行員の手配にと今から忙しくなることだろう。
サクッとオーゼルの家にお世話になることが決まり、早速俺達は客人として部屋を用意された。
室内はベッドとテーブルにソファーと、現代日本の感覚で言うとごく普通の広さのワンルームマンションの一室風になっているが、この家で使われる客人に宛がう部屋としてはこれがもっとも小さいものだそうだ。
最初に通された部屋はどこのホテルのスイートルームだと突っ込みたくなるぐらいの豪華さで、流石に落ち着いて過ごせないとグレードダウンを願い出たが、そこは俺も賓客ではあるので、丁重なもてなしにはそれ相応の部屋をという話の平行線だった。
そこを何とかオーゼルに直訴して、半分泣きに近い形で頼み込んで渋々ながらこの部屋へと案内してもらった。
レジルの宿の時は俺の他にも女性二人と使うということだったので、あの広さもまあまあ許容できていたが、今回は俺一人だけが使う部屋となれば落ち着いて過ごせるものを選びたい。
「本当にここでよろしいのですか?本来この部屋は当家にいらっしゃったお客様に付いて来た世話係が使うので、あまり上等とは言えませんが…」
俺をここまで案内してくれた使用人の女性も眉をひそめてそう言い、未だに俺がこの部屋を使うことに納得はしていないようだった。
そんな声を背に受けながら、窓からの光を室内の白い壁が反射して映える室内を見回す。
「うん。上等上等。こんなもんでいいんですよ。俺なんかには」
「はあ…左様でございますか…。それでは私はこれで失礼させていただきますが、何かございましたら隣の部屋に私どもが詰めておりますので、お手数ですがそちらにお声をおかけください」
「ええ。その時はお願いします。案内していただいてありがとうございました」
去っていく使用人にお礼の言葉をかけて、装備品を取り外していく。
ようやく人心地つくとベッドに腰かけると、そのまま体を倒していって身を預ける。
俺はこうして一人部屋になったが、パーラはオーゼルが希望して一緒の部屋に泊まることになっている。
なんだかんだでこの度の間に仲良くなった二人だ。
貴族と冒険者という立場の違いからいずれは別れの日を迎えることになるだろうから、今一緒にいる時間を大事にするのは自然なことだろう。
今頃二人で何をしているのか。
そんなことを考えていると、突然部屋の扉がバンという大きな音を立てて乱暴に開かれた。
何事かと身構えたが、そのドアを開けた張本人であるパーラが、ずかずかと部屋に入ってくるのに気付いて体から力を抜く。
「アンディーっ!このお屋敷の庭に噴水があるんだって!一緒に見に行こうよ…あれ?もしかして寝てた?」
「いや、ちょっと横になってただけだよ。それよりも部屋に入る時は入室の許可を取ってから扉を開けろっていつも言ってるだろ」
「あぁうん、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃってたから…。それでさ、庭に―」
「噴水があるってんだろ。聞いてたよ。いいよ、行こうか」
ベッドから立ち上がり、そのまま部屋を出る。
後ろからはパーラが小走りで俺の横に並び、ニコニコとした妙にうれしそうな顔で歩いている。
先程考えていたオーゼルと一緒に過ごしているだろうという予想は見事に外れたわけだが、こうして俺と一緒に行動することを楽しみにしてくれているパーラは中々可愛いじゃないの。
「そう言えばオーゼルさんはどうした?てっきり一緒にいると思ってたけど」
「さっきまでは一緒だったけど、ディーネ様が来て連れて行っちゃったんだよね。一人で待ってるのも暇だから、使用人の人に噴水のこと教えられたから見に行こうと思って」
「俺の所に来たわけか」
ディーネがオーゼルを連れて行ったのは恐らく明日来るであろう仕立て職に関する事とかなのかもしれない。
玄関以外からも庭に出る道を知っているパーラが途中から先導する形で目的地に出ると、そこには確かに立派な噴水があった。
白無垢と言っていいほどに真っ白のそれは、恐らく魔道具としての機能が組み込まれているのだろう。
豊富な水を頂点から勢いよく噴き出し、その周りにある囲いの内側に降り注ぐと涼やかな空気が辺りに漂うのを感じられた。
噴水から少し離れた所には、恐らく普段は噴水で涼をとりながらお茶でも飲んでいたであろう屋根付きのテーブル一式がある。
今は誰もいないが、過ごしやすい気温の日にはさぞ気持ちのいい時間を過ごせるだろうその場所に、この家の客である俺達が使っても文句は言われないはずなので、そこへ向かうとパーラと一緒に座る。
午後二時頃が一日のうちでもっとも気温が高いと言われるもので、今はもうピークは過ぎているはずなのだが、流石は砂漠が近いだけあってまだまだ暑い。
それでも日本とは違って蒸すような暑さではないため、こうして日陰にいれば随分涼しいものだ。
おまけに噴水が周囲の空気を冷やす効果もあるおかげで、風が吹くとそれによって運ばれてくる涼しい空気を身に受けて意外と不快さを覚えない。
護衛依頼を果たした俺達がこの後どう動くかを話し合う必要があるのだが、当初の予定ではマルステル公爵領で解放されるはずだったものの、今こうして皇都で自由の身となったのでそれに合わせて予定も変更する必要がある。
オーゼルから聞かされた風紋船にも乗ってみたいし、リゾート地を訪れてみるのもいい。
それにソーマルガは遺跡の多く見つかっている国でもあるので、それらを見て回るのも捨てがたい。
とりあえずパーラと相談して今後のことを決めようと思うが、今の俺の心境としては全部やりたいという我儘な考えが胸の内を占めている。
近いうちに次の旅に出ることを明日にでもオーゼルに話しておこう。
その際に俺達でも足を踏み入れても問題のない遺跡はあるか聞いてみようか。
やりたいことが山のようにあるが、どれも俺の好奇心を刺激するものばかりで、今から想像するだけでもわくわくが止まらない。
俺達の旅はこれからだ。
大通りの行き当たる先は城の門ではあるが、その手前に広い敷地を用意できるのが公爵家の特権だろう。
進行方向の右手にマルステル公爵邸はあるらしく、屋敷を囲う塀はもう既に俺達の横を流れていっていた。
結構塀を眺めているが、未だ門が見えてこないことから敷地面積は相当なものだと予想される。
暫く進むとようやく門が見えてきた。
長大な塀の中間にあたる門の部分は、大通りから馬車一台分内側へと凹んで建っており、その前には完全武装した門番が4人、こちらを見ていた。
このままバイクが近付いていってもいいのかと思ったが、どうも門番はこちらを警戒している様子ではなく、むしろ整列して出迎えるぐらいには礼を持って当たろうとしているように感じられる。
「なんか俺達を見ても警戒しませんね」
「多分先程私達から話を聞いていた兵士の方が気を利かせて話をしてくれていたのかもしれませんわね」
そう言えば事情聴取の際にも、オーゼルの身分を聞いた兵士が一人、どこかに駆けて行ったが、あれはこのためだったのか。
恐らく公爵家の人間が家に戻るのを遅らせていると判断して、事前に屋敷へとオーゼルの今の状況とじきに到着する旨を伝えてくれたのだろう。
横一列に並ぶ門番の前にゆっくりとバイクを停め、オーゼルがサイドカーから降りて一歩前に出る。
するとそのタイミングに合わせてか、右手にある門から一人の女性が出てきた。
身に着けているエメラルドグリーンに近いドレスは袖が長いながらも生地の薄さでそれほど暑さを気にしないでもいいのは涼しげな顔からも明らかだ。
背格好はオーゼルよりも頭一つ小さいぐらいで、髪形から顔立ちまでとにかくオーゼルとそっくりである。
肌と髪の色は同じだが、目の色がオーゼルとは違って赤みがかった黒といった様子からも、近しい血縁関係にはあるが姉妹ではないということを推測する。
年齢はそれほど離れていないようなので、いとことかだろうか?
そんな俺の予想はオーゼルの口から飛び出した言葉で否定された。
「お母様!」
…オカアサマ?
オカアサマ…おかあさま…お母様。
母親!?いやいや、どう見ても10代半ばぐらいにしか見えないんだが。
もしかしてかなり若い時にオーゼルを生んだとかか?
確かにこの世界の貴族の風潮だと、結婚する女性は若いほどいいとなっているが、これは流石に…。
口にこそ出しはしないが、その言葉に衝撃を受けたのはどうやら俺だけではないようで、リアシートにいるパーラからも息を呑む音が聞こえたことからも、どうやら同じくらいの驚きを抱いたらしい。
そんな俺達の驚きをよそに、目の前では親子の感動の再会劇が行われようとしていた。
小走りで母親に駆け寄ったオーゼルが頭一つ小さい体を抱きしめ、母親もその背中を撫でるように腕をまわす。
パッと見は親子というよりも姉妹の再会と言っても通じるかもしれない。
「おかえりなさい、アイリーン。…少し痩せたんじゃない?」
「いえ、そんなことはありませんわ。むしろ少し筋肉が付いたぐらいです」
「あら、そうなの?…あぁそれと、遺跡発見の件、すごいじゃない。久しぶりの慶事で国が盛り上がりそうだって陛下も喜んでらしたわよ」
「まあ、陛下が?畏れ多いことですわ。…そういえばお母様はどうしてこちらに?てっきり領地の方にいるものとばかり思っていましたのに」
「その話をする前に、そちらの方たちを紹介してくれないかしら?」
オーゼルの言葉を手で制し、俺とパーラの方へと視線をよこした母親から紹介をねだられたオーゼルが、今思い出したと言わんばかりにハッとした顔で俺達を見る。
あの顔は完全に俺達を忘れていたな。
「ええ、もちろんそのつもりでしたわ。二人とも、こちらへ」
取り繕うように若干早口になったオーゼルの手招きで、俺達はバイクを降りてオーゼルの隣まで歩いて行く。
「お初にお目にかかります、奥様。アイリーンお嬢様の護衛として雇われました、アンディと申します」
「同じく、パーラです」
ペコリと頭を下げて挨拶をする俺達を見て、微笑ましそうな声色で話しかけてくる。
多分若い俺達が精一杯の礼儀作法に倣った挨拶をするのが母親としてそういう感情を抱かせたのかもしれない。
「どうもご丁寧に。私はこの子の母親でディーネといいます。…護衛というには随分若いようだけど、もしかしてアイリーンとは友達なのかしら?その伝手で護衛を引き受けたとか」
ディーネの言うことは一応当たっているのだが、護衛というよりも俺達は旅に同行しただけというニュアンスが含まれているようだ。
「お母様、この二人は確かに私の友人ですけど、アンディは白3級にパーラは黒2級の立派な冒険者ですのよ。」
「まあ、そうなの?…その若さで黒2級も十分すごいけど、白3級となると相当な物ね。…あぁ、とりあえずこんなところで立ち話も辛いでしょうから、中でお話をしましょう」
そう言って俺達を屋敷の方へと案内する。
暑さに慣れていない俺達の様子にすぐ気が付くあたり、流石は公爵夫人としての応対が上手いと思わせる。
バイクは門を入ってすぐの来客用の馬車置き場に停めさせてもらった。
チラチラと興味を含んだ視線が門番をはじめ、ディーネからも注がれていたので、屋敷に向かう道中でバイクのことをオーゼルが説明する。
今俺達が歩いている道はしっかりとした石畳敷きの道なのだが、その幅がかなり広い。
馬車は2台が同時に余裕を持ってすれ違えるぐらいの広さはあり、道の両端にある生垣が目隠しとなって向こう側は見えないが、それでもここに来るまでの間に見てきた塀の長さから想像するに、かなりの面積の庭があると思われる。
そして、この道の向かう先にある屋敷がこれまたすごい。
生垣に遮られているとはいえ、建物の両端が未だ見えない時点でかなりの広さがある上に、2階建てとなれば延べ床面積はそうとうなものになるだろう。
それこそエーオシャンで泊まったレジルの宿並みかそれ以上かもしれない。
外観は特に華美さにはこだわっているようには見えず、使われている建材も白壁を基調として所々に金属と木材を組み合わせた装飾こそあるものの、公爵という身分を考えると些か質素に感じてしまう。
そう言えばとここに来る途中に出会った某男爵家の馬車は貴族らしい派手さ、むしろ下品さすら感じられた物だったが、それと比べるとこちらは随分と落ち着いたものだ。
ルドラマもそうだったが、この世界では権力が強い人間ほど質素な屋敷に住みたがるのだろうか?
そんなことを考えているうちに、屋敷の玄関へと到着し、使用人によって開かれた扉を潜って中へと入る。
中に入って真っ先に飛び込んできた絢爛豪華な光景に思わず息を呑む。
足元からして複雑な模様の描かれた石細工の廊下に、壁には種々様々なタイプの絵画に独特な模様の布が壁を伝って彩っている。
陽の光と風に晒される外観には特別な手を加えず、自然なままの美しさを楽しませる。
そして内部にこそ装飾をふんだんに施すことによって外と中のギャップを楽しめるというやり方は、これを考えた人間が人を驚かせることを楽しむ茶目っ気を持つことを表しているように思えた。
吹き抜けの玄関ホールには魔道具の照明だと思われるシャンデリアが高い天井に吊り下げられており、正面には恐らく公爵家の面々だろうと思われる一家の肖像画がでかでかと飾られていた。
顔立ちが似た線の細い貴公子然とした若い男性が左右の端に立ち、今よりも少し幼さが残るオーゼルとディーネの二人が真ん中に並べられた椅子に座って描かれたそれは、芸術の良し悪しが分からない俺から見ても結構な逸品だと思わせるほどの何かを醸し出している。
使用人に指示を出し終えた所を見計らい、ディーネに声をかける。
「ディーネ様、あの絵はご家族の肖像でしょうか?」
「ディーネ様だなんて。アイリーンのお友達なんだからそんなかしこまった言い方しなくてもいいのよ?普通におばさんとかディーネちゃんとかでも」
「いや流石にそれは…」
幾らなんでも公爵夫人をちゃん付けで呼ぶなどできないし、おばさんと呼ぶには見た目がまだ随分と若いので抵抗もある。
ディーネも特に呼び方に拘っているわけではないので、特にそれ以上口にはせず、俺の質問に答えてくれた。
あの肖像画はやはり家族のもので、描かれているのはオーゼルが10歳ほどの頃なので今から5・6年前のものだそうだ。
一家の肖像と入っても、そこには父親が描かれていないのが気になる。
「ディーネ様、ここには公爵様が描かれていないようですけど」
「描かれてるわよ?ほら、あの右端」
ディーネが指さした先にはオーゼルの据わる椅子の背もたれに手を乗せて微笑む青年の姿がある。
どう見ても父親というよりも兄の一人だというその姿だが、俺は今自分の隣に立つディーネを思い出し、謎が解けたのと同時に戦慄を覚えた。
おいまじか。
母親に続いて父親までも年齢不詳とか、この家は不老の呪いでもかかってんのか?
そんな考えが顔に出ていたのか、ディーネが笑う声に俺の意識は現実に戻された。
「ふふ、皆そういう反応をするのよね。確かに昔からジャン、あぁ私の夫の名前ね。ジャンの見た目が随分若いからアイリーンと兄妹に見られて困ってたのよ。三児の父親なのにって時々落ち込んでたわね。ふふふ」
その時のことを思い出して笑うディーネだったが、俺から言わせればあんたも同類ですよ。
そんな話をしていると部屋の用意が整ったと伝えてきた使用人に続き、ディーネが歩き出す。
追いかけるようにして俺達もその後に続く。
20帖ほどの広さのある部屋に通された俺達は、ディーネに勧められるまま部屋の中央にあったテーブルに着く。
対面にディーネとオーゼルが座ったタイミングで運び込まれてきたお茶が手早く用意された。
「このお茶はうちの領内で作られたものなのよ。ここ何年かはいい出来のものが続いてるから、よかったら飲んだ感想を聞かせてもらえるかしら」
「では失礼して」
ニコニコとした顔のディーネに断って一口頂く。
見た目は透明に近い褐色といったものだったのに、口に含んだ途端溢れるように広がる風味はジャスミンティーに似た上品な香りを思わせる。
微かな渋みが通り過ぎた後に残る酸味がキレのいい飲み口を演出しており、飲み干した後に思わず漏れる溜息すら香りを孕んでいた。
「おいしいですね。香りもさることながら、余韻にまで強い印象を残す味わいが格別です。これはお高いのでは?」
「皇都で手に入れるには少し値が張ることは確かよ。でもマルステル領内でなら少し奮発するぐらいで買える程度の値段かしら」
空になっていた俺のカップにディーネが手ずからお茶を注ぎつつそう言った。
先程よりも笑みが深まっている様子から、どうやら俺の感想は彼女のお気に召す物だったようだ。
「今年の葉もいい出来の様で安心しましたわ」
久しぶりの味にオーゼルも機嫌がよさそうだ。
パーラも気に入ったようで、一口飲んでは軽く息を吐いて余韻を楽しんでいる。
しばしお茶を楽しむ空間となっていた室内に、オーゼルの言葉が響く。
「それで先程の話ですけど、どうしてお母様がこちらに?」
「どうしてって、私達は皇都で待つって手紙を出したでしょう?」
「はい?いえ、手紙には至急領地へ戻れとしか」
そう言ってオーゼルが身に着けていた小物入れから取り出した手紙をディーネへと差し出す。
「あぁ、これは少し前に出した手紙だわ。この後にもう一回出してるんだけど受け取ってないの?レジルの所に手紙が届いてたと思うけど」
「受け取ってませんわね。確かに先日まで婆やの所に世話になっていましたけど、そんな手紙があったら婆やから渡されているはずですわ」
どうもお互いにズレがあるようで、ここは中立の立場の俺が話をまとめてみようと、双方から話を聞いてみた。
その結果わかったのは、どちらの言い分も正しく、その上で上手い事タイミングが外れていた事が原因だった。
ディーネが手紙を出したのは六日前で、オーゼルがソーマルガに帰ってくるならまずエーオシャンでレジルの所に泊まると分かっていたため、手紙を持たせた人間をレジルの宿に行かせたという。
レジルであれば手紙を託せば確実にオーゼルに渡ると思っていたのだろう。
ところがここで予想もしていなかった事態が起きる。
なんと手紙が届くよりもずっと早くオーゼルがエーオシャンに到着し、そしてジェクト以上の速度で皇都への道を走破してしまったのだ。
手紙を持った人間がどういう移動手段を使ったかわからないが、皇都からエーオシャンまでは馬車でも四日かかると言われている。
俺達がおよそ二日かけて皇都へたどり着いたことからも、丁度入れ違う形で今頃レジルの元へと手紙は届いていることだろう。
要するに、バイクというこれまでの流通の常識にはまらないイレギュラーな存在が生み出したすれ違いの結果が今の状態というわけだ。
「そう言うことだったのね。まさかジェクトよりも早く移動できる移動手段なんて思いもしなかったわ」
「こればかりは実際にバイクを知らない人間には想像できないでしょうから、仕方ありませんわね」
お互いの現状を理解し合ったところで、話の続きとなった。
そもそもオーゼルを領地へと呼び戻すことになったのは、遺跡発見の功で国王がオーゼルを謁見を望んだことが始まりだった。
今の国王はマルステル公爵の兄で、オーゼルは彼の姪にあたる。
元々オーゼルの父親は第二王子として王宮で暮らしていたが、兄が次期国王と決まった段階で、自らマルステル公爵家へと養子に出たという経緯があるのだそうだ。
そのため、ソーマルガに存在する他の2家の公爵位の貴族と比べて、幼い頃より王家とはかなり親しく付き合う機会に恵まれていたという。
子供の頃はこの伯父がオーゼルを特に可愛がっていたということもあって、大手柄を立てた姪を公的な立場と伯父の立場の両方から褒めてやりたいということで、弟であるマルステル公爵がその話を聞き届けて、こうして急いで呼び戻される運びとなったわけだ。
どうやら悪い方向での緊急の呼び戻しではなかったと一安心する。
「ということは、陛下との謁見が既に準備されているということですのね?」
「そうよ。最もあなたがこんなに早く来るとは思ってなかったから、ジャンが城から戻って来たら改めて前倒しで謁見の予定が組まれるでしょうね。その際には他の貴族の方々もいる前での謁見になるでしょうから、覚悟しておいた方がいいわよ」
それだけを聞くと発破を掛けられているようだが、ディーネの顔からはオーゼルを気遣うものも見え隠れしているので、単に気を緩めさせないように言った言葉だったようだ。
「…あぁ、そう言えば今は税収の報告で高位貴族が一度に集まる時期でしたわね。そうですか、それだけの人達の前で…」
ブルリと身を震わせるオーゼルだったが、それは怖じ気づいたそれではなく、むしろ歓喜に近い感情が顔からも溢れ出おり、それは恐らく大物貴族の前で自らの功績を誇れる機会に対しての思いだろう。
「さて、それじゃあアイリーンが謁見の時に着るドレスの新調をしなくちゃね。今日…はもう遅いから明日仕立て屋さんに来てもいましょうか」
時間的にはまだ昼を少し過ぎたぐらいだが、この世界でのドレスの新調となると一日仕事になるので、流石にこの後からとはいかず、明日からオーゼルの採寸から仕上げまで超特急で行われるとなれば暫くはかかりっきりになるだろう。
「ではそろそろ俺達は失礼させていただきます。アイリーン様、依頼完了の受領書を頂けますか?」
ギルドの依頼として護衛を務めた俺達は、依頼人であるアイリーンから依頼完了のサインが書かれた受領書をギルドに提出して初めて報酬がもらえる。
母娘で話すこともあろうと俺達は受領書を受け取ったら屋敷を去ることにした。
「それは構いませんけど、あなた達今日の宿はまだ取れていないのでしょう?どうせならウチに泊まっておいきなさいな」
受領書を手渡されながらオーゼルにそう言われ、今から宿を探してもどれだけの時間がかかるかを考えた。
今日来たばかりの皇都ではあるが、大通りを走って来て見た限りでは人の多さは流石大都市と言えるほどだ。
宿も街の規模に比例して多いとは思うが、それでもあの人の群れを見てしまうと正直不安になる。
オーゼルのその申し出は確かにありがたいが、あまり厚かましく居座るのも日本人の気質からして抵抗があるので、ここは丁重に―
「本当に?よかったー。街で人の多さを目にした時から宿はとれないんじゃないかって思ってたんだよね。それじゃあアンディ共々お世話になります」
「ええ。遠慮などなさらないで。私達は友達なんですもの」
お断りをと考えている内に、さっさとパーラが世話になることを決めてしまっていた。
せめて『ご迷惑では→遠慮なさらず→いえいえ→いえいえ→ではお言葉に甘えて』の下りぐらいはやらせてくれよ。
まあ俺達の間なら遠慮もあまり考える必要がないというのもあったかもしれないが、それでもパーラのナチュラルに人の好意に乗っかれるところは素直にすごいと思う。
「それじゃあ二人はアイリーンに任せていいかしら?私は明日からの手配に動くわね。あまりお構いできなくて申し訳ないけど、自分の家だと思って寛いでちょうだいね」
そう言ってディーネは使用人と何やら話しながら部屋を出ていく。
多分ドレスの仕立て職人に声を掛けたり、登城の際に使う馬車やら随行員の手配にと今から忙しくなることだろう。
サクッとオーゼルの家にお世話になることが決まり、早速俺達は客人として部屋を用意された。
室内はベッドとテーブルにソファーと、現代日本の感覚で言うとごく普通の広さのワンルームマンションの一室風になっているが、この家で使われる客人に宛がう部屋としてはこれがもっとも小さいものだそうだ。
最初に通された部屋はどこのホテルのスイートルームだと突っ込みたくなるぐらいの豪華さで、流石に落ち着いて過ごせないとグレードダウンを願い出たが、そこは俺も賓客ではあるので、丁重なもてなしにはそれ相応の部屋をという話の平行線だった。
そこを何とかオーゼルに直訴して、半分泣きに近い形で頼み込んで渋々ながらこの部屋へと案内してもらった。
レジルの宿の時は俺の他にも女性二人と使うということだったので、あの広さもまあまあ許容できていたが、今回は俺一人だけが使う部屋となれば落ち着いて過ごせるものを選びたい。
「本当にここでよろしいのですか?本来この部屋は当家にいらっしゃったお客様に付いて来た世話係が使うので、あまり上等とは言えませんが…」
俺をここまで案内してくれた使用人の女性も眉をひそめてそう言い、未だに俺がこの部屋を使うことに納得はしていないようだった。
そんな声を背に受けながら、窓からの光を室内の白い壁が反射して映える室内を見回す。
「うん。上等上等。こんなもんでいいんですよ。俺なんかには」
「はあ…左様でございますか…。それでは私はこれで失礼させていただきますが、何かございましたら隣の部屋に私どもが詰めておりますので、お手数ですがそちらにお声をおかけください」
「ええ。その時はお願いします。案内していただいてありがとうございました」
去っていく使用人にお礼の言葉をかけて、装備品を取り外していく。
ようやく人心地つくとベッドに腰かけると、そのまま体を倒していって身を預ける。
俺はこうして一人部屋になったが、パーラはオーゼルが希望して一緒の部屋に泊まることになっている。
なんだかんだでこの度の間に仲良くなった二人だ。
貴族と冒険者という立場の違いからいずれは別れの日を迎えることになるだろうから、今一緒にいる時間を大事にするのは自然なことだろう。
今頃二人で何をしているのか。
そんなことを考えていると、突然部屋の扉がバンという大きな音を立てて乱暴に開かれた。
何事かと身構えたが、そのドアを開けた張本人であるパーラが、ずかずかと部屋に入ってくるのに気付いて体から力を抜く。
「アンディーっ!このお屋敷の庭に噴水があるんだって!一緒に見に行こうよ…あれ?もしかして寝てた?」
「いや、ちょっと横になってただけだよ。それよりも部屋に入る時は入室の許可を取ってから扉を開けろっていつも言ってるだろ」
「あぁうん、ごめんなさい。ちょっと興奮しちゃってたから…。それでさ、庭に―」
「噴水があるってんだろ。聞いてたよ。いいよ、行こうか」
ベッドから立ち上がり、そのまま部屋を出る。
後ろからはパーラが小走りで俺の横に並び、ニコニコとした妙にうれしそうな顔で歩いている。
先程考えていたオーゼルと一緒に過ごしているだろうという予想は見事に外れたわけだが、こうして俺と一緒に行動することを楽しみにしてくれているパーラは中々可愛いじゃないの。
「そう言えばオーゼルさんはどうした?てっきり一緒にいると思ってたけど」
「さっきまでは一緒だったけど、ディーネ様が来て連れて行っちゃったんだよね。一人で待ってるのも暇だから、使用人の人に噴水のこと教えられたから見に行こうと思って」
「俺の所に来たわけか」
ディーネがオーゼルを連れて行ったのは恐らく明日来るであろう仕立て職に関する事とかなのかもしれない。
玄関以外からも庭に出る道を知っているパーラが途中から先導する形で目的地に出ると、そこには確かに立派な噴水があった。
白無垢と言っていいほどに真っ白のそれは、恐らく魔道具としての機能が組み込まれているのだろう。
豊富な水を頂点から勢いよく噴き出し、その周りにある囲いの内側に降り注ぐと涼やかな空気が辺りに漂うのを感じられた。
噴水から少し離れた所には、恐らく普段は噴水で涼をとりながらお茶でも飲んでいたであろう屋根付きのテーブル一式がある。
今は誰もいないが、過ごしやすい気温の日にはさぞ気持ちのいい時間を過ごせるだろうその場所に、この家の客である俺達が使っても文句は言われないはずなので、そこへ向かうとパーラと一緒に座る。
午後二時頃が一日のうちでもっとも気温が高いと言われるもので、今はもうピークは過ぎているはずなのだが、流石は砂漠が近いだけあってまだまだ暑い。
それでも日本とは違って蒸すような暑さではないため、こうして日陰にいれば随分涼しいものだ。
おまけに噴水が周囲の空気を冷やす効果もあるおかげで、風が吹くとそれによって運ばれてくる涼しい空気を身に受けて意外と不快さを覚えない。
護衛依頼を果たした俺達がこの後どう動くかを話し合う必要があるのだが、当初の予定ではマルステル公爵領で解放されるはずだったものの、今こうして皇都で自由の身となったのでそれに合わせて予定も変更する必要がある。
オーゼルから聞かされた風紋船にも乗ってみたいし、リゾート地を訪れてみるのもいい。
それにソーマルガは遺跡の多く見つかっている国でもあるので、それらを見て回るのも捨てがたい。
とりあえずパーラと相談して今後のことを決めようと思うが、今の俺の心境としては全部やりたいという我儘な考えが胸の内を占めている。
近いうちに次の旅に出ることを明日にでもオーゼルに話しておこう。
その際に俺達でも足を踏み入れても問題のない遺跡はあるか聞いてみようか。
やりたいことが山のようにあるが、どれも俺の好奇心を刺激するものばかりで、今から想像するだけでもわくわくが止まらない。
俺達の旅はこれからだ。
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