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タコパ
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四方を海に囲まれた国では、豊富な海産物を使った様々な料理が、長きに渡って生み出されてきた。
獲れたての魚などはそのまま焼いて食べても美味いが、その土地土地に根付いた調理法によるものは、非常にユニークで滋味に富んだものが多い。
とりわけ、日本人は海藻類を好んで食べる民族で、それ以外の国では海藻を食べるところはほとんどないらしい。
よく中国人を指して、『足が四本あれば椅子以外は全部食う』などと言われるが、日本人も海にあるものならとりあえず口にするという点では近い物を感じる。
そんな海産物の中で、圧倒的に消費量を日本人が占めているものがタコだ。
見た目と宗教的な理由でデビルフィッシュなどと呼ばれて敬遠されるこのタコだが、日本以外でも食べる国はそこそこあり、食べる国と食べない国ははっきりと分かれていたりする。
ただ、それでも生で食べるのは日本ぐらいなもので、普通は焼く、煮る、揚げるなどで食べられている。
魚を生で食べること自体、文化としてない国からすれば、タコですら生で食う日本人はどうかしていると思うことは多く、人によっては日本人=悪食というイメージを持つ人も少なくはない。
余談ではあるが、俺は以前、エスカルゴと刺身をそれぞれけなし合う日本人とフランス人の喧嘩を見たことがあるが、あれは醜い物だった。
ああはなるまい。
ともかく、『食は多様性』という言葉があるように、何を食べるか食べないか決めるのは個人の自由で、舌で味を楽しみ、己の血肉とすることこそが肝要だ。
前置きが長くなったが、俺が何を言いたいかというとだ。
「タコ…食いてぇな」
「え?アンディ、なんか言った?」
「ん、いや、なんでもない」
夕食を突きながら、つい口から洩れた言葉に反応したパーラにそう返し、目の前の皿を空けていく。
海に来たのなら魚介類を食うと決めていた俺だが、今日までタコの存在を忘れていたのは勿体ない。
ジンナ村に来てからは、日本ではお目にかかれない珍しい魚料理を楽しんでいたが、ここらで一つ、タコ料理を味わいたいものだ。
日本人にとってタコは故郷の味とまでは言わないが、時折無性に口が欲してしまう。
それこそ、食べないと幻覚・痙攣が襲いかかってくるほどに。
異世界のタコ、どうにかして手に入れられないものか。
翌日、朝の漁が終わった頃を見計らい、砂浜で道具を片付けていた漁師に声を掛け、俺は目当てのものがないかを尋ねる。
「タコぉ?聞いたことねぇな」
「こっちじゃ呼び名は違うかもしれないんですけど、なんかこう、ヌメヌメして丸頭に八本足で」
「足が八本で丸い…ああ、八つ足か。なんだアンちゃん、あんなのが欲しいのかい?」
この世界では八つ足というのか。
一文字違えばおいしい和菓子になりそうだ。
まぁそのまま同じ名前ではないとは予想していたが、特徴は捉えているので名前がなんであろうと一向に構わん。
しかし昆布の時とほとんど一緒の反応からして、あまり価値は認められていないのかもしれない。
タコは比較的浅いところにも現れるらしいし、捕まえたら食ってみようと考えなかったのだろうか。
俺ならそうする、誰だってそうする……はず。
「ええ、まぁ。で、どうですかね。今朝の漁で獲れたりしませんでしたか?」
「いや獲れたも何も、八つ足だろ?あんな気色悪いの、網にかかってたら捨ててるぞ」
「え」
ガーンだな。
こっちの世界だと、タコは網にかかっても放り投げられる程度の扱いなのか。
漁師がいう気色悪いという言葉から、この世界ではタコを一般的には食べてはいないようだ。
そりゃそうか。
日本人が異常なだけで、足八本のヌメヌメした軟体動物を、好んで食べる人間はまずいない。
しかし普通に獲った端から捨てられていては困る。
それを欲している人間もいるのだ。
どうせ捨てるなら、俺が貰っても構わんだろう。
なので、次の漁の時には、タコがかかったら投げないで俺に持ってきてくれるように頼んだが、漁師の嫌そうな顔がまぁすごい。
この世界のタコは、漁の邪魔をする厄介者というわけではないが、出来れば触りたくないほど嫌われているらしい。
なんとか頼み込んで、獲れた時には連絡をくれるよう約束を取りつけ、この日は引き上げた。
それから俺自身も暇な時に海に出てタコを探してみたりしたが、手に入れる機会も無いまま時間が経ったある日、待ち望んでいたタコが水揚げされたとの連絡を貰った。
早速漁師たちの元へと向かうと、魚の加工場に二つの樽を遠巻きに囲む村人たちの集団を見つけた。
どうやら樽の中にタコを入れているようで、誰も近付かないのはやはり嫌われている生き物だからだろう。
漁師達に礼を言って早速その樽の下へ向かい、その中へ腕を突っ込み、一匹を掴み上げて外へと出す。
一匹取り出した時点でもまだ樽の中にはタコがいるので、触るのも嫌なはずのタコを二匹も捕獲してくれたようだ。
有難い。
樽から出されたタコのウジュルウジュルとした姿に、漁師達は一斉に顔をしかめ、近くにいた女達は小さい悲鳴をあげていた。
俺から言わせれば、立派なタコだという感想以外にないが、彼らにとってこの姿はおぞましいものなのだろう。
中々生きのいいタコのようで、頭を掴んでいる俺の腕に、触腕が這い上がってきて締め上げてくる力強さは、新鮮さ以外にも肉質がかなりいいのを推測させるものだ。
食べた時の歯応えを想像して、つい顎をグっと締めてしまう。
意外と言っていいのか、この世界のタコはサイズと見た目は地球の物とほぼ同じだ。
てっぺんから足の先までは、恐らく一メートル強といったところか。
色はやや白寄りの褐色といった感じで、これもさほどおかしなものではない。
不揃いに並ぶ吸盤の様子から、どちらも雄のタコだと分かる。
タコの雌雄を見分けるのは簡単で、足の吸盤が綺麗に並んでいれば雌、不揃いなら雄と言った感じだ。
念のために、タコが人を襲うことはあるのかを漁師達に尋ねるが、積極的に襲われたことはないそうだ。
ただし、ずっと昔に素潜りをしていた人間がタコに顔を覆われて窒息死したことがあるらしく、海中で見かけても手出しはしないのが普通なのだとか。
サイズとしてはこのタコは平均的だが、もっと大きいのも見たことがあるとの声も聞こえたため、種類によってはミズダコのようなでかいのもいるのかもしれない。
なお、イカの方はどうなのかを尋ねると、恐ろしくて遭遇したくもないとのこと。
タコとはちょっと違うリアクションが気になったが、どうもこの世界でいうイカとは、船舶を丸のみにするほどの巨大なものだそうで、地球で言うクラーケンのような存在として恐れられていると見える。
もしかしたら、俺達が海中で遭遇した巨大ウツボのような存在なのかもしれない。
となると、俺もイカを食べる機会はまずないと見るべきか。
いや、自分から可能性を潰してどうする。
タコを食ったならイカだって食いたいのが人情だろうに。
今はまだ無理でも、いずれはと思うことが大事だ。
炙ったイカを肴に一杯やるのを夢見て、今は我慢するとしよう。
しかしこっちの人もイカやタコの美味さを知らずに生きているとは、なんと勿体ない。
わざわざ気持ち悪いのを我慢してタコを確保してくれたことだし、漁師達にタコを使った美味いもんをふるまうとしよう。
漁師達に再度礼を言い、タコの入った樽を担いで一度屋敷に帰り、ミーネに断りを入れて厨房で下拵えをする。
「うわ…キモっ。ほんとにこれ食べれるのかい?」
樽から二匹を取り出し、調理台に乗せたところで、傍にいたミーネが眉をひそめて言う。
「勿論。そのために厨房を借りたんですから。それより、手伝ってくれるのはいいんですが、そんな調子で大丈夫なんですか?これ、触れます?」
新しい食材を持ち込んだことで、興味を持ったミーネが見学を兼ねた手伝いを申し出てくれたのだが、タコの姿を見てこの反応をされては少し不安になる。
彼女の料理人としての腕に疑いはないが、初見の食材に対して腰が引けては困る。
俺も好んで触りたいというわけではないが、ミーネの方は俺の比ではないはずなので、無理なら無理と言ってほしい。
「ちょっと、バカにするんじゃないの。私は料理人、食材を前にしてビビってらんないよ。ほら、何をするのか指示してちょうだい。このタコってのは私も初めてなんだから」
なんだか少しやけくそ気味ではあるが、本職の料理人が手伝ってくれるのなら心強い。
ミーネなら魚を捌くのも慣れているはずなので、派手な失敗もしないだろう。
「…わかりました。じゃあそっちのタコを塩で揉んでください。まずはヌメりをとります」
「揉む…うん、そうねそうね」
出来れば触りたくないというのが顔に出ていたが、先に言った言葉に追い立てられるようにして、ミーネがタコに塩を揉みこんでいく。
塩で揉んでタコのぬめりをとるのは、オーソドックスで簡単な方法だ。
糠でぬめりをとる方法もあるが、生憎ここらでは手に入らないので塩もみでいく。
タコは大根で叩くと身が柔らかくなるので、その工程も取り入れたかったが、これもここらでは手に入らないのでパスだ。
揉んでいるうちに泡が立ってきたら、それを水で流したらまた塩で揉む、という工程を何度か繰り返し、ヌメりが大分取れたのを確認したら、次は熱湯で茹でていく。
足の方からお湯に入れることで全体的に柔らかく仕上がると、死んだ婆ちゃんが言ってたな。
亀の甲より年の功、ここは年長の言葉に従うとしよう。
よく誤解されがちだが、タコの頭はあの丸く膨らんでいる部分ではなく、そこと足を繋いでいる中間の辺りが頭となっている。
頭のように見えている部分こそが胴体なのだ。
全体的に赤くなってももう少し茹でて、体感的に三分ほど経ったらお湯から引き揚げて水に浸ける。
本当は氷水に着けるのがいいのだが、氷の用意が出来ないので今回はただの水で冷ます。
余熱での茹ですぎさえ防げればいいので、これで十分だ。
すっかり足が丸まってしまったタコだが、この状態でもこっちの世界の人間にとっては食欲をそそる見た目とはならないようで、顔をしかめるミーネがそれを物語っている。
しばらく冷やしたら水から出して、足と胴体を分けておく。
部位によって調理法を分けた方がおいしいのだが、今は胴体を使って一品を手掛ける。
作るのはタコのから揚げだ。
俺が知る胴体を使った料理の中で、最もタコの旨味を感じられ、作るのに必要な材料と手間も少ないという、非常に優れた料理になる。
刻み生姜と香草、塩を混ぜた薄力粉をタコの身にまぶし、油で揚げ焼きにする。
色を見て取り出したら完成。
とっても簡単。
我が家ではここに柚子胡椒が欠かせなかったのだが、残念ながらこの世界に柚子胡椒は無いので、今回はこのまま食べてもらおう。
完成したものを皿に乗せ、ミーネと共に試食をする。
「…おいしい。あんな見た目なのにこんな…噛めば噛むほど味が出てくるわね。ちょっとこれ、凄いんじゃないの!?」
徐々に興奮して声が大きくなるミーネは、から揚げを食べる手が止まらない。
元々少ししか作っていなかったが、ほとんどをミーネが平らげてしまった。
「これ、いいわね。なんで今まで食べなかったのかしら」
「見た目で敬遠していたのが大きいんでしょう。吸盤が無数についた足、頭とも胴体ともつかない姿、それと水から上げたときのヌメりなんかはあまり気持ちのいいものではありませんから」
『見た目の印象九割』だったか。
これは人間に対するファーストインプレッションに関してだが、意外と食材にも当てはまると俺は思っている。
「確かに。でも昆布といいタコといい、知られてないだけでまだまだ美味しいものはあるもんだねぇ。アンディはよく知ってたわね?」
「俺の住んでたところだと、タコは普通に食べてたんですよ。それでこっちでも食べてみようって思ったもので」
「へぇ…、なんというか、あんたの住んでたところには随分勇気のある人もいたもんだわ。見た目にビビんないで食べられるってのは、一種の才能なんじゃない?」
「かもしれませんね。でもそれを言ったら、カニなんかは普通に食べてるじゃないですか。あれも見た目はいいとは言えないでしょう?」
カニにしろ貝にしろ、よく見るとグロさはあるものだ。
それでも食べているのには、昔の人間が捕まえやすかったかどうかによる。
比較的浅瀬にいるカニや貝に対し、タコはどうしても海中を泳ぐため、道具が満足になかった人間には手が出しずらかったはず。
そのため、食料としてタコは見逃され続け、道具が生み出されて魚を獲れるようになってからは、さらに見た目から避けられていたのだろうと推測する。
「あぁ、言われてみればそうだね。カニは昔から食べてて気にはならないってだけで、改めて思うと見た目はちょっとアレだわ」
まぁ結局のところ、世にある見た目の割に美味いというものは、最初に手を出した人間が偉いのだ。
先人がいるからこそ、後世でその味を楽しめるようになっているに過ぎない。
今回のタコにしたって、今はまだ敬遠されているが、食べて味を知れば、普通に食べるようになるはずだ。
それぐらいのポテンシャルはあるのだよ、タコには。
「こうなると、足の方も気になるわね。そっちはどう調理する気?」
胴体に味をしめたのか、ミーネが分けておいた足の方にも興味を示す。
吸盤に怖じ気づかないのは、やはり美味いと分かったせいか。
「足の方は…タコ焼きにでもしたいところですが、色々と材料が足りてないので」
タコ焼きに欠かせないソースも紅ショウガも無いし、卵も今は切らしているそうなので生地も作れない。
他で諸々を代用できないことも無いが、正直そこまでしてタコ焼きが食いたいわけじゃない。
俺はタコのから揚げでも十分満足できる男だ。
「タコ焼き?なんだ、焼くだけなら簡単でしょ」
「いや、タコ焼きってのはそういうのじゃ…まぁ焼くだけもでいいか」
ネーミングから誤解されたが、よくよく考えたら下処理をしたタコ足は焼くだけで普通に美味い。
むしろそれがいい。
というわけで、俺とミーネは早速漁師達を集め、屋敷の前でちょっとしたバーベキューを行うことにした。
タコを捕まえてもらった礼と布教を兼ねたものだが、集まった漁師の数は思ったよりも少ない。
やはりタコの不人気は相当な物のようで、試食会の触れ込みではこんなもんだろう。
それでもゼロではないのは、若手漁師の代表格であるワンズにも声を掛けた結果だ。
漁師がタコにビビッてるといった感じで煽ったのが効いたようだ。
チョロい。
そんなワンズには、十四本しかない内の貴重な一本であるタコ足の串焼きを与えた。
最初は吸盤を見て顔をしかめていたが、意を決して噛り付いてからは目を見開いて一気に食らいつくしてしまっていた。
「…これが八つ足だと?くそうめぇじゃねーか!なんで俺達は今まで捨ててたんだよ!?おいアンちゃん!こいつはもっとねーのか!?」
「足はもうないですね。から揚げならまだありますから、そっちも食べてみてください」
どうやらお気に召したようで、お代わりを催促されたが、タコ足の串焼きはワンズを始めとした漁師達に配り終えており、残念ながらその手元にある分だけだ。
他の漁師達もタコ足の美味さに驚いているようで、手元の分を食べ終えると群がるようにしてから揚げの方へと手を伸ばしている。
―おい!お前一気に食いすぎなんだよ!
―うるせぇ!こっちは足を食い損ねてんだぞ!
―誰だ!俺の串食いやがったのは!
―やめろばか!そっちは火があっつ!
―いいや限界だ!押すね!
いや、むしろ殴り合って奪い合っているというのが正しいか。
つい先ほどまでのタコを敬遠する様子から一変したその光景に、苦笑いが漏れる。
とりあえず、味の良さからタコへの忌避感は薄れたようで、この分なら次からは頼まなくてもタコを確保してくれそうで安心だ。
しかしこうなると、タコ焼きを作って食わしてやりたくなるな。
普通に焼いただけでこのリアクションだ。
あの日本人が総じて魅了される粉もん料理を食べさせたら、一体どういう反応をするのだろう。
楽しみなようでちょっと怖い。
タコ焼きを抜きにしてタコ料理は語れないのもまた事実で、材料を集める必要はあるが、今度作ってみるか。
そうなると、あのポコポコと丸形にへこんだ鉄板も必要だな。
まぁ鉄板自体はあるし、雷魔術と土魔術で形を変えてやればそれっぽいのは作れると思う。
試食会の手応えを考えると、今後のタコの入手は難しくはないので、そう遠くない内にタコ焼きを作れる日もくるはず。
「ずるいよアンディ!私抜きで美味しいもの食べてたでしょ!」
その日の夜、食堂に来た俺にパーラが詰め寄ってきて、えらい剣幕でそう言い放つ。
「仕方ねーだろ。お前、どっか遊びに行ってたんだから」
「美味しいの作るって聞いてたらそっちに行ってたよ!」
そうは言うが、この世界の感性からして、パーラもタコを敬遠すると思っていたから、声を掛けなかっただけだ。
決して意地悪とかではないのだが、それを分かってもらえるように説得するのが正直面倒くさい。
「分かったよ、次にタコが手に入ったら食わしてやるから」
「絶対だよ?抜け駆けはしないでよね」
「その時は、是非私も呼んで欲しい物ですわね」
ここにアイリーンも加わり、屋敷で近い内にタコ料理を振舞うことになったが、まぁタコもいつ獲れるか分からないので、その内ということになるだろう。
そう思っていたら、次の日にはタコが屋敷に届いたとミーネから言われた。
なんでも試食会の後、漁師達がタコの味を触れ回ったそうで、今朝から積極的にタコを獲っていた成果だそうだ。
『ターコ!ターコ!ターコ!ターコ!』
まるで悪口の連呼のようだが、声の主であるパーラとアイリーンは、今俺の目の前で焼かれているタコ足の串焼きが出来上がるのを待ち侘びているだけだ。
わざわざ屋敷の庭で試食会の再現をしてまでタコを食べようなどとは、よっぽど昨日のことが羨ましかったと見える。
おまけにアイリーンはこのために仕事を全部午前で済ませていたそうで、そのがんばりはかなりのものだったとレジルは言う。
なお、この焼いているタコは先に調理場で捌いていたものなので、丸々の姿は見せていないのだが、初見であるパーラとアイリーンはやはり吸盤を見て一瞬顔をしかめていた。
ただまぁ、すぐに焼けた香ばしい匂いで表情を蕩けさせたが。
「はい、お待たせしました。タコ足の串焼きです。味付けはしてありますので、そのままかぶりついてどうぞ」
焼きあがった串をパーラとアイリーンへと差しだす。
「これが…見た目はちょっとあれですけど、匂いはよろしいですわね」
「この臭い…アンディ、醤油使ったの?」
クンクンと鼻を鳴らしたパーラが、醤油の匂いに気付いた。
流石というか、食い物に対するセンサーは並外れているパーラだが、少し惜しいのはただの醤油じゃないことまでは見抜けなかったことだ。
「醤油っていうか、魚醤だ。一応そこそこの出来のが完成したから、ミーネさんに分けてもらったのを仕上げで使ってみた」
実は先日、ミーネの手によってついに魚醤が完成を迎えた。
環境別に分けて作っていた魚醤の樽の内、いくつかはダメになったが、ちゃんと出来た物もあったため、今日はそれを焼き上がりの最後に少しだけ塗ってみた。
ミーネに勧められて使ったのだが、軽く炙られて立ち上る匂いは、食欲をそそるいい調味料だと、太鼓判を押したい。
「あぁ、そう言えばこの前完成したって言ってたね。そっか、あれ使ってるんだ」
感慨深げに言うパーラは、魚醤造りに関わることが多かっただけに、こうして自分で口にできる機会が来たことに想いもあるようだ。
「では、頂きますわね……やっぱり見た目が」
「大丈夫ですって。体に悪い物じゃないですから」
まだ躊躇いがちな背中を押すべく、改めてそう言うと、アイリーンも意を決したように串に噛り付いた。
パーラもそれに続き、しばらく咀嚼する二人の様子を窺っていると、不意にその目が同時に大きく開かれる。
『おいしい!』
同時に飛び出した異なる言葉は、それぞれに同様の歓喜が籠ったものだった。
「なんだろう、歯応えがいいね。それに噛むたびに味が出てきて、ずっと噛んでいられるよ」
「ええ。歯ごたえもそうですけど、この香り。魚醤の少しクセのある香りが、噛んだ時の味を引き立てて、食欲を倍増させてきますわ」
「あ、それわかる。なんか普通の醤油とは風味が違うけど、この串焼きにはピッタリはまってるって感じだよね」
「やはり魚から作られたからかしら?相性がいいのかもしれませんわね」
串焼きを頬張りながら、その味わいの感想を言い合う二人の姿は、昨日の漁師達のように、完全にタコの見た目からくる忌避感を吹き飛ばされているようだ。
「ねぇアンディ。他にタコを使った料理ってないの?」
「そうだな、昨日漁師達に出したから揚げってのがある」
「から揚げ!鳥肉で作る奴だよね。タコでも作れるんだ」
「肉かタコかで具が違うだけで、作り方はほぼ一緒だからな」
タコのから揚げの方は、今夜の夕食にミーネが作ってくれる予定なので、今は作らないことをパーラに告げると、不満の声を上げたが、楽しみにすることでそれもすぐに収まった。
「あとはタコ焼きだな」
「焼き?焼いたのなら今食べたけど」
「あれとはまた違うんだがな。こう、さっきのタコの足を一口大に小さく切って、小麦粉と卵で作った生地で包んで焼くって感じだ。まぁこれは材料が足りないから作れないけど」
そう言ったところで、俺の肩に誰かの手が置かれた。
「材料が足りないなら、私が手配しましょう」
手の主であるアイリーンがそう言い、タコ焼きづくりへのバックアップが約束された。
言葉は有難いが、ちょっと目が怖い。
「ですから材料が揃い次第、そのタコ焼きとやら是非私に食べさせなさい」
妙に力の入った目と声からして、恐らくアイリーンはタコに魅入られたと言っていい。
先程の串焼きは、魚醤以外は特別な調理法は使われていないシンプルな料理だったが、マイナスな見た目から入って美味い味を知ってしまったアイリーンは、その落差からいっそ感動を覚えてしまったのかもしれない。
普段見ることのないやや血走った目に、俺は頷くしかできない。
「アイリーンさん!私も私も!」
「ええ。構いませんわよ。その時はパーラも一緒に」
「やたっ」
ちゃっかり便乗したパーラも許しを貰い、小さくガッツポーズをとるぐらいタコにはまったようだ。
「あれ?皆さん何をして……わぁ、いい匂い。何作ってたんですか?」
昼食を摂りに来たであろうメイエルが姿を見せ、辺りに漂う串焼きの匂いに鼻をひくつかせながらこちらへとやってきた。
「あぁメイエルさん、お疲れ様です。実は今、タコの串焼きを作ってたんですよ。よかったらおひとつどうですか?」
まさか追い返すことなどするはずもなく、メイエルに出来上がっていたタコ足の串を差しだしてみる。
例によって、吸盤を見て騒ぐだろう様子を想像するのは、今となっては俺の密かな楽しみだ。
「いいんですか?ではいただきますね。これってなんの肉で…」
串を受け取り、改めてその手にあるのが何かを確認したメイエルはその目を大きく見開く。
さあ、いい悲鳴を聞かせておくれ!
「きゃぁぁぁあ!なんですかこれ!?可愛い~!」
『え』
そう言って顔を蕩けさせながら出たメイエルの言葉に、俺達は揃って間抜けな声を上げてしまった。
確かに悲鳴は聞こえた。
しかしそれは想像したものとは違う、喜びの悲鳴だ。
あれを見て可愛いとは、メイエルの奴、どうかしてるのか?
「あ、あのメイエルさん?それ、可愛いんですか?気持ち悪いとかじゃなく?」
「え~?可愛いじゃないですか、これ。この先っぽがクルンて丸まってるのもいいし、小さくつぶつぶしたのが付いてるのもいい!気持ち悪いなんて、これっぽっちも!」
まぁタコ足の先っぽは茹でた時に丸まったから、クルンとはしている。
だが吸盤をいいと言ったのはメイエルが初めてで、この世界は勿論、多分地球でも少数派だろう。
ちょっと怖くなり、パーラとアイリーンとも顔を寄せて話し合う。
「…おい、パーラ。お前、あれ可愛いって思うか?」
「思うわけないじゃん!同じ女だけど、あそこまで言えないよ、わたし…」
「研究者だからということもあるでしょうけど、あの子の感性が人と大分異なるのかもしれませんわよ」
よかった。
もしかしたら男の俺には分からない何かを女性陣が感じているかと思ったが、そんなことはなかったぜ。
「あぁ~、こんな可愛いのを食べるなんて、私には…でもおいしそうな匂い。くっ、どうすればっ」
どうやらこのメイエル、タコの足を可愛いと言える少しアレな感性の持ち主のようではあるが、ちゃんとそれを美味しそうと感じられる感性もあるようだ。
悩まし気に串を眺めるメイエルにはこれ以上深く聞かないほうがいいと放置することに決め、それにパーラとアイリーンも無言で同意してくれた。
以後、俺はタコ足を焼くだけに努め、パーラ達も味わいを楽しむだけの時間を送ることにした。
感性は人それぞれではあるが、世の中には理解できないこともあると、改めて知った日だった。
獲れたての魚などはそのまま焼いて食べても美味いが、その土地土地に根付いた調理法によるものは、非常にユニークで滋味に富んだものが多い。
とりわけ、日本人は海藻類を好んで食べる民族で、それ以外の国では海藻を食べるところはほとんどないらしい。
よく中国人を指して、『足が四本あれば椅子以外は全部食う』などと言われるが、日本人も海にあるものならとりあえず口にするという点では近い物を感じる。
そんな海産物の中で、圧倒的に消費量を日本人が占めているものがタコだ。
見た目と宗教的な理由でデビルフィッシュなどと呼ばれて敬遠されるこのタコだが、日本以外でも食べる国はそこそこあり、食べる国と食べない国ははっきりと分かれていたりする。
ただ、それでも生で食べるのは日本ぐらいなもので、普通は焼く、煮る、揚げるなどで食べられている。
魚を生で食べること自体、文化としてない国からすれば、タコですら生で食う日本人はどうかしていると思うことは多く、人によっては日本人=悪食というイメージを持つ人も少なくはない。
余談ではあるが、俺は以前、エスカルゴと刺身をそれぞれけなし合う日本人とフランス人の喧嘩を見たことがあるが、あれは醜い物だった。
ああはなるまい。
ともかく、『食は多様性』という言葉があるように、何を食べるか食べないか決めるのは個人の自由で、舌で味を楽しみ、己の血肉とすることこそが肝要だ。
前置きが長くなったが、俺が何を言いたいかというとだ。
「タコ…食いてぇな」
「え?アンディ、なんか言った?」
「ん、いや、なんでもない」
夕食を突きながら、つい口から洩れた言葉に反応したパーラにそう返し、目の前の皿を空けていく。
海に来たのなら魚介類を食うと決めていた俺だが、今日までタコの存在を忘れていたのは勿体ない。
ジンナ村に来てからは、日本ではお目にかかれない珍しい魚料理を楽しんでいたが、ここらで一つ、タコ料理を味わいたいものだ。
日本人にとってタコは故郷の味とまでは言わないが、時折無性に口が欲してしまう。
それこそ、食べないと幻覚・痙攣が襲いかかってくるほどに。
異世界のタコ、どうにかして手に入れられないものか。
翌日、朝の漁が終わった頃を見計らい、砂浜で道具を片付けていた漁師に声を掛け、俺は目当てのものがないかを尋ねる。
「タコぉ?聞いたことねぇな」
「こっちじゃ呼び名は違うかもしれないんですけど、なんかこう、ヌメヌメして丸頭に八本足で」
「足が八本で丸い…ああ、八つ足か。なんだアンちゃん、あんなのが欲しいのかい?」
この世界では八つ足というのか。
一文字違えばおいしい和菓子になりそうだ。
まぁそのまま同じ名前ではないとは予想していたが、特徴は捉えているので名前がなんであろうと一向に構わん。
しかし昆布の時とほとんど一緒の反応からして、あまり価値は認められていないのかもしれない。
タコは比較的浅いところにも現れるらしいし、捕まえたら食ってみようと考えなかったのだろうか。
俺ならそうする、誰だってそうする……はず。
「ええ、まぁ。で、どうですかね。今朝の漁で獲れたりしませんでしたか?」
「いや獲れたも何も、八つ足だろ?あんな気色悪いの、網にかかってたら捨ててるぞ」
「え」
ガーンだな。
こっちの世界だと、タコは網にかかっても放り投げられる程度の扱いなのか。
漁師がいう気色悪いという言葉から、この世界ではタコを一般的には食べてはいないようだ。
そりゃそうか。
日本人が異常なだけで、足八本のヌメヌメした軟体動物を、好んで食べる人間はまずいない。
しかし普通に獲った端から捨てられていては困る。
それを欲している人間もいるのだ。
どうせ捨てるなら、俺が貰っても構わんだろう。
なので、次の漁の時には、タコがかかったら投げないで俺に持ってきてくれるように頼んだが、漁師の嫌そうな顔がまぁすごい。
この世界のタコは、漁の邪魔をする厄介者というわけではないが、出来れば触りたくないほど嫌われているらしい。
なんとか頼み込んで、獲れた時には連絡をくれるよう約束を取りつけ、この日は引き上げた。
それから俺自身も暇な時に海に出てタコを探してみたりしたが、手に入れる機会も無いまま時間が経ったある日、待ち望んでいたタコが水揚げされたとの連絡を貰った。
早速漁師たちの元へと向かうと、魚の加工場に二つの樽を遠巻きに囲む村人たちの集団を見つけた。
どうやら樽の中にタコを入れているようで、誰も近付かないのはやはり嫌われている生き物だからだろう。
漁師達に礼を言って早速その樽の下へ向かい、その中へ腕を突っ込み、一匹を掴み上げて外へと出す。
一匹取り出した時点でもまだ樽の中にはタコがいるので、触るのも嫌なはずのタコを二匹も捕獲してくれたようだ。
有難い。
樽から出されたタコのウジュルウジュルとした姿に、漁師達は一斉に顔をしかめ、近くにいた女達は小さい悲鳴をあげていた。
俺から言わせれば、立派なタコだという感想以外にないが、彼らにとってこの姿はおぞましいものなのだろう。
中々生きのいいタコのようで、頭を掴んでいる俺の腕に、触腕が這い上がってきて締め上げてくる力強さは、新鮮さ以外にも肉質がかなりいいのを推測させるものだ。
食べた時の歯応えを想像して、つい顎をグっと締めてしまう。
意外と言っていいのか、この世界のタコはサイズと見た目は地球の物とほぼ同じだ。
てっぺんから足の先までは、恐らく一メートル強といったところか。
色はやや白寄りの褐色といった感じで、これもさほどおかしなものではない。
不揃いに並ぶ吸盤の様子から、どちらも雄のタコだと分かる。
タコの雌雄を見分けるのは簡単で、足の吸盤が綺麗に並んでいれば雌、不揃いなら雄と言った感じだ。
念のために、タコが人を襲うことはあるのかを漁師達に尋ねるが、積極的に襲われたことはないそうだ。
ただし、ずっと昔に素潜りをしていた人間がタコに顔を覆われて窒息死したことがあるらしく、海中で見かけても手出しはしないのが普通なのだとか。
サイズとしてはこのタコは平均的だが、もっと大きいのも見たことがあるとの声も聞こえたため、種類によってはミズダコのようなでかいのもいるのかもしれない。
なお、イカの方はどうなのかを尋ねると、恐ろしくて遭遇したくもないとのこと。
タコとはちょっと違うリアクションが気になったが、どうもこの世界でいうイカとは、船舶を丸のみにするほどの巨大なものだそうで、地球で言うクラーケンのような存在として恐れられていると見える。
もしかしたら、俺達が海中で遭遇した巨大ウツボのような存在なのかもしれない。
となると、俺もイカを食べる機会はまずないと見るべきか。
いや、自分から可能性を潰してどうする。
タコを食ったならイカだって食いたいのが人情だろうに。
今はまだ無理でも、いずれはと思うことが大事だ。
炙ったイカを肴に一杯やるのを夢見て、今は我慢するとしよう。
しかしこっちの人もイカやタコの美味さを知らずに生きているとは、なんと勿体ない。
わざわざ気持ち悪いのを我慢してタコを確保してくれたことだし、漁師達にタコを使った美味いもんをふるまうとしよう。
漁師達に再度礼を言い、タコの入った樽を担いで一度屋敷に帰り、ミーネに断りを入れて厨房で下拵えをする。
「うわ…キモっ。ほんとにこれ食べれるのかい?」
樽から二匹を取り出し、調理台に乗せたところで、傍にいたミーネが眉をひそめて言う。
「勿論。そのために厨房を借りたんですから。それより、手伝ってくれるのはいいんですが、そんな調子で大丈夫なんですか?これ、触れます?」
新しい食材を持ち込んだことで、興味を持ったミーネが見学を兼ねた手伝いを申し出てくれたのだが、タコの姿を見てこの反応をされては少し不安になる。
彼女の料理人としての腕に疑いはないが、初見の食材に対して腰が引けては困る。
俺も好んで触りたいというわけではないが、ミーネの方は俺の比ではないはずなので、無理なら無理と言ってほしい。
「ちょっと、バカにするんじゃないの。私は料理人、食材を前にしてビビってらんないよ。ほら、何をするのか指示してちょうだい。このタコってのは私も初めてなんだから」
なんだか少しやけくそ気味ではあるが、本職の料理人が手伝ってくれるのなら心強い。
ミーネなら魚を捌くのも慣れているはずなので、派手な失敗もしないだろう。
「…わかりました。じゃあそっちのタコを塩で揉んでください。まずはヌメりをとります」
「揉む…うん、そうねそうね」
出来れば触りたくないというのが顔に出ていたが、先に言った言葉に追い立てられるようにして、ミーネがタコに塩を揉みこんでいく。
塩で揉んでタコのぬめりをとるのは、オーソドックスで簡単な方法だ。
糠でぬめりをとる方法もあるが、生憎ここらでは手に入らないので塩もみでいく。
タコは大根で叩くと身が柔らかくなるので、その工程も取り入れたかったが、これもここらでは手に入らないのでパスだ。
揉んでいるうちに泡が立ってきたら、それを水で流したらまた塩で揉む、という工程を何度か繰り返し、ヌメりが大分取れたのを確認したら、次は熱湯で茹でていく。
足の方からお湯に入れることで全体的に柔らかく仕上がると、死んだ婆ちゃんが言ってたな。
亀の甲より年の功、ここは年長の言葉に従うとしよう。
よく誤解されがちだが、タコの頭はあの丸く膨らんでいる部分ではなく、そこと足を繋いでいる中間の辺りが頭となっている。
頭のように見えている部分こそが胴体なのだ。
全体的に赤くなってももう少し茹でて、体感的に三分ほど経ったらお湯から引き揚げて水に浸ける。
本当は氷水に着けるのがいいのだが、氷の用意が出来ないので今回はただの水で冷ます。
余熱での茹ですぎさえ防げればいいので、これで十分だ。
すっかり足が丸まってしまったタコだが、この状態でもこっちの世界の人間にとっては食欲をそそる見た目とはならないようで、顔をしかめるミーネがそれを物語っている。
しばらく冷やしたら水から出して、足と胴体を分けておく。
部位によって調理法を分けた方がおいしいのだが、今は胴体を使って一品を手掛ける。
作るのはタコのから揚げだ。
俺が知る胴体を使った料理の中で、最もタコの旨味を感じられ、作るのに必要な材料と手間も少ないという、非常に優れた料理になる。
刻み生姜と香草、塩を混ぜた薄力粉をタコの身にまぶし、油で揚げ焼きにする。
色を見て取り出したら完成。
とっても簡単。
我が家ではここに柚子胡椒が欠かせなかったのだが、残念ながらこの世界に柚子胡椒は無いので、今回はこのまま食べてもらおう。
完成したものを皿に乗せ、ミーネと共に試食をする。
「…おいしい。あんな見た目なのにこんな…噛めば噛むほど味が出てくるわね。ちょっとこれ、凄いんじゃないの!?」
徐々に興奮して声が大きくなるミーネは、から揚げを食べる手が止まらない。
元々少ししか作っていなかったが、ほとんどをミーネが平らげてしまった。
「これ、いいわね。なんで今まで食べなかったのかしら」
「見た目で敬遠していたのが大きいんでしょう。吸盤が無数についた足、頭とも胴体ともつかない姿、それと水から上げたときのヌメりなんかはあまり気持ちのいいものではありませんから」
『見た目の印象九割』だったか。
これは人間に対するファーストインプレッションに関してだが、意外と食材にも当てはまると俺は思っている。
「確かに。でも昆布といいタコといい、知られてないだけでまだまだ美味しいものはあるもんだねぇ。アンディはよく知ってたわね?」
「俺の住んでたところだと、タコは普通に食べてたんですよ。それでこっちでも食べてみようって思ったもので」
「へぇ…、なんというか、あんたの住んでたところには随分勇気のある人もいたもんだわ。見た目にビビんないで食べられるってのは、一種の才能なんじゃない?」
「かもしれませんね。でもそれを言ったら、カニなんかは普通に食べてるじゃないですか。あれも見た目はいいとは言えないでしょう?」
カニにしろ貝にしろ、よく見るとグロさはあるものだ。
それでも食べているのには、昔の人間が捕まえやすかったかどうかによる。
比較的浅瀬にいるカニや貝に対し、タコはどうしても海中を泳ぐため、道具が満足になかった人間には手が出しずらかったはず。
そのため、食料としてタコは見逃され続け、道具が生み出されて魚を獲れるようになってからは、さらに見た目から避けられていたのだろうと推測する。
「あぁ、言われてみればそうだね。カニは昔から食べてて気にはならないってだけで、改めて思うと見た目はちょっとアレだわ」
まぁ結局のところ、世にある見た目の割に美味いというものは、最初に手を出した人間が偉いのだ。
先人がいるからこそ、後世でその味を楽しめるようになっているに過ぎない。
今回のタコにしたって、今はまだ敬遠されているが、食べて味を知れば、普通に食べるようになるはずだ。
それぐらいのポテンシャルはあるのだよ、タコには。
「こうなると、足の方も気になるわね。そっちはどう調理する気?」
胴体に味をしめたのか、ミーネが分けておいた足の方にも興味を示す。
吸盤に怖じ気づかないのは、やはり美味いと分かったせいか。
「足の方は…タコ焼きにでもしたいところですが、色々と材料が足りてないので」
タコ焼きに欠かせないソースも紅ショウガも無いし、卵も今は切らしているそうなので生地も作れない。
他で諸々を代用できないことも無いが、正直そこまでしてタコ焼きが食いたいわけじゃない。
俺はタコのから揚げでも十分満足できる男だ。
「タコ焼き?なんだ、焼くだけなら簡単でしょ」
「いや、タコ焼きってのはそういうのじゃ…まぁ焼くだけもでいいか」
ネーミングから誤解されたが、よくよく考えたら下処理をしたタコ足は焼くだけで普通に美味い。
むしろそれがいい。
というわけで、俺とミーネは早速漁師達を集め、屋敷の前でちょっとしたバーベキューを行うことにした。
タコを捕まえてもらった礼と布教を兼ねたものだが、集まった漁師の数は思ったよりも少ない。
やはりタコの不人気は相当な物のようで、試食会の触れ込みではこんなもんだろう。
それでもゼロではないのは、若手漁師の代表格であるワンズにも声を掛けた結果だ。
漁師がタコにビビッてるといった感じで煽ったのが効いたようだ。
チョロい。
そんなワンズには、十四本しかない内の貴重な一本であるタコ足の串焼きを与えた。
最初は吸盤を見て顔をしかめていたが、意を決して噛り付いてからは目を見開いて一気に食らいつくしてしまっていた。
「…これが八つ足だと?くそうめぇじゃねーか!なんで俺達は今まで捨ててたんだよ!?おいアンちゃん!こいつはもっとねーのか!?」
「足はもうないですね。から揚げならまだありますから、そっちも食べてみてください」
どうやらお気に召したようで、お代わりを催促されたが、タコ足の串焼きはワンズを始めとした漁師達に配り終えており、残念ながらその手元にある分だけだ。
他の漁師達もタコ足の美味さに驚いているようで、手元の分を食べ終えると群がるようにしてから揚げの方へと手を伸ばしている。
―おい!お前一気に食いすぎなんだよ!
―うるせぇ!こっちは足を食い損ねてんだぞ!
―誰だ!俺の串食いやがったのは!
―やめろばか!そっちは火があっつ!
―いいや限界だ!押すね!
いや、むしろ殴り合って奪い合っているというのが正しいか。
つい先ほどまでのタコを敬遠する様子から一変したその光景に、苦笑いが漏れる。
とりあえず、味の良さからタコへの忌避感は薄れたようで、この分なら次からは頼まなくてもタコを確保してくれそうで安心だ。
しかしこうなると、タコ焼きを作って食わしてやりたくなるな。
普通に焼いただけでこのリアクションだ。
あの日本人が総じて魅了される粉もん料理を食べさせたら、一体どういう反応をするのだろう。
楽しみなようでちょっと怖い。
タコ焼きを抜きにしてタコ料理は語れないのもまた事実で、材料を集める必要はあるが、今度作ってみるか。
そうなると、あのポコポコと丸形にへこんだ鉄板も必要だな。
まぁ鉄板自体はあるし、雷魔術と土魔術で形を変えてやればそれっぽいのは作れると思う。
試食会の手応えを考えると、今後のタコの入手は難しくはないので、そう遠くない内にタコ焼きを作れる日もくるはず。
「ずるいよアンディ!私抜きで美味しいもの食べてたでしょ!」
その日の夜、食堂に来た俺にパーラが詰め寄ってきて、えらい剣幕でそう言い放つ。
「仕方ねーだろ。お前、どっか遊びに行ってたんだから」
「美味しいの作るって聞いてたらそっちに行ってたよ!」
そうは言うが、この世界の感性からして、パーラもタコを敬遠すると思っていたから、声を掛けなかっただけだ。
決して意地悪とかではないのだが、それを分かってもらえるように説得するのが正直面倒くさい。
「分かったよ、次にタコが手に入ったら食わしてやるから」
「絶対だよ?抜け駆けはしないでよね」
「その時は、是非私も呼んで欲しい物ですわね」
ここにアイリーンも加わり、屋敷で近い内にタコ料理を振舞うことになったが、まぁタコもいつ獲れるか分からないので、その内ということになるだろう。
そう思っていたら、次の日にはタコが屋敷に届いたとミーネから言われた。
なんでも試食会の後、漁師達がタコの味を触れ回ったそうで、今朝から積極的にタコを獲っていた成果だそうだ。
『ターコ!ターコ!ターコ!ターコ!』
まるで悪口の連呼のようだが、声の主であるパーラとアイリーンは、今俺の目の前で焼かれているタコ足の串焼きが出来上がるのを待ち侘びているだけだ。
わざわざ屋敷の庭で試食会の再現をしてまでタコを食べようなどとは、よっぽど昨日のことが羨ましかったと見える。
おまけにアイリーンはこのために仕事を全部午前で済ませていたそうで、そのがんばりはかなりのものだったとレジルは言う。
なお、この焼いているタコは先に調理場で捌いていたものなので、丸々の姿は見せていないのだが、初見であるパーラとアイリーンはやはり吸盤を見て一瞬顔をしかめていた。
ただまぁ、すぐに焼けた香ばしい匂いで表情を蕩けさせたが。
「はい、お待たせしました。タコ足の串焼きです。味付けはしてありますので、そのままかぶりついてどうぞ」
焼きあがった串をパーラとアイリーンへと差しだす。
「これが…見た目はちょっとあれですけど、匂いはよろしいですわね」
「この臭い…アンディ、醤油使ったの?」
クンクンと鼻を鳴らしたパーラが、醤油の匂いに気付いた。
流石というか、食い物に対するセンサーは並外れているパーラだが、少し惜しいのはただの醤油じゃないことまでは見抜けなかったことだ。
「醤油っていうか、魚醤だ。一応そこそこの出来のが完成したから、ミーネさんに分けてもらったのを仕上げで使ってみた」
実は先日、ミーネの手によってついに魚醤が完成を迎えた。
環境別に分けて作っていた魚醤の樽の内、いくつかはダメになったが、ちゃんと出来た物もあったため、今日はそれを焼き上がりの最後に少しだけ塗ってみた。
ミーネに勧められて使ったのだが、軽く炙られて立ち上る匂いは、食欲をそそるいい調味料だと、太鼓判を押したい。
「あぁ、そう言えばこの前完成したって言ってたね。そっか、あれ使ってるんだ」
感慨深げに言うパーラは、魚醤造りに関わることが多かっただけに、こうして自分で口にできる機会が来たことに想いもあるようだ。
「では、頂きますわね……やっぱり見た目が」
「大丈夫ですって。体に悪い物じゃないですから」
まだ躊躇いがちな背中を押すべく、改めてそう言うと、アイリーンも意を決したように串に噛り付いた。
パーラもそれに続き、しばらく咀嚼する二人の様子を窺っていると、不意にその目が同時に大きく開かれる。
『おいしい!』
同時に飛び出した異なる言葉は、それぞれに同様の歓喜が籠ったものだった。
「なんだろう、歯応えがいいね。それに噛むたびに味が出てきて、ずっと噛んでいられるよ」
「ええ。歯ごたえもそうですけど、この香り。魚醤の少しクセのある香りが、噛んだ時の味を引き立てて、食欲を倍増させてきますわ」
「あ、それわかる。なんか普通の醤油とは風味が違うけど、この串焼きにはピッタリはまってるって感じだよね」
「やはり魚から作られたからかしら?相性がいいのかもしれませんわね」
串焼きを頬張りながら、その味わいの感想を言い合う二人の姿は、昨日の漁師達のように、完全にタコの見た目からくる忌避感を吹き飛ばされているようだ。
「ねぇアンディ。他にタコを使った料理ってないの?」
「そうだな、昨日漁師達に出したから揚げってのがある」
「から揚げ!鳥肉で作る奴だよね。タコでも作れるんだ」
「肉かタコかで具が違うだけで、作り方はほぼ一緒だからな」
タコのから揚げの方は、今夜の夕食にミーネが作ってくれる予定なので、今は作らないことをパーラに告げると、不満の声を上げたが、楽しみにすることでそれもすぐに収まった。
「あとはタコ焼きだな」
「焼き?焼いたのなら今食べたけど」
「あれとはまた違うんだがな。こう、さっきのタコの足を一口大に小さく切って、小麦粉と卵で作った生地で包んで焼くって感じだ。まぁこれは材料が足りないから作れないけど」
そう言ったところで、俺の肩に誰かの手が置かれた。
「材料が足りないなら、私が手配しましょう」
手の主であるアイリーンがそう言い、タコ焼きづくりへのバックアップが約束された。
言葉は有難いが、ちょっと目が怖い。
「ですから材料が揃い次第、そのタコ焼きとやら是非私に食べさせなさい」
妙に力の入った目と声からして、恐らくアイリーンはタコに魅入られたと言っていい。
先程の串焼きは、魚醤以外は特別な調理法は使われていないシンプルな料理だったが、マイナスな見た目から入って美味い味を知ってしまったアイリーンは、その落差からいっそ感動を覚えてしまったのかもしれない。
普段見ることのないやや血走った目に、俺は頷くしかできない。
「アイリーンさん!私も私も!」
「ええ。構いませんわよ。その時はパーラも一緒に」
「やたっ」
ちゃっかり便乗したパーラも許しを貰い、小さくガッツポーズをとるぐらいタコにはまったようだ。
「あれ?皆さん何をして……わぁ、いい匂い。何作ってたんですか?」
昼食を摂りに来たであろうメイエルが姿を見せ、辺りに漂う串焼きの匂いに鼻をひくつかせながらこちらへとやってきた。
「あぁメイエルさん、お疲れ様です。実は今、タコの串焼きを作ってたんですよ。よかったらおひとつどうですか?」
まさか追い返すことなどするはずもなく、メイエルに出来上がっていたタコ足の串を差しだしてみる。
例によって、吸盤を見て騒ぐだろう様子を想像するのは、今となっては俺の密かな楽しみだ。
「いいんですか?ではいただきますね。これってなんの肉で…」
串を受け取り、改めてその手にあるのが何かを確認したメイエルはその目を大きく見開く。
さあ、いい悲鳴を聞かせておくれ!
「きゃぁぁぁあ!なんですかこれ!?可愛い~!」
『え』
そう言って顔を蕩けさせながら出たメイエルの言葉に、俺達は揃って間抜けな声を上げてしまった。
確かに悲鳴は聞こえた。
しかしそれは想像したものとは違う、喜びの悲鳴だ。
あれを見て可愛いとは、メイエルの奴、どうかしてるのか?
「あ、あのメイエルさん?それ、可愛いんですか?気持ち悪いとかじゃなく?」
「え~?可愛いじゃないですか、これ。この先っぽがクルンて丸まってるのもいいし、小さくつぶつぶしたのが付いてるのもいい!気持ち悪いなんて、これっぽっちも!」
まぁタコ足の先っぽは茹でた時に丸まったから、クルンとはしている。
だが吸盤をいいと言ったのはメイエルが初めてで、この世界は勿論、多分地球でも少数派だろう。
ちょっと怖くなり、パーラとアイリーンとも顔を寄せて話し合う。
「…おい、パーラ。お前、あれ可愛いって思うか?」
「思うわけないじゃん!同じ女だけど、あそこまで言えないよ、わたし…」
「研究者だからということもあるでしょうけど、あの子の感性が人と大分異なるのかもしれませんわよ」
よかった。
もしかしたら男の俺には分からない何かを女性陣が感じているかと思ったが、そんなことはなかったぜ。
「あぁ~、こんな可愛いのを食べるなんて、私には…でもおいしそうな匂い。くっ、どうすればっ」
どうやらこのメイエル、タコの足を可愛いと言える少しアレな感性の持ち主のようではあるが、ちゃんとそれを美味しそうと感じられる感性もあるようだ。
悩まし気に串を眺めるメイエルにはこれ以上深く聞かないほうがいいと放置することに決め、それにパーラとアイリーンも無言で同意してくれた。
以後、俺はタコ足を焼くだけに努め、パーラ達も味わいを楽しむだけの時間を送ることにした。
感性は人それぞれではあるが、世の中には理解できないこともあると、改めて知った日だった。
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