世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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冬の間は

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冬を迎えたヘスニルでは、近年では珍しく大雪が降っていた。
比較的南寄りに位置するこの地方では、雪が降ってもそれほど積もることは無いのが通年のことではあるが、この年の冬はそれまでに経験したことのない大雪に見舞われた。
街の住民は大量の雪が乗った屋根で家が潰れることを想像し、毎日のように屋根から雪を降ろす作業に汗を流し、それでもなお人々の足搔きを嘲笑うかのように雪は降り積もっていく。

こういう時に冒険者は忙しくなるもので、屋根の雪下ろしから暖房用の薪の確保にと依頼に事欠くことは無く、街の中に外にと走り回っている。
特に屋根の雪下ろしは常に人手を必要としており、身軽で体力のある冒険者はまさに引っ張りだこであった。

かくいう俺も冒険者としてこの雪下ろしに何度も参加している。
元々前世では生まれも育ちも雪国であったので、雪かきは慣れっこであるため、冒険者としての仕事で雪かきをするというのが何とも面白い。
そんな経験もあってか、屋根の雪下ろしの対処も普通に心得ている俺は、他の冒険者と比べて手際もよく、落雪後の処理も抜かりないため、一度受けた依頼先からの評判の良さが拡散されていき、今は色んな所から指名の依頼が来るようになっていた。

店の方はというと、雪のせいかどうかは分からないが随分と客足が減っており、ミルタとローキスの二人でも充分に回せるので、たまにこうして俺とパーラが交代で冒険者としての仕事をこなすぐらいは余裕がある。
多少は忙しさから解放されているが、その一方で冒険者としての仕事が増えたので、俺に限っては忙しさは変わっていないことになる。

冬の間はあまり外に出ずに家の中で出来る作業ぐらいしか出来ないため、娯楽の乏しいこの世界では一年の中で一番穏やかで、一番暇な季節だという。
今日は久しぶりに雪が降らず、しかし空はまだ晴れの見えない曇天のままであり、雪かきの仕事がない俺は客の来ない店で、火の点された暖炉の前に陣取って暇な時間を過ごしていた。
一応営業はしているが、今のところ客は数えるほどで、最後の一人も先ほど帰ったところだ。
もう少し経てば昼になって多少は客の入りも増えるが、この時間帯が一番暇である。

先程までは庭で俺が作り方を教えた雪だるまの製造に夢中だったパーラ達3人だったが、早々に寒さに耐えかねたローキスが店内に戻ってくると、雪だるまを作り終えて満足気なパーラとミルタが戻ってきたが、雪だるまをマースにも教えてやりたいと言い始めたので、忙しくなる昼までには戻ってくることを念押しして送り出した。
基本的に騒がしさの大半を占めるミルタが出かけたことで、店内は実に静かな落ち着いた空気に満ちている。

暖炉で燃えている薪が爆ぜる音を聞いていると、突然店のドアが勢いよく開かれ、それによってかき鳴らされたドアベルの音に負けないぐらいの足音を立てながらパーラとミルタが駆け込んできた。
「アンディアンディアンディ!凄いこと聞いちゃった!」
「毛糸だって!それもいっぱいの!」
俺の所へと一気に近付いてきて、わぁわぁと言葉を並び立てる二人の剣幕に仰け反りかけたが、いまいち要領を得ないので少し落ち着かせる。
「うるせぇなぁ…少し落ち着け。……よし、んじゃ順番に話してくれ」

パーラ達の話をまとめると、どうやら今街中ではルドラマが中心となってイベントを開催しようとしているらしく、その内容までは分からないが、先に知らされたのは大量の毛糸が賞品として用意されているのだそうだ。
「冬の間って暇だから、街の人達が参加できる催し物を領主様が開催するって、マースちゃんから聞かされたの」
「私もその時ミルタと一緒に聞いたんだけど、マースちゃんの家にいたお客さんの間で話題になってた」

なるほど、確かに今年のこの大雪じゃ住民も家に閉じこもり気味で気分も滅入るだろうから、領主として何かしら娯楽を提供しようと考えたのだろう。
領主が町の住民に娯楽を提供するということは、何かしら大きな規模のイベントにならざるを得ないはずだ。
そうなると人が集まる、人が集まるということは商売のチャンスが出来る。

「……これは金になるぞ」
『ヒッ!』
ボソリとつぶやいた俺の言葉はその場にいた俺以外の人間の耳には届かなかったようだが、ニヤリと浮かべた笑みは見られていたようで、怯えられてしまった。
「…アンディがまた何か企んでる」
いや、パーラだけは怯えていないが、企んでいるなどと心外な。
俺はただ、いい商売のネタを見つけただけだ。




ヘスニルの領主が主催するイベントの噂は、冬の祭りとして退屈に微睡む街中に急速に広まりはしたが、その詳細に関してはほとんど明かされないまま当日を迎える。
雪深い今年は、何をするにも必ず雪が邪魔をするのだが、ルドラマはこの雪を逆手に取り、ヘスニル近郊にある溜池を利用した催しが開かれることとなった。
この溜池は農業用に利用されていたのだが、度重なる農地開発によって川の延伸が繰り返された結果、ほとんど利用されることが無くなり、殆どの人がその存在を思い出すことは無かったほどだ。

その溜池が凍り、さながらスケートリンクのような出来上がりに目を付けたルドラマが、この溜池を使ったレースを考え出した。
ルールは単純で、氷の上を乗り物を使わずに端から端まで、およそ40メートルの縦幅を一斉に渡り、一番早く対岸に手を触れた人間が優勝となる。
優勝商品である毛糸は、大きな籠に山盛りの量が用意されており、セーターが何十着も作れるぐらいの量だ。

この世界に存在する羊は地球の物よりも倍近い大きさで、そこから採れる毛は保温性抜群のため、毛糸で編まれた衣服はこの季節だと特に重宝される。
そのため普通の木綿や麻と比べて高価であり、こういった機会の賞品とするにはうってつけであろう。

さて、このレースであるが、今回俺は参加せず、パーラとミルタがエントリーしている。
溜池の周りに集まる人にハンバーガーを売り込むために、土魔術で出張店舗を作り上げていた。
俺の他にもこのチャンスを狙って物を売っている人間はいたが、その中でも俺の様に屋台を用意して売るという者はおらず、それほど手の込んだ物を用意できていないため、俺の店の一強状態であった。

ハンバーガーのうまさはこの街の住民には既に知られているため、先ほどからひっきりなしに客が訪れている。
レースに参加しない俺とローキスの二人だけで店を回している状態だが、ここに来る前にハンバーグには熱を通してあるので、温め直したものをパンに挟むだけという、なんともお手軽な売り方が出来た。
暫く売り続けていると客が途絶え始め、それと同時に溜池の方から歓声が上がりだした。
「どうやら始まったみたいだね」
その声に反応したローキスが溜池の方を見ながらつぶやく。
それは今参加しているミルタのことを考えているのか、若干心配そうな表情が浮かんでいるのが分かる。

「気になるなら行ってきたらどうだ?客足も一段落したし、ここは俺だけでいいから」
「うーん…そうだね。じゃあアンディも一緒に行こうよ」
「いや、俺はいいよ。店番もしなきゃなんないし」
「大丈夫だよ。ここにいる人のほとんどがハンバーガーを買っただろうから、少し留守にしてもいいんじゃないかな。それにほら、こうすれば」
そう言ってローキスが屋台の正面に『休憩中』と書かれた木札を下げた。
いつの間にこんなものを用意していたんだ?

「準備がいいな」
「まあね。多分必要になるかなって思ってさ」
まあ言われてみれば、今この場に来ている人間の注目はレースに向けられているのだし、そんな中で店に来るのはまずないだろうから、ローキスの誘いに乗るのも悪くないだろう。

俺はローキスと並んで溜池を囲むようにして見学している人達の群れに加わり、今まさに氷上で繰り広げられているデッドヒートを見ることにした。
溜池は幅20メートル、長さ40メートルほどの大きさで、その中では8人が氷の上を移動しようともがいている。
全員に共通しているのは、四つん這いであることと、氷の上についている膝に厚手の布が巻かれていること。
氷の上では立ったまま移動するのは難しいため四つん這いでの移動に自然と落ち着いたのだろう。
膝の布は移動のたびに固い氷に膝を打ち付ける形になることで発生するダメージを緩和させるための苦肉の策か。

身一つの四つん這いでの移動は確かに安定性はあるのだが、どうしてもスピードは落ちるし、この溜池に張られた氷も意外と綺麗な平面をしているため、四つん這いでも時々手足が滑って胴体を氷に打ち付けることもしょっちゅうだ。
観覧している者達にとってはその姿は滑稽に映るので、誰かが滑って転ぶたびに笑い声をあげているのだが、実際に歩いている側からしたら笑い事ではないはずだ。
殆ど岩と言っていい硬さの氷へ強かに体を打ち付けるそのダメージは相当なものだろう。

ノロノロとした移動がメインとなるレース程つまらないものはないと俺は思うが、他の見ている人は意外と楽しんでいるようだ。
四つん這いでの移動によるレースは実にゆっくりとした決着を迎える。
一人が対岸に着くとその一人だけが勝者となり、負けが決まって力を失った残りの人達にめがけてロープが投げられ、それを掴んだのを確認して岸にいる人たちが引っ張り上げる。
氷上をまともに歩行が出来ない以上、こういった形でしか途中にいる人たちを助けられないのだが、意外と手段としては悪くない。

勝ち抜け方式で勝者が決まるこのレースだが、思いの外挑戦者は少ないようで、ついさっき終わったレースで2組目、次の3組目で全出場者が出終わるのだそうだ。
「意外と参加者が少ないな」
「仕方ないよ。氷の上を歩くなんて、普通はしたことないし、おまけにああやって手足を氷につけるんだから、手足から冷えて来るって分かってるんだよ、皆」
ローキスのその意見は実にわかりやすい。

レースを見て楽しむなら多少寒いですむが、参加するということは氷に触れる時間が長いということになるため、その寒さを想像して参加を躊躇う人が殆どだろう。
結局3組目もなんだかダラダラとしたレース展開で終わり、優勝決定戦に勝ちあがった3人の中にただ一人だけ混じる女の子の姿があったのだが、なんとそれはパーラであった。
2組目のレースから見始めた俺達が参加しているはずのパーラとミルタを見つけれなかったのは、1組目のレースに参加していたからか。

「なんだ。パーラのヤツ、勝ったのか」
「そうみたいだね。ほら、あっちの参加者用の見学場所にミルタもいるよ」
ローキスの指さす方へと視線を向けると、参加者たちが見学するために設けられたであろう一角で、人の群れの先頭にミルタの姿が見え、しきりにパーラに向けて声援を上げている。
俺達の位置からだとミルタまでは距離もあるし周りの音のせいで聞こえないが、その表情だけで随分と熱くなっているのが分かる。

溜池の縁に3人が並び、スターターとしてルドラマがゴールである対岸に立つ。
優勝決定戦に相応しく、最後のレースのスターターは発案者であるルドラマが務めるようで、手に持った旗を大きく振った。
それを合図に、3人が同時に地面を蹴り、その勢いを使って氷上を滑っていく。

滑らない地面を使ったこの助走で最初にどれだけ進めるかが重要で、その差がそのままゴールへの順位に繋がるケースが殆どだ。
今はパーラと男性の一人とで先頭を争い、もう一人の男性が後を追う形になっている。
成人男性と子供のパーラでは歩幅の分だけパーラが不利なのだが、その差を埋めるべくパーラは手足を動かす回転率を上げて何とか食い付いている状況だ。

だがそれでも一歩ずつの差はいかんともしがたく、結局男性が1位でゴールしてしまった。
僅差の2位でゴールしたパーラは遠目にも分かるほどに悔しがっており、優勝した男性はルドラマに迎えられ、二言三言会話をすると、ルドラマと共に俺の所へと歩いて来た。
「…アンディ?なんかあの人たち、こっちに来るんだけど?」
「そうだな。この展開は何度か経験がある。厄介事の気配しかしない」

若干困惑気味の表情を浮かべるルドラマを先頭に、優勝者の男性を引き連れて俺の目の前へと立った。
周りの人たちは突然の領主の行動に面食らっているが、用があるのは俺にだと分かったようで、遠巻きに見るだけに徹している。

「これはルドラマ様、お久しぶりです。この度の事、誠に素晴らしい催し物となったことをお喜び申し上げます。して、なにやら私に御用がおありの様ですが?」
一応このイベントの間はルドラマに対する膝を突いての礼は不要との通達はなされているので、立ったままで軽く頭を下げるだけにとどめておく。
「用があるのはわしではない。この者がお前との勝負を認めてもらいたいと言い出してな。それで当人同士が納得したうえでならよかろうと思って、こうして連れてきたのだ」
そう言って後ろにいた男性の存在を見せるためルドラマが横にどけたのに合わせて、男性が前に一歩出て口を開く。

見た目は身長180センチそこそこ、体格は細身ではあるが程よく筋肉が付いており、冒険者ではないが職人でもない、恐らく荷下ろしを生業とする商人見習いといったところか。
「初めまして。私はサウロという。用件は領主様が今言った通りだ。どうか君の持つバイクを賭けて私と勝負をしてほしい!」
気勢を上げて口走ったのは、なんとバイクを賭けた勝負を受けろとのこと。



正直俺には何のメリットも無いし、何よりもこのクソ寒い中でそんなことをする気にはなれない。
よし、断ろう。
「申し訳ありませんが、おこと「受けて立つっ!」―え」
途中で言葉を遮られる形になった俺だが、いつの間にか俺の横に並んで立っていたパーラがその声の主で、勝手に勝負を引き受けてしまった。

腕を組んで立つパーラの姿は堂々としたもので、正直なぜお前がそんなに偉そうなのかと問い詰めたいところだ。
そんなパーラがサウロに買った際の条件を突きつける。
「その代わり、こっちが勝ったら優勝商品は貰うよ」
「ふっ、構わんよ。それぐらいは当然だ。領主様、決まりました。どうか御裁可をお願いします」
「…では両者とも承諾したということで、準備が出来次第、スタート地点へ来るように」
何故か俺の意思が介在する隙も無く決まった勝負に、出るわけでもないパーラが鼻息を荒くする。
そんな俺達を残してルドラマ達がこの場を去るのを茫然とした俺が見送る。

「おいぃパーラぁ…なにしてくれてんだよ、あぁん?」
「ひででででで!あんびぃいばいいばい!」
「ア、アンディ!ダメだよ!パーラの頬が!」
「千切れちゃう!パーラちゃんのホッペが千切れちゃう!」
勝手に勝負を決めたことに対するお仕置きとしてパーラの両頬を力いっぱいに抓り上げ、それをミルタとローキスが止めようとするが、俺の気が収まるまでは離す気はない。

何で俺が大事なバイクを賭けて勝負をしなきゃならんのか。
勝ったところで得られるものは毛糸だけとあっては正直モチベーションは低いままだ。
とはいえ、勝負が決まってしまった以上は逃げることはできない。
領主が決めた勝負を放り投げてはルドラマに恥をかかせることになる。
流石に付き合いのある相手に対して、そういう対応はよろしくないので放り出すわけにはいかない。
甚だ不本意ではあるが、勝ってバイクを守るぐらいしか今の俺には手は残されていないのだ。





それからあっという間に勝負の話はこの場に集まった人たちの間に広まってしまい、面白がった客たちの盛り上がりもあって俺とサウロのレースに注目が集まってしまった。
位置に着いた俺とサウロではあるが、その際の態勢が違うことに対して見ている人達の間から戸惑ったようなざわめきが上がる。

「アンディ、君はここを走るのは初めてだろう?忠告しておく。その変な靴を脱いだほうがいい」
俺の隣でクラウチングスタートのような体勢でそんなことを言うサウロの言葉を、俺は立ったままの体勢で聞いた。
「ご忠告は有り難くいただいておきましょう。確かにこれが初めてですが、このままでいいんですよ。それにこの変な靴が氷の上では最適解です」
そう言って右足を少し上げて靴をサウロと観客に見せる。
俺が今はいている靴の底には刃を潰したナイフが地面に刃を立てるようにして取り付けられていた。
要するにスケート靴だ。

ごく短い時間ではスケート靴についているブレードを用意するのは難しく、止むを得ず店で使っていたナイフ2本に少し手を加え、柄を切り離したナイフの腹には雷魔術でごく小さな穴を空けて紐を通すと、靴底と同じ大きさに切り取った木の板に紐で固定し、それをさらに今履いている靴の底に紐で括り付ける。
これで簡易的ではあるがスケート靴の完成だ。
刃を潰したのは立ったときの安定性のためで、少しだけブレードの厚みがあるので、実際のスケート靴よりかはスピードは出ないだろうが、スケート靴が存在しないこの世界ならこれでも上出来な方だろう。

奇抜な靴を履いた俺の姿に奇異の目を向ける者も少なくないが、俺という人間を知っている者からすると、またぞろ何かしでかす気かと興味深げでありながら不安さも同居した顔を浮かべる者もいた。
サウロはこのレースで優勝したという実績が自信を持たせているようで、どう足掻いても自分の勝利は揺るがないと思ったのか、すぐに興味が失せた様に前だけを見つめている。

俺はチラリとパーラ達がいる方へと視線を向けると、ミルタが体全部を使って跳ねるように声援を上げている。
声までは聞こえないが、その動きだけで充分に気持ちは伝わっていた。
ローキスはそんなミルタの動きに迷惑をしている周りの人に頭を下げている。
ミルタとセットになるとローキスはいつもそんな感じになるのが少し哀れだ。
パーラはというと、このレースの行方を誰よりも真剣な顔で見届けようとしている。
まあさっき俺が抓った頬を両手で押さえている姿なので、少し締まらないが。

そうしていると、突然視界の端でサウロが駆けだしていった。
どうやら俺がよそ見をしている内にスタートの合図は出されていたようで、未だスタートしていない俺のためにルドラマがまだ旗を振ってくれている。

サウロは流石にこのレースに優勝しただけあって既にかなり先行しているが、正直スケート靴を履いた俺にしてみればすぐに追いつける程度の距離だ。
突っ立ったままでいる俺に対してのヤジが飛び始めたのを契機に走り出す。

地面を蹴る足とは反対の足に体重を移し、その勢いが消える前に蹴り足を前につけて勢いを乗せ、その勢いが消える前に後ろに残された足で氷を蹴り体重を移す。
基本がどうこうと技術的な話は置いておくとして、その繰り返しをするだけでスケートというのは意外と走っていける。
正直俺が知るスケートリンクとは程遠い凸凹さではあるが、一応滑るのには支障はない程度には滑らかさは保たれている。

今までのレースではありえない速度で、なおかつ2本の足で立って滑る俺の姿に歓声は爆発する。
その声に反応して振り向いたサウロに追い付くと、魂が抜けるんじゃないかというぐらいに大きく口を開いて驚いている顔を通り過ぎざまに見ることが出来た。

チラリと後ろを見ると、サウロはあっさりと抜き去っていった俺の後ろ姿を放心して見ていたが、すぐに手足を動かして追走に移るものの、到底追いつけるわけもなく、随分と距離を離したままで俺はゴール手前で両足を揃えて進行方向と垂直方向にブレードを寝かせることで急ブレーキをかける。
そのまま歩いて岸に向かい、地面にタッチをした瞬間、俺の勝利が決まった。

「どう見ても俺の勝ちですよね」
「そうだな。文句の付けどころは無いだろう。サウロの賞品をアンディに」
横に控えていた使用人二人掛りで毛糸の積まれた籠を運んできて俺の目の前に置く。
そこに追いついて来たパーラが毛糸の山に飛び付き、頬ずりをしだした。
あれだけ手間をかけて、しかもバイクが対価だったにも関わらず、手に入れたのは毛糸だけというのが割に合わないと思うのは俺だけだろうか。

「お疲れ、アンディ。凄かったよ、氷の上をあんなに早く走れるなんて」
少し遅れて追いついたミルタとローキスだが、ミルタはパーラと一緒になって毛糸の吟味をし始め、労いの言葉をかけてくれるのはローキスだけだ。
「おーう。まあ、あれぐらいなら練習すれば誰でもできるようになるぞ。後で靴貸してやるから試してみろよ」
「待てアンディ。そういうことなら先にわしに貸せぃ」
「え、ルドラマ様も興味あるんですか?」
俺とローキスの会話に割り込んできたルドラマは、スケートに興味が出たらしく、ローキスよりも先に自分に貸せと迫って来た。

「あ、なら僕はいいから、領主様を優先して差し上げてよ」
そんなルドラマの大人げない態度に子供であるローキスが気を遣う。
ローキスよ、お前は本当によくできた子だな。

だがルドラマは大事なことを忘れている。
「あの靴は俺が履いてたやつですから、ルドラマ様には小さすぎますよ」
俺が作ったのはあくまでも子供の足の大きさに合わせたもので、大人が使うには少々ブレードが短い。
多少の短さなら問題ないのだが、元がナイフを加工して作っているため、強度もあまり期待できないので、大人の体重に耐えられるのかも疑問だ。

「ならば大人の足に合うものを作ればよかろう」
出たよ、貴族の発想。
無いなら作れいいじゃないという流れは、貴族なら皆そうするものなのだろうか。

「まあそうなんですけど…。ハァー……わかりました。ではルドラマ様には材料と手隙の職人の手配をお願いします。どうせならこの場にいる人たちにも体験させましょう」
どうせこの場にいる人間にはスケート靴は見られているのだから、いっそのこと全員で楽しめる場にしてしまおうと、そう提案する。
「うむ、よかろう。その方が皆も喜ぶだろうしな。誰かある!」
今回のイベントを主催した立場であるルドラマもこの提案には是非も無く、早速人を街に遣わした。

流石に短時間で大勢のスケート靴を用意するのは無理なので、後日改めてスケート大会を開くことをこの場に集まった人たちに告げると、この日一番の歓声が上がった。
やはり氷の上を疾走する姿というのはこの世界の人間の目には鮮烈に映ったようで、帰途に就いた人たちの口に呟かれるのは期待の言葉だった。

ルドラマの鶴の一声で決まったスケート靴の制作は職人たちの手を借りても、およそ100足のスケート靴を用意するのに3日程かかってしまった。
特に鉄の板からブレードを削りだす作業が一番手間がかかったが、取りあえず最低限必要な数は揃えることが出来た。
後は晴れの日を待ってスケート大会を開くことになる。

そして久しぶりの晴れの日、溜池ではスケート教室が開かれていた。
氷の張った溜池の一部を縄で囲い、最初はその縄に捕まって立つところから始める。
「まずは膝を曲げないで真っ直ぐ立つように。体の重心は頭から踵まで一直線になる様に意識して下さい」
―おぉう?勝手に足が開いてく!?
―はははっ、なんだこれ!全然動けねぇー!
―ッととと…よっ…ほっ…
大勢の人間がスケート靴を履いて俺から滑り方の指導を受けているが、ちゃんと俺の言うとおりにしていても勝手に体が進んでいく人や、何故か前ではなく後ろにしか進めない人など、様々なタイプがいるんだなぁと感心させられている。

比較的早く滑れるようになるのは子供である場合が多く、大人の中で滑れるようになるまでかかる時間には個人差があるようだ。
ルドラマも一緒になって指導を受けており、どうやら彼はスケートにあまり適正は無いようで、何度も転んでいるのだが、笑顔で立ち上がっている様子からも楽しんではいるらしい。

スケートリンクと化した池の半分を初心者の練習場とし、残りのスペースで滑れるようになった者が思い思いに滑って楽しむ光景が出来上がっている。
滑っている人の中で一際上手く滑れているのが意外なことにミルタだった。
誰よりも速く、少ないストロークで長い距離を進めているので、遠目に見ているとその差が際立って映る。
いや、マジで才能あるんじゃないか?
その内ジャンプとかスピンを決めるのではないかと期待してしまうな。
ミルタ以外の子供たちは大体同じぐらいの上手さで、ローキスもなかなかうまく滑れているが、ミルタに比べるとやはり一段落ちる。

徐々にスケートに慣れてきた人も出始め、ほぼ全員が練習を終えて、初心者用の練習場も開放し、全面をリンクとしてスケートを楽しんでいた。
そして最後まで滑れなかったのが意外なことにパーラだった。
運動神経はいい方だったと思うパーラがこうなるとは、スケートには普通の運動とは違う適性が求められるのだろうか。

今も俺とマンツーマンで練習をしているが、未だに慣れることは出来ないようで、生まれたての小鹿の様にプルプルと小刻みに震えながら、差し出された俺の腕にしがみ付いている。

「だーかーらー…。全身の力を抜いて真っ直ぐ立つんだよ。体を倒したら重心が移動して安定しないんだって」
「分かってるってば!ちょっと黙ってて!」
「はいはい…」
滑れないことへのイラつきと、まだぬぐい切れていない恐怖心故にパーラも強い口調が出てしまっている。

とはいえ、パーラも身体能力は決して低くないので、ちゃんと立てさえすればそこからすぐに滑れるようになると思うし、風魔術が使えるパーラなら、後方へ風を吹き出すことで推進力を得て走るぐらいのことは出来るようになるはずだ。
「アンディ!手を離しちゃだめだからね!離さないでよ!絶対離さないで!」
「それは離せって振りか?」
「違うから!本当に離したら酷いんだからね!」
パーラがスケートを楽しめるようになるにはまだもう少し時間がかかりそうだ。






今年のヘスニルに例年以上の寒気があったおかげで自然とスケートリンクが出来上がり、俺という要素が加わってヘスニルではスケートが一気にブームとなったのだが、元々雪は降りこそすれ池の氷が厚く張ることが珍しい地方であるため、来年もまたスケートが出来るかはその時にならなければ分からない。

スケートリンクを意識した浅い水場を用意できれば来年もスケートリンクは出来るだろうが、それはもう一個人でやることではないので、どうなるかはルドラマ次第だろう。

スケートを体験した誰もが笑顔で楽しめているので、もしかしたらヘスニルにおける冬の風物詩として定着するかもしれない。
そうなったら今度はスピードスケートや、フィギュアスケートなんかも提案してみようか。
意外とミルタなんかはフィギュアもこなせるかもしれないから、いいかもしれないな。
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