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精霊なんていないさ、精霊なんて嘘さ

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基本的人権など存在しないこの世界で、子供の生存率と言うのは決して高くない。
そもそも衛生観念が弱いこともあって、無事に生まれてくる時点でラッキーだというほどだ。
子供の内に病気にかかったり、あるいは魔物や盗賊に襲われたりして命を落とすということが珍しくないだけに、たとえ自分の子でなくとも大人は子供を大事に見守る。

そういうものだと、思っていた。
だというのに、今俺の目の前にある事実は一体なんだ?
村を助けるために子供の命を犠牲にする?
なるほど、大を生かすための小というのは単純に数字の多寡で見れば理にかなっている。

だが敢えて言おう。
バカげている、と。

「子供は初めから、二つの権利を手にして生まれてくる。一つは生きる権利、そしてもう一つは幸せになる権利だ。子供というのはか弱い。だから周りの大人が育み、幸せに生きられるよう手助けするべきだろうに」

俺の言葉に、老人の何人かは思う所があるのか、目線を下げてしまった。
視界にある俺と少年を見ることが出来なくなったのは、まだ彼らに良心と罪悪感が残っているからだ。

「…言うは容易いが、今のこの村の現状を見ろ!このままいつまでも流砂に閉じ込められていては、我々は終わりだ!」

「なるほど、仰る通り。では村を離れて避難というのはどうか?幸い、俺達の飛空艇はそれなりの数の人間を運ぶことが出来る。しばらくどこかへと身を寄せて、新しい村を一から作るか、流砂が消えるのを待つかしてもいいだろう」

もし避難するというのなら、俺もハリムやグバトリアに掛け合って出来る限りの支援を引き出す。
案を出したのは俺なのだから、それぐらいはやるべきだ。
でかい借りを作ることになろうとも、大勢の命を守れるなら大したことではない。

「それは…できん。我々は長い年月をこの村で過ごしてきたのだ。この土地で生きて、この土地で死ぬつもりだった。今更他の土地へ移ったところで生きてはいけんよ」

人間、誰しも生まれた土地を大事に思うもので、確かに命の危険はあるが、それでも村を離れるまでにはまだ切羽詰まっていない現状、避難は受け入れられないだろうと思っていた。
なので、この反応は予想済みだ。

「であるならば、流砂の方をどうにかするしかないな」

「だから精霊様に生贄を―!」

「居もしない精霊に生贄を捧げて何になる?そもそも、精霊は生贄を寄こせと自分から言ったのか?それではただ子供の命を奪うだけで、流砂は収まらないということに何故気付かない」

精霊信仰というのは辺境の村ではよくあることらしいのだが、このヌワン村は砂の精霊に対する信仰が恐ろしく高いように思える。
過去に精霊絡みで何かあったか、もしくは元々の土着の神がそういう精霊がベースとなっていて、その信仰が現在まで続いているというケースも考えられる。

とにかく、まずはその精霊に関する思い込みをぶっ壊すところから始めた方がよさそうだ。
なにせ、流砂は精霊など関係なしに発生する自然現象なのだ。
精霊への畏怖を持ち続けるのは勝手だが、それに振り回されて人の命が浪費されるのはあんまりだろう。

この子供を助けることは勿論だが、村人に子供を犠牲にして助かるという罪悪感を持たせないためにも、やるべきことをやらねば。




場所は変わり、発生している流砂が見えるという、ヌワン村にある見張り台で、俺とパーラは眼下にある流砂を見下ろしている。
その流砂は、直系20メートルは優に超えているだろうか。
少しづつ砂が一点を目指して移動している以外はただの砂地だが、過去に一度飲み込まれたことのある俺からすれば、この分かり辛いのが流砂の怖いところだ。

俺達から少し離れ、同じく流砂を見守る多くの村人達は、一様に不安げな様子が見て取れる。
彼らの中には村長をはじめとした老人達の姿もあり、険しい顔で俺達を見ているのは、これから行われることに対して、強い思いを抱いているようだ。

多くの注目を集める中、俺とパーラがこうしてここにいるのは、この流砂に対して特大の魔術を叩きこむためだ。

砂の精霊を信じ切っているヌワン村の人間の前で、その精霊がいると思われる流砂を攻撃する。
これにより、精霊が存在していれば俺とパーラは怒りを買って悲惨な目に合うが、もしいなければ魔術は流砂を吹き飛ばす、と村長達には説明してある。

これを話した時は、罰当たりだとヒステリックな反応を示した老人達だが、砂の精霊を信じていない俺とパーラはこれを無視。
むしろ部外者である俺達だからこそできることだと説得し、万が一精霊の怒りで罰でも受けたら俺とパーラを生贄として流砂に放り込んでくれて構わないと言うと、渋々だが一応認めてはくれた。

成り行きを村人達にも見届けてもらおうと、こうして村長達に集めてもらったわけだが、彼らはこれからしようとしていることが罰当たりだと分かっているため、精霊の怒りを買うであろう俺達のとばっちりを恐れ、ああして遠巻きに見るだけという形になっていた。

「んじゃ、始めっか」

「うん。まずは私からだね」

そう言い、パーラが目を閉じると、体の周りを竜巻のような風が覆い始めた。
小さな竜巻と言っていいそれは、空気の回転を徐々に早めていき、辺りには甲高い音が断続的に響いていく。
とても空気の回転で出るような音ではないが、それだけこの魔術は高い威力を秘めているということを伺わせる。

そして、パーラに少し遅れ、俺も小物入れから取り出したコッズ鋼の指輪に雷の魔術を纏わせながら、どんどんと魔力を送り込んでいく。

このコッズ鋼の指輪はチャスリウスで見つけたもので、今は手元に一個しかないレアアイテムだ。
しかし、流砂を吹っ飛ばすのにはコッズ鋼を弾体にしたレールガンが一番適しているので、ここで使ってしまう。
…本音を言えば、この指輪は非常に高価なので、出来れば温存しておきたいところではあるが。

掌にある指輪が白く光りを放ちだし、もういつ爆裂してもおかしくはない臨界状態となったところで、パーラに目配せをする。
するとパーラもタイミングを計っていたのか、それに頷きを返すと、身に纏うようにしてあった竜巻を肩から腕、そして掌へと圧縮しながら移動させると、突き出す手から目の前に向けて一気に放つ。

ドンという音と共に、槍のように尖った竜巻が流砂の中心辺りに突き刺さった瞬間、砂が柱を作るようにして高く舞い上がった。
それを見ていた村人達が悲鳴を上げているが、それに一々反応している暇はない。

「アンディ!」

「おう!」

パーラの合図に答え、砂柱が立つ中心に向けて、とっくに臨界状態となっていたレールガンを、ダメ押しにありったけの魔力を注いで発射する。

一条の光と言うのも生易しい、まるで光の柱が真横に映えたかのようにして突き進むレールガンは、あらゆる音が霞むような爆音を響かせて、砂の柱と流砂があった地面を飲み込んで抉っていく。

先にパーラが砂をかなり巻き上げていたことで、レールガンはその威力をほとんど減衰させることなく流砂の底へと到達したのか、少し経つとズンという重い音が一度だけ、地面の下から響いてきた。
そして少しの間を置いて、ゴロゴロという岩が崩れる音も微かに聞こえてくる。

流砂というのは砂が下に向けて流れていく自然現象だ。
つまり、流砂の下には大なり小なり空間があるはずで、俺の魔術はその空間を直接叩くための一撃となる。

抉りこむようにして砂の向こうへと消えたレールガンは、飛び込んだ先の地下にある空洞で圧縮されていたプラズマを解放した。
一気に膨張する空気とレールガンの衝撃波に加え、膨大な砂によって常に上から掛けられる圧力が岩盤の強度の均衡を崩し、容易く崩落を招くことだろう。

誰一人口を開くことのない、砂の下から聞こえる不穏な音だけが辺りを支配していたほんの少しの時間。
その終わりは、目の前の砂地が様相を変え始めるとともにやってきた。

始まりはボソンという、何かが落ちたような軽い音だった。
その音が鳴ってすぐ、まるで地下に巨大な掃除機があるかのように、加速度的に砂が次々と流砂へと吸い込まれていく。

そして、少しずつ辺りの地形にも影響が出始める。
平坦だった流砂周辺は、地下へ向かう砂の流動によって角度が鋭いすり鉢状に変わっていき、砂煙も発生していた。

サーという音と共に今も絶えず砂を飲み込んでいる様子から、地下空洞の規模は予想よりもかなりの大きさだったと思わせる。
たった一発のレールガンで崩落させられたのは運がよかったかもしれないな。

崩落の音と砂が流れる音は暫く続いていたが、それも徐々に治まっていき、砂煙も落ち着いた頃、目の前には元・流砂だった現・すり鉢状の大地が誕生していた。

―おぉ、流砂が…

―なんと

―精霊様が!

流砂が地形ごと消えたことで、驚く人や嘆く人など、村人達の反応は様々だが、俺の方は一安心といったところだ。

事前の調査はあまりできなかったが、地下の空洞を崩せばとりあえず流砂は一つ潰せて、それで村の外へと繋る道が生まれるという狙いがあった。
もちろん上手くいかない可能性もあったし、そもそもここの流砂が俺の想像とは違うものだった場合、この行動は全くの無意味となる。

しかし実際は、多少地形は変化したが、見事に流砂は消え去り、この先にある街道までの道は安全なものとなったはずだ。
もっとも、まだ他に流砂がある以上、安全宣言とは言えないが、それでも村が封鎖されていた状況からは脱出できた。

この先に別の流砂があるという可能性も考え、まだしばらくは周辺を調査する必要はあるが、それでも村にのしかかっていた重しが一つ、取れたことの影響は決して少なくはないだろう。

そして、過去最大級に魔力を絞り切った俺とパーラは、訪れている倦怠感に襲われるまま地面に座り込み、ただただボーっとした時間を過ごしている。
これまでも魔力を大量に使った後はダルさを覚えていたが、今回のは特に凄いもので、例えるなら冬に炬燵で寝過ごしたような感覚を何倍に模した感じだ。

「…本当に流砂がなくなったのか?」

グテっとしている俺達に、村長がそう声を掛けてくる。
たった今目の前で起きたことをまだ信じられない思いが残っているようで、寄せられた眉の下にある目には動揺が浮かんでいる。

「ああ、この通りだ。やはりというか、当然というか、砂の精霊も出てこなかっただろう?」

「何を言うか!お前達が精霊様ごと吹き飛ばしたのだろう!」

流砂が精霊の意思だとすれば、そこには精霊が宿っていたという持論を持つ老人達は、俺とパーラが流砂と精霊を一緒に吹っ飛ばしたと主張するが、それは少し苦しい言い分だ。
現に、パーラは今の老人の言葉を受けて底意地の悪い笑みを浮かべ、静かに反論しだした。

「へぇ、私達が精霊を?ねぇアンディ、いつの間に私達って精霊を殺せるぐらいに強くなったんだろうね。あ、それとも、砂の精霊って私達でも倒せるぐらいに弱かったのかな?やーだもう、笑えないんですけどー。ぷーくすくすくす」

この世界の精霊というのは、基本的に人間が相手して倒せるような存在だとは思われていない。
所謂超自然の化身のようなもので、こちらから害することも出来なければ、向こうから攻撃してくることもまずない。

そういう特別な存在だからこそ信仰の対象になるわけで、この老人の言葉は砂の精霊が疑わしい存在であることを助長しかねないものだった。

「小娘が!精霊様を侮辱する気か!」

「侮辱も何も、吹き飛ばしたって言ったのはそっちだよ?これだけやって私達は精霊の怒りとやらを買ってる様子もない以上、砂の精霊は最初からいなかったってことになるんじゃない?」

「ぐっ…ぅ」

正論というには些か突飛な物言いだが、パーラの言葉は全くの的外れというわけでもない。
精霊の仕業とされている流砂に手を出していながら、未だ俺とパーラには天罰的な物が下っていない以上、やはりその存在は疑わしいものだと言える。

仮に砂の精霊がいるとして、今回の流砂騒動には関係していないというパターンもあるため、頭から存在を否定することはしないが、生贄の必要性には懐疑的にならざるを得ない結果だろう。

「パーラ、もうその辺でいい。村長さん、とりあえず村を封鎖していた流砂の一つは消えた。精霊の怒りなんてのとは無縁だというのも分かった。さて、これで生贄は必要なくなったと言っていいな?約束通り、あの子を自由にしてもらいたい」

流砂から村を解放すること、精霊の怒りが無いことの証明を持って、あの生贄の子供は自由になる。
村長とはそう約束していた。
それを今、果たしてもらおう。

「…よかろう。もうあの子を生贄とすることはない。どこへでも連れていけ」

「よし……ん?連れていけって、俺が?」

「そうだが?…なんだ、てっきりあの子はお前達が引き取るものだと思っていたが、違ったのか?」

…そんなことを言った覚えはないが。

そりゃあ命を助けると言ったし、少しは気に掛けるつもりではあったが、まさか引き取る話になっていたとは思いもしなかった。

ただ、言われてみるとあの子を引き取るのは悪くない話、というよりもそうするべきだと思えてくる。

親を亡くし、今日まで死ぬために生かされてきたあの子の心は、一体どれほどすり減っていることか。
天涯孤独となった身のあの子は、恐らくこのまま村に残ったとして幸せに暮らせるとは到底思えない。
生贄にしようとした負い目から、村の大人達からは粗雑に扱われることはないだろうが、それでも普通の子供として生きるのには辛い環境だと想像しやすい。

仕方ない。
とりあえず本人の希望を聞いて、その後の身の振り方に多少手を貸してやるとしよう。
とはいえ、まだ幼い子供であることも鑑みて、どこか他の土地へ連れていくにしても、養子縁組なりで面倒を見てくれる人を探す必要はある。
流石に子育てをしながら冒険者をするほど、俺達は器用で真っ当な生き方はしていないしな。

「いや、わかった。あの子は俺達が引き取る。当然、この村から連れ出すが、いいな?」

「構わん。どうせわしらはあの子に顔向けできんのだ。こんな大人しかいない場所よりは、他の場所で生きた方がいいだろう」

やはり後ろめたさは感じているようで、自嘲するようにそう言い、村長は俺達の下を離れていく。
その足は集まっていた村人達の方へと向いており、やがて立ち止まると声を上げて呼びかける。

「皆、聞いてくれ。今日までヌワン村を襲っていた未曽有の災害である流砂の一つが、こうして冒険者の手を借りることでなんとか鎮めることが出来た。砂の精霊様はお鎮まりになられたようではあるし、生贄の儀式は中止にしたいと思う。異議のある者は?……いないようだな。では後のことは年寄り連中でまとめておく。ではこの場は解散とする」

まだ砂の精霊の存在を完全に否定することはできないのか、一応鎮まったということで話を纏めたのは、この村で砂の精霊がどれだけ信仰されていたかが分かるというもの。
まぁ今更これまでの騒動は砂の精霊が関係なかったですというのは、村長はじめ、村の老人達の立場に傷をつけかねないので、理解はできるが。

流砂が一つ消え、村の封鎖解除も見え始めたことで、村長の言葉に村人達も安心した顔を見せ、これで儀式で子供が使われることはなくなった。
後はこの村の人間が、自分達の手で普段の生活に戻っていくようにするだけなので、俺達の役目はこれで終わったと言える。

「…それで、アンディ。あの子を引き取るの?」

生暖かい目で村人達を見ていると、まだダルさの残るワントーン低い声でパーラが尋ねてくる。
相談せずに決めてしまったが、やはり確認を取るべきだったか。

「もしかしてまずかったか?勝手に決めちまって」

「まずいっていうか、引き取ってどうするの?まさかパーティに入れるとか?」

「いや、流石にそれは年齢的にまだ早いだろう。別に俺達が子育てをする必要はない。誰か子供が欲しい人の所に養子に出すとかすればいい。まぁ本人の希望次第だが」

「養子って、当てはあるの?」

「ないから探す」

「大雑把~。けどさ、もし村に残りたいって言ったらどうする?」

「ま、そうしたいってのならそうすればいい。そのへんは本人に聞いてみないとな」






「一緒に行く」

即答だった。

早速村長宅へと戻り、あの子は少し話しただけで俺達と一緒に行くという選択肢に食いついてきた。
生まれ育った村を離れるのにこうも躊躇がないのは、幼いが故のことだろうか。

「あら、あっさり決めるのねぇ」

「いいのか?ここには両親との思い出なんかもあるだろう?」

生贄にさせられそうになったというのはさておいて、今日まで暮らしてきた故郷には大なり小なり思い入れを持つのが人間というもの。
まだ長い時間を生きていない子供にとって、親と過ごした時間は何よりも大切な物だ。

「思い出はあるよ。でも、僕はもうこの村にはいられないから」

子供にこう決意させるほどの何かを誰かが言ったのか、あるいは本人が悟ったのかは分からないが、既に心は旅立ちを決めているようだ。

「それに、お母さんからも言われてたんだ。いつかは外の世界を知りなさいって。だから僕は行きたい」

どこか晴れやかな顔をしていることから、それは亡くなった母親の遺言というわけではなさそうだ。
恐らく子供に広い世界を知ってほしいという親心だったのかもしれない。

まさか自分の子供が生贄にされるとは母親も思わなかっただろうが、それでこうして俺達と知り合うことが出来たのだから、奇縁というのは意外とそこらに転がっていそうだ。

…しかし思い切りの良い子供だ。
もしかして見た目よりも年齢は上なのか?
それに知っておくべきこともあるな。

「そう言えば、俺達は君の名前を知らなかったな。遅くなったが教えてもらえるか?っと、俺はアンディだ」

「私はパーラ」

「ロニ、僕はロニ」

今更ながら名前を知らなかったことに自分でも呆れてしまうが、それだけロニの境遇はショッキングだったため、今まで名前を知る機会を逃していただけだ。

「ロニか、いい名前だ。歳は?」

「八歳」

予想よりも上ではあるが、それほど意外というわけでもないな。
このしっかりとした受け答えは八歳だと普通なんだろうか?
俺の八歳のときなんかもっとこう、色々と雑な子供だったんだがな。

「なぁロニ、先に言っておくが、俺達はお前を真っ当に育てられるような人種じゃない。だからどこか子供のいない家庭に養子として預けるのがいいと思っているんだ。だがな、こうして話してみた感じだと、お前は自分の意思をはっきりと示せると見た。だから聞こう。お前は村を離れたら何がしたい?」

実際、このままどこかへ養子に送り出すのが一番手っ取り早くて楽なのだが、そうするとロニがどうしたいのかというのを蔑ろにしてしまう。
子供には幸せになる権利がある。
ここは本人がどうしたいのかを決めさせるべきだ。

「…分かんない。僕はこの村の中しか知らないから、何がしたいとかは分かんないよ。けど、養子になるってのはなんだか想像できないんだ。だから、僕は僕に出来る何かを探したい」

ごく普通の調子でありながら、芯のある強さが感じられたロニの言葉に、俺達の方針は決まる。

「そうか。なら、一先ず皇都に行ってみるか」

「皇都に?」

「ああ。お前はまだ子供だし、今すぐ働くなんてことはしなくていいが、色々と見て、興味の沸くものを探すのがいいだろう」

この世界では成人していない子供でも働いているというのは珍しくはないが、それは家族や村の庇護下にあることが前提でのことだ。
ロニは親がいない以上、俺達が暫くは目をかけてやる必要はある。
その上で、今ぐらいから将来就きたい仕事の方向性を見つけておくのは、決して損ではない。

そういう点ではやはり皇都が一番いいだろう。
様々な職種の仕事が見られるし、俺とパーラの知り合いもそこそこいるので、その点も安心できる材料だ。
どのみち依頼の報告で一旦戻るから、丁度いいしな。

「皇都…お母さんとお父さんが出会ったのが皇都だって言ってたけど、どんなとこなのかなぁ」

「そうだねぇ、人が凄く多いよ。この村よりもずっと広いし、色んな物があるから、きっとロニは目を回すかもね」

まだ見ぬ土地への期待に目を輝かせるロニに、そう語りかけながらその頭を撫でるパーラは、まるで姉弟のようである。
パーラもロニのことは真剣に考えていたのだろう。
一緒に皇都へ来るということで、庇護欲のようなものが一層強まったのかもしれない。

「それよりさ、ロニ。あなた他にやりたいことはない?あぁ、私が言ってるのは行きたいところとか食べたいものとかね」

ほう、パーラの奴もなかなか気が利く。
表出していないが、ロニの心は傷つき、疲弊しているかもしれないので、何か目先で叶う望みを聞いておくべきだ。
今ロニには世界がどれだけ広くて、そして喜びに満ちているかを体験させてやりたい。

「僕は…海が見たい」

海か。
確かにこの辺りに住んでると海はとんでもなく遠くのものだ。
海無し県民が憧れるように、ロニも一度は見てみたい遠くまで続く地平線、という気分なのかもしれない。

「海ね。うん、いいんじゃない?いいよね、アンディ」

「ああ、海ぐらいなら飛空艇ですぐだしな。今日明日は無理だが、そのうち連れて行ってやるよ」

となれば、まずは皇都に行って依頼の報告をしたら、暫くはロニに皇都見物をさせて、その後に海へ行くとしよう。
その後に一度アイリーンのところに顔を出して、ロニのことを説明したら、また皇都へという感じになるか。

ちゃんと説明すれば、ロニのこともアイリーンの助力を頼めるかもしれないし、あっちでは子育ての経験があるレジルとマルザンにもアドバイスをもらいたいものだ。

今日はもう遅いので、明日村を発つことになるが、それまでにロニの身の回りの整理をしておく必要がある。
そんなわけで、俺達はロニの家へ向かい、旅立ちの準備をすることにしたのだが、行った先にあったロニの家は手入れが不十分な様子で、あまり住環境はよくはなかったようだ。

これは別にロニが村八分にあっていたとかではなく、村の庇護で生活をしていたため、まだ子供だったロニには自分の家の手入れなど考えていなかっただけのことだ。 

一先ずこの家はもう使うことはないのでこのままでいいとして、問題はロニの身の回りの品についてだ。
基本的に母親が死んだ時から物は増えも減りもしていない状態で、ロニ自身が把握している品はかなり少ない。

なので、金銭的な価値や実用性については俺達が判断して仕分けしていくしかなく、旅に必要な日用品と皇都で換金してロニに残せる物だけを選んで飛空艇に積みこむことにした。
その中で、両親の形見のようなものも見つかり、それらは大事に保管することでロニとも話は付いている。





結局、ロニの旅立ちの準備は夜遅くまでかかり、荷物を全て飛空艇へと乗せた頃には、貨物室の壁に寄り掛かるようにしてロニは眠り込んでしまっていた。

「ありゃりゃ、こんなとこで寝ちゃって」

「仕方ないさ。今日はロニにとって大きい変化があり過ぎた。頭も体も疲れたんだろう。パーラ、ベッドまで運んでやれ」

「あいよっと。…小さいね。こんな小さい子供が生贄にされかけたなんて」

ロニを横抱きにして立ち上がったパーラは、その手の内に収まった姿に思いがこみ上げてきたのか、少しだけ顔を強張らせた。
俺達が来なければ今頃は流砂に放り込まれていたらしいのだから、こうして生きていることに対するパーラの思いは俺も共有できるものだ。

こんな子供に犠牲を強いる世界の不条理を嘆いてしまいそうになる。
だが、無為に失われるはずだった小さな命を救ったことは、依頼で大金を稼ぐことよりもずっと誇らしい。
それが今の俺達の勲章だ。

パーラに抱かれてむずがるロニの様子を微笑ましく思いつつ、室内へと向かったパーラの後を追いかけようと、明かりのスイッチに手を伸ばしかけたその時、不意に俺の背中に声がかかった。

「こんばんは」

瞬間、俺はその場を飛び下がり、貨物室の荷物の中から槍を一本抜き、声の主に穂先を向けて対峙する。
視線を声の主に向けたまま、背筋に走る寒気になんとか耐えた。
この寒気の原因は、さっきまで誰もにいなかったはずの場所に何かの気配を感じているからだ。

今飛空艇は全てのハッチを閉じていて、俺達に悟られずに侵入するのは不可能。
だというのに、槍の穂先が向く場所には確かに人影がある。
声を掛けられるまで気配も感じさせず、まるで煙のように現れて俺の背後に立ったそいつからは、得体のしれない何かが感じられる。

「誰…だ?」

明かりが照らすその人影は、背格好と顔立ちからしてロニと同じぐらいの年齢の子供だ。
村の子供が迷い込んだのか?
いや、だとしても俺に察知されずにここまできたのは、一体どんなトリックを使ったんだ?

「…子供?村の子か?」

「んー…まぁこの見た目だと仕方ないけど、僕はそういうのじゃないよ。あ、そうそう、人間にはこう言うんだったね。『我は星に芽吹く意思が一つは形となりし…』ってこれ面倒だからやめとくか。古臭いし。…ま要するに、僕は君達が言う所の砂の精霊って奴さ」

……またまた~。
精霊なんていないさ、精霊なんて嘘さ。
だって見たことないから~。




………え、まじ?
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