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奇跡は起こらないから奇跡という

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 SIDE:とある黒級の冒険者(20代前半独身男性。娼館通いが過ぎて万年金欠)


 大量に背負った荷物のせいで、肩に激しく食い込んでくる紐の痛みは多少の工夫ではどうしようもなく、もう諦めた。
 雪に足が埋もれて歩きにくいのも面倒なもので、せめてもう少し楽な道を選んでほしいものだ。

 山道では斜面が兎に角きつく、下手をすれば滑落して麓まで死体となっての帰還になりかねない。
 だがこの道が目的地までの距離が一番近いため、ここ以外を選ぶ人間はまずいないし、選ぶ気にもならない。

 呼吸は相変わらず苦しい。
 初めてこの山に登った時は山患いにかかってしまい、全行程の半分ほど来た辺りで体調が悪くなって下山していたのだから、こうして山頂付近まで来れているだけでましな体になったと思いたい。

 俺を含めた20人で組んだ隊列は、山頂を目指した移動を続けて今日で三日が経つ。
 この三日の間は山の天候も安定していたおかげで、足止めされることなく進んでこれたのだが、流石にそろそろ体力的な辛さが目立ってきた。

 本来、麓から山頂までは八日かけて到達するのが通常の登山行程ではあるが、とにかく早く山頂まで物資を運び、すぐに下山して物資を担いでまた山に登るというこの仕事では、移動速度が何よりも優先される。
 危険な道も通るが、日が出ている間、食事と寝る時以外は基本的に移動を続けるため、天候に恵まれさえすれば三日で登頂というのは決して不可能ではない。

 不可能ではないが、かなり無茶であるのは事実で、普通に比べれば疲れもずっと出るし、この仕事をやった奴は一度っきりで離れていくのも多い。
 かく言う俺も、何度かこの仕事をやめて他に移るかを考えたこともある。
 それほどにきつい仕事だ。

 ならなぜ今も続けているのかと言うと、単純に稼ぎがいいからだ。
 以前は一度山に登って下りるまでを一纏めとした稼ぎで、平地でやる荷運びの十倍近い額を手に出来ていた。

 少し前にジップラインというのが出来て、大体山の上り下りで六日間の仕事を一括りとするのが普通となり、日割りで報酬を貰っていた奴の中には稼ぎが減ったと愚痴をこぼすのもいるが、下山が楽で安全にもなったし、俺は今の方がいい。
 もっと稼ぎたいなら、下山してすぐにまた山に入ればいいしな。

 今は迷宮攻略の勢いも増し、山頂への物資輸送の仕事は減るどころか増える一方で、やる気と体力があればいくらでも稼げる。

 俺、ここで暫く稼いでまた娼館通いするんだ…。

「目的地が見えてきたぞー!もう少しで到着だ!全員、焦らず気張れよ!」

『おう!』

 前方から聞こえてきた声に全員がそう返し、視線を上げた先の方で見えている建物の形に、思わず安堵の息が零れた。

 先程の声と全く同じ内容が俺の背後から聞こえてきて、それにまた答える声も上がった。
 20人もの人間が一列で進んでいるせいで、先頭の声は最後尾まで届きにくいため、中間ほどで同じ内容を繰り返すことで通達を行き届かせているのだ。

 それまでの疲労で暗かった雰囲気も、ようやく終わりが見えてきたことで大分明るさを取り戻していた。
 強行軍といって差し支えないこの道程も、三日目となると仲間内はかなりギスギスとした空気にもなっていたが、それも一気に霧散した。

 あそこまで行けば温かい食事と寝床にありつける、そう抱いた希望がこの登山における最大のご褒美ではないかと思えるぐらいだ。
 ついさっきまでは踏み出す足が重かったというのに、今は次の足が軽く、あれほど感じていた疲れも、むしろ心地いいものに思えてしまう。

 まだ日も高いし、あそこに着いたら今日はもうゆっくりできるだろうから、荷物の引き渡しを終えたら、名物の噴火鍋を食べにいくとしよう。
 辛い仕事だが、あれがあるから頑張れるのだ。



「へいおまち!こっち噴火鍋ね!熱いから気を付けて!」

「あんがとさんよい」

 まだ沸騰していると錯覚するほどの派手な湯気を上げる鍋を受け取り、適当なテーブルを探して歩く。
 丁度昼時ということもあって、この山小屋には多くの人間が詰めかけていた。
 ここは他の山小屋と比べて割高だがとにかく食事がうまいため、俺のように荷運びで来た人間や、迷宮攻略者なんかがよく集まる。

 その中で一つだけ空いていた椅子を見つけ、先客に相席の断りを入れて座る。
 改めてテーブルの上に置いた自分の鍋を見ると、真っ赤な色で湯気を立てるそれは、まるで鍛冶小屋の炉をそのまま持ってきたような迫力がある。

 噴火というのは山が爆発する現象のことだそうだが、俺はお目にかかったことが無いため、この鍋がそれを模しているという話は中々面白い。
 何でも、ここの山小屋を最初に作った奴が考案したものだそうで、そうなるとその料理人は噴火を知っていたことになるが、それを料理で表そうとは変わったことを考えるものだ。

 噴火鍋は山小屋で提供しているいくつかの鍋料理の中では屈指の人気を誇る料理で、日替わりの鍋の他に唯一、常時提供されているものだ。
 一見すると激辛料理のような見た目だが、実際は野菜による赤みであって辛さはさほどでもない。
 匂いも爽やかなもので、これだけが毎食になっても、五日は文句がないぐらい気に入ってる。

「なぁあんた、麓から来た人だろ?」

 早速食べ進めていると、目の前に座っている男がそう声を掛けてきた。
 見るとそこそこの年齢の冒険者のようで、装備の消耗具合から迷宮攻略に長いこと挑んでいるのだろうと推測できた。

「ああ、そうだが」

「だったらあの話知ってるだろ?」

「あの話……もしかして、山崩れのことか?500人以上が亡くなったからな。やっぱりここでも話題になってるか」

 俺が少しばかりこの地を離れていた頃、イアソー山の麓にある一角で山崩れが起き、それでかなりの人間が被害に遭ったらしい。
 あくまでも噂だが、伯爵が自領から集めた平民と私兵、合わせて500人程が死んだとも聞くし、最近起こった事故では特大のものとして、現地を中心に広がった噂もあって相当な話題になっていた。

 俺は現地には居合わせなかったから知らないが、なんでもキューラー伯爵が原因で起きたらしく、王都の貴族連中の間では伯爵への非難と中傷がかつてないほど飛び交っているとか。

 そういえば、伯爵家の取り潰しがほぼ決まったという噂も聞いたな。
 あそこが潰れたら、今進んでいる迷宮攻略がどうなるかという不安はあるが、それを俺が気にしてもどうしようもない。

「500?俺は300人ぐらいが死んだと聞いたが…」

「いや、流石にそれは少なすぎだろ。まぁ噂が広まるにつれて数が変わるってのはよくある話だが、実際はもっと多かったよ」

 男の口から飛び出させた数字は、俺が噂で聞いた数よりも大分少ないが、きっと誰かから聞いた時に数字を間違えて教えられたのだろう。
 そいつも無責任なことだ。
 まぁ俺も実際に自分で数えたわけじゃないから、あまり人のことは言えないが。

「そうか。だがまぁ今は数なんかどうでもいい。それよりも、その山崩れで死んだ奴を、救助に当たってたやつが生き返らせたってのは本当か?アンデッドでもなく、ちゃんと生き返ったって聞いたぞ」

「あぁ、あれな。いや俺も詳しくは知らないんだが、ほんとらしい。勿論、全員生き返ったってわけじゃなくて、何人かだけって話だ。…あまり大きい声じゃ言えないが」

 そう言って目の前の男に顔を近付け、声を潜めて続きを話す。

「その件で聖鈴騎士が動いてるらしい。それも、わざわざペルケティアから来た上位階の聖鈴騎士がな」

「聖鈴騎士が?上位階ってーと、有名どころか?」

「有名なんてもんじゃあないさ。その聖鈴騎士の顔を知ってる奴がいたらしくて、そいつによるとあの『書庫番しょこばん』だってよ」

「おいおい!バリバリの武闘派じゃねーか!」

「しぃー!声がでけぇよ。座れって」

 それまで内緒話をしていたというのに、俺の言葉を聞いて恐慌状態にでも陥ったように大声を上げて立ち上がる男に、座るように促して周りの様子を窺ってみると、やはり注目を集めてしまったようでいくつかの目がこちらへ向いていた。
 それに一瞥だけしてまた前へと向き直る。

「わりぃ……つい驚いちまって」

「気持ちは分かるぜ。なんたってよその国にまで名前が知られてる聖鈴騎士の一人だからな」

 多くがペルケティア内で活動をする聖鈴騎士だが、他の国にまで名前が知られている者は多くはない。
 聖鈴騎士の中でも特に有名なのは8人だけだが、今話に出た書庫番と称される聖鈴騎士は、8人の中でも飛び切りの武闘派で知られている。

 なぜ書庫番などと呼ばれているのかは分からないが、そう呼ばれて長いことから、ペルケティアで書物関連の仕事を任されているのではなかろうか。

 かつてヤゼス教を一方的に敵視していた地方信仰の一団が、なんかの儀式の生贄としてペルケティアのとある村を一つ、丸ごと虐殺の舞台にした事件があった。
 その一団の討伐をしたのが、当時まだ聖鈴騎士になりたてだった、若かりし頃の書庫番だ。

 鼻っ柱が強かったのか、魔術師を含めた総勢100名弱の集団に単身斬りこむという無謀さを見せたが、あっという間に制圧したということからも、実力のほどはその時からかなりのものだったと想像できる。

 その異教の集団だが、実は楽に死なせてもらったわけじゃない。
 書庫番は可能な限り、死なせないように配慮して全員の四肢を斬り飛ばし、その上で生き残った人間をヤゼス教の十字架で磔にして街の周りに飾ったそうだ。

 たまたま現場に遭遇した人間によると、苦痛と恨みの声を上げながらゆっくり死んでいく様は、残酷さを通り越して狂気を感じるほどだったという。

 無為に殺された者の無念を思っての行動だと一般には言われるが、一方で高笑いしながら人を斬る姿も目撃されていることから、快楽的に人を殺す人間だということもまた噂されている。
 人伝では本当の所は知りえないが、それでも聖職者に分類される聖鈴騎士がそういう殺し方をするといことに、一種の異常性と潔癖さが垣間見える。

 そんな恐ろしい人間がこんな場所に来ているのには、当然なにかがあってのこと。
 そのなにかが、先程この男に話した、死んだ人間を生き返らせた奴にでも関係しているのだろう。

「ヤゼス教の連中が今時分ここで調べてるってぇーと…」

「ああ。多分、例の人を生き返らせたって奴だろう」

 聖職者でもない人間がアンデッド化以外で死人を生き返らせた、これがヤゼス教にとってどれほどのことなのか俺には分からない。
 だがこうして噂として広まっていることをよく思わない人間は、ヤゼス教の中にもある程度はいるのかもしれない。

 知り合いにペルケティア出の奴がいて、そいつが言うには聖鈴騎士が他国に出張ってくるのはかなり珍しく、その中でも名の知られてる上位階の奴がとなると、まず間違いなく荒事が起きる予感しかしないそうだ。

「そうなると、今麓に降りると面倒事もありそうか?」

「どうだろうな。俺は上りの荷運びだからそうでもなかったが、ジップラインで下りてくる奴は結構細かく調べられてたぞ」

 山に登る人間は特に呼び止められることも無かったが、ジップラインなどで下山してきた人間は漏れなく身分の確認がされていた。
 修道騎士達は特定の個人を探している風だったし、奴らが妙に剣呑な雰囲気だったことも考えると、誰を探しているのかは楽に想像できる。

 下山者を入念に調べていることから、例の死者を蘇らせた奴は、その後に山へ入ったということなのだろうか。

 俺も明日辺り、ジップラインで下に降りるが、あの威圧感のある修道騎士達に詰め寄られるのかと思うと気が滅入る。

 悪い事をしたわけでもないのに、取り調べのようなことをされるのは誰だっていやなものだ。
 どこの誰だか知らんが、とっとと修道騎士に捕まって平穏が戻ってくるのを期待する。


 SIDE END







 SIDE:ガイバ・アーニン


「死者の復活…。まさに奇跡の御業だね」

 腰かけているソファの座りが悪いのか、大きく体を揺らしながら気だるげにそういう目の前の男は、つい先日ペルケティアからここに遣わされた、聖鈴騎士序列第二位、ヒューイット・グロウズ卿その人だ。
 とある事情から本国へ要請した追加の人員に、まさかこんな大物がやってくるとは予想外だ。

 陽の光に晒すと青く見える銀の長髪に細身の体格は、ともすれば男娼か女衒とも思えるほどに整った容姿をしているが、実際はペルケティアでも最強の一人として恐れられる猛者だ。
 ペルケティアでの単体最高戦力として数える5人の中でも、その強さは群を抜いたものがあり、序列二位に据えられているのもその強さによるところが大きい。

 糸のように細められた目元のおかげか、為人を知らずに見ただけなら柔和そうな性格を思わせるが、正直、この男がこれまでにしてきたことを知れば、それすらも逆に怖さを齎す材料にしかならない。
 確か歳は三十手前だと聞くが、顔立ちのせいかもっと若く見える。
 私よりも年下だが、立場としては向こうの方がずっと上だ。

 同じ聖鈴騎士という地位にある私も、そこらのちょっと腕が立つぐらいの人間には負けはしないが、この男に比べたら強さという点ではずっと劣ると自覚している。
 生物としての格の違いを自覚しているせいか、こうしてテーブル越しに相対しているだけで、背筋が伸びっ放しになるぐらいには緊張を覚えていた。

「…同感です。しかし、グロウズ卿自ら足を運ばれるとは思いもしませんでした」

「それだけ本国も重要視しているのだよ。なにせ、死者復活だ。教典をひっくり返してもそんなことが出来るのは、現在・過去通して一人だけだ」

「『大いなる主、ヤゼスは歌う。天上へと捧げられたその呼び声のみが、死者を復活させる』」

「まさに」

 ヤゼス教の教典にある一節を諳んじると、グロウズ卿が私を指差しながらそう答えた。
 楽しげな声であったが、微かに見開かれた目にはこちらを射抜くような鋭さが込められていて、さらに強い緊張に襲われた。

 なお、今のこの緊張は、このグロウズ卿がここへやって来た理由に対するものが大きい。

 イアソー山の斜面で大規模な山崩れが起きたのは、もう20日ほどは前になる。
 あの事故は、キューラー伯爵側が無理な工事をしたせいだと調査ではすでに分かっており、その責任追及に関してはセイン殿が徹底的に行っていると聞く。

 そっちの方は私が関われる部分がもう手を離れているのでいいとして、別の問題があった。
 というのも、その山崩しでの救助活動中に起きたある出来事が、聖鈴騎士としての私の頭を大いに悩ませていた。

 最初、部下から齎された報告に耳を疑ったが、それも仕方のないことだろう。
 何せ、『生き埋めになった人間を生き返らせた者がいる』という、普通ならまずありえないことが起きたのだ。
 しかも、それをやったのが、目下私の中で扱いが慎重になるざるをえない、アンディだったと聞けば、胃が一気に重くなってしまったほどだ。

 魔術師であるアンディが死者を生き返らせたと聞き、まず思い浮かんだのは死体をアンデッド化させる禁呪の存在だ。
 魔導文明期よりずっと大昔、今よりも力のある魔術師が多くいた頃、禁忌に手を出した魔導士が死体をアンデッド化させて軍団を作ったと言われており、まさかアンディがそれを?と思ってしまった。

 もっとも、部下から詳しく聞くとそうではなく、ちゃんと生者として生き返ったと聞いてまずは一安心したが、それでもまだ問題はある。

「例のアンディという冒険者、秘蹟認定の対象とするそうだね?ガイバ君。そのために遥々こんなところまで僕が来たんだし」

「はい。アンデッドではなく、生者として蘇った者が既に何人かおります。秘蹟認定にかけるには十分だといえます」

 ヤゼス教において、死者の復活は主たるヤゼスのみが行うことが出来た奇跡だといわれている。
 それを一介の魔術師、しかもヤゼス教の庇護も影響も一切受けていない人間が起こしたとなると、非常に面倒な話だ。

 聖鈴騎士は司祭相当の権限も認められているため、秘蹟認定という、所謂神の御業かどうかを調べて、それをペルケティアの教会本部へと報告する義務がある。
 ただし、聖鈴騎士はあくまでも司祭と同等という扱いなので、我々が実際に秘蹟認定を行うには、二人以上の聖鈴騎士か、三人の助祭の立ち合いが必要だ。

 今回のアンディの件は、この秘蹟認定を行うのに十分なものであり、聖鈴騎士である私は本国へと増援を要請することとなった。
 正直、気は乗らなかったが、聖鈴騎士としての使命を怠ることはできない。

 秘蹟認定などと大仰な物言いをしているが、実体は神の御業を騙る詐欺師の正体を暴く裁判という側面が大きい。
 これまでの長い歴史では、多くの詐欺師が神の名を騙って奇跡を偽り、無辜の民が犠牲になっていた。

 最古の秘蹟認定では、二人の人間が聖人として認定されているが、それ以降は一切出ていないことから、聖人が本当に現れていないのか、それとも秘蹟認定が正しく行われなくなったのかのどちらなのかはわからない。

 そのため、最初は神の御業を求める目的だった秘蹟認定も、次第に詐欺師をあぶりだす裁判へと変わっていき、担当する神官によっては苛烈な拷問が行われたという記録も残っているほどだ。
 勿論、自分はそうはならんと心に決めているが、追加でやってくる聖鈴騎士や助祭らがどうなのかはわからない。

 ここへやってきてもう随分経つが、アンディとパーラの二人とは親密な付き合いがあるため、その為人を知っている身としては、彼を苛烈なものになり得る秘蹟認定に引き出すのは躊躇われてしまう。
 彼が悪い人間ではないと分かってはいるが、しでかしたことがことだけに、厳しい取り調べは免れえない。

「それで、そのアンディというのは今どこに?」

「少し前にベスネー村という所へ行きました。何やら知り合いの畑を手伝うとかで」

 実は今、アンディはここを離れてよその村へと行っていた。
 なんでも、米の植え付けを手伝いに行くのがこの時期の習慣なのだそうだ。

「ベスネー村……少し遠いか。ここに引き留めておくことはできなかったのかな?」

「彼は冒険者であって、罪人ではありません。どこかへ行くというのを制限できませんし、秘蹟認定があるから残れと言うのは無理でしょう」

 その性質上、対象となる相手には直前まで秘蹟認定があることは悟られないようにする必要がある。
 というのも、仮に対象が奇跡を偽っているとしたら、何かしらの細工や準備がない状態の抜き打ちで追及しなければならない。
 アンディの場合も、まさか『秘蹟認定をするので残ってください』などと言うわけがないのだ。

「一応、こちらへ戻ってくる時期は聞いていますので、それをお待ちいただくしかありませんな」

「それはいつだい?」

「予定では五日後になるかと」

 米の植え付け、田植えというそうだが、それが終わるまでそこそこの日数はかかるため、戻ってくるのは早くても二十日後と聞いている。
 既にここを離れて十五日ほどが経っており、最短であれば帰ってくるのはそれぐらいになるだろう。

 一日か二日は前後するかもしれないが、飛空艇での移動ができるアンディ達なら、大きく予定の到着がずれることもないはずだ。

「じゃあ今日はもう待ってる必要はないね。僕は部屋に戻るから、なにかあったらよろしく~」

「…わかりました」

 そう言って立ち上がったグロウズ卿だが、恐らく部屋には戻らずまたどこかの食堂へ繰り出すのだろう。
 アンディ達の山小屋がうまい料理を出している影響からか、この地には他よりもいい食材が多く集まるようになり、その影響で麓にも質の高い食堂が揃っていた。

 元々美食には目が無かったグロウズ卿は、やって来て早々に食堂を渡り歩くのに夢中となっており、用意した小屋よりもそこらの食堂や酒場にいることが多い。
 今日もまた、そうした行動を取るのだろうが、私としては仕事を手伝ってほしいというのが本音のところだ。

 今いる修道騎士達の指揮を執るのは聖鈴騎士に任せられているのに、グロウズ卿は投げ出しているため、私がそれをしなくてはならない。
 確かに聖鈴騎士が一人いれば問題はないのだが、私は商人ギルドの仕事もあるのだから、せめてそちらは引き受けてほしい。

 一応遠回しに頼んでみたが、よく分からない理屈をこねられて逃げられてしまったので、今はもう半分諦めている。
 扉を潜るグロウズ卿の背中をジトっと睨むぐらいしか、今の私にはできない。

 アンディ達が戻ってくるのがましばらく先だとして、それまでに聖鈴騎士としての私がやることは山のようにある。
 一番頼りにしたい相手が頼りにならない以上、寝る時間を削るしかないだろう。

「失礼します!」

 執務机へ向かおうと立ち上がった時、外からの声に足が止まる。
 少し慌てているような調子に聞こえたので、厄介事かと身構えてしまう。

「入れ」

 入室してきたのは商人ギルドの職員で、何度か話をしたことのある男だ。

「どうした、何か問題か?」

「いえ、アンディさんがこちらへ到着したそうなので、ガイバさんに伝えるようにと」

 一部の職員と修道騎士のほとんどにはアンディが戻ってきたら私かグロウズ卿に至急連絡するように言い含めていた。
 最優先でとも言った気がするし、それでこうして慌てて伝えに来たわけだ。
 この男も恐らく、アンディの到着を聞き付けた上司から、私の所へ行くよう急かされたのだろう。

 しかし、アンディがもう帰ってきたとは。
 まぁ移動手段があれだから、予定より早くてもおかしくはないが。

「わかった。彼は今どこにいる?」

「南の街道口で待たせています」

「街道?飛空艇ならいつも使っていた所に降りるだろう」

「それが、飛空艇ではなくバイクで来たようでして…」

 それは変だな。
 ここを発った時は確かに飛空艇でだったのに、戻りはバイクでとなると飛空艇はどこへ行ったんだ?
 首を傾げることもあるが、とにかくアンディが戻ってきたのならそれでいい。

「ふぅむ…よし、私はそちらに向かう。君にはグロウズ卿への伝言を頼みたい。その街道口まで来てもらうよう伝えてくれ」

「わかりました」

 職員にグロウズ卿への伝言を頼み、私は一足先にアンディの下へと向かう。
 秘蹟認定に掛けられることを告げる前に、アンディとは少し話をしておきたい。
 アンディの成したことは大変なことではあるが、決して悪い事ではない。
 彼の善良さを信じるなら、これから起こるであろうことへの心構えぐらいは持たせてやりたいものだ。


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