世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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技のチェルシー、食材のエリー

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 ジーグーぎょ

 誰かがそう言った言葉は、まるで漣のようにして観客達の口へ伝播していく。

 エリーのキッチンテーブルに横たわる全長およそ80㎝ほどの大きさを誇る魚体は、どうやらジーグー魚というらしく、このリアクションを見た限りではかなりのレア食材らしい。

 隣から聞こえてくる審査員同士の囁きによれば、清流でさえあれば広範な生息地域を誇り、しかしながら目撃されることが少なく、入手の難しさは貴金属の鉱脈を掘り当てるのに匹敵するそうだ。
 それだけ貴重なために、最低でも1キロから大金貨で取引価格がつくのが当たり前の、まさに幻の魚という呼び名が相応しい。

 市場に出回ることも非常に稀で、その姿を見たのはこれが初めてという人間も多く、まさかこんなところでお目にかかれるとはと、驚いている姿があちこちで見られる。

 一体どれだけの労力をつぎ込んで探したのか、そんな食材を用意してくるとは、エリーの奴は本気で勝ちに来ているのか。
 それだけの熱意がこの対決に向けられていることに、少し怖気を覚える一方で、エリーが包丁を進める度に俺は慌てるのを抑えきれない。

「ばかっ…刃を立てすぎだッッ!」

 思わず声を出してしまったが、残念ながらそれはエリーに届くことはなかった。
 集中している彼女の耳に、今の俺は距離が遠すぎる。

 ディケットにもソーマルガ皇国が構える大使館的なものはあるので、そこに詰める料理人の手ほどきでも受けたはずだとは思うが、ジーグー魚の捌き方はあまり手際がいいとは言えず、付け焼刃の感は否めない。
 レア食材なのだから、もっと丁寧に処理して欲しいものだ。

「ほう、アンディ君、君は料理もいける口か。よかったら今の何が悪かったのか教えてくれるかね?」

 一番近くにいたベオルにはしっかり聞かれていたようで、今のエリーの手際を非難したことについての説明を求められた。
 まぁ今は同じ審査員同士だし、暇でもあるので説明ぐらいはしても構わんか。

「…今のエリーのやり方だと、背骨から身が奇麗に剥がせないんですよ。もっと包丁を寝かせて、引きながら切るようにしないと、身自体がボロボロになりかねません」

「なるほど。しかし、見た目がいいことに越したことはないが、口に入れば結局同じことじゃないか?」

「そんなことはありません。あれだと火を通したら身が崩れたり、味の付き具合にムラが出たりなど、いいことの方がずっと少ないんです」

 所謂三枚おろしというやつは、半身と骨に分ける作業になるわけだが、これを丁寧にやらないと次の調理工程で大変なことになる。
 それを今、エリーは大勢の前でやっているわけで、俺としては穏やかに見てはいられない。
 恐らく、今会場で見学している中で料理の心得がある人間なら、あれを見て目を覆っていたことだろう。

 そうしている間も作業は進み、皿へ切り出した身が乗せられたのだが、その大きさがまた小さく、ちゃんと処理していた場合の半分も量がない。
 まぁ魚体自体が相当デカいので、とりあえず審査員に行き渡らないというほどではないが。

「むぅ…あの大きさから、たったあれだけしか使わないのか。なんと贅沢な」

「ジーグー魚だというだけでも希少なのに、その中でも脂が乗っている腹背部位だけを使うとは、これは何が出てくるのか楽しみだ」

 エリーの拙い調理技術を知らない他の審査員達は、一番おいしい部分だけを切り出して調理してもらえると喜んでいる。
 だが、あの手際を見た限りではやはりエリーは料理が得意とは言えず、あれを使って何を作るのか楽しみではあるが、怖さも覚える俺は素直に喜べない。
 頼むからちゃんと食べれるものを作ってくれよ?

 不安はあるが一先ず山場は終わったと判断し、次の工程に移るエリーから少し視線をずらし、妙に大人しいパーラを見てみる。
 いきなり目立つ調理風景を披露した二人とは対照的に、パーラの方は動きらしい動きは見せておらず、先程から火にかけた二つの鍋を眺めているだけだ。

 時折炎が不自然な動きを見せているが、多分パーラが風魔術で火の勢いをコントロールしているせいだろう。
 やっていることと言えばそれぐらいだ。

 そんな状態のため、観客達からも注目されておらず、チェルシーとエリーの二人がこの料理対決の主役のような空気になっていた。

 チェルシーもエリーもキッチンテーブルには様々な食材を用意しているのはわかるが、比べてパーラの方はずっと少ない。
 調味料と葉物野菜、それに米だけと質素なものだ。
 しかし納得もする。

 こっちの地方ではまだまだ珍しいが、その味を知っているパーラはやはり米を選んだか。
 エリーが高級食材を用意するというのはパーラも十分予想出来ていたはずだし、米なら希少性でもそこそこ、調理法はそこらの人間よりも心得ているため、チョイスとしてはまずまずだ。

 ただ問題は、たったあれだけの種類の野菜で何を作るのかということ。
 チャーハンを作るのなら卵が足りないし、炊き込みご飯を作るなら醤油が欲しい。
 リゾットならいけないこともないが、チーズやクリームといった濃い味を演出するものが見当たらない以上、もっと違うものを目指しているのかもしれない。

 ほとんど動きのないパーラに観客達の注目も薄い中、再び歓声が上がるとチェルシーがまたしても火魔術でキッチンを照らし出した。
 ああしていると、彼女が派手好きな性格であることがよく分かる。

 エリーも対抗するように、ジーグー魚の身をいよいよ鍋に入れようと高く掲げ、まるで二人だけの戦いのような盛り上がりだ。

 彼女らに比べると異様に静かなパーラに、俺も少し不安を覚えるが、審査員である立場から何か言うこともできず、対決を大人しく見守るしかない。
 そんな舞台上の空気に不気味さも覚えつつ、調理は進んでいき、いよいよ辺りに食欲をそそる匂いが漂いだす。

 エリーのなのかチェルシーのなのかは分からない匂いの正体だが、腹の虫が暴れだした俺は、隣にいる人達を驚かせないよう、どうにか堪えるしかない。

 このままだと、キッチンに乗り込んで勝手に一品作りそうなぐらい、それほど腹が減ってきていた。
 何が出てくるか楽しみは楽しみだが、頼むから早いところ食わせてくれぃ。





「終ー了ーっ!そこまで!三人とも、テーブルから一歩下がるように!」

 油時計が完全に落ちきったところで、開始の時と同じように鍋が激しく叩かれる音が響き渡り、調理は終わりを迎えた。

 アミズの声でパーラ達も一斉にキッチンから離れ、それぞれの出来上がった料理が大勢の目によく見えるようになった。

 派手な炎を使っていたチェルシーは、何やら大皿にデンと乗った楕円形の物体を作り上げたようで、パッと見た感じではベージュの岩といった感じだ。
 食材を色々と使ったにしては大皿一つと意外ではあるが、その岩っぽい物の中身が何かを知っている俺達は、当然使われた食材の行方も知っている。

 見た目はともかく、後は実際に食べて判断したいものだ。

 エリーの方は、高級食材をふんだんに使って二品を用意している。
 パーラもチェルシーも一皿なのに、エリーだけは二品作ったというところは、加点になるかもしれない。
 実際、手際はともかくとして、とにかく素早く調理を進めたのは大したものだ。

 ジーグー魚を使った煮込み、彩り鮮やかな野菜と高そうな肉を合わせたサラダという、比較的オーソドックスな構成だ。
 野菜は瑞々しいものを使っていたし、肉も赤身と脂肪のバランスの良さそうな肉を焼いたのを用意するという、悪くはないが特筆するほどではないだろう。

 だが、ジーグー魚を使った煮込みの方は、俺を含めた審査員でも味を知っている人間はいないため、この対決でも目玉となっている。
 正直、誰もが楽しみで仕方ないと言った感じだ。

 残るパーラと言えば、ここまで特に目立った調理法を見せてこなかったため、出来上がったものは至極シンプルな一品。
 それは紛うことなき、おにぎりだった。

 審査員の人数分、五枚の皿そのすべてにおにぎりが二つずつ載せられている。
 俺には見慣れたものだが、他に知っている人間はどれほどいるものか。
 ただ一点、気になるのはおにぎりが丸と三角の二種類が一皿にあり、どうやら一人につき形の違うものを供するようだ。

 それが何を意味するのかは分からないが、他の二人に比べたらあまりにも地味な見た目のためか、審査員と観客の注目度は低いだろう。
 俺は米の実力を理解しているが、知らない人間にとっては白一色の物体という、食欲をそそるとは言えないその見た目に、他の審査員達の評価がこの時点である程度決まっているのが少し不利かもしれない。

「それではこれより、実食に入る。完成させた順に審査員の下へ出し、三人分を食べ終えた上で評決を出す。いいわね?…ではまずはチェルシー、あなたからよ」

「はい。ふふ、でも私が最初では、もう審査員の方々の舌を満足させてしまいかねませんわね」

 一番手でそのセリフを吐くのは負けフラグなのだが、世界のお約束を知らないチェルシーは相変わらずの自信たっぷりの様子で、手ずから皿を俺達の前へ並べていく。
 全員に皿が行き渡ったが、その硬そうな見た目から審査員達は食べ方に迷っている。

「…硬いな。チェルシー君、これはどうやって食べたらいいんだ?まさか、このまま齧りつけとは言うまいね?」

 審査員の一人がフォークで目の前の物体をコツコツと叩きながら、困惑気味にそう尋ねる。
 目の前の料理を知らない人間からすれば、よもや自分の歯と顎を犠牲にして食べなければならないのかと、いっそ恐怖を覚えるだろう。

「ええ、勿論ですわ。こちらは外側を塩で覆って焼いたものですので、壊して中のものをお食べくださいまし。一つ、やってごらんに入れましょうか。失礼、アンディさん」

 そう言ってチェルシーが小さな木槌を手にし、俺の分の塩塊を何度か叩いていくと、すぐに罅が入って中身が出てきた。
 塩の塊のすぐ下には何かの葉っぱを挟んでいたようで、それを開くとムワっとした湯気と共に、何とも言えない香ばしさと食欲をそそる脂の焼けた臭いが立ち上る。

 丸々一羽の鳥が使われているそれは、まさしく塩釜焼といっていいものだが、この世界では塩釜焼のような調理法は存在しない。
 もしかしたらどこかにはあるかもしれないが、これまで俺は聞いたことがなく、チェルシーが知っているのも少し信じられないのだが、実はこの調理法を俺はある人物に教えたことがあった。

 その人物の姿を探して観客達を見回してみれば、知った顔とちょうど視線が合う。
 どうやら向こうもこちらの視線に気づいたようで、苦笑いと共に頷いている。

 俺の言わんとしていることが伝わっているようで、やはりチェルシーに塩釜焼の手法を教えたのはその人物、誰あろう、スーリアだ。
 どうやら予想していた通り、スーリアがアドバイザーとしてチェルシーについていたらしい。

 以前、遠学で大量に食事を作り置きした際、ちょっと変わった調理法ということで塩釜焼を教えていたのだ。
 別に秘伝という訳でもなく、他に教えてはダメだということもないが、チェルシーに教えたのなら教えたと一言言ってくれれば、今覚えている驚きも和らいだはずと、ちょっぴりだけ不満を覚える。

「…ほう、いい匂いだ。しかし、塩で包んだとなれば、随分としょっぱい料理になるのではないか?」

 皿に鼻を近づけ、味よりも先に香りを楽しんでいた審査員が不安げにチェルシーへ尋ねた。
 他の審査員も同じ危惧を抱いたのか、同意するように頷きを示している。

「ご心配なく。塩は蓋の役目をしているのみ。食材との間には厚めの葉をおきましたから、塩分はそれほど浸透していないはずですわ」

「浸透していない?では塩は何の役目があるのだ?」

 塩を大量に使っているのに、塩味がそれほどでもないという点には首を傾げてしまうのだろう。
 確かに、塩と言えば味付けに使うという常識があるので、その疑問はもっともだ。

「私も役割まではわかりませんわ。ただ、こうするとおいしくなりますし、木槌で壊して食べるのは面白いと思いました。それだけです」

 そのしれっとした物言いは、いっそ清々しい。
 理論は知らずとも結果があればいいと考え、加えて派手好きのチェルシーだから選んだ調理法だったのだろう。
『これが私のやり方だ、どうだ参ったか』と言わんばかりの自信にあふれた顔は、審査をしている俺達にすら挑もうとする気概がある。

「…これは塩釜焼といって、大量の塩で蒸し焼きにする手法です。塩はそのままでは固まりませんが、先程、調理の工程で卵白を混ぜていたため、火を通すとこのように固くなります」

 見ていた限り、チェルシーの手順は正しいもので、卵白もちゃんと使っていたため、こうして見事に塩は固まっている。
 意外といっていいのか、チェルシーの調理における手際も決して悪いものではなく、本人がお嬢様だということを考えれば、この出来は十分及第点を与えてもいいものだ。

「こうすることで、加熱しても食材の旨味は逃げないし、熱の伝わり方も穏やかなものとなり、食感もふっくらとしたものに仕上がります」

 助け船を出すというわけではないが、チェルシーの説明があまりにもひどいので、俺の方から一言付けたさせてもらった。
 何も知らないよりも、どういう意図と効果があるのかを知って食べたほうがおいしさは多少増すというもの。
 これぐらいはやらせてもらおう。

「そんな効果が…」

「世の中、調理法も色々とあるものだな」

「いや、まったくですなぁ」

 それを聞いて感心した様子をみせた審査員だったが、何故かチェルシーはムっとした顔をしている。
 恐らく、俺に説明をとられたのが気に入らないのだろうが、だったら塩釜焼の効果をちゃんと覚えておけと言いたい。
 スーリアにはその辺のこともちゃんと俺は教えておいたのだから、チェルシーも聞けば教えてもらえただろうに。
 いや、教えてもらっていたが普通に忘れていたというパターンかもしれん。
 チェルシーは意外と大雑把なところがあるしな。

 だとすれば、本来公正な審査員の立場から、塩を送った俺に感謝をしてほしいぐらいだ。
 塩釜焼だけに。

 説明はこれぐらいにして、早速鶏肉にナイフを入れてみる。
 一人につき一羽丸々を使っていることから期待していた通り、いきなり肉汁があふれ出てくるとともに、その内部から野菜が姿を見せた。

 既に調理工程で見ていたが、鳥の腹を開いてその中に野菜を詰めるという手法は、これも恐らくスーリアが伝授したのだろう。
 肉の旨味を吸った野菜と一緒に食べるのを想像すると、口の中で唾液の洪水が生まれた。

 一口大に切って肉と野菜を一緒に食べると、想像していた以上の味わいに思わず目をつぶってしまう。

 塩釜焼として正しく調理した肉は、程よい塩味と野菜の甘さが混然としていて、噛んでいる最中にもすぐ次を口に運びたくなるほど、舌がこの味を求めてしまっている。
 素材がいいからか、これは昔日本で食べたものよりも数段味が上だ。

「うむ!これはすごい!途轍もない美味さだ」

「最初は肉から出てきた脂の量に驚いたが、口に運んでみれば実にサラリとした口当たりだ」

「私は歳柄、あまり脂っこいものは食べられなくなっていたんですが、これはいけますな」

 審査員達の反応は上々で、皆一口食べたとたんに絶賛の声を上げている。
 その言葉に俺も無意識に頷きで同意していたのを見られたようで、チェルシーも誇らしげだ。
 先程の件をまだ根に持っているのかと思ったが、あの顔を見る限りでは、単純に美味いと褒められてうれしいと言った感じか。

 しかし俺も審査員としている以上、重箱の隅をピンセットでほじくるようで悪いが、この料理の悪いところも無視するわけにはいかない。

 確かにこの一品はいい出来だが、惜しむらくは鳥の脂臭さが少し残っていたことか。
 香味野菜が少なかったのか、それとも脂が強かったかのどちらかだろうが、口の中で数回咀嚼するとやはり気になってしまう。
 人によってはそれも味と言いそうだが、俺としては見逃せないマイナスポイントだ。
 もう少し鶏肉の下ごしらえに気を遣っていれば、また違った完成度を見せていたかもしれない。

 この辺りは全員の料理を食べ終えてからの総評で他の審査員と話すので、今はまだチェルシーには言わないでおく。
 しかし、この一点以外はほぼ完ぺきなので、トップバッターということを差し引いても、優勝へ一番近い一皿だったと賛辞を贈りたい。

「はい、じゃあ皿も片付いたところで、次に行くわよ。ミエリスタ、準備は?」

「勿論、できています」

 チェルシーに続いて、次はエリーのジーグー魚を使った料理の審査だ。
 比較するのもどうかとおもうが、先程のチェルシーの料理も悪くはなかった。
 むしろ予想以上に美味くてうれしい誤算だった程だ。
 だがその一方で、俺はこのジーグー魚こそが一番の楽しみだったりする。

 なにせ周りの反応から相当レアな食材だということは分かっていたし、実際、こうして運ばれてきた皿を見る審査員達の目はギラギラとしている。
 それを見ては、よっぽどのものだと期待してしまうのも当然だろう。

「一つはジーグー魚を使ったトゥル、もう一つは野菜とヤギ肉のケバブです」

「ケバブ?それって確か肉の塊をそぎ取って生地と野菜で挟むやつだよな?」

 料理を一皿ずつ指してそう説明したエリーの言葉に、引っかかるものを覚えた俺は思わずそう尋ねた。
 トゥルの方はともかく、ケバブはソーマルガでも似たようなのを見たことはある。
 しかし、それは今目の前にある野菜とヤギ肉を焼いて混ぜただけのものではなく、ちゃんとクレープ生地っぽいので包んである奴だ。

 エリーと城を抜け出したときに何度か一緒に食べたことがあっただけに、こいつが間違えるとは到底思えない。
 いくら庶民の食べ物とは言え、ソーマルガ出身のエリーが間違えるはずもないだろうに、これはどういうことなのか。

「それもケバブであってるわ。近年は食べ歩きしやすく、生地で挟んで食べるのが主流になってるけど、ソーマルガではもともとこうした皿で出す料理だったのよ」

 なるほど、こっちの世界ではそもそも生地で挟むタイプはバリエーションの一つで、こっちが本流になると。
 地球だとどうだったかはもうわからないが、こっちの世界だとそこから進化しているわけだ。
 もしかしたら、これも地球からの転生者が関係しているかも…というのは流石に考えすぎか。

「ミエリスタ君、トゥルというのは?」

 煮込みの名前が気になっていたのは俺以外にもいたようで、皿を指さしてそう尋ねる。

「トゥルとは、ソーマルガのある民族が好んで食べる料理です。主に魚を煮た料理を指してそう呼びますが、決まった作り方はとくになく、その自由さからソーマルガの気風を象徴する料理と、私は思っています」

 お前が思ってるだけかよ。
 だが悪くない。

 多くの民族と文化が融合・昇華されているソーマルガという国で、アレンジの幅が広い料理というのはまさに自由の象徴といってもいいだろう。
 少しだけ誇らしげなエリーの様子から、対決にこの料理を選んだのも、その思いのせいかもしれない。

 二皿ある中でやはり気になるのはトゥルの方で、まずはその匂いを楽しむことにした。
 チェルシーの審査の間に温め直したのか、立ち上る湯気に混ざって鼻に届けられた香りは、魚の煮込みだというのに生臭さが全くない。

 香辛料を使っているのは確かだが、それにしてもこうまで匂いがないとなれば、その味に対する不安を覚える。

 生臭さがないのは新鮮さのあかしだとも言うが、ここまで匂いがないと味の薄さに繋がるんじゃないかと思ってしまう。
 このトゥルにもその怖さを感じつつ、やや濁りのあるスープを木匙で一掬いして口へ流し込んでみると、思わず呼吸を忘れてしまった。

 味付けは単純な塩のみ、香辛料は香りを軽くつけるのみで主張は弱い。
 しかしそのおかげで、スープに溶け込んだ魚の味がよく分かる。

 魚を使った鍋と言えば、鮭や鱈、アラといったものを俺は知っているが、このジーグー魚というのはそのどれにも劣らない、むしろ勝っているとすら思えるバカげた美味さを舌に叩きつけてきた。

 昆布など使っていないとは思うが、このスープにはそれを想起させるほどのコクと深みが込められている。

 次に身の方を食べてみるが、これもまた凄い。
 見た目で脂が乗っているのは分かっていたが、歯で噛み切ると口いっぱいに旨味の籠った汁が広がる。

 あの雑な調理でこの味が出せるとは、もしや食材が凄すぎるのか?

「これがジーグー魚ッッ!うまい!うますぎる!」

「なんと豊かな味わいだ!匙が止まらん!食えば食うほどもっと食いたくなるぞッ!」

「ゥンまああ~いっ!幸せだーっ!幸せの繰り返しだよぉぉーっ!」

 過剰ともいえるリアクションで、他の審査員達もトゥルを掻き込んでいき、中には涙を浮かべている者もいる。
 他から見たら大げさに見えるだろうが、実際に食べている俺はその感覚を共有できてしまう。

「ではそろそろ、次に移っていただきましょうか。皆さん、ケバブをスープに入れて、かき混ぜて食べてみてください」

 トゥルだけでも満足できるのに、エリーが悪魔のような誘惑を持ち掛けてきた。
 どうやらこのケバブは単品ではなく、スープと合わせるために用意したもののようだ。
 まさか、ここにケバブを足すとは、まだ進化する余地があると?

 そのままで十分だとは思うが、そう言われてはやらないわけにはいかないため、肉と野菜をスープへ投入していく。
 試しに単体で少しだけ食べてみたが、ケバブは香辛料と塩、それと柑橘系の果物の汁が入った意外とあっさりとした味で、これだけでも美味い。

 肉と魚は一緒にスープに入れるとあまりいい結果にはならないものだが、果たしてこれはどうなることやら。

 少しかき混ぜるとお茶漬けのような見た目になると同時に、香りも変化していく。
 スパイシーさと果物の爽やかな酸味を感じさせる匂いに、ため息が零れる。

 後足しで変化をもたらしてくるとは、中々憎らしい。
 こいつ、本当に王女か?
 そこらの料理人よりも料理人らしい仕事をするとは。

 食べてみると、味の変化を確かに感じられ、先程とはガラリと変わったパンチのあるスープとなっていた。

 舌にピリリと来ると同時に、ヤギ肉がその存在感を見せるが、ジーグー魚はそれにも負けず味を主張し、爽やかな香りが最後を締める。

 実に多彩な変化を一瞬に込めた料理といえるが、残念ながらこの後足しは余計だったと言わざるを得ない。
 決して悪くはないが、増えた味わいが蛇足となって全体がボヤけた印象を与えてしまっている。

 それでも十分美味いのは、それだけジーグー魚が優れた食材だからだ。
 自らの味をしっかりと保ちつつ、他の食材とも調和を保つという、一見矛盾した不思議なそれは、流石幻の食材と呼ばれるだけある。

 他の審査員達も、ケバブを足してからの反応は微妙なもので、これに関しては減点にはならないだろうが加点にもならないといったところか。
 得意気なエリーには悪いが、ジーグー魚のスープ一本で勝負した方が良かったとしか思えない。




 ここまで審査して、チェルシーもエリーも想像以上のものを見せたと少し驚いている。
 食材は平凡だが、調理法で工夫を見せたチェルシー。
 手際は今一つだったものの、それを補って余りある力を持った食材を用意したエリー。

 たった三人だけの料理対決にしては、かなりハイレベルなものを見せている。
 審査員達も、二人のどちらに勝ちを与えるか既に話し合っているほどで、パーラの番などないかのような空気だ。

 誰に味方することもできない立場の俺だが、この状況でのパーラの不利には何も思わないわけではない。
 先の二人が出来過ぎているために、パーラはそれ以上のインパクトを示す必要はあるが、正直、おにぎりだけというのは弱すぎる。

 一体どうするのかパーラを見てみると、当の本人は腕を組んで目を瞑っているだけで、雰囲気だけは余裕を見せている。
 本当に策があるのか、それとも他にやりようがないからああして恰好だけをつけているのか判断はできないが、この後どう出るのか不安しかない。

「では続いてパーラ、あなたの番よ。準備はいいかしら?」

「…ええ、準備は出来ています」

「そ。なら、お出しして」

 何故か急にテンションが低くなったアミズの声に、重厚感のある態度で頷きを返したパーラが、俺達の前へ皿を並べていく。
 もう十分見ていたが、やはりどう見てもただのおにぎりがのっているだけで、二人のと比べるとどうしても見劣りしてしまう。

 あまりにも単純な一品だけに、よくこれで勝負する気になったものだと呆れもする。
 しかし次の瞬間、何かを企むような目を見せたパーラに、この一皿は何かあるというのも察せた。

 今日まで過ごしてきた中で、時折見せるあの眼の時のパーラは侮れないと俺は知っている。
 そのため、これがただのおにぎりだとはもう思えない。

 一体何を仕掛けたというのか、俺の胸の内では不安よりも楽しみが勝ってきていた。

 ここはひとつ、パーラの工夫を見せてもらおうか。
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