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漁村の朝は早い。
村に住む漁師は日も昇りきらない内に船で沖へ向かい、網や銛などで魚を捕まえる。
前日の内に仕掛けた網を複数の船で一気に引き揚げるといった漁もあるそうだが、そっちは季節によってやるタイミングが決まっているらしい。
帰ってきた船から降ろされた魚は、村の一角にある加工場へと運び込まれて干物などに加工される。
これがマルステル男爵領での主な産業であったのだが、ある時期からそこに別の仕事も加えられるようになった。
様々な種類の魚が天日干しにされている中に、昆布が並べられるようになったのだ。
あの昆布料理の試食会の後、すぐさま行動に移ったアイリーンによって、ジンナ村では昆布の採取・乾燥作業が村を挙げて行われた。
普段の漁に加え、昆布を採ってくるという仕事が加わった村人が不満を漏らすかと思われたのだが、意外なほどあっさりと受け入れられたそうだ。
これは村人達がアイリーンに対して尊敬の念を抱いていることが大きいが、それ以外にも昆布の採取が比較的容易だということも関係している。
加えて、昆布の調理法を村人達に開示し、その味わいを知ったことも影響しているようだ。
さらに加えて、元々魚を干していた場所に昆布の干し場を間借りする形になるため、あまりスペースを邪魔しない程度の収穫量に制限しているというのが、漁師たちの作業の負担にならないおかげでもある。
ジンナ村周辺の海には、そこかしこで昆布が自生しており、少し素潜りが得意でさえあれば誰でもササっと採ってこれるのだ。
そのおかげで、まだ漁に連れて行ってもらえない子供や、手の空いた女性でさえも時間を見つけて採ってきてしまう。
誰でも採れるというだけあって、一度に結構な量が水揚げされているのを見て乱獲を危惧してしまったのだが、聞けばちゃんと大きいのだけを採っているのであって、何も海底を総浚いにしているわけではないのだそうだ。
なにより、ジンナ村の正面の湾状になっている場所だけでもかなりの量の昆布が生えているため、これぐらいの量を採っただけで昆布が絶滅するということはないと笑われてしまった。
そうして採ってきた昆布は魚を干物にしているのと同じ干し場に並べられ、数日かけて乾燥昆布となったものをマルステル男爵家が一括で買い取るという試みが、このジンナ村での新しい産業の試験稼働として進められている。
ただし、マルステル男爵家も資金が潤沢にあるというわけではないので、まだまだ範囲が小さい事業だと言えよう。
その昆布に関連してというわけではないが、魚醤造りも密かに行われている。
こっちはマルステル男爵家の料理長であるミーネが主導する形で進められており、干物にするのも面倒なぐらいの小魚を引き取って魚醤造りに回していた。
俺も醤油を自作している立場から魚醤造りに参加しているのだが、何せ大豆から作る醤油はいくらかノウハウはあるものの、魚から作る方となると話でしか聞いたことが無いため、試行錯誤でやっていくしかない。
二つには同じ醤という文字が使われているのだから、魚と塩を一緒に入れて発酵させればいいとは思うが。
出来具合の差を見るために、壺に塩と魚の割合を変えたものをいくつかと、風通しの良しあしなどを実験的に判断するべく、色々なパターンでの発酵を見ていかなくてはならないが、今日明日にでも完成するものではないので、成功か失敗かの判断は少なくとも半年以上は先になるだろう。
尤も、これらは基本的にミーネ達ジンナ村の人間が手掛けるものなので、俺はアドバイスを求められない限りは積極的に関与しないとアイリーンには伝えてあるのが気を楽にしてくれている。
アイリーン達が魚醤造りに取り掛かってからさほど日は経っていないが、日毎に発酵していく魚の匂いに四苦八苦している声を聞くと、思わず生暖かい目をミーネ達に向けてしまいたくなる。
安心してほしい、俺も味噌作りの時は大豆をただ腐らせるという真似をしてパーラに叱られたのだから、そのやり方は間違っていない。
ただ、一つだけ言っておこう。
君らのいる場所は既に、我々が千年前に通過した場所だッ!
「それでは三日後に出発しますが、準備はよろしいですわね?」
「はい、恙なく進めておりますのでご安心ください」
一日の暑さも最高潮となる昼下がり。
屋敷の今では優雅な様子でお茶を飲みながら、傍らに佇むレジルと会話を交わしたアイリーンは、次の瞬間には俺へとその視線を向けてきた。
「アンディ。そういうわけですので、三日後の出発に合わせて飛空艇も準備してくださいまし。必要なものがありましたらレジルへと言いつけなさい」
「はあ、わかりましたけど…本当に俺も行かなきゃならんのですか?」
「仕方ありませんわ。今村にいる人間で飛空艇を操縦できるのはアンディかパーラだけでしょう?パーラは料理長の方で手伝いに欲しがっていましたから、残ったのはアンディだけですもの」
「まぁそうなんですけどね」
今アイリーンが話していたのは、再び二の村へと話し合いへと出かけることについてだ。
ここの所ジンナ村で精力的に動いた村人達のおかげである程度の乾燥昆布が手元に集まったことで、アイリーンはこれを持って二の村への説得材料とするつもりのようだ。
前回と違い、今のアイリーンには昆布の領外輸出を新規産業とする青写真が見えており、具体的な政策と実物を手にした今は、かなり強気で話し合いに臨めるのだろう。
それこそ、新人領主だからとか女だてらにとかの侮りを押し切るだけの魅力が昆布にはあると熱く語ったぐらいには。
そしてアイリーンはここにもう一手加えたいということで、飛空艇で二の村に乗り付けるということを決めた。
飛空艇自体はソーマルガでは大分噂として広まっているが、実際に間近で見たことのある人間というのはまだまま少ない。
そこで二の村に飛空艇で訪れることによってインパクトを与え、領主としての威厳に下駄をはかせようというわけだ。
そう語った時の顔がちょっと悪どいものだったのは、二の村との話し合いでアイリーンにも溜まっているものがあったようだ。
さらに、二の村の人間を驚かせるということ以外にも、移動にかかる時間と手間を大幅にカットするという目的もある。
ジンナ村から二の村までいくには、馬やラクダで海岸線沿いに東へ進み、途中で現れる海へと注ぐ大河を渡るために河沿いを北上、しばらく行った先にある橋を使って河を渡り、再び南下して海岸線にたどり着くと再び東へと進むという、なんとも無駄の多いルートを使わざるを得ない。
当然、帰りも同じルートを使うため、二の村はさほど距離が離れていないにもかかわらず、向かうのにかなりの道程を踏むことになるのが面倒だった。
だが飛空艇であれば、河も海も関係ない。
真っ直ぐ二の村へと飛んで行ってしまえば、あっという間にたどり着くのだ。
当然、移動時間が短ければ消費する物資も人員も圧倒的に少なくて済む。
そういうわけで、アイリーンは俺に飛空艇を操縦して二の村へと連れていくことを依頼してきたというわけだ。
勿論、ちゃんと代価を支払うということになっているのだが、ぶっちゃけ俺は二の村との話し合いなんかよりも、釣りでもしていたかったところだ。
この世界での網を使っての漁ではなく、釣り竿を自作して釣りを楽しみたいと思っていたのだが、アイリーンからそんな風に話を持ち掛けられてしまった。
何とかパーラに代わってもらおうと思ったが、そのパーラはミーネ達が魚醤造りに風魔術を使いたいということで引っ張られていった。
そのため、パイロットとしての仕事は誰が見ても暇にしている俺へと回ってきたというわけだった。
ただ、アイリーンが言うにはもしかしたら昆布を使った料理を何か二の村の人間にも振舞うこともあり得るとのことで、調理要員としての役割もこなせる俺が最適だったと言われてしまった。
まぁそういうことなら俺意外は適任はいないのかと納得はしたが、それでも面倒くさいという思いが完全に消え去ることはない。
とはいえ、乾燥昆布作りも魚醤造りも俺が直接手を貸すようなポイントは一段落しているので、暇潰しという点では確かにいいだろう。
アイリーンの領地運営を左右する話し合いを暇潰しなどと口にすれば、レジル辺りから説教されそうなので、そこは胸の内に秘めておくが。
三日後の出発までに必要な物資の類をレジルへと伝え、特にそれ以外にやることのない俺は夕食まで半端に時間が空いてしまった。
暇だったこともあって、久しぶりに楽器でも触ろうかと思い、飛空艇から引っ張り出したマンドリンを担いで、午後の日差しに焼かれているジンナ村へと繰り出した。
このぐらいの時間ともなると、仕事も終わらせて歩き回っている漁師の人の姿も出始め、それに加えて子供達も元気に遊ぶ姿がそこかしこで見えた。
何やらよく分からない遊びをしているようで、笑い声をあげながら走り回っているその様子は、子供の時分特有の時間の使い方と言えるだろう。
そんな村の風景を見ながら、屋敷の屋根の一角が作る日陰の下へと移動した俺はそこに腰を下ろし、マンドリンのチューニングからまずは手掛けた。
マンドリンを譲り受けた時に一緒に貰った調律用の道具を使い、弦一本一本の音を合わせていく。
この調律用の道具はいくつかの細いホイッスルがくっついたような形をしており、ホイッスルの一つずつに刻まれた番号がそれぞれ弦と対応した音を出すので、それに合わせて弦の張りを調整すれば簡単に調律が終わる。
とはいえ、俺はどうもこの調律が苦手で、弦を巻く際に微妙な違いが出ているとエファクに注意されたのが最後まで治らなかった。
まぁあくまでも微妙な違いなので、厳密に音にこだわるような人間を相手にしない限りは問題はないという言葉も貰ったので、俺は気にしないことにしている。
弦を弾く音と笛の音が重なる時間が暫く続き、調律が終わったところで視線を感じた。
視線の元を辿っていくと、門からこちらを覗き込んでいた子供達と目が合う。
どうやらマンドリンの音色に惹かれて来たようだ。
下は一桁から上は二桁までとばらつきのある年齢の男女が揃って不思議そうな顔をしているのは、調律というものがおかしなものとして彼らの目には映っていたのだろう。
実際、笛を吹きながら弦を弾くという光景は、知らない人間にしたら奇妙ではあるしな。
ただ、子供達の目にはマンドリンに好奇心がありありと見てとれる。
そんな子供達にチョイチョイと手招きをしてこちらへと呼び寄せてみると、弾かれたようにして門を潜って俺の近くへと駆け寄ってきた。
門から見えていた顔よりも少し数を増して、十人ほどの子供が俺の目の前に立っている。
一応屋敷の玄関傍にある庇の下には見張りに立つ人間がいるのだが、村の子供達のこういう行動はある程度黙認してくれるのがありがたい。
「お前ら、村の子供達だな?顔は何度か見たことあるぞ。楽器の音が気になって集まってきたのか?」
そう尋ねると、最年長と思われる背の高い少女が代表して頷きを返す。
ジンナ村に来て何日か経ったが、俺とパーラは村の大人達に顔を覚えられる程度の交流はしていても、子供達とは接触する機会が無かったため、余所余所しさはまだまだ感じられる。
となれば、ここは音楽を通じて友好を図ろうじゃないか。
「これはマンドリンって言ってな、この弦を弾いた音で音楽を奏でるんだ。例えば―」
弦を上から撫でるようにして掻き、次に弦を一本ずつ弾いてメロディーを作る。
ここにパーラがいれば歌を合わせてもらえたんだが、いない以上は仕方ない。
俺が適当に歌うか。
と言っても俺のレパートリーはそう多くなく、自動的にあの男女の関係を糸に例えた大物女性歌手の歌を選ばざるを得ない。
この歌を気に入っているというのもあるが。
もちろん、そのまま歌うのではなく、曲調にアレンジを加えて原曲とは違うものに変えるのは忘れない。
あの悪名高い音楽利権団体なら、異世界にまで姿を見せるかもしれないからだ。
演奏を終え、周りの反応を窺う。
チャスリウスでゲリラ的に歌った時はウットリした顔を多くみられたのだが……残念ながらここにいる子供達にはまだ早かったらしい。
歌詞の意味を噛み締めるよりも、メロディーを作り出したマンドリンの方へと興味が強いようで、キラキラとした目は俺の手元へと向けられている。
「…今のは男女の仲を糸になぞらえたものだったんだが、君らにはまだ早かったか」
そう問いかけるが、多くの顔が傾げられるのを見ると、もうちょっと子供受けのする局にすればよかったかと若干後悔してしまう。
…いや、違うな。
男女の仲という言葉に一人だけ視線を逸らして恥じらいの気配を見せたのが年長の少女だったことから、全く受けなかったというわけではなさそうだ。
あの子はお年頃ってやつか。
「ちょっと曲を変えようか。こういうのはどうだ?」
次に弾いたのは、恐らく日本人なら小学校で必ず習う歌と言っても過言ではないもの。
父親の言いつけを破り、蝋で羽を固めて空へと飛び立つが、太陽に近付きすぎて蝋が解けてしまい、羽を失って最後は地面へと真っ逆さまに落ちていくというあれだ。
驕りや慢心を戒め、年長者の言うことをないがしろにしてはいけないという教えが込められたこの歌だが、実は子供の内に聴かせるものとしては秀逸だと俺は思っている。
道徳教育がまだまだ未発達なこの世界で、この歌をチョイスした俺のセンスは結構いい線いってるんじゃなかろうか。
悲し気なメロディーと残酷な歌詞が合わさることで、聞いている子供達を妙に惹きつける魅力が発揮されたのか、最後まで弾き終わると拍手を貰ってしまった。
最初の曲とは違い、子供にも分かりやすい物語性が気に入られたようで、何となく俺と子供達との距離感は縮まった気がした。
その後、子供達からのリクエストを聞きながら、日本でも流行ったJPOPをアレンジしたものや、童謡なんかを色々と演奏していき、日が沈み始める頃に砂漠の演奏会は終幕となった。
門の傍まで見送りに出た俺に、子供達は満面の笑みで手を振って自宅へと帰っていく。
それに手を振り返しながら、マンドリンの演奏を気に入った子供達と交わした明日の演奏会の約束を思い返していると、突然背後から声を掛けられた。
「お疲れ様です、アンディ。いい演奏を聴かせてもらいましたわ」
「…聴いてたって、仕事はどうしてたんですか?」
「勿論仕事をしながら聞いていましたわ。あなたが演奏していたあの場所、あそこの窓は私の執務室と部屋を一つ隔てただけの近さですから、仕事をしながらもはっきりと聴こえていましたわよ」
そう言って先程まで俺がいた場所へと視線を向けたアイリーンに倣ってそちらを見る。
演奏中は地べたに座り込んでいて気付かなかったが、確かにすぐ傍には窓があり、そこから音楽が室内へと流れて行って、アイリーンの耳に届いたのだろう。
「それはまた…下手な演奏を聴かせてしまいましたかね?」
「そうでもありませんわ。確かに耳なじみのない曲調のものが多かったですが、演奏の技巧云々を抜きにして面白い楽曲ではないですか。あれらはどこで習いましたの?」
「マンドリン自体は去年、仕事で訪れたチャスリウスで楽師から習いました。曲に関しては……まぁ俺の故郷で聞いたものを多少我流で弄ってみたって感じです」
「なるほど。…アンディ、よろしければ夕食の後に一曲弾いてくれませんか?」
「はあ、構いませんが。あぁ、それならパーラに歌わせましょうか。あいつ、結構うまく歌いますよ?」
「まあ、それは楽しみですわね。ではそのようにお願いします。さあ、そろそろ中に入りましょう。じき夕食ですわよ」
玄関ホールへと踵を返したアイリーンに続き、俺も中に入ろうとしたとき、ふと背後から誰かが小走りで近付いてくるのに気付いた。
振り返って見ると、夕陽を背負うようにして屋敷へと帰ってきたパーラと目が合った。
「あれ?なにアンディ、わざわざお出迎えしてくれたの?」
「いや…うん、まぁそうだな。おかえり、パーラ」
本当は違うのだが、一々訂正するのも面倒なので、そういう事にしておく。
「うん、ただいま。あ、そうだ。アンディにさ、明日干し場の方に顔出してくれって伝言頼まれたよ」
「明日か。いつ行けばいい?」
「漁が終わった後ならいつでもいいみたい。でも午前の内に行った方がいいかもね」
「わかった。パーラは明日どうするんだ?また魚醤造りの方か?」
「まぁね。ミーネさんが中々離してくれなくってさ、しばらくはそっちにかかりきりになりそう」
大体こうだという作り方しか教えられなかったが、魚醤造りは盛況のようだ。
やはり風魔術による湿度の管理というのが砂漠では効果的だったのかもしれない。
基本的に乾燥した気候ではあるが、暗所では気温は一定に保てるし、ある程度は容器の密閉性が保てれば水分の管理も簡単だとも聞いたことがあったな。
「そうか……実は俺、さっきまでマンドリンをちょっと弾いてたんだけどさ、なんかアイリーンさんがそれを聴いてたみたいで、夕食の後に一曲披露してくれって言われた」
「お、いいねぇ。久しぶりに私も歌っちゃおうかな」
「そう言ってくれると思ったよ。じゃ夕食後に……そうだ、レジルさん達にも声を掛けてみるか」
折角演奏するなら、レジルや使用人達にも聞かせてみたい。
あまり娯楽の多くないこの村だと、俺なんかの演奏でも楽しんでもらえるはずだ。
アイリーンもそれぐらいは許すだろう。
「いいんじゃない?あー久しぶりにたくさんの人の前で歌えるんだねぇ。いつ以来だっけ?」
「チャスリウスの広場での時か?いや、最後に城でお別れで歌ったからそん時だな」
あの時のはダルカンに向けてのものだったが、場所が場所だっただけに、城にいた他の人間にも聞かれたと思うので、大勢の人前で歌ったとカウントできる。
「そだっけ?…まぁいいや。お腹も減ったことだし、食堂に行こっか」
「おう。…そういやミーネさんは?一緒に帰ってこなかったのか?」
「ミーネさんなら先に帰ってったけど。夕食の準備があるからって。私は今日の後片付けを引き受けてたから、さっき帰ってきたの」
ということは、俺が子供達に演奏を聴かせていた時には屋敷に戻ってきてたのか。
俺がそれに気付けなかったのは、演奏の方に集中してたからだろうな。
まぁ普通に考えれば、ミーネは料理人が本業であるのだから、アイリーンに食事を待たせるということはしないはずだし。
そんなわけで、俺とパーラはアイリーンと一緒に夕食を頂き、その後少し時間を空けて食堂でライブを行った。
演奏は俺、歌はパーラ。
聴衆はアイリーンを筆頭に、レジル率いる使用人といった陣容で、そこそこ広いはずの食堂が狭く感じてしまう。
さほど使用人は多くないという話だったが、こうして見るとやはり貴族家、領主の館だけあってそれなりに人はいるようだ。
曲目は主にチャスリウスで習った現地のものに、日本で有名なバラード調の曲で脇を固めている。
この世界の人間にロックはまだ早いだろうという判断と、マンドリンの音色にはやはりバラード曲が合うからだ。
国は違えど同じ世界の人間が作っただけあって、チャスリウスで昔から歌い継がれた曲はアイリーン達にもなじみやすいようで、異国情緒の感じられる曲を楽しむ様子が見られた。
だがそのあと、日本のバラード曲を聞いた時にはその様子も一変する。
チョイスしたのは桜をテーマとした歌だ。
元々この世界での歌と言えば、酒場で吟遊詩人が物語や事件などを曲に載せて語るものか、金持ちが高い金を払って劇場に足を運んで聞くオペラのようなものがほとんどだ。
それらに対し、俺が持ち込んだ日本の歌謡曲はオペラほど堅苦しくなく、吟遊詩人のものよりは歌詞に新鮮味があるという、まさに新しいものとしてアイリーン達には響いたようだ。
桜を知らないアイリーン達に花の姿をイメージさせられたかは分からないが、全体を通して穏やかでありながら、サビでダイナミックさを増すこの曲は、儚さの中に凛とした強さを伝えようとするパーラの歌声によって、かなりの衝撃をアイリーン達に与えられたらしい。
噛み締めるようにして目を瞑る人間が多い中、アイリーンとレジルの音楽というものを知る側の者は真剣な顔でパーラを見ている。
およそ30分ほどだろうか。
5曲ほどを歌い切ったところで演奏会が終わる。
アイリーン達へ向けてパーラと共に一礼すると、居合わせた人数とは釣り合わないと錯覚するほどの激しい拍手が鳴り響いた。
誰もが笑顔で手を打ち鳴らしている様に、俺とパーラは顔を見合わせて微笑みあう。
この反応から、俺達の演奏は彼らを満足させられたと見え、充実感で胸が満たされていく。
やはり音楽とは人が生んだ最高の娯楽だな。
「二人とも、素晴らしい曲でした。どれも初めて聞く曲だけに、大変楽しませてもらいましたわ」
歩み出て俺達にそう声を掛けてきたアイリーンの言葉に、聴衆の総意だということを示すかのように再びの拍手が沸き上がる。
「私も歌劇を観る機会は何度かありましたけど、こういった着飾らずに奏者と近い位置でのものは劇場で聞くのとはまた違う良さがありますわね。どうでしょう、またその内あなた達の演奏を聴かせてもらいたいのですが―」
「恐れながらアイリーン様、一つ私から提案をさせていただきたく」
「レジル?提案…ですか?」
不意に、アイリーンの言葉に割り込むようにしてレジルが口を開く。
その顔は相変わらず感情が感じられないものだが、その目には何か熱意のようなものが宿っているように感じた。
「はい。アンディさん達にまた演奏会を開いていただくのは私も賛成です。そこで、よろしければ他の使用人や村人達にも聞かせてみてはいかがでしょう?率直に申し上げて、あれだけの歌となれば、ここの村人にとってはいい娯楽となりましょう」
「なるほど…いいかもしれません。アンディ、パーラ。いかがでしょう?」
演奏と歌が俺とパーラによるものであるので、一応そう尋ねてはいるが、断り辛いほどにその目は期待に満ちていた。
こうなったらとことんまで乗ってやろうじゃないか。
「そうですね。三日後には二の村に行きますから、その後にでもまたこんな感じで演奏会を開きましょうか。パーラ、いいよな」
「うん。私も歌うのは好きだし、こんな大勢の人に聞いてもらえるなら楽しみなぐらいだよ」
チャスリウスを離れてから、こういった大勢を前にして歌うことはなかったため、パーラも随分すっきりした顔をしていた。
ストレスが溜まっていたというわけではないだろうが、パーラには今回のライブはいい気分転換だったのかもしれない。
連日魚醤造りで忙しそうだったしな。
そんなわけで、三日後の二の村行きが終わったら、また演奏会を開くということで話は纏まった。
今度は村人を巻き込んで少し規模を大きくするということなので、今回演奏を聴いた使用人達から村人へ口コミで広めてもらい、参加を促すといった感じになる。
規模が大きくなるようなので、場所も選定しなくてはならない。
村の広場でやるとしても、明るいうちは村人も仕事があるだろうから、やるとしたら日が落ちてからになるだろう。
そうなれば明かりも用意しなければならなくなり、色々と手配することが増えそうな気がしてきた。
二の村に行くまでゆったりと過ごせると思っていたのだが、なんだか凄いことになってきちゃったぞ。
村に住む漁師は日も昇りきらない内に船で沖へ向かい、網や銛などで魚を捕まえる。
前日の内に仕掛けた網を複数の船で一気に引き揚げるといった漁もあるそうだが、そっちは季節によってやるタイミングが決まっているらしい。
帰ってきた船から降ろされた魚は、村の一角にある加工場へと運び込まれて干物などに加工される。
これがマルステル男爵領での主な産業であったのだが、ある時期からそこに別の仕事も加えられるようになった。
様々な種類の魚が天日干しにされている中に、昆布が並べられるようになったのだ。
あの昆布料理の試食会の後、すぐさま行動に移ったアイリーンによって、ジンナ村では昆布の採取・乾燥作業が村を挙げて行われた。
普段の漁に加え、昆布を採ってくるという仕事が加わった村人が不満を漏らすかと思われたのだが、意外なほどあっさりと受け入れられたそうだ。
これは村人達がアイリーンに対して尊敬の念を抱いていることが大きいが、それ以外にも昆布の採取が比較的容易だということも関係している。
加えて、昆布の調理法を村人達に開示し、その味わいを知ったことも影響しているようだ。
さらに加えて、元々魚を干していた場所に昆布の干し場を間借りする形になるため、あまりスペースを邪魔しない程度の収穫量に制限しているというのが、漁師たちの作業の負担にならないおかげでもある。
ジンナ村周辺の海には、そこかしこで昆布が自生しており、少し素潜りが得意でさえあれば誰でもササっと採ってこれるのだ。
そのおかげで、まだ漁に連れて行ってもらえない子供や、手の空いた女性でさえも時間を見つけて採ってきてしまう。
誰でも採れるというだけあって、一度に結構な量が水揚げされているのを見て乱獲を危惧してしまったのだが、聞けばちゃんと大きいのだけを採っているのであって、何も海底を総浚いにしているわけではないのだそうだ。
なにより、ジンナ村の正面の湾状になっている場所だけでもかなりの量の昆布が生えているため、これぐらいの量を採っただけで昆布が絶滅するということはないと笑われてしまった。
そうして採ってきた昆布は魚を干物にしているのと同じ干し場に並べられ、数日かけて乾燥昆布となったものをマルステル男爵家が一括で買い取るという試みが、このジンナ村での新しい産業の試験稼働として進められている。
ただし、マルステル男爵家も資金が潤沢にあるというわけではないので、まだまだ範囲が小さい事業だと言えよう。
その昆布に関連してというわけではないが、魚醤造りも密かに行われている。
こっちはマルステル男爵家の料理長であるミーネが主導する形で進められており、干物にするのも面倒なぐらいの小魚を引き取って魚醤造りに回していた。
俺も醤油を自作している立場から魚醤造りに参加しているのだが、何せ大豆から作る醤油はいくらかノウハウはあるものの、魚から作る方となると話でしか聞いたことが無いため、試行錯誤でやっていくしかない。
二つには同じ醤という文字が使われているのだから、魚と塩を一緒に入れて発酵させればいいとは思うが。
出来具合の差を見るために、壺に塩と魚の割合を変えたものをいくつかと、風通しの良しあしなどを実験的に判断するべく、色々なパターンでの発酵を見ていかなくてはならないが、今日明日にでも完成するものではないので、成功か失敗かの判断は少なくとも半年以上は先になるだろう。
尤も、これらは基本的にミーネ達ジンナ村の人間が手掛けるものなので、俺はアドバイスを求められない限りは積極的に関与しないとアイリーンには伝えてあるのが気を楽にしてくれている。
アイリーン達が魚醤造りに取り掛かってからさほど日は経っていないが、日毎に発酵していく魚の匂いに四苦八苦している声を聞くと、思わず生暖かい目をミーネ達に向けてしまいたくなる。
安心してほしい、俺も味噌作りの時は大豆をただ腐らせるという真似をしてパーラに叱られたのだから、そのやり方は間違っていない。
ただ、一つだけ言っておこう。
君らのいる場所は既に、我々が千年前に通過した場所だッ!
「それでは三日後に出発しますが、準備はよろしいですわね?」
「はい、恙なく進めておりますのでご安心ください」
一日の暑さも最高潮となる昼下がり。
屋敷の今では優雅な様子でお茶を飲みながら、傍らに佇むレジルと会話を交わしたアイリーンは、次の瞬間には俺へとその視線を向けてきた。
「アンディ。そういうわけですので、三日後の出発に合わせて飛空艇も準備してくださいまし。必要なものがありましたらレジルへと言いつけなさい」
「はあ、わかりましたけど…本当に俺も行かなきゃならんのですか?」
「仕方ありませんわ。今村にいる人間で飛空艇を操縦できるのはアンディかパーラだけでしょう?パーラは料理長の方で手伝いに欲しがっていましたから、残ったのはアンディだけですもの」
「まぁそうなんですけどね」
今アイリーンが話していたのは、再び二の村へと話し合いへと出かけることについてだ。
ここの所ジンナ村で精力的に動いた村人達のおかげである程度の乾燥昆布が手元に集まったことで、アイリーンはこれを持って二の村への説得材料とするつもりのようだ。
前回と違い、今のアイリーンには昆布の領外輸出を新規産業とする青写真が見えており、具体的な政策と実物を手にした今は、かなり強気で話し合いに臨めるのだろう。
それこそ、新人領主だからとか女だてらにとかの侮りを押し切るだけの魅力が昆布にはあると熱く語ったぐらいには。
そしてアイリーンはここにもう一手加えたいということで、飛空艇で二の村に乗り付けるということを決めた。
飛空艇自体はソーマルガでは大分噂として広まっているが、実際に間近で見たことのある人間というのはまだまま少ない。
そこで二の村に飛空艇で訪れることによってインパクトを与え、領主としての威厳に下駄をはかせようというわけだ。
そう語った時の顔がちょっと悪どいものだったのは、二の村との話し合いでアイリーンにも溜まっているものがあったようだ。
さらに、二の村の人間を驚かせるということ以外にも、移動にかかる時間と手間を大幅にカットするという目的もある。
ジンナ村から二の村までいくには、馬やラクダで海岸線沿いに東へ進み、途中で現れる海へと注ぐ大河を渡るために河沿いを北上、しばらく行った先にある橋を使って河を渡り、再び南下して海岸線にたどり着くと再び東へと進むという、なんとも無駄の多いルートを使わざるを得ない。
当然、帰りも同じルートを使うため、二の村はさほど距離が離れていないにもかかわらず、向かうのにかなりの道程を踏むことになるのが面倒だった。
だが飛空艇であれば、河も海も関係ない。
真っ直ぐ二の村へと飛んで行ってしまえば、あっという間にたどり着くのだ。
当然、移動時間が短ければ消費する物資も人員も圧倒的に少なくて済む。
そういうわけで、アイリーンは俺に飛空艇を操縦して二の村へと連れていくことを依頼してきたというわけだ。
勿論、ちゃんと代価を支払うということになっているのだが、ぶっちゃけ俺は二の村との話し合いなんかよりも、釣りでもしていたかったところだ。
この世界での網を使っての漁ではなく、釣り竿を自作して釣りを楽しみたいと思っていたのだが、アイリーンからそんな風に話を持ち掛けられてしまった。
何とかパーラに代わってもらおうと思ったが、そのパーラはミーネ達が魚醤造りに風魔術を使いたいということで引っ張られていった。
そのため、パイロットとしての仕事は誰が見ても暇にしている俺へと回ってきたというわけだった。
ただ、アイリーンが言うにはもしかしたら昆布を使った料理を何か二の村の人間にも振舞うこともあり得るとのことで、調理要員としての役割もこなせる俺が最適だったと言われてしまった。
まぁそういうことなら俺意外は適任はいないのかと納得はしたが、それでも面倒くさいという思いが完全に消え去ることはない。
とはいえ、乾燥昆布作りも魚醤造りも俺が直接手を貸すようなポイントは一段落しているので、暇潰しという点では確かにいいだろう。
アイリーンの領地運営を左右する話し合いを暇潰しなどと口にすれば、レジル辺りから説教されそうなので、そこは胸の内に秘めておくが。
三日後の出発までに必要な物資の類をレジルへと伝え、特にそれ以外にやることのない俺は夕食まで半端に時間が空いてしまった。
暇だったこともあって、久しぶりに楽器でも触ろうかと思い、飛空艇から引っ張り出したマンドリンを担いで、午後の日差しに焼かれているジンナ村へと繰り出した。
このぐらいの時間ともなると、仕事も終わらせて歩き回っている漁師の人の姿も出始め、それに加えて子供達も元気に遊ぶ姿がそこかしこで見えた。
何やらよく分からない遊びをしているようで、笑い声をあげながら走り回っているその様子は、子供の時分特有の時間の使い方と言えるだろう。
そんな村の風景を見ながら、屋敷の屋根の一角が作る日陰の下へと移動した俺はそこに腰を下ろし、マンドリンのチューニングからまずは手掛けた。
マンドリンを譲り受けた時に一緒に貰った調律用の道具を使い、弦一本一本の音を合わせていく。
この調律用の道具はいくつかの細いホイッスルがくっついたような形をしており、ホイッスルの一つずつに刻まれた番号がそれぞれ弦と対応した音を出すので、それに合わせて弦の張りを調整すれば簡単に調律が終わる。
とはいえ、俺はどうもこの調律が苦手で、弦を巻く際に微妙な違いが出ているとエファクに注意されたのが最後まで治らなかった。
まぁあくまでも微妙な違いなので、厳密に音にこだわるような人間を相手にしない限りは問題はないという言葉も貰ったので、俺は気にしないことにしている。
弦を弾く音と笛の音が重なる時間が暫く続き、調律が終わったところで視線を感じた。
視線の元を辿っていくと、門からこちらを覗き込んでいた子供達と目が合う。
どうやらマンドリンの音色に惹かれて来たようだ。
下は一桁から上は二桁までとばらつきのある年齢の男女が揃って不思議そうな顔をしているのは、調律というものがおかしなものとして彼らの目には映っていたのだろう。
実際、笛を吹きながら弦を弾くという光景は、知らない人間にしたら奇妙ではあるしな。
ただ、子供達の目にはマンドリンに好奇心がありありと見てとれる。
そんな子供達にチョイチョイと手招きをしてこちらへと呼び寄せてみると、弾かれたようにして門を潜って俺の近くへと駆け寄ってきた。
門から見えていた顔よりも少し数を増して、十人ほどの子供が俺の目の前に立っている。
一応屋敷の玄関傍にある庇の下には見張りに立つ人間がいるのだが、村の子供達のこういう行動はある程度黙認してくれるのがありがたい。
「お前ら、村の子供達だな?顔は何度か見たことあるぞ。楽器の音が気になって集まってきたのか?」
そう尋ねると、最年長と思われる背の高い少女が代表して頷きを返す。
ジンナ村に来て何日か経ったが、俺とパーラは村の大人達に顔を覚えられる程度の交流はしていても、子供達とは接触する機会が無かったため、余所余所しさはまだまだ感じられる。
となれば、ここは音楽を通じて友好を図ろうじゃないか。
「これはマンドリンって言ってな、この弦を弾いた音で音楽を奏でるんだ。例えば―」
弦を上から撫でるようにして掻き、次に弦を一本ずつ弾いてメロディーを作る。
ここにパーラがいれば歌を合わせてもらえたんだが、いない以上は仕方ない。
俺が適当に歌うか。
と言っても俺のレパートリーはそう多くなく、自動的にあの男女の関係を糸に例えた大物女性歌手の歌を選ばざるを得ない。
この歌を気に入っているというのもあるが。
もちろん、そのまま歌うのではなく、曲調にアレンジを加えて原曲とは違うものに変えるのは忘れない。
あの悪名高い音楽利権団体なら、異世界にまで姿を見せるかもしれないからだ。
演奏を終え、周りの反応を窺う。
チャスリウスでゲリラ的に歌った時はウットリした顔を多くみられたのだが……残念ながらここにいる子供達にはまだ早かったらしい。
歌詞の意味を噛み締めるよりも、メロディーを作り出したマンドリンの方へと興味が強いようで、キラキラとした目は俺の手元へと向けられている。
「…今のは男女の仲を糸になぞらえたものだったんだが、君らにはまだ早かったか」
そう問いかけるが、多くの顔が傾げられるのを見ると、もうちょっと子供受けのする局にすればよかったかと若干後悔してしまう。
…いや、違うな。
男女の仲という言葉に一人だけ視線を逸らして恥じらいの気配を見せたのが年長の少女だったことから、全く受けなかったというわけではなさそうだ。
あの子はお年頃ってやつか。
「ちょっと曲を変えようか。こういうのはどうだ?」
次に弾いたのは、恐らく日本人なら小学校で必ず習う歌と言っても過言ではないもの。
父親の言いつけを破り、蝋で羽を固めて空へと飛び立つが、太陽に近付きすぎて蝋が解けてしまい、羽を失って最後は地面へと真っ逆さまに落ちていくというあれだ。
驕りや慢心を戒め、年長者の言うことをないがしろにしてはいけないという教えが込められたこの歌だが、実は子供の内に聴かせるものとしては秀逸だと俺は思っている。
道徳教育がまだまだ未発達なこの世界で、この歌をチョイスした俺のセンスは結構いい線いってるんじゃなかろうか。
悲し気なメロディーと残酷な歌詞が合わさることで、聞いている子供達を妙に惹きつける魅力が発揮されたのか、最後まで弾き終わると拍手を貰ってしまった。
最初の曲とは違い、子供にも分かりやすい物語性が気に入られたようで、何となく俺と子供達との距離感は縮まった気がした。
その後、子供達からのリクエストを聞きながら、日本でも流行ったJPOPをアレンジしたものや、童謡なんかを色々と演奏していき、日が沈み始める頃に砂漠の演奏会は終幕となった。
門の傍まで見送りに出た俺に、子供達は満面の笑みで手を振って自宅へと帰っていく。
それに手を振り返しながら、マンドリンの演奏を気に入った子供達と交わした明日の演奏会の約束を思い返していると、突然背後から声を掛けられた。
「お疲れ様です、アンディ。いい演奏を聴かせてもらいましたわ」
「…聴いてたって、仕事はどうしてたんですか?」
「勿論仕事をしながら聞いていましたわ。あなたが演奏していたあの場所、あそこの窓は私の執務室と部屋を一つ隔てただけの近さですから、仕事をしながらもはっきりと聴こえていましたわよ」
そう言って先程まで俺がいた場所へと視線を向けたアイリーンに倣ってそちらを見る。
演奏中は地べたに座り込んでいて気付かなかったが、確かにすぐ傍には窓があり、そこから音楽が室内へと流れて行って、アイリーンの耳に届いたのだろう。
「それはまた…下手な演奏を聴かせてしまいましたかね?」
「そうでもありませんわ。確かに耳なじみのない曲調のものが多かったですが、演奏の技巧云々を抜きにして面白い楽曲ではないですか。あれらはどこで習いましたの?」
「マンドリン自体は去年、仕事で訪れたチャスリウスで楽師から習いました。曲に関しては……まぁ俺の故郷で聞いたものを多少我流で弄ってみたって感じです」
「なるほど。…アンディ、よろしければ夕食の後に一曲弾いてくれませんか?」
「はあ、構いませんが。あぁ、それならパーラに歌わせましょうか。あいつ、結構うまく歌いますよ?」
「まあ、それは楽しみですわね。ではそのようにお願いします。さあ、そろそろ中に入りましょう。じき夕食ですわよ」
玄関ホールへと踵を返したアイリーンに続き、俺も中に入ろうとしたとき、ふと背後から誰かが小走りで近付いてくるのに気付いた。
振り返って見ると、夕陽を背負うようにして屋敷へと帰ってきたパーラと目が合った。
「あれ?なにアンディ、わざわざお出迎えしてくれたの?」
「いや…うん、まぁそうだな。おかえり、パーラ」
本当は違うのだが、一々訂正するのも面倒なので、そういう事にしておく。
「うん、ただいま。あ、そうだ。アンディにさ、明日干し場の方に顔出してくれって伝言頼まれたよ」
「明日か。いつ行けばいい?」
「漁が終わった後ならいつでもいいみたい。でも午前の内に行った方がいいかもね」
「わかった。パーラは明日どうするんだ?また魚醤造りの方か?」
「まぁね。ミーネさんが中々離してくれなくってさ、しばらくはそっちにかかりきりになりそう」
大体こうだという作り方しか教えられなかったが、魚醤造りは盛況のようだ。
やはり風魔術による湿度の管理というのが砂漠では効果的だったのかもしれない。
基本的に乾燥した気候ではあるが、暗所では気温は一定に保てるし、ある程度は容器の密閉性が保てれば水分の管理も簡単だとも聞いたことがあったな。
「そうか……実は俺、さっきまでマンドリンをちょっと弾いてたんだけどさ、なんかアイリーンさんがそれを聴いてたみたいで、夕食の後に一曲披露してくれって言われた」
「お、いいねぇ。久しぶりに私も歌っちゃおうかな」
「そう言ってくれると思ったよ。じゃ夕食後に……そうだ、レジルさん達にも声を掛けてみるか」
折角演奏するなら、レジルや使用人達にも聞かせてみたい。
あまり娯楽の多くないこの村だと、俺なんかの演奏でも楽しんでもらえるはずだ。
アイリーンもそれぐらいは許すだろう。
「いいんじゃない?あー久しぶりにたくさんの人の前で歌えるんだねぇ。いつ以来だっけ?」
「チャスリウスの広場での時か?いや、最後に城でお別れで歌ったからそん時だな」
あの時のはダルカンに向けてのものだったが、場所が場所だっただけに、城にいた他の人間にも聞かれたと思うので、大勢の人前で歌ったとカウントできる。
「そだっけ?…まぁいいや。お腹も減ったことだし、食堂に行こっか」
「おう。…そういやミーネさんは?一緒に帰ってこなかったのか?」
「ミーネさんなら先に帰ってったけど。夕食の準備があるからって。私は今日の後片付けを引き受けてたから、さっき帰ってきたの」
ということは、俺が子供達に演奏を聴かせていた時には屋敷に戻ってきてたのか。
俺がそれに気付けなかったのは、演奏の方に集中してたからだろうな。
まぁ普通に考えれば、ミーネは料理人が本業であるのだから、アイリーンに食事を待たせるということはしないはずだし。
そんなわけで、俺とパーラはアイリーンと一緒に夕食を頂き、その後少し時間を空けて食堂でライブを行った。
演奏は俺、歌はパーラ。
聴衆はアイリーンを筆頭に、レジル率いる使用人といった陣容で、そこそこ広いはずの食堂が狭く感じてしまう。
さほど使用人は多くないという話だったが、こうして見るとやはり貴族家、領主の館だけあってそれなりに人はいるようだ。
曲目は主にチャスリウスで習った現地のものに、日本で有名なバラード調の曲で脇を固めている。
この世界の人間にロックはまだ早いだろうという判断と、マンドリンの音色にはやはりバラード曲が合うからだ。
国は違えど同じ世界の人間が作っただけあって、チャスリウスで昔から歌い継がれた曲はアイリーン達にもなじみやすいようで、異国情緒の感じられる曲を楽しむ様子が見られた。
だがそのあと、日本のバラード曲を聞いた時にはその様子も一変する。
チョイスしたのは桜をテーマとした歌だ。
元々この世界での歌と言えば、酒場で吟遊詩人が物語や事件などを曲に載せて語るものか、金持ちが高い金を払って劇場に足を運んで聞くオペラのようなものがほとんどだ。
それらに対し、俺が持ち込んだ日本の歌謡曲はオペラほど堅苦しくなく、吟遊詩人のものよりは歌詞に新鮮味があるという、まさに新しいものとしてアイリーン達には響いたようだ。
桜を知らないアイリーン達に花の姿をイメージさせられたかは分からないが、全体を通して穏やかでありながら、サビでダイナミックさを増すこの曲は、儚さの中に凛とした強さを伝えようとするパーラの歌声によって、かなりの衝撃をアイリーン達に与えられたらしい。
噛み締めるようにして目を瞑る人間が多い中、アイリーンとレジルの音楽というものを知る側の者は真剣な顔でパーラを見ている。
およそ30分ほどだろうか。
5曲ほどを歌い切ったところで演奏会が終わる。
アイリーン達へ向けてパーラと共に一礼すると、居合わせた人数とは釣り合わないと錯覚するほどの激しい拍手が鳴り響いた。
誰もが笑顔で手を打ち鳴らしている様に、俺とパーラは顔を見合わせて微笑みあう。
この反応から、俺達の演奏は彼らを満足させられたと見え、充実感で胸が満たされていく。
やはり音楽とは人が生んだ最高の娯楽だな。
「二人とも、素晴らしい曲でした。どれも初めて聞く曲だけに、大変楽しませてもらいましたわ」
歩み出て俺達にそう声を掛けてきたアイリーンの言葉に、聴衆の総意だということを示すかのように再びの拍手が沸き上がる。
「私も歌劇を観る機会は何度かありましたけど、こういった着飾らずに奏者と近い位置でのものは劇場で聞くのとはまた違う良さがありますわね。どうでしょう、またその内あなた達の演奏を聴かせてもらいたいのですが―」
「恐れながらアイリーン様、一つ私から提案をさせていただきたく」
「レジル?提案…ですか?」
不意に、アイリーンの言葉に割り込むようにしてレジルが口を開く。
その顔は相変わらず感情が感じられないものだが、その目には何か熱意のようなものが宿っているように感じた。
「はい。アンディさん達にまた演奏会を開いていただくのは私も賛成です。そこで、よろしければ他の使用人や村人達にも聞かせてみてはいかがでしょう?率直に申し上げて、あれだけの歌となれば、ここの村人にとってはいい娯楽となりましょう」
「なるほど…いいかもしれません。アンディ、パーラ。いかがでしょう?」
演奏と歌が俺とパーラによるものであるので、一応そう尋ねてはいるが、断り辛いほどにその目は期待に満ちていた。
こうなったらとことんまで乗ってやろうじゃないか。
「そうですね。三日後には二の村に行きますから、その後にでもまたこんな感じで演奏会を開きましょうか。パーラ、いいよな」
「うん。私も歌うのは好きだし、こんな大勢の人に聞いてもらえるなら楽しみなぐらいだよ」
チャスリウスを離れてから、こういった大勢を前にして歌うことはなかったため、パーラも随分すっきりした顔をしていた。
ストレスが溜まっていたというわけではないだろうが、パーラには今回のライブはいい気分転換だったのかもしれない。
連日魚醤造りで忙しそうだったしな。
そんなわけで、三日後の二の村行きが終わったら、また演奏会を開くということで話は纏まった。
今度は村人を巻き込んで少し規模を大きくするということなので、今回演奏を聴いた使用人達から村人へ口コミで広めてもらい、参加を促すといった感じになる。
規模が大きくなるようなので、場所も選定しなくてはならない。
村の広場でやるとしても、明るいうちは村人も仕事があるだろうから、やるとしたら日が落ちてからになるだろう。
そうなれば明かりも用意しなければならなくなり、色々と手配することが増えそうな気がしてきた。
二の村に行くまでゆったりと過ごせると思っていたのだが、なんだか凄いことになってきちゃったぞ。
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