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異世界ジップライン

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 これまで山中での補給の中継地点で頭を悩ませていたアシャドル王国。
 長引く気配を見せる迷宮攻略に、テコ入れを考えて俺達の山小屋に目を付けたわけだが、最初にその案を考えたのは、アシャドル王国から派遣されていた役人の一人だった。

 そいつがパーラに声を掛け、商人ギルドが一枚噛んで今日の話し合いへと発展したわけだ。
 この話し合いには件の役人とガイバが、それぞれアシャドル王国と商人ギルドの責任者として参加することになっていたのだが、どういうわけかキューラー伯爵家が横やりを入れてきて、役人を押しのけて自分達が仕切ると言いだした。

 この辺は新しく当主となったキューラー伯爵が、自信の影響力を強めたいと目論んでの行動ではないかと予想されている。

 急に強権を振りかざしてきたことを誰もがよくは思わなかったが、迷宮までの山道はキューラー伯爵領を基点としているため、伯爵の機嫌を損ねて迷宮攻略に変な妨害をされないよう、従うしかなかったのだそうだ。
 一応、国の方に報告は上げているが、対応はまだできていないらしい。

 伯爵の狙いは単純だ。
 山小屋を手に入れ、迷宮攻略者に物資を高値で売り付ける。その利ザヤで儲けたいのだろう。
 おまけに迷宮での発見物の買い取りも同じ場所でやってしまえば、さらに稼げる。

 少し探れば分かるほどに伯爵達の狙いがあからさまだったということもあるが、ガイバは商人ギルドでもそこそこ偉い立場にいるようで、今回の裏事情にもかなり詳しかった。
 アシャドル王国側で立ち会う予定だった役人は、キューラー伯爵家が裏で手を回して王都へと戻らせたらしい。

 政治センスが今一と聞くキューラー伯爵家だが、そういう事は普通にやるのかと思ったら、他の貴族家ならもっと上手くやっているというガイバの評には頷かされてしまう。
 さっき対面して思ったことだが、あの伯爵は若いこともあって思慮深さには欠け、感情的になりやすいところが気にはなっていた。

 一から十まであの伯爵が決めたわけではないとは思うが、こうしてガイバがかなり深いところの情報を手にしていることから、色々と詰めの甘い企みだったと言わざるを得ない。

「キューラー伯爵としては、代替りしてすぐに何か実績が欲しかったんだな。本来なら、領主としての仕事を堅実にこなしていけばいいが、伯爵はまだ若い。アンディさん達の山小屋を知り、どうにか自分のものにして、手っ取り早く実績にしたかったのだろう」

「だからって言いがかりに近い形で罪を被せられたらたまったもんじゃないですよ」

「まぁ貴族相手じゃ全く無いことでもないんだ。今回は運が悪かったが、キューラー伯爵程度が相手でよかったさ」

「そうだね。逆にさ、ガイバさんが来てくれたってことは、私達もまだまだ運は尽きてなかったってことだよ」

「前向きだな、お前。まぁそこは感謝してるけど。…改めて、ガイバさん。今回は助かりました」

 そもそも運がよければ伯爵が出張る前に全部終わらせられたと思うが、パーラのそのポジティブな考えは嫌いではないので、俺もそう思うことにしよう。
 ついでと言うわけではないが、ここまでの間、色々と疑っていたために後回しにしていた礼の言葉をガイバに伝える。

「うん、例の言葉、確かに受け取った。あの伯爵の件は、私の方からもアシャドル王国に報告はしよう。ペルケティアの聖鈴騎士としてと、商人ギルドの両方の立場からの抗議という形でな。とはいえ、伯爵に対しての罰などは期待しないように。仮にも貴族、しかも辺境伯だ。王国側もあまり大事にはしないだろう」

 田舎とはいえ辺境伯は辺境伯。
 これが子爵や男爵なら国側も責任を追及するだろうが、辺境伯というのは権限が大きいだけに、あまり強く言えない。
 せいぜい罰金か、国王への謁見が暫く許されないぐらいで済まされるだろう。

「ただ、エイントリア伯爵の方はキューラー伯爵にきつく当たるだろうな。なにせ、自分が与えたメダルを偽物と断じられたのだ。名誉を傷つけられたと憤るのは容易に想像できる。正直、私が色々と動くより、エイントリア伯爵にこの件を伝えるだけで、キューラー伯爵の貴族社会での立場はさらに弱くなるだろう」

 ガイバには話の途中でエイントリア伯爵家の紋章が刻まれた例のメダルを見せている。
 彼自身はともかく、ギルド職員の中に判別できる人間がいたので確認させたところ、正式に本物だと認められた。
 これにより、先程の伯爵が偽物と言ったことは問題として浮き彫りになり、エイントリア伯爵家にも事の次第は伝わることとなるだろう。

 直接的な付き合いはないが、それでも今アシャドルでは一番勢いのある貴族家であるエイントリア伯爵から不興を買っては、今の貴族社会での立場は辛いものとなるに違いない。
 最悪、家を傾けることになるのも想像できる。

 こればかりはキューラー伯爵自身が招いたことなので、擁護も同情も全くできない。
 いきなり辺境伯同士の紛争にはならずとも、何かしら嫌がらせを交えた悪影響は受けるだろうから、それが領民に及ばないことを祈るのみだ。

「話しが逸れたな。そちらとしたかった話し合いについては、ニール…キューラー伯爵によって王都へ戻された役人の名前だが、交換条件なども彼を交えて詰めていたものが多かったのだ。だがニールがいなくなった以上、山小屋に関することは一旦保留ということにせざるを得ない」

「まぁ妥当なとこですね。まさか商人ギルドが単独で進めるわけにはいきませんし」

「そうだな。…一応聞くが、例の山小屋の管理をこちら側に任せるという話を受けるつもりはあったのかね?」

「ええ、条件次第では構わないと思っていましたよ」

 俺自身、山小屋経営にそれほど拘っていたわけではないし、ギルドか国がきちんと引継いでくれるのならそれでいいと思っている。
 条件もとりあえずは付けるが、そう厳しいものにしようとは思っていない。

「おお!そうか!いや、それが聞けただけで収穫にはできる。元からその意思のない交渉というのはやりにくいものでね」

「けどさ、もし山小屋が私達の手から離れたとしたら、あそこまで物資を運ぶのはどうする気なの?今の所、ギルドもアシャドル王国も飛空艇は持ってないじゃない?」

 あの山小屋が成り立っているのは偏に俺達が飛空艇で物資を運んでいるからだ。
 山小屋だけを渡されても、その内立ち行かなくなるのではないだろうか。

「うむ、そこは確かに辛いところだが、飛空艇も一緒に使わせてくれと言っても頷いてはくれないだろう?」

「まぁこの辺りにいる間はいいですが、俺達は冒険者なので他の土地へ行くこともありますから」

 山小屋を建てたのも、迷宮に興味を持ったことと小遣い稼ぎという、二つの狙いがあったからだ。
 移動手段に恵まれているだけに俺達はフットワークも軽く、他の土地へ行くのに抵抗も無いことから、そう遠くない内にここを離れる時が来る。
 そうなると、あの山小屋への輸送は人力便りとなってしまう。
 物資が途絶え気味な補給所など、その価値はグンと下がる。

「出来れば飛空艇も欲しいところだが、聞けばソーマルガから貸与されているとか?」

 恐らく先にパーラからでも聞いていたのか、それを知っているから山小屋と飛空艇をセットで欲しいと言わなかったのだろう。

「ええ。特別に許可されての上で。もし他国に渡すと俺は処罰されるし、強引に没収でもしたら戦争突入かもしれませんね」

 少し脅しをかけるつもりで戦争という単語を口にすると、ガイバもギクリとした反応を見せたため、この分なら強引に奪おうという気は起こさないだろう。

 今現在、ソーマルガは他国に飛空艇を譲渡も販売もしないというスタンスなので、もし俺から飛空艇を取り上げたりしたら国際問題になりかねない。
 ソーマルガの宰相直々に俺も釘を刺されているので、他人に貸し出すということはしないと断言できる。

 少し前にクレイルズがソーマルガへ技術交流に向かったことにより、いずれはアシャドルでも飛空艇が作られることになるかもしれないが、それを頼れるのもまだまだ先のことだ。
 ガイバ達が手にするのはあくまでも山小屋のみとなるが、迷宮付近へと物資を運ぶのは彼ら自身のアイディアにゆだねることになるだろう。

「であれば、やはり人の足に頼るしかないな。今までやっていたように、荷物を背負って山頂を目指す、これが一番確実で手っ取り早い」

「まぁ今までもそうしていたなら、やっぱりそうなりますかね」

 飛空艇に比べて輸送能力は劣るが、それでも人間が荷物を運ぶのはそう悪い手でもない。
 橇を使って運べる量を増やしたり、単純に運び手を多く揃えて運搬能力を上げるというのは、これまでも行われていた。
 迷宮に挑まず、荷運びで稼いでいた人達もいたぐらいだ。
 そういう仕事がまたその人達に任されるだけのこと。

「それでも、山頂付近に物資の集積所があるのは遥かに楽なのだがな。…せめて、片道だけでもどうにか短縮したいところだが」

「片道だけでいいなら私にいい考えがあるよ?」

 困ったと深く息を吐くガイバに、パーラが名案を匂わせた言葉を吐く。
 不思議なことに、こいつがいい考えと言いだすと不安になるのはどうしてなのか。

「ほう、聞かせてくれ」

「上るのはともかく、下山に関しては一気に短縮できると思うんだよね」

「…まさか橇で一気に滑り降りるとか言わないだろうな?そんなことなら、とっくの前に試しているぞ」

「え、そうなの?」

 どうやら図星だったのか、先回りされた形になったガイバの言葉に目を点にした間抜けな顔を晒すパーラ。
 少し山を知る人間であれば、下山を橇で一気にとは普通に考えつくことであり、既に試したと言われても俺は驚かない。

「確かに途中までは雪があるおかげで橇で滑るのには向いている。しかしある程度下りると地面は土と岩に変わって、とても滑られたもんじゃあない。なにより、山道は平坦なものばかりでもないし、長く深い裂け目もあるんだ。滑り降りるのに向いているとは言えんよ」

 ガイバの言う通り、山道は起伏もあるしクレバスだってある。
 橇で一気に滑るのはスピードも出るし疲れも少ないが、代わりに地形を読んで適切なルート選びをしなければならず、誰もが気軽に使える移動手段とはいかない。

 この言い様だと既に誰かが試しはしたようだが、安全か効率かはわからないが、何かしらの要因が邪魔をして、正式に採用されるまではいかなかったのだろう。
 パーラの考えは悪いものではないが、今回の件には向いたものではなかったようだ。

「そっかぁ、残念。…あ、ねぇアンディ、もしかしたらだけどさ、あれ使えないかな?」

 折角のアイディアが却下され、肩を落としていたパーラだったが、すぐに気を取り直して俺へとその顔を向けてくる。

「あれって?」

「ほら、前に言ってたジップラインってやつ。あれなら山の上から麓まで楽に来れるんじゃない?」

 そう言えば以前、張ったワイヤーを使って移動するアスレチックであるジップラインについて話したことがあったな。
 あの時はそういう遊びがあると仄めかした程度だったが、それをパーラは覚えていたのか。
 今のガイバの話で、下山時の移動手段に使えないかと考えたようだ。

「じっぷらいん?それはどういったものなんだ?」

 聞き馴染みのない言葉に興味をそそられたのか、目を輝かせてガイバが食いついてきた。
 物資運搬の労力を半減できることを期待しているのかもしれないが、俺としてはあまりおすすめしない。
 一応説明はするが、どうするかの決断とどうなるかの責任だけはそちらでもってもらいたい。



「…なるほど、つまりは高い位置に張ったロープを伝って、斜めに滑り下りてくるというようなものか」

 考えとしては、箱無しのロープウェイのようなもので、ワイヤーに滑車を取りつけ、それに人や荷物をぶら下げて滑り降りるという感じだ。
 山肌に支柱を建てさえすれば、特別な機構も必要無く、仕組みも単純なので導入はしやすいかもしれない。

「ええ、その認識で間違いないかと」

 身振りや絵図を交えて一通り話し、凡その形が想像できたようで、ガイバは腕を組んで唸りだす。
 この手のことは理解出来たとしても、実現性を考えるとまた悩ましいもので、ガイバのその姿は至極真っ当なものだと言える。

「…もしそれを実際にやるとして、山頂から麓までロープを掛けることは出来ると思うかね?」

 どうやらガイバはジップラインを採用の方向で考えを纏めているようだ。

「やるとしたら、一本のロープだけで麓まで繋ぐということは考えない方がいいでしょう。何本か高さを確保した支柱を弧を描くようにして設置していき、途中途中でロープを乗り換える形にするべきです」

 一直線に麓までワイヤーを伸ばすと、角度が急になり過ぎて危険なので、山の斜面に対してジグザグに降りるようにして角度を緩くしたほうがいい。
 麓までの移動時間を短縮するのに、危険を天秤にかけるようではジップラインをわざわざ作る意味がない。
 安全に早く下山できるように、ジップラインは作られるべきだろう。

「支柱とロープ、それらを君達の山小屋の辺りからここらまで繋ぐとして、どれだけの数が必要なのだろうな」

「さあ、正確な数まではわかりませんね。ですが、支柱だけで考えると十や二十できかないのは確かでしょう」

「でも流石に百はいかないんじゃない?私もよく飛空艇で移動しながら山を見てたけど、支柱の高さを5メートルで考えたら、四十ってとこだと思うね」

 支柱同士の間をどれだけとるかにもよるが、概ねパーラの予想は合ってる。
 余裕をもって五十は欲しいところだが、山肌にそれだけの数の支柱を立てる手間を考えると、なるべく数を抑えたくもなるというもの。

 そこまで話し、ガイバは顔を俯かせて考え込む姿勢で固まってしまった。
 どうやらジップラインを採用するかどうかを悩んでいるようだが、ふと覗き見えた目には挑戦的な色があることから、次に言いだすことがなんとなく読める。

「ふぅむ…どうだろう、二人共。そのジップラインの敷設を協力してもらえないだろうか?アシャドル王国側にも話を通してからとなるが、近々、冒険者ギルドを通しての正式な依頼という形をとる。報酬も弾もう。どうだ?」

 やっぱりか。
 支柱を立てるという作業は、飛空艇があるとないとではその手間は天地ほどの差がある。
 俺達に協力を要請するのは十分予想できた。

「…もしそれを断ると、どうなるんですか?」

「どうもならんよ。ジップラインの敷設は見送られ、今まで通り危険な山道を人間の足で下っていくだけだ。家族を養うため、危険な仕事に従事する人間に頼ることになる。きっと遭難する人間もいるんだろうな~。大変だなぁ」

「そういう言い方ずるくない?」

 脅すわけではなく、白々しく情に訴えかけてこようとするガイバの言葉に、パーラも渋い顔をする。
 こういう話には弱いパーラだが、俺だって何も感じないわけではないので、下手に強い言葉で来られるよりは効果的だ。

「はっはっは、ずるいとはまたおもしろいことを言うじゃないか。まぁ気持ちは分かるがね。だがな、協力してくれると、そちらにもいいことがあるぞ」

「と言うと?」

「なに、キューラー伯爵のことだ。あれで引き下がるならいいが、見たところ当代のはあまり利口そうには見えない。逆恨みでもして君達に妙な手出しをしてくることも考えられる。そちらの方を、商人ギルドとペルケティアで受け持とう。ついでに、私の方でも今回の件での何かしらの意趣返しもしておくというのでどうだ?」

 これは意外と魅力的な提案だ。
 ガイバの言う通り、キューラー伯爵はアホそうなので、手を変えて俺とパーラにちょっかいを出してくるのは十分考えられる。
 次に何かあったら遠慮なくぶっ飛ばすつもりだが、その辺のごたごたを公的な立場のあるギルドや聖鈴騎士に肩代わりしてもらえるのなら、貴族を敵に回して国から逃げ出すという事態も避けられるはず。

 ついでという形だが、キューラー伯爵に仕返しをするというのも悪くない。
 向こうの地位を考えると、大したことはできないだろうが、全くやらないよりはいい。

「…悪くないですね」

「だろう?どうかね、この話。前向きに検討してもらえるだろうか?」

「わかりました。そういうことなら、協力しましょう」

「そう言ってもらえて助かる。恐らく、これは飛空艇を持っている君達の協力が不可欠だからな」

「まぁ山の上まで支柱を並べるわけですからね」

 支柱の素材が何になるかは分からないが、頑丈さを求めて大きさと重さはそれなりのものになるはずだ。
 麓からある程度のところまでならいいが、山頂に近付くにつれて設置の手間は増大していく。
 それを解消するために、飛空艇の活躍に期待したいのだろう。

「うむ。それで、ジップラインの設置に必要な支柱とロープについてだが、どこかから調達するか一から作るかをアンディさんの意見で決めたい。その辺りをもう少し詳しく教えてもらいたいのだが、この後どうかね?」

 時間的にはもうすぐ昼を迎える。
 話は昼食をとりながらということだろう。

「ご一緒させていただきます」

 食後の話を予想すると、こちらの益が見込めるので否はなくそう答えた。

 その後、ジップラインの設置に関する話し合いを日暮れまで続け、後日、アシャドル王国側の役人も交えた本格的な計画の立案を約束してこの日を終えた。




 それからおよそ一カ月ほど経ち、ガイバと新しく来た役人でセインという女性が加わった話し合いを続け、計画がアシャドル王国主導で実行に移されることとなった。

 計画としては、麓と山頂を基点に双方を目指して支柱を立てていき、凡そ中腹辺りで一本の線として繋がるというものだ。
 地面に穴を空けて支柱を突き刺すため、固定には掘削作業がどうしてもつきもので、麓からは多くの作業員を動員した人海戦術で作業が行われる。

 頂上側からの場合は、俺とパーラを含めた十人ほどの作業員という、少数での作業で済む。
 支柱用の穴を掘るのは俺が土魔術で行い、支柱を釣り上げるのは飛空艇でやれば人数はそういらない。
 ただし、頂上付近は雪が多いので、穴を掘る前に雪かきにこの作業員達は従事する。

 支柱は高さ8メートルほどの鉄製で、U字型のを大量に新規発注したものが使われた。
 これは商人ギルドが費用を持つので、一番いいのを頼んだ。

 大体70メートルほどの間隔に、丁度Uの字をひっくり返して地面に突き刺すことで、ワイヤーが又の間を通って支柱同士が繋がる形だ。

 設備の点検も冒険者達に委託されるそうだが、支柱もワイヤーも恐ろしく頑丈そうなので、そうそう壊れることはないだろう。

 支柱は一本で何百キロもあるので、移動させたり立ち上げるだけで相当な力が必要なのだが、集まった作業員はどいつも力自慢ばかりだし、中には鬼人族も混じっているおかげで何とかなっている。

 当初の予定では、50本の支柱を立ててワイヤーを通し終えるまでに20日ほどかかると思われていたが、想定よりも必要な支柱の数が増え、70本ほどを設置する作業が終わるのに、結局ひと月半もかかってしまった。

 この間、懸念していたのは支柱設置作業と山小屋の運営を、はたして俺が同時にこなせるかだったが、山小屋の方は商人ギルドが人を回してくれて運営を代行してもらった。
 宿屋と食事処、物販なんかも任せられる人材として紹介されたのは、麓でも簡易の宿泊所をやっていた、俺よりも少しだけ年上の若い夫婦だ。

 豪快な旦那さんとよく気の利く奥さんといった組み合わせで、食事担当の奥さんに俺がよく出す料理のレシピを教える以外は、二人のやりたいようにやらせた結果、俺達の時以上に好評な山小屋が誕生してしまった。
 やはり本職だけあって、顧客満足度はかなり高いらしい。

 その夫婦も最初の内は高山病にも悩まされていたが、時間を掛けてそれも克服された今、もうこの夫婦に全部任せた方がいいのかもしれないと思っているぐらいだ。

 余談だが、山小屋最大の売りであるトイレ問題も飛空艇抜きでどうにかなそうな目途が立っている。
 実はとあるパーティが迷宮内でスライムを捕獲し、酔った勢いでそれをトイレに放り込んで排泄物を与えてみたところ、普通に分解していたため、飛空艇が無い時のトイレとして使ううちに、それが常用されるようになった。

 基本的に生きた生物を襲わないスライムだが、動物としての定義が曖昧なほどの省エネ生物で知られており、排泄物を分解吸収するだけでも生きていけるため、高山という過酷な環境でのトイレ事情の解決法として、商人ギルドが詳細なレポートを夫婦に頼んでいるほど、スライムトイレシステムは画期的なことだとか。

 その代わり、スライムは例の排泄物から作られる土は生み出さないので、迷宮内のトイレ事情はまた前の状態に戻ってしまったが、こればかりは仕方ない。
 もともとタダ同然で売っていただけに、山小屋経営には影響はないのだが、冒険者達からの要望はあるため、何らかの代替物を商人ギルドが用意するのを期待したい。

 さて、そんなわけで完成を迎えたジップラインではあるが、基本的に下り限定で、途中3回ほどラインを乗り換えて、麓に用意した広場まで降りていくことになる。
 一度にぶら下がれる人数は、滑車の強度にもよるが基本的に3人まで、荷物の場合は専用の籠を用意して250キログラム以内と定めた。
 これまでよりも移動時間が大幅に短縮されるとして、登山者からはかなり期待されている。

 今はまだ下り限定だが、その内バイクの動力などを流用して、ちっちゃいケーブルカーなんかも作れば、山頂までの道のりもグッと短縮できるかもしれない。
 一応そのことは伝えておいたが、それを出来そうな技術者は今、飛空艇制作に振り分けられているので、実現されるのはまだまだ先になるとのこと。




「ハーネスよし、滑車との接続確認、噴射装置よし!いつでも行けるよ!」

 体に取りつけられた器具を確認し、パーラの準備が完了した。
 滑車から伸びるロープには、ブランコのように板がぶら下がっており、そこに腰かけて待つパーラの姿はまるでアルプスの少女のようだ。

 尚、この滑車を使って麓まで降りていくが、その後、滑車は人の足で他の荷物と共に山小屋まで戻ってくる手はずとなっている。
 そうしないと、あっという間に山小屋から滑車が無くなってしまう。

「少しそのままだ!もうちょっと風がおさまるのを待とう!」

「あいよー!」

 パーラの方はよくとも、今の山頂付近は風がそこそこ強く、このまま行っても問題はないかもしれないが、初ジップラインということもあり、安全をとって風が弱まるのを待つ。
 距離がある為、互いに声を張り上げながらの確認だが、風が強いせいでより大きな声が必要となっている。

 俺達は今、山小屋の近くにあるジップラインの始点におり、そこの支柱の頂点に滑車を取りつけたパーラがスタンバイしている。
 この場所には俺達の他に、ガイバとセインと見学の冒険者数人がおり、息を呑むようにしてパーラの出発を見守っていた。
 彼らはこれから、パーラが出発したら俺と共に飛空艇に乗り込んでその後を追いかけることになっている。

 ジップラインが完成し、最初に誰が使うかという話になったのだが、最初の実験台になるのは誰もが嫌ったため、万が一ジップラインから放り出されても助かる確率の高い俺とパーラが志願して、さらに噴射装置の扱いがうまい方ということでパーラが、こうして初滑走を行う運びとなった。

「よし、風が止んだ。パーラ!飛空艇が浮かんだら、十数えてから行け!」

「分かった!アンディ達は飛空艇に乗って!」

「おう!気をつけろよ!…じゃあ一緒に来る人は飛空艇に。すぐに出発します」

 振り返ってガイバ達に声を掛け、飛空艇に乗り込むと少しだけ上昇させてパーラの上に位置取る。
 すると、それを待っていたかのようなタイミングでパーラが滑り出す。
 支柱の頂点付近には乗り降り用の足場が組まれており、初動はそこから人の足で床を蹴り出した勢いを使う。

 山肌を這うように伸びるワイヤーを伝い、原付並みの速さで滑らかに降りていくパーラを追って、飛空艇も高度を下げながら前進させていく。

 視界ではパーラを捉えつつ、山肌に船体が当たらないように制御するのは中々大変だが、乗り込んでいるガイバ達に見届けさせるためには、俺のこの仕事は非常に重要だ。
 使用者が安全に滑り降りられるの実際に見ることで、真の意味でジップラインは完成を迎えるのだ。

 危なげなく順調にパーラは滑り続け、あっという間に最初の乗り換え地点へと到着した。
 減速用の張りが緩いエリアで十分に速度が落ちたら、支柱に設けてある足場へと降り、パーラは滑車を別のラインへと付け替える。

 実は滑車の重さは相当あるのだが、中継のワイヤー間には釣り上げ補助の機構が使われているので、意外と楽に載せ替えられる。
 実はここの仕組み、商人ギルドお抱えの職人が手掛けた力作だったりする。
 当然、パーラも危なげなくワイヤーを移って再び降下を開始した。

 そうして都合三度の乗り換えを行い、特に問題らしい問題も無く麓へとやってくると、パーラの到着を待ち構えていたらしい大勢に歓声で出迎えられた。

 ちょっとした祭り並みの人手に目を剥くが、どうやらガイバ達がジップラインでやってくることを周知させていたらしい。
 パーラも驚いた様子で地面へ降りると、次々に人が押し寄せ、笑顔でパーラを撫でたり抱き上げたりしていた。

 大袈裟な喜びようと思うなかれ。
 今ここに集まっている人間の多くは商人で、彼らは迷宮から持ち帰られるあらゆる品を欲している。
 これまでは行きと同様、迷宮での収穫物は人の足で下山してくるのを待つだけだったが、このジップラインが完成したことで、今後は迷宮からの特急便で麓まで届けられるのだ。

 物だけでなく、情報や人もこれまで以上に素早く届けられることは、スピードが命の商売人にとっては非常に価値が高い。
 それゆえ、パーラが無事に怪我無く麓へ現れた時のあの喜びようだったというわけだ。

 今後は麓へと送られる荷物の他に、けが人などもジップラインでの搬送が見込めるため、迷宮への挑戦もハードルが幾分か下げられ、迷宮攻略は一層活発化していくことになるはず。

 そうなると山小屋にももっと人がやってきて、もっと儲けが見込める。
 今山小屋を任せている夫婦には、どうにかしてそのまま留まってもらい、俺は迷宮攻略者が持ち帰ってくる土産話を聞きながらのんびり過ごす、山小屋のオーナー的な立場に甘んじたいものだ。
 まぁこれは今後の構想として温めておこう。

 もみくちゃにされているパーラが、俺がいる操縦室へとしきりに視線を送ってきているので、そろそろ助けに行こう。
 こうまで多くの人に喜ばれると誇らしい気分だが、今下りると俺もパーラと同じ目に遭いかねない。
 ここはひとつ、ガイバ達を盾にして身の安全を確保しよう。

 どうせこの後は、ジップラインの使用感を含めたあれこれの話し合いで長く拘束されるのだ。
 意趣返しというわけではないが、少しは役立ってもらおうか。
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