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異世界ブリーチング

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SIDE:マルザン




少し昔話をしよう。

『己が信念に背かず、臣民のための正義を成す』

これはかつてわしが騎士に叙勲された際、先代の国王陛下の御前で立てた誓いだ。
あれから随分経っているはずだが、あの時の光景は今でも鮮明に思い浮かべることが出来る。

ソーマルガの一男爵家に五男として生まれ、領地運営に携わることのない未来が決定していたわしは、成人を迎えて直ぐに、多少才のあった剣の腕を頼みにし、家を飛び出した。

元々実家は貧乏貴族だ。
自分がいなくなろうと大して問題とならない。
それどころか、食い扶持が一人減って助かるぐらいだっただろう。

知り合いの伝手とも言えぬ伝手を辿り、マルステル公爵家の領地で警備隊として何とか食いつなぎ、その働きを認められて公爵家に騎士として召し抱えられることとなった。
そして、そこで運命の女性と出会う。

最愛の妻であるレジルだ。

出会いはごく平凡なものだった。
ジャンジール様の剣術指南役としての任を任せられた当時のわしは、教育係としての彼女ともよく顔を合わせていた。
お互いに尊敬しあい、時にぶつかり合いながらも次第に恋が生まれ、そして結婚した。

剣だけで生きていくと決めていたこの身に、レジルとの結婚は幸福と平穏を与えてくれた。
子に恵まれ、孫にも恵まれた。
思えばあの時から、騎士としてのわしはより一層強くなった気がする。

それは剣の腕や技術という意味ではなく、なんというか心がだ。
よく守るものが出来ると弱くなると聞くが、実際はその逆だ。
守るべきものを守り抜くために人はどこまでも強くなれる。

現にわしは、肉体の成長期をとうに過ぎていたにもかかわらず、全盛期を超える強さを手にしたと自負している。
その後、年齢を理由に騎士の位と家名を返上し、レジルと共に宿を始めた時は、このまま庭の手入れをして過ごすのも一興と思った。

さんざん人や魔物を斬ってきたこの手が、今度は植物を生かすために枝葉を切る。
なんとも人生とは面白いものだ。
騎士としてのマルザンではなく、庭師のマルザンとして一生を終わらせるのを想像していたわしだったが、レジルの下に届いたアイリーン様の手紙によって、再び騎士の精神が呼び起こされることになる。

新たに男爵として領地を頂いたアイリーン様が、レジルとわしの助力を欲しているのだ。
大恩あるマルステル公爵家のご令嬢であるアイリーン様直々の頼み、この老骨でも役立てるのであれば、馳せ参じぬわけにはいかない。

レジルは使用人達の教育係として、わしは自警団の錬成の役割を与えられてこの領地へとやってきたわけだが、来たばかりに見たここの自警団は何とも酷いものだった。
村の男で構成されるのは自警団としてはおかしいものではないが、何より士気が低いのが問題だった。

辺境ともいえる土地ならば、自警団の質もそう期待はしていなかったのだが、士気の低さだけはどうにかしなくてはならない。
兵が守るのは力なき者だ。
それを知らずに武器を手にしても戦えるはずがない。

ほんの半年ほどではあるが、徹底して精神を鍛えてきたおかげで、今では多少見れる程度になっているものの、まだまだ先は長い。

そんな矢先、アイリーン様の発案で村全体での訓練が実施されることとなった。
なんでも、つい先日に三の村で起きた立て籠もり事件に触発されてのものだそうだが、確かに一度起きたのなら二度目を警戒するのは正しい。

訓練の内容は二つ。
まず最初は、村に賊が襲撃してきたと想定しての避難訓練。
鐘の音を合図にして、村人達が一斉に船で海へと逃げだすというものだ。

二つ目は、実際に小屋を使って件の立て籠もり事件を再現し、立て籠もる犯人役と人質を救出する役で分けての実戦さながらの救出訓練だ。
こちらは自警団だけでなく、それ以外の村の男達にも参加させてどれだけ危険なのかを肌で分からせるのと、いざという時の使える人間を今の内に見分けておくという目的がある。

まず避難訓練の方は大きな問題もなく順調に進み、仕切り役をしていた男の総括で無事に終わった。
こういった何かあった時の動きというのは、日頃から村の大人が子供達に言い聞かせているため、避難訓練は実際に動いて全体の流れを知るいい機会と中々好評のようだ。

続いて、救出訓練の方は、村の有志を募っての実施となったが、思ったよりも参加者は増え、想定していたものよりも規模が大分膨らんでしまった。
用意していた小屋は大人が4人も入ると狭くなるため、もっと大きい小屋に変えることも検討したが、アイリーン様に実際の立て籠もり犯は一々場所を選んで立て籠もるのかと言われた。
至言だ。

訓練に際してルールが決められ、それに基づいて犯人役と突入役の組み合わせを変えつつ、訓練は実施された。
公平を期すため、わしは小屋の中から突入の様子を見ることとし、その際の双方の行動によって評価を下すということになった。

最初の組は、突入役が上限である六人で組まれ、しかも全員が知古だということもあって、連携を用いた突入というものに期待してしまう。
しかし蓋を開けてみれば、突入役は無策にも一人ずつ扉から姿を現し、室内にいる三人から一人ずつ攻撃を受けていき、あっという間に六人全員が行動不能とみなされた。

その結果にはわしも頭を抱えた。
こいつらは一体何を考えているのだ、と。

扉は人一人が通れる程度の大きさ。
そこを悠長に潜っていっては待ち受ける犯人にはいい的だ。

今回、武器としては木の棒だけ支給しているため、盾は使わないにしても、せめて剣を防御に使いながら室内になだれ込むぐらいの頭は使えないのか。

次も、その次も同じように一人ずつ室内に姿を見せては中の犯人約達に叩かれて行動不能に陥るという光景が繰り返され、人質が救出されることはないままに組み合わせの半分が消化されていった。
ただ、この頃から突入役もこのままではまずいとようやく気付いたようで、突入するまでの手口に多少の工夫が見られるようになった。

主に最初に一人がその身を盾にして、後続の突入をしやすくするという手が多いのだが、それ自体は間違いではないものの、あくまでも訓練だからできているだけであって、実際の戦闘ではそれが出来る人間が果たしてこの中にどれだけいるか。
誰しもが進んで最初の犠牲者になるほどの勇気があるとは限らないのだから。

そうした犠牲を強いての突入が繰り返されるも、未だ人質は救出されず、遂には全ての組み合わせが終わると、気が付けばわしは我慢できずに彼らに向けて怒鳴り散らしてしまっていた。
たった半年とはいえ、自分が手塩にかけて育てたと自負する兵士がこうも情けない姿を見せたことについ声を荒げてしまった。

それをすぐに自省するも、その場の空気はかなり悪くなっており、引き下がる機を逸したまま説教を続けようとしたのを止めてくれたのはアイリーン様だった。
正直、あそこで止められて助かった。
あのまま続けていたら、彼らの精神をへし折っていたかもしれない。

しかし、不甲斐ないことは拭いようのない事実であるので、一から鍛えなおしかと思っていたところに、アイリーン様は面白いことを仰られた。
なんと、立て籠もり犯から人質を救出した実績があるアンディに手本を示させるというではないか。



アンディとパーラ。

半年ほど前にふらりとジンナ村に訪れたこの二人の冒険者は、あの若さにして白一級という証から、高い実力をうかがい知れる。
おまけに二人共が魔術師で、アイリーン様にもその腕を見込まれているほどだとか。

エーオシャンでは顔を合わせてはいたが、会話をする機会が無かったために、実際の為人に触れられたのはジンナ村でのものが初めてになる。

パーラの方は見た目通り、元気の有り余っているる少女と言ったもので、時折村を文字通り飛び回っている姿も目にしていた。
それを見ては、かつて娘が同じ歳だった時もあんな感じだったと懐かしむこともある。

そしてアンディだが、彼については…正直よく分からない。
飛空艇やバイクを個人で持っていることから、中々面白い人生を歩んでいるようだとは思うのだが、時折その目を覗き込んだ時に見える知性の色は、到底あの年齢で培えるとは思えないものだ。

今、ジンナ村をはじめとして二の村にまで広まりつつある昆布という海藻を使った加工業も、アンディの発案だという。
知りえた情報だけでも、魔術師、冒険者、発明家、農夫、さらには文官としてもかなりできる、とレジルが言っていた。

肩書だけ見れば一体何者かと思うのだが、年齢に似つかわしくない落ち着いた物腰に、誰も考えつかないほどの突飛な考えを何の疑いもなく実行に移す行動力。
この歳でこれだけのことを出来る人間が他にいるだろうか。
いやいない(反語)。

そんなアンディだが、彼の実際に戦う姿をわしは見たことがない。
そのため、これから行われる人質救出訓練に置いて、アンディだどれほどやれるのかというのは、不謹慎ながら楽しさを覚えてしまう。

アイリーン様の要請に応じたアンディが突入役として参加者の中から何人かを募り、突入役は計四人での編成となった。
上限が六人だというのに四人で組んだのには、きっとアンディなりに何か考えがあるに違いない。

益々もって興味が出てきた。
そこで無理を言って、犯人役の一人にわしが加わることをアイリーン様とアンディに申し出たところ、あっさりと許可が下りた。

アンディは若干嫌そうな顔をしていたが、アイリーン様は楽しげだった様子から、これから行われる一戦に何かの楽しみを見込んでいるようではある。

果たしてわしかアンディかどちらを有利と見ているのかは分からないし、聞く気もない。
たとえ若くとも白一級の冒険者だ。
油断も侮りもしない。

訓練に勝ち負けは重要ではないとはいえ、今回は勝ちにいかせてもらう。
ではアンディのやり方を、とくと見せてもらおうか。







結論から言うと、わしらは恐ろしく短い時間で拘束、制圧されてしまった。
つまり、負けたわけだ。

正直、あまりにも一瞬の出来事だったために分からないことも多いが、それでもことがすべて終わった時の室内の状況を鑑みると、わしを含めた犯人役三名はろくな反応も出来ずに、に絡めとられてしまったらしい。

らしいというのは、アンディ達が突入の瞬間、室内に大量の砂を撒いたため、それで目をやられてしまって何も見えないまま、気が付けば体が不自由となっていたからだ。
どうやら普段漁で使っている網を使ったようだが、なるほど、武器を持っている相手に対し、近付かずに無力化するのには非常に有効な手段だと言えよう。

人質を巻き込むことを厭わず、目潰しを躊躇なく用いる効率的な考えといい、武器として認められている木の棒以外のものへ着眼する機転といい、一体どんな経験を積めばこんな風に育つというのだ。
まるで、幾多くもの見知った現場へ対処するかのような、適切で効果的なやり口には、見た目にそぐわない老獪さがあった。
あれでまだ十代だというのだから、これから成長していけばどんな人間になるのか、怖くもあり楽しみでもある。

それにわし自身、まだまだ頭を鍛える余地があると知ることが出来たのもいい機会だった。
これを機に、もっと柔軟で視野の広い考え方を身に着けるべきかもしれんな。

またあるかどうかは分からないが、次は負けん!





SIDE:END






「お見事でした、アンディ。まさかあのマルザンをこうも容易く拘束するとは、やはりこういうことには慣れているようですわね」

降参の意思を示したマルザン達を網から救出し、小屋から出てきた俺を待っていたのは、それはもういい笑顔を浮かべたアイリーンだった。
言葉では褒めているが、その裏では『もっと実になる訓練をしろやボケカスアホ』と言っているのが伝わってくるタイプの笑顔をしている。

まぁこれは訓練なので、突入役として選んだ人間も犯人役の人間にも人質救出のノウハウを習得するような訓練を心掛けるべきなのは俺もわかってはいたのだが、犯人役にマルザンが混ざるとなれば事情は変わる。
はっきり言って、俺から見たマルザンは、強者の部類に入ると言っていい。

この世界で生きてきて、それなりに強い人間とも手合わせをする機会があった俺自身、個人が纏う魔力の強さを多少悟ることが出来ることからも、ちょっとした強さソムリエだと自負している。
俺が思うマルザンの強さは、あのチャスリウス最強と謳われるネイに近いものを感じた。

そんな人間が犯人役に回るのだから、生半可なやり方では通じないと思い、いっそとことんダーティなやり方をしてやろうと思ったわけだ。
誰もが支給された棒以外使おうとしない中であえて網を武器として使い、人質の被害も無視した室内全体への目潰し攻撃で、人質の救出よりも制圧を優先したがために、こういう内容になってしまった。

恐らくアイリーンとしては、もっと正攻法を用いた訓練を、自領の人間に経験させたかったという思いがあったのだろう。
だが蓋を開けてみれば、誰も考えなかったとびっきりの卑怯な手段を訓練に用いられてしまったわけで、そこがアイリーンの狙いとは違ったために、こうして内心で不機嫌に思っているようだ。

「それはどうも。あんな場面はそうそうないとは思いますが、自分が考える最善の手段をとらせていただきました。正直、他の方達にとって手本となるかは微妙なところだ思いますが、そういうのもあると記憶の隅に留めていればそれでいいかと」

「ですってよ。マルザン」

俺の背後にある小屋の扉からのっそりと姿を見せたマルザンに、アイリーンが挑むような目線でそう投げかけた。
はてさて、元騎士であるマルザンにとって、先程のやり方は許容できるものではないと思うが、何て言われるんだろうな。

「あなたから見て、先程のアンディのやり方は訓練としてどうでしたか?」

「は。率直に申しまして、あまり参考にはならぬかと。網、目潰し共に犯人に対しては非常に効果的だったというのは身をもって知りましたが、いざその時になってあのような柔軟性のある対応が村の人間にとれるかというと首を傾げざるを得ませんな」

意外なことに、卑怯だと怒ることはせず、淡々と訓練についての評を下すマルザン。
てっきり騎士として受け入れられない結果だとかで騒ぐとばかり思ったのだが。

「ではアンディのは手本にならないと?」

「…そうは申しませんが、些か常道から外れたものである以上、人によっては受け入れられる者とそうでない者に別れそうですな。それに加え、実際に事件が起きた際には、荒事の経験が浅い村人達にあれほどの動きは荷が重いでしょう」

元々普通に暮らしている人間にとって、立て籠もり事件自体が異常な出来事だ。
それに対し、正攻法のみで解決しようとする考え自体が危険なのだが、普通の人はそもそも善良であるがゆえに平穏に暮らしているのであって、俺のような手を許容できるかどうかはマルザンの言うように、人によるだろう。

「それは困りましたわね。これでは訓練の意味が…。アンディ、あなた他の方法で人質を救出することはできませんの?」

「他の方法ですか。まぁ無いことはないですが、俺としてはさっきのを推したいと思ってまして」

「マルザンの言葉を聞いたでしょう?冒険者や騎士を基準にせず、ここの村人がこなせるぐらいのやり方が必要ですのよ」

確かに、俺とマルザンからすれば、先程の動きはやろうと思えばやれるが、堅気の人間がやろうとするならかなりの練習が必要になる。
ここにいるのはあくまでも自警団員であり、専従の兵士と言えるのはマルザン以外にはいないのだ。

普段の仕事もあるのに、発生頻度が低いと思われる訓練を長いこと強いるのは効率的という言葉からは程遠い。
なので、アイリーンの言うことは一理も二理もある。

「でしたらブリーチング訓練などいかがでしょう。道具の準備や訓練用の建物の消耗などで多少費用は掛かると思いますけど」

『ブリーチング?』

主にアイリーンに向けて言った言葉だったが、マルザンと他に集まっていた村人にも聞こえていたようで、揃って首を傾げていた。

「ブリーチングというのは、壁を破壊して内部へ侵入する方法です」

厳密には違うのだろうが、俺の知っている知識だと、指向性の爆薬で壁を吹っ飛ばしたり、ショットガンで蝶番を破壊して扉をぶち破るといったのがそうだったはずだ。

「先程の小屋は扉と窓が一つずつ、そんな場所に立て籠もった人間は、大抵その二つから人が入ってくると思い込むものです。そこで扉以外、例えば壁に穴を開けて突入すれば意表を突けるうえに、上手くやれば人質の近くに素早く到達することも可能です」

これはあくまでも人質がいる位置を分かっている場合に限るが、人質がいる床をピンポイントで抜いて、床下へと落としてから外へ連れ出してしまえば、それだけで救出完了だ。
犯人側は突然人質がいなくなったことで混乱するし、その隙に壁を破壊して突入すれば制圧も容易い。

「そのブリーチング…ですか?何か特別な道具は必要だったりしますの?」

「…最小限に壁を吹っ飛ばせる威力の魔道具とか?」

「そんな便利な魔道具、あったら是非教えてほしいものですわね」

だろうな。
火薬というものが発展していないこの世界で、指向性の爆薬なんてのは手に入りそうもない。

「ではハンマーなどの重量がある得物で代用しましょう。この村にそういうのは?」

「マルザン」

「は。直ちに」

アイリーンの一言でマルザンが駆け出していき、しばらくして戻ってくると、抱えていたでかいハンマーを俺に差し出してきた。

「ではそれを使って、そのブリーチングというのの一連の流れを説明なさい」

素直に受け取ったのを確認したところでアイリーンが鷹揚に頷き、実際の動きを見せるように言われる。
とは言うものの、俺は別に特殊部隊出身というわけではないので、ブリーチングで壁をぶち抜くのは初体験になる。
とはいえ、人間誰しも初体験は何度もあるもので、迷わずやれよ、やれば分かるさありがとう、ってやつだ。

「そんじゃまぁ……ちなみに、あの小屋の壁を壊すことになりますが、よろしいので?」

「構いませんわ。領主の権限で許可します」

「左様で」

一応村の財産である小屋の破壊許可の確認をとるが、これもあっさりと認められた。
大仰に領主の権限なんて口にしていたが、アイリーンの目は面白いものを見れるという期待で満ちたものだ。
結局、こういう新しいものに対する好奇心というのを、相変わらず持ち続けているということだろう。

アイリーン達を引き連れ、小屋の側面に移動した俺は、まず比較的脆そうなポイントを探す。
長年潮風に晒されたせいか、白壁もかなり脆くなっており、大体の目星をつけた場所を軽くハンマーの横腹で削るだけで、ボロボロと赤茶けた砂と白い砂が零れ落ちてきた。

「こんな風に、事前に壊れやすいところを探すか、自分で作っておくかします。壁を破壊した際、この部分からまず壊れていき、それ以上に破壊が広まらないという意味もあります。…こんなもんでしょう。じゃ、壊すんで離れてください」

見学者達が壁から十分に距離を取ったのを確認したところで、思いっきりハンマーを壁に叩きつける。
元々経年劣化でボロかった壁は強い衝撃に耐えられるはずもなく、ズンという重い音を辺りに響かせ、ハンマーが当たった部分を中心にして、白壁には大人一人が十分に通れるだけの大きさの穴が空けられた。

「このように、穴が空いたところから室内に侵入し、人質の救出と犯人の確保を行うまでがブリーチングを使った突入になります。今回、こうしてあっさりと穴を開けられたのは、この壁が大分脆いものだったからです。劣化していない白壁は崩すのにもっと手間がかかりますので、その辺りは留意してください」

「…なるほど、確かに前もって削った場所以外に、余計な破壊をしていませんのね」

真っ先に空けた穴に近付いて見分をし出したアイリーンは、感心した声でそう言いながら室内へと足を踏み入れる。

「ふむ。こうして見てみると、穴を開けることの利点はいくつもあるように見受けられますな。アイリーン様、このブリーチング訓練はやってみる価値はありますぞ」

「マルザンがそう考えるのならお好きになさい。後で必要な道具や施設は書面で提出すること。よろしいですわね?」

「は。心得ました」

マルザンも白壁をペタペタと触りながら、ブリーチング訓練の導入をアイリーンに求めると、即決でアイリーンの許可が下りる。

ブリーチング訓練の必要性や有用性といったものを一番に感じて理解したのは、恐らくマルザンだろう。
先の訓練で自警団連中が不甲斐ない姿を見せたことで、何かしらのテコ入れを考えていたに違いない。
そういう点では、まず他に例がないブリーチング訓練というのは、目新しさもあって自警団の人間も積極的に知ろうとするはずだ。

壁をぶち破って突入するというのは、立て籠もり事件以外に使用する機会があるのか微妙なところではあるが、この豪快な訓練方法は意外とストレス発散にも効果があるのではないかと俺は睨んでいる。
なにせ、建物の破壊を訓練の名目で大っぴらに行えるので、人によってはむしろこれをメインにと考えるのも出てくる恐れもないこともない。

図らずも、異世界にブリーチングを持ち込んてしまった今日この頃。
全く新しい手口ということで、色々と賛否もあるだろうが、俺としては実践される機会がこないことを祈りたい。
争いごとというものは交渉で解決するに限る。
出来ればこういうのは最後の最後の手段と考えてほしいものだ。

「では自警団の面々は、午後からこの小屋を使ってブリーチング訓練を行う。見学と参加は自由とするが、危険もあることを周知させておくようにな」

『はい!』

マルザンは自警団の人間を集めて早速午後から訓練を再開させようとしているようで、俺もそちらに顔を出したいところだが、生憎と午後から俺はアイリーンと一緒に書類仕事だ。
なんとか訓練の監督という名目で書類仕事を抜け出したいものだが、まぁ無理だろう。
ここの文官の数で賄いきれないほどに事務仕事が多く、俺は貴重な戦力として数えられているからな。

頼られているのは悪い気はしないが、最近は一日ごとにレジルがアイリーンに仕官しないかと勧誘してくるのが地味に面倒くさい。
丁重に断っているが、俺がこの土地を離れるまで勧誘が続くのは流石にうざすぎるので、そろそろアイリーンを経由してやめてもらうように釘を刺しておこう。

そういえば、パーラの奴はどこまで行ったんだろうか?
あの腹ペコ娘のことだ。
昼食時には館に戻ってくると思うが、そうするとレジルに捕まることは目に見えている。
それを知っていてホイホイと動くパーラではないはずだが、果たして一体どう行動するのか見ものである。






午後になって、アイリーンと共に執務室で書類仕事をしていた時だ。
館のどこかからパーラの叫び声が聞こえてきた。
はっきりと聞き取れなかったが、どうやら厨房に忍び込んで食い物を盗もうとしたところをレジルに捕まったらしい。
しかも、その際に食べたものには、恐らくレジルの仕業であろうことに、大量の激辛香辛料が使われていたらしく、辛い辛いと叫んでいた。

その後、パーラがどうなったかは俺は知らない。
まぁ、夕食時には憔悴しきった様子でいたので、しっかりと絞られ(物理)たのだろう。
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