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脱税はお手軽な重罪

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 アシャドル王国は、北方にある東西へと伸びる山脈を国境と定めている。
 国境とは言うが、山脈から更に北へは誰も行ったことが無く、国境を接している国は現時点で存在しないとされていた。

 ただし、ずっと昔には山脈を超えてこちらへやって来た人間がいたという伝承は残されており、山の向こうには国らしきものがあるのではないかとは言われていた。
 しかし、人の手には余る危険な魔物もいるとされる険しい山を踏破し、わざわざあるかどうかも定かではない国を目指そうとする人間はまずいないため、山脈の向こうは未だ謎に包まれた地という扱いだ。

 この山脈に沿う形で広がる、アシャドル王国の北方領土と言える土地を治めているのは、キューラー伯爵とその係累となる2つの子爵家と6つの男爵家、合わせて9家の貴族だ。
 キューラー伯爵家は辺境伯という立場を任されており、北方の広い範囲に散らばる下位の貴族家のまとめ役でもある。

 辺境伯と言えば、俺の知り合いだとルドラマがそうなのだが、同じ辺境伯でもエイントリア伯爵家とキューラー伯爵家では権力の強さがかなり違う。
 アシャドル王国の南方を広く統治し、他国と接する国境線のいざこざを解決し、また国交もとりまとめるエイントリア伯爵家に対し、他国との諍いも無く、貿易や国交で活躍する場がほとんどないキューラー伯爵家では、どうしても後者の方が低い評価となってしまう。

 土地柄、キューラー伯爵とその周りの貴族達は田舎者扱いされているそうで、政治センスも今一だと言われていた。
 そのキューラー伯爵だが、少し前に代替わりをしたそうで、今は先代の孫が当主となっている。
 なぜ子ではなく孫なのかというと、先代のキューラー伯爵には二人の息子がいたのだが、どちらも病気と事故で命を落としたため、孫の成長を待って次期当主に据えたそうだ。

 しかしこの新しい当主が中々出来が悪く、控えめに行っても暗愚と領内では評判となっており、周りを固める家臣が優秀だから領地運営が辛うじて成り立っているほどだ。
 そのことを憂いた先代も、なんとか当主としての成長を促そうとしたが、寄る年波には勝てず、最近では寝たきりとなっているらしい。

 さて、何故俺がこんなにキューラー伯爵の内情に詳しいのかと言うと、山小屋に来る客の一人にキューラー伯爵家に仕えていた過去のある冒険者がいて、酒の入った時の愚痴で色々と聞かされていたせいだったりする。
 その冒険者も、代替りしてからの酷い領主に嫌気がさして辞めたらしいので、その言い様は辛らつなものだった。

 そんな悪名高いキューラー伯爵が今、俺達の目の前にいる。

 あの後、拘束された俺とパーラは兵士達に連れられて、一つの屋敷へとやってきた。
 布製のテントが多い中、数少ないながらある石造りの屋敷には、ギルドの職員や貴族の誰かが駐留するのに使われるわけだが、その一つに、まさかキューラー伯爵本人が来ているとは驚きだ。

 わざわざこの地まで運んできたであろう豪華な椅子に腰かけるデップリ肥えた若者は、特に暑くも無いのに汗だくでワインをガブガブと飲んでいる。
 歳は20そこそこだと聞いているが、その太りようから生活習慣病を心配してしまう。
 濃い茶色の毛を角刈り風に揃えている髪型のせいもあり、その様子は地球にもいた北の指導者のようでもある。

「何を突っ立っているか。キューラー伯爵閣下の御前である!控えい!」

 キューラー伯爵の隣に立っていた痩せぎすの老人がそう叫び、俺とパーラに跪くのを言外に強要してきた。
 まぁ醜い姿ではあるが伯爵には変わりないので、頭を下げてみせるのは必要だ。

 両手を縛られて少し動きにくいまま、何とか膝を突いてみせる。
 それで満足したのか、痩せぎすの老人が大きく一度頷き、キューラー伯爵の方へと向き直った。

「コナー、こいつらが例の山小屋の持ち主か?」

「はい、閣下。アンディにパーラという者達です」

 ふしゅーという呼吸音に混じり、若干苦し気に吐かれた質問に、コナーと呼ばれた老人が応える。
 ここで山小屋のことを口にしたとなれば、もしかしたら俺達が拘束された理由は山小屋に関することにあるのかもしれない。

「あのー、そろそろなんで私達が捕まったのか教えて欲しいんですけどー」

「無礼者!キューラー伯爵になんという口を!」

 いい加減焦れたのか、パーラがそう尋ねたことにコナーが妙に激しく食いついた。
 確かに高位の貴族を前にして、いきなり口を開いたことはマナー違反ではあるが、そんなに強く言う事も無かろうに。

 しかしその態度からは、俺達が口を開くのをひどく嫌がっているというのがよく分かる。
 ただ、伯爵の方はパーラの物言いにはさして反応せず、コナーに何かの先を促す。

「構わん、コナー。何も知らずにいるのも哀れだ。教えてやれ」

「はっ。では…アンディとパーラ両名、これより罪状を読み上げる!神妙に聞くがよい」

 罪状とはまた物騒なことを言いだしたが、一先ず全部聞いてみるとしよう。
 身に覚えはないが、何か誤解もあるかもしれないしな。

 居丈高にコナーが言うその罪状によると、どうも俺達が作った山小屋に関して不正が発覚したそうだ。
 キューラー伯爵領では、新規に作られる建物に使う建材へ独自に税金をかけているのだが、どういうわけか俺達が集めた建材には税金が支払われた証明がされておらず、それによって脱税が疑われるとのこと。

「キューラー伯爵領で建材を仕入れた場合、商人ギルドに記録が残っていなければならない。しかし、貴様らに関してはそういったものが確認できなかった。であるならば、不正に建材を手に入れた疑いが出てくる!」

 鬼の首を取ったようとはこのことかという、手本のようなドヤ顔でコナーが俺達を指差しそう言う。
 山小屋作りに使った建材は王都近くの村で調達したものだが、適当に声を掛けた大工に頼んだだけなので、商人ギルドに建材の税金云々といった記録が無いのも頷ける。

「いや、ちょっとお待ちを。俺達は決して不正な入手などと…。では追徴金を支払います。それでこの件はどうか」

 建材の税金など知らなかっただけで、悪気があったわけではないのだ。
 少ししゃくだが、改めての追納なりで手を打てないか探ってみる。
 山小屋は作ってまだ一年経っていないので、税金を納付するのに遅いということはないはずだ。

 基本的に領主が定めた税金での罪科は、その領主の裁量でどうにかできるものが多い。
 辺境伯領という普通よりも自治の気風が強い土地だけに、領主の情に訴えかければあるいはと考えられる。

「ならん。貴様らの状況は既にその段階ではないのだ。大人しく沙汰を受けよ」

 にべもないコナーの言葉に、ふと何かが頭の隅に引っかかった。
 気のせいと言われればそれまでだが、しかし確かにあった違和感。
 それはまるで、決定事項として俺達の有罪のために脱税という容疑が当て嵌められたような気がした。
 あくまでも俺の直感染みたものにすぎないが、それでも一度考えてしまうと疑念は抱いてしまう。

「では閣下、この者達の判決はいかがなりましょうや」

「うん、じゃあ有罪で」

 軽い。
 まるで朝食を選ぶようにあっさりと俺達の有罪が決まった。

「判決!アンディとパーラは有罪につき、犯罪奴隷となる!そして、件の山小屋と飛空艇を含めた全ての財産をキューラー伯爵家が没収!」

「え、ちょま」

 恐ろしく早い有罪判決、そしてその沙汰にパーラが思わず声を上げたが、その気持ちはよく分かる。
 俺だって驚いている。
 しかし同時に、この裁判劇の狙いもこれで完全に理解した。

 このキューラー伯爵たちは、元から俺の持つ山小屋と飛空艇を手に入れるためにこんな場を設けたのだろう。

 この世界において、貴族が平民を陥れるのに使われるネタとしてはトップ3に入るのが脱税での冤罪だ。
 税収というのは国にとって大事な財源なので、それを誤魔化すというのはとんでもなく罪が重い。
 かつてチャスリウスで腹黒王女が俺を捕まえるため、脱税での冤罪を仕立て上げたことからも分かるように、確たる証拠がなくとも疑いがあるというだけで兵を動員できるほどに、お手軽な重罪が脱税というわけだ。

 それ故に、今回もキューラー伯爵家は俺とパーラに脱税の容疑を掛け、飛空艇と山小屋を手に入れ、遺跡攻略への支援手段とすることで実利と影響力の両方を得ようとしたのだろう。
 山小屋は物資集積所と休憩所を兼ねて収入は見込めるし、迷宮攻略に対して多大な支援をしたと思われれば、国からの心象もいい。

 その辺りは、暗愚と噂されるキューラー伯爵と言うよりも、周りの家臣の入れ知恵だろうな。
 目の前にいる肥え太った指導者はそこまで優秀とは思えない。

 しかしまずいな。
 このままだと俺達の家が全部取り上げられてしまう。
 山小屋はまだいいが、飛空艇はくれてやるわけにはいかない。
 名目上はソーマルガから借りていることになっている飛空艇を、他国の貴族に没収されたとなればハリム達も黙っていないだろう。
 下手をしたら国際問題から戦争へ発展しそうだ。

 仕方ない。
 出来れば使いたくなかったが…、しかし今使わずにいつ使うというのか。

「お待ちを!…俺の胸元にエイントリア伯爵家より頂いたメダルがあります。それを持って、此度の判決をエイントリア伯爵の一時預かりとしていただきたい」

 犯罪を犯した人間でも貴族と繋がりがあると、こういう時に身柄を預けることで処罰に待ったをかけることが出来る。

 ただし、その場合は預かる側に結構な迷惑がかかるので、よっぽどの信頼関係が無いとやらないのが普通だ。
 下手をすると、面倒事を嫌った相手側から断られたり、最悪の場合だと逆に名誉を傷つけられたと手打ちにされることもあるので、気軽に使うのは危険だったりする。

 一応、俺とルドラマはそこそこ信頼関係はあるはずだし、飛空艇絡みで今後便宜を図ることを約束すれば、無下にはされないはず。
 そう言う狙いもあっての発言だが、それを受けてキューラー伯爵とコナーは顔を見合わせ、揃って焦りを見せ始めた。

 すぐに俺の近くに寄って来たコナーが胸元を探り、メダルを手にするとそれを見てギョッとした顔をし、伯爵の下へと戻っていった。
 メダルを手渡し、ヒソヒソと何かを言い合っている二人だが、この反応からして俺達の処分が一旦保留となる手応えが感じられる。

 今彼らが見ているメダルは、そこらの貴族とは比べ物にならないほどに今勢いのある伯爵家が用意したものだ。

 同じ辺境伯位でも、キューラー伯爵とエイントリア伯爵では実際の家格が随分違う。
 そのエイントリア伯爵と縁故が匂わされる俺達を、何の話も通さずにいきなり処分したとなれば関係が悪化することは間違いない。

 今はさほど交流がなくとも、将来的に仲よくしようとした際に、それが遺恨となる可能性を思えば、キューラー伯爵家は今の判決を棚上げするはずだ。

「…―と、そのようになさりませ」

「う、うん。わかった」

 そうしていると内緒話を終えた伯爵達は再び先程と同じ態勢へと戻っていった。
 どうやらキューラー伯爵に入れ知恵をしているのは、コナーだというのが今のやり取りで何となくわかる。

 コナーの年齢を考えれば、伯爵の側仕えというよりは元々が家庭教師やお守り役だったのかもしれない。
 当主となった伯爵が、信頼できる人間として傍に置いたら、色々悪知恵も働かせているという構図は時代物の小説なんかではよく見たものだ。

「確かにエイントリア伯爵家の紋章が刻まれたメダルではある。コナーが確認したから間違いない。まったく、実によく出来ただ」

 いやらしい笑みを浮かべ、キューラー伯爵がとんでもないことを口にした。
 言うに事欠いて、ルドラマから直接受け取ったメダルを偽物などと。

「偽物って…そんなわけない!アンディはそれをルドラマ様から直接手渡されたんだよ!?」

「この僕が偽物だと言っているんだ。偽物だよ、これは」

 その言い様から、メダルが本物であったとしても偽物と扱い、俺達の判決を差し止める材料にはしないという狙いが透けて見える。
 いや、下手をすれば貴族の紋章で偽物を作った罪と言うのも、上乗せしようとしているのかもしれない。
 先程のコナーとの内緒話で決めたのだろうが、貴族の悪い部分がよく出ている考え方だ。

 普通なら他の伯爵家が与えたメダルを偽物と言いがかりをつけるのはあり得ないのだが、俺達がただの冒険者でしかないため、権力にものを言わせてこの場で全て片を付けてしまえば問題はない。
 処刑するにしろ奴隷に落とすにしろ、飛空艇と山小屋が欲しいキューラー伯爵としては、この場でのこととして処理してしまうのは好都合だ。

 しかし、メダルが通用しないのは参った。
 今この場を切り抜けるには最良の手段だと思ったのだが、まさかこんな雑なやり方で封じるとは。
 もう少し頭の回る人間なら決してやらないのだが、噂通り、今代のキューラー伯爵は優秀とは言い難い。
 家臣も優秀だと聞いていたが、コナーのこの短慮具合を見ると、噂ほどでもなさそうだ。

 逃げ道が見えない冤罪裁判に、流石の俺も焦りが出てくる。
 こうなったら、この場の全員を昏倒させて逃げるか?
 幸い、室内にいる兵士はそう多くないし、キューラー伯爵もコナーも戦闘が出来るようには見えない。

 いっそ、伯爵を人質にしてしまうのもありだな。
 しかし、人質に連れ歩くには、あの太った体は邪魔か。
 いっそ手足を斬り落として、達磨にして持っていくとしよう。
 その方が持ち歩きしやすいし。

 まぁそれをすると、俺とパーラはアシャドル王国ではお尋ね者になるだろうが、ただ捕まるよりはずっとましだ。
 最悪、アシャドル王国からの脱出も考えておくべきかもしれない。
 …覚悟を決めるか。

「失礼する!」

 手の高速をどうにかしようと魔術を発動しかけたとき、野太い声を響かせながら何者かが室内に入ってきた。
 声の主を見ると、身形から商人ギルドの人間だと推測するが、厳めしい顔つきと大柄な体付きから冒険者か騎士でも通じそうな男だ。

 若さの中に妙な威厳も感じられるが、こういうタイプは長命種によくいるため、この男も普人種ではないのかもしれない。

 ただし、エルフや鬼人族といったものに見られる外見的特徴を有していないため、それも定かではない。
 くすんだ茶髪をサイドで刈り上げ、やや太いモヒカンのような感じの髪型をしているところにロックを感じる。

「ちっ、面倒な……ガイバではないか。何用だ?今我らは少々立て込んでいるゆえ、出直してもらいたいのだが」

「コナー殿、これはどういうことですか?二人がいつまで待っても来ないと探してみれば…」

 険しい顔でチラリとこちらを見るガイバの目には、同情が込められていた。
 すぐに視線はコナーの方へと戻ったが、今の一瞬でガイバは今回のキューラー伯爵が俺達にしたことをよくは思っていないのが分かる。

「なぜこのようなことを!山小屋の件はギルド職員を交えた上での話し合いを約束したはず!」

「事情が変わったのだ。この者達は罪人、よって先にキューラー伯爵領の法によって裁くこととしたまで」

「罪人?二人が何かしたのですか?」

「…それはそちらには関係のない事」

 言いがかりに近い脱税の容疑であるため、商人ギルドに出しゃばられたくないという思いがあるのだろう。
 コナーが表情を硬くしているのは、あまり探られるとボロも出る程度に、急いで仕立てた冤罪だからか。

「それより、何故君がここに?この建物には誰も通すなと兵には言っていたが」

「火急のこととして推し通らせてもらいました。どうやらその甲斐はあったようだ。パーラさん、何があったか教えてもらえるか?」

「あ、うん。ありがと、ガイバさん」

 そう言ってパーラの手を縛っているロープをほどくガイバに、パーラも気安く礼を言う様子から、二人は顔見知りのようだ。
 恐らく、ここに仕入れに来た時に話をしたという商人ギルドの職員とやらが、このガイバなのだろう。

「そちらはアンディさんか。顔を合わせるのは初めてだが、まさかこんな形でとはな。さあ、手を」

「いえ、俺は自分でやれますから」

 流れで俺の手も解放してくれようとしたガイバだったが、俺は自分で枷の一部を焼き切って手を自由にした。

「…なるほど、流石は魔術師。手助けはいらなかったか」

「まぁ私もアンディもこれぐらいの拘束はいつでも外せたけど、流石に伯爵様を前にそれはちょっとね」

 パーラの言うように、俺達にしてみればこの程度の枷などいつでも外せる、玩具以下の拘束具だ。
 それをしなかったのは、下手に抵抗して捕縛側が本気で来られるのが面倒だったからに過ぎない。
 戦力的なことを考えると、この場にいる全員を敵に回しても普通に逃げ切る自信はあった。

 本来魔術師を捕まえておくなら総金属製の手錠でも用意しておくべきだが、どうもこの逮捕は急なことのようだったので、その手配も間に合わなかったのだろう。

 それにしても、未だ裁判の終了が告げられていないというのに、ガイバの助けで俺達は普通に拘束を外しているが、コナー達は苦い顔をしても止めるようなそぶりを全く見せない。
 いや、伯爵の方は何か言おうとしたが、コナーによって抑えられた。
 普通に考えれば、貴族が逮捕した罪人の拘束を解くなど、ギルドの職員程度に許されるとは思えないのだが。

「では何があったのかを教えてもらえるかね?」

 自由の身となった俺達に、事の仔細を尋ねてくるガイバだが、果たしてそのまま話してしまってもいいものか。
 先程コナー達が言ったことをそのまま伝えたとして、それは俺達が罪を逃れるための嘘をついていると受け止められるか、伯爵達がしらを切るかされたら、俺達は再び囚われの身となってしまうかもしれない。

「あぁ、心配いらん。君達の証言が不当なものかは私が正しく判断すると誓おう。それに、あちらの伯爵閣下達からの横槍も許すことはない。正直に全てを話してくれ」

 正直に全部言うべきか一瞬迷うと、それを察してかガイバが俺とパーラにだけ聞こえるように抑えた声でそう言った。

「…失礼ですが、俺はガイバさんを知りませんから、軽々に全部を話せません。正直、ギルドの職員であるあなたに、キューラー伯爵を抑えて罪科を量ることはできないと思うのですが」

「それこそ心配いらん。私は商人ギルドの職員ではあるが、同時に聖鈴騎士でもある」

 不敵な笑みを浮かべ、ガイバが首元から下がる紐を手繰って一つの鈴を取り出し、俺の目の前へと掲げた。
 実物を見るのは初めてだが、親指の先程の小さい銀の鈴に細かい文様が刻まれたそれは、噂に聞く聖鈴というやつだろうか。

 ペルケティア教国が抱える聖鈴騎士だけという、限られた者のみに与えられる権力の証にして清廉さも表しており、これを示して口に出す言葉はヤゼス教の名のもとに絶対に守られるらしい。

 しかし商人ギルドの職員が聖鈴騎士というのは驚きだが、これを偽物と疑うことはしない。

 貴族の紋章と同様、聖鈴は偽造すること自体が重罪であり、偽物を持っているだけで本物の聖鈴騎士が殺しに来るし、おまけに死後の魂は永劫の苦しみに焼かれると言われては、物理的にも精神的にも偽物を作ろうとは、ヤゼス教があるこの世界の人間では思いもしないとされる。

 つまり、目の前にいるこのガイバは、九割九分、本物の聖鈴騎士だということになる。
 一割の確率で偽物と言う可能性もあるが、そこはまずないと考えていいだろう。
 スパイ活動でもしているのかと思ったが、だとしたら今正体を明かすのは浅はかすぎるので、特に秘密にしているわけでもなさそうだ。

 何故聖鈴騎士がギルドの職員をしていて、しかも他国にいるのかは気になるものの、今はとにかく俺達の身の潔白を証明することを優先し、かくかくしかじかと話していく。
 途中でコナーが口を挟もうとしてきたがガイバの一睨みで引き下がり、ここに来てから起きたことの説明が終わると呆れたような深いため息がガイバから洩れた。

「なんとまぁ…。閣下、この者達の言葉が真実だとすれば、罪を問うにはいささか不審な点が多いように思えますな。もしこれが冤罪だとすれば、領主の資質を問われかねないとご理解しておりますか?」

「何を言うか!我が領内での犯罪を裁くのは僕の仕事だ!罪など被せてしまえば―」

「閣下!お待ちを!どうかお鎮まり下さい!」

 冷めた目で伯爵を見やり、これまた冷めた声音でいうガイバに、何を刺激されたのか伯爵が食らいつくが、縋りつくようにしてコナーが押し止める。
 今の一瞬、中々ヤバそうなことを口にしかけた伯爵を止めようとしてのことだろうが、ほんのわずかに遅かったのが致命的だ。

 俺もパーラは勿論、一瞬を聞き逃さなかったガイバも揃って伯爵を見る目は厳しいものになる。
 薄々気づいてはいたが、こうもはっきりと当人の口から冤罪を匂わされると、腹から沸き上がった怒りが頭を突き抜けてどっか行ってしまった。

「…コナー殿、今の発言は聞き逃せませんね。不当な裁判があったと判断し、聖鈴騎士ガイバ・アーニンがこの二人の身柄を預からせてもらいます。よろしいですね?」

「う、うむ。閣下は少しお疲れのようだ。罪状は機会を改め、吟味することとしよう」

 ガイバが改めて名乗ると、途端に狼狽した様子を強めたコナーが、伯爵をその身で隠すようにして一歩前へと出てそう言う。
 まずいことを口走ったという自覚はあるのか、伯爵の方も苦い表情で俺達を見るが、何も言わないことからも冤罪裁判の方はこれで終わりとなるようだ。

「そうですな。閣下はしばし、休ませた方がよろしいでしょう。二人共、ここを出よう。ついてきなさい」

 一度厳しい視線をコナー越しに伯爵へと向け、外へ続く扉を目指して歩き出したガイバに俺とパーラも続く。
 特に止められることもなく扉を潜り、そのまま外へ出ると、ガイバと共に別の建物へと入る。

 入ってすぐ、そこが商人ギルドの所有する建物だと分かったのは、中で動いている人間のほとんどが、商人ギルドの職員としての服装だったからだ。

 すぐにガイバの姿に気付いた職員が声を掛けてきて、それにガイバが何事か答えた後、建物の奥にある部屋へと通された。
 そこは少し簡素な応接室と言った感じで、広さはそれほどではないし調度品もろくになく、頑丈そうなテーブルとソファが置かれているだけの場所だ。

「まぁまずは掛けたまえ。疲れただろう、何か飲むかね?」

「いえ、俺は結構です」

「私も」

 まずソファにガイバが腰かけ、俺とパーラが手で対面のソファを勧められた。
 ついさっきまで裁判に掛けられていた俺とパーラを気遣ってくれているが、それよりもまず聞いておくべきたいことが山ほどある。

「そうか?なら…改めて今日するはずだった話し合いについて―」

「その前に一つ、よろしいですか?」

「む、何かな?」

 山小屋の件での話し合いはガイバも立ち会う予定だったのか、そちらへ話が進みそうになるのを一旦止める。
 別にそのまま話し合いに入ってもよかったが、その前にいくつか明らかにしておきたいことがあった。

「ガイバさん、念のため聞きますが、あなたは本当に聖鈴騎士なんですか?」

「なんだ、さっき聖鈴を見せたろ?それで信じたんじゃないのか?」

「あの時は疑う理由が見当たらなかったもので。ですが、今は余裕も出来ましたし、改めて確認しておきたいんですよ。俺は聖鈴騎士も聖鈴も見たことはないので、それが本物だと判断する材料が乏しい」

「まぁペルケティア以外じゃそんなもんか。今はこれが本物との証明はできないが、偽物ではないということだけは私の名誉にかけて誓おう。知らないかもしれんが、聖鈴は偽造が許されていないものでな」

「その辺りは知ってます。偽物を作るか持つかしただけで罰が当たるって」

「…正確には、死後の魂が救われないという意味なのだが、あながち間違いでもないか」

 実は聖鈴騎士かどうかは疑ってはいないのだが、改めて本人の口から聞くことで、どこかで嘘を言っていないかを探る意図があった。
 結果として見事にシロだったわけで、この質問はあまり意味はない。

「しかしそうだとしたら、なぜ聖鈴騎士がアシャドル王国に、しかも商人ギルドの職員として潜り込んだのですか?」

「おいおい、人聞きの悪い事は言わないでくれ。別に悪い手を使って職員やってるわけじゃあない。聖鈴騎士には、私のように別の仕事を持っている人間もいる。たまたま私が商人ギルドでの顔を持ち合わせていただけのことだ」

 謎の多い聖鈴騎士だが、兼業だったとは驚きだ。
 ペルケティア各地を飛び回るらしいし、本業以外にも別の顔を持つことで動きやすくしているのだろう。

「だとしても、ペルケティア以外で活動するのは問題になるのでは?聖鈴騎士はペルケティアを離れることはないと聞きますが」

「それも場合によるな。私は今回新しく見つかった迷宮に関する情報収集も兼ねて、ペルケティアから派遣されているのだよ」

「…間者ってことですか?」

 少し前にスパイ絡みで痛い目を見ている俺としては、目の前の男がそうだとなると自然と見る目も厳しくなる。

「そんな大げさなものでもない。一応、アシャドル王国にも話は通して、公的な調査員という身分も与えられている。まぁ調査員といっても迷宮に立ち入ることはないから、専らギルドの仕事ばかりしているがね。遺跡の情報さえ回してもらえれば、文句もない」

 他国に来て本業よりも副業に追われるとは、ますますもってスパイっぽいな。
 しかしこれで、聖鈴騎士がアシャドルにいることの説明は一応つくし、ガイバも怪しくはあるが危険な存在というわけではないと思うことにしよう。

「さて、それじゃあそろそろ本題に入らせてもらおうか。今日君達がここに来た用、つまり例の山小屋についてだが…実はこっちも事情が少し変わった。まずは私の話を聞いてもらいたい」

 ガイバの勿体ぶったような言い回しだが、その目には苦悩が滲み出ており、変わった方の事情が彼にとっても良くないものだったのだろう。
 正直、さっきのキューラー伯爵との裁判でもお腹一杯なのだが、この上さらに重い物を腹に詰めることになりそうで、すぐにでもここから逃げたい気分だ。

 しかし、ことが俺達に深くかかわってるようなので、投げ出すわけにはいかない。
 できることなら想像を下回る下らなさであることを期待しつつ、密かに深呼吸をし、腹に力を入れてガイバの話に向き合った。
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