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日本人だけが知るUMAMI

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ジンナ村にやってきて五日目の朝を迎えた。
レジルが用意してくれた部屋は二階にあり、海の見えるバルコニー付きと言った感じだが、部屋の広さはさほどでもないのはこの屋敷の大きさからしかたのないことだ。
そんなバルコニーから臨む海は、朝日が照らす光でキラキラと輝いていて、まるで海の宝石箱や。

体の左手側を既にジリジリと焼き始める太陽の光に今日も暑くなりそうだと思いながら、寝起きでまだだるさの残る体を軽く振るようにして動かし、完全に目が覚めたところで部屋を後にする。
一階に降りるとまずは食堂へと向かう。
開放されている扉を潜った先では、既に食事を終えた様子のアイリーンが優雅にお茶を口へ運ぶ姿があった。
その様は流石お嬢様と言った感じだ。
実に絵になる。

「おはようございます、アイリーンさん」

「おはようございます。レジル、彼に食事を」

「かしこまりました」

挨拶を交わして適当な席に着くと、壁際で待機していたレジルにアイリーンがそう指示を出す。
ここまでの一連の流れは、ここ数日の間に何度も繰り返されたもので、すぐに俺の目の前には朝食が並べられていく。

ここはやはり海の村というだけあって、毎回の食事に魚が出てくる。
朝の漁で獲れた一部の魚は領主であるアイリーンにも献上されるそうで、新鮮な魚を使った料理というのはこの村に来てから俺の密かな楽しみとなっている。

今朝のメニューは焼いた魚の切り身を葉物野菜で包んだものをメインに、皿一杯の焼き貝、小魚を使ったスープに少々の野菜サラダといったものだ。
砂漠で尚且つ海辺のこの村では貴重な野菜だが、領主の食事としてこれぐらいは出されるようだ。

これにパンがついてくるのだが、正直日本人の魂を持つ俺としては、焼き魚は米で食いたいところである。
だが人の家で出される食事にそこまで注文は付けたくない。
一応食料として米は幾らか持ってきてはいるが、これはこの後に使いどころがあるので温存している。

「アイリーンさん、パーラの姿が見えませんけどまだ寝てるんですか?」

俺とパーラは別々の部屋を用意してもらっているため、起きて食堂に来たら二人のうちのどちらかが朝食をとっていて、それに混ざるというのがここ最近のルーチンだった。
そのパーラの姿が無いというのが少し気になる。
朝食に手を付けながらアイリーンに尋ねると、それに答えたのは控えていたレジルだった。

「パーラさんでしたら今朝方、日の昇りきらない内に屋敷を飛び出していきました。…飛空艇ではなく、単身で空を飛んでいきましたのを使用人が見ております」

「あぁ、噴射装置で。ならそう遠くには行ってませんね。そのうち帰ってくるでしょう。そうでなかったら、俺が後で探してきます」

やや顔をしかめながらそう口にするレジル。
どうやらパーラはまだ暗いうちから噴射装置を使って屋敷を出たようだ。
飛空艇が空を飛ぶのすらまだ珍しい光景だというのに、人が単身で空を飛んでいくのを見たその使用人は果たしてどれほど驚いたのだろうか。

噴射装置での移動となれば、そうそう遠くへ行かないはずなので、恐らくジンナ村の中か精々村の近くぐらいに行っただけだ。
まぁどこに行ったのかは大体予想がつく。
暗いうちに出たというレジルの言葉から、まず間違いなくパーラの狙いは漁だろう。

昨日、俺とパーラは昆布の在り処を教えてくれたあの猟師の老人の誘いに乗って、朝の浜辺へと顔を出したのだが、そこで俺達を待っていたのは村人総出での地引網漁だった。
多くの村人が浜辺に集まり、海に浮かんだ数隻の船から繋がっている長大な網を、集まった人達が一斉に引くというその光景は、テレビで何度か見たことのあるもだ。
まさか異世界でも地引網をやっているとは驚きだったが、漁のスタイルとしては意外と単純なものなので、何も日本だけの専売特許というわけではないか。

途中から俺とパーラもその網曳きに加わって、陸まで引っ張ってきた網にかかっていた大量の魚には、パーラは勿論、俺も感動ではしゃいでしまったほどだ。
しかも、その後獲れたての魚を浜辺で焼いて食べる旨さたるや、魚の鮮度がいかに味に影響を与えるかを改めて知ったほどだ。
きっとあの味は一生忘れることはないだろう。

そんな地引網漁の楽しさ、主に魚のおいしさにパーラは魅了された。
この地引網漁は大体五日おきぐらいにしかやらないので、次にやるのをあと四日は待つ必要があるのだが、パーラのことだ。
待ちきれない思いを誤魔化すためにも普段の漁の姿を見て回っているのかもしれない。

「そう言えば、その噴射装置ですか?それは一体どんなものですの?パーラからは空を飛べる魔道具だとだけ教えられたのですけど。私、まだ実際に飛んでいるところは見たことがありませんの」

お茶のカップをテーブルに下したアイリーンは、噴射装置の方に興味があるようで、爛々とした光を放っているその目は好奇心にあふれている。
領主となって落ち着いたと思っていたのだが、好奇心の強さは相変わらずだ。

「どんなというと、やはり空を飛ぶものとしか言いようがないですね。俺は技術者ではないので機構を説明するのは難しいんですが、原理としては腰に着けた長物の先端から下に向けて強烈な空気を吹き出して、その勢いで上空へと飛び上がるといった感じです。まぁ飛ぶというより、跳ねるというのが正しいんですがね」

「あら、面白そう。飛空艇ではなく、身一つで空を飛ぶなんて夢のようですわ。アンディ、後で私にも使わせてくださいな」

「なりません、アイリーン様。御身は男爵家当主であらせられます。アンディさんを信用していないわけではありませんが、そのような魔道具で怪我をされては困ります」

身を乗り出してねだってきたアイリーンに、ピシャリとそういうレジルの姿はまさにおかんと言った感じだ。
偉くなったはずのアイリーンではあるが、そう言われてすごすごと引き下がるあたり、レジルにはまだまだ頭が上がらないか。

「ただいまー!」

ドタドタとした足音を立てながら食堂へと駆け込んできたのはパーラだ。
俺の姿を見つけたパーラは、テーブルを挟んだ反対の椅子に腰かける。
上座のアイリーンに対面のパーラというのも、ここの所の定番の座り位置だ。

「おかえり。朝からどっか行ってたみたいだけど、漁でも見に行ってたのか?」

「うん。地引網も面白かったけど、船を使ったのも面白かったよ。…あれ、私漁の見学に行くってアンディに言ったっけ?」

「いや、聞いてないけど昨日の地引網の後からのお前の様子でなんとなくな」

「えーなに?私ってそんなに分かりやすい女?…まいいや、レジルさん私にも朝食下さいな」

「かしこまりました。すぐにお持ちします」

すぐに運ばれてきた朝食へと手を伸ばすパーラは、よっぽど腹が減っていたのかものすごい勢いで皿を平らげていく。
マナーにうるさいレジルが怖い顔をしている。

「あ、そうだ。アンディ、今日の漁でマグロが獲れたっぽいよ」

食事の手を止めてこちらへと言い放ったパーラの言葉は、その気軽さとは裏腹に俺にとっては雷のような衝撃を与えてきた。

「まじか!?…いや、ぽいっていうことは確定じゃないってことか?」

「いや、私はマグロを見たことはないからわかんなかったけど、漁師の人が言うにはマグロで間違いないって。けどさ、アンディが言うマグロって大きいのだと2・3メートルぐらいって話だったじゃん?今日獲れたのってどう見ても5メートルぐらいあるんだよね。だからアンディの言うマグロと同じなのかちょっと自信がなかったの」

5メートルのマグロか…。
地球の記録では4メートルのマグロも獲れたことがあったと聞いたこともある。
まぁこの世界では巨大な生き物が多くいることだし、そのぐらいの大きさのがいても不思議ではない。

「んじゃ後で見に行ってみるよ。獲ったのはどこに運ばれたんだ?」

「なんか暫くは海水から引き揚げないって言ってた。身を冷やすんだってさ」

なるほど、気温の高い外気に触れるよりは、水中の方がまだ保存はしやすいのか。
確かテレビの番組だかで、マグロは釣り上げる時に、興奮で体温が上がりすぎて身が劣化するとか聞いたことがあったな。
この世界の漁師もその辺りを経験則で知っているのかもしれない。

「そう言えば、アンディ。今日はあなたの言ってたコンブを使った料理を食べさせてくれるのでしょう?料理人の方には話を通しましたの?」

「ええ、それは昨日の内に。なので、今日の昼食には出せると思います。それでなんですが、レジルさんや他の使用人の人達にも試食してもらって感想を貰いたいんですが、どうですか?」

「なるほど…。私達以外の意見もあって困りませんし、私は構いませんわ。レジル、どうです?」

「はい、結構ではないかと。流石に使用人達を全員とはいきませんが、手の空いている者達には声を掛けておきましょう」

よーし、これで色んな人間に試食してもらって昆布の魅力を広めることができそうだ。
俺としてはアイリーンの所で昆布を色んな所に出荷してくれれば、わざわざ自分で採りに来ずとも手に入るので、昆布の特産品化はぜひ推し進めたいところだ。


昼の少し前、マルステル男爵邸の調理場に俺は立っていた。
流石は貴族の食事を作るだけあって、ここの調理器具の充実ぶりはかなりのものだ。
加熱用の調理器や弱い冷蔵能力の付いた箱といったものは、この世界の水準では高額な魔道具に分類されるもので、見た感じでは設置してまだ日が浅い程度には新しく見えるのは、恐らくこれもアイリーンの実家からの餞別とかなのだろう。

料理長から一通り使い方の説明を受けたおかげで使い方には困らないが、俺達が使っている元々の飛空艇についているキッチン設備よりも大分性能が落ちるため、調理には若干の手間と時間がかかりそうだ。
その料理長は今調理場を離れており、後でアイリーン達と共に食堂で料理の試食を行うことになっている。
料理長にはプロから見た昆布の評価を期待したい。

ちなみにその料理長というのは年嵩の女性だったのだが、これまで数少ないながら知り合った貴族家お抱えや宮仕えの料理人というのは悉くが男性だったため、マルステル男爵家の料理人が女性だというのは意外だった。
まぁ別に料理人が男性のみの専業だとは法で決まっていないので、おかしなことではないのだが、それでも貴族に出す料理を作る人間は男性というのが先入観として植え付けられていた俺からすれば新鮮ではある。

さて、そんなわけで今日の昼に出す昆布料理に早速取り掛かろうと、目の前に並べられた食材を眺めながら献立を考える。

今回の主役と言っても過言ではない昆布は、きっちりと乾燥されてカッチカチの状態で調理台の上にのせられている。
ここ数日の乾燥作業によって、俺が日本でよく見た状態の乾燥昆布として出来上がっており、記憶にある通りに調理すればきっとあの味わいを披露してくれることだろう。

さらに、今朝方獲れたばかりの魚が何種類かあり、少量ではあるが日持ちする野菜もあるので、これも組み合わせて何か作りたい。

これらの食材に加え、昆布以外で俺が用意したものに米がある。
元々ここに来る飛空艇に積まれていたものだが、あまり量はないのでこの調理で使い切ってしまおうと思う。
他に調味料として、味噌と醤油も少しだけ持ち込んである。

ハッキリ言って昆布は醤油と合わさると最強だ。
マリアージュと言ってもいい。
昆布出汁単体でも十分うまさを伝えられると思うが、今回は醤油との合わせ技で試食した者達の度肝をぶち抜きたいところだ。

というわけで、これらを使って作るメニューはお分かりいただけたことだろう。
昆布、米、醤油とくればもうこれは一つしかない。
日本人の心、あの料理しか…。





SIDE:アイリーン



昼食時、アンディによって食堂に集められたのは、私達マルステル男爵家の人間とパーラの10名ほどでしょうか。
新しい特産物になり得る可能性を秘めたコンブという海藻を使った料理。
それを試食するためにと集められた私達ですが、アンディの料理の腕を知っている私とパーラは期待をしていますが、他の面々はどこか不安といも疑わし気とも取れそうな顔をしておりますわね。

実際、ここにいる使用人はほとんどがジンナ村で生まれ育った者達ばかり。
コンブというものも見慣れているはずですが、まさかそれが料理に使われるとは思いもしなかったというのが大半の意見だとか。

先程まではそんな思いを小声で話し合っていた使用人達ですが、それも今では鳴りを潜め、運ばれてくる料理を想像してソワソワしだしているほどです。
その理由は、少し前からこの食堂にまで漂い出した食欲をそそるいい香りのせいでしょう。

明らかに調理による匂いだと分かるそれは、海産物が温められる際に出す独特な匂いと共に、微かに甘いような匂いも混ざった得も言われぬ香ばしさでこの場の全員を包み、そのせいで空腹が刺激されて音が鳴らないように苦労するほどです。
まぁ隣に座るパーラは私の事情などお構いなしに、盛大なお腹の音を響かせていますが。

そうしていると、ついに待ち侘びた瞬間が訪れました。
開放されている食堂の扉の影から、食事を乗せた台車を押しながらアンディが姿を見せたのです。
その瞬間に一層強まった香りで、自然と台車の上に置かれた二つの大きな鍋へと視線が吸い寄せられていきます。

私の目の前まで台車がやってくると、その隣に立ったアンディが口を開きました。
ともすれば穏やかな笑みともいえる顔をしているアンディですが、付き合いがそこそこに深いと思っている私からすれば、不敵な笑みとしか思えないその表情にはかなりの自信が垣間見えます。

アンディを疑うわけではありませんが、それでも頭から信じるわけにはいかなかっただけに、この顔を見てしまってはこちらも気を引き締めましょう。
見極めせてもらいましょうか、特産物となり得るコンブの味とやらを。

「お待たせしたようで、申し訳ありません。えー、本日は俺の料理を試食して頂くために集まって頂いたことを感謝します。今台車にあるこの料理ですが、そもそもはそちらのアイリーンさんと話していた時の話題に―」

「ちょっとアンディ!そういうのはいいから早く食べさせてよ!もうこっちはお腹が空きすぎてるんだってば!」

畏まったとは言い難くも、丁寧に事の経緯を説明しようとしたアンディの言葉を遮り、パーラがそんなことを言い出しましたが、それもこの場の全員が心を同じにしているもので、口には出さずと私も視線でパーラの言葉を支援するためにアンディを見つめます。

「…ったく、わかったよ。では皆さん、こちらにご注目を。今回作ったのは『炊き込みご飯』というものです」

言い終わったアンディが鍋の蓋を開けると、閉じ込められていた蒸気が薄く立ち上ったかと思うや否や、それまでも確かに感じていたあの甘くおいしそうな香りが一気に強まって室内を満たしたように感じました。
まるで匂いに抱き着かれたような錯覚を覚えましたが、それもあながち大袈裟とは言えないでしょう。
本来であれば鼻で感じたはずの匂いが、血が巡るようにして全身に行き渡ったような思いです。

この匂いをずっと嗅いでいたい、そう思わせる至福の時間と言ってもいいでしょう。
一瞬我を忘れていたであろう私の目の前に、炊き込みご飯の盛られた器が二つ、いつの間にか並べられていました。
どうやらアンディが全員に配ったようで、他の者達のテーブルにも私と同じく、二つの器が並べられています。

見れば以前私も食べたことのある米が使われているようで、あの純白だった米が少しだけ褐色に近い色合いになっているのは、何かしらの味がついているせいでしょう。
なんとなく匂いの元となっているのは、アンディが持っていたあのショーユというものではないかと推測しています。

「今皆さんの前に出したのは、片方が通常通りの調理方法、つまり魚の干物と細肉で出汁を取ったもので炊き込みました。もう一方は先の調理に昆布を加えて出汁を取って炊き込んだものとなります。味の違いを知るために、まずは通常通りの物、皆さんから見て右手側の方から召し上がってください」

その言葉に従い、まずは右手側の器に盛られてご飯を掬って口へと運びます。
…む!十分美味しいではないですか!
食べなれたとばかり思っていた魚でしたが、ふっくらとした身と馥郁たる香りがまたなんともたまりません。
魚の旨味も十分米に染み込んでおり、噛むたびに味が染み出してきますわ~。

こちらは昆布を使っていないそうですが、これでもういいのでは?
他の人達も私と同じ思いのようで、口々に美味しいと言っていますし。

「こら美味い!こら美味い!アンディお代わり!」

「待て待て。まずは他の人達が食べ終わるのを待ってからだ。お代わりはちゃんとあるから焦るな」

誰よりも先に一杯を食べ終え、器をアンディの方へと突き出してお代わりを要求するも、断られて口を尖らすパーラ。
だからと言って私の器を見るのはやめてくださいまし。
ちゃんと食べます。

「皆さん、食べ終わったようですね。別に完食する必要はなかったんですがね」

「いえ、これは大変美味しいものですから、一皿どころかもっと欲しいぐらいです。正直、コンブを使ったからと言って、これを超えるとは思えませんわ」

「…そっちの方はあくまでも比較用として用意したものなんですが。まぁいいでしょう。では次に、もう一つの方を召し上がってください。さっきも言いましたが、そちらに昆布の出汁が使われていますので、その違いを意識してみてください」

全員が一皿を完食し、満足そうな顔をしているのを見届けてか、アンディが次の器を勧めてきました。
そうは言いますが、先程のあれを超える旨さなど、有り得るのでしょうか?
あの味を覚えている舌のまま、コンブ出汁を使った方を口に含んだ次の瞬間、私は溺れかけました。

何を言っているのか分からないとお思いでしょうが、説明します。
あれがコンブの味かと言われれば自信はありませんが、舌に米が触れたと同時に、口の中に広がった香りと味わいに、涎があふれ出てきてしまいました。

はしたない話ですが、その涎が口の端に飛び出そうになったのを堪えるため、つい音を立てて涎を啜り上げてしまったほどです。
それほどの味わいをたった一口で思い知らされた私は、次の一口を躊躇ってしまいました。

この美味しさをもっと味わいたい、食べ終わりたくないという二つの感情が私の中で対立しながら大きくなってきているのです。
あぁ、一体どうすればいいのでしょう。

「こら美味い!こら美味い!アンディお代わ―」

「だから待てって。他の人がまだ食べてる途中でしょうが」

先程見たパーラとアンディのそのやりとりですが、パーラの目は明らかに血走っています。
それほどコンブ出汁に魅了されているのでしょうが、その気持ちはここにいる全員と共有できるものです。

ですが、パーラの言うお代わりというものに私も希望を見出し、早速手元の一杯を完食する気になりました。
そして案の定、お代わりをお預けされたパーラはまた私の器へと視線を向けて来ています。
少し前よりも強まった物欲し気な視線は、ともすればこちらの一杯を強奪しそうな力を秘めています。

「ねぇ~えアイリーンさ~ん、一口頂ー戴?」

「おほほほほほ。殺しますわよ?」

猫なで声でそんなことを言うパーラに対し、つい本心が漏れ出てしまうの仕方のないことでしょう。
ですが、この一杯にはそれだけの価値がありますわ。

一瞬殺し合いが始まりそうなぐらいに鋭い視線を交わしはしたものの、私が急いで炊き込みご飯を完食すると僅かにあった緊張も霧散していきました。
それにしても、千の言葉で味わいを語れるこの炊き込みご飯ですが、逆にたった一つ、美味しいという一言だけで済んでしまえる正に至高の料理だといえましょう。

使用人達も美味しいと騒ぎ、涙を流している者もいる始末となっている中で、ただ一人目を閉じて黙々と食べているレジルの様子が気になり、声を掛けてみます。
なにしろ、この場では私以外に貴族家の料理を食べた経験があるレジルです。
この料理に対する感想は聞くべきでしょう。

「レジル、あなたから見てこれはどうですか?」

「…恐ろしい、その一言に尽きます」

「恐ろしい?どういうことです?」

「私も様々な貴族家で食事を頂く機会はありました。ですが、この炊き込みご飯というのは格が違う…いえ、世界が違うと言っていいでしょう。言い過ぎかと笑われるかもしれませんが、コンブが元で戦争が起きることを一瞬危惧してしまいました」

そこまで言いますか。
いえ、私もそれを否定するつもりはありませんけど。

「全てがコンブによるものとは言いませんし、当然アンディさんの腕もあるのでしょう。しかしながら、それでもやはりこの圧倒的な旨味を齎したコンブには、途轍もない魅力と期待を感じてしまいましょう」

レジルには既に、コンブを新しい領内の特産物とする話はしていました。
それを踏まえてのこの言葉ということは、どうやらコンブを特産品とする計画は進めてもいいのでしょう。
まぁ私もこの味を知ってしまった今では、否はありえません。

それに、今アンディに掴みかからんとするように詰め寄っている料理長の姿を見れば、少なくともコンブは料理人には売れることは間違いないようです。

「確かにコンブを使った方の味は凄かったよ。けどね、もう一方にも私が知らない味わいがあるのは分かってるんだよ!アンディさん、あんた一体何の調味料を使ったんだい!?」

「それは恐らくショーユでしょう。ショーユというのは俺が自前で作ったものなんですが、大豆と小麦からできている調味料です」

どうやらアンディが料理に使ったショーユを求めているようですね。
以前、私も旅の間に何度か振舞ってもらいましたが、あのショーユというのを使った料理は得も言われぬ美味しさがありましたわね。

「ショーユ…それは私でも作れるのかい?もし作れるなら、やり方を教えてくれない?金ならいくらでも払うよ!…領主様が」

ちょっと、最後に呟いたのは聞き逃しませんわよ?
よりによって私に支払いを回すつもりですか。

「まぁ作ろうと思えば作れるでしょうが、正直この辺りの気候だと上手くいくかどうか…。あぁそうだ、どうせなら魚を使って作るのを試してもいいかもしれませんね」

「魚?魚でそのショーユってのが作れるってのかい?」

「ええ。まぁ魚を使ったのはギョショーというんですが、あれはあれでいいものですよ。どうでしょう?今度一緒に試作してみませんか?」

「本当かい!?やるやる!やるに決まってるよ!」

ギョショーとやらの共同制作が決まったことを喜ぶ料理長を見ていると、チラリとこちらを見たアンディと目が合いました。
あの目は私に許可と協力を請願していますわね。

ここは野菜全般を手に入れるのが色々と難しい土地柄ですから、大豆と小麦を使ったショーユはどうかと思いましたが、魚を使うというのなら構いません。
許可しましょう。
そういう意図を込めて頷くと、アンディもまた頷きで返してきました。

私の中ではコンブを特産品とすることは内定していますが、もしアンディ達がギョショーの開発に成功したとしたら、それも新たな産物として売りに出すのもいいかもしれませんね。

「アンディ、話は終わった?じゃ、お代わり頂戴!」

「…分かったよ。ほんと、食い意地の張ったやつだな」

「でしたら私にもお代わりをお願いしますわ」

「あ、あの私もいいですか?」

「俺も!」

「自分も!」

アンディと料理長の話が終わったのを見計らい、パーラがお代わりを要求するのに合わせて私もお代わりをお願いすると、周りも一斉にアンディへと群がっていきました。

すっかり炊き込みご飯に魅了された私は、お腹が苦しくなるほどに頂きましたが、後悔はしていません。





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