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慰めのマンドリン

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 傭兵達が馬と共に戻ってきたところで、俺達は森を出るべく移動を開始した。
 歩くのが辛いレベルの怪我人は馬に乗せ、それ以外は徒歩となったが、酷い目に遭ったせいか歩くスピードはそれなりに早くなっている。

 ここまでの道すがらに聞いたのだが、ドリュー達も森の中には簡単な偵察程度で踏み入れたそうで、斥候職がいない構成上、数で標的の痕跡を探すという選択をしたわけだが、その最中に突然現れたオークに最後尾を歩いていた人間がやられ、退路を断たれた状態で追い立てられて森の奥へと進んでしまったらしい。

 実は俺達が助太刀に入る直前には、パーティメンバーの半分が怪我を負い、オークとの戦いも有利に運べず、いよいよ刺し違えてでもメンバーを逃そうとドリューは考えていたほどだったとか。
 つまり、俺達が割って入ったあのタイミングは、本当にギリギリだったといえるわけだ。
 ドリュー達も、オークに襲われたのは不運だが、こうして生きているのだから運はそう悪くなかったとも言えなくもない。

 途中、俺達が見つけたドリューの仲間の遺体も回収し、森を抜けた頃にはすっかり陽は落ちており、辺りは月明かりのみが頼りという有様だ。
 今のドリュー達では夜の移動も危険と判断し、当初の予定通り、森から少し離れた場所で野営をすることとなった。

 その際、停めてあった飛空艇にも驚かれたが、それ以上に土魔術で家を作ったことにはさらに驚かれてしまった。
 怪我人を抱えた彼らに、安全な寝床として提供するために作ったもので、そう説明すると喜ばれたが、ドリューだけは微妙な顔で礼を言ってきた。

 何故そんなリアクションなのかと尋ねると、ただでさえオークから助けてもらった恩があるのに、ここまで立派な寝床を用意してもらったのが申し訳ないと、意外と繊細なことを口にする。

 そうは言うが、俺もまったくの見返りを求めないわけでもない。
 狼に関することで情報を得るための対価とでも思ってくれればいい。
 それに、怪我人をテントという心許ないもので休ませるのも不憫に思ってのことでもある。





 土魔術で作った家に入り、銘々に食事を済ませてるとようやく落ち着くことが出来、他の傭兵達が怪我人の様子を見たり、雑談をしたりで過ごしている中、俺とパーラはドリューとテーブルを挟んで向き合って座っている。

「いやぁ、土魔術ってのがここまでやれるもんだと思わなかったよ。アンディって言ったっけ?あんた大した魔術師だよ」

 そうしていると、まずドリューが口を開いてそう言う。
 狼に関する話をしようと思っていたが、雑談から入るのもいいかと思い、それに乗ることにした。

 彼女自身、まだ若いほうではあるが、それよりも若い俺とパーラがここまでに見せてきた魔術の腕には感心したようだ。

「まぁ変わった土魔術の運用をするとはよく言われてたし、普通じゃないのは自覚してますよ」

「なんだい、随分控えめな物言いだね。ウチもそれほど知ってるわけじゃないが、少なくとも見たことのある土魔術だと、精々穴を掘るか壁一枚を作るぐらいだったけどね」

「そうですかね。最近は結構土魔術も家とか陣地を作るのに利用されてるって話ですよ」

 この世界全体の魔術師がそうなっているかは分からないが、少し前にイアソー山の麓では、応用的な土魔術を使う人間の姿を何度か見ている。
 聞けばディケットの方では、土魔術を使った家づくりを研究している者もいるそうで、新発想で生み出された技術がペルケティアの魔術師には徐々に広がっているらしい。

「そりゃ本当かい?はー、ウチの知らない間に世の中も動いてるもんだねぇ」

 傭兵として活動しているとそういうのに疎いのか、天を仰ぐようにして嘆息するドリューの姿はどこか寂しそうではある。
 流行とは違うが、世の流れに置いていかれているような感覚でも覚えているのかもしれない。

「ところでドリューさん。そろそろあの森の中で手に入れた情報なんかを教えてもらいたいんですが」

 世間話的なものはこの辺にして、本題に移らせてもらう。
 元々そのつもりで寝床も提供したわけだしな。

「情報ったって、特段なにか掴んだわけじゃない。例の巨大狼の痕跡を探すつもりで森に入ってすぐ、オークに襲われたしね。姿どころか、足跡一つ見つけちゃいないよ」

 そうだろうな。
 どうも聞く限りでは、偵察に入ったはいいが碌な収穫も手に出来ずにオークとの戦闘に突入したらしいし。

「むしろ、追跡術の心得があるパーラの方が、ウチらより分かってることは多いんじゃないのかい?…あぁ、けどちょっと気になることはあったね」

 ふと何かを思い出したのか、ドリューは視線を彷徨わせるようにしてそんなことを口にした。
 彼女らは追跡術に秀でた集団ではないが、そこそこに経験を積んだ傭兵集団であるらしく、その勘から何かを掴んだのかもしれない。

「と言うと?」

「あのオークだよ。いきなり藪から襲い掛かってきたんだけど、どうも余裕のない遭遇だったんじゃないかね。勿論、気のせいかもしれないけど、あの時の姿はどうも何かに追い立てられながらウチらと顔を合わせちまって、戦いに突入したって感じさ」

「それは確かに変ですね。あの森にオークを追い立てるほど強い存在がいるとは…いや、まさかあの狼が?」

「さて、どうだかね。けど、少なくともオークより強い何かが、あそこの森にはいたんじゃないかってウチは睨んでるよ。それが例の狼なのかそれ以外なのか」

 オークは魔物としては大分強い部類に入る。
 上を見ればきりはないが、ごく普通の森と言えるさっきの規模の森程度なら、他にオークを害する存在はいるように思えない。

 同種で争ったということも考えられるが、それならドリュー達は逃げるオークを追ってくるもう一匹を含めた、二匹との戦いになっていたはず。

 だが実際は一匹だけとなれば、やはり未知の脅威として考えられる件の巨大狼がオークを追い立てたという考えに行きつくのはそうおかしいものではない。

 あの時、目が合っただけで感じた生物としての圧倒的な存在感を思えば、オーク程度なら立ち向かう気が起きなくなるのも納得できるしな。

「あ、そう言えばさ、私ら森の中で妖精の梯子を見つけたんだけど、ここに妖精がいるって噂とかドリューさん聞いてない?」

「妖精の梯子って、あの蔦が妖精の仕業で形が変わるってやつ?そんなのあったのかねぇ?」

 パーラの言葉に首を傾げるドリューの様子から、どうやら俺達が見つけたあの妖精の梯子を、ドリュー達は見つけていないようだ。
 まぁ俺達が見つけたのもよっぽど運がよかったというレベルなので、オークに襲われたドリュー達が見落としていても仕方ないだろう。

「ウチはそんなのは見てないし、この辺りで妖精どうこうって話は聞かないね。まぁ元々ウチらはここを活動の中心にしてないし、聞いてないだけかもしれないけど」

「そっかぁ」

 残念そうなパーラだが、元々大きく期待していたわけでもないので落ち込む様子はない。
 妖精のことに関しては、ドリュー達が知っていれば儲けもの程度だった。

 やはりこの手の話は、その土地に暮らす人間から聞くのが一番か。
 当初考えていたように、タミン村に戻って知っていそうな人を探すしかないな。

「ドリューさん達はこの後どうするつもりで?受けた依頼通り、狼退治にまた森に入りますか?」

 ふと話が途切れたタイミングで、気になっていたことを尋ねる。
 ドリュー達の今の状況を考えると、狼退治を続行するのは無謀と言わざるを得ない。
 人員の半分は怪我を負い、追跡術を身に着けている人材もいないようだし、この状態で森に入るのはいかがなものか。

 おまけに、狙うのは見ただけでヤバさが分かるほどのあの狼だ。
 敵対して生き残れるとは到底思えない。

「いや、流石にここまでの被害を負っちまったら、ノコノコと森に入る勇気は持てやしないよ。タミン村の村長には悪いが、一時撤退とさせてもらう」

 それが聞けてまずは一安心だ。
 別に仲がいい相手というわけではないが、ここまで世話をしてあっさり死なれたのでは虚しい。
 できればその口から森に入るということは言いだして欲しくなかったのだ。

「そうですか。俺もそうした方がいいと思います」

 ホッと安堵するとともに、ドリューの決定にも支持を示す。
 ドリュー達も、それなりの報酬を得るとはいえ、村人のためを思って依頼を受けたのは事実であり、狼退治に臨みすらしない段階で撤退することには思うところもあるはず。
 やむを得ないとは分かった上で、覚えたであろう罪悪感や無念さがいくらかでも和らいでほしいものだ。

 ただ、ドリューが口にした言葉は一時撤退なので、仲間の怪我が治ったらまた狼退治には臨むと思っていいだろう。
 それがいつになるかは分からないが、一先ず狼退治は棚上げということになる。

 その間に、俺達はあの狼と妖精についての調査を進めたい。
 あくまでも俺の勘だが、狼と妖精には何かしらの関連があるのではないかと睨んでいる。

 妖精がいた痕跡に、オークを追い立てるが倒そうとはしない姿勢、とどめに生物としての格の違いを思い知らせる圧倒的な存在感。
 人間を積極的に襲わない時点で魔物ではないと思うが、そうなるとあのレベルの存在となれば精霊ぐらいしか俺には想像できない。

 超常の存在という点では、妖精も精霊も魔物や人間と比べれば群を抜いて格上であるため、全くの無関係だと切り捨てるにはあまりにも惜しい。

 まだ漠然としたものにすぎないが、この森における妖精に関する何かを知ることで、例の狼についても分かるのではないかということを考え始めた俺がいる。

 正直、近くの森にあのレベルの強さを持つ狼がいる時点で、タミン村の住民は村を捨てでも逃げたほうがいいと思うのだが、もし仮に、あの狼が妖精と近しい存在だとしたら、上手く事が運べば共存の目はまだある。
 可能性は決して高くはないが、あれと敵対するよりはそちらの方がいくらかましだろう。

「ここを離れるなら、飛空艇で村まで送りたいところなんですが…」

「仕方ないさ。馬が乗りたがらないんだから。まさかこんなところに置いてくわけにもいかないだろうし」

 怪我人のことを考え、ドリュー達を飛空艇でタミン村までひとっ飛びで送ってやりたかったところだが、試しにと馬を飛空艇へ乗せようとしたが、車体の方はともかく、馬が飛空艇の貨物室に入りたがらなかった。
 以前、ネイの馬がそうだったように、どうも馬は飛空艇に乗ることを本能的に嫌がる習性でもあるようだ。

 そんなわけで、夜が明けてからドリュー達は馬車でタミン村まで戻ることを決めていた。
 せめて怪我人だけでも村まで連れて行こうかと申し出てみたが、そこまで世話にはなれないとやんわり断られた。
 まぁ本格的にヤバい容体の人間はいないし、そうしたいというのならそれがいいだろう。

「…なんだか騒がしいね。こいつはマンドリンかい?それに歌も」

 誰かが扉を閉め忘れていたのか、奥の方にある部屋から聞こえてきた、マンドリンの音色に混ざる女性の歌声にドリューが気付いた。

「あぁ、さっきお仲間の一人に貸しましたから、それでしょう」

 実はドリューとの話し合いをする少し前、貨物室でマンドリンに荷物をぶつけてしまい、それで鳴った音を聞きつけ、貸して欲しいと言いだしてきた人がいた。
 その人は楽器の心得があったようで、マンドリンを貸すと何人かで奥の部屋に向かった。

 向かった場所は馬車から降ろした荷物を置いてあるスペースで、そこならある程度の音が響いても怪我人の所までは和らぐはずだ。

 聞こえてくる曲は耳馴染みのない物だが、弾きなれているのかマンドリンの音色はよどみもなく、中々いい曲だ。
 演奏と詩の読み上げを交互に行う吟遊詩人のようなスタイルだが、どこかバラード寄りなその感じは、ペルケティアで好まれるものなのだろう。
 だからこうして手慣れた演奏がされているわけだし。

「上手いもんだね。初めて聞く曲だけど、私これ好きだなぁ」

 パーラも気に入ったようで、穏やかな顔で耳を傾けている。

「確かにいい曲だな。ドリューさん、俺達も聞きに行きませんか?」

「そうだね。…いや、やっぱりあいつらをこっちに呼ぼう。どうせなら、怪我してる奴らにも聞かせてやろうじゃあないか」

「いいんですか?休んでたら迷惑になりませんかね?」

「それぐらい大丈夫だよ。今ぐらいはどいつも起きてる頃だし、見張り番も無いってんでどうせ退屈してるはずさ」

 体感の時間的にはまだ夜の7時といったところだが、この世界の人間、特に冒険者や傭兵と言った人種は宿以外で眠る時は、見張りや火の番などでもう少し遅くまで起きているものだ。
 怪我人は早く眠るに限るが、人間、身に着いた習慣というのはそうそう変えられるものではないため、寝る前に少しリラックスする時間を過ごすのは必要かもしれない。

 ドリューと共に音の出ている方へ向かうと、そこでは男女4人が輪になって音楽を楽しんでいる姿があった。
 その中の一人、茶髪のドレッドを後頭部で纏めている女性がマンドリンを手にして歌っており、彼女がこの音楽を生み出しているのだとすぐに分かる。

「邪魔するよ」

「―♪…あら、姉御。話はもういいの?」

 歌っている最中だろうと気にせずに声を掛けたドリューに、ドレッドヘアの女性が答えた。
 他の三人はドリューの姿を見て居住まいを正したのに対し、彼女だけは変わらずにマンドリンを弄りながらの態度には、他と比べて親しい間柄を想像させる。

「ああ、一先ずはね。それより、やっぱりあんただったか、ツィラ。久しぶりに楽器を手に出来て嬉しかったかい?」

「あはっ、まぁね。いやぁ、旅先じゃあ無きゃ無いで我慢は出来たけど、あると思ったら触りたくなっちゃうもんよ」

 ツィラと呼ばれたドレッドの彼女は、少しバツが悪そうに言いつつ、弦を爪弾く様子は楽しげなものだ。
 恐らく、普段は楽器に触れていることも多いが、今回のように仕事で出張る先にまで持ち出すことはしない質なのだろう。
 そんな彼女が俺のマンドリンを手に出来たことは、こうして仲間を集めて小さな演奏会を開く程度には嬉しいことのようだ。

「そうかい。じゃあせっかくだし、他の連中にもその演奏を聴かせてやんな。ここには怪我人と暇人、どっちもいるんだ。あんたも聞かせがいはあるだろ」

「え、でも怪我してるんだし、大人しく寝かせてあげといた方がよくない?」

「そりゃそうだけどね、連中も怪我はそう酷くないし、どうせまだ起きてるよ。ならあんたの歌でも聞かせてやったら、後で眠りにもつきやすいだろうよ」

「…それもそうだね。わかったよ、じゃあ場所を変えようか」

 ツィラと共に場所を移り、一番大きい部屋へと行くと、そこでは横になっている人間が多く見られ、その人達がツィラの姿を見るや否や、次々と身を起こしていく光景には、ドリューと共にツィラもまた、この傭兵達の間では扱いが違うのが分かる。

 彼らもまだ眠りには遠い状態だったようで、暇潰しに演奏でもとなった途端、敷き布を片付けてちょっとしたスペースが作られた。
 そこからは早いもので、ツィラを中心として円座に集まり、彼女のミニコンサートが開催されることとなった。

 俺とパーラもそこに加わり、ペルケティアでよく知られている曲を聞くことは出来たが、讃美歌に通じるようなものが多いのにはお国柄を感じられて面白い。

 かなり夜遅くまで演奏会は続き、途中で俺とパーラも演奏を披露したことでも盛り上がりを見せ、結局翌日の昼前まで全員が寝過ごすという事態を引き起こしたのは、音楽の持つ魔性のせいだと言い訳させていただこう。



「ぼへぇえあああー…っふ」

 昨夜の楽しかった時間の余韻を覚えつつ、寝坊した罪悪感もまた覚えながら外に出ると、昼前の太陽に照らされて欠伸が堪えきれずにもれだした。
 若干寝不足気味ではあるが、ダルさとは別に充実感も覚えているのは、昨日のミニコンサートがいかに精神的な充足を齎したかといういい証拠になる。

「はははっ、大きな欠伸だこと。その内炎でも吐きそうだ」

 少しだけボーっとしていると、横合いから笑い声が上がる。
 声の場所に顔を向けると、いつからそこにいたのか、木箱に腰かけてマンドリンを手にしたツィラの姿があった。

「おや、ツィラさんじゃあないですか。おはようございます。早いですね」

「うん、おはよう。早いってことはないんじゃない?もう大分陽も高い。君や他の連中が遅いのよ」

「仰る通りで」

 ツィラの言うことは全くもってその通りだ。
 昨夜のことがあったとはいえ、同じくらい遅くまで騒いでいたはずのツィラがこうして先に起きていたのだし、寝坊が仕方ないというのは言い訳だろう。

「いやぁ、昨夜は盛り上がったねぇアンディ君。私も久しぶりに思いっきり楽器が弾けて満足だ。君達も珍しい曲を披露してくれたし、中々楽しかったよ」

 弦を撫でるように一鳴らしし、遠くを見る目をしながらツィラがそう口にする。
 ここまでの旅や森での出来事などで色々と溜まっていたものが解消できたのか、昨夜見た時よりもすっきりとした顔だ。

「喜んでいただけたようで、俺も嬉しいですよ」

「どうだい、アンディ君。他の連中が起きてくる前に、一曲。昨夜はパーラちゃんが歌ってたけど、君も歌の方はいける口だろ?」

 何を基準にそう思ったのか、俺も自分を音痴だとは思っていないが、歌に自信があるというわけでもない。
 人並みだと自覚している。
 だから、どうせなら今しか聞けないツィラの歌をお願いしたい。

「いやいや、俺なんかとても。それよりも、ツィラさんが歌うのを聞きたいですね」

「お、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。んなら一曲やろうか。何か聞きたい曲はある?」

「じゃあ『月夜に踊る花』を」

 リクエストを聞かれたので、昨夜聞いた中で一番気に入った曲を挙げる。

「んーわかってるねぇ」

 ツィラもお気に入りなのか、その曲を演奏することが嬉しいというのが顔に出ている。
 滑らかに動く指によってマンドリンからは澄んだ音色が生み出され、それに合わせてツィラの読み上げる詩が辺りに響き渡る。

 この曲にはモデルとなった話があるそうで、なんでも大昔、とある夫婦が夜の森で出会った妖精と交流を持ったという物語を、後世の音楽家が曲に作り直し、さらにそこから後世にどこかの吟遊詩人が詩を付けたものだとか。
 昨日、一緒に曲を聞いた傭兵達の一人が教えてくれた。

 そういう背景を考えながら聞くと、この曲もまたほのぼのとして走りたくなる坂である。
 今は夜ではないが、朝に聞くのもまたおつなものだ。

 心地よい音楽に包まれながら、ゆっくりとした穏やかな時間が流れていくのを感じていたが、何気なく視線を森へ向けたところで、俺は心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。

 やや離れてはいるが、森の木々から覗く姿を見間違うわけがない。
 白い巨体を誇るあの狼だ。

 昨日に引き続き、まさかこんな朝っぱらから目にするとは、まさか森をうろつくほどに暇なのか?
 そんなことを考えると同時に、昨日とは明らかに様子が違う事にも気付く。
 目と目が合っているというのに、あの強烈なプレッシャーを感じないのだ。

 むしろ、興味津々と言った感じで俺とツィラを見ているようで、心なしか音楽を楽しんでいるようでもある。
 遠目にも耳が立っていて、時折ピクリと動く様を見ると、本当に歌声に惹かれてやってきたと思えてくる。

 ツィラは歌と演奏に集中して気付いていないが、俺はあの狼がどういう意図であそこにいるのかを完全に謀りかねてはいるので、若干の警戒をしつつ観察を続ける。
 もし何かあったら、ツィラを担いで逃げるつもりだが、寝起きのままだったせいで、今は噴射装置を身に着けていないのが悔やまれる。

「―…ご清聴、ありがとうございまーすっと」

 一曲が終わり、スッキリした顔でそう告げてきたツィラに、一旦森から視線を切って拍手を送る。
 ここまでの間、あの狼は動きを見せずに大人しく演奏を聞いていたため、危険はないと判断していた。

「本当にいい曲ですね。こうなると、元となった話ってのにも興味が出てきますよ」

「あらそう?私のなんかでそう思ってくれると、なんか照れくさいわね。もし機会があったら、ヤゼス教の教会を尋ねてみたらどうかしら。神官には元になった話を知ってる人も多いらしいわよ」

「…そうですね。機会がありましたら」

 今俺が教会に顔を出すのは色々とまずいことになりかねないので、機会が来るとしたらだいぶ先か、厳重な変装を施してになるが、簡単なことではないので悩みどころだ。
 ヤゼス教は多分、アンディという年若い魔術師に暫くは優しくないだろうし。

「ところでツィラさん、演奏中に何か気になったこととかありますか?」

「気になるってなにが?別になんもなかったけど…。あ、もしかして音ずれてたとか?」

「いえいえ、そういうことではないんで」

 どうやらツィラは狼の存在に気付いていないようで、これは演奏に集中していたということもあるが、狼の存在感が薄かったせいでもある。
 最初に遭遇した時も俺目がけて指向性のあるプレッシャーを放っていたが、あれがそのままツィラにも向いていたら今頃はこうして冷静ではいられなかったはずだ。

 やはり演奏の邪魔をしないように配慮して、あそこに佇んでいたという俺の見立てがある程度補強されてくる。

 そう考え、あの狼がいる場所へと視線を戻すと、いつの間にかその姿は無くなっており、あるのは薄暗い木々だけとなっていた。

「アンディ君?どうしたのさ、怖い顔で森の方なんか見て。まさか、何かいるの?」

 ジッと見過ぎていたようで、ツィラも森に何かがあると察し、傍に立てかけていた弓に手を伸ばして警戒の姿を見せた。
 あれだけ穏やかな音楽を奏でておきながら、武器を手にした途端に鋭い顔を見せるのは、流石プロである。

「いや、大丈夫です。少し気になっただけですから」

「…そう?ならいいけど」

 弓を降ろしたツィラはそれでも森の方を見ていることから、よっぽど俺の様子は彼女にそうさせる何かがあったのかもしれない。

 あまりにも突然の遭遇ではあったが、一つ、新たな情報を手に出来たのは僥倖だった。
 あの狼の行動には、知能の高さを思わせるものが見て取れ、さらには音楽に興味津々と言った様子だ。

 ドリュー達が痕跡を見つけられなかったほどに隠密性の高いと思われる狼が、音楽に惹かれてあっさりと姿を見せたのは、この先、あの狼を調べる上での大事な情報となるはずだ。
 音楽好きな超常の存在となれば、ますます妖精との関係性を考えてしまう。

 妖精の梯子、音楽、例の狼と、三つを繋げるには細すぎる線ではあるが、完全に無視することが出来ない何かが俺の頭の中で囁いている気がしてならない。
 たった今あった出来事もまた新しい材料として、狼のことを調べていくべきだろう。

「ふぃぁあー…っとぅ。おはよー。朝からいい曲を聞かせてもらっちゃってまー」

 噛み殺す気もないほどに盛大な欠伸を見せて姿を見せたのは、起きたてホヤホヤと言った感じのパーラだった。
 どうやら眠っていたところにツィラの歌が聞こえて目が覚めたようで、重そうな瞼とは裏腹に、頬が緩んでいるのは気持ちがいい目覚めだったからか。

「…あれ?二人共、なんかあった?」

 こちらへと近付いたパーラが、俺とツィラが妙な雰囲気を醸し出しているのに気付き、訝しむ言葉を吐く。
 たった今何があったのかは俺しか分からず、ツィラも俺の様子に引っ張られただけなので、自然とパーラへ向き直るのに合わせて奇妙な空気は霧散していった。

「いーや、何もないよ。それよりもパーラちゃん、遅いお目覚めだね。他の連中はまだ寝てるの?」

「ううん、ツィラさんの歌で何人かは起きてたよ。今朝食の準備してる」

 そう言われ、自分の空腹具合を思い出す。
 普段ならとっくに朝食を済ませている時間なので、寝坊したのを差し引いてもかなり腹はペコちゃんだ。

「そりゃいいね。じゃあ中に戻って朝食にしようか。アンディ君もパーラちゃんも」

 ツィラも空腹は覚えているようで、急ぎ気味に家の中へと戻っていった。
 俺達もそれに続き、中に入ろうとしたところでパーラを呼び止める。

「パーラ、ちょっと」

「ん、何?」

「落ち着いて聞け。さっきまであそこに、あの狼がいたんだが」

 パーラの耳元へと囁きながら、狼の姿があった木の辺りを指差す。

「はあ!?嘘!こんな近くまで来てたの!?」

「おい、声がでかいって。少し抑えろ」

「ご、ごめん」

 対峙した者として、あの狼が近くまで来たということに対する反応としては妥当なものだが、あまりそう声をでかくされては俺が誤魔化した意味がなくなるので、そう宥めておく。

「でだ、その狼なんだが、どうも音楽に反応するっぽいぞ」

「…本当にー?」

 突飛な風に聞こえたのか、パーラも疑わしさ満点の顔だ。
 まぁ俺自身、確たる証拠があって行っているわけではないが、かなり確度は高いと思っているので、何とかパーラにも信じてもらいたい。

「本当だって。だからそれも込みで、狼のことを聞く相手ができた」

「相手って誰さ」

「色々と判断材料を考えたら、やっぱり妖精に直接聞くのがよさそうだと思ってな」

「妖精…あ!リッカ!」

 音楽好きと予想する超常の存在とみたあの狼のことを聞くなら、同じように音楽好きな超常の存在である妖精が一番だろう。
 幸いにして、妖精とも縁がある俺達だ。
 ここまでの推測だと弱い理由でしかないが、会いに行く価値はあるはず。

 そんなわけで、次に向かうのは、リッカと出会った場所と決めた。
 何か分かればそれでよし、分からなくともそれはそれで構わないという気持ちが大事だ。

 考えが浅いと笑われるか?
 なぁに、天は笑わん。
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