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人工翼
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あの日、人工翼を破損してしまった俺達は、酒で後悔と無念を洗い流し、翌日には二日酔いに責め立てられながら問題の洗い出しを行い、その流れで派手に翼の分解を行ったおかげで、早々に原因の究明がなされた。
それによると、空中で翼が折れた原因は、単純に組み立ての際に部品の取り付け方が甘かったことによるものと断定された。
布を張るためのフレームは弾性にも配慮して材料を選んだのだが、この折れた部分に関しては異なる材質の木材を組み木の要領でくっつけていたため、想定以上の力がかかったことで、その部分がちぎれるようにして破損した、というのが俺達の見解だ。
「一番頭をひねって考えた構造だったんだけど、まさか耐久性に難があったなんてね」
「想定より負荷も大きかったんだろうな。俺の感覚だと、翼全体に結構なたわみも出てたし」
発生した揚力はそこまで強いものではなかったのに、翼全体のしなりの方は相当なものだった。
ある程度のひずみはフレームで吸収できると思っていたが、実際は折れてしまったわけだ。
「うーん、他の部分は問題なさそうだけど、ここの部分だけはどうにかしないと。クレインさんが使った時に、また折れたりしたら大問題だ」
今回は俺だったからよかったものの、もしもこれに気付かずにクレインへ引き渡していたら、今頃ラサン族と学園の関係は最悪なものになっていたかもしれない。
「ま、多少重さは増えるが、要所要所を金属で補強するしかないな。今更全体の設計をやり直すわけにもいかないだろ」
「だね。それしかないか」
解決策として、壊れた部分を金属などで補強するという結論に至ったが、翼端部分に金属が入ることにより、旋回時の遠心力がきつくなる可能性も出てくる。
その分、操作が難しくなるかもしれないが、その辺りはまた実際に飛ばしてから考えるつもりだ。
修復と改造が済み次第、懲りずにまた飛ばす気満々な俺達だ。
一度墜落したのなら、二度目もあり得るというのが世の道理で、それならとことん飛ばしてみて完成度を高めていきたいものだ。
その後、細々とした欠点が見つかったせいで、ヒエスの留年が心配されるほどにかかりっきりとなってしまったが、その甲斐もあって俺達の汗と涙の結晶は無事にロールアウトを迎えることができた。
都合四度の改修を経て本当の完成を迎えた翼は、予定通りの日に学園へやってきたクレインへ引き渡され、今、俺達の目の前で実際に装着して飛ぶ段階へと至っていた。
完成した翼を目にしたときは、明らかに興奮していたクレインだったが、それも今は落ち着き、自ら飛ぶと申し出てからは真剣な様子で俺達の説明を聞いている。
「…ふむ、見た目よりも重くはないな。素材は木と布だったか?」
「ええ、金属も一部には使っていますが、ほとんどはその二つで構成されています。僕達も色々と改良して、なんとかその重さまで抑え込みました。何度も行った試験飛行で問題はないと確信しています。あとは、クレインさんが正しく扱いきれば、無事に空を飛べるとは思いますが…」
キラキラとした目をしているクレインに、ヒエスが挑発するような言葉を投げかけるが、それには俺も同意するので、特にとがめはしない。
試験飛行を行った俺としては、正直、この翼を自在に操って飛ぶには、風を読む才能と長い訓練が必要だと思っている。
ラジコン航空機と、こっちの世界での飛空艇と噴射装置による空を飛ぶ経験を持つ俺ですら扱いが難しいと思うのだから、はたしてクレインがどれだけ扱えるのか見ものだ。
場所を移って、俺達が以前、人工翼の試験飛行を行った馬場へと、クレインを伴ってやってきた。
今の昼前の時間帯は、練武科が馬場を使うこともあるが、今回はちゃんと学園長に許可を貰い、クレインが人工翼を使って実際に飛ぶために午前いっぱいは借り切っている。
「ふむ、高さは十分か。ここでどれくらいになるかな?」
「ざっと四十メートル強といったところですかね。魔術学科を総動員して作らせましたから、足下もしっかりしてますよ」
馬場の一角に聳え立つ土の塔の頂上で、人工翼を装着済みのクレインの問いに俺が答える。
これは未だ修復作業中の塔に代わり、俺が学園長に頼んで用意させたもので、人工翼を使ってここから滑空するために、魔術学科の土魔術師をかき集めて作らせた。
流石にこのレベルのものを土魔術で作った経験は誰もなかったので、これも経験だとして俺は手出しせずに学生だけに作らせたが、大半がぶっ倒れるまで魔術を酷使した甲斐あって、まずまずの出来だと思う。
本当は高さ百メートルを目指したかったが、強度を保ちつつの短工期での作業ということで、これが限界だった。
土で出来ているため長く残るものではないが、モニュメントとしての存在感はかなりのものだろう。
唯一不満があるとすれば、頂上までのアクセスが外壁をぐるりと回るようにして作られた階段だけになったことか。
出来れば滑車を使ったエレベーターでも用意したかったが、これも時間が足りず断念せざるを得なかった。
「しかし、本当にいいんですか?なんなら俺がクレインさんを抱えて高いところから滑空させるというやり方もできますが」
高さ四十メートルは普通ならかなりのものでも、滑空するための落下速度を稼ぐには聊か心許ない。
飛び出し速度が十分あればいいが、頂上の広さは助走には不十分だ。
「構わん。これでも鳥人族に生まれた男だ。飛び方は心得ている」
「いや、でも」
「大丈夫だ、問題ない」
「そ、そうですか」
どこからその自信が来るのか、そう押し切るクレインにはやると言ったらやりきる凄味があった。
まぁ俺も人工翼は何度か試験飛行はしたし、問題はないはずだが、なにせクレインはこれが初飛行となる。
馬場へ来る前にフィッティングをさせた際、その場でジャンプしたり少し走って翼が風を受ける感じを体験させたが、その際には思いっきりすっ転んでいたので、不安が全くないとは言えない。
一応、翼の効果による安全な飛行といざという時の対処法は考え得る限りに入念なレクチャーをしたとはいえ、ぶっつけ本番の感はどうしても残る。
万が一を考え、いざとなったら俺が噴射装置で拾い上げるつもりだ。
いまさら言っても仕方ないが、エリーに無理を言ってでも、ソーマルガからパラシュートを取り寄せておくべきだったと後悔している。
本人が希望したとはいえ、怪我はともかく、死なせないようにだけはしないと。
最後にヒエスと共にハーネスや翼の状態をチェックし、準備が整ったところでクレインが塔の淵に立つとその一歩を、まるで我が家の階段でも下りるかのように踏み出した。
一片の躊躇いも恐怖も見せずに塔の外へと身を投じたクレインに、ヒエスが息をのむのが分かったが、俺はそれに構わず、噴射装置に手を添えると、後を追うようにして飛び出す。
軽く圧縮空気を吹かし、クレインの背中を目指して落下速度を速めると、目の前では同じく落下中の人工翼が見える。
恐らく翼が風を捉えるのは塔の下半分を過ぎたあたりになると思うので、救出のボーダーラインは地面まで残り15メートルを切ったらと考えている。
だが俺のその予測をクレインはあっさりと裏切ってきた。
なんと、飛び降りてすぐの時点で、どういうわけか人工翼が羽ばたくようにしてたわみを見せ、そのまますぐに滑空をしてみせたのだ。
冬と言っていいこの時期、上昇気流などそうそう起きないというのに、先程からクレインは高度を落とすことなく、一定の高さで飛び続けている。
人工翼の試験飛行をした身から言わせれば、この高さと速度では翼が揚力を生み出すには不足なはずなのに、目の前では悠然と風に舞うようにしてクレインが滑空を始めている。
なにやら俺の知らない技術でも使っているのかと、よく見ようと噴射装置をさらに吹かしてクレインの後方へと近づいていくと、不意に俺の体がふらつきだした。
墜落するほどではないが、縦に大きく揺れるような動きに襲われたその原因は、恐らくクレインの背後で気流が乱れているせいだと思う。
スリップストリームとは違う、しかし乱気流とまでは呼べない程度の空気の流れを感じる。
魔術でも使っているのか、はたまた種族的な特殊技能でもあるのか、明らかにこの程度の遅い速度域で起きるはずがない現象に、俺は今巻き込まれているわけだ。
とりあえず、こちらに風の影響がないようクレインの隣へと並走し、その姿をよく観察してみる。
実際に飛んだのはこれが初めてのはずなのだが、クレインの顔からは緊張や恐怖といったものは一切見えない。
鳥人族には空を飛ぶことがDNAに刻み込まれていると言われれば納得できるほど、実に堂々とした飛び姿だ。
「…ん?おぉ!それが噴射装置とやらか!翼もなしによく飛べるものだな」
俺の姿に気付いたのか、こちらへ顔を向けえたクレインは驚愕の声を上げつつ、人工翼を一度揺すると、まるで滑るようにしてこちらへと近付いてきた。
今のどうやったんだ?
「…ほぅ、なるほどな。勢いよく空気を吹き出して、前と上へ進んでいるわけか。よく考えられている」
説明を聞くまでもなく、噴射装置の挙動をチロリと眺めただけで仕組みを見抜くとは、クレインの眼力と理解力は化け物か。
「見ただけでよくそこまでわかりますね。一応、これの原理は俺独自のものだと自負してるんですが」
「なぁに、風を使っている以上、鳥人族にはこれほどわかりやすいものはない。何より、似たようなことを私も今やっているしな」
「え」
シレっと言い放ったが、そのクレインの言葉は聞き流せないものだ。
確かに今、クレインは噴射装置と似たようなことやっていると言った。
「似たようなことを、というのは?」
「…ふぅむ、やはりわからんか。よかろう、教えてやる。まずは一旦下へ降りるか。説明はそれからだ」
そう言い、姿勢を急に起こすと全身で風を受けたクレインは、ブレーキで失速する勢いのままに下へと落ちていく。
あまりの降下スピードに操作ミスを疑ったが、そのまま地面に叩きつけられるかと思った瞬間、人工翼が鳥の翼さながらに羽ばたくと、クレインはフワリと着地を果たした。
一体どういう操作をすれば、人工翼があんな生物的な動きができるというのか。
確かに翼の一部には多少の角度が変えられる、甘めのフレキシブル構造を採用しているが、ここまで複雑で滑らかな動きとなれば、もう別物という気がしてならない。
地上で着地を見届けたヒエスも、不思議そうな目で人工翼を見つめているほどだ。
「ヒエス君、アンディ君。君達の作ったこの人工翼は素晴らしい!よもや、ここまで自在に空を飛べるとは」
クレインの下へ集まった俺とヒエスに、興奮した様子でそう言うと、人工翼がまたしても生きているようにブルリと震えた。
「…あのー、クレインさん?褒めて頂いたのはうれしいんですけど、何かその人工翼、僕達が作ったのとは大分違ってるように思えるんですが」
「俺もヒエスと同じこと思ってました。なんかそれ、本物の鳥の翼みたいに動いてませんか?」
「ん?あぁ、これか。そうか、本物っぽく見えるか。いやな、これは私の背中の羽で大気を掴み、起きた風でそう見えているだけなのだよ」
『羽で?』
思わず同じ言葉を同じタイミングで放った俺達だったが、それだけクレインの言葉には驚きを覚えた。
その羽というのは恐らく、人工翼ではなく、鳥人族が持つ今は退化した器官を指しているのだろう。
「それは魔術とは違うんですか?それと、大気を掴むとは?」
俺が聞きたいところはヒエスも同じようで、その質問に俺も頷きで同意してクレインを見つめる。
「あくまでも鳥人族が生まれつき持つ能力だ。魔術ではない。大気を掴むというのは……説明が難しいな。とにかくそうだとしか言えん。これ以上詳しくとなれば、私の感覚の話になるが―」
詳しく聞いてみると、そもそもクレイン達鳥人族の背中にある翼の名残は、人を空に飛ばす力こそないものの、大気を掴んである程度操る能力を備えた、いわば妖精の羽と似た機能を有しているという。
元々、鳥人族が空を飛んでいた時代には、翼の羽ばたきだけで飛んでいたわけではなく、この大気を掴む力を併用して空を舞っていたのだとか。
そのため、風魔術師ほどではないが背中の羽で風を生み出したり変化させたりと、他の種族よりも大気の扱いには圧倒的に長けていた。
なお、この能力は大人になるにつれて安定してくるため、暴走の可能性が高い子供のうちは使わせないよう親や周囲の大人が教育するという。
「私は翼に風を当てて操っていたが、同時に大気の流れも操作して細かい動きを制御していたのだ。最初は手こずったがすぐに慣れた。翼をどう動かしたら上手く飛べるか試していたら、やはり鳥のような動き方を意識したものに落ち着いたのだよ。これもラサン族の血がなせる業かもしれんな」
「それで先程のような生物的な動きを?」
「そういうことだ。意味もなくやっていたわけではないぞ」
見栄えを重視しているという疑いは多少…いや実はかなりあったが、クレインもちゃんと考えてのものだったらしい。
人工翼の可動部は、あくまでも運動性の向上や荷重の分散などを目的としていたのだが、クレインの手にかかればこうも使い方に癖が出るとは。
制作者もびっくりだ。
「…人工翼の使い方としてはちょっと想定を超えてたけど、結果としてはよかったってことになるのかな?これ」
「まぁそういうことでいいんじゃないか?鳥人族の適応力、恐るべしだな」
そうヒエスと小声で交わし、とりあえず結果オーライとして受け止めておくとしよう。
現に、クレインによる人工翼の試験飛行は成功したと言えるし、先程の言葉に加えて、着地してからはまるで我が子のように翼を撫でている姿を見るに、気に入ってもらえたというのも間違いない。
「皆さーん、そろそろ一息いれませんか?お茶を用意しましたよ」
少し離れた所からそんな声が上がり、俺達の注目がそちらへと向く。
お茶の入ったポットとカップを乗せたお盆を手にし、こちらへと近付いてくる二つの人影。
片方はよく知っている人物だが、もう片方は今日、初めて顔を合わせたばかりの者だ。
「お、チャムか。すまないね、授業を休ませてまで手伝ってもらっちゃって」
そのよく知っている人物というのはチャムで、学園長から許された学園内でのあらゆる優先権を生かして、ヒエスが今日の手伝いを頼んでいた。
こうしてよきところでお茶を用意するのも、チャムの大事な仕事だったりする。
「いえ!気にしないでください。私、会長の手伝いが出来るなら授業なんていくらでも休みますから!」
「うーん、それは一生徒としてどうなんだい?」
教師に聞かれると今後の評価に障りがありそうな言葉を吐くチャムだが、そこはやはり恋する乙女ゆえにといったところか。
「チャムちゃん、ヒエスさんとばかり話してないで、お茶を配りましょう」
「あ、すいません。すぐに支度します!」
放っとけばいつまでもヒエスとばかり話をしてそうなチャムに声をかけたのは、今朝方に初めて面通しをした女生徒だ。
学園の三年生で、名前はジルという。
スラリとした長身にポニーテールの白い髪と白い肌は儚げなものだが、一番気になるのはやはり鳥の羽のようなものが髪の毛に混ざって見えているところだ。
明らかに鳥人族としての特徴がある姿に、クレインに彼女との関係を尋ねたところ、娘だという答えが返ってきたのだから驚いた。
猛禽類を思わせる父親とは違い、文鳥のような愛らしさがあるのは、もしかしたら母親の方の血を濃く受け継いだのかもしれない。
前に模型飛行機が飛ぶのを見てクレインに報告したのが彼女だったらしく、族長候補の娘としては伝えずにはいられなかったそうだ。
ジルがここにいるのは、父親が来ていることだし、せっかくだから手伝いも兼ねて親子の時間を作ってやろうと学園長が気を利かせたらしい。
「…お父さん、どうぞ」
「うむ」
木箱で作った即席のテーブルと椅子に座った俺達の目の前に、お茶の入ったカップが並べられていく。
年頃の娘というのは、とかく父親を嫌いがちだが、お茶を手渡す際の態度を見る限り、ジルはそういうことはないようだ。
ちなみに、クレインは人工翼をつけたまま木箱に座っている。
よっぽど気に入ったのか、今はひと時も外したくないとのこと。
「さあ、君達も座ってくれ。お茶は全員で楽しもうじゃあないか。ジルも掛けなさい」
カップもちゃんとこの場の全員分用意されていたため、クレインが勧めるままにチャム達もそれぞれ木箱に腰かけ、馬場のど真ん中で束の間のティータイムが催された。
勿論、チャムはヒエスの隣をちゃっかりとゲットし、ジルは父親と同席するということで、クレインの隣に腰かける。
ただジルの方は、クレインが未だ身に着けている人工翼が邪魔そうだ。
「…気になるか?」
「え?あぁ、それはまぁ」
「ふふ、そうだろうな。この人工翼があれば、我々鳥人族の悲願が叶うかもしれないのだからな」
「あ、そっちの話ね…。ま、まぁお父さんがわざわざ学園に頼んで作ってもらったものだし」
チラチラと人工翼を見られているのに気付いてか、クレインがそう尋ねると、少し慌てたようにジルが返事を返す。
本音では父親の奇妙な茶飲み姿が気になっていただけだと思う。
それにしても、鳥人族の悲願と聞いて、感慨深そうな父とは違ってジルが妙に落ち着いているのは、年代によるギャップだろうか。
「これは実に素晴らしいぞ。部族の皆にも行き渡るようになれば、鳥人族は再び空を舞える。これこそ鳥人族の新しい翼だと、私が保証しよう」
「…さっき、空を飛ぶ影を遠くから見たけど、あれがお父さんだったんでしょ?確かに期待は出来そうだと思うわよ。けど、皆の分が用意できるのっていつになるのやら…」
「そうだな。その辺りはどうなんだね?ヒエス君」
「え!あ、あぁ、数を揃えるってことですか?」
親子で交わされていた会話の矛先が突然向けられ、ヒエスもまた、慌てたように返す。
さっきから見てて思うが、クレインの話の切り替えは人を驚かせるものがあるな。
「えー、材料が用意されていれば、部品の制作に五日、組み立ては二日もあればできます。微調整とかも含めれば、一つ作るのに十日ほどですかね」
これはあくまで、人工翼の制作に専従することを前提とした条件で、ヒエスは今回、学園長の配慮によって学生としての時間をこれに充てることができたが、これがもしも授業にフルで出ていたらもっと時間はかかっていたはずだ。
今のところ、人工翼はヒエスだけが作れるので、もしも量産するというのならヒエスに助手を大量につけるか、完全なマニュアルを用意して製造員を育てた方がいいだろう。
「ほう、意外と早いな。この人工翼はもっとかかったようだが?」
「まぁその人工翼は試作一号ですから、それなりに時間はかかりましたね。けど、既に完成を迎えた品を複製するなら、大体そんなものです」
元々作っていた別口のパーツをいくらか流用できたとはいえ、新規で製造した部分も意外と多く、最初の試作品の完成までは結構時間がかかった。
その後も試験飛行で墜落したり、改良点を反映させたりでギリギリまで手をかけたあたり、今日のクレインへの引き渡しは本当に余裕がない日程だったと言える。
しかし、一度完成させたものなら、また一から作るとしても試作品よりずっと製作時間は短縮できる。
ヒエスが十日というのなら、そうなのだろう。
「やはり数を揃えるのは時間がかかるか」
「今のところ、作れるのは僕とアンディだけですからね。学園長の許可が出れば、外から職人を読んで制作を委託するということもあるかもしれませんが」
クレインが部族全員にと言ったこともあり、正確にいくつ欲しいのかは分からないが、大量に欲しいのならやはりヒエスだけに頼った工程は改める必要はある。
その辺は俺がどうこう言うよりも、学園長やクレインが話しあって、大量生産への道筋をつけてもらうべきだ。
大量生産のラインを構築しろとはいわないまでも、人手を増やすぐらいはできるはずだ。
何故か今日まで頼ることはなかったが、職人の手も借りれば、人工翼のクオリティも上がる可能性もないこともない。
「となると、次の人工翼はまた時間をおいてからになりそうだな。できれば、この人工翼で空を飛ぶのを、ジルにも体験させたかったものだ」
「あら、体験するだけなら、お父さんのを私が使ったらいいんじゃないの?」
「何を言うか。これは私のだぞ。お前の分はちゃんと用意してやる」
子供か。
ジルにとられるとでも思ったのか、隠しきれない人工翼をかばうような仕草を見せるクレインの姿には、残りの面々から呆れのため息が漏れる。
一応、クレインとのタンデム飛行という選択肢はあるが、今日飛んだばかりのクレインに娘の命を背負って一緒に飛べというのは流石に酷だろう。
ジルの目を見てみれば、人工翼を興味深そうに見ているので、それを使って飛ぶことに対しての好奇心は十分に刺激されているのが分かる。
「用意するって言っても、今から取り掛かっても出来上がるのは早くて十日後なんでしょう?そんなに待つぐらいなら、ちょっとお父さんのを使わせてよ」
「だめだ。いいか?これはただ背負ったらそれで飛べる代物じゃあないんだ。まだ大気を掴めない歳のお前では、空中での姿勢制御は難しすぎる」
「むー、それを言われたら…」
クレインの危惧する通り、ジルの年齢的にはまだ大気を操る能力は安定していないため、人工翼をつけたとしても自在に飛べはしないだろう。
その点でも、クレインはジルに自分の人工翼を貸すのを嫌がっているのかもしれない。
まぁそれ以外の感情があるのも明らかだが。
「それに、人工翼の使い方をちゃんと勉強しないと、親としては空を飛ぶのは許可できんぞ」
「…お父さんはちゃんと勉強したの?」
「勿論したぞ。人工翼を初めて見せてもらった時に一度、飛ぶ前に一度の計二回だ」
自信をもってそう言うクレインだが、その勉強とは今朝方のこととついさっきのことなので、それをジルが知ったら白い目で見られると分かっているのだろうか。
「…本当に?どうなんですか?」
「え!?まぁ、どう…かなぁ?ねぇ?」
「ん…あー、そうだな。うん……そこはかとなくいい感じ?」
とは言え、父親のことを完全に信用していないのか、ジルがヒエスや俺へ探るような視線でそう尋ねてきた時には、返す言葉に迷ってしまう。
なにせ、クレインが人工翼を使って飛べたのは、レクチャーあってのものだというのは勿論だが、ほとんどは彼の感覚によるところが大きい。
勉強したかと尋ねられれば、Noと言うべきなんだろうが、父親の威厳を考えると中々そうは言い難い。
「ん゛ん゛!さて、ここらでお茶会は終わりとするか。ジル、私達はまだやることがある。人工翼についてもう少し触れておきたいのでな。さあ、二人とも。行こうか」
わざとらしい咳払いでクレインがティータイムの終わりを告げ、俺とヒエスの首根っこを掴んで歩き出してしまった。
どうやら、あの場でジルとの会話が続けられることの不利を悟ったようで、早々に切り上げたかった理由が果たしてジルにはバレていないのか不安になりそうなわざとらしさではあった。
というか、体重が軽い方だとはいえ、ヒエスと俺を引きずったまま歩いているクレインは、かなり力が強いな。
背中に荷物も背負っているし、優れた戦士の種族という鳥人族は伊達ではないということか。
「クレインさん、やることがあるって言いましたけど、何をするつもりですか?」
ジルから十分に距離をとったところで、予定にない試験飛行の続きを口にしたことをヒエスが言及する。
正直言って、試験飛行は先程のあれで十分だし、成功に終わったので人工翼はこのままクレインへ引き渡して終わりでよかったのだ。
しかし、口実とはいえああ言った以上、何かやらなくてはならない。
そうでないと、ジルに親として示しがつかないだろし。
「…別に適当に言ったわけじゃない。ちゃんとやることは考えてある。次はもう少し激しく動いてみたいのだ」
そういえば、さっきはアクロバティックな動きは一切してなかったな。
必須とは言わないが、ある程度のアクロバットに耐えられるというのをクレインがその身で体験するというのは確かに大事だ。
となると、それを最終試験の項目としてみるのも悪くないだろう。
時間としてはもうじき昼だ。
この馬場は午前までしか貸し切りに出来ないので、恐らくこれが最後の試験飛行になる。
ちょっとした曲芸飛行なんかをやらせてみるの面白いかもしれない。
ジルやチャムが地上から見て楽しめるよう、この後の飛び方を相談してみる。
クレインも意外と乗り気のようで、少年のようなキラキラした目をして了承した。
俺も噴射装置で追従してサポートするし、ブルーインパルスとまでは言わないが、異世界映えがする飛び方をしたいものだ。
ループ系は外せないし、せっかく飛べるのが二人いるのだしローリングシザーズなんかもやりたいな。
三人とはいえ観客もいるし、一つ派手にいくとしようか。
この日、たまたま午前の授業が早く終わった生徒達が、学園の空を複雑な軌道を描いて飛ぶ人間大の何かを目撃し、危うくディケット学園の七不思議に加わりかけることになる。
実際に七不思議があるのかは知らんけど。
一応人工翼はおおっぴらにはしていなくとも隠すほどのことでもないが、午後の授業に差しさわりが出るほどの騒ぎを起こしたとして、俺達はベオルからお叱りを受けてしまう。
勿論、クレインも一緒にだ。
学園の恩人ともいえるラサン族に対して、冷えた目で小言を言うベオルが今はただ恐ろしい。
それによると、空中で翼が折れた原因は、単純に組み立ての際に部品の取り付け方が甘かったことによるものと断定された。
布を張るためのフレームは弾性にも配慮して材料を選んだのだが、この折れた部分に関しては異なる材質の木材を組み木の要領でくっつけていたため、想定以上の力がかかったことで、その部分がちぎれるようにして破損した、というのが俺達の見解だ。
「一番頭をひねって考えた構造だったんだけど、まさか耐久性に難があったなんてね」
「想定より負荷も大きかったんだろうな。俺の感覚だと、翼全体に結構なたわみも出てたし」
発生した揚力はそこまで強いものではなかったのに、翼全体のしなりの方は相当なものだった。
ある程度のひずみはフレームで吸収できると思っていたが、実際は折れてしまったわけだ。
「うーん、他の部分は問題なさそうだけど、ここの部分だけはどうにかしないと。クレインさんが使った時に、また折れたりしたら大問題だ」
今回は俺だったからよかったものの、もしもこれに気付かずにクレインへ引き渡していたら、今頃ラサン族と学園の関係は最悪なものになっていたかもしれない。
「ま、多少重さは増えるが、要所要所を金属で補強するしかないな。今更全体の設計をやり直すわけにもいかないだろ」
「だね。それしかないか」
解決策として、壊れた部分を金属などで補強するという結論に至ったが、翼端部分に金属が入ることにより、旋回時の遠心力がきつくなる可能性も出てくる。
その分、操作が難しくなるかもしれないが、その辺りはまた実際に飛ばしてから考えるつもりだ。
修復と改造が済み次第、懲りずにまた飛ばす気満々な俺達だ。
一度墜落したのなら、二度目もあり得るというのが世の道理で、それならとことん飛ばしてみて完成度を高めていきたいものだ。
その後、細々とした欠点が見つかったせいで、ヒエスの留年が心配されるほどにかかりっきりとなってしまったが、その甲斐もあって俺達の汗と涙の結晶は無事にロールアウトを迎えることができた。
都合四度の改修を経て本当の完成を迎えた翼は、予定通りの日に学園へやってきたクレインへ引き渡され、今、俺達の目の前で実際に装着して飛ぶ段階へと至っていた。
完成した翼を目にしたときは、明らかに興奮していたクレインだったが、それも今は落ち着き、自ら飛ぶと申し出てからは真剣な様子で俺達の説明を聞いている。
「…ふむ、見た目よりも重くはないな。素材は木と布だったか?」
「ええ、金属も一部には使っていますが、ほとんどはその二つで構成されています。僕達も色々と改良して、なんとかその重さまで抑え込みました。何度も行った試験飛行で問題はないと確信しています。あとは、クレインさんが正しく扱いきれば、無事に空を飛べるとは思いますが…」
キラキラとした目をしているクレインに、ヒエスが挑発するような言葉を投げかけるが、それには俺も同意するので、特にとがめはしない。
試験飛行を行った俺としては、正直、この翼を自在に操って飛ぶには、風を読む才能と長い訓練が必要だと思っている。
ラジコン航空機と、こっちの世界での飛空艇と噴射装置による空を飛ぶ経験を持つ俺ですら扱いが難しいと思うのだから、はたしてクレインがどれだけ扱えるのか見ものだ。
場所を移って、俺達が以前、人工翼の試験飛行を行った馬場へと、クレインを伴ってやってきた。
今の昼前の時間帯は、練武科が馬場を使うこともあるが、今回はちゃんと学園長に許可を貰い、クレインが人工翼を使って実際に飛ぶために午前いっぱいは借り切っている。
「ふむ、高さは十分か。ここでどれくらいになるかな?」
「ざっと四十メートル強といったところですかね。魔術学科を総動員して作らせましたから、足下もしっかりしてますよ」
馬場の一角に聳え立つ土の塔の頂上で、人工翼を装着済みのクレインの問いに俺が答える。
これは未だ修復作業中の塔に代わり、俺が学園長に頼んで用意させたもので、人工翼を使ってここから滑空するために、魔術学科の土魔術師をかき集めて作らせた。
流石にこのレベルのものを土魔術で作った経験は誰もなかったので、これも経験だとして俺は手出しせずに学生だけに作らせたが、大半がぶっ倒れるまで魔術を酷使した甲斐あって、まずまずの出来だと思う。
本当は高さ百メートルを目指したかったが、強度を保ちつつの短工期での作業ということで、これが限界だった。
土で出来ているため長く残るものではないが、モニュメントとしての存在感はかなりのものだろう。
唯一不満があるとすれば、頂上までのアクセスが外壁をぐるりと回るようにして作られた階段だけになったことか。
出来れば滑車を使ったエレベーターでも用意したかったが、これも時間が足りず断念せざるを得なかった。
「しかし、本当にいいんですか?なんなら俺がクレインさんを抱えて高いところから滑空させるというやり方もできますが」
高さ四十メートルは普通ならかなりのものでも、滑空するための落下速度を稼ぐには聊か心許ない。
飛び出し速度が十分あればいいが、頂上の広さは助走には不十分だ。
「構わん。これでも鳥人族に生まれた男だ。飛び方は心得ている」
「いや、でも」
「大丈夫だ、問題ない」
「そ、そうですか」
どこからその自信が来るのか、そう押し切るクレインにはやると言ったらやりきる凄味があった。
まぁ俺も人工翼は何度か試験飛行はしたし、問題はないはずだが、なにせクレインはこれが初飛行となる。
馬場へ来る前にフィッティングをさせた際、その場でジャンプしたり少し走って翼が風を受ける感じを体験させたが、その際には思いっきりすっ転んでいたので、不安が全くないとは言えない。
一応、翼の効果による安全な飛行といざという時の対処法は考え得る限りに入念なレクチャーをしたとはいえ、ぶっつけ本番の感はどうしても残る。
万が一を考え、いざとなったら俺が噴射装置で拾い上げるつもりだ。
いまさら言っても仕方ないが、エリーに無理を言ってでも、ソーマルガからパラシュートを取り寄せておくべきだったと後悔している。
本人が希望したとはいえ、怪我はともかく、死なせないようにだけはしないと。
最後にヒエスと共にハーネスや翼の状態をチェックし、準備が整ったところでクレインが塔の淵に立つとその一歩を、まるで我が家の階段でも下りるかのように踏み出した。
一片の躊躇いも恐怖も見せずに塔の外へと身を投じたクレインに、ヒエスが息をのむのが分かったが、俺はそれに構わず、噴射装置に手を添えると、後を追うようにして飛び出す。
軽く圧縮空気を吹かし、クレインの背中を目指して落下速度を速めると、目の前では同じく落下中の人工翼が見える。
恐らく翼が風を捉えるのは塔の下半分を過ぎたあたりになると思うので、救出のボーダーラインは地面まで残り15メートルを切ったらと考えている。
だが俺のその予測をクレインはあっさりと裏切ってきた。
なんと、飛び降りてすぐの時点で、どういうわけか人工翼が羽ばたくようにしてたわみを見せ、そのまますぐに滑空をしてみせたのだ。
冬と言っていいこの時期、上昇気流などそうそう起きないというのに、先程からクレインは高度を落とすことなく、一定の高さで飛び続けている。
人工翼の試験飛行をした身から言わせれば、この高さと速度では翼が揚力を生み出すには不足なはずなのに、目の前では悠然と風に舞うようにしてクレインが滑空を始めている。
なにやら俺の知らない技術でも使っているのかと、よく見ようと噴射装置をさらに吹かしてクレインの後方へと近づいていくと、不意に俺の体がふらつきだした。
墜落するほどではないが、縦に大きく揺れるような動きに襲われたその原因は、恐らくクレインの背後で気流が乱れているせいだと思う。
スリップストリームとは違う、しかし乱気流とまでは呼べない程度の空気の流れを感じる。
魔術でも使っているのか、はたまた種族的な特殊技能でもあるのか、明らかにこの程度の遅い速度域で起きるはずがない現象に、俺は今巻き込まれているわけだ。
とりあえず、こちらに風の影響がないようクレインの隣へと並走し、その姿をよく観察してみる。
実際に飛んだのはこれが初めてのはずなのだが、クレインの顔からは緊張や恐怖といったものは一切見えない。
鳥人族には空を飛ぶことがDNAに刻み込まれていると言われれば納得できるほど、実に堂々とした飛び姿だ。
「…ん?おぉ!それが噴射装置とやらか!翼もなしによく飛べるものだな」
俺の姿に気付いたのか、こちらへ顔を向けえたクレインは驚愕の声を上げつつ、人工翼を一度揺すると、まるで滑るようにしてこちらへと近付いてきた。
今のどうやったんだ?
「…ほぅ、なるほどな。勢いよく空気を吹き出して、前と上へ進んでいるわけか。よく考えられている」
説明を聞くまでもなく、噴射装置の挙動をチロリと眺めただけで仕組みを見抜くとは、クレインの眼力と理解力は化け物か。
「見ただけでよくそこまでわかりますね。一応、これの原理は俺独自のものだと自負してるんですが」
「なぁに、風を使っている以上、鳥人族にはこれほどわかりやすいものはない。何より、似たようなことを私も今やっているしな」
「え」
シレっと言い放ったが、そのクレインの言葉は聞き流せないものだ。
確かに今、クレインは噴射装置と似たようなことやっていると言った。
「似たようなことを、というのは?」
「…ふぅむ、やはりわからんか。よかろう、教えてやる。まずは一旦下へ降りるか。説明はそれからだ」
そう言い、姿勢を急に起こすと全身で風を受けたクレインは、ブレーキで失速する勢いのままに下へと落ちていく。
あまりの降下スピードに操作ミスを疑ったが、そのまま地面に叩きつけられるかと思った瞬間、人工翼が鳥の翼さながらに羽ばたくと、クレインはフワリと着地を果たした。
一体どういう操作をすれば、人工翼があんな生物的な動きができるというのか。
確かに翼の一部には多少の角度が変えられる、甘めのフレキシブル構造を採用しているが、ここまで複雑で滑らかな動きとなれば、もう別物という気がしてならない。
地上で着地を見届けたヒエスも、不思議そうな目で人工翼を見つめているほどだ。
「ヒエス君、アンディ君。君達の作ったこの人工翼は素晴らしい!よもや、ここまで自在に空を飛べるとは」
クレインの下へ集まった俺とヒエスに、興奮した様子でそう言うと、人工翼がまたしても生きているようにブルリと震えた。
「…あのー、クレインさん?褒めて頂いたのはうれしいんですけど、何かその人工翼、僕達が作ったのとは大分違ってるように思えるんですが」
「俺もヒエスと同じこと思ってました。なんかそれ、本物の鳥の翼みたいに動いてませんか?」
「ん?あぁ、これか。そうか、本物っぽく見えるか。いやな、これは私の背中の羽で大気を掴み、起きた風でそう見えているだけなのだよ」
『羽で?』
思わず同じ言葉を同じタイミングで放った俺達だったが、それだけクレインの言葉には驚きを覚えた。
その羽というのは恐らく、人工翼ではなく、鳥人族が持つ今は退化した器官を指しているのだろう。
「それは魔術とは違うんですか?それと、大気を掴むとは?」
俺が聞きたいところはヒエスも同じようで、その質問に俺も頷きで同意してクレインを見つめる。
「あくまでも鳥人族が生まれつき持つ能力だ。魔術ではない。大気を掴むというのは……説明が難しいな。とにかくそうだとしか言えん。これ以上詳しくとなれば、私の感覚の話になるが―」
詳しく聞いてみると、そもそもクレイン達鳥人族の背中にある翼の名残は、人を空に飛ばす力こそないものの、大気を掴んである程度操る能力を備えた、いわば妖精の羽と似た機能を有しているという。
元々、鳥人族が空を飛んでいた時代には、翼の羽ばたきだけで飛んでいたわけではなく、この大気を掴む力を併用して空を舞っていたのだとか。
そのため、風魔術師ほどではないが背中の羽で風を生み出したり変化させたりと、他の種族よりも大気の扱いには圧倒的に長けていた。
なお、この能力は大人になるにつれて安定してくるため、暴走の可能性が高い子供のうちは使わせないよう親や周囲の大人が教育するという。
「私は翼に風を当てて操っていたが、同時に大気の流れも操作して細かい動きを制御していたのだ。最初は手こずったがすぐに慣れた。翼をどう動かしたら上手く飛べるか試していたら、やはり鳥のような動き方を意識したものに落ち着いたのだよ。これもラサン族の血がなせる業かもしれんな」
「それで先程のような生物的な動きを?」
「そういうことだ。意味もなくやっていたわけではないぞ」
見栄えを重視しているという疑いは多少…いや実はかなりあったが、クレインもちゃんと考えてのものだったらしい。
人工翼の可動部は、あくまでも運動性の向上や荷重の分散などを目的としていたのだが、クレインの手にかかればこうも使い方に癖が出るとは。
制作者もびっくりだ。
「…人工翼の使い方としてはちょっと想定を超えてたけど、結果としてはよかったってことになるのかな?これ」
「まぁそういうことでいいんじゃないか?鳥人族の適応力、恐るべしだな」
そうヒエスと小声で交わし、とりあえず結果オーライとして受け止めておくとしよう。
現に、クレインによる人工翼の試験飛行は成功したと言えるし、先程の言葉に加えて、着地してからはまるで我が子のように翼を撫でている姿を見るに、気に入ってもらえたというのも間違いない。
「皆さーん、そろそろ一息いれませんか?お茶を用意しましたよ」
少し離れた所からそんな声が上がり、俺達の注目がそちらへと向く。
お茶の入ったポットとカップを乗せたお盆を手にし、こちらへと近付いてくる二つの人影。
片方はよく知っている人物だが、もう片方は今日、初めて顔を合わせたばかりの者だ。
「お、チャムか。すまないね、授業を休ませてまで手伝ってもらっちゃって」
そのよく知っている人物というのはチャムで、学園長から許された学園内でのあらゆる優先権を生かして、ヒエスが今日の手伝いを頼んでいた。
こうしてよきところでお茶を用意するのも、チャムの大事な仕事だったりする。
「いえ!気にしないでください。私、会長の手伝いが出来るなら授業なんていくらでも休みますから!」
「うーん、それは一生徒としてどうなんだい?」
教師に聞かれると今後の評価に障りがありそうな言葉を吐くチャムだが、そこはやはり恋する乙女ゆえにといったところか。
「チャムちゃん、ヒエスさんとばかり話してないで、お茶を配りましょう」
「あ、すいません。すぐに支度します!」
放っとけばいつまでもヒエスとばかり話をしてそうなチャムに声をかけたのは、今朝方に初めて面通しをした女生徒だ。
学園の三年生で、名前はジルという。
スラリとした長身にポニーテールの白い髪と白い肌は儚げなものだが、一番気になるのはやはり鳥の羽のようなものが髪の毛に混ざって見えているところだ。
明らかに鳥人族としての特徴がある姿に、クレインに彼女との関係を尋ねたところ、娘だという答えが返ってきたのだから驚いた。
猛禽類を思わせる父親とは違い、文鳥のような愛らしさがあるのは、もしかしたら母親の方の血を濃く受け継いだのかもしれない。
前に模型飛行機が飛ぶのを見てクレインに報告したのが彼女だったらしく、族長候補の娘としては伝えずにはいられなかったそうだ。
ジルがここにいるのは、父親が来ていることだし、せっかくだから手伝いも兼ねて親子の時間を作ってやろうと学園長が気を利かせたらしい。
「…お父さん、どうぞ」
「うむ」
木箱で作った即席のテーブルと椅子に座った俺達の目の前に、お茶の入ったカップが並べられていく。
年頃の娘というのは、とかく父親を嫌いがちだが、お茶を手渡す際の態度を見る限り、ジルはそういうことはないようだ。
ちなみに、クレインは人工翼をつけたまま木箱に座っている。
よっぽど気に入ったのか、今はひと時も外したくないとのこと。
「さあ、君達も座ってくれ。お茶は全員で楽しもうじゃあないか。ジルも掛けなさい」
カップもちゃんとこの場の全員分用意されていたため、クレインが勧めるままにチャム達もそれぞれ木箱に腰かけ、馬場のど真ん中で束の間のティータイムが催された。
勿論、チャムはヒエスの隣をちゃっかりとゲットし、ジルは父親と同席するということで、クレインの隣に腰かける。
ただジルの方は、クレインが未だ身に着けている人工翼が邪魔そうだ。
「…気になるか?」
「え?あぁ、それはまぁ」
「ふふ、そうだろうな。この人工翼があれば、我々鳥人族の悲願が叶うかもしれないのだからな」
「あ、そっちの話ね…。ま、まぁお父さんがわざわざ学園に頼んで作ってもらったものだし」
チラチラと人工翼を見られているのに気付いてか、クレインがそう尋ねると、少し慌てたようにジルが返事を返す。
本音では父親の奇妙な茶飲み姿が気になっていただけだと思う。
それにしても、鳥人族の悲願と聞いて、感慨深そうな父とは違ってジルが妙に落ち着いているのは、年代によるギャップだろうか。
「これは実に素晴らしいぞ。部族の皆にも行き渡るようになれば、鳥人族は再び空を舞える。これこそ鳥人族の新しい翼だと、私が保証しよう」
「…さっき、空を飛ぶ影を遠くから見たけど、あれがお父さんだったんでしょ?確かに期待は出来そうだと思うわよ。けど、皆の分が用意できるのっていつになるのやら…」
「そうだな。その辺りはどうなんだね?ヒエス君」
「え!あ、あぁ、数を揃えるってことですか?」
親子で交わされていた会話の矛先が突然向けられ、ヒエスもまた、慌てたように返す。
さっきから見てて思うが、クレインの話の切り替えは人を驚かせるものがあるな。
「えー、材料が用意されていれば、部品の制作に五日、組み立ては二日もあればできます。微調整とかも含めれば、一つ作るのに十日ほどですかね」
これはあくまで、人工翼の制作に専従することを前提とした条件で、ヒエスは今回、学園長の配慮によって学生としての時間をこれに充てることができたが、これがもしも授業にフルで出ていたらもっと時間はかかっていたはずだ。
今のところ、人工翼はヒエスだけが作れるので、もしも量産するというのならヒエスに助手を大量につけるか、完全なマニュアルを用意して製造員を育てた方がいいだろう。
「ほう、意外と早いな。この人工翼はもっとかかったようだが?」
「まぁその人工翼は試作一号ですから、それなりに時間はかかりましたね。けど、既に完成を迎えた品を複製するなら、大体そんなものです」
元々作っていた別口のパーツをいくらか流用できたとはいえ、新規で製造した部分も意外と多く、最初の試作品の完成までは結構時間がかかった。
その後も試験飛行で墜落したり、改良点を反映させたりでギリギリまで手をかけたあたり、今日のクレインへの引き渡しは本当に余裕がない日程だったと言える。
しかし、一度完成させたものなら、また一から作るとしても試作品よりずっと製作時間は短縮できる。
ヒエスが十日というのなら、そうなのだろう。
「やはり数を揃えるのは時間がかかるか」
「今のところ、作れるのは僕とアンディだけですからね。学園長の許可が出れば、外から職人を読んで制作を委託するということもあるかもしれませんが」
クレインが部族全員にと言ったこともあり、正確にいくつ欲しいのかは分からないが、大量に欲しいのならやはりヒエスだけに頼った工程は改める必要はある。
その辺は俺がどうこう言うよりも、学園長やクレインが話しあって、大量生産への道筋をつけてもらうべきだ。
大量生産のラインを構築しろとはいわないまでも、人手を増やすぐらいはできるはずだ。
何故か今日まで頼ることはなかったが、職人の手も借りれば、人工翼のクオリティも上がる可能性もないこともない。
「となると、次の人工翼はまた時間をおいてからになりそうだな。できれば、この人工翼で空を飛ぶのを、ジルにも体験させたかったものだ」
「あら、体験するだけなら、お父さんのを私が使ったらいいんじゃないの?」
「何を言うか。これは私のだぞ。お前の分はちゃんと用意してやる」
子供か。
ジルにとられるとでも思ったのか、隠しきれない人工翼をかばうような仕草を見せるクレインの姿には、残りの面々から呆れのため息が漏れる。
一応、クレインとのタンデム飛行という選択肢はあるが、今日飛んだばかりのクレインに娘の命を背負って一緒に飛べというのは流石に酷だろう。
ジルの目を見てみれば、人工翼を興味深そうに見ているので、それを使って飛ぶことに対しての好奇心は十分に刺激されているのが分かる。
「用意するって言っても、今から取り掛かっても出来上がるのは早くて十日後なんでしょう?そんなに待つぐらいなら、ちょっとお父さんのを使わせてよ」
「だめだ。いいか?これはただ背負ったらそれで飛べる代物じゃあないんだ。まだ大気を掴めない歳のお前では、空中での姿勢制御は難しすぎる」
「むー、それを言われたら…」
クレインの危惧する通り、ジルの年齢的にはまだ大気を操る能力は安定していないため、人工翼をつけたとしても自在に飛べはしないだろう。
その点でも、クレインはジルに自分の人工翼を貸すのを嫌がっているのかもしれない。
まぁそれ以外の感情があるのも明らかだが。
「それに、人工翼の使い方をちゃんと勉強しないと、親としては空を飛ぶのは許可できんぞ」
「…お父さんはちゃんと勉強したの?」
「勿論したぞ。人工翼を初めて見せてもらった時に一度、飛ぶ前に一度の計二回だ」
自信をもってそう言うクレインだが、その勉強とは今朝方のこととついさっきのことなので、それをジルが知ったら白い目で見られると分かっているのだろうか。
「…本当に?どうなんですか?」
「え!?まぁ、どう…かなぁ?ねぇ?」
「ん…あー、そうだな。うん……そこはかとなくいい感じ?」
とは言え、父親のことを完全に信用していないのか、ジルがヒエスや俺へ探るような視線でそう尋ねてきた時には、返す言葉に迷ってしまう。
なにせ、クレインが人工翼を使って飛べたのは、レクチャーあってのものだというのは勿論だが、ほとんどは彼の感覚によるところが大きい。
勉強したかと尋ねられれば、Noと言うべきなんだろうが、父親の威厳を考えると中々そうは言い難い。
「ん゛ん゛!さて、ここらでお茶会は終わりとするか。ジル、私達はまだやることがある。人工翼についてもう少し触れておきたいのでな。さあ、二人とも。行こうか」
わざとらしい咳払いでクレインがティータイムの終わりを告げ、俺とヒエスの首根っこを掴んで歩き出してしまった。
どうやら、あの場でジルとの会話が続けられることの不利を悟ったようで、早々に切り上げたかった理由が果たしてジルにはバレていないのか不安になりそうなわざとらしさではあった。
というか、体重が軽い方だとはいえ、ヒエスと俺を引きずったまま歩いているクレインは、かなり力が強いな。
背中に荷物も背負っているし、優れた戦士の種族という鳥人族は伊達ではないということか。
「クレインさん、やることがあるって言いましたけど、何をするつもりですか?」
ジルから十分に距離をとったところで、予定にない試験飛行の続きを口にしたことをヒエスが言及する。
正直言って、試験飛行は先程のあれで十分だし、成功に終わったので人工翼はこのままクレインへ引き渡して終わりでよかったのだ。
しかし、口実とはいえああ言った以上、何かやらなくてはならない。
そうでないと、ジルに親として示しがつかないだろし。
「…別に適当に言ったわけじゃない。ちゃんとやることは考えてある。次はもう少し激しく動いてみたいのだ」
そういえば、さっきはアクロバティックな動きは一切してなかったな。
必須とは言わないが、ある程度のアクロバットに耐えられるというのをクレインがその身で体験するというのは確かに大事だ。
となると、それを最終試験の項目としてみるのも悪くないだろう。
時間としてはもうじき昼だ。
この馬場は午前までしか貸し切りに出来ないので、恐らくこれが最後の試験飛行になる。
ちょっとした曲芸飛行なんかをやらせてみるの面白いかもしれない。
ジルやチャムが地上から見て楽しめるよう、この後の飛び方を相談してみる。
クレインも意外と乗り気のようで、少年のようなキラキラした目をして了承した。
俺も噴射装置で追従してサポートするし、ブルーインパルスとまでは言わないが、異世界映えがする飛び方をしたいものだ。
ループ系は外せないし、せっかく飛べるのが二人いるのだしローリングシザーズなんかもやりたいな。
三人とはいえ観客もいるし、一つ派手にいくとしようか。
この日、たまたま午前の授業が早く終わった生徒達が、学園の空を複雑な軌道を描いて飛ぶ人間大の何かを目撃し、危うくディケット学園の七不思議に加わりかけることになる。
実際に七不思議があるのかは知らんけど。
一応人工翼はおおっぴらにはしていなくとも隠すほどのことでもないが、午後の授業に差しさわりが出るほどの騒ぎを起こしたとして、俺達はベオルからお叱りを受けてしまう。
勿論、クレインも一緒にだ。
学園の恩人ともいえるラサン族に対して、冷えた目で小言を言うベオルが今はただ恐ろしい。
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