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二の村へ

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相変わらずのギラギラとした炎天の下、ジンナ村を出発した飛空艇は一路、二の村を目指して飛んでいた。
飛空艇にはアイリーンとその護衛を含めて7名、俺を入れた8名が搭乗している。
本来であれば、アイリーンの旅には護衛と世話にかなりの人数が同行するところだが、飛空艇は移動時間があまりかからないことと、空の脅威が少ない現状ではこれぐらいの人員でも十分だと判断した。

レジルは領主がわざわざ出向くのだから、もっと人数を同行させて威厳を持たせるべきと主張したのだが、この飛空艇は旅客機能が充実した機種ではないため、あまり大勢を乗せられないというのを理由として矛を収めてもらった。
実際、試食用に持っていく乾燥昆布と調理器具に、護衛の使う武具や休憩時に使う道具類を積み込むと、貨物室はかなりスペースを食ってしまい、移動中に窮屈せず座っていられるのは6人がせいぜいなのだ。
それなら世話係の使用人を乗せるよりは、護衛の数を増やしたほうがいいというのはレジルの夫の方から出てきた意見だ。

そんなわけで、護衛の人員は腕利きを乗せているわけだが、飛空艇に乗るという貴重な体験に、実は志願した人数はそれなりに多かったと耳にしている。
4人までは戦闘能力の高い人間から選ばれたわけだが、残りの定員には実力が並んだ人間の中からくじ引きで選ばれたそうで、その結果に頽れた人間の絶叫は俺も耳にしてはいた。
空を飛ぶことに憧れを持つ人間が、いかに多いかというのを物語る出来事だったと言えるだろう。

背後では窓を見て空を飛んでいるとを実感して騒ぐ声が聞こえているが、その声は驚き7に対して怖さが3といった割合だ。
まぁ普通に暮らしてた人間が空を飛べばそんなもんだろう。

空の旅に慣れさせるためにも、遅いぐらいにまで速度を落として飛行をしているわけだが、そのせいで当初の目論見よりも二の村に着く時間は遅くなりそうだ。
それでも昼過ぎ、夕方前には二の村へは到着できそうではあるが。

チラリと後ろの様子を窺い見ると、そんな中で唯一、目を閉じて腕を組み、押し黙ったままの者が一人だけいる。
それはアイリーンの護衛隊を率いるトップの人間であり、レジルの夫でもあるマルザンという老人だ。
出発の直前に顔を合わせただけだが、寡黙な人柄でありながら、正面に立つと背中が粟立つような感触を覚えるのは、この世界での戦闘能力が高い老人と対面した時の特徴だ。

マルザンも空を飛ぶのは初めてのはずだが、出発した時と全く変わらない姿勢のままで騒ぐことが無いのは年の功からか。
騒ぐ周りの人間を特に咎めることをしないのは、移動中の安全を確信しているがゆえの緩みを許容しているからだろう。

一方で、横の助手席に座るアイリーンはあまり驚いたり怖がったりしていないのは意外だった。
時折窓の外を眺めてはいるが、それは景色を楽しんでいると言った感じで、感動しているというのとはちょっと違う。
聞けば確かに空を飛んでいるのは面白い体験だと言えるが、皇都の城なんかで高い場所から見下ろすことに慣れているため、この視点が珍しいというほどではないという。
もちろん、感動はしているが他の人間ほどではないという感じだ。

むしろ操縦している俺の手元が気になっているようで、時折操縦桿周りのスイッチやレバー類を指さしてはその役割を尋ねてくるほどだ。

速度をそれほど出していないこともあって、操縦に多少の余裕がある俺は暇潰しも兼ねて簡単に教えている。
それも一通り終わり、今度は俺からアイリーンに色々と尋ねる時間となった。
差し当ってまずは、これから行く二の村に関してのことを聞いてみた。

「村の規模自体はジンナ村とさほど違いませんわ。ですが、ジンナ村が中小規模の桟橋を多くそろえているのに対し、二の村では大型の帆船が三隻同時に停泊できる大きさの桟橋が揃っているのが大きな違いでしょう」

「大型の帆船というと、風紋船ぐらいの?」

「あれよりはもっと小さいのですが、まぁそれを想像すればよろしいでしょう。ジンナ村は海底の地形が遠浅で沖まで続いていますけど、二の村は少し沖合に出ると途端に深くなっていますから、大型の帆船が立ち寄りやすいそうで、時折他国からの船も来ているとか」

ジンナ村は小型・中型の船が湾内から少し沖合に出るくらいを活動範囲としているが、それはあまり大きな船だと、船底が海底についてしまうくらいに遠浅の地形が周りに広がっているからだ。
大物を狙うのは難しいが、強力な魔物が湾内に入り込んでくるのが稀なので、安全に漁が出来るというわけだ。

二の村の方は、岸から離れて直ぐに海底が深くなっているおかげで、喫水を深く見込める大型の帆船を運用でき、一隻でかなりの遠くまで漁に出て、大物を狙ってこれるという利点がある。
ただし、この場合は沖に出た分だけ大型で強力な魔物も出没しやすいので、安全性は一気に揺らいでくる。

ジンナ村も二の村も一長一短、どちらがいいかは断言できないが、それぞれの地形にあった船の運用が出来ているのは、先人の知恵によるところも大きいのだろう。

「他国からの船というのはどこから来てるんですか?」

「ほとんどはスワラッド商国ですわね。たまによく分からない国からも来ていたようですが、そちらはもう大分昔の話ですし、稀なことでしょう」

「よく分からない国?」

「言葉が通じないそうですわ。共通語が通じないので、身振りでやりとりするしかなく、通貨も異なるため、物々交換でやりとりをしていたとか。どうも遠い海を渡った別の大陸から来ているのではないかと思われるのですが、言葉が違うせいで詳しく話を聞くことができなかったそうです」

あぁ、まぁそうだろうな。
昔の日本も同じようなことがあったと聞く。
オランダとの通訳にも、最初は中国の商人が間に立ったらしいし、それぐらい言葉の壁というのは大きいのだ。

しかし外の大陸からとは、また面白そうなのが来たもんだ。
この世界の海では強力な魔物が多く、死ぬ確率が遥かに高い危険を冒してまで別の大陸へと船が向かうことはしないし、向こうからこちらへと来ることもまずない。
そういう点から、大陸の南端ともいえるソーマルガの一漁村に、別の大陸からの船が来るというのはかなり珍しい事件だと言ってもいいだろう。

こことは違う文化が育っているであろう別大陸の話を聞くことが出来ればとも思うが、アイリーンの口ぶりでは今はもう来ていないようなのが残念だ。
飛空艇がある今なら、そっちの方を目指してみるのもありかもしれないが、まぁそれでもこの大陸を行き尽くしたというわけではないので、いつかその内と言った程度で考えておこう。
それはそれとして、もう一つ気になる名前がある。

「ところでスワラッド商国というのはどこにある国なんですか?勉強不足で申し訳ないんですが」

「スワラッドのほうは知っている人間の方が少ないでしょうね。人によっては商国とだけ言う場合もあるとか。国自体はソーマルガの東方に位置しているのですが、あまり国土の大きい国というわけではありません。ただ、商いの国という呼び名の通り、商人達が集まって作られた国だけあって、資金力では他の国と比べて、頭一つ抜けているものがあります。貿易にも力を入れていて、多くの船を保有する海洋国家としての側面も持ち合わせています」

何となくシンガポールをイメージしてしまうな。

「商人の国ということは、貴族なんかはいないということですか?」

「いえ、爵位などを持つ人間は当然いますし、ちゃんとした王が国を治めていますわ。国民の多くが商人としての身分を持っていて、スワラッド商国を本拠地とする商会には国外へ進出しているものも多く、私達の知る国としての統治形態も幾分異なるとも聞きますわね」

王政を採ることが多いこの世界で、スワラッドという国は商人が力を持つという点では変わった国なのかもしれない。
ただ、やはり王と貴族がいるという点で他と変わりがない部分もあるとなれば、そう革新的な統治をしているというわけでもなさそうだ。

しかしそうなると、二の村にそのスワラッドの船が来るということから、もしかしたらその辺りにもアイリーンを突っぱねる要因がありそうな気もしてきた。
スワラッドの船から二の村が利益を得ていたとしたら、わざわざ失敗する可能性のある新規事業に手を出してまで交易を疎かにしようとはしないはず。
これまで通りやっていけば生きていけるんだからそれでいい、そう思うのもおかしくはない。

ただ、このスワラッドからの船がもしかしたらこの領地の新規事業の躍進には利用できそうではある。
乾燥させた昆布は日持ちがするし、食材というよりも嗜好品として扱われる可能性もある以上、ソーマルガ国内だけではなく、スワラッドにも輸出する品目としても名乗りが出来そうだ。
もっとも、スワラッドも海洋国家の名を冠していることから普通に昆布は採れそうなので、そのうち真似されるとは思う。
要はそれまでに量を売り付けて、とれるだけの利益を得てしまえばいい。
この辺りのことも二の村との話し合いでの材料にしたらいいだろうが、生憎俺は話し合いに参加する立場にないので、後でそれとなくアイリーンに伝えるだけでとどめておくつもりだ。

昼頃に食事のために一度地上へ降りたのを除き、ゆったりと飛行し続けた俺達は日本でいうおやつ時を前にして二の村へと到着した。
上空から見た二の村は、確かにアイリーンから聞いた通り、ジンナ村と大きさは大体一緒だ。

ただ、ジンナ村は十本近くの桟橋が整備されていたのに対し、二の村から伸びる桟橋は二本だけ。
しかも、こちらの桟橋は木材で出来ており、海底に固定もされていない浮桟橋のような形をしている。
これは浜から離れてすぐ深くなる地形のせいで、こういう造りになっているのだろう。

その桟橋にも大きな帆船が三隻横付けされており、どうやらあれが二の村の保有する漁船なのだろう。
なるほど、確かに風紋船よりは小さいが形はかなり似通っている辺り、建造の際には風紋船の造り方を流用したのかもしれない。
まぁ普通に考えたら、船というのは結局同じような形に落ち着くものか。

こちらも木造である以上、どこかから材木を手に入れて作ったはずだが、国土の大半が砂漠地帯であるソーマルガでは森も少なく、あれだけの大きさの船を作るのには相当な手間と金がかかっているのだろうと思わせる。

一度飛空艇を二村上空で大きく旋回させ、こちらの存在を村に示したところ、眼下ではこちらを指差す村人の姿が見えた。
これで飛空艇が高度を下げてもあまり大きな騒ぎにはならないはずだ。

「アイリーンさん、飛空艇を降ろすのにいい場所とかありますか?」

俺自身、二の村は初めてなので、どこか適当な場所というものをアイリーンに指示してもらわないと安心して着陸もできない。
最悪、アイリーンの指示ということで、俺に対する何らかの責任が軽減されることも見込んでの問いでもあるが。

「そうですわねぇ……あの石材の置かれている場所が見えますでしょう?あそこの一角なら大丈夫でしょう。そちらに降りなさいな」

「わかりました。後ろの方達、着陸しますので席に着いてください」

そう言うと、窓に噛り付いてた人達は素早い動きで席に着き、それぞれに捕まりやすい場所へと手を伸ばした。
この辺りの行動が鈍くないのは、日頃の訓練の賜だと言えるだろう。
確かマルステル男爵領の兵士の育成はマルザンが仕切っているそうなので、こういうところを見ると騎士としてだけでなく、教官としても優秀なのは間違いない。

指定された場所に人影がないのを確認し、飛空艇は高度を落としていって無事に着陸した。

「皆様、当機は二の村空港に無事到着いたしました。お降りの際は、忘れ物がないよう今一度お確かめください。本日はアンディ航空をご利用いただき誠にありがとうございました。またお会いできることをクルー一同心よりお待ち申し上げております。それではいってらっしゃいませ」

「…アンディ?何を言ってますの?」

「いやぁ、こういうのって一回言ってみたかったんですよ。あ、他意はないのでお気になさらず。それよりもアイリーンさんは降りたほうがよさそうですよ。ほら、なんか人が集まってきてますし、ちゃんと俺達のことをしらせないと。荷物の方は俺が降ろしておきますから」

つい機長ごっこをやってしまいアイリーンから妙な目を向けられたが、この恥ずかしい空気を振り払うようにそう告げ、貨物室で身支度を整えているマルザン達の間をすり抜けて荷物の元へと向かう。
背後で飛空艇のハッチが開いてアイリーン達が降りたのを気配で感じたところで、運び出す荷物のチェックへと移る。

とりあえず必要なのは、この後の話し合いで使うであろう乾燥昆布や食材などの入った籠をいくつかか。
資料などは護衛の人達が持って行ったので、俺が運ぶのはこれぐらいだ。
背負えるぐらいまでに荷物を纏め、飛空艇を降りるとアイリーン達が武器を持った集団に囲まれてどこかへと連れていかれるところだった。
誤解のないように言っておくが、決して捕まっているわけではなく、むしろ領主に対する護衛を買って出た丁寧な案内という意味だ。

「ん?あんた、領主様のとこの下男かなんかかい?」

一人遅れて飛空艇から姿を見せた俺に、飛空艇の警護として残っていたであろう若者からそんな声がかけられる。
にしても下男とは…。
まぁ今の俺は目に見える武器を所持していないし、服装もラフなものなのでそう見られても当然か。
それにある意味、運転手と荷物運びの役割を持っている俺は下男でも間違いではない。

「ええ、そうなんですよ。領主様はもう行ってしまいましたか?」

「ああ、今うちの若いのが村長のとこに連れて行ったとこさ。あんたも行った方がいいぞ。場所は分かるか?」

「いえ、生憎ここに来るのは初めてなもんで」

「だと思ったよ。見ない顔だしな。ほれ、あっちの方に大きな屋根が見えるだろう?あれが村長の家だ」

「あぁあれですか」

指差す方には周りの建物よりも頭一つ高いと表現していい大きさの建物が見える。
一番大きい家に一番偉い人間が住むという法則は、どこの場所であっても変わりはないわけだ。

礼を言ってその場を後にし、村長の家を目指して歩くと、見慣れない俺という人間にすれ違う村人達の視線が一度は向けられるが、それよりも飛空艇の方に興味があるらしく、すぐに視線は外された。
ジンナ村でもそうだったが、やはり飛空艇を間近に見るというのはそうそうない機会なのだろう。
大人達には僅かに不安そうな感情も見られるが、子供達は好奇心が溢れて止まらないと言った感じだ。

そんな村の中を歩いて行き、村長の家に辿り着いた。
流石に村のトップの住む家だけあって簡素ながら大きい家ではあるが、正直アイリーンの屋敷と比べると小さいし、家のあちこちにガタが見られるのがなんともみすぼらしさを醸し出している。
門のすぐ内にはガタイのいい男達が屯しており、その中にはジンナ村から護衛として連れてきた男の姿もあった。

俺のことは先に話が通っていたのか、その集団の中から一人が俺に手招きをしてきたので、その後に着いていくと屋敷の裏口から厨房へと通された。

「一応領主様から聞いてるが、あんたが料理をするってんだよな?」

「ええ、そのつもりです」

「そうかい。一応調理器具の類は好きにしていいそうだが、使う竈は端っこの一つだけにしてくれってさ。あと夕方までには厨房を明け渡すようにな。夕食の用意とかがあるからよ」

一歩踏み入って見渡した調理場は少し暗さが気になるも、掃除は行き届いているようで、不衛生という印象は受けない。
まぁあげつらえばキリはないが、この世界の基準で言えば問題はない程度だ。

「ま、なんかあれば適当な奴に一声かけてくれや。手が回る範囲でなんとかしてやるよ」

「ええ、その時はお願いします」

それだけ言って案内の男が去っていくのを見送ると、背負っていた荷物を適当な台の上へと降ろし、早速準備に取り掛かる。
ここでの俺の仕事は、二の村の人間に昆布を使った料理を一品出すことだ。

持ち込んだ食材は昆布は勿論、俺の手持ちだった醤油を少々と雑穀類がそこそこといったところだ。
雑穀はアイリーンから分けてもらったもので、稗に粟、黍といったものばかりだ。
元々稗や粟などは麦類が不作だった時のための非常食としてある程度備蓄されていたので、倉庫からの入れ替えも兼ねて放出されたのを提供してもらえた。

米があれば一番いいんだが、生憎この前の炊き込みご飯で使い切ってしまったし、レジルが言うにはあの味なら雑穀でも十分に美味くできるとのことで、むしろ味の悪さから食用として敬遠されがちである粟で作ればこそ、相手の度肝を抜けると助言をもらった。
流石は年の功、人の心の機微というものを分かっており、なるほどと頷かざるを得ない。

本当はアイリーンからは話し合いの場に同席してくれと頼まれていたのだが、部外者である俺がいきなり席に加わるといらぬ警戒をされかねないということを推し通して、こうして料理の方へと回してもらった。
実際、マルステル男爵領の未来を決める場に割り込むのは俺には重く感じてしまったのもあるしな。

思案に耽っていた頭を一つ振り、まずは水を張った鍋を竈に乗せ、細木から火を点ける。
アイリーンのところと違い、ここの竈は魔道具製ではないので手間はかかるが、この世界ではこれが当たり前なのだ。
魔道具の便利さを改めて噛み締めながら、まだ冷たいままの鍋の水に昆布を適当な長さに折って放り込む。

昆布出汁は水からという常識に則り、徐々に温めて沸騰直前までゆっくりと出汁をとる。
その間に雑穀類を水に浸しておく。
お湯が温まってきたところで雑穀を水から上げ、鍋の直系より大きいザルに載せて沸いている鍋の上へと重ねる。
こうすると鍋から立ち上る蒸気がザルに当たり、蒸籠のように扱うことが出来る。
雑穀はこうして蒸すのがいいと祖母から聞いていた。

そろそろ沸騰しそうだという所で昆布を取り出し、蒸していた雑穀を鍋に投入する。
時折かき混ぜながら様子を見て、いい具合になってきたところで火を落とす。
塩と醤油を少々加えて味を見るが、若干青臭さは残るものの、そう悪くはない。

悪くはないのだが、もう一味欲しい。
何かないかと厨房を見渡すと、乾燥させた小振りな果物が目に付いた。
大きさといい形といい、見た目は李に似てはいるが、乾燥しきっているせいで判別は難しい。
失敬して一つだけ齧ってみると、微かな甘みときつい酸味が舌に感じられた。
自然とほっぺが引き締まってくるほどの酸味だ。

普通、この手の果物は乾燥させたら酸味がまろやかになるものだが、それでもなおこれだけ酸味がきついということは元々レモン並みかそれ以上に酸っぱい果物ということになる。
何かの付け合わせに使うのか、はたまた俺の知らない料理の一部となるのかは分からないが、厨房にあるということは好きに使っていいということなので、少しだけ実を削って粥の中に入れてみた。

米で作る粥には梅干しがいい供になるもので、この果物の酸味がそれの代わりになるのを期待してみたわけだが、果たして結果はというと、なんと見事に成功。
いや、これはもう大成功と言っていい。
図らずも、甘味塩味酸味のバランスが取れた見事な粥が出来てしまった。

あの最後に入れた果物が効いているとは思うのだが、正直あの酸っぱいだけのものが入っただけでなぜこうなるのか全く見当もつかない。
もしかしたら高級食材だったのではないかと思わせるほどに、あの実はいい味を出してくれた。

好きに使っていいとは言われたが、こうなるとあの実を勝手に使ったことを詫びる必要があるかもしれない。
後で料理人辺りに謝っておくべきか。
それと、わずかでも材料費を渡すことも考えなくては。

それはともかく、料理が完成したので早速その旨を伝えようと厨房を出て人を探すが、廊下に顔を出してみても人の気配が感じられない。
さっき案内した男は、何かあったら適当な奴に声を掛けろと言っていたのに、誰もいないのではどうしようもない。

仕方なく人を探して少し廊下を歩くと、奥まった場所にある一際大きい扉の向こうから話し声が聞こえてきた。
口論染みたその話し声のうち一つはアイリーンのもので、もう一方は初めて聞く男性のものだ。
まぁこの家の中でこの組み合わせということは、あの扉の先はアイリーンと村長の話し合いが行われている場所ということになる。

そんな大事な場所なのに、扉の外に見張りや連絡を取りつく人がいないことが奇妙ではあるが、よくよく思い返してみるとここは貴族の屋敷ではないので、そこまで気が回らなかったのだろう。
とはいえ、領主が直々に足を運んでいるのだからポーズだけでも警備を厳重にしたほうがいいと思うのだが、二の村の人間がアイリーンにあまり好意的ではないというのを考えればこんなものかと思える。

まぁそれはいいとして、とにかくこの扉に対するアクションを決めよう。
俺としては普通にノックで室内へ合図をし、アイリーン達に料理が出来たことを告げて、ここまで運び込んでしまいたい。
だが、もし話し合いが何らかの重要な局面を迎えていた場合、それをすると場に水を差してしまうことになり、それはあまりよろしくない。

少々行儀は悪いが、扉に耳を付けて内部の様子を探ってみる。
こういう時にはパーラの魔術が役に立つのだが、無いものねだりだな。
そうしてみると、微かにしか聞こえていなかった声が、はっきりと聴こえてくるようになった。

『-そうおっしゃるかと思い、見本となるものを使った料理もありますわ』

おや、どうもいいタイミングでここ来れたようだ。

『ほぅ、料理ですか。今厨房を使っているのはその料理のためですな?ではその昆布とやら、果たしてどれほどのものなのかしかと確かめさせていただこう』

『親父!まさか本気でそんなのを受け入れるつもりかよ!』

最初の方のはアイリーンだが、次の声は老人のものであることから村長だと思われる。
その次の声は若い男のものだったが、親父と口にしていたことから村長の息子だろう。
声だけの印象だが、あまり思慮深い質という感じではないな。

『やめろ、イーライ。領主様に対してそんな物言いをするな』

『領主だろうが何だろうが関係ねぇ。俺はこの村のことを考えて言ってるんだ!今までだって漁と立ち寄る船の補給でやっていけたんだ。今更手を広げても上手くいく保証はないって!』

『イーライ!わしに恥をかかせる気か!二度は言わん、黙っていろ』

『ちっ!』

ふむ、少し聞いただけで、どうやらアイリーンの方策に否定的なのが息子の方で、村長の方は話をちゃんとしようというスタンスを見せているらしい。
正直、今の時点でどこまで話し合いが進んでいるのか分からないが、何となく煮詰まってはいそうな気配はあるので、そろそろ料理を運び込んでみるか。

一旦厨房へ戻り、雑穀粥を入れた鍋と食器類を大きなお盆へと乗せると、再びアイリーン達のいる部屋の扉の前へとやってきた。
両手がふさがっているので足で扉をノックして、室内へと大き目な声で呼びかける。

「失礼します。料理が出来ましたので、お出ししてもよろしいでしょうか?」

話し声が聞こえていた室内は、俺の声によって静寂を引き起こし、入室の許可が出ない俺はこのまま待つことしかできないでいた。
結構な量の雑穀粥と多めに持ってきた皿やスプーンと言ったものが載ったお盆は、普通なら持っていられないほどの重量となっているので、なるべくなら早く扉を開けて欲しいものだ。

そう願っていると、目の前の重厚な扉がやや勢いをつけて開かれた。
まず顔を見せたのは、見覚えのない若い男で、不機嫌さを隠そうともせずにこちらを睨みつけてくる。
日頃の漁によると思われる焼けた肌に、筋肉の付いたがっしりとした体格のいい大男は迫力が凄い。
見た目から判断すると、歳は20代後半から30代前半辺りと見るが、海の男特有の厳つい顔のせいで年上に見えるのを加味すると、もしかしたらもう少し若いのかもしれない。

多分こいつが村長の息子のイーライなのだろう。

「料理だぁ?…誰だお前」

「あ、どうも。俺はアンディって言いまして、そちらの領主様のご命令で皆様にお出しする、昆布を使った料理をお持ちしました」

そう言いつつ、男の背後にある室内の様子を探るために視線を動かすと、ソファに腰かけているアイリーンとマルザンに、テーブルを挟んで対面にいる老人と言った状況が見えた。
マルザンはアイリーンの横で書類を手に何か書き込んでいるらしく、その姿は文官としても慣れた様子を醸し出している。

アイリーンから聞いていたが、マルザンは騎士として優れているし、同時に文官としてもそこそこやれる能力を持っているため、護衛と祐筆を兼ねることが出来るマルザンは、少人数で話し合いに臨む時には役に立つのだそうだ。
今回、飛空艇の搭乗人数に限りがあった際、真っ先にマルザンがその席を与えられたのはそういう理由からであった。

端までザっと見渡してみたところ、どうやら室内には目の前の男を入れて四人だけがいるらしく、それを考えるとちょっと粥を作り過ぎたかと思ってしまう。

「待っていましたわ、アンディ。村長、彼が先程話した料理人です。どうぞ、彼を中に入れ下さいな」

「…分かりました。イーライ」

アイリーンの言葉に、村長は束の間瞠目をしてからイーライの名前を呼ぶ。
それを受けて、軽く舌打ちをしたイーライの横を通り抜け、室内へと足を踏み入れた俺に三種類の視線が向けられた。

一つはアイリーンからの期待の籠ったもの、一つは村長から向けられるこちらを試すようなもの、最後の一つは背中に突き刺さるようにして注がれる嫌悪が混じった強い視線。
アイリーンを除き、好意的とは言えない二つの視線に思わずため息を吐きそうになるが、そこはぐっとこらえて手に持つお盆を話し合いに使われているテーブルの隅に載せる。

さて、それじゃあ昆布の力を示すとしますか。
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