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女の戦い
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SIDE:ミエリスタ
私がアンディを好きになったのはいつだったか。
一目ぼれってわけじゃないのは確かで、けど気が付いたら好きになってたんだと思う。
最初の頃は、初めて歳の近い友達が出来て、一緒に城を抜け出して遊ぶのが楽しいと、ただそれだけだった。
勿論、攫われそうになったところを助けてもらったことは感謝してるし、その時は自分と歳が近いのにこんなすごい子がいるんだと、憧れに似た感情も覚えた。
それから城の中でたまたま見かけたアンディに勇気を出して声をかけ、色々あって遊ぶようになったのだが、あの楽しかった時間があるからこそ、私のこの思いはより強い物へと育ったのかもしれない。
毎回城を抜け出す手口には、城で暮らしていて感じたことのないハラハラしたものを体験できたし、一緒に街並を歩いていると、肩を並べた隣が心地よかった。
私はソーマルガ皇国の王女として生まれ、周りもそれにふさわしい接し方をする中で、王女としてよりも普通の女の子として接してくれたアンディに惹かれたのだと、今になると分かる。
正直、城での生活は時に息苦しさを覚えるものだったが、アンディと一緒のときは少しだけ息をするのが楽になった気がした。
パーラともよく遊んだけど、あの子はアンディに他の女が近づかないように目を光らせていたもんだから、私のアンディへの好意にも気付いたんだと思う。
だからこそ、顔を合わせるたびに私を面白くないと喧嘩を吹っかけてきたんだろう。
まぁ私も気持ちで引く気はなかったから毎回受けて立っていたけど、真剣に私に突っかかってくるパーラの姿に、あれはあれで楽しいものを感じていたりする。
王女だから当たり前だが、記憶にある限りでは本気で喧嘩をするのもアレが初めてで、面白い経験と共に、パーラも大事な友達となっていった。
癪なんで本人には言わないでいるけど、何となく向こうも同じ気持ちだと思う。
そのアンディ達とまさか学園で再会するとは思わなかったが、久しぶりに会ったアンディ達はやっぱり私の知っているままで、けれどもアンディとパーラの間にある親愛はより深まっていると私には分かる。
そりゃいつも一緒にいるんだから、仲が良くなるのは当たり前だけど、パーラに先を行かれている気がしてちょっと……いや、かなり悔しい。
前と変わりのない態度で接してはいたけど、やっぱり焦る気持ちはあった。
このままではいずれ、アンディはパーラだけのものになってしまう、と。
どうしようかと密かに悩んでいた時、私の下へお父様からの手紙が届けられる。
前に私が出した、こちらの近況を知らせた手紙の返事だったが、その中に一筋の光を見つけた。
詳しいことは書かれていなかったが、なんでもアンディに大きな貸しを作ったとあり、もしも会うことがあったらそれを使ってからかってやれとのこと。
それに添える形で同封されていたハリムの手紙にも、この貸しを使ってアンディをこちらに引き込める機会があるなら、好きに使っていいと書かれている。
ハリムがこういうとなれば、恐らく婚約も許すというのだろう。
実際にそうは書いていないが、そうに違いないと私が判断した。
まるで私とアンディが学園で再会するのを分かっていたかのような機の謀り方だが、流石にハリムでもそこまでは読み切れないだろうから、今ここにこの手紙が届いたのは偶然だと思う。
ただ、あまりにも手紙が来るのが都合良すぎることに、運命の巡りあわせのようなものを覚えたのも事実だ。
なので、せっかくだしその貸しを有難く使わせてもらうことにした。
「殿下…、本当にあの者との婚約を?正気ですか?」
飛行同好会で借りている部屋へ向かう道すがら、リヒャルトが呆れたような口調でそう言いだした。
今日、アンディと会ったら、後で二人きりになれる時間を作ってもらい、そこで婚約を迫るつもりだ。
リヒャルトには手紙の内容をかいつまんで説明してある。
勿論、彼に言う必要のない部分は省いたが、それでもこれからすることへ協力させるのに必要なことは伝えた。
「私はいたって正気よ。くどいわね。そう言ったでしょ。なに?止める気?」
「いえ、そのようなつもりは。もう一度お尋ねしますが、本当に本国の許しがあるのですね?」
「そうよ。まぁ正確には、アンディをソーマルガへ引き込むなら好きに動いていい的な感じだけど」
手紙を要約すると、大体そんな感じになる。
婚約云々は私が勝手にしてるけど、これも多分問題はないはず。
あったとしても、後でハリムを説得すればいい。
「…待ってください。それは許しとは言えませんが?」
「あーいいのいいの。ちゃんとハリムからそういう趣旨で手紙も貰ってるから」
私の雑な言い回しのせいか、一瞬声が鋭くなったリヒャルトだが、流石にハリムの名前を出すとそれ以上は口を開かなくなった。
元々リヒャルトは私の世話と同時に、監視としての仕事も任されている。
ハリム曰く、私が変な騒動を起こさないようにとのことで、品行方正な王女に監視など無粋な真似をと思ったが、寛大な私はそれを黙って受け入れる度量ぐらいはあるつもりだ。
そのハリムが私の行動を認めているように受け取れる言葉には、リヒャルトも疑うことはしないために、こういう反応にもなるわけだ。
「いい?これから部屋に行ったら、まず中に誰がいるかを確認するわ。それで、アンディが一人でいたらそれでいいし、もし他にも人がいたらリヒャルト、あなたがアンディに後で時間を作るように声をかけて頂戴」
「それは構いませんが、なぜ私が声をかけるのでしょう?殿下がその場で要件を伝えるのがよろしいのでは?」
「おバカ!他に人がいたら恥ずかしいじゃない!あなた、当人以外がいる場で婚約を切り出せるの!?」
「できますね。実際、私はそうしましたし」
「ぐっ……み、皆が平気ってわけじゃないのよ」
リヒャルトはこの歳にして既に結婚を確実に約束した相手がいる。
学園を卒業した後に正式な婚姻を結ぶと、相手方とも誓詞を交わしているとか。
九歳も年上だというその相手に、大勢が集まったパーティの場でリヒャルトから結婚を迫ったという逸話を持つ。
これはソーマルガの貴族社会でも割と有名な話で、私でも知っている。
そんなリヒャルトだから、人前でそういうことをするのが恥ずかしいという私の感覚は分からないのだろう。
会長やチャムがどうのではなく、単純に恥ずかしいので、リヒャルトにはアンディと二人きりになれるように協力してもらう。
そう思って部屋へ着くと、意外なことに私が一番乗りとなってしまった。
少し早く着きすぎたかと思い、のどの渇きを覚えた私は、リヒャルトに水をもってきてもらうことにした。
その間部屋で佇んでいると、不意に扉が開かれた。
扉をくぐって姿を見せたのは、今一番会うべき相手、アンディだった。
しかし、ここで私の身に予想外の反応が起きる。
やると決めてきたというのに、いざ本人を前にすると途端に汗と呼吸が乱れだす。
それも気合で何とか抑え込めたが、胸の鼓動が早まるのだけはどうしようもない。
私は今から、アンディが好きだということを直接伝えることになるのだ。
婚約がどうとか以前に、それをまず言わなければならないということに、顔が熱を持ち始めたような感覚に襲われた。
…え、どうなるの?これ。
他の人ってどうしてるの?
好きだって言ってから婚約してた?
それとも、婚約してから好きになって…?
残念ながら、私には人の婚約がどうだったかという知識がほとんどない。
それが今、大きな不安となって圧し掛かってきているようだ。
いっそ仕切り直したいとも思ったが、自分を奮い立たせて口を開いた。
「待ってたわよ、アンディ」
別に待ってはいなかったが、とりあえずそう言ってみる。
でなきゃ今にも逃げ出しそうな自分を、ここに押しとどめられそうにないから。
さあ、これから切り出す話は私にとって、とても大事なもので、もしかしたら将来にかかわるかもしれないものになるだろう。
たとえ騙し、脅すことになったとしても、絶対に頷かせて見せる。
覚悟はできてる?アンディ。
私は出来ている。
SIDE:ミエリスタ
どんなに屈強な男でも、決して逆らえず、恐れるものを知っているだろうか。
それはご存じ、母親だ。
熊をも縊り殺す剛腕の持ち主も、一国の王ですらも、こと母親に対しては決して頭が上がらないのが世の常。
そして、母親とは女でもある。
よって、この世界で最強の生き物は女だという説も、成り立たないわけじゃない。
さて、俺が何故こんな話をしているかというと、逃げ出したいが逃げられない現実からの一時的な逃避だったりする。
今俺の目の前では、闘気をみなぎらせた二人の女が向かい合い、火花を散らしている真っ最中だった。
二人の女とは言うまでもなく、エリーとパーラだ。
いつものじゃれ合いとは違い、今にも殺し合いを始めそうな雰囲気の二人だが、なぜこうなったかを説明すると、やはりあのエリーに婚約を迫られたのが原因だと言うほかない。
エリーから婚約を迫られた日の晩、俺はパーラにそのことを打ち明けたわけだが、その時の反応は予想通り、ちょっと怖いものがあった。
話を聞いたパーラが、一切の表情を失くしたまま銃に手を伸ばしたのには流石に慌ててなだめはした。
その日はそれで終わったのだが、翌日にはパーラがエリーを学園の敷地内にある空地へと呼び出し、そこへ俺も半ば無理やりに連れてこられてしまった。
パーラがただ一言、一緒に来いと光のない目で迫ってきたのには、言い知れぬ恐怖を覚えたが、俺もまた当事者であるとの自覚はあるので、大人しく従うしかない。
それと、何故かリヒャルトとチャムもその場に現れたのには少し驚いたが、聞けばエリーに脅迫まがいの呼び出しの手紙が来たことを心配してついてきたとのこと。
パーラの奴、落ち着いてるように見えて、やることがなんとも大げさだ。
早朝の澄んだ空気が漂う中、エリーとパーラが少し間隔をあけて向かい合い、残る俺達がそれを見守るようにして離れて立つ様は、まさにこれから喧嘩をするような構図だ。
まぁ実際、あのパーラの様子だと、それも間違った感想ではないだろう。
「エリー、あんた私に断りなくアンディに婚約を迫るって、どういう了見なわけ?」
まず最初に口を開いたのはパーラで、やはり婚約についてエリーを問い詰めることから始めるつもりらしい。
問い詰めるだけで終わるわけがないと思わせるのは、纏う空気の鋭さのせいだ。
しかし口調といい顔といい、今のパーラはスケ番姿が似合いそうだな。
あまりにも雰囲気がそれっぽいので、下手したらすぐにでも殴り掛かるんじゃないかと、俺もちょっぴり警戒している。
「はあ?なんで一々パーラに言わなきゃならないの?これは私とアンディの話なのよ?パーラこそ部外者なんだから引っ込んでなさい」
「なーにが部外者よ。私とアンディは相棒なの。空に雲、花に雨のような関係、いわば内縁の妻みたいなものと言っても過言ではない!」
いや過言だろ。
中々詩的な言い回しで俺との関係を言ったものだが、その理屈だと、世の冒険者のパーティのほとんどが所属する男女で内縁関係を持ってることになる。
全くないとは言わないが、全部がそうだと断じるようなパーラの物言いは少し問題だ。
「はん!笑っちゃうわね!その内縁の妻は今日まで、アンディとどれだけ親密な関係を築いてきたのかしらねぇ!?当然、もうズッポシやっちゃってるわよね?内縁の妻ならさぁ!」
一国の王女が何てことを口走ってんだ。
エリーも年頃だし、そういうことに興味も知識もあるのだろうが、パーラを煽るようなセリフも斬りつけるような勢いだ。
悪役令嬢もかくやという凄味がある。
「ズッポ…や、やっちゃってるなんて、王女のくせに下品な!」
「下品で結構!でもその反応だと、何もないみたいねぇ。健康な男女が一緒に暮らして何もないのに、内縁の妻とは!」
パーラが意外と初心な反応を見せたせいか、会話の主導権がエリーに移ったように思える。
鬼の首をとったように騒ぐのはかまわんが、内容が内容だけにもうちょっと声は抑えて欲しいものだ。
「そ、そんなのどうだっていいの!今はエリーとの婚約の話でしょ!とにかく認めない!認めませんよ、あたしゃあ!」
何故か急に江戸っ子風になるパーラ。
内縁の妻を言い出したのはお前だろうに。
こいつも動揺が大きくなると表に出るタイプだし、今は力押しで話を先に進めようといった感じだ。
「パーラに認めてもらう必要はないわ。私との婚約を受けると、アンディが頷けばそれでいいのよ。アンディ、あれ見て」
「あ?…見たけど」
急に話を振られ、言われるがままにエリーが上を指さすその先を見るが、そこには青空が広がっているだけだ。
「うん、じゃあ次は自分の足元を見て」
「…見たぞ。なんなんだ?」
言われて自分の足元を見るために視線を下げるが、そこには土と雑草だけの地面があるのみだ。
何の変哲もないものを見せられて、エリーのしたいことがよく分からないでいたが、顔を上げると満面の笑みのエリーと目が合う。
「…頷いたね?はい、これで私とアンディは婚約者になりましたー」
……はっ!?そういうことか!
たった今エリーが勝手に言ったことだが、頷けば婚約者と認めるというのを、見事に沿った動きを俺がしてしまったがためにこう言っているわけだ。
生憎強制力も何も無い、詐欺もいいところの手口だが、全くの無警戒だった俺も悪い。
…いや、よく考えなくても俺は悪くはないか。
だがその発想は嫌いじゃない。
「あ!エリーずるい!そんなの無効よ!」
「無効じゃありませーん!私の話はアンディもきいていたわ!その上で確かに頷いたってことは、私との婚約を受け入れたということ!これでアンディは私のもんじゃいー!」
いや、その理屈はおかしい。
押し付けられた条件に頷いただけで婚約者になるなんてのがまかり通れば、この世はどえらいことになってしまう。
そこらで同意なき婚約が溢れかえる世界なんて、俺は嫌だ。
「エリー、流石にそれはちょっと…」
「殿下…」
それまで黙って見守っていただけのチャムとリヒャルトも、エリーのこの強引な手口には引いているようで、責めるような目を向けていた。
仲のいい友達と側付きにまでこうなのだから、エリーの言い分はよほどのものだと分かる。
「え、ちょ、二人とも、そんな目で見ないでよ。私が悪いことした気になるじゃない」
「その通りだろ」
たじろぐエリーにそう突っ込まずにはいられない。
極悪だとは言わないまでも、一般的にはチャム達の反応が正しい。
「アンディまで…もー、分かったわよ。じゃあ今のなしにしてあげる。感謝してよね」
「お前が折れたみたいに言うな。詐欺同然の手を使ったくせに」
あれは子供でも使わない、酷いやり方だった。
引っかかる俺も俺だが。
「よぉーし!私は勝った!私は強い!」
「お前はお前で、そうエリーの上に立ちたがるんじゃない」
主導権がエリーに握られつつあると自覚しているせいか、やたらとマウントを取りに行こうとするパーラの姿が痛々しい。
あと、何故エリーの目の前で高速屈伸をする?
行儀が悪いからやめなさい。
「とにかく、その婚約の話は無し!今後、アンディにその話をしたいなら、私を通すように!」
「なんで一々パーラに話をつけなきゃいけないのよ。大体、パーラはどんな立場で言ってんの?」
「どんなって、私はアンディの―」
「相棒だってんでしょ。それはさっき聞いた。けど、それだけで私が納得すると思う?その気になったら、ソーマルガの王女として、アンディに縁組を正式に申し出るわよ?」
国が出張るとは中々強気の発言だが、実際エリーはそれだけの立場にいる。
平民相手にそれをするのが簡単なことかはわからないが、完全に不可能とは言い切れない。
「ぐぬぬ、国を引き合いに出すとは卑怯な」
「卑怯でも何でもないでしょ。私は私の持てる力を使うってだけの話。悔しかったら、パーラも自分の力で対抗してみたらいいじゃない」
「私の力…」
エリーの言葉に何を思ったのか、パーラが視線を自分の背中へと向ける。
そこにあるのは、何故か今日に限って持ってきていた銃だ。
一瞬迷うような仕草を見せたが、すぐに覚悟を決めたような目に変わった瞬間、銃へ伸ばされかけた手を俺が掴んで止める。
「待て、パーラ。それはダメだ」
「え、でも力で対抗ってエリーが…」
「言ったが、そういうことじゃない」
このままぶっ放すんじゃないかと思い、声をかけたのは正解だった。
エリーも自分に武器を向けられるかもしれないと悟ったのか、ギョっとした顔をしている。
力で対抗の部分だけを汲み取って、銃を持ち出そうとするとは、パーラも随分アメリカンな考え方をするものだ。
しかしこれに関しては、エリーが煽ったようなものなのでパーラが悪いわけじゃない。
流石にいきなりエリーを撃ち殺そうとはしないだろうから、一応諫めはするがそれ以上は言わないでおく。
「じゃあどうすれば…銃殺以外で私が対抗できる力なんて」
婚約の話から銃殺という結論にいくとは、なんとも物騒なことだ。
そういうとこだぞ、パーラ。
「話は聞かせて貰ったわ!」
突然、誰かの放った声が辺りに響き渡った。
俺達以外の何者かが出した声は女性のもので、俺には聞き覚えのあるものだ。
同時に、何か嫌な予感にも襲われた。
「えっ誰!?」
「殿下!」
誰もが驚く中で、真っ先に動いたのはリヒャルトで、エリーを守るために背後でかばうようにして動いたのは護衛としては満点のものだ。
不測の事態に際して、しっかりと反応できた点は褒めてもいい。
ただ、その警戒が俺とパーラにも向いているのはどうしてだ?
声の主が俺達の仕込みだとでも思われている?
それとも、さっきパーラがエリーを銃殺しようとしたのが効いているのか。
「こっちこっち。私よ、私」
そう言いながら声の主は俺達の前にその姿を見せる。
少し離れた所に立つ木々の間を通り抜け、現れたのはアミズだった。
「アミズさん!なんでこんなところに?」
「いやパーラね、なんでってここ、私の研究室の裏手よ?朝からあれだけ騒いでたら気になるでしょ、普通」
そりゃそうだ。
アミズの言う通り、パーラがエリーを呼び出したのはアミズの研究室裏手にある空地である。
これはエリーとの話し合いを終えた後に、研究室にすぐ顔を出すためにとパーラが横着したからだったりする。
しかしアミズのこの反応を見るに、パーラの奴、ここを使うということは伝えていなかったようだ。
「お騒がせして申し訳ありません、教授。パーラの奴、急に私を呼び出したもので」
神妙な口調で謝罪するエリーだが、これは一生徒として学園の教授へ敬意を払っている姿であり、さっきまでの太々しい態度はどこにしまったのかというほどだ。
「まぁ朝から騒々しかったのは確かだけど、不快だったわけじゃないから安心なさいな。それにしてもアンディ、モテモテねぇ。これだけ可愛い子達に迫られたら、男としてたまらないんじゃないの?」
「俺のために争わないで!とでも言えばいいんですか?勘弁してください」
「あはははは、そりゃ大変さの方が勝つわよね。二人のやり取りを聞いてた感じだと、どっちも引き下がりそうにないし。そこでだ、アンディ。いつまでもここで騒がれると私が困るから、どうにかしてあげようじゃないの」
あぁ、やっぱり迷惑だったようだ。
勝手に場所を使っていたこちらが悪いし、ここはアミズの好意を受け取るべきか。
「へぇ、どうにか……できますか?」
「容易いことよ」
そう言って胸を張るアミズからは、まるでドラゴンボ〇ルに出てくる神龍のような頼もしさが溢れている。
この国の最高頭脳、賢者であるアミズのことだ。
さぞいい解決法があるのだろうと、ここは期待してしまう。
「と言っても、特別なことじゃないわ。パーラ、ミエリスタ。あなたたち、料理で対決なさい!」
『料理ぃ~!?』
揃って驚いた声を上げるエリーとパーラは、この一瞬だけは心を同じくしたと言っていい。
すぐにそっぽを向いてしまったが。
しかし料理対決とは、なんとも突拍子もないことを言う。
「主張がぶつかり合っている以上、何かで決着をつけなきゃね。そこで料理よ。お互いに得意ではないもので勝負をして、それでけりをつけるの。パーラにはアンディがいるし、ミエリスタは学生で国許だと王女様だから、料理なんてしたことないでしょ?」
「それはまぁ…」
「わ、私はたまにアンディの料理手伝ってるし…」
王女として料理をしないことは当たり前のエリーだが、面と向かって言われては思うところはあるらしく、若干悔し気だ。
パーラの方は確かに球に俺の料理を手伝うし、全くやれないわけではない。
だがアミズに言われて目を逸らしてしまうのは、ここのところ台所に立っていないことへの後ろめたさのせいだろう。
だがアミズにはその辺はしっかり読まれているらしく、白けた目を向けられている。
「…ともかく、さっきまでのあんたたちのやり取りを聞いてたけど、要はどっちがアンディに相応しいかでもめてるようね。だったら二人とも、男心を掴みたいならまず胃袋を狙わないと。そこで、料理対決よ。お互いに得意な料理をアンディに食べさせて、どっちが美味しかったかを選ばせて勝敗を決める。どうかしら?」
何かいい解決法を見せてくれるかと思っていたら、俺が賞品となった料理対決を提案するとは、急展開が過ぎる。
それに、商品となった時点で当事者と化した俺に一切の確認がないのはどういう了見なのか。
「…面白いじゃない。その勝負、乗った!エリー、そっちはどうするの?逃げる?」
「バカ言わないで。いいわ、私も乗った。やるからにはこのミエリスタ、容赦はせん!」
アミズの登場で沈静化したかに思われたが、再び睨みあい、火花を散らせ出した。
恐らく、二人もどう決着するかを考えていただろうが、そこにアミズの提案があったのはいい助け舟となったに違いない。
だからこそ、あっさり料理勝負に乗ったわけだし。
「結構!三者の合意が得られたことで、アンディを賭けた料理対決を執り行う!」
三者?
俺は全く意思の確認をされなかったんだが、いつ合意を?
まぁ料理勝負は悪い案ではないし、ここは黙っておくとするか。
なんて心が広いんだろうな、俺って。
「それじゃあ…十日後よ。十日後に料理勝負の場を設けるわ。特に食材の制限はつけないから、どんなものを作るかはそれぞれ自由に考えなさい。ただし、本番に使う食材も自分たちで用意すること。異論は?…ないようね。ではそういうことで、解散!アンディとパーラ以外、今日も授業があるでしょ。遅刻しないうちに早くお行きなさい」
『はーい』
矢継ぎ早に決められはしたが、中々隙のない料理勝負の状況設定に感心してしまう。
エリーにもパーラにも平等だと思われるものに納得しつつ、アミズの言葉に従って俺達はその場を離れることにした。
実際、陽の高さ的には授業の開始が近い。
「いい時間だし、今日のところはこれで勘弁してあげる。けど、料理対決には私が絶対勝つんだから!十日後まで尻洗って待ってな!あと勉強頑張りなさいよ!」
ウォッシュレットかよ。
そこは首だ。
最後のセリフにちょっとだけ優しさがあるのは、パーラの根っこの部分のいい子が出ちゃったんだろうな。
悪い奴じゃないんだよ、こいつも。
「…洗うのは普通首よ。言っとくけどパーラ、アンディに助言貰うのは無しよ。それだとこっちが不利なんだから。パーラも、アミズ教授の手伝いしっかりやりなさいよ」
こうしてちゃんとした返しが出来て、これでエリーの方が年下というのだから、それを自覚してパーラもしっかりするように祈るのみだ。
それにしても、俺のアドバイス禁止とエリーが言ったのは、確かに大事なことだ。
アミズは言及していなかったが、恐らく勝敗を決める審査員は俺になると思う。
その俺がどちらかにアドバイスをしては、公平性に欠ける。
出来上がる料理が予想できないという楽しみのためにも、エリーの言うことには納得を覚えた。
それらを捨て台詞にしたのか、エリー達は校舎へ、パーラとアミズは研究室の方へそれぞれ歩いていく。
俺の方はというと、山へ芝刈りに行くわけにもいかず、パーラ達に続いて研究室へと一緒に向かう。
予定にはなかったが、俺はアミズに一言言わなくてはならない。
勝手に賞品とされたことについての文句をだ。
その時に何も言わない俺もよくなかったが、それはあくまでも場の空気を読んでのこと。
決まったことは仕方ないとしても、色々と話を進めたアミズには文句を言われる覚悟もあることだろう。
とはいえ、料理勝負は意外といい案なのは事実なので、小言程度に抑えようとも思う。
研究室の裏手で起きていた騒ぎが収まったことで、作業に集中できると足取りも軽くなっているアミズに、気合が入った様子のパーラという組み合わせに、どう言葉をかけるべきか、この短い移動の間に考えたい。
神に祈ったことなどないが、この瞬間、賢者を遣り込める舌が俺に宿ることを切に願う。
私がアンディを好きになったのはいつだったか。
一目ぼれってわけじゃないのは確かで、けど気が付いたら好きになってたんだと思う。
最初の頃は、初めて歳の近い友達が出来て、一緒に城を抜け出して遊ぶのが楽しいと、ただそれだけだった。
勿論、攫われそうになったところを助けてもらったことは感謝してるし、その時は自分と歳が近いのにこんなすごい子がいるんだと、憧れに似た感情も覚えた。
それから城の中でたまたま見かけたアンディに勇気を出して声をかけ、色々あって遊ぶようになったのだが、あの楽しかった時間があるからこそ、私のこの思いはより強い物へと育ったのかもしれない。
毎回城を抜け出す手口には、城で暮らしていて感じたことのないハラハラしたものを体験できたし、一緒に街並を歩いていると、肩を並べた隣が心地よかった。
私はソーマルガ皇国の王女として生まれ、周りもそれにふさわしい接し方をする中で、王女としてよりも普通の女の子として接してくれたアンディに惹かれたのだと、今になると分かる。
正直、城での生活は時に息苦しさを覚えるものだったが、アンディと一緒のときは少しだけ息をするのが楽になった気がした。
パーラともよく遊んだけど、あの子はアンディに他の女が近づかないように目を光らせていたもんだから、私のアンディへの好意にも気付いたんだと思う。
だからこそ、顔を合わせるたびに私を面白くないと喧嘩を吹っかけてきたんだろう。
まぁ私も気持ちで引く気はなかったから毎回受けて立っていたけど、真剣に私に突っかかってくるパーラの姿に、あれはあれで楽しいものを感じていたりする。
王女だから当たり前だが、記憶にある限りでは本気で喧嘩をするのもアレが初めてで、面白い経験と共に、パーラも大事な友達となっていった。
癪なんで本人には言わないでいるけど、何となく向こうも同じ気持ちだと思う。
そのアンディ達とまさか学園で再会するとは思わなかったが、久しぶりに会ったアンディ達はやっぱり私の知っているままで、けれどもアンディとパーラの間にある親愛はより深まっていると私には分かる。
そりゃいつも一緒にいるんだから、仲が良くなるのは当たり前だけど、パーラに先を行かれている気がしてちょっと……いや、かなり悔しい。
前と変わりのない態度で接してはいたけど、やっぱり焦る気持ちはあった。
このままではいずれ、アンディはパーラだけのものになってしまう、と。
どうしようかと密かに悩んでいた時、私の下へお父様からの手紙が届けられる。
前に私が出した、こちらの近況を知らせた手紙の返事だったが、その中に一筋の光を見つけた。
詳しいことは書かれていなかったが、なんでもアンディに大きな貸しを作ったとあり、もしも会うことがあったらそれを使ってからかってやれとのこと。
それに添える形で同封されていたハリムの手紙にも、この貸しを使ってアンディをこちらに引き込める機会があるなら、好きに使っていいと書かれている。
ハリムがこういうとなれば、恐らく婚約も許すというのだろう。
実際にそうは書いていないが、そうに違いないと私が判断した。
まるで私とアンディが学園で再会するのを分かっていたかのような機の謀り方だが、流石にハリムでもそこまでは読み切れないだろうから、今ここにこの手紙が届いたのは偶然だと思う。
ただ、あまりにも手紙が来るのが都合良すぎることに、運命の巡りあわせのようなものを覚えたのも事実だ。
なので、せっかくだしその貸しを有難く使わせてもらうことにした。
「殿下…、本当にあの者との婚約を?正気ですか?」
飛行同好会で借りている部屋へ向かう道すがら、リヒャルトが呆れたような口調でそう言いだした。
今日、アンディと会ったら、後で二人きりになれる時間を作ってもらい、そこで婚約を迫るつもりだ。
リヒャルトには手紙の内容をかいつまんで説明してある。
勿論、彼に言う必要のない部分は省いたが、それでもこれからすることへ協力させるのに必要なことは伝えた。
「私はいたって正気よ。くどいわね。そう言ったでしょ。なに?止める気?」
「いえ、そのようなつもりは。もう一度お尋ねしますが、本当に本国の許しがあるのですね?」
「そうよ。まぁ正確には、アンディをソーマルガへ引き込むなら好きに動いていい的な感じだけど」
手紙を要約すると、大体そんな感じになる。
婚約云々は私が勝手にしてるけど、これも多分問題はないはず。
あったとしても、後でハリムを説得すればいい。
「…待ってください。それは許しとは言えませんが?」
「あーいいのいいの。ちゃんとハリムからそういう趣旨で手紙も貰ってるから」
私の雑な言い回しのせいか、一瞬声が鋭くなったリヒャルトだが、流石にハリムの名前を出すとそれ以上は口を開かなくなった。
元々リヒャルトは私の世話と同時に、監視としての仕事も任されている。
ハリム曰く、私が変な騒動を起こさないようにとのことで、品行方正な王女に監視など無粋な真似をと思ったが、寛大な私はそれを黙って受け入れる度量ぐらいはあるつもりだ。
そのハリムが私の行動を認めているように受け取れる言葉には、リヒャルトも疑うことはしないために、こういう反応にもなるわけだ。
「いい?これから部屋に行ったら、まず中に誰がいるかを確認するわ。それで、アンディが一人でいたらそれでいいし、もし他にも人がいたらリヒャルト、あなたがアンディに後で時間を作るように声をかけて頂戴」
「それは構いませんが、なぜ私が声をかけるのでしょう?殿下がその場で要件を伝えるのがよろしいのでは?」
「おバカ!他に人がいたら恥ずかしいじゃない!あなた、当人以外がいる場で婚約を切り出せるの!?」
「できますね。実際、私はそうしましたし」
「ぐっ……み、皆が平気ってわけじゃないのよ」
リヒャルトはこの歳にして既に結婚を確実に約束した相手がいる。
学園を卒業した後に正式な婚姻を結ぶと、相手方とも誓詞を交わしているとか。
九歳も年上だというその相手に、大勢が集まったパーティの場でリヒャルトから結婚を迫ったという逸話を持つ。
これはソーマルガの貴族社会でも割と有名な話で、私でも知っている。
そんなリヒャルトだから、人前でそういうことをするのが恥ずかしいという私の感覚は分からないのだろう。
会長やチャムがどうのではなく、単純に恥ずかしいので、リヒャルトにはアンディと二人きりになれるように協力してもらう。
そう思って部屋へ着くと、意外なことに私が一番乗りとなってしまった。
少し早く着きすぎたかと思い、のどの渇きを覚えた私は、リヒャルトに水をもってきてもらうことにした。
その間部屋で佇んでいると、不意に扉が開かれた。
扉をくぐって姿を見せたのは、今一番会うべき相手、アンディだった。
しかし、ここで私の身に予想外の反応が起きる。
やると決めてきたというのに、いざ本人を前にすると途端に汗と呼吸が乱れだす。
それも気合で何とか抑え込めたが、胸の鼓動が早まるのだけはどうしようもない。
私は今から、アンディが好きだということを直接伝えることになるのだ。
婚約がどうとか以前に、それをまず言わなければならないということに、顔が熱を持ち始めたような感覚に襲われた。
…え、どうなるの?これ。
他の人ってどうしてるの?
好きだって言ってから婚約してた?
それとも、婚約してから好きになって…?
残念ながら、私には人の婚約がどうだったかという知識がほとんどない。
それが今、大きな不安となって圧し掛かってきているようだ。
いっそ仕切り直したいとも思ったが、自分を奮い立たせて口を開いた。
「待ってたわよ、アンディ」
別に待ってはいなかったが、とりあえずそう言ってみる。
でなきゃ今にも逃げ出しそうな自分を、ここに押しとどめられそうにないから。
さあ、これから切り出す話は私にとって、とても大事なもので、もしかしたら将来にかかわるかもしれないものになるだろう。
たとえ騙し、脅すことになったとしても、絶対に頷かせて見せる。
覚悟はできてる?アンディ。
私は出来ている。
SIDE:ミエリスタ
どんなに屈強な男でも、決して逆らえず、恐れるものを知っているだろうか。
それはご存じ、母親だ。
熊をも縊り殺す剛腕の持ち主も、一国の王ですらも、こと母親に対しては決して頭が上がらないのが世の常。
そして、母親とは女でもある。
よって、この世界で最強の生き物は女だという説も、成り立たないわけじゃない。
さて、俺が何故こんな話をしているかというと、逃げ出したいが逃げられない現実からの一時的な逃避だったりする。
今俺の目の前では、闘気をみなぎらせた二人の女が向かい合い、火花を散らしている真っ最中だった。
二人の女とは言うまでもなく、エリーとパーラだ。
いつものじゃれ合いとは違い、今にも殺し合いを始めそうな雰囲気の二人だが、なぜこうなったかを説明すると、やはりあのエリーに婚約を迫られたのが原因だと言うほかない。
エリーから婚約を迫られた日の晩、俺はパーラにそのことを打ち明けたわけだが、その時の反応は予想通り、ちょっと怖いものがあった。
話を聞いたパーラが、一切の表情を失くしたまま銃に手を伸ばしたのには流石に慌ててなだめはした。
その日はそれで終わったのだが、翌日にはパーラがエリーを学園の敷地内にある空地へと呼び出し、そこへ俺も半ば無理やりに連れてこられてしまった。
パーラがただ一言、一緒に来いと光のない目で迫ってきたのには、言い知れぬ恐怖を覚えたが、俺もまた当事者であるとの自覚はあるので、大人しく従うしかない。
それと、何故かリヒャルトとチャムもその場に現れたのには少し驚いたが、聞けばエリーに脅迫まがいの呼び出しの手紙が来たことを心配してついてきたとのこと。
パーラの奴、落ち着いてるように見えて、やることがなんとも大げさだ。
早朝の澄んだ空気が漂う中、エリーとパーラが少し間隔をあけて向かい合い、残る俺達がそれを見守るようにして離れて立つ様は、まさにこれから喧嘩をするような構図だ。
まぁ実際、あのパーラの様子だと、それも間違った感想ではないだろう。
「エリー、あんた私に断りなくアンディに婚約を迫るって、どういう了見なわけ?」
まず最初に口を開いたのはパーラで、やはり婚約についてエリーを問い詰めることから始めるつもりらしい。
問い詰めるだけで終わるわけがないと思わせるのは、纏う空気の鋭さのせいだ。
しかし口調といい顔といい、今のパーラはスケ番姿が似合いそうだな。
あまりにも雰囲気がそれっぽいので、下手したらすぐにでも殴り掛かるんじゃないかと、俺もちょっぴり警戒している。
「はあ?なんで一々パーラに言わなきゃならないの?これは私とアンディの話なのよ?パーラこそ部外者なんだから引っ込んでなさい」
「なーにが部外者よ。私とアンディは相棒なの。空に雲、花に雨のような関係、いわば内縁の妻みたいなものと言っても過言ではない!」
いや過言だろ。
中々詩的な言い回しで俺との関係を言ったものだが、その理屈だと、世の冒険者のパーティのほとんどが所属する男女で内縁関係を持ってることになる。
全くないとは言わないが、全部がそうだと断じるようなパーラの物言いは少し問題だ。
「はん!笑っちゃうわね!その内縁の妻は今日まで、アンディとどれだけ親密な関係を築いてきたのかしらねぇ!?当然、もうズッポシやっちゃってるわよね?内縁の妻ならさぁ!」
一国の王女が何てことを口走ってんだ。
エリーも年頃だし、そういうことに興味も知識もあるのだろうが、パーラを煽るようなセリフも斬りつけるような勢いだ。
悪役令嬢もかくやという凄味がある。
「ズッポ…や、やっちゃってるなんて、王女のくせに下品な!」
「下品で結構!でもその反応だと、何もないみたいねぇ。健康な男女が一緒に暮らして何もないのに、内縁の妻とは!」
パーラが意外と初心な反応を見せたせいか、会話の主導権がエリーに移ったように思える。
鬼の首をとったように騒ぐのはかまわんが、内容が内容だけにもうちょっと声は抑えて欲しいものだ。
「そ、そんなのどうだっていいの!今はエリーとの婚約の話でしょ!とにかく認めない!認めませんよ、あたしゃあ!」
何故か急に江戸っ子風になるパーラ。
内縁の妻を言い出したのはお前だろうに。
こいつも動揺が大きくなると表に出るタイプだし、今は力押しで話を先に進めようといった感じだ。
「パーラに認めてもらう必要はないわ。私との婚約を受けると、アンディが頷けばそれでいいのよ。アンディ、あれ見て」
「あ?…見たけど」
急に話を振られ、言われるがままにエリーが上を指さすその先を見るが、そこには青空が広がっているだけだ。
「うん、じゃあ次は自分の足元を見て」
「…見たぞ。なんなんだ?」
言われて自分の足元を見るために視線を下げるが、そこには土と雑草だけの地面があるのみだ。
何の変哲もないものを見せられて、エリーのしたいことがよく分からないでいたが、顔を上げると満面の笑みのエリーと目が合う。
「…頷いたね?はい、これで私とアンディは婚約者になりましたー」
……はっ!?そういうことか!
たった今エリーが勝手に言ったことだが、頷けば婚約者と認めるというのを、見事に沿った動きを俺がしてしまったがためにこう言っているわけだ。
生憎強制力も何も無い、詐欺もいいところの手口だが、全くの無警戒だった俺も悪い。
…いや、よく考えなくても俺は悪くはないか。
だがその発想は嫌いじゃない。
「あ!エリーずるい!そんなの無効よ!」
「無効じゃありませーん!私の話はアンディもきいていたわ!その上で確かに頷いたってことは、私との婚約を受け入れたということ!これでアンディは私のもんじゃいー!」
いや、その理屈はおかしい。
押し付けられた条件に頷いただけで婚約者になるなんてのがまかり通れば、この世はどえらいことになってしまう。
そこらで同意なき婚約が溢れかえる世界なんて、俺は嫌だ。
「エリー、流石にそれはちょっと…」
「殿下…」
それまで黙って見守っていただけのチャムとリヒャルトも、エリーのこの強引な手口には引いているようで、責めるような目を向けていた。
仲のいい友達と側付きにまでこうなのだから、エリーの言い分はよほどのものだと分かる。
「え、ちょ、二人とも、そんな目で見ないでよ。私が悪いことした気になるじゃない」
「その通りだろ」
たじろぐエリーにそう突っ込まずにはいられない。
極悪だとは言わないまでも、一般的にはチャム達の反応が正しい。
「アンディまで…もー、分かったわよ。じゃあ今のなしにしてあげる。感謝してよね」
「お前が折れたみたいに言うな。詐欺同然の手を使ったくせに」
あれは子供でも使わない、酷いやり方だった。
引っかかる俺も俺だが。
「よぉーし!私は勝った!私は強い!」
「お前はお前で、そうエリーの上に立ちたがるんじゃない」
主導権がエリーに握られつつあると自覚しているせいか、やたらとマウントを取りに行こうとするパーラの姿が痛々しい。
あと、何故エリーの目の前で高速屈伸をする?
行儀が悪いからやめなさい。
「とにかく、その婚約の話は無し!今後、アンディにその話をしたいなら、私を通すように!」
「なんで一々パーラに話をつけなきゃいけないのよ。大体、パーラはどんな立場で言ってんの?」
「どんなって、私はアンディの―」
「相棒だってんでしょ。それはさっき聞いた。けど、それだけで私が納得すると思う?その気になったら、ソーマルガの王女として、アンディに縁組を正式に申し出るわよ?」
国が出張るとは中々強気の発言だが、実際エリーはそれだけの立場にいる。
平民相手にそれをするのが簡単なことかはわからないが、完全に不可能とは言い切れない。
「ぐぬぬ、国を引き合いに出すとは卑怯な」
「卑怯でも何でもないでしょ。私は私の持てる力を使うってだけの話。悔しかったら、パーラも自分の力で対抗してみたらいいじゃない」
「私の力…」
エリーの言葉に何を思ったのか、パーラが視線を自分の背中へと向ける。
そこにあるのは、何故か今日に限って持ってきていた銃だ。
一瞬迷うような仕草を見せたが、すぐに覚悟を決めたような目に変わった瞬間、銃へ伸ばされかけた手を俺が掴んで止める。
「待て、パーラ。それはダメだ」
「え、でも力で対抗ってエリーが…」
「言ったが、そういうことじゃない」
このままぶっ放すんじゃないかと思い、声をかけたのは正解だった。
エリーも自分に武器を向けられるかもしれないと悟ったのか、ギョっとした顔をしている。
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しかしこれに関しては、エリーが煽ったようなものなのでパーラが悪いわけじゃない。
流石にいきなりエリーを撃ち殺そうとはしないだろうから、一応諫めはするがそれ以上は言わないでおく。
「じゃあどうすれば…銃殺以外で私が対抗できる力なんて」
婚約の話から銃殺という結論にいくとは、なんとも物騒なことだ。
そういうとこだぞ、パーラ。
「話は聞かせて貰ったわ!」
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俺達以外の何者かが出した声は女性のもので、俺には聞き覚えのあるものだ。
同時に、何か嫌な予感にも襲われた。
「えっ誰!?」
「殿下!」
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不測の事態に際して、しっかりと反応できた点は褒めてもいい。
ただ、その警戒が俺とパーラにも向いているのはどうしてだ?
声の主が俺達の仕込みだとでも思われている?
それとも、さっきパーラがエリーを銃殺しようとしたのが効いているのか。
「こっちこっち。私よ、私」
そう言いながら声の主は俺達の前にその姿を見せる。
少し離れた所に立つ木々の間を通り抜け、現れたのはアミズだった。
「アミズさん!なんでこんなところに?」
「いやパーラね、なんでってここ、私の研究室の裏手よ?朝からあれだけ騒いでたら気になるでしょ、普通」
そりゃそうだ。
アミズの言う通り、パーラがエリーを呼び出したのはアミズの研究室裏手にある空地である。
これはエリーとの話し合いを終えた後に、研究室にすぐ顔を出すためにとパーラが横着したからだったりする。
しかしアミズのこの反応を見るに、パーラの奴、ここを使うということは伝えていなかったようだ。
「お騒がせして申し訳ありません、教授。パーラの奴、急に私を呼び出したもので」
神妙な口調で謝罪するエリーだが、これは一生徒として学園の教授へ敬意を払っている姿であり、さっきまでの太々しい態度はどこにしまったのかというほどだ。
「まぁ朝から騒々しかったのは確かだけど、不快だったわけじゃないから安心なさいな。それにしてもアンディ、モテモテねぇ。これだけ可愛い子達に迫られたら、男としてたまらないんじゃないの?」
「俺のために争わないで!とでも言えばいいんですか?勘弁してください」
「あはははは、そりゃ大変さの方が勝つわよね。二人のやり取りを聞いてた感じだと、どっちも引き下がりそうにないし。そこでだ、アンディ。いつまでもここで騒がれると私が困るから、どうにかしてあげようじゃないの」
あぁ、やっぱり迷惑だったようだ。
勝手に場所を使っていたこちらが悪いし、ここはアミズの好意を受け取るべきか。
「へぇ、どうにか……できますか?」
「容易いことよ」
そう言って胸を張るアミズからは、まるでドラゴンボ〇ルに出てくる神龍のような頼もしさが溢れている。
この国の最高頭脳、賢者であるアミズのことだ。
さぞいい解決法があるのだろうと、ここは期待してしまう。
「と言っても、特別なことじゃないわ。パーラ、ミエリスタ。あなたたち、料理で対決なさい!」
『料理ぃ~!?』
揃って驚いた声を上げるエリーとパーラは、この一瞬だけは心を同じくしたと言っていい。
すぐにそっぽを向いてしまったが。
しかし料理対決とは、なんとも突拍子もないことを言う。
「主張がぶつかり合っている以上、何かで決着をつけなきゃね。そこで料理よ。お互いに得意ではないもので勝負をして、それでけりをつけるの。パーラにはアンディがいるし、ミエリスタは学生で国許だと王女様だから、料理なんてしたことないでしょ?」
「それはまぁ…」
「わ、私はたまにアンディの料理手伝ってるし…」
王女として料理をしないことは当たり前のエリーだが、面と向かって言われては思うところはあるらしく、若干悔し気だ。
パーラの方は確かに球に俺の料理を手伝うし、全くやれないわけではない。
だがアミズに言われて目を逸らしてしまうのは、ここのところ台所に立っていないことへの後ろめたさのせいだろう。
だがアミズにはその辺はしっかり読まれているらしく、白けた目を向けられている。
「…ともかく、さっきまでのあんたたちのやり取りを聞いてたけど、要はどっちがアンディに相応しいかでもめてるようね。だったら二人とも、男心を掴みたいならまず胃袋を狙わないと。そこで、料理対決よ。お互いに得意な料理をアンディに食べさせて、どっちが美味しかったかを選ばせて勝敗を決める。どうかしら?」
何かいい解決法を見せてくれるかと思っていたら、俺が賞品となった料理対決を提案するとは、急展開が過ぎる。
それに、商品となった時点で当事者と化した俺に一切の確認がないのはどういう了見なのか。
「…面白いじゃない。その勝負、乗った!エリー、そっちはどうするの?逃げる?」
「バカ言わないで。いいわ、私も乗った。やるからにはこのミエリスタ、容赦はせん!」
アミズの登場で沈静化したかに思われたが、再び睨みあい、火花を散らせ出した。
恐らく、二人もどう決着するかを考えていただろうが、そこにアミズの提案があったのはいい助け舟となったに違いない。
だからこそ、あっさり料理勝負に乗ったわけだし。
「結構!三者の合意が得られたことで、アンディを賭けた料理対決を執り行う!」
三者?
俺は全く意思の確認をされなかったんだが、いつ合意を?
まぁ料理勝負は悪い案ではないし、ここは黙っておくとするか。
なんて心が広いんだろうな、俺って。
「それじゃあ…十日後よ。十日後に料理勝負の場を設けるわ。特に食材の制限はつけないから、どんなものを作るかはそれぞれ自由に考えなさい。ただし、本番に使う食材も自分たちで用意すること。異論は?…ないようね。ではそういうことで、解散!アンディとパーラ以外、今日も授業があるでしょ。遅刻しないうちに早くお行きなさい」
『はーい』
矢継ぎ早に決められはしたが、中々隙のない料理勝負の状況設定に感心してしまう。
エリーにもパーラにも平等だと思われるものに納得しつつ、アミズの言葉に従って俺達はその場を離れることにした。
実際、陽の高さ的には授業の開始が近い。
「いい時間だし、今日のところはこれで勘弁してあげる。けど、料理対決には私が絶対勝つんだから!十日後まで尻洗って待ってな!あと勉強頑張りなさいよ!」
ウォッシュレットかよ。
そこは首だ。
最後のセリフにちょっとだけ優しさがあるのは、パーラの根っこの部分のいい子が出ちゃったんだろうな。
悪い奴じゃないんだよ、こいつも。
「…洗うのは普通首よ。言っとくけどパーラ、アンディに助言貰うのは無しよ。それだとこっちが不利なんだから。パーラも、アミズ教授の手伝いしっかりやりなさいよ」
こうしてちゃんとした返しが出来て、これでエリーの方が年下というのだから、それを自覚してパーラもしっかりするように祈るのみだ。
それにしても、俺のアドバイス禁止とエリーが言ったのは、確かに大事なことだ。
アミズは言及していなかったが、恐らく勝敗を決める審査員は俺になると思う。
その俺がどちらかにアドバイスをしては、公平性に欠ける。
出来上がる料理が予想できないという楽しみのためにも、エリーの言うことには納得を覚えた。
それらを捨て台詞にしたのか、エリー達は校舎へ、パーラとアミズは研究室の方へそれぞれ歩いていく。
俺の方はというと、山へ芝刈りに行くわけにもいかず、パーラ達に続いて研究室へと一緒に向かう。
予定にはなかったが、俺はアミズに一言言わなくてはならない。
勝手に賞品とされたことについての文句をだ。
その時に何も言わない俺もよくなかったが、それはあくまでも場の空気を読んでのこと。
決まったことは仕方ないとしても、色々と話を進めたアミズには文句を言われる覚悟もあることだろう。
とはいえ、料理勝負は意外といい案なのは事実なので、小言程度に抑えようとも思う。
研究室の裏手で起きていた騒ぎが収まったことで、作業に集中できると足取りも軽くなっているアミズに、気合が入った様子のパーラという組み合わせに、どう言葉をかけるべきか、この短い移動の間に考えたい。
神に祈ったことなどないが、この瞬間、賢者を遣り込める舌が俺に宿ることを切に願う。
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