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この橋渡るべからず

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SIDE:シペア


ジネアの町に年に一度の祭りの時が訪れた。
速さ自慢達が集まり、その中で最速を決めるレースに多くの人が熱狂するこの祭りはジネアの町にとっては非常に大事な催し物となっている。
早朝から続々と名馬が町に入ってきて、俺が雇われる形になっている厩にもどんどん馬が並ばされていく。
それを見つつ、胸の内によぎるのはこれ以上の名馬を揃えることが出来そうにない時点で俺がレースに出場したところでろくな結果にはならなかっただろうという一種の安堵感だ。

馬の世話をしつつ、アンディが来るのを待っていると、今一番合いたくない奴がこちらへと向かってくるのに気づいてしまった。
痩せぎすの体格にギラついた眼が目立ち、着ている服も上等な布をふんだんに使っているのになぜか下品に見えるのは来ている本人の気質ゆえだろうか。
俺の前に立つとそいつの人を苛立たせる話し方そのままに声をかけてきた。

「よぉうシペアぁ。お前、こんなところにいるってことは、結局レースには出ないってことなのか?残念だったなぁ。せっかく親父さんのものが全部返ってくるいい機会だったのによぉ。くっくっくっくっ」
「ザルモスっ…さん。いえ、レースには代理の人が出ますので、問題ありません」
内心の煮え立つような怒りの感情をなるべく表に出さないようにしながら、冷静に答えを返すとザルモスは意外そうに肩をすくめていた。

「へぇ…、代理のねぇ。お前が誰に頼もうが自由だが、大丈夫かよ?生半可な奴じゃ馬の尻を見るだけで終わっちまうぜ」
正直アンディがどれだけやれるのかわからないが、それでも他に頼める人がいない以上はアンディにすべて任せるしかない。
「まあ賭けは賭けだ。どんな結果になろうと約束は守ろうなぁ、お互いによ?」
何も言い返せずに俯いている俺の姿に満足したのか、笑い声をあげながらザルモスが去っていった。

今回の賭けには俺の負けの場合に課せられる負債として、奴隷落ちが決まる。
この国では奴隷は身の安全の保証はされているが、それでも最底辺と言っていい扱いを受けるのには変わりない。
なぜザルモスが俺をそこまでして奴隷にしたいのかはわからない。
今の状況でも十分奴隷とたいして変わらない扱いを受けていると思っている。
だが、賭けに勝てば俺は自由になれる。
そうなればあんな奴の言いなりになってこき使われることも無い。
絶対に優勝を手にしてやると、改めて心に硬く誓い直す。

「ふーん、今のがザルモスって奴か。想像通りの嫌な奴だな」
突然俺の後ろから声を掛けられる。
一瞬飛び上がるほど驚いたが、聞き覚えのある声であったためすぐに声の主に答えを返した。
「うわっ!と、アンディか…。びっくりするからいきなり声―あれ?」
すぐ後ろから声がしたので振り向いたのだが、そこにはアンディの姿がない。
確かに声が聞こえたと思っていたのだけど…。

「おっと、すまんすまん。今出るから」
そう言って厩の脇にあったボロボロの木箱の下から人の下半身が生えて、こちらへと歩いて来た。
「おわぁぁぁっ!ななんだ、こいつ!?箱が歩いてっ!?」
「驚かせて―「ひっ喋った!?」…まあ落ち着け」
脚の生えた箱という訳の分からない生物の登場に、俺は一瞬で恐慌状態に陥って情けないことに腰が抜けてしまい、地面にへたり込んでしまった。

その間に俺の前に立った脚の生えた箱に訳の分からない恐怖を覚えていた所に、再びアンディの声がかかった。
「いや、だから俺だって。ほら、箱被ってただけだから」
スポっと箱を脱いで全身を現したのは確かにアンディだった。
何が起きたのか理解できず、呆気にとられていた俺は、復帰するのに暫くの時間がかかってしまった。


SIDE:OUT





「大体なんで箱なんて被ってたんだよ。わけわかんねーぞ?」
すっかり元のテンションに戻ったシペアにちょっとした説教を受けて俺の行動について説明を求められた。
「本当は普通に話しかけようと思ったんだが、なんか知らない奴が近付いて来たから様子見も兼ねて隠れて話を聞こうと思ってな。んで、話が終わったみたいだったから声をかけてみたんだ。まあ、かなり驚かせちまったみたいだけど」
シペアの下を訪れてみるとザルモスがいたので、為人を知るためにもわざわざ箱を探してまでこっそり近付いて話を聞いたのだが、まあ予想通りと言える程度の展開だったため、出るタイミングを逃してしまい、あんな登場となってしまったわけだ。

「だからって箱を使って隠れるか?普通」
「箱が一番背景に溶け込みやすいんだよ。どこにでもあるからな。機会があったら試してみるといい」
そうそうそんな機会があるとは思えんがな。

レースまでまだ若干の時間があるため、シペアにせがまれて俺の相棒を見せることになった。
シペアには詳細を話していないため、恐らく俺が馬を持っているという風に受け取られているんだろう。
わざわざ馬ではなくバイクで出場するという説明が面倒なので直接見せようと思っていたので、さぞや驚くだろう。
その光景を想像するだけで顔がニヤけてきてしまう。

「なあ、アンディ。こっちって宿の裏手だろ?こんなとこに馬なんていんのかよ」
疑わし気な声で俺の後ろから話しかけるが、実際その疑問は正しい。
こんなところに馬を停められる筈はないからな。
「いや、ここに馬はいない」
「はあ!?レースに出るのに馬がいないって、どうすんだよ!?」
シペアの叫ぶ声に応えず歩き続け、バイクの前にたどり着く。

「馬はいないが走る魔道具はある。こいつだ」
バイクに跨ってエンジンキーを捻り起動させると、独特の低音が響く。
その場で前輪にブレーキを掛けたままでアクセルを回すと後輪だけが回転し、後方へと砂を巻き上げる光景にシペアが驚いて飛び下がった。
「なんだこれ…、生きてんのか?いや、でもそんな感じしないし…」
初めて見るバイクにおっかなびっくりといった様子で近づいてきて触り始めた。
そこからシペアにバイクの事を説明し、いまいち理解と信用を得られなかったがそれでもなんとか納得してもらってレースへと臨む。



レースの出発は町の中心部にある広場から始まる。
そこから南門を通って外へ出て、指定されたチェックポイントを通過して一番早く戻って来たものが勝者となる。
このチェックポイントには通過を判定する人員が配置されており、各馬に着けられたゼッケンの記号で見分けられる。

「アンディ!今登録してきた。これを自分の体と馬体に結び付けろってさ」
シペアから渡されたゼッケンには見たことのない記号が記されており、恐らく見分ける際に独自の工夫によりスピードが出ている中でも気づきやすい形になっていったのだろう。
俺のゼッケンの記号はアルファベットのFを崩している感じだ。
早速自身の体とバイクのタンク部分に結び付ける。

今回のレースは過去にないほど人が集まったらしく、出発の時点での並び順の抽選から始まったため、今広場ではゼッケンの記号の呼び出しが行われて整列作業が行われている。
やはり参加者はほぼ全員が馬に乗っているのだが、たまにお祭り騒ぎに乗じた参加目的なのだろうと思われるロバに乗っている人もいる。
大概そういう人は目立つ格好をして祭りの賑やかしに一役買っているだけだった。

しかし、その中で一際目立つ存在がいる。
周りに並ぶ馬より一段高い場所に鞍が据えられている生き物で、見た目はダチョウに似ている。
「シペア、あの鳥の化け物みたいなのはなんだ?」
とりあえず知っているかはともかく、シペア以外に情報の仕入れ先を持たない俺はそう尋ねるほかない。
「…ああ、あれはガイトゥナって鳥だよ。この辺りだと見かけないけど、ずっと南の荒野なんかにはまだ生息してるんじゃないかな」
意外と博識なシペアの説明によると、ガイトゥナは元々南方に広く生息する鳥で、昔は騎乗動物としては結構ポピュラーな種類だったのだが、最近はめっきり数が減ってしまってこうして目にするのはシペア自身も久しぶりらしい。

足の速さは普通の馬より多少早い位だが、地形の変化による乗り手の負担が少なく、レースには向いているそうだ。
その最大の特徴は加速力にあり、数歩でトップスピードにまで到達できる能力は他の動物にはない利点だろう。
反面、ガイトゥナは個体差が大きく、足の速い個体を探すのが大変で、しかも非常に臆病な性格なため、人に慣らすまでの手間のかかり方が馬の比ではないそうだ。

「けど、それを克服できれば馬よりもずっと優位に立てるから、今回のレースでは優勝候補筆頭と考えた方がいいな」
シペアの長い説明を俺の言葉で締めくくり、ガイトゥナを頭の中の要チェックリストの最上位に上らせておく。
「そうだな。…アンディ、係員が呼んでるよ」
係員が俺の名前を呼んでいるので、その指示に従って振り分けられた場所にバイクを手で押しながら進む。

見学している人達と参加者の何人かは俺に嘲笑を送ってくるのだが、その人たちは恐らくバイクの動いているところを見ていなかった人たちだろう。
一応ジネアの町に入ってしばらくはバイクで走ってたから動いているところを見ている人は少なくないはずで、実際に参加者の何人かは険しい顔で俺とバイクを睨んでいる。
未知の乗り物に脅威度を測りあぐねているが、油断だけはしないようにとの心構えだろう。

「おいおい!なんだありゃ!ガキがガラクタに跨って参加してんのかよ!!シペア!頼る相手を間違えたんじゃないか?ぎゃはははははは!」
一際大声で罵る人物に目を向けると、なんとその声の主は先程シペアを煽りに来ていたザルモスではないか。
まさか今回の依頼の元凶がこんな典型的な小悪党だとは、実にいいじゃないか。
吠え面をかかせるのが楽しみで仕方ない。
その声に同意した人が乗っかり、悪態の声がどんどんデカくなっていく。
多分この声の殆どはザルモスの息のかかった奴らだろう。

少し離れた所で人混みに交じって観覧していたシペアは初めて晒される悪意ある言葉の嵐に面食らってしまっているようで、自分に向けられた言葉であるかのように硬い顔をしていた。
人というのは自分との関係が希薄な相手にはとことん冷酷になれる生き物で、このブーイングも本来はシペアに送られるはずだったのだろうが、多少なりとも見知ったシペアにぶつけるよりも、全く知らない他人の俺に対するものの方がきつくなるのも当然のことだろう。

俺としてはこういう連中の度肝を抜いてやるのが楽しみであるため、むしろこの程度の罵倒はご馳走の前の前菜と言った感じなので、シペアには笑顔で頷いてやる。
それを見て安心したのか、シペアも幾分か笑顔になって頷き返してきた。

参加者全員が並び終わり、とうとうレース開始の時が来た。
町の鐘楼の鐘が鳴ったらスタートの合図だ。
辺りに漂う雰囲気はかなり緊張感の含んだものになり、今にも走り出そうとする馬を御するのに手を焼いている。

―ゴーン…ゴーン…ゴーン…―

やがて待ち望んでいた音が鳴り響くと、広場に詰め込まれる形になっていた馬達は一斉に大通りを駆けていった。
当然のことながら最前列に付いていた馬の方が有利なのだが、速さの優劣はやはり出てくるもので、門を出るころには先頭グループとそれを追う集団という構図が出来上がっていた。

観客の声援に送られて遠ざかっていく集団を一緒になって見送っていると、シペアが俺の所に駆け寄ってきた。
「アンディどうしたんだよ!?もう皆先に行っちゃってるぞ!早く追いかけないと!」
自分の将来がかかっているだけに焦る気持ちが前面に出ているシペアに俺は首を振って諭す。
「まあもう少し待て。今はまとまって走ってるから接触の恐れがある。少し時間をおいてからでも十分追いつけるから、安全をとりたい」
その説明に理解はできるが納得は出来ないといった様子で、未だ焦りが抜けずジタバタと体を動かしているシペアにザルモスの野次が飛んできた。

「はっはー!やっぱりガラクタじゃあ走れねーよなぁ?おい、シペア。賭けは賭けだぞ。お前が―」
丁度俺の後ろに立ったザルモスに意趣返しもかねて、アクセルを思いっきり開けて僅かに発進する。
後輪が高速回転して砂埃が一気に後方へと掻き出される形でザルモスに襲い掛かり、その耳障りな声をかき消すことに成功した。
「頃合いだ。行ってくる」
それだけを言い残して全開で発進する。
去り際に見たシペアの顔はポカンとしたもので、自分の予想をはるかに超えるバイクのスピードに驚きの極みといった感じか。

町の門を抜ける際に、昨日会った門番がこちらを指さして何か叫んでいたが、残念ながら速度差がありすぎて何を言っているのかわからなかったため、とりあえず後方へ向かって手を振って挨拶だけしておいた。
しばらく進むと右手に大きな川が見えるようになってきて、一旦道の脇にバイクを停める。

先頭集団はもう見えないほど離されているが、大体の進行方向は予想できる。
参加者に配られる各チェックポイントが記された地図を見ながら、馬の通りやすい道を探す。
この手のレースではスピードはもちろんのこと、馬の負担を減らして長い距離を走らすのが大事なため、ルート選びに慎重にならざるを得ないはずだ。

そんなわけで、他の参加者のルートに当たりを付けた俺は、彼らとは別に最短距離を目指す。
俺が他の参加者に比べて圧倒的なアドバンテージを持っているものが2つある。
一つは当然バイクによる疲れることなく高速で移動できる手段だ。
これが普通の馬ならペース配分に気を配る必要があるため、常に全力で走り続けることは出来ない。
バイク一つだけで俺は他の参加者よりもずっと優位に立てていることになる。

そしてもう一つは俺が魔術を使えるということだ。
レースの参加者で俺の他に魔術師がいるかどうかはわからないが、馬が走っていった方向から考えるに、全員が一度川に沿って南に向かい、浅くなる所を見つけて渡河するという方法をとるはずだ。
この川は幅と深さが意外とあるため、かなり南に向かわなければ安全に渡れない。
もちろん普段は対岸とは橋を使った往来があるのだが、このレース中に限っては橋を封鎖して通れなくしている。

封鎖された橋を使ってはいけないのは事前に説明されているのだが、作ってはいけないとは聞いていない。
一応シペアに頼んで確認してもらったが、封鎖された橋を渡らなければどんな方法で川を越えても構わないそうだ。
なら俺が土魔術で橋を作って渡るのも許されるに違いない。
早速川べりに近づき、地面に手をついて魔力を操作して橋をイメージしていく。

作るのは簡易的なもので十分なので、30メートルほどの川幅に大体10メートルずつの間隔で石柱を3本生やし、その上に乗る形で帯状に土を固めた物を対岸へ伸ばす様に渡すとバイクに跨り一旦距離をとる。
かなり魔力を使って強度を高めたとはいえ、バイクの重さに耐えられない場合を想定して一気に駆け抜けることにした。
前輪にブレーキを利かせながらアクセルを思いっきり回し、後輪だけを空転させる。
充分な回転が得られたところでブレーキレバーを開放すると、前輪を持ち上げる勢いで高速で前進していった。

前輪が浮いたままでは車体の制御が利きづらいので、前側に体重をかけて抑え込むようにして前輪を接地させる。
ギャリっとした感触が帰ってきたハンドルを操作して先程作った橋へと車体の向きを調整する。
周りの景色が溶けるように後ろへと流れていくのを感じながら橋へと辿り付き、ややアーチ構造で作られたため若干の減速が発生するがそれでも十分な加速の付いたバイクは猛烈な勢いで駆け抜けていく。

即席とはいえ大半の魔力をつぎ込んで作っただけにすぐには壊れないとは思っていたのだが、実際走っている板面はともかく、それ以外が問題だった。
橋を支える石柱の中で、一番対岸に近いものが、走っている先で水の流れに負けて徐々に傾き始めた。
やはり土魔術の発動ポイントから遠かったのがまずかったようで、板面を引きずりながら石柱が流されていく。
ギリギリ走り抜けられるかどうかのタイミングであったため、プランBに切り替える。
プランBといっても即興のアドリブのことだが。

橋の板面に土魔術で干渉して、下り坂の途中の一部を跳ね上げる形に作り直していく。
丁度バイクもアーチの頂点を通り過ぎた所で、そのまま滑り落ちるように走り続け、ジャンプ台を使って対岸への跳躍に移った。
充分な勢いと角度のおかげでスキージャンプさながらに飛び出したバイクは対岸へと向けて飛び続ける。
眼下には流されていく石柱に連鎖的に崩されていく橋が見え、まさに間一髪の状況だったことに冷や汗が浮かぶ。

落下の衝撃を警戒していたが、流石は王都随一の魔道具職人が手掛けた作品だけあってサスペンションの効果が実によく発揮され、2度ほどバウンドするも、想像よりずっと安全な着地となった。
バイクを停め後ろを振り返ると、ついさっき渡ってきた橋の崩落というショッキングな映像に、我ながら相当無茶をしたものだと今になって恐ろしくなってきている。

だがこれで大幅なショートカットが出来たのだ。
恐らく最初のチェックポイントに一番乗りで辿り付けるだろう。
地図を確認し目的地へと向けてバイクを走らせた。
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