世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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船の場合もハイジャックと言うらしい

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メイエル達に遅れること5日、本隊ともいえる調査員8人がジンナ村へとやってきた。
三の村を経由してやってきた彼らは、多くの荷物を積んだ荷車と共に村へと入り、到着の報告を受けていたメイエルによって出迎えられた。

「これはメイエル団長、わざわざ出迎えて頂けるとは。分団8名と物資、全て無事に到着しました」

メイエルとは別に分団を率いていたのだろう。
集団から一歩踏み出てきた男性が、どこか慇懃無礼な口でメイエルに語り掛けた。

インテリ風の顔付きは研究者らしいと言えばそうなのだが、切れ長の鋭い目つきから覗く嫌な気配は、善人が持てるものとは到底思えない。
見た目からの偏見だとは言えない何かを、彼には感じてしまう。

「ご苦労様です、ハイガンさん。人も物資も欠けることなく到着できて一安心です。あなたに分団を任せて正解でした」

少しだけメイエルの仕草に硬さが見えるのは、このハイガンという男に対して緊張しているからか。
確かにパッと見た感じでは、ハイガンはメイエルよりもずっと年上のようだが、派遣された研究者達のトップであるメイエルと、分団の指揮官に過ぎないハイガンでは、後者の方が立場は下のはずだ。
一体何を緊張することがあるというのだろうか。

「なにを言われるのかと思えば、この程度の仕事、私にすれば麦を手折る如く容易いこと」

そんなメイエルとは対照的に、ハイガンは薄笑いを浮かべて謙遜しているようだが、その態度はとてもメイエルを敬っているものとは思えない。
自分は優秀だ、これ以上のこともこなして見せると、言外には自分以外が劣った存在だと言わんばかりのものが含まれているのは、彼をよく知らない俺でもくみ取ることが出来た。

「それで例の遺物はどこに?人員も道具も揃ったことだし、早速調査に入りたいものですな」

「…その前に、マルステル男爵に到着の挨拶をするのが先です」

「おお、そうでした。新興とはいえ、領主がいるならば一言入れねば」

メイエルが言った言葉にニヤニヤと嫌らしい笑みでそう返すハイガンは、どうもアイリーンを見下しているように思えてならない。

普通、貴族が相手であれば、騎士爵であろうと伯爵であろうと等しく敬意を抱くのがこの世界の人間であるはずだが、なぜこの男はアイリーンに対してそのような感情になるのか。
貴族嫌いだと言われればそれまでだが、それだけではない気がする。

「ところでメイエル団長、先程からこちらを見ているあの男は?村の人間ですかな?」

少し離れたところで立つ俺に、ハイガンが経った今気づいたという風にその正体をメイエルに尋ねる。
現在、ジンナ村の人間は、研究者の移動に合わせて三の村からやってきた商人が開く市に群がっており、こうしてハイガン達を見ている人間は俺か、マルザン達自警団ぐらいで、見られる側からしたら気になるのだろう。

しかし、なぜマルザン達ではなく、俺をロックオンしたのか。
目立つ動きはしていなかったつもりだが、ハイガンの目に留まる何かが俺にあったのだろうか。
いや、ダンガ勲章持ちとして一部には有名な俺だし、そのあたりか?

「彼がアンディですよ。今回の遺物の調査依頼は、彼が発端です」

「ほう、彼が」

俺に近付いてきたハイガンと対面して改めて気付いたが、この男、研究者というには随分体格がいい。
身長こそ成人男性の平均に収まっているが、緩いローブからのぞく手足は均整の取れた筋肉の付き方をしている。

歩き方からして体幹も十分に鍛えられており、少なくとも俺がこれまで見てきた研究者とは一線を画す強さを匂わせる。

「貴様がアンディか。活躍のほどは聞いている。飛空艇をソーマルガにもたらしたという……ふっ、思ったよりも小さいな」

頭一つ上から見下ろすハイガンの目は、とても友好的な物とはいえない。
俺とこいつは初対面のはずだが、何か恨まれることでもしただろうか。

「…まだ成長期なもので。そちらは俺の名前を知っていても、俺は名乗られていないので、教えてもらえると助かるのですが」

名前は知っているが、あくまでも名乗られたわけではないので、尋ねるのはおかしくはない。
少し棘のある声色になった閉まったのは、ハイガンから向けられた悪感情にいい気がしていないからだ。

「…ふん、ハイガンだ」

よろしくという言葉も無く、背中を向けて去っていくハイガンを見送る。
全く心当たりはないが、随分と嫌われたものだ。

「ではメイエル団長、私は領主殿へ挨拶に行く。後は任せてもよろしいか?」

「あ、はい。どうぞ行ってきてください」

そう言ってハイガンが屋敷の方へと歩き出した。
到着した人員はメイエルに任され、彼らも命令を受けて動き出す。
それを見て、今度はメイエルが俺に近付く。

「ハイガンさんがすみません、アンディさん」

先程の俺とハイガンのやり取りについて、なぜかメイエルが謝る。
一応調査団のトップとしての謝罪かもしれないが、ハイガンの態度はメイエルには一切責任はないはずなので、その謝罪は必要ないものだ。

「いえ、メイエルさんが謝ることでは。……俺、なんか嫌われることでもしましたかね?」

「さあ…元々気難しい人なんですが、今のはちょっと目に余りますね。旅の疲れもあったのかもしれませんけど、初対面の相手にとる態度ではありませんでした。後で注意しておきます」

「注意、できます?」

「うっ…が、がんばります」

メイエルの性格的に、あまり人に強く出れそうにないのでそう言ったが、返ってきた言葉も弱かった。
一団の長なら強く言って引き締めを図るべきなのだろうが、まぁメイエルには難しいか。





「なかなか壮観だ。聞いてはいたが、こうして実際に見てみるとより大きく見える」

アイリーンに挨拶を終えたハイガンと合流し、実際の調査に入る前にまずは実物を見ようと、研究者達を引き連れて浮き桟橋へとやってきた。

既にメイエルを始めとした先に到着した研究者達は実際に見て、船内にも足を踏み入れているが、ハイガン達は初めて見る船の姿に、圧倒されているようではある。
もっともそこは遺跡研究者だけあって、巨大な遺物を前に興奮を抑えきれないという様子も見せている。

先程のやり取りもあって、ハイガンの鼻を明かした気がして少しだけ気分はいい。

「しかし二隻あるとは報告にはなかった。報告は正確にしてもらわなければ困るのだがね」

そう言ってジロリと俺を睨みつけるハイガンは、まずもって俺に対する悪感情を隠そうとしなくなっている。
確かに数を誤って伝えたことはよくないが、それにしては私情が随分とこもった非難だ。

「ハイガンさん、そのことに関してはマルステル男爵から謝罪があったはずです。アンディさんをあまり責めるのは、男爵の不興を買ってしまいます」

「ふんっ、わかっているとも、団長殿。だが言いたくもなる。この規模の遺物を調べるなら明らかに今連れてきている人員では足りぬだろう」

「ですから、追加の人員を連れてくることになっていて―」

ネチネチと、明らかに俺に向けてであろうハイガンの言葉が耳につく。
メイエルが俺を庇うように反論しているが、ハイガンの冷めた目が向けられているのが俺一人であることから、これはイチャモンをつけたいだけだとわかる。

感情を出さず、ハイガンの言葉をただ黙って聞いていることにした俺だが、そうしているとハイガンも段々と意識を船の方へと向け始め、研究者としての仕事に入り始める。

「それでは中に…入っていいのかね?アンディ君」

一応といった形で、現在の所有者に確認をとったハイガンに、俺も断る理由は無いので許可を出す。

「ええ、どうぞそちらから入ってください」

「では失礼する」

俺が指差した先にあるタラップを昇り、ハイガンを先頭に研究者達が船内へと足を踏み入れる。

『ようこそ、ヘイムダル号へ』

すると早速ヘイムダルの無機質な声が出迎える。

「む!…今の声は」

「今のが報告にあった、人工の人格です」

身構えるハイガンとは違い、既にヘイムダルと面識があるメイエルが声の正体を明かす。
先行してやってきていたメイエル達には、船内への立入とヘイムダルとの対話の機会が十分にあったため、先んじて知っている者としてハイガン達の不安を取り除こうとしてくれていた。

『はじめまして。私はヘイムダル、本船の運航を補佐しています』

「う、うむ、そうか。…これが人工だと?受け答えはまるで普通の人間と同じではないか」

「ふふ、驚きますよね。私も初めて言葉を交わした時は同じでした。でも確かに人の手によって作り出されたものなんです。少し時間をかけて話してみれば、そうなのだとなんとなくわかります」

たじろいでいるハイガンに、話すメイエルはドヤ顔だ。
ヘイムダルを先に知っていた人間として、ハイガンに以前の自分を見ているのだろう。

声の無機質さは個性の一つ程度にしか思わないこの世界の人間も、ヘイムダルと話し込んでみればその融通の利かなさや、過剰なまでの人間側を立てる態度に、人間ではないと嗅ぎ取れる何かを察してしまうらしい。

「なるほど。……これなら」

ハイガンが極小さく呟いた言葉が、妙に俺の耳に響いた。
聞き逃すことはできたが、気になってしまったからには尋ねずにはいられない。

「これなら、とは?」

「…君には関係ないことだ。思索で漏れた言葉に一々反応するものではないぞ。みっともない」

みっともないとは随分だな。
別に追求するつもりでもない、ただ何となく聞いただけの言葉にこうも冷たく返されるとは、なんともよくわからん嫌われ方だ。

「…失礼しました」

機嫌を悪くしたハイガンに、俺も深く突っ込む気にはならず、それだけを言って離れる。
一方的に嫌悪感を叩きつけてくるこのハイガンに、あまり付き合う気にはなれない。
あとのことは研究者同士、メイエルに任せて俺は別の場所へと向かうことにした。

船内で立入禁止の場所もメイエルは分かっているし、なんならヘイムダルが監視をしている。
俺がいなくても問題はないだろう。
怪我のこともあるし、メイエル達が去るまでは俺も船内の部屋で少し休むことにしよう。




その夜、ハイガン達の無事の到着を祝って、アイリーンの屋敷で食事会が開かれた。
メイエルが来た時にも開かれた食事会だが、マルステル男爵領の食事情的にあまり派手にとはいかないが、最近完成が見えてきた魚醤と昆布出汁を使った料理はかなり味がよく、質素な料理にそぐわないクオリティの味わいに、参加者達は驚いていた。

ハイガンも昼間の俺に対する態度はどこに隠したのか、アイリーンに対して礼儀正しく接しており、別人を疑わせるほどだ。
このことから、ハイガンが俺を嫌っているのは明らかで、いっそ憎んでいると言ってもいいかもしれない。
食事会の間、意識してハイガンと距離を取っていたおかげで分かったことだった。

食事会も終わり、研究者達は仮宿として与えられた空き家へと戻っていった。
ベロンベロンに酔っぱらったメイエルは、アイリーンの計らいで屋敷内に部屋を用意してもらっていたのでそこに放り込まれた。
なんだかんだで、機材が揃ったことで調査が進む目途が立って安心したようで、浴びるように酒を飲んでいたのが効いたようだ。

俺もこの日は屋敷に泊まることにして、すぐに寝床へ潜り込んだ。
今日は謂れのない非難を受けて、精神的に疲れた。
明日からは、ある程度人が揃うまでと先送りにしていた貨物区画の案内をしなくてはならない。

あのハイガンと明日からも顔を突き合わせるのかと思うと気が滅入るが、必要なことと割り切ろう。

そんなことを考えながら徐々に訪れてきた眠気に身を任せようとした瞬間、枕元に置いていたタブレットからヘイムダルが話しかけてきた。
短距離通信がアクティブとなっている現状、この屋敷程度ならば十分ヘイムダルが通信できる範囲内だ。

『睡眠中のところを失礼します、船長。現在、ヘイムダル号に不審人物が潜入しています。対応の指示をお願いします』

船内に不審人物という、眠りかけていた頭にはショッキングなワードに、意識は覚醒へと動き始めた。

「村の人間か?子供とかだったら警告を出して出ていかせろ」

『子供ではありません。船長達と一緒にいたハイガン様です』

ハイガンが?
なんでまたこんな時間に船に入ったりしてるんだろう。

「…侵入してどこに向かってる?」

まだ危険を明らかにしていない貨物区画に入られるのは流石にまずい。

『進行方向には操舵室があります。恐らく目的地はそちらかと思われます』

「操舵室?確か俺以外が入らないようにしていたよな」

『はい。開閉機構は船長の指示がない状態で動かすことは―警告。船内で熱爆発が発生しました』

「なんだと?どういうことだ」

『ハイガン様が爆発物を使用したようです』

爆発という言葉を聞いてから、すぐに俺はタブレットを抱えて窓から飛び出していた。
噴射装置を身に着ける暇も惜しみ、強化した脚力で夜の道を駆け抜けていく。
目指すのは当然、ヘイムダル号だ。

「被害は!?」

『隔壁表面が焦熱による被害を受けました。ですが、深刻な被害は発生しておりません』

走りながらタブレットに尋ね、返ってきた言葉に少しだけ安心した。
どうやら大した爆発ではなかったようだ。

しかし、船内で隔壁を破壊するために爆発を使われたことは事実で、ハイガンに対する危険度は跳ね上がった。
こんなことなら夜間の船内立入は物理的にできないようにしておくべきだったか。
まあこれは毎朝毎晩にタラップの収納と展開をする手間を惜しんだ俺が悪い。

タラップを駆けあがって船内に飛びこみ、明かりの灯っていない通路を通り、操舵室前へと到着した。
ハイガンが持ち込んだであろうランプのみが光源となっているそこに、焦げた隔壁に触れているハイガンの姿を見つけた。

「ちっ、あれでも壊れないか。……忌々しいが、流石古代文明と言わざるを得ないな。そうは思わないかね、アンディ君」

背後を見ることなく、俺だと判断して投げかけられた声は、確かにハイガンのものだ。
しかしその恰好は昼間のゆったりとした服装とは異なり、全身のシルエットが分かるほど、体に沿った作りの黒い服装に変わっていた。
僅かに見える横顔も、目元以外は黒い布で覆われていて、暗闇の中で遭遇したら、正体を見抜くことはまず不可能だ。

恐らく侵入のために用意した物だろうが、それがあるということは、最初から侵入する気があったのだろう。
つまり、侵入したのは間違いでしたというのはあり得ない。

「…もし仮に好奇心からだとしても、壊そうとするのは感心しませんね」

妙な雰囲気だ。
後ろめたいはずのハイガンだが、声からは焦りや不安といったものは微塵も感じられず、こうして俺がここに現れたのにも驚いている様子は一切ない。

「うむ、貴重な遺物だ。徒に壊すのは感心しない。だが私は、必要とあらばそうするのを躊躇わん」

「必要とあらば、ですか」

「ああ。急なことで驚くと思うが、この船は私が貰い受けることにしたのでね。操舵室に入る必要があった」

やはりというか、意外というほどでもないハイガンの告白に、内心の警戒度を一気に引き上げる。
操舵室をこじ開けようとしたのだ。
狙いが船の奪取だとは容易に想像できる。

「なぜそんなことを?研究成果を独占したいとかなら、メイエルさんと交渉してほしいんですが」

「ふっ、ふはっはっはっはっは!研究成果など!貴様は私が本当に心から、ソーマルガのために動いていると思っているのかね!」

振り向きざま、高らかに笑いだすハイガンの姿に、俺は背中に走るものを覚える。
狂気に片足を突っ込んだような豹変ぶりに、昼間に見たインテリ風の研究者としての姿は欠片も無い。
いや、もしかしたらこちらが本性なのか?

「…一つ、昔話をしようか。ある所に貧しい兄弟がいた。その兄弟は生きるためにあらゆる悪事に手を出し、捕まった後、ある国の間者として使われるようになった」

珍しい話ではないな。
悪事に手を染めて生きている人間ほど、国にとっては消耗品として使い勝手はいい。

何故急にそんな話を、と思ったが、どうにも俺はこの話を聞く必要がある気がしてならない。
これから聞く話の内容に、ハイガンが起こしたこの行動の理由が込められている可能性がある。

「兄弟はとある国に潜り込み、年月をかけて地盤を築き上げた。ある時、国元から王族の誘拐を指示され、実行に移したが失敗。その兄弟の内、実際に王城に忍び込んだ弟の方が捕らえられ、尋問の末に処刑された」

ここまで聞いてみて、なにやらピンとくる部分があった。

「…ミエリスタ王女誘拐未遂事件」

あくまでも想像だが、話に出て来るその兄弟の兄がハイガンで、弟の方は以前、ミエリスタ王女を誘拐しようとした某国の間者ではなかろうか。
現場に居合わせた人間の一人として、ハイガンの話はそれを想起させるのに十分なものを感じられた。

俺のつぶやきに、ハイガンの目が笑みで歪むのが分かる。

「そうだ。貴様が防いだ事件だ。あの時、捕まった賊は私の弟だったのだよ。あぁ、勘違いはするなよ?別に敵討ちなど考えてはいない。失敗したのは弟が私の指示を無視したせい、いわば自業自得だったのだからな」

先程までの話には、仲が良かったとは一言も無かったが、それでも兄弟というのはそう憎み合うものではない。
だというのに、ドライなことを口にするハイガンの言葉には、悲しさや陰りといったものがないのは、それだけ兄弟仲は冷え切っていたということか。

「まぁここまで言えばわかるだろう。私はね、この船を手にして国へ戻るつもりなのさ。これだけの巨体に高度な技術、人間と対話すら可能な人工頭脳…。王女誘拐の失敗を帳消しどころか、爵位すら狙えるじゃあないか!ふはーっはっはっはっはっは!」

なるほど、ハイガンはエリーの誘拐に失敗し、ソーマルガに残らざるを得なかったスパイだったわけか。
恐らく、あのハイガンの俺に対する悪感情もこのせいか。

弟が尋問で情報を吐かされ、自国の不利益を招いたその責任を追及されたか、あるいは口封じで暗殺されるのを恐れて、自分からソーマルガの研究者としての立場に身を潜めて今日まで生き延びてきたのだろう。

今のソーマルガでは、飛空艇の強奪は難しいが、発見されたばかりのこの船であれば、ガードも緩いし盗むのは比較的容易だ。
国元に返り咲く手土産にしても、十分お釣りがくる。

「……しかしそれも、この操舵室を開けないことにはなんともならん。まさかここまで頑丈だったとはな」

コンコンと、隔壁を叩いて溜め息をつくハイガンだが、彼は知らないのだろう。
そもそも、船の運航にはヘイムダルが不可欠で、そのヘイムダルは船長である俺の指示がなくては船は動かせない。
つまり、操舵室を抑えただけでは意味がないのだ。
もっとも、丁寧にそのことを教えてやる必要はないので、勘違いをさせたままにしておこう。

「できればじっくりと挑みたかったが、見つかっては仕方ない。貴様の口を封じてから、またゆっくり開放作業に臨むとしよう」

「妙にしっかりと語ってくれると思っていたら、そういうことですか」

どうせ殺すのだから、全部話してしまっても問題ないというわけか。
案外、今日までの苦労なんかも誰かに話したかったのかもしれない。
功績や苦労を誰かに話せない、スパイの悲哀だな。

「なに、それ以外にも貴様には恨みもある。私をこんな状況に追い込んだ責任は、主に貴様にあると思っていてね。あぁそれと、弟の仇もついでに討たせてもらおうか!」

ハイガンが腰に提げていた剣をゆっくりと抜きながら、ふと思いついたように弟の仇と口にした。
ついでと付けている辺り、本当に敵討ちは考えていなかったようだ。

「逆恨みもいいところですね」

「ふっ!そうかねっ!」

言い終わってすぐに飛び掛かってくるハイガンの一撃をギリギリで躱し、その場から大きく後ろへと飛び退る。
その際、カウンター気味にハイガンの脇腹に蹴りを放つが、硬い手応えから察するに、鉄製の防具を服の下に着こんでいるのは分かった。

効果的な反撃ができない不甲斐なさに、思ったよりも大きい舌打ちが出たところで、自分の脇腹に熱さを伴った痛みを覚えた。

先程のハイガンとの交差で、一撃を掠らせてしまったようだ。
流石スパイだけあって、実戦に向いた見事な剣裁きだったが、俺の体調が万全でないこともあっての傷だと言える。

同じ脇腹に攻撃をし合ったにも拘らず、向こうにダメージはなく、俺は切り傷を負っているのだから、ますますもって武具と生身の差に歯噛みを堪えきれない。

ハイガンと対峙しながら、水魔術で体内から傷を塞いでいく。
実戦で敵を前にしながら治療するのは隙にしかならないのだが、幸い今いる場所は薄暗く、魔術で治療しているのは立ち位置次第で隠せる。

傷は浅くはないが、出血が無いのは有難い。
ただ気になるのは、脇腹の傷がどうにも出血以外で熱を帯びていることだ。

それに、自分の体からは人体が焼ける嫌な匂いが微かにしている。
ということは、間違いなく俺は今、剣で斬られた切創と火傷を負っていることになる。

「ふむ、躱された…いや、掠ってはいたか。どうだね?傷の具合は。焼けるようだろう?」

払うようにして剣を振り、投げかけられる声には嘲笑が混じっている。
どうやらこの傷の状態は、ハイガンが予定した通りのもののようだ。

「…その剣、熱を伴って攻撃をする魔道具…いえ、魔導器ですか」

いくつか考えられる原因の中で、一番可能性の高そうなものを口に出してみる。
すると、ハイガンが俺の言葉にいやな笑みを浮かべる。
最もあってほしくない予想が的中してしまったようだ。

「いかにも。こいつは古代の魔導文明期に作られた魔剣だ。銘はないが、便宜上、溶岩剣と呼んでいる。どういう技術か、活発化した火山の溶岩をそのまま剣に閉じ込めたという逸話から、そう名付けた」

「ははっ、なんだそりゃ。逸話だけなら伝説に謳われてもおかしくない剣だ」

ハイガンの奴、まさかのチートアイテム持ちか。
こっちは着の身着のままで飛び出してきたから、武器の類は全くもってないというのに。
防具のない体には、熱を伴う斬撃は最悪だ。

その手にあるのは、一見すると黒一色の長剣と言った感じで、やや幅広なのは重量を増しているはずだが、それを感じさせないほどに軽々と振るったことから、ハイガンも細身の見た目よりはそれなりに力はあるらしい。

「実際、伝説に出てくる炎の魔剣など、いくつかはこれが原典だと私は睨んでいる。ソーマルガのある貴族が家宝としていた逸品でね、調査の名目で借り受けた際、偽物とすり替えて私が隠し持っていたのだよ」

「国お抱えにも、手癖の悪い研究員もいたもんだ」

国が身元を保証しているはずの研究員が偽物とすり替えるなど、普通は考えるはずも無く、その貴族はまんまとハイガンのいいカモとなってしまったわけか。

「もっとも、この剣も本来の力は大分失われているそうだ。恐らく鉄すらも焼き斬れたと思われるものが、今ではそれすらも難しい…。だが、人一人を炭に変えるには十分な威力はある」

「……爆発もその剣で?」

「あれは他にも道具を組み合わせた結果だ。剣単体で起こせるものではないよ。それなりに威力はあると自負していたのだが、古代文明の扉の頑丈さの前には数段劣っていたようだ」

その答えに、密かに安堵の息を吐く。
溶岩剣とやらがもし、あの隔壁を焦がすほどの攻撃を繰り出せるとしたら、丸腰の俺は溶け死んでしまうのだが、そうではないのなら多少はマシだ。

無手の状態から好転はしていないが、最悪の方へと傾かなかったことだけは喜べる。
しかしこっちの武器が全くないのは辛い。
おまけに、腹に負った傷に加え、先日負った怪我が効いていて、動きは大分鈍くなる。

これは正面からやり合うのはまずいな。
俺も熱で斬れ味を増した剣を使うから、溶岩剣の恐ろしさはよく分かる。

人を呼びに一時撤退、というのもありだが、先程のハイガンのスピードを考えると、背中を見せたら即やられそうな気がする。

外に何かしらの合図を出すにも、ここからだと船の外へのアクセスが遠すぎる。
爆音を出しても外までは届かないだろう。

こうなると、ハイガンを倒すのが一番確実な生き延びる手段だと結論付けられる。
武器もない状況でだ。

数年越しに自分が蒔いた種が、このハードな状況を生み出していると考えれば、因果というのは本当に怖い。
もっとも、これは俺が悪いわけではない。
完全に向こうの逆恨みに近いので、何の遠慮も無く抗えるのは気が楽でいい。

ハイガンを倒すにしろ、逃げるにしろ、全力でやらせてもらおう。
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