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招かれざる客

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SIDE:パーラ




苦しい、まさにそれ以外に表現のしようがないのが今の私の状況だ。
この腹を圧迫するコルセットというのは、ソーマルガ式のドレスには必須だとレジルさんは言い切っていたが、もし私の目の前にコルセットの発明者がいたら全力でぶん殴っていただろう。
それぐらいに今、私は辛い思いをしている。

「まあ、やっぱり領地の運営も大変なのですね」

「貴族たるもの、領民のためになるのであれば多少の苦労は厭わないのですが、私はまだ領主となって日が浅いもので、慣れないことの連続ですわ。介助の者をつけられているぐらい、疲労が溜まっている状態ですのよ」

先程からアイリーンさんはどこぞの貴族令嬢達と固まって会話に花を咲かせており、その傍につく私も会話に参加はせずとも、その内容には自然と耳が向いていた。
若い女性同士ともなれば皇都での流行や恋愛絡みの話で盛り上がりそうなものだが、そこはやはり貴族だけあって、女の身で領主となったアイリーンさんに色々話を聞こうと、若い女性も意外と多く集まってきている。

周りからもアイリーンさんには憧れや尊敬といった目が向けられており、社交界で今一番話題になっているマルステル男爵に少しでも近づこうと、男女問わずに多くの人が集まっていた。
そしてその中には、アイリーンさん以外にも目を向けている人間も含まれている。

「僕の領地では今、太陽の下僕という花が旬でね。生息地に行けば一面の黄金畑が見えるんだよ。どうだろう?良ければこの後、一緒に僕の所に来ないかい?」

「は、いえ、私はアイリーン様にお仕えしている身ですので」

先程から、妙になれなれしく私に話しかけてきているこの太った男は、何とかという男爵家の後継ぎだそうで、頼んでもいないのに自分の領地の自慢をベラベラと話し続けていて、いい加減飽き飽きしている。
やっと話が終わったかと思えば、その度に私を領地へと招こうとして、非常にうざったい。

もういい加減一発殴って黙らせようかと思うが、この場での私の振る舞いはアイリーンさんの評判に関わってくるので、下手な行動は起こせない。
最も、コルセットのせいで今の私は行動に大きく制限を受けているため、あまり派手な動きをしようとしてもできないのではあるが。

「つれないな。大丈夫、マルステル男爵には僕から言っておくさ、ね?いいだろう?」

「…ではアイリーン様の許可を頂けたら、ご一緒させていただきます」

面倒になってアイリーンさんに後を任せようと思い、こう言っておく。
私は正式な従者ではないので、多分許可など下りないだろうし、そもそもはなから行く気も無いので、ちゃんとそのこともアイリーンさんに伝えておくつもりだ。

「そうか!では後で父上から話を通しておこう。いやぁっはっはっは、嬉しいねぇ。君のような美しい女性と一緒に領地への旅を過ごせるとは」

もう許可が降りたとでも思っているのか、そのでっぷりとした体格を揺らして笑う様は女性受けはしそうにない。

それにしても、と周りに気付かれない程度に小さくため息を吐く。
自分から臨んだこととはいえ、今回のパーティに参加したのは失敗だったかもしれない。

てっきり美味しいものを食べて、他の土地のことを聞いたりできると思っていたのだが、まさかこんなガチガチにお腹を固められて、飲食もままならない状態で興味もない話を聞かされることになるとは、よく他の人達は文句を言わないものだ。

次の機会があったとしても、コルセットだけは絶対に断ろう。絶対にだ。

そんな決意を密かに固めていると、突然広間の扉が勢いよく開かれた。
それなりに激しい音により、広間にいた誰もが扉の方へと目を向けると、そこには大男の姿があった。

身の丈は2メートルを優に超える巨体に、金属の軽鎧と背中に見える大剣から、どう見てもパーティに遅れて参加しに来た貴族とは思えない。
顔付きも纏う雰囲気も穏やかさとは縁遠い、荒事に長けた傭兵や冒険者か、下手をすればそこそこの規模の盗賊団の頭と言われれば納得してしまいそうだ。

「ラシーブ!貴様、何をしている!」

おかしな闖入者に、シンと静まり返っていた中を切り裂くように険しい声色が通り抜けた。
声の主は、私達から少し離れた場所にいた壮年の男性で、身に纏う衣装はソーマルガの者とは大分意匠が違っていることから、他国からの招待客だと思われる。

「貴様らは待機を命じられていたはずだ!そのような格好で現れるなど、何を考えている!」

その男性は怒りや不快感といった感情を隠すことなく、広間入り口でいまだ佇む大男の下へと足音を荒げながら歩み寄っていく。
どうやらラシーブという大男はあの男性の部下のようなのだが、何やら様子がおかしい。
近付いてくる男性に向けている目は、どこまでも冷たいものだ。

何やらきな臭さを感じて、私はアイリーンさんの傍へと静かに移動した。
肌に感じている空気から、ひと騒動ありそうな気がしているので、いざとなったらアイリーンさんを担いで逃げることも考えている。

「すぐに―」

男性が何かを言いかけ、しかし次の瞬間には言葉を詰まらせて体を震わせ始めた。
その原因は、この場にいる誰の目にも映っているある物のせいだ。

それは一本の剣だ。
ラシーブが背中に背負う大剣ではなく、恐らく腰にでも下げていたであろうショートソードが、男性の背中から生えていたのである。

こちらからは陰になって見えないが、男性の腹に刺さった剣の切先は、血を滴らせて背中側に突き抜けている。
仲間かあるいは知り合いと思われるその男性を、ラシーブは表情一つ変えることなく刺したのだ。

「ぐぷっ…ラシーブっ、貴様っ…」

「悪ぃな、旦那。雇い主が変わっちまったんだ。そんでやることができちまってよ、これもその一環でな。ま、旅の道連れだった誼だ。せめて安らかに眠ってくれや」

血を吐きながらラシーブを睨む男性に、飄々とした調子で契約の変更を告げる。
ボタボタと床に落ちている血の量から見て、あの男性の方はもう助からないだろう。
もしここにヤゼス教の治癒術師でもいれば話は違うが、生憎このパーティ会場にはいそうにない。

アンディなら水魔術の治癒で或いはと思うが、そのアンディは誰かに呼ばれてパーティから抜け出ていたため、それも望めないだろう。

「っき、ゃぁああああ!」

ドチャリという、血だまりに沈む人間だった者が立てる音がきっかけとなり、誰かの挙げた金切り声でパーティ会場は混乱の坩堝へと叩き落された。
誰もが我先にと別の出口へと殺到して広間からの脱走を図ったが、扉の向こうには恐らくラシーブの手下と思われる武装した人間が待ち構えており、出ていこうとした人達に剣を突きつけて押し戻してしまった。

この時点で、もう安全な状態はとっくに過ぎ去ってしまっており、ラシーブの登場の時点で脱出を図らなかった自分の迂闊さを呪ってしまう。
とはいえ、このまま大人しくしているつもりはないので、こっそりと近くのテーブルの上に置いてあったナイフを失敬しつつ、背中に庇っているアイリーンさんへ声を掛ける。

「…アイリーンさん、非常事態ってのはわかるよね?」

「ええ。…まさかパーラ、あなたなにかするつもりですの?」

「つもりもなにも、脱出するんだよ。アイリーンさん一人だけなら、私でも抱えながら突破は出来るからね」

広間から通路へ出る最短距離にある扉は、ラシーブを含んでそれなりの人数の敵がいるから避けるとして、小さい方の扉は通せんぼしている人間が少ないため、魔術で弾き飛ばしながら突っ走れば、あそこを抜くのは難しくない。
そう考え、今私の動きを縛っているコルセットを締めている紐をナイフで切り、動きやすさを確保する。

「あとごめんね、アイリーンさん。ちょっとこのドレス切っちゃうよ」

一応借りものであるので、持ち主に断りを入れたが、許しを待たずに横脇から腰に掛けてドレスの横に切れ目を入れる。
これでドレスの布地が突っ張る感じから解放され、本来の私の動きができるようになったはずだ。

「あらま、大胆にいきますのね。まぁそのドレスもパーラ用に手直しした以上、私は着れなくなっているので構いませんけど」

言われてみればそうか。
私とアイリーンさんでは身長が違うし、背の低い私に合わせたドレスはもう既にアイリーンさんには着れないのだろう。

「これでよしっと。…一応アイリーンさんも火魔術での援護は頭の隅に置いてて。じゃあ三で行くからね。いち―」

「お待ちなさい。脱出はしませんわ」

「に―え?」

「脱出はしません。少なくとも、私一人では」

…んん?
ちょいちょいちょいちょい。
何を言い出してんのよ、この人は。
まさか今の状況で呑気してるわけじゃあないでしょうね。
パーティ会場が混乱で騒がしい今しか機会はないのに。

「いいですか、パーラ。ここには陛下をはじめ、他国の貴族方々も多くいますのよ。その方達を放って、私一人で脱出したりなどすれば、あの賊徒共は残された方に何をしでかすか分かったものではありませんわ」

「…まぁ見せしめに何人かは殺すだろうね」

こんなところに押し入ってくる人間だ。
理性的だとは思えないし、下手をすれば皆殺しなんてこともあり得る。
そりゃあ私だってエリーの父親に当たる陛下に危害が加えられることは見過ごせないけど、それ以外の貴族に関しては正直知ったことではないというのが本音の所だ。

「そんなことのきっかけを作ったのがソーマルガの貴族で、しかも公爵家に縁の者であったとすれば恥以外の何物でもありませんわ。従って、私は脱出できませんのよ」

「ぇえ~…」

こういう時は大抵貴族の矜持云々が関わっているだろうから、それを私が正しく理解できない以上、説得は難しい。
本人が望んでいないまま、この状況で脱出するのも厳しいので、ここは断念するしかないか。

「静かにしろ!」

広間全体に怒号が響き渡る。
声の主は襲撃してきた男の一人で、ラシーブの隣に立っていることから、副官とかの立場にあるのだろう。
その迫力のある声に、悲鳴や喚き声で騒々しかった広間が静まり返ると、ラシーブがゆっくりと口を開いた。

「楽しんでいたところ邪魔しちまって悪いな。これからあんたらには人質になってもらう。しばらくはここから出してやれんことを先に謝っておくぜ。なに、こっちの要求が聞き届けられればちゃんと解放するし、大人しくしてくれれば危害も加えねぇ」

妙に穏やかな口調でラシーブがそう言うと、それまで不安に染まっていた招待客にも落ち着きが戻り始めた。
だが中にはラシーブの言葉の裏を読み、一層顔を険しくしている人間もいる。

今の言葉では安全を保障したように聞こえるが、裏を返せば下手なことをすれば危害も加えるし、要求が通らなければ解放はしないということもある。
しかも、先程人一人を殺していながら感情を昂らせずにいることが、ラシーブがいかに殺人慣れしているかを物語っていた。
そんな人間が率いる集団に占拠されているこの広間にいては安心できないと思うのは当然のことだ。

ラシーブ達はそれだけを言うと、いくつかあるパーティ会場の扉を閉じて、そこに椅子やテーブルを積み上げ、一つを残して全ての出入り口を封鎖してしまった。
下手に強硬突入なぞされないようにということにだろうが、妙に手慣れていることから、今回は計画的な犯行だということになる。

一先ず差し迫った危険はないということで混乱は収まったが、今度はいつ解放されるかという不安が辺りに漂い出す。
とりあえず部屋から出なければ危害を加えられないということなので、参加者達はそれぞれ不安を少しでも和らげようと、知り合い同士で集まりだす。

私とアイリーンさんも、広間の奥まった場所に立つ陛下の下へとコッソリと移動する。
ここまでに見た奴らの反応から、ここに陛下がいるということは気付いていない。
いざという時に備えて、魔術師である私とアイリーンさんで密かに護衛につくという意図もあった。

「陛下、ご無事ですか?」

「おう、アイリーンか。それにパーラも…おいお前、ドレスが破れてるぞ」

「あ、これは自分でやったんでお気になさらず。動きやすくしただけですから」

合流してすぐに、陛下は私のドレスの惨状にギョッとしたが、勝手に自分でやったことなのであまり気にしないでほしい。
私のドレスのことはいいとして、とりあえず現状の把握について話し合う。
今この場には、陛下とその近習が二人、私とアイリーンさんの五人だけと少数なので、奴らに見咎められることはないはずだ。

「連中の狙いはなんなのでしょう?ここに陛下がいるということは気付かれていませんが、これがもし陛下の身柄を欲してのこととなれば、厄介なことになりますわね」

「うむ、こうしてここに俺が言る時点で、連中の目的は達せられているということになるな」

ソーマルガの一番偉い人間、つまり国王陛下を交渉材料とすれば、何かしらの要求を通すにはこれ以上ない手札だ。
幸いにして気付かれてはいないようだが、それもいつまでのことか。

「狙いは俺かパーティの参加者か、あるいはもっと別の目的というのも考えられる」

「別…というと?」

「身代金目的…にしては少々派手にやり過ぎているきらいがあるか。スワラッドの暗躍というのもないとは言えんが…」

「スワラッド?何故急にスワラッドの名前が出てきますの?」

「さっき殺された奴がいただろう?あれはスワラッドから来た貴族だ。名前は…いや、いいか。とにかく、そのスワラッドの人間が真っ先に声を掛けたあのラシーブとやらは、恐らくスワラッドから連れてきた護衛か何かだ」

チラリと目線を動かした陛下につられ、私もラシーブを見てみるが、見た目はとても貴族の私兵などとは言い難いほど、粗野丸出しと言った感じだ。
スワラッドが商業の国とは言え、ああいった人間を他国へ一緒に連れてくるのはいかがなものか。
しかもあっさりと雇い主を変えられて、殺されてしまうとは。

「もっとも、そのスワラッド側の人間を殺している時点で、スワラッド商国による企みの線は大分薄れているがな」

確かに、何かしら狙いがあるとはいえ、自国の人間、それも貴族を殺すのはやりすぎだ。
まだきな臭さは残るが、先程のあれを見たらスワラッド側も被害者と言えないこともない。

「その上で、今のソーマルガにちょっかいをかけて要求したいものといえば…」

「飛空艇、ですわね」

「あくまでも俺の予想だ。だが、他に思いつかん以上、それが一番しっくりくる」

それはつまり、奴らは飛空艇を欲しがっていて、そのためにこれからソーマルガ皇国は交渉、いや、脅迫されることになるわけだ。
時間が経てば、陛下の存在もバレるだろうから、そうなると脅迫はもっとひどくなるはずだ。
その時は、どうにかして陛下とアイリーンさんだけでも脱出させたほうがいいかもしれない。

「陛下、警護の騎士に何か連絡する手段はございませんの?」

「ない。今日はパーティだからと、この階層に警護の騎士を配していなかったのが裏目に出た。艦橋直通の伝声管はあの通り、扉の近くだしな」

陛下が指差す先には、扉の傍に備え付けられた伝声管が見える。
そして、その近くでダルそうに立つラシーブの部下の姿も。

「…伝声管を貸して、と頼むのは無理そうですわね」

それどころか、近付くことも難しいだろう。
伝声管を使うということは、助けを呼ぶということだとはバカでも分かる。
そんなことを人質にさせるわけがない。

「ただ、今の事態を他の者達が把握していないとは思えんし、とっくに救出のために動いているはずだ。人質の身である俺達はそれを待つしかない」

実際それが最善だというよりは、それしかないね。
連中がここまでやってくる間、誰にも見咎められずというのはあり得ないので、道中に出会った警備の兵を処理してきていると思う。

警備がいなくなったことで異常事態を察知し、それでこのパーティ会場での異変にも気付いて、ソーマルガ号を管理している偉い人達も動くはずだ。
まぁ他国の貴族をこれだけ人質にとられていては派手に行動もできないだろうが、それでも解決に向けてラシーブと交渉を上手く纏めてくれることを期待しよう。

「…そう言えば、アンディはどこに?こういった事態にはあの子の変な知識が役に立ちそうですのに」

「言われてみれば姿が見えんな。パーラ、アンディは今どうしている?」

「あ、はい。アンディなら少し前に誰かに呼ばれて会場を出ていきました」

あれから結構経っているが、こうして広間にその姿が見られないということは、外にいる間に広間が封鎖されたということになる。
あのアンディに限って、殺されたということは考えにくいし、ラシーブ達も特に慌てている様子がないことから、恐らくまだ彼らと接触はしていないと推測する。

「そうか。アイリーンの言うように、こういう場面ではあ奴の機転と魔術が助けになるかと思ったんだがな」

少しだけ不満そうにめ息をつく陛下とアイリーンさんの姿に、こうまでも頼りとされているアンディが、まるで自分のことのように誇らしくなってくる。
同時に、この場にアンディがいないことが私にとっては逆に心強い。

「お言葉ですが、陛下。むしろアンディがこの場にいないことは都合がいいのかもしれませんよ」

「どういう意味だ?パーラ」

「私達と同様に広間に押し込められているよりは、外で自由にいられる分だけ、アンディが救出に動けることになります」

何せ、あのアンディだ。
今起きていることを把握していないわけがない。
絶対に解決へ向けて動いている。

「そう言えば、アンディは立て籠もり事件の解決の経験がありますものね。それに、ここに私達がいるのも好都合。事が起きた際に呼応するなら、私かパーラが適任でしょうから」

そもそも、人質がいなければ私とアイリーンさんでラシーブとその一味を魔術で片付けてしまうのは難しいことではない。
だがそれをしないのは、魔術で短時間に大半の敵を倒したとしても、討ち漏らした奴らが人質に危害を加える恐れがあるからだ。
そういった危惧が捨てきれない以上、下手に鎮圧に乗り出すには今はまだ早い。

こうなると、外で動いているだろうアンディの行動を待って、私とアイリーンさんはいざという時に内側から支援するのが安全で確実だ。
人質となっている貴族連中の中には、軍人や騎士といった者も混ざっているし、今は私達同様、人質の安全を考えて行動していないようだが、いざ事が起きれば彼らも加勢してくれるはず。

もっとも、アンディなら私達の支援なしでもやり遂げてくれるはず。
アンディにはそれだけの力も度胸もある。

そう思っていると、突然広間中に甲高い音が響き渡った。
不安を感じていた客達は皆一様に体をビクリとさせていたが、音の正体を知っている人間の何人かは揃って同じ場所を見つめている。

ちなみに私とアイリーンさんはビクリとさせている側の人間で、陛下とその近習の人間達は目線を扉の方へと向けていた。
そして、扉の傍にある伝声管から再び、甲高い金属音が鳴り出した。
どうやらあの伝声管の向こうから何者かが応答を求めているようで、一定間隔でなっていた金属音が三度目となると、その意図に気付いたラシーブがおもむろに伝声管の蓋を持ち上げて応えた。

咄嗟に、ばれないように風魔術を発動させ、伝声管辺りの音を掌まで中継させた。
これでラシーブと伝声管の向こうの相手の会話が聞ける。
ただ、この魔術の欠点は掌に音が発生するため、結果としてアイリーンさんと陛下にも音声は共有されることとなる。
まぁ今はそれでいいと言えばいいのだが。

「…誰だ」

『おや、意外と早い』

広間中がラシーブの動きに注目しており、そのおかげで物音一つないおかげで、伝声管からの声が良く聞こえる。
もっとも、しっかりと聞き取れているのは私達ぐらいだろうけど。

その伝声管の向こうから、聞き覚えのある声が飛び出してきた。
この場では一部の人間だけが聞き覚えがある人物の声。
そう、アンディだ。

「誰だと聞いている」

『おっと、失礼。名乗らせてもらおう俺は……』

冷たく低い声で尋ねるラシーブに、伝声管からはどこか飄々とした口調のアンディがたっぷりと間を開け、勿体付けた名乗りをする。

『ジェシー…。ジェシー・ライバックだ』

思わず、私とアイリーンさんは小さく吹き出してしまった。
まさかのジェシー・ライバックの登場である。

あのジェシー・ライバックというのは二の村で一度使った偽名だと私は聞いていた。
だが、何故今ここでその名を使うのかというと、まぁなんとなくわかる。

アンディは常々、自分の名前が広まらないように活動している節があった。
それは有名になったことによって、色んなちょっかいを掛けられるのが嫌だからと、前に話してくれた。

普通なら有名になって受ける利益の方が大きいと思うのだが、アンディの場合はそれよりも被る実害の方を避けたがるのには、バイクや飛空艇を手に入れてからの様々な人間との諍いを見てきた私にも理解はできるほどだ。

今回も、人質となっている貴族達に名前を広がらないようにということと、万が一ラシーブ達を逃がした時には、復讐の手間を増やしてやろうという狙いがある。
偽名を使うということは、それだけ人探しの困難さを大きく引き上げるのだ。

「ライバックぅ?苗字持ちってことは貴族か?こうして連絡してきたってことは、交渉役か?」

『いや、俺はただの…あー、料理人だ。しかし、お偉いさんに交渉の代理を頼まれて、こうして話している』

名前ばかりか、職業まで偽るアンディ。
しかし、本人の料理の腕は本職並なので、あながち間違いとも言えない。
実際、一時期は料理人としてお金を稼いでいたし。

「へぇ!料理人!ただの料理人がなんでまたこうして話してんだ?他の貴族連中はどうしたよ。まさか自分達の腹の中まで入られて、交渉もできないぐらいにビビッてんのか?」

ここにいる人間を含め、貴族全体を揶揄する言葉に、ラシーブの部下達も嘲笑う。
それを聞いて悔し気にする人間も多いが、今の状況がそれ以上を踏みとどまらせた。

『ビビってる云々はともかくとして、そちらの要求を聞こう。あぁ、先に言っておくと、こちらは人質の無事解放を第一としている。その上で話してくれるとありがたい』

「おいおい、もうちょっと会話を楽しもうって気はねぇのかよ。…ま、いい。こっちの要求は二つ。一つは飛空艇だ。流石にこのでかいのは難しいだろうが、中型と小型それぞれを二隻ずつ、操縦者込みで貰おう」

陛下の予想した通り、やはり奴らの狙いは飛空艇だったか。
しかも、ちゃんと操縦者をも要求に入れている辺り、まんざらバカ丸出しの要求でもない。
飛空艇が素人では浮かばせるのにも苦労する代物だと理解している証拠だ。

「もう一つは金だ。こっちには大勢のお貴族様がいる。一人頭大金貨で…と言いたいところだが、面倒だ。全員纏めて大金貨千枚でいい。飛空艇と合わせて用意してもらおうか」

大金貨千枚!
それだけあれば、ちょっとした城も建てられる。
とんでもない金額を言うものだ。

『…飛空艇はともかく、大金貨千枚ともなると用意するのに時間がかかる。十枚程度ならすぐに手配できるが、まける気はないか?』

「はーっはっはっはっはっは!これだけの人質を取られて、身代金を値切ってくるとは度胸がある!…だがダメだ。千枚だ。鉄貨一枚、まからんな」

ラシーブの言う通り、アンディも大胆な提案をする。
身代金をケチったりしたら見せしめに誰かが殺されかねないというのに。

なにせ人質の数だけは多いのだ。
奴らも一人か二人ぐらいならと考えもするだろう。

『そうか。…少しこっちで話し合う。後でまた連絡する』

「たっぷり話し合うといい。こっちはゆっくり待つさ」

『では…っと、忘れてた。あんたの名前を聞かせてくれないか?名前を知らない相手との交渉は疲れるのでね』

「おぉ、そういや名乗ってなかったな。こいつは悪かった。俺はラシーブ。一団の頭張ってる。ま、短い間の仲になるが、よろしく頼むぜ」

そう言って伝声管に蓋を戻したラシーブは、突然考えこむようにして俯いてしまった。
まさか今更後悔しているというわけではないだろうが、一体どうしたというのか。

「頭?どうかしたんですかい?」

伝声管の周りの音を拾っている魔術を維持していると、ラシーブの部下が声を掛けた。
すると、それまで押し黙っていたラシーブがおもむろに顔を上げ、何かを思い出すかのように呟いた。

「…今の奴、ライバックと名乗ったな」

「へ?あぁ、そうみてぇですね。料理人なのに苗字持ちってのもおかしな話ですが」

「そっちは別にいい。世の中、なんかでかいことで成功したら、苗字を貰えることもあるしな。それよりだ、ここに来る途中、立ち寄った港でライバックという名前を聞いた」

「港…あぁ、二の村ですかい。確か、新しくマルステル男爵領になったとかの」

思わぬ名前が飛び出し、私とアイリーンさんはギクリと体を跳ねさせる。
まさかこんな時にマルステル男爵領という言葉が飛び出すとは。

とはいえ、ラシーブ達がスワラッド商国の人間に雇われていたのなら、タラッカ地方に来るまでの船旅の補給地として、二の村に立ち寄るのは別におかしいことではない。
何か私達に向けて含む言い回しをしているわけではないのだが、それでも妙にソワソワしてしまうのは、やはり人質になるという稀有な状況のせいだろうか。

「そこで荷積みを手配してた男が、ライバックと名乗る料理人にのされたと零していた。まさか、ここでその名前を聞くとはな」

「同一人物、ですかね?」

「さてな。だが、奴が言うにはただの料理人ではない、妙な迫力のある奴だったらしい。何をしてくるか、何が出来るかはわからんが、一応警戒だけはしておけ」

「へい」

そう言って伝声管の前から離れていくラシーブ達を確認したところで、魔術を解除する。

「警戒されましたわね」

「ですねぇ。まぁこればっかりはアンディの運が悪かっただけかも」

「まさかこんなところであっちの方の名前を知っている人間がいるとは、アンディも予想していなかったのでしょうねぇ」

バッチリと警戒されたことで、今後アンディが何かを仕掛けてきても対処される可能性は大分高まったことになる。
よもや自分の正体を偽るために名乗った偽名が、そのまま警戒心を煽る材料になるとはアンディも思わななかっただろう。

「おい、二人共。いい加減俺にも教えてくれないか。さっきの声はアンディなんだろう?なんであんな偽名を名乗ってたんだ?」

それまで黙っていた陛下が、私とアイリーンさんのやりとりに不満そうに口を挟んできた。
ジェシー・ライバックの名前が衝撃的で、すっかり忘れていた。

別にアンディの偽名云々は知らなくても問題はないが、今は人質として大人しくしているだけなので、暇潰しも兼ねて陛下に諸々を説明することにした。
どうせもうしばらくしたらアンディが何かしでかすに決まっているのだ。
それまでは雑談をしながらゆっくり過ごしても罰は当たらない。




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