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三の村へ
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マルステル男爵領において唯一、農作物を手掛けているのが三の村だ。
耕作に適した土が周囲にあるため、近くを流れる大河から農業用水を引き込んむことで大々的に農業を営むことが出来ている。
三の村だけで領内に野菜を供給するため、農業に従事する住民も相当な数に上り、村の規模としてはマルステル男爵領では一番大きいそうだ。
そこから更に北へ向かうと、風紋船の寄港地となっている町があり、風紋船から降りた商人なんかがマルステル男爵領を目指す場合、まず最初に立ち寄るのが三の村になる。
領外からやってくる人と物が集まる流通の窓口と言える三の村だが、元々住民自体が商売っ気を持たない根っからの農家ばかりなため、特に大きく発展するということもなく、ジンナ村への中継地としてしかその役目を果たしていないのが、俺にはもったいなく感じてしまう。
まぁ変に欲をかいて騒動を引き起こすよりはずっとましなので、平穏を保っているそのスタイルは評価したい。
そんな三の村に向けて、飛空艇を駆る俺とパーラはのんびりとした空の旅としゃれこんでいた。
前日の夜にアイリーンから三の村の村長に宛てた親書を託された俺達は、夜明けとともに飛空艇に乗り込んだわけだが、そのまますぐに三の村を目指したわけではない。
実は三の村に大河から農業用水を供給している水路を見てみることをアイリーンに勧められており、そっちを先に見に行くことにしていたのだ。
そのため、まず飛空艇は一度東へ向かい、海にそそぐ大河の端を基点に北へ遡り、途中に現れる水路を西へ辿って三の村を目指す。
「それにしても、水路なんて見ても面白いのかな?アイリーンさんも変なことを勧めてくるよね」
「まぁな。けどあの口ぶりだと、見る価値がある何かを含んでのことだろうよ」
これから向かう先についての疑問を口にするパーラは、助手席に座りながら眠たげな眼で前方を見ていた。
朝早かったせいで眠いのは俺も同じだが、助手席で居眠りをせずにこうして話を振ってくれるパーラが今は有難い。
居眠り運転で墜落などたまったものではないからな。
「見る価値ね…。水路ってそういったのを求めるものだっけ?」
「さて、俺は水路に造詣が深いわけじゃないし。最悪、特に見るべきものが無かったとしても、そのまま水路を辿って三の村に行けばいいだけだろう。飛空艇なら大して時間の無駄ってわけでもないさ。お、河だ」
「へぇ、これが。私は見るの初めてだけど、対岸があんなに遠いんだね」
どこまでも続くと思われた海岸線に突然現れた切れ間こそ、ソーマルガ最大の大河が海に注がれる河口だ。
この大河、名前も付けられておらず、ただ単に大河と言えばソーマルガではこれを指すという唯一の存在だ。
水が貴重な砂漠では、この大河が生活や農業用水などに使われるため、恵みの水としてソーマルガの人間には拝まれるほどの存在だとか。
それほど有難く思っているくせに、何で名前を付けないのかというと、ソーマルガに住む数多の民族がそれぞれ独自の呼び名によって大河を指していたため、ソーマルガ皇国の前身であった神聖国時代にいた皇族の一人が、『もう面倒だから名前とか付けるのやめようぜ。大河は大河でいいじゃん』的なことを言ってしまい、以来それが続いているらしい。
普通なら名前が無いと不便じゃないかと思われるだろうが、ソーマルガではこの規模の河は他にないため、今日まで特に混乱などは起きていないそうだ。(レジル談)
その大河を辿って北に向かうことしばし。
アイリーンが言うには、目当ての水路はすぐに分かるということだったので、高度を幾分落として川の支流なんかを見逃さないようにしていると、遠くに朧気ながら支流の影が見られた。
「もしかしてあそこ?遠くから見た感じだと、別に普通っぽいけど」
パーラの言う通り、まだ離れた位置からではあるが、こうして見た限りではただの小川として逸れたものぐらいにしか思えない。
ところが、飛空艇で近付いていくことで、アイリーンが勧めた理由もよくわかる。
大河の支流として横合いに突き刺さるように伸びる川は、その始まりは確かにごく普通のものだったが、しばらく進んだ先で突然、岩がハーフパイプの形になった水路が現れ、川の水はそこを滑るようにして遠くへと続いていた。
「へぇー!岩場を割るみたいに川になってるんだ!でも人工的な感じじゃないし、自然とこうなったのかな?なんかおもしろいね」
「こりゃあ確かに一見の価値はあるな」
砂や土ではなく、岩が水路を作っているその光景は、人の手が加わっているような感じがまるでない。
水が長い年月をかけて侵食して出来ていったような、そんな自然の力強さがスケールのでかさを伴ってこちらの目に飛び込んでくる。
ジオパークに認定されてもおかしくはないほどに雄大な景色だ。
景色を楽しみながらの遊覧飛行でゆっくりと川を辿っていき、昼前には三の村の近くへと到着した。
少し前から目に入っていたが、三の村の周辺には広大な農地が広がっており、そこでは厳しい日差しにも負けずに農作業に精を出す人の姿が見られた。
砂地ばかりのソーマルガではあるが、この三の村の辺りにこれだけの農地があるのは、ちゃんとした土が存在する大地であることはもちろんだが、大河からの支流を貯水池に引き込み、そこから必要な場所へと細かく水路を分配しているおかげだろう。
十分な水が確保されているおかげで、水路の脇にはそこそこの高さの木や、青々とした植物なんかも立派に育っており、遠景を目に入れなければここが砂漠とは到底思えないほどだ。
村の大きさは聞いていた通り、ジンナ村や二の村とは明らかに規模が違い、最早村というよりは町と言っていいほどだ。
だが村の周辺を囲う柵が粗末な物であることから、この世界の分類ではやはり村ということになる。
突然上空に現れた飛空艇に、天を指差す人が見送る中で三の村に到着すると、門番の男達がこちらを警戒する仕草を見せる。
飛空艇に効果があるかは疑問だが、手に持つ槍を腰だめにしてこちらを見るその姿勢は、それほど深刻そうな雰囲気を伴ってはいなかった。
既に飛空艇の存在はソーマルガの人間には知られているので、国が管理する乗り物を危険な人間が駆るとは思っていない証拠だろう。
一応門番の仕事としてそういう対応を見せているといった感じだ。
「じゃあ私が一旦下に降りて来訪を告げてくるから、アンディはここで飛空艇を待機させといてね」
「おう。ちゃんと飛空艇を泊められる場所を聞いてくるんだぞ」
「分かってるって」
そう言って飛空艇のハッチを解放させて、噴射装置を軽く吹かしてからパーラが空中へと飛び出した。
これからパーラは三の村の人間にアイリーンの名代として俺達が来たことを伝え、飛空艇を停泊させられる適当に広い場所を提供してもらうように交渉することになる。
本来なら名代として指名されている俺がやった方がいいのだろうが、これもいい経験になるとパーラがその役目を請け負い、今回はこうした役割分担となった。
下からこちらを見上げている人達は、飛空艇から人が飛び降りたように見えたようで、慌てたような動きを見せたが、すぐに噴射装置で落下速度を減速させながら舞い降りたパーラに目を見開いて驚いていた。
飛空艇はそういう乗り物だと思えば納得はできるだろうが、生身の人間が空を飛ぶというのは中々インパクトが大きいものだ。
ここからは声までは聞こえないが、若干腰の引けている門番の男達とパーラが言葉を交わした後、男の一人が村の中に入ると、一際大きい家へと駆けこんでいった。
大きさといい、建っている場所といい、まず間違いなくあれが村長の家なのだろう。
少し経って、先程村長宅に入っていった男と一緒に、別の男性が姿を現してパーラの前にやってきた。
彼が村長宅から出てきたところを俺は見ていたわけだが、こうして見ると村長にしてはかなり若いように思える。
ただ、門番達の男に対する態度を見るに、村長かそれに準ずる地位にいる人間なのではないかと推測した。
パーラが新しく現れた男と一言二言話すと、男がどこかを指差したのに一つ頷くと、再び噴射装置を吹かして空へと飛びあがり、飛空艇へと戻ってきた。
「アンディ、村の中に飛空艇が入る許可をもらったよ。あと、あっちの空いてる場所を停泊場所に使っていいって」
「おう、了解だ。パーラ、一応その停泊場所に先行して、人が近付かないように見ててくれ」
「はいはーい」
パーラがまた飛空艇のハッチから飛び出していったのを確認し、先程指差された場所へと飛空艇を動かす。
眼下では飛空艇の移動に合わせて、村人達がぞろぞろと見上げながら追いかけてきており、これはパーラを先行させた俺の判断は正しかったと言えよう。
飛空艇の着陸で、村人を事故に巻き込むなどあってはならないからな。
「こちらがマルステル男爵閣下より託された親書です。我々が中身を見ていないことをどうかご確認ください」
飛空艇を停泊させた俺達は、村長宅の応接室に移動して、早速アイリーンからの親書を村長に手渡した。
テーブル越しに差し出した手紙を受け取った三の村の村長は、聞いていた通りにかなりの高齢であり、お互いにソファに腰かけているはずなのだが、つい楽な姿勢を勧めたくなるぐらいのヨボヨボ具合だ。
先程のそこそこ偉いと見た男性は村長の孫だそうで、パラックと名乗った。
そのはパラック今、村長の斜め後ろで仁王立ちで侍っている。
どうやら次の村長を継ぐのは彼のようで、経験を積ませるためにそうさせているようだ。
「…ふむ、確かに開けられた痕がないことを確認しましたぞ。では失礼して」
親書の封がちゃんとされていることを確認した村長が一つ断って手紙を開封し、その内容を目で追う。
村長が黙読している間、室内は静寂が見張っているような何とも言えない雰囲気で、手持ち無沙汰で困ってしまう。
なんとなくパラックの様子を窺ってみる。
見た目の年齢は恐らく20代後半、いってても30代前半と言ったところか。
ガチムチな筋肉のせいで大きく見えるが、身長自体はこの世界の成人男性の平均を逸脱するものではない。
日に焼けた肌と彫の深い顔立ちのせいで初見だと威圧感を覚えそうだが、その目つきは柔和そのものいった感じで、話をしたパーラの印象でも穏やかな性格の持ち主だろうとのことだ。
将来の村長という点では二の村のイーライと同じ立場だが、パラックの醸しだす落ち着いた雰囲気を肌で感じてしまうと、どうしてもイーライの評価は一段下のものとなってしまう。
まぁこの辺りは個人の性格もあるし、漁師と農家という仕事の違いもあるので、一概に二人の性格だけで適性を図ることはできないが。
「なるほど……アンディ殿は手紙の内容をご存じかな?」
読み終えたのか、頷きながら手紙を封筒へと戻しながら、村長が俺にそう尋ねる。
「はい。直接見てはいませんが、どういったことを書いたかは領主様から口頭で聞いています」
「ほぅ?名代を任されたことといい、その若さで随分領主様から信を置かれているようで。手紙にあったが、アンディ殿は砂糖人参の栽培を見学したいとか?」
「ええ。実は先日、初めて砂糖人参を食べたのですが、そのあまりの美味しさに是非作っているところを見てみたいと思い、領主様に是非にとお願いしたことがこの度の名代としての派遣に繋がりました」
実際はもっと軽いやりとりで名代の任命が決まったのだが、アイリーンの権威のためにも俺が強く懇願した風を装って話す。
砂糖人参を持ち上げて栽培の見学を請うと、村長は皺のある顔を、笑顔でさらに皺を深めて何度も頷いた。
俺もそうだったが、農業に携わる人間というのは、自分達の手掛けた作物を誉められることは嬉しいものだ
「そこまで言われては断る理由が見当たりませんな。どうぞ、お好きなだけ見ていかれるとよろしい。孫を案内に着けましょう。パラック、アンディ殿達に畑を案内してさし上げろ」
「分かった。爺ちゃん、畑はうちのとこのでいいかい?」
「ああ、構わん。それと、爺ちゃんではない。こういう時は村長と呼べといつも言っているだろう。申し訳ない、アンディ殿。身内の不出来を晒してしまったようだ」
「いえ、お気になさらず」
フランクな口調のパラックを窘める村長は、先程までの顔とは一転して出来の悪い孫を見るような困った表情をしている。
こういう場ではたとえ身内であろうと、その地位に対して相応の振る舞いをするのがマナーだ。
今のパラックの態度は、アイリーンの名代として同席している俺達の前ではまずかっただろうが、俺もあまり礼儀にこだわるタイプでもないので、今指摘されたことは却って丁度良かったとも言える。
村長に窘められ、大柄な体をシュンと縮こまらせているパラックは、見た目よりもずっと繊細な青年だったらしい。
それほど厳しく叱責されたわけではないが、言われたことの重要さは理解しているがゆえのこの反応だろう。
「ここが砂糖人参を作っている畑だよ。ここからあそこに立ってる木の棒の辺りまでがウチのだ」
「へぇ…意外と小さく作ってるんですね」
パラックの案内で俺達は砂糖人参を栽培している畑へとやってきたが、目の前にある畑は意外と小さく、15メートルほどの畝が五列ある程度しかない。
一応青々とした葉が見えているので、土の下にはちゃんと砂糖人参はあるようだ。
「いや、ここにあるのは俺達が食べる分さ。出荷する分の畑はまた別のところにあるんだ。尤も、春夏用の砂糖人参は先日収穫し終わったから、しばらくあっちの畑は休ませるがね」
緊張した様子もなく俺達にそう話すパラックだが、実はついさっきまでは畏まった話し方をしていたのだ。
そういった話し方に慣れていなかったのか、所々でおかしな言い回しが目立ったため、普段通りの口調でいいと伝えたところ、こうして饒舌に説明することが出来るようになってくれた。
「そうでしたか。それにしても、畝が結構高いですね。普通、人参の畝はここまで上げないと思いますが」
俺が人参を育てていた時は、畝の高さは大体30センチを超えない程度で収めていたが、この砂糖人参は畝高が4・50センチはある。
畝高は個人個人の好みで好きにするものではあるが、これはちょっとやりすぎではないだろうか。
「俺は他の人参を知らないから何とも言えないが、砂糖人参はこれぐらいの高さでなきゃだめだって昔から言われてるんだよ。ウチの爺さんのそのまた爺さんからずっとこうだったらしい。あんまり畝が低いと根が伸びなかったんだとさ」
まぁこっちの世界だと根菜類が土の中でどう育つのかは分かりにくいし、畝を高く作って上手くいったから、それ以降続けているというのも納得できなくもない。
そもそも砂糖人参を俺の知る人参と同じ扱いにしていいのか疑問でもあるので、『ウチはこういうやり方だ』と言われて、それは違うと言えるわけもない。
「しかしこれだと追肥がやりにくくありませんか?」
「まぁね。けど、そこはやりようさ。面倒に思うだろうけど、先に堆肥をすきこんでおいた土を畝に生えている茎同士の間に敷くような感じで混ぜ込むんだよ。おかげで回数は多くなるけど、その分いい砂糖人参に育つんだ」
それはまた、随分と大掛かりで手間のかかることを…。
畑をやる上で重要な追肥は、農家にとって最も神経を使う仕事と言っても過言ではない。
砂糖人参は畝高のせいで、追肥の手間をかなりかけているようだが、そのおかげであの美味さを生み出していると考えれば、必要な手間だったと飲み込むことはできるな。
「それにしてもアンディさんは、若いのに畑のことをよく知ってるね。元々そっちの仕事をしてたのかな?」
「本業は冒険者ですよ。今はここの領主様との縁で仕事を手伝ってるだけです。野菜作りは趣味程度に少々手を付けていたことがありましたので」
「冒険者か。俺も昔は憧れた時期があったな」
しみじみとした感じで呟くパラックは、体格にも恵まれているし、その落ち着いた物腰からすると、もしも冒険者になっていたら意外といい線まではいけそうな気がする。
膂力は言わずもがな、大抵の冒険者が無茶をして命を落とすのを考えると、血気に逸る姿というのが想像できない性格をしているパラックならば、赤級は望めなくとも黄級にまでは届く可能性はゼロではない。
「ねぇねぇ。私ちょっと聞きたかったんだけど、パラックさんのお父さんって今どうしてるの?さっきは次の村長はパラックさんになるって紹介されたけど、普通なら孫じゃなくて息子に継がせるもんじゃない?」
「よせ、パーラ。人の事情に突っ込んで話を…」
「いやいや、構わないよ。まぁ少し前までなら俺の父親が次の村長にって決まってたんだけど、残念ながら病気で亡くなってしまってね」
なるほど、本来継ぐはずだった人間が死んだために、パラックが後継ぎに繰り上がったわけか。
年齢的に成人しているとはいえ、父親の死が突然だったせいで、今は祖父にくっついて学んでいる最中なのだろう。
「本当はもう少し、土いじりする時間を楽しみたかったんだけど…人が死ぬ時ってのはあっという間で参るね」
遠い目をしたパラックのそんな言葉は、実感を伴っている分だけ妙に重いものだった。
「…パラックさんが村長になったらこの畑はどうなるんですか?まさか並行してやれるほど、村の運営も楽なものではないでしょう?」
「畑は妹が引き継ぐことになってる。妹はこの前結婚したばかりでね、少し時間は待たせるが結婚祝いさ」
父親が死んで、一手に任された畑を妹に譲るのは果たしてどのような気持ちなのか。
本人はまだまだ畑をやりたいと言っているし、本当は村長に就任するよりも、一農夫として働かせた方が本人の幸せなのではないかと思えてくる。
まぁこの世界の基準だと、村長の後は息子・孫と順当に引き継がれるのが当たり前なので、いつかは畑を離れる時間が来るのだが、それにしても早すぎたというのがパラックにとっては残念でならないだろう。
パーラの切り出した話題のせいで場が僅かに沈んだが、俺の本来の目的である砂糖人参の栽培についての話を再開しようと思ったその時。
遠くからこちらを目指して走り寄ってくる人影に気付いた。
俺意外の二人も気付き、影の主を見ていると、徐々に鮮明になるその表情にはなにやら焦りのようなものが浮かんでいるように感じた。
急ぎ足で俺達の目の前まで来たその人物は、息を荒げながらパラックへと険しい顔を向ける。
「はぁ…はぁ…パラック、大変だ!シングがお前の家に―」
「っクソ!」
言い終わるのを待たず、パラックが駆けだした。
一瞬前、パラックの顔には怒りや焦燥といったものが見え、その直後に走っていったのだ。
只事ではないと思い、今も息を整えようとしている目の前の男に、事情を尋ねてみた。
すると、長閑だと思われた三の村には似つかわしくない、緊迫した状況が語られる。
「立て籠り?パラックさんの家で?」
「ああ。今時分、あいつの家は嫁さん一人だけでな。シングって奴がそれを見計らって押し入ったのを、近所の子供が知らせてくれたんだ。それで俺がパラックを呼びに来たってわけだ」
「結構な大事件ですね。そのシングって人は何者ですか?」
「どうしようもないバカ野郎さ」
吐き捨てるようにそう言う男は、苦み走ったものを覚えたようだ。
聞くと、このシングというのは、大分前に村を追放同然で出ていった男なのだそうだ。
元々は三の村で一緒に育ったパラックの幼馴染だそうで、村の自警団の中心人物として働いていたのだが、酒癖の悪さで度々村人と諍いを引き起こし、遂には傷害事件にまで発展させてしまい、村長命令での追放が言い渡されるよりも先に、村を去っていったという。
「そんな人がなぜパラックさんの家に立て籠もりを?」
「あいつはパラックを恨んでるのさ。厳重に処罰するって話を村の会合で議題に挙げたのはパラックだからな。いなくなる前の晩に、二人が激しく言い合ったのを見た奴もいるし、それで嫁さんを人質にして何かを要求しようってんだろ。ま、きっと金だろうさ」
あくまでも一方からの話ではあるが、どうもそのシングとやらは逆恨みでパラックにちょっかいをかけたようだ。
実はパラックが結婚していたことも中々意外だったが、それが霞むくらいにまずい事態だと思わされる。
「アンディ、これ私達も行った方がよくない?」
「そうだな。…てことで、俺達もパラックさんの後を追います。行き先だけ教えてもらえますか?」
「追うって…言っとくがシングは性格はともかく、腕っぷしだけはとんでもねえ野郎だ。あんたらが行っただけでどうにかならねーぞ」
俺とパーラは今、武器の類は身に着けていないし、服装も普段着のままだ。
一見すると強そうに見えない俺達がパラックのところに行っても、何の解決にならないと考えるこの男の判断は間違ってはいない。
ただし、生憎俺とパーラは普通じゃない。
「ご安心を。俺とパーラは本業が冒険者です。しかも、どっちも魔術師のね。荒事に対処できるだけの実力はあると自負してますので」
「そういうこと。さあ、パラックさんの家の場所を教えて」
冒険者であり、魔術師でもある俺達ならば、一村人であるパラックでも対処が難しい局面でもなんとかできるかもしれない。
「冒険者で魔術師って…ははっ、何のめぐりあわせだ?…パラックの家は村の西にある。他と違って屋根が大きく、外に反ってる造りだからすぐ分かるはずだ」
俺達の正体を知り、きょとんとした顔をした男だったが、すぐにその意味するところの光明に至ったようで、迷いなくパラックの家の場所を教えてくれた。
ここからはその特徴的な屋根は見えないが、西に向かって走っていけばすぐに見つかるだろう。
「よし、急ごう。パーラ、強化魔術を使うぞ」
「はいよっと。…こんなことなら噴射装置も持ってくればよかったね」
「武器もな」
一応武器は飛空艇に積んであるのだが、一々取りに行く時間ももったいないので、いざとなったら魔術頼みでいくしかない。
軽口を言い合い、強化させた脚力で地面を強く蹴って一気に加速させた走りでその場を後にする。
「うぉっ!速-」
高速で移動した俺達に驚いて、残った男が吐いたそんな言葉を置き去りにして村を疾走する。
途中、俺達に驚く村人とすれ違うが、それに構わず走り続け、すぐに目的の家を見つけることが出来た。
家の周りには何人かが野次馬的に様子を見ているようで、その向こうに今まさに家の方へと歩み出そうとしているパラックの姿もあった。
まさか何の策もなくいきなり人質のいる場所へと乗り込もうとしているのか。
それでは立て籠もり犯を刺激してしまい、人質に危害が加えられると判断した俺は、移動の足を緩めず、そのまま野次馬達の頭上を飛び越えた勢いで、パラックの傍へと乱暴に着地する。
「うわぁ!な、なんだぁ?」
突然自分の隣に降ってきた人影に驚いたパラックがそんな間の抜けた声をあげて、大きく一歩後ずさった。
よし、これで立て籠もり犯を刺激するという最悪な事態は一旦回避できたな。
「…アンディさん!?あんた何しぐへぇ―」
「はい!ちょっと下がりましょーかー!」
急いでその場から離れるべく、パラックの襟首を掴んで一気に野次馬のいる方へと引っ張っていく。
この手の立てこもり事件だと、犯人は窓か扉の隙間からこちらを見ているだろうから、今はパラックを家から離れさせることが肝要だ。
驚いた目で俺を見ている村人のに、パラックごと紛れ込むようにして入り込むと、ようやく一息つく。
と、ここで非難がましく俺を見るパラックと目が合う。
いざこれから妻を助けに行こうとしたところを、強引に連れ戻された形になったのだから、そういう感情になるのも理解できる。
だが何はともあれ、まずは人質の安全、次いで立て籠もり犯の確保を優先するべきということをパラックには知ってもらう必要があるのだ。
無暗にシングの前に出て行って、人質諸共殺されるという最悪のケースだけは何としても避けたかった。
それをパラックにどう説明するかを頭の中で整理しつつ、立て籠もり中の家へと視線を向ける。
ソーマルガ独特の建築様式に則ったパラックの家は、他のと同様に窓は極端に小さく、数も少ない。
映画なんかのセオリーだと、建物内にフラッシュバンを放り込んで、窓をぶち破って突入なんてのもあるが、生憎この家の窓は人が通るには少し狭い。
おまけに窓はガラスではなく木戸のタイプなので、しっかりと閉じられている今は下手に体をぶつけても敗れるかどうかといった感じだ。
人質がいて、突入の経路が極端に少ない立て籠もり事件とは、中々に難易度が高い状況だ。
一応俺とパーラで魔術を駆使して強硬突破するということもできなくはないが、やはり人質への被害を考えると、強引な手は控えたい。
となれば、やはりまずは交渉からか。
まさか異世界に来て、SITの真似事をするようになるとは、最近の転生事情は随分と意外性に富んでいるものだな。
耕作に適した土が周囲にあるため、近くを流れる大河から農業用水を引き込んむことで大々的に農業を営むことが出来ている。
三の村だけで領内に野菜を供給するため、農業に従事する住民も相当な数に上り、村の規模としてはマルステル男爵領では一番大きいそうだ。
そこから更に北へ向かうと、風紋船の寄港地となっている町があり、風紋船から降りた商人なんかがマルステル男爵領を目指す場合、まず最初に立ち寄るのが三の村になる。
領外からやってくる人と物が集まる流通の窓口と言える三の村だが、元々住民自体が商売っ気を持たない根っからの農家ばかりなため、特に大きく発展するということもなく、ジンナ村への中継地としてしかその役目を果たしていないのが、俺にはもったいなく感じてしまう。
まぁ変に欲をかいて騒動を引き起こすよりはずっとましなので、平穏を保っているそのスタイルは評価したい。
そんな三の村に向けて、飛空艇を駆る俺とパーラはのんびりとした空の旅としゃれこんでいた。
前日の夜にアイリーンから三の村の村長に宛てた親書を託された俺達は、夜明けとともに飛空艇に乗り込んだわけだが、そのまますぐに三の村を目指したわけではない。
実は三の村に大河から農業用水を供給している水路を見てみることをアイリーンに勧められており、そっちを先に見に行くことにしていたのだ。
そのため、まず飛空艇は一度東へ向かい、海にそそぐ大河の端を基点に北へ遡り、途中に現れる水路を西へ辿って三の村を目指す。
「それにしても、水路なんて見ても面白いのかな?アイリーンさんも変なことを勧めてくるよね」
「まぁな。けどあの口ぶりだと、見る価値がある何かを含んでのことだろうよ」
これから向かう先についての疑問を口にするパーラは、助手席に座りながら眠たげな眼で前方を見ていた。
朝早かったせいで眠いのは俺も同じだが、助手席で居眠りをせずにこうして話を振ってくれるパーラが今は有難い。
居眠り運転で墜落などたまったものではないからな。
「見る価値ね…。水路ってそういったのを求めるものだっけ?」
「さて、俺は水路に造詣が深いわけじゃないし。最悪、特に見るべきものが無かったとしても、そのまま水路を辿って三の村に行けばいいだけだろう。飛空艇なら大して時間の無駄ってわけでもないさ。お、河だ」
「へぇ、これが。私は見るの初めてだけど、対岸があんなに遠いんだね」
どこまでも続くと思われた海岸線に突然現れた切れ間こそ、ソーマルガ最大の大河が海に注がれる河口だ。
この大河、名前も付けられておらず、ただ単に大河と言えばソーマルガではこれを指すという唯一の存在だ。
水が貴重な砂漠では、この大河が生活や農業用水などに使われるため、恵みの水としてソーマルガの人間には拝まれるほどの存在だとか。
それほど有難く思っているくせに、何で名前を付けないのかというと、ソーマルガに住む数多の民族がそれぞれ独自の呼び名によって大河を指していたため、ソーマルガ皇国の前身であった神聖国時代にいた皇族の一人が、『もう面倒だから名前とか付けるのやめようぜ。大河は大河でいいじゃん』的なことを言ってしまい、以来それが続いているらしい。
普通なら名前が無いと不便じゃないかと思われるだろうが、ソーマルガではこの規模の河は他にないため、今日まで特に混乱などは起きていないそうだ。(レジル談)
その大河を辿って北に向かうことしばし。
アイリーンが言うには、目当ての水路はすぐに分かるということだったので、高度を幾分落として川の支流なんかを見逃さないようにしていると、遠くに朧気ながら支流の影が見られた。
「もしかしてあそこ?遠くから見た感じだと、別に普通っぽいけど」
パーラの言う通り、まだ離れた位置からではあるが、こうして見た限りではただの小川として逸れたものぐらいにしか思えない。
ところが、飛空艇で近付いていくことで、アイリーンが勧めた理由もよくわかる。
大河の支流として横合いに突き刺さるように伸びる川は、その始まりは確かにごく普通のものだったが、しばらく進んだ先で突然、岩がハーフパイプの形になった水路が現れ、川の水はそこを滑るようにして遠くへと続いていた。
「へぇー!岩場を割るみたいに川になってるんだ!でも人工的な感じじゃないし、自然とこうなったのかな?なんかおもしろいね」
「こりゃあ確かに一見の価値はあるな」
砂や土ではなく、岩が水路を作っているその光景は、人の手が加わっているような感じがまるでない。
水が長い年月をかけて侵食して出来ていったような、そんな自然の力強さがスケールのでかさを伴ってこちらの目に飛び込んでくる。
ジオパークに認定されてもおかしくはないほどに雄大な景色だ。
景色を楽しみながらの遊覧飛行でゆっくりと川を辿っていき、昼前には三の村の近くへと到着した。
少し前から目に入っていたが、三の村の周辺には広大な農地が広がっており、そこでは厳しい日差しにも負けずに農作業に精を出す人の姿が見られた。
砂地ばかりのソーマルガではあるが、この三の村の辺りにこれだけの農地があるのは、ちゃんとした土が存在する大地であることはもちろんだが、大河からの支流を貯水池に引き込み、そこから必要な場所へと細かく水路を分配しているおかげだろう。
十分な水が確保されているおかげで、水路の脇にはそこそこの高さの木や、青々とした植物なんかも立派に育っており、遠景を目に入れなければここが砂漠とは到底思えないほどだ。
村の大きさは聞いていた通り、ジンナ村や二の村とは明らかに規模が違い、最早村というよりは町と言っていいほどだ。
だが村の周辺を囲う柵が粗末な物であることから、この世界の分類ではやはり村ということになる。
突然上空に現れた飛空艇に、天を指差す人が見送る中で三の村に到着すると、門番の男達がこちらを警戒する仕草を見せる。
飛空艇に効果があるかは疑問だが、手に持つ槍を腰だめにしてこちらを見るその姿勢は、それほど深刻そうな雰囲気を伴ってはいなかった。
既に飛空艇の存在はソーマルガの人間には知られているので、国が管理する乗り物を危険な人間が駆るとは思っていない証拠だろう。
一応門番の仕事としてそういう対応を見せているといった感じだ。
「じゃあ私が一旦下に降りて来訪を告げてくるから、アンディはここで飛空艇を待機させといてね」
「おう。ちゃんと飛空艇を泊められる場所を聞いてくるんだぞ」
「分かってるって」
そう言って飛空艇のハッチを解放させて、噴射装置を軽く吹かしてからパーラが空中へと飛び出した。
これからパーラは三の村の人間にアイリーンの名代として俺達が来たことを伝え、飛空艇を停泊させられる適当に広い場所を提供してもらうように交渉することになる。
本来なら名代として指名されている俺がやった方がいいのだろうが、これもいい経験になるとパーラがその役目を請け負い、今回はこうした役割分担となった。
下からこちらを見上げている人達は、飛空艇から人が飛び降りたように見えたようで、慌てたような動きを見せたが、すぐに噴射装置で落下速度を減速させながら舞い降りたパーラに目を見開いて驚いていた。
飛空艇はそういう乗り物だと思えば納得はできるだろうが、生身の人間が空を飛ぶというのは中々インパクトが大きいものだ。
ここからは声までは聞こえないが、若干腰の引けている門番の男達とパーラが言葉を交わした後、男の一人が村の中に入ると、一際大きい家へと駆けこんでいった。
大きさといい、建っている場所といい、まず間違いなくあれが村長の家なのだろう。
少し経って、先程村長宅に入っていった男と一緒に、別の男性が姿を現してパーラの前にやってきた。
彼が村長宅から出てきたところを俺は見ていたわけだが、こうして見ると村長にしてはかなり若いように思える。
ただ、門番達の男に対する態度を見るに、村長かそれに準ずる地位にいる人間なのではないかと推測した。
パーラが新しく現れた男と一言二言話すと、男がどこかを指差したのに一つ頷くと、再び噴射装置を吹かして空へと飛びあがり、飛空艇へと戻ってきた。
「アンディ、村の中に飛空艇が入る許可をもらったよ。あと、あっちの空いてる場所を停泊場所に使っていいって」
「おう、了解だ。パーラ、一応その停泊場所に先行して、人が近付かないように見ててくれ」
「はいはーい」
パーラがまた飛空艇のハッチから飛び出していったのを確認し、先程指差された場所へと飛空艇を動かす。
眼下では飛空艇の移動に合わせて、村人達がぞろぞろと見上げながら追いかけてきており、これはパーラを先行させた俺の判断は正しかったと言えよう。
飛空艇の着陸で、村人を事故に巻き込むなどあってはならないからな。
「こちらがマルステル男爵閣下より託された親書です。我々が中身を見ていないことをどうかご確認ください」
飛空艇を停泊させた俺達は、村長宅の応接室に移動して、早速アイリーンからの親書を村長に手渡した。
テーブル越しに差し出した手紙を受け取った三の村の村長は、聞いていた通りにかなりの高齢であり、お互いにソファに腰かけているはずなのだが、つい楽な姿勢を勧めたくなるぐらいのヨボヨボ具合だ。
先程のそこそこ偉いと見た男性は村長の孫だそうで、パラックと名乗った。
そのはパラック今、村長の斜め後ろで仁王立ちで侍っている。
どうやら次の村長を継ぐのは彼のようで、経験を積ませるためにそうさせているようだ。
「…ふむ、確かに開けられた痕がないことを確認しましたぞ。では失礼して」
親書の封がちゃんとされていることを確認した村長が一つ断って手紙を開封し、その内容を目で追う。
村長が黙読している間、室内は静寂が見張っているような何とも言えない雰囲気で、手持ち無沙汰で困ってしまう。
なんとなくパラックの様子を窺ってみる。
見た目の年齢は恐らく20代後半、いってても30代前半と言ったところか。
ガチムチな筋肉のせいで大きく見えるが、身長自体はこの世界の成人男性の平均を逸脱するものではない。
日に焼けた肌と彫の深い顔立ちのせいで初見だと威圧感を覚えそうだが、その目つきは柔和そのものいった感じで、話をしたパーラの印象でも穏やかな性格の持ち主だろうとのことだ。
将来の村長という点では二の村のイーライと同じ立場だが、パラックの醸しだす落ち着いた雰囲気を肌で感じてしまうと、どうしてもイーライの評価は一段下のものとなってしまう。
まぁこの辺りは個人の性格もあるし、漁師と農家という仕事の違いもあるので、一概に二人の性格だけで適性を図ることはできないが。
「なるほど……アンディ殿は手紙の内容をご存じかな?」
読み終えたのか、頷きながら手紙を封筒へと戻しながら、村長が俺にそう尋ねる。
「はい。直接見てはいませんが、どういったことを書いたかは領主様から口頭で聞いています」
「ほぅ?名代を任されたことといい、その若さで随分領主様から信を置かれているようで。手紙にあったが、アンディ殿は砂糖人参の栽培を見学したいとか?」
「ええ。実は先日、初めて砂糖人参を食べたのですが、そのあまりの美味しさに是非作っているところを見てみたいと思い、領主様に是非にとお願いしたことがこの度の名代としての派遣に繋がりました」
実際はもっと軽いやりとりで名代の任命が決まったのだが、アイリーンの権威のためにも俺が強く懇願した風を装って話す。
砂糖人参を持ち上げて栽培の見学を請うと、村長は皺のある顔を、笑顔でさらに皺を深めて何度も頷いた。
俺もそうだったが、農業に携わる人間というのは、自分達の手掛けた作物を誉められることは嬉しいものだ
「そこまで言われては断る理由が見当たりませんな。どうぞ、お好きなだけ見ていかれるとよろしい。孫を案内に着けましょう。パラック、アンディ殿達に畑を案内してさし上げろ」
「分かった。爺ちゃん、畑はうちのとこのでいいかい?」
「ああ、構わん。それと、爺ちゃんではない。こういう時は村長と呼べといつも言っているだろう。申し訳ない、アンディ殿。身内の不出来を晒してしまったようだ」
「いえ、お気になさらず」
フランクな口調のパラックを窘める村長は、先程までの顔とは一転して出来の悪い孫を見るような困った表情をしている。
こういう場ではたとえ身内であろうと、その地位に対して相応の振る舞いをするのがマナーだ。
今のパラックの態度は、アイリーンの名代として同席している俺達の前ではまずかっただろうが、俺もあまり礼儀にこだわるタイプでもないので、今指摘されたことは却って丁度良かったとも言える。
村長に窘められ、大柄な体をシュンと縮こまらせているパラックは、見た目よりもずっと繊細な青年だったらしい。
それほど厳しく叱責されたわけではないが、言われたことの重要さは理解しているがゆえのこの反応だろう。
「ここが砂糖人参を作っている畑だよ。ここからあそこに立ってる木の棒の辺りまでがウチのだ」
「へぇ…意外と小さく作ってるんですね」
パラックの案内で俺達は砂糖人参を栽培している畑へとやってきたが、目の前にある畑は意外と小さく、15メートルほどの畝が五列ある程度しかない。
一応青々とした葉が見えているので、土の下にはちゃんと砂糖人参はあるようだ。
「いや、ここにあるのは俺達が食べる分さ。出荷する分の畑はまた別のところにあるんだ。尤も、春夏用の砂糖人参は先日収穫し終わったから、しばらくあっちの畑は休ませるがね」
緊張した様子もなく俺達にそう話すパラックだが、実はついさっきまでは畏まった話し方をしていたのだ。
そういった話し方に慣れていなかったのか、所々でおかしな言い回しが目立ったため、普段通りの口調でいいと伝えたところ、こうして饒舌に説明することが出来るようになってくれた。
「そうでしたか。それにしても、畝が結構高いですね。普通、人参の畝はここまで上げないと思いますが」
俺が人参を育てていた時は、畝の高さは大体30センチを超えない程度で収めていたが、この砂糖人参は畝高が4・50センチはある。
畝高は個人個人の好みで好きにするものではあるが、これはちょっとやりすぎではないだろうか。
「俺は他の人参を知らないから何とも言えないが、砂糖人参はこれぐらいの高さでなきゃだめだって昔から言われてるんだよ。ウチの爺さんのそのまた爺さんからずっとこうだったらしい。あんまり畝が低いと根が伸びなかったんだとさ」
まぁこっちの世界だと根菜類が土の中でどう育つのかは分かりにくいし、畝を高く作って上手くいったから、それ以降続けているというのも納得できなくもない。
そもそも砂糖人参を俺の知る人参と同じ扱いにしていいのか疑問でもあるので、『ウチはこういうやり方だ』と言われて、それは違うと言えるわけもない。
「しかしこれだと追肥がやりにくくありませんか?」
「まぁね。けど、そこはやりようさ。面倒に思うだろうけど、先に堆肥をすきこんでおいた土を畝に生えている茎同士の間に敷くような感じで混ぜ込むんだよ。おかげで回数は多くなるけど、その分いい砂糖人参に育つんだ」
それはまた、随分と大掛かりで手間のかかることを…。
畑をやる上で重要な追肥は、農家にとって最も神経を使う仕事と言っても過言ではない。
砂糖人参は畝高のせいで、追肥の手間をかなりかけているようだが、そのおかげであの美味さを生み出していると考えれば、必要な手間だったと飲み込むことはできるな。
「それにしてもアンディさんは、若いのに畑のことをよく知ってるね。元々そっちの仕事をしてたのかな?」
「本業は冒険者ですよ。今はここの領主様との縁で仕事を手伝ってるだけです。野菜作りは趣味程度に少々手を付けていたことがありましたので」
「冒険者か。俺も昔は憧れた時期があったな」
しみじみとした感じで呟くパラックは、体格にも恵まれているし、その落ち着いた物腰からすると、もしも冒険者になっていたら意外といい線まではいけそうな気がする。
膂力は言わずもがな、大抵の冒険者が無茶をして命を落とすのを考えると、血気に逸る姿というのが想像できない性格をしているパラックならば、赤級は望めなくとも黄級にまでは届く可能性はゼロではない。
「ねぇねぇ。私ちょっと聞きたかったんだけど、パラックさんのお父さんって今どうしてるの?さっきは次の村長はパラックさんになるって紹介されたけど、普通なら孫じゃなくて息子に継がせるもんじゃない?」
「よせ、パーラ。人の事情に突っ込んで話を…」
「いやいや、構わないよ。まぁ少し前までなら俺の父親が次の村長にって決まってたんだけど、残念ながら病気で亡くなってしまってね」
なるほど、本来継ぐはずだった人間が死んだために、パラックが後継ぎに繰り上がったわけか。
年齢的に成人しているとはいえ、父親の死が突然だったせいで、今は祖父にくっついて学んでいる最中なのだろう。
「本当はもう少し、土いじりする時間を楽しみたかったんだけど…人が死ぬ時ってのはあっという間で参るね」
遠い目をしたパラックのそんな言葉は、実感を伴っている分だけ妙に重いものだった。
「…パラックさんが村長になったらこの畑はどうなるんですか?まさか並行してやれるほど、村の運営も楽なものではないでしょう?」
「畑は妹が引き継ぐことになってる。妹はこの前結婚したばかりでね、少し時間は待たせるが結婚祝いさ」
父親が死んで、一手に任された畑を妹に譲るのは果たしてどのような気持ちなのか。
本人はまだまだ畑をやりたいと言っているし、本当は村長に就任するよりも、一農夫として働かせた方が本人の幸せなのではないかと思えてくる。
まぁこの世界の基準だと、村長の後は息子・孫と順当に引き継がれるのが当たり前なので、いつかは畑を離れる時間が来るのだが、それにしても早すぎたというのがパラックにとっては残念でならないだろう。
パーラの切り出した話題のせいで場が僅かに沈んだが、俺の本来の目的である砂糖人参の栽培についての話を再開しようと思ったその時。
遠くからこちらを目指して走り寄ってくる人影に気付いた。
俺意外の二人も気付き、影の主を見ていると、徐々に鮮明になるその表情にはなにやら焦りのようなものが浮かんでいるように感じた。
急ぎ足で俺達の目の前まで来たその人物は、息を荒げながらパラックへと険しい顔を向ける。
「はぁ…はぁ…パラック、大変だ!シングがお前の家に―」
「っクソ!」
言い終わるのを待たず、パラックが駆けだした。
一瞬前、パラックの顔には怒りや焦燥といったものが見え、その直後に走っていったのだ。
只事ではないと思い、今も息を整えようとしている目の前の男に、事情を尋ねてみた。
すると、長閑だと思われた三の村には似つかわしくない、緊迫した状況が語られる。
「立て籠り?パラックさんの家で?」
「ああ。今時分、あいつの家は嫁さん一人だけでな。シングって奴がそれを見計らって押し入ったのを、近所の子供が知らせてくれたんだ。それで俺がパラックを呼びに来たってわけだ」
「結構な大事件ですね。そのシングって人は何者ですか?」
「どうしようもないバカ野郎さ」
吐き捨てるようにそう言う男は、苦み走ったものを覚えたようだ。
聞くと、このシングというのは、大分前に村を追放同然で出ていった男なのだそうだ。
元々は三の村で一緒に育ったパラックの幼馴染だそうで、村の自警団の中心人物として働いていたのだが、酒癖の悪さで度々村人と諍いを引き起こし、遂には傷害事件にまで発展させてしまい、村長命令での追放が言い渡されるよりも先に、村を去っていったという。
「そんな人がなぜパラックさんの家に立て籠もりを?」
「あいつはパラックを恨んでるのさ。厳重に処罰するって話を村の会合で議題に挙げたのはパラックだからな。いなくなる前の晩に、二人が激しく言い合ったのを見た奴もいるし、それで嫁さんを人質にして何かを要求しようってんだろ。ま、きっと金だろうさ」
あくまでも一方からの話ではあるが、どうもそのシングとやらは逆恨みでパラックにちょっかいをかけたようだ。
実はパラックが結婚していたことも中々意外だったが、それが霞むくらいにまずい事態だと思わされる。
「アンディ、これ私達も行った方がよくない?」
「そうだな。…てことで、俺達もパラックさんの後を追います。行き先だけ教えてもらえますか?」
「追うって…言っとくがシングは性格はともかく、腕っぷしだけはとんでもねえ野郎だ。あんたらが行っただけでどうにかならねーぞ」
俺とパーラは今、武器の類は身に着けていないし、服装も普段着のままだ。
一見すると強そうに見えない俺達がパラックのところに行っても、何の解決にならないと考えるこの男の判断は間違ってはいない。
ただし、生憎俺とパーラは普通じゃない。
「ご安心を。俺とパーラは本業が冒険者です。しかも、どっちも魔術師のね。荒事に対処できるだけの実力はあると自負してますので」
「そういうこと。さあ、パラックさんの家の場所を教えて」
冒険者であり、魔術師でもある俺達ならば、一村人であるパラックでも対処が難しい局面でもなんとかできるかもしれない。
「冒険者で魔術師って…ははっ、何のめぐりあわせだ?…パラックの家は村の西にある。他と違って屋根が大きく、外に反ってる造りだからすぐ分かるはずだ」
俺達の正体を知り、きょとんとした顔をした男だったが、すぐにその意味するところの光明に至ったようで、迷いなくパラックの家の場所を教えてくれた。
ここからはその特徴的な屋根は見えないが、西に向かって走っていけばすぐに見つかるだろう。
「よし、急ごう。パーラ、強化魔術を使うぞ」
「はいよっと。…こんなことなら噴射装置も持ってくればよかったね」
「武器もな」
一応武器は飛空艇に積んであるのだが、一々取りに行く時間ももったいないので、いざとなったら魔術頼みでいくしかない。
軽口を言い合い、強化させた脚力で地面を強く蹴って一気に加速させた走りでその場を後にする。
「うぉっ!速-」
高速で移動した俺達に驚いて、残った男が吐いたそんな言葉を置き去りにして村を疾走する。
途中、俺達に驚く村人とすれ違うが、それに構わず走り続け、すぐに目的の家を見つけることが出来た。
家の周りには何人かが野次馬的に様子を見ているようで、その向こうに今まさに家の方へと歩み出そうとしているパラックの姿もあった。
まさか何の策もなくいきなり人質のいる場所へと乗り込もうとしているのか。
それでは立て籠もり犯を刺激してしまい、人質に危害が加えられると判断した俺は、移動の足を緩めず、そのまま野次馬達の頭上を飛び越えた勢いで、パラックの傍へと乱暴に着地する。
「うわぁ!な、なんだぁ?」
突然自分の隣に降ってきた人影に驚いたパラックがそんな間の抜けた声をあげて、大きく一歩後ずさった。
よし、これで立て籠もり犯を刺激するという最悪な事態は一旦回避できたな。
「…アンディさん!?あんた何しぐへぇ―」
「はい!ちょっと下がりましょーかー!」
急いでその場から離れるべく、パラックの襟首を掴んで一気に野次馬のいる方へと引っ張っていく。
この手の立てこもり事件だと、犯人は窓か扉の隙間からこちらを見ているだろうから、今はパラックを家から離れさせることが肝要だ。
驚いた目で俺を見ている村人のに、パラックごと紛れ込むようにして入り込むと、ようやく一息つく。
と、ここで非難がましく俺を見るパラックと目が合う。
いざこれから妻を助けに行こうとしたところを、強引に連れ戻された形になったのだから、そういう感情になるのも理解できる。
だが何はともあれ、まずは人質の安全、次いで立て籠もり犯の確保を優先するべきということをパラックには知ってもらう必要があるのだ。
無暗にシングの前に出て行って、人質諸共殺されるという最悪のケースだけは何としても避けたかった。
それをパラックにどう説明するかを頭の中で整理しつつ、立て籠もり中の家へと視線を向ける。
ソーマルガ独特の建築様式に則ったパラックの家は、他のと同様に窓は極端に小さく、数も少ない。
映画なんかのセオリーだと、建物内にフラッシュバンを放り込んで、窓をぶち破って突入なんてのもあるが、生憎この家の窓は人が通るには少し狭い。
おまけに窓はガラスではなく木戸のタイプなので、しっかりと閉じられている今は下手に体をぶつけても敗れるかどうかといった感じだ。
人質がいて、突入の経路が極端に少ない立て籠もり事件とは、中々に難易度が高い状況だ。
一応俺とパーラで魔術を駆使して強硬突破するということもできなくはないが、やはり人質への被害を考えると、強引な手は控えたい。
となれば、やはりまずは交渉からか。
まさか異世界に来て、SITの真似事をするようになるとは、最近の転生事情は随分と意外性に富んでいるものだな。
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