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新しい試みはいつでもドッキドキ
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「ぼへぇぇえ~…いい湯でしたわ~」
屋敷のリビングで俺が乾燥させた昆布を磨いていると、そんな抜けた声を出しながら薄着のままのアイリーンが目の前のソファに腰を落とした。
ぼへっとした顔をしているアイリーンの様子は、先程屋敷の前で見た落ち武者のようなものとは打って変わり、随分リラックスしたものへと変わっていた。
どうやら風呂はアイリーンの癒しとして十分役割を果たしてくれたようだ。
風呂上がりのアイリーンはクリーム色の薄い衣を羽織っており、それはこの国の伝統衣装ではなく、どうみても浴衣だった。
「アイリーンさん、その服はもしかして浴衣ですか?」
「ええ、そうですわよ。以前、アンディがこういうのを着ていたでしょう?似た物を私も作らせて来てみたのですが、これはいいものです。軽いし着るのも楽で、今ソーマルガの貴族達の間ではちょっとした流行になってますのよ」
「そ、そうですか…」
思わず上ずった声が出てしまう。
異世界の貴族に浴衣を流行らせるのは、果たして正しいことなのだろうか?
まぁ知らない人間にしてみればちょっと変わった服ぐらいの認識だし、あのガラビアっぽいソーマルガの伝統的衣装とも近いものはあるので、特に問題になることもないか。
「あ、そうだ。アイリーンさんにお土産あるんだよ。ほらこれ、皇都で仲良くなったメイエルさんって人と一緒に選んだの」
そう言ってパーラがアイリーンに差し出したのは、つばの広い帽子だ。
最近、皇都では日を避けるのにこういったつば広の帽子が庶民の間にも広まっているらしく、今回パーラが持ってきたのは青く染められた物だ。
「あら、この手の帽子なら私も持っていますけど、これは綺麗に染められてますわね。手持ちの服とも合わせやすそう。ありがとうございます、パーラ」
「えへへ、喜んでくれて私も嬉しいよ。この帽子ね、本当は赤いのもあったんだけど、アイリーンさんには青いのがいいかなぁって思ったんだ」
「そうでしたか。私は赤も好きですから、そっちも欲しくなってきますわね。これはどこの店で買いましたの?」
「それはねぇ―」
俺達のよく知るアイリーンに戻ったことで、パーラも普段通りに接することが出来るようになったらしい。
パーラのまるで亡霊を見るような眼だったのが、一転して再会を喜ぶ楽し気な顔へと変わっており、リビングではちょっとした女子会の空気が出来つつあった。
男の俺にはちょっと居心地が悪い。
キャッキャとしているパーラ達の話はまだ当分終わりそうにない。
仕方ないので、昆布を磨く作業に戻る。
磨くとは言うが、ごしごしとやるわけではない。
柔らかい布で表面に付着した細かい砂を、取り除くために軽く払う程度だ。
昆布は乾燥させると表面に白い粉のようなものが浮き上がるが、これには旨味成分が含まれているらしいので、極力残したい。
昼の間日光に晒していたおかげで、昆布は大分乾燥しているのだが、まだまだ俺の知る乾燥昆布とは程遠い。
確か乾燥昆布はもっと黒かったはずなのだが、これは黒というよりもこげ茶といった感じだ。
おまけにまだまだ柔らかく、カチカチになるまで干したいところだ。
とりあえず半日干しただけではこんなものと分かったのはいい経験になった。
「…ところで、先程からアンディは何をしてますの?何か拭いているようですけど」
「あれね、昼に海から拾ってきたこんぶっていう海藻なんだ」
「海藻?そんな物を拭いて何を…」
「アンディが言うには、こんぶからはおいしい出汁が出るらしいよ。磨いてるのは外で乾燥してた時についた砂とかほこりとかを取ってるんだって」
おや、どうやら女子同士の会話が終わったようだ。
いつの間にかパーラはアイリーンの隣へと移っており、彼女達の好奇心が籠った視線を受けつつ、きりのいいところで作業を終えて二人に向き直る。
「あら、もう終わりですの?」
「ええ、一先ずはこんなところですね。明日また乾燥させてから様子を見ます」
「そうですか。…それにしても、相変わらずあなたは妙なものに手を出しますわね。パーラに聞けば、そのこんぶとやらはそこらの海で手に入れた海藻だとか?別段食用というわけでもないものを、どういう風に料理で使うのか興味がありますわ」
心外な。
アイリーンが言うほど、そうそう俺はおかしな行動をしているつもりはないのだが。
いや、そこはやはり価値観の違いか。
この世界にやってきた俺と、元々こっちで生きる人間との間では、全て同じ感覚を有するというわけにはいかない。
とはいえ、そこそこ付き合いの深いアイリーンからすれば、俺の料理にかける情熱は知っているはずなので、昆布が美味いものに化けるということも分かってはいる上で先の言葉を口にしたのだろう。
「よかったらこの昆布で何か作りましょうか?といっても、この後乾燥と磨きでもうちょっと時間がかかると思うので、今日明日にというわけにはいきませんが」
「まあ、それは嬉しいですわね。是非ご馳走してくださいな」
「ねぇアンディ!もちろん私にも食べさせてくれるんだよね!?」
「安心しろ。仲間はずれにはしないって」
若干焦り気味に自分の存在をアピールするパーラに、そう言ってやると露骨に安堵の息を吐いて隣のアイリーンと微笑み合った。
わざわざパーラだけをのけ者にするわけがないのに、焦りと安堵までのこの振り幅がすごい。
可愛いヤツめ。
「ところでアイリーンさん。そろそろ先程の酷く疲れた顔の理由をお聞きしてもいいですかね?流石にあれを見てそこに触れないわけにはいきませんから」
「…そんなに酷かったでしょうか?」
俺の言葉に一瞬表情を強張らせた後、自分の顔をペタペタと触るアイリーンには俺達の目に映った姿がいかに異様だったか理解できいないようである。
「正直、同じ女として見過ごせないってぐらい凄かったよ。一応聞くけどさ、もしかしてアイリーンさんの領地っておっきな問題とか抱えてる?」
「まぁ問題が全くないとは言いませんけど…そうですわね。二人ならばいいでしょう。いいですか?これから話すことは他言無用に願いますわよ」
そう言い含めてくるあたり、それなりに重要な話だと見える。
男爵本人が口にする他言無用の話となれば、それは領地に関わる機密事項に当たるのではないだろうか?
「ちょっと待ってください。その話ですけど、もしなんらかの機密が含まれるとしたら、流石に俺達が聞くのはどうかと…」
「あぁ、ご心配なく。そういう意味での他言無用ではありませんわ。単純に、領地の指針のようなものだと考えて下さいまし」
「指針、ですか。だったらなおさら外部の人間である俺達には知られない方がいいと思うのですが」
現地の執政官のトップであるアイリーンには、その土地を守るために情報を外に漏らさない処置をとるということも必要だ。
他の貴族の耳に入ったら困る情報を、冒険者として様々な場所へ出向く仕事をしている俺達に明かしてしまうのはよくないと思うのだが。
「あら、アンディ達は私の大事な友人だと思ってますわよ?わざわざ他に言いふらさないと信頼もしているし、それにあなた達に相談すれば、もしかしたらいい案もでるかもしれないと思えますし」
「…信頼されているというのは嬉しいことですけど、話を聞いてもいい案が出るとは限りませんよ?」
「構いませんわ。それに相談というより、どちらかというと愚痴のようなものですし…」
次の瞬間、フッと顔に陰りが見えたアイリーンの様子から、これはかなり鬱憤が溜まっていそうだと感じる。
この変わりようを見てしまうと、聞くのがちょっと怖くなてしまう。
とはいえ、俺にとってもアイリーンは大事な友人だ。
困っているなら相談に乗りたいし、妙案は出なくとも愚痴ぐらいは聞いてやりたい。
…前にも人の愚痴を聞いた展開はあったが、ひょっとしたらこの世界で愚痴り屋とか開業したら儲かったりするのだろうか?
まぁそのつもりはないが。
とりあえずアイリーンの領地が今陥っている問題についてのかいつまんだ説明を受ける。
アイリーンがこの土地に赴いて、正式に代官から領地を引き継いで先ず行ったのが現状の把握と発展性の模索だった。
この領主が居館を構える村、名前をジンナ村というのだが、ここを中心に海沿い南東の村が二の村、内陸北西にある三の村というそうで、ジンナ村以外が数字で名前がついているのは、王家直轄領だった頃の名残のままの呼び方であり、ジンナ村というのもアイリーンが就任して直後にそう名付けたからで、ゆくゆくは他の村も呼び名をつけるつもりでいるらしい。
それでこの領地の産業だが、やはりハリムから聞いていた通り、漁によって得られる海産物の加工品を売りにしている。
ジンナ村と二の村で漁業を行い、魚を干物や塩蔵にして他領へと売られていく。
三の村では内陸に位置するということとそれなりに作物の育つ土壌があることで、農業を行いつつ、風紋船の停泊地となっている少し離れた町との交易の窓口という役割も担っている。
海産物は主にこの三の村から風紋船に載せられて他へと運ばれていくそうだ。
ここまで聞いて、特に問題らしい問題は感じず、新米領主としててんてこ舞いにはなるだろうが、憔悴しきるまで頭を悩ますような何かがあるとは思えない。
当然そのことをアイリーンに話すと、問題はここからだと重苦しい声で話を続けていく。
領主としてこの土地のことを知っていくなかで、マルステル公爵家から来ていた文官がある問題を指摘した。
それは、この領地における人口の急激な増加だった。
これまでここを治めていた代官は取り立てて優秀な人間というわけではなかったが、仕事は至極真っ当真面目にしていたらしく、領内の大まかな人口の増減と労働従事者の年齢分布をちゃんと書類として残していた。
それによると、この領内での人口増加はアイリーンの赴任前と比べると二割増しといったところだとか。
現在、この領内ではアイリーンが積極的に治安維持に乗り出した影響で、魔物や賊などによる被害は確実に減っている。
この世界の人間の死亡原因トップスリーに挙げられる魔物の襲撃が減った分だけ、人は子供を産み育てることに力を注げるというわけだ。
そのおかげで人口は着実に増えてきており、今領内ではちょっとしたベビーブームなのだそうだ。
人口が増えればそれだけ労働力が増え、それが税収の増加へとつながるのだが、残念ながらそれは子供が成長しきるのは当分先のことになる。
領主であるアイリーンにとって、この子供たちの将来のための雇用の創出というのも仕事の一つとなっていた。
そこでジンナ村をはじめとして、他の二村にも新規産業への協力を取り付けるために、アイリーンは頻繁に村々へと赴いて話し合いをしているのだそうだ。
「単純に、漁業以外の仕事が圧倒的に少ないのが問題なのです。もちろん、漁師として生きていくという人間であればこの領は暮らしやすいでしょう。しかし、それ以外の選択肢を選ぼうとするなら人材は他領へと流れて行ってしまいますわ」
「まぁ仕事が無ければ他の大きな町へと行くでしょうね」
漁師として生きていく以外の道を選ぶとしたら、他の大きな町で商人や職人になるか、手っ取り早いのだと冒険者を目指すこともある。
未だ具体的な新規産業を興す案に欠けると困っているアイリーンだが、この人材の流出を何とか食い止めようと必死なのだろう。
「この三年の間に調べただけでも、確かに出生率は上がっていていましたわ。ですが、やはり自分の就きたい仕事が無いということで、村を出ていく若者も一定数いたのです。現在、この村で20歳以下の若者と30代以上の大人で人口に占める割合はおよそ倍以上の開きがありますの」
この場合の倍の開きというのは、勿論若者が少ないという方でのものだ。
「今漁業に従事している人間の多くが30代以上か20代に満たない男性ばかりだとか。ここでもし、何らかの問題が起きて彼らを失ってしまえば、我が領地の運営に少なからずの影響が出ることでしょう」
海という過酷な場所で仕事をしているのだ。
波に攫われたり海流に流されて遭難もあり得るし、この世界だと水棲の魔物なんかも人を襲う。
大抵の漁師が自分の子供に仕事を覚えさせようと一緒の船に乗せるだろうから、もしこれで船が沈みでもしたらその一家は稼ぎ頭と後継ぎを一辺に失うことになる。
当然、領内での税収にも影響は出てくるため、そうならないようにアイリーンは漁以外の新しい産業を作ろうとしているわけだ。
「そういった点からも、何か新しい産業を生み出そうとここのところ他の村にも足を運んで話をしているのですが…」
ここで長く重い溜息を吐くアイリーンの顔は、ほんの一瞬前よりも一気に老け込んだような気がした。
「やっぱあんまり上手くいってないの?」
「三の村の方は幾分話に乗る気を見せてくれていますが、二の村の方は話だけは聞くといった態度のままです。まだ具体的な案が無かったというのもありますけど、それ以上に私が若いということと女だというのが信頼を得られていないようですわね」
恐る恐るといった感じで尋ねたパーラに、そう答えたアイリーンの自嘲交じりの笑みはどこか痛々しさがある。
この世界では女の漁師というのはまずいない。
明確な男尊女卑が効いているわけではないが、やはり力仕事は男のものという印象が強く、それ故に女が上に立つことを嫌がるのが漁師という人種だ。
領主であるアイリーンをここまで疲れさせる程度には、何かしらの問題のある話し合いになったと見える。
「何を言われたんですか?」
「『これまでも十分やってこれた。たった三年領主をやっただけの小娘が、下手にかき回して自分達の生活を壊すな』と。まぁ実際はもう少し持って回った言い方でしたけど、概ねそんな感じでしたわね」
「なにそれ!アイリーンさんは領主でしょ!?そんな言い方ってないよ!」
「ですから、概ねと言いましたでしょう?実際はもう少し…やや少し柔らかい言い方だったはず…」
その尻つぼみになっていくアイリーンの言いようから、パーラの言うことの方に分があるように感じるのは気のせいではないだろう。
恐らくアイリーンと話したのは二の村の村長あたりだと思うが、一平民が貴族に対して無礼な口を利くのはもってのほかだし、アイリーンは男爵であると同時に公爵家の令嬢でもあるのだ。
下手をすればこんな領地程度は軽く潰せるぐらいの権力がバックにいると知らなかったのか。
…まぁ知らなかったんだろうな。
あるいは、知っている上でアイリーンという個人を見て話をしていたと好意的に捉えることもできなくはないが、それでも俺の友人に舐め腐った態度を取ったということで心証は悪い。
おまけにあれだけ憔悴しきったアイリーンの姿を見せられてはなおさらだ。
ただまぁ、その二の村の人間の言うことも分からんではない。
今までも十分だった、だからこれからも変わらずやっていくというのは、見方を変えれば堅実な生き方を選んだともいえるだろう。
大きな変化を必要としないほどに安定した暮らしをしているのであれば、こういう考えは当然だ。
「しかしそうなると、アイリーンさんの話を受け入れてもらうにはやはりしっかりとした現実的な案が必要でしょうね」
「そうは言いますがね、アンディ。この領は昔から漁業を生業としていますし、それによって得られる税収も安定したものですのよ?何かいいきっかけでもないことには…」
そう言いながら、チラチラと俺を見るアイリーンの目には何かを期待するような思いがはっきりと見て取れる。
案を出せ、と。
約三年、恐らくアイリーンは他の村との話し合いを何度も行っていたはずだ。
だが上手くいかなかったのは、やはりいいアイディアに恵まれなかったからだろう。
土地柄、漁業以外での産業が育ちにくいせいで選択肢が狭まっているアイリーンにとって、これだと提示できるものがない、いわばカードが無い状態での交渉は大変なものだったに違いない。
カードがあるのに遺憾の意で済ませようとする日本の政治家には是非とも見習ってほしいものだ。
それにしても、新しい産業か。
俺達はまだここにきて一日経っていないから何とも言えないが、アイリーンがここまで悩んでいるのだから、簡単なことではないとは分かる。
そもそも、俺達は冒険者であってコンサルタントではない。
新しい産業をそうほいほいと思いつくような人種だと思ってもらっては困る。
まぁ思いついたけど。
「アイリーンさん、漁業以外での産業となると、俺が思いつくのはやはり農業になります。三の村では農業も行われているそうですが、ジンナ村や二の村の周辺に耕作に適した土地は多少でも無いものですかね?」
「当然私達も農業には最初に目を付けましたわ。ですが、この村の近くでは農地としては適した土地は全くありませんでしたの。それでも、以前宰相閣下から頂いた砂漠でも育てられる作物というものにも手を出してみましたが、やはり海の傍というのが壁となりますわね」
そう言えば以前、ハリムには砂漠でも育てられる農作物について資料を提出したことがあったな。
あの時はあくまでも砂漠という条件に当てはめて考えていたが、海の近くではやはりどうしても塩害がネックになるようだ。
植物というのは土中の栄養や水などを根から吸収するのだが、その際に土に塩分が多量に含まれていると生育に悪影響が出るし、最悪は枯れてしまう。
海の近くで作物を育てるのが向かないのは、風で飛ばされた海水が畑の土に染み込んでしまうからだと言われている。
結局、この塩害に阻まれているせいで、この領地では農作物は三の村でしか作れないとなっているわけだ。
「うーん……そうなると、もう後は観光業ぐらいしか思いつきませんね」
「無理でしょう、それは。我が領地ながら、この辺りでは目玉になりそうなものはありませんもの。強いて言えば近くを流れる大河ぐらいですけど、それもこの領地だけでしか見れないわけでもないですし」
地図上でちらっと見ただけだが、ジンナ村と二の村の間に跨るようにして海にそそがれるこの大河は、源流を遡ると砂漠を縦断して北東の山にまで伸びていく。
その長大さから他の貴族の領地でも大河自体を見ることはできるため、観光の目玉にするにはありふれていると言える。
観光資源としてはいまいちだ。
海を目玉にしたリゾートなんかも考えたが、その手の観光地はもう大手が存在しているそうで、後発でやっても軌道に乗るのはだいぶ先のことになる。
おまけに賭けの要素も大きく、人気リゾート地になるかどうかもわからないので、下手をすれば投資した分を丸々失う結果も十分にあり得る。
他を考えたほうがいいだろう。
打つ手無しかと腕を組んで唸り声をあげそうになった俺に、テーブルの上に置かれた昆布がその存在を主張したように見えた。
「…食でいくってのはどうでしょう?」
「食、ですか?それはつまり、美味しいものを余所へ売り込むということですの?けれど、この辺りで美味しいものと言えばやはり魚ですし、正直、目新しさのないもので税収の大幅増加とはいきませんわよ」
「目新しさという点ならうってつけのものがありますよ。これです」
そう言って俺は、テーブルの上に合った昆布に手を伸ばし、二人の目の高さへ掲げる。
この昆布をマルステル男爵領の特産物に押し上げれば、新しい税収になるかもしれないのだ。
結局、この土地にあるもので勝負する以上、やはり新たな海産物を外へ売り出すしかない。
観光もダメ、農業もダメとなると俺が思いつくのはグルメ立国ぐらいだ。
いや、立領か?
「昆布かぁ…。確かに誰も食べようとしなかった海藻を売りにすれば、話題にはなるかもね。でもさ、私もアイリーンさんもこの昆布の味を知らないんだよ?アンディを疑うわけじゃないけど、この昆布が本当に言うだけの価値はあるの?」
「パーラの言う通りですわね。海藻を売りにするというのは面白い考えですけど、果たして欲しがる人間がいるかどうか…」
「大丈夫だと思いますがね。ちょっと料理が得意な人間が昆布の味を知れば飛びついてきますよ」
二人が懐疑的なのも当然だが、俺に言わせれば一度昆布出汁を味わってしまった人間は金をいくらでも積んで昆布を買い求めるようになる。
調理方法も広めることで倍プッシュだ。
「ふぅむ……まぁアンディがそうまで言うなら考えてみましょう。ただし、まずは実際に食べてみてからですわよ」
「分かりました。ではそうですね……四日、いや五日後に昆布を使った料理をご馳走しますので、それまで待っててください」
「五日ですか?私は別に明日でも構いませんわよ」
「俺もそうしたいところなんですが、昆布の乾燥がまだまだのようなので、あと二・三日は様子を見たいんですよ。それに四日後には俺達も用事がありますし」
「どこかへ出かけますの?」
「実は今日の昼に漁師の人と会いまして、四日後の朝におもしろいものを見せてやると言われてまして」
「朝…ということはあれですか」
「アイリーンは知っているんですか?」
「ええ、勿論ですわ。私も赴任してすぐに見せてもらいましたもの。きっとアンディ達も驚きますわよ」
ウププという感じで笑みを堪えるアイリーンの様子に、一体どんなサプライズが用意されているのやらワクワクが止まらない。
朝の浜に来いというのだから、漁に関連した何かだとは思うが、一体なに引き網なんだ…。
今から楽しみで仕方ないな。
「そう言えばさ、私ちょっとここの屋敷の人から聞いたんだけど」
話しが一段落したタイミングを見計らったのか、パーラが不思議そうな顔でアイリーンへと声を掛けた。
「あら、流石はパーラですわね。もううちの者と仲良くなりましたの?」
「いやぁ、私は仲良くしたいと思ってるんだけど、向こうはやっぱりお客さんとして対応してくれただけだからね。まぁその内仲良くなってみせるよ」
今までも他の国や町を訪れて、パーラはそこに住む人間とすぐに仲良くなる、一種の才能というのを発揮してきた。
それはこの村でも同様で、一日経もたない内に、屋敷の人間に話を聞きだそうと活発に触れ合っているようだ。
「んで、聞いた話だとアイリーンさんてここに来てすぐくらいに、村を困らせてた魔物を倒したんだって?」
「……ええ、確かにジンナ村に赴任してから20日ほどでしたかしら?湾内を荒らしていた巨大な鮫型の魔物を蒸発させましたわ」
「巨大ってどれぐらい?」
「さあ?海中から飛び出た瞬間に消し飛ばしたので正確な大きさまでは。それでも魚影から見た感じでは恐らく15メートルはあったでしょうね」
その魔物が湾内を荒らしまわっていたということは、そこで漁をする人間を困らせていたということになる。
巨大な鮫ということで想像するのは、かつて地球でも存在していたメガロドンだろう。
全長は20メートルにも迫るほどの巨体であるメガロドンだが、こっちの世界でも魔物としての分類で見れば決して非常識な大きさではない。
居てもおかしくはないというレベルだ。
そんなものが悠々と泳ぎまわっていて、しかも魔物という特性から積極的に人間を襲うとなれば、領主としては討伐しないわけにはいかない。
「正直、あの頃は領主としての仕事が忙しくてイライラが溜まってましたの。そんな時に海に魔物が出たと聞いてつい飛び出してしまいましたわ。浜辺に着いた途端、いい具合に目の前の海からその魔物が空中に躍り出たので、自然と全力の火球を叩き込んでましたわ」
「それでさっきの蒸発という言葉で表現したんですね。恐らくその魔物は海面から浜辺に立つアイリーンさんの姿を見て襲ってきたんでしょう。領主の身で随分無茶をしましたね」
「むしゃくしゃしてやりましたわ。反省はしていますけど後悔はしていません」
キレる若者そのものだな。
その時レジルが来ていたら大目玉を食らっていたに違いない。
だがアイリーンが村に迫っていた脅威を取り除いただけでなく、その魔術の力を見せつけたことはある意味では正解だったかもしれない。
その頃は急に現れた領主に対して、ジンナ村の人達も距離を測っていた時期だっただろう。
魔物の討伐と強大な力の披露をもって、村人はアイリーンに対して尊敬や畏敬と言ったものを覚えたはずだ。
それらの感情は度が過ぎれば問題だが、今日一日見て回った村の様子から、その後の統治もしっかりとしているようで、いい具合に領主として認められていると見た。
巨大鮫を倒した英雄としての尊敬と、無体を働かない善政への安堵さえあれば、アイリーンは十分やっていけることだろう。
あとは新規産業をどうにか軌道に乗せれば完璧だが、まぁそこはアイリーン次第だ。
俺はちょっと背中を押すぐらいしかできないが、それでも変な失敗はしないように協力していきたい。
屋敷のリビングで俺が乾燥させた昆布を磨いていると、そんな抜けた声を出しながら薄着のままのアイリーンが目の前のソファに腰を落とした。
ぼへっとした顔をしているアイリーンの様子は、先程屋敷の前で見た落ち武者のようなものとは打って変わり、随分リラックスしたものへと変わっていた。
どうやら風呂はアイリーンの癒しとして十分役割を果たしてくれたようだ。
風呂上がりのアイリーンはクリーム色の薄い衣を羽織っており、それはこの国の伝統衣装ではなく、どうみても浴衣だった。
「アイリーンさん、その服はもしかして浴衣ですか?」
「ええ、そうですわよ。以前、アンディがこういうのを着ていたでしょう?似た物を私も作らせて来てみたのですが、これはいいものです。軽いし着るのも楽で、今ソーマルガの貴族達の間ではちょっとした流行になってますのよ」
「そ、そうですか…」
思わず上ずった声が出てしまう。
異世界の貴族に浴衣を流行らせるのは、果たして正しいことなのだろうか?
まぁ知らない人間にしてみればちょっと変わった服ぐらいの認識だし、あのガラビアっぽいソーマルガの伝統的衣装とも近いものはあるので、特に問題になることもないか。
「あ、そうだ。アイリーンさんにお土産あるんだよ。ほらこれ、皇都で仲良くなったメイエルさんって人と一緒に選んだの」
そう言ってパーラがアイリーンに差し出したのは、つばの広い帽子だ。
最近、皇都では日を避けるのにこういったつば広の帽子が庶民の間にも広まっているらしく、今回パーラが持ってきたのは青く染められた物だ。
「あら、この手の帽子なら私も持っていますけど、これは綺麗に染められてますわね。手持ちの服とも合わせやすそう。ありがとうございます、パーラ」
「えへへ、喜んでくれて私も嬉しいよ。この帽子ね、本当は赤いのもあったんだけど、アイリーンさんには青いのがいいかなぁって思ったんだ」
「そうでしたか。私は赤も好きですから、そっちも欲しくなってきますわね。これはどこの店で買いましたの?」
「それはねぇ―」
俺達のよく知るアイリーンに戻ったことで、パーラも普段通りに接することが出来るようになったらしい。
パーラのまるで亡霊を見るような眼だったのが、一転して再会を喜ぶ楽し気な顔へと変わっており、リビングではちょっとした女子会の空気が出来つつあった。
男の俺にはちょっと居心地が悪い。
キャッキャとしているパーラ達の話はまだ当分終わりそうにない。
仕方ないので、昆布を磨く作業に戻る。
磨くとは言うが、ごしごしとやるわけではない。
柔らかい布で表面に付着した細かい砂を、取り除くために軽く払う程度だ。
昆布は乾燥させると表面に白い粉のようなものが浮き上がるが、これには旨味成分が含まれているらしいので、極力残したい。
昼の間日光に晒していたおかげで、昆布は大分乾燥しているのだが、まだまだ俺の知る乾燥昆布とは程遠い。
確か乾燥昆布はもっと黒かったはずなのだが、これは黒というよりもこげ茶といった感じだ。
おまけにまだまだ柔らかく、カチカチになるまで干したいところだ。
とりあえず半日干しただけではこんなものと分かったのはいい経験になった。
「…ところで、先程からアンディは何をしてますの?何か拭いているようですけど」
「あれね、昼に海から拾ってきたこんぶっていう海藻なんだ」
「海藻?そんな物を拭いて何を…」
「アンディが言うには、こんぶからはおいしい出汁が出るらしいよ。磨いてるのは外で乾燥してた時についた砂とかほこりとかを取ってるんだって」
おや、どうやら女子同士の会話が終わったようだ。
いつの間にかパーラはアイリーンの隣へと移っており、彼女達の好奇心が籠った視線を受けつつ、きりのいいところで作業を終えて二人に向き直る。
「あら、もう終わりですの?」
「ええ、一先ずはこんなところですね。明日また乾燥させてから様子を見ます」
「そうですか。…それにしても、相変わらずあなたは妙なものに手を出しますわね。パーラに聞けば、そのこんぶとやらはそこらの海で手に入れた海藻だとか?別段食用というわけでもないものを、どういう風に料理で使うのか興味がありますわ」
心外な。
アイリーンが言うほど、そうそう俺はおかしな行動をしているつもりはないのだが。
いや、そこはやはり価値観の違いか。
この世界にやってきた俺と、元々こっちで生きる人間との間では、全て同じ感覚を有するというわけにはいかない。
とはいえ、そこそこ付き合いの深いアイリーンからすれば、俺の料理にかける情熱は知っているはずなので、昆布が美味いものに化けるということも分かってはいる上で先の言葉を口にしたのだろう。
「よかったらこの昆布で何か作りましょうか?といっても、この後乾燥と磨きでもうちょっと時間がかかると思うので、今日明日にというわけにはいきませんが」
「まあ、それは嬉しいですわね。是非ご馳走してくださいな」
「ねぇアンディ!もちろん私にも食べさせてくれるんだよね!?」
「安心しろ。仲間はずれにはしないって」
若干焦り気味に自分の存在をアピールするパーラに、そう言ってやると露骨に安堵の息を吐いて隣のアイリーンと微笑み合った。
わざわざパーラだけをのけ者にするわけがないのに、焦りと安堵までのこの振り幅がすごい。
可愛いヤツめ。
「ところでアイリーンさん。そろそろ先程の酷く疲れた顔の理由をお聞きしてもいいですかね?流石にあれを見てそこに触れないわけにはいきませんから」
「…そんなに酷かったでしょうか?」
俺の言葉に一瞬表情を強張らせた後、自分の顔をペタペタと触るアイリーンには俺達の目に映った姿がいかに異様だったか理解できいないようである。
「正直、同じ女として見過ごせないってぐらい凄かったよ。一応聞くけどさ、もしかしてアイリーンさんの領地っておっきな問題とか抱えてる?」
「まぁ問題が全くないとは言いませんけど…そうですわね。二人ならばいいでしょう。いいですか?これから話すことは他言無用に願いますわよ」
そう言い含めてくるあたり、それなりに重要な話だと見える。
男爵本人が口にする他言無用の話となれば、それは領地に関わる機密事項に当たるのではないだろうか?
「ちょっと待ってください。その話ですけど、もしなんらかの機密が含まれるとしたら、流石に俺達が聞くのはどうかと…」
「あぁ、ご心配なく。そういう意味での他言無用ではありませんわ。単純に、領地の指針のようなものだと考えて下さいまし」
「指針、ですか。だったらなおさら外部の人間である俺達には知られない方がいいと思うのですが」
現地の執政官のトップであるアイリーンには、その土地を守るために情報を外に漏らさない処置をとるということも必要だ。
他の貴族の耳に入ったら困る情報を、冒険者として様々な場所へ出向く仕事をしている俺達に明かしてしまうのはよくないと思うのだが。
「あら、アンディ達は私の大事な友人だと思ってますわよ?わざわざ他に言いふらさないと信頼もしているし、それにあなた達に相談すれば、もしかしたらいい案もでるかもしれないと思えますし」
「…信頼されているというのは嬉しいことですけど、話を聞いてもいい案が出るとは限りませんよ?」
「構いませんわ。それに相談というより、どちらかというと愚痴のようなものですし…」
次の瞬間、フッと顔に陰りが見えたアイリーンの様子から、これはかなり鬱憤が溜まっていそうだと感じる。
この変わりようを見てしまうと、聞くのがちょっと怖くなてしまう。
とはいえ、俺にとってもアイリーンは大事な友人だ。
困っているなら相談に乗りたいし、妙案は出なくとも愚痴ぐらいは聞いてやりたい。
…前にも人の愚痴を聞いた展開はあったが、ひょっとしたらこの世界で愚痴り屋とか開業したら儲かったりするのだろうか?
まぁそのつもりはないが。
とりあえずアイリーンの領地が今陥っている問題についてのかいつまんだ説明を受ける。
アイリーンがこの土地に赴いて、正式に代官から領地を引き継いで先ず行ったのが現状の把握と発展性の模索だった。
この領主が居館を構える村、名前をジンナ村というのだが、ここを中心に海沿い南東の村が二の村、内陸北西にある三の村というそうで、ジンナ村以外が数字で名前がついているのは、王家直轄領だった頃の名残のままの呼び方であり、ジンナ村というのもアイリーンが就任して直後にそう名付けたからで、ゆくゆくは他の村も呼び名をつけるつもりでいるらしい。
それでこの領地の産業だが、やはりハリムから聞いていた通り、漁によって得られる海産物の加工品を売りにしている。
ジンナ村と二の村で漁業を行い、魚を干物や塩蔵にして他領へと売られていく。
三の村では内陸に位置するということとそれなりに作物の育つ土壌があることで、農業を行いつつ、風紋船の停泊地となっている少し離れた町との交易の窓口という役割も担っている。
海産物は主にこの三の村から風紋船に載せられて他へと運ばれていくそうだ。
ここまで聞いて、特に問題らしい問題は感じず、新米領主としててんてこ舞いにはなるだろうが、憔悴しきるまで頭を悩ますような何かがあるとは思えない。
当然そのことをアイリーンに話すと、問題はここからだと重苦しい声で話を続けていく。
領主としてこの土地のことを知っていくなかで、マルステル公爵家から来ていた文官がある問題を指摘した。
それは、この領地における人口の急激な増加だった。
これまでここを治めていた代官は取り立てて優秀な人間というわけではなかったが、仕事は至極真っ当真面目にしていたらしく、領内の大まかな人口の増減と労働従事者の年齢分布をちゃんと書類として残していた。
それによると、この領内での人口増加はアイリーンの赴任前と比べると二割増しといったところだとか。
現在、この領内ではアイリーンが積極的に治安維持に乗り出した影響で、魔物や賊などによる被害は確実に減っている。
この世界の人間の死亡原因トップスリーに挙げられる魔物の襲撃が減った分だけ、人は子供を産み育てることに力を注げるというわけだ。
そのおかげで人口は着実に増えてきており、今領内ではちょっとしたベビーブームなのだそうだ。
人口が増えればそれだけ労働力が増え、それが税収の増加へとつながるのだが、残念ながらそれは子供が成長しきるのは当分先のことになる。
領主であるアイリーンにとって、この子供たちの将来のための雇用の創出というのも仕事の一つとなっていた。
そこでジンナ村をはじめとして、他の二村にも新規産業への協力を取り付けるために、アイリーンは頻繁に村々へと赴いて話し合いをしているのだそうだ。
「単純に、漁業以外の仕事が圧倒的に少ないのが問題なのです。もちろん、漁師として生きていくという人間であればこの領は暮らしやすいでしょう。しかし、それ以外の選択肢を選ぼうとするなら人材は他領へと流れて行ってしまいますわ」
「まぁ仕事が無ければ他の大きな町へと行くでしょうね」
漁師として生きていく以外の道を選ぶとしたら、他の大きな町で商人や職人になるか、手っ取り早いのだと冒険者を目指すこともある。
未だ具体的な新規産業を興す案に欠けると困っているアイリーンだが、この人材の流出を何とか食い止めようと必死なのだろう。
「この三年の間に調べただけでも、確かに出生率は上がっていていましたわ。ですが、やはり自分の就きたい仕事が無いということで、村を出ていく若者も一定数いたのです。現在、この村で20歳以下の若者と30代以上の大人で人口に占める割合はおよそ倍以上の開きがありますの」
この場合の倍の開きというのは、勿論若者が少ないという方でのものだ。
「今漁業に従事している人間の多くが30代以上か20代に満たない男性ばかりだとか。ここでもし、何らかの問題が起きて彼らを失ってしまえば、我が領地の運営に少なからずの影響が出ることでしょう」
海という過酷な場所で仕事をしているのだ。
波に攫われたり海流に流されて遭難もあり得るし、この世界だと水棲の魔物なんかも人を襲う。
大抵の漁師が自分の子供に仕事を覚えさせようと一緒の船に乗せるだろうから、もしこれで船が沈みでもしたらその一家は稼ぎ頭と後継ぎを一辺に失うことになる。
当然、領内での税収にも影響は出てくるため、そうならないようにアイリーンは漁以外の新しい産業を作ろうとしているわけだ。
「そういった点からも、何か新しい産業を生み出そうとここのところ他の村にも足を運んで話をしているのですが…」
ここで長く重い溜息を吐くアイリーンの顔は、ほんの一瞬前よりも一気に老け込んだような気がした。
「やっぱあんまり上手くいってないの?」
「三の村の方は幾分話に乗る気を見せてくれていますが、二の村の方は話だけは聞くといった態度のままです。まだ具体的な案が無かったというのもありますけど、それ以上に私が若いということと女だというのが信頼を得られていないようですわね」
恐る恐るといった感じで尋ねたパーラに、そう答えたアイリーンの自嘲交じりの笑みはどこか痛々しさがある。
この世界では女の漁師というのはまずいない。
明確な男尊女卑が効いているわけではないが、やはり力仕事は男のものという印象が強く、それ故に女が上に立つことを嫌がるのが漁師という人種だ。
領主であるアイリーンをここまで疲れさせる程度には、何かしらの問題のある話し合いになったと見える。
「何を言われたんですか?」
「『これまでも十分やってこれた。たった三年領主をやっただけの小娘が、下手にかき回して自分達の生活を壊すな』と。まぁ実際はもう少し持って回った言い方でしたけど、概ねそんな感じでしたわね」
「なにそれ!アイリーンさんは領主でしょ!?そんな言い方ってないよ!」
「ですから、概ねと言いましたでしょう?実際はもう少し…やや少し柔らかい言い方だったはず…」
その尻つぼみになっていくアイリーンの言いようから、パーラの言うことの方に分があるように感じるのは気のせいではないだろう。
恐らくアイリーンと話したのは二の村の村長あたりだと思うが、一平民が貴族に対して無礼な口を利くのはもってのほかだし、アイリーンは男爵であると同時に公爵家の令嬢でもあるのだ。
下手をすればこんな領地程度は軽く潰せるぐらいの権力がバックにいると知らなかったのか。
…まぁ知らなかったんだろうな。
あるいは、知っている上でアイリーンという個人を見て話をしていたと好意的に捉えることもできなくはないが、それでも俺の友人に舐め腐った態度を取ったということで心証は悪い。
おまけにあれだけ憔悴しきったアイリーンの姿を見せられてはなおさらだ。
ただまぁ、その二の村の人間の言うことも分からんではない。
今までも十分だった、だからこれからも変わらずやっていくというのは、見方を変えれば堅実な生き方を選んだともいえるだろう。
大きな変化を必要としないほどに安定した暮らしをしているのであれば、こういう考えは当然だ。
「しかしそうなると、アイリーンさんの話を受け入れてもらうにはやはりしっかりとした現実的な案が必要でしょうね」
「そうは言いますがね、アンディ。この領は昔から漁業を生業としていますし、それによって得られる税収も安定したものですのよ?何かいいきっかけでもないことには…」
そう言いながら、チラチラと俺を見るアイリーンの目には何かを期待するような思いがはっきりと見て取れる。
案を出せ、と。
約三年、恐らくアイリーンは他の村との話し合いを何度も行っていたはずだ。
だが上手くいかなかったのは、やはりいいアイディアに恵まれなかったからだろう。
土地柄、漁業以外での産業が育ちにくいせいで選択肢が狭まっているアイリーンにとって、これだと提示できるものがない、いわばカードが無い状態での交渉は大変なものだったに違いない。
カードがあるのに遺憾の意で済ませようとする日本の政治家には是非とも見習ってほしいものだ。
それにしても、新しい産業か。
俺達はまだここにきて一日経っていないから何とも言えないが、アイリーンがここまで悩んでいるのだから、簡単なことではないとは分かる。
そもそも、俺達は冒険者であってコンサルタントではない。
新しい産業をそうほいほいと思いつくような人種だと思ってもらっては困る。
まぁ思いついたけど。
「アイリーンさん、漁業以外での産業となると、俺が思いつくのはやはり農業になります。三の村では農業も行われているそうですが、ジンナ村や二の村の周辺に耕作に適した土地は多少でも無いものですかね?」
「当然私達も農業には最初に目を付けましたわ。ですが、この村の近くでは農地としては適した土地は全くありませんでしたの。それでも、以前宰相閣下から頂いた砂漠でも育てられる作物というものにも手を出してみましたが、やはり海の傍というのが壁となりますわね」
そう言えば以前、ハリムには砂漠でも育てられる農作物について資料を提出したことがあったな。
あの時はあくまでも砂漠という条件に当てはめて考えていたが、海の近くではやはりどうしても塩害がネックになるようだ。
植物というのは土中の栄養や水などを根から吸収するのだが、その際に土に塩分が多量に含まれていると生育に悪影響が出るし、最悪は枯れてしまう。
海の近くで作物を育てるのが向かないのは、風で飛ばされた海水が畑の土に染み込んでしまうからだと言われている。
結局、この塩害に阻まれているせいで、この領地では農作物は三の村でしか作れないとなっているわけだ。
「うーん……そうなると、もう後は観光業ぐらいしか思いつきませんね」
「無理でしょう、それは。我が領地ながら、この辺りでは目玉になりそうなものはありませんもの。強いて言えば近くを流れる大河ぐらいですけど、それもこの領地だけでしか見れないわけでもないですし」
地図上でちらっと見ただけだが、ジンナ村と二の村の間に跨るようにして海にそそがれるこの大河は、源流を遡ると砂漠を縦断して北東の山にまで伸びていく。
その長大さから他の貴族の領地でも大河自体を見ることはできるため、観光の目玉にするにはありふれていると言える。
観光資源としてはいまいちだ。
海を目玉にしたリゾートなんかも考えたが、その手の観光地はもう大手が存在しているそうで、後発でやっても軌道に乗るのはだいぶ先のことになる。
おまけに賭けの要素も大きく、人気リゾート地になるかどうかもわからないので、下手をすれば投資した分を丸々失う結果も十分にあり得る。
他を考えたほうがいいだろう。
打つ手無しかと腕を組んで唸り声をあげそうになった俺に、テーブルの上に置かれた昆布がその存在を主張したように見えた。
「…食でいくってのはどうでしょう?」
「食、ですか?それはつまり、美味しいものを余所へ売り込むということですの?けれど、この辺りで美味しいものと言えばやはり魚ですし、正直、目新しさのないもので税収の大幅増加とはいきませんわよ」
「目新しさという点ならうってつけのものがありますよ。これです」
そう言って俺は、テーブルの上に合った昆布に手を伸ばし、二人の目の高さへ掲げる。
この昆布をマルステル男爵領の特産物に押し上げれば、新しい税収になるかもしれないのだ。
結局、この土地にあるもので勝負する以上、やはり新たな海産物を外へ売り出すしかない。
観光もダメ、農業もダメとなると俺が思いつくのはグルメ立国ぐらいだ。
いや、立領か?
「昆布かぁ…。確かに誰も食べようとしなかった海藻を売りにすれば、話題にはなるかもね。でもさ、私もアイリーンさんもこの昆布の味を知らないんだよ?アンディを疑うわけじゃないけど、この昆布が本当に言うだけの価値はあるの?」
「パーラの言う通りですわね。海藻を売りにするというのは面白い考えですけど、果たして欲しがる人間がいるかどうか…」
「大丈夫だと思いますがね。ちょっと料理が得意な人間が昆布の味を知れば飛びついてきますよ」
二人が懐疑的なのも当然だが、俺に言わせれば一度昆布出汁を味わってしまった人間は金をいくらでも積んで昆布を買い求めるようになる。
調理方法も広めることで倍プッシュだ。
「ふぅむ……まぁアンディがそうまで言うなら考えてみましょう。ただし、まずは実際に食べてみてからですわよ」
「分かりました。ではそうですね……四日、いや五日後に昆布を使った料理をご馳走しますので、それまで待っててください」
「五日ですか?私は別に明日でも構いませんわよ」
「俺もそうしたいところなんですが、昆布の乾燥がまだまだのようなので、あと二・三日は様子を見たいんですよ。それに四日後には俺達も用事がありますし」
「どこかへ出かけますの?」
「実は今日の昼に漁師の人と会いまして、四日後の朝におもしろいものを見せてやると言われてまして」
「朝…ということはあれですか」
「アイリーンは知っているんですか?」
「ええ、勿論ですわ。私も赴任してすぐに見せてもらいましたもの。きっとアンディ達も驚きますわよ」
ウププという感じで笑みを堪えるアイリーンの様子に、一体どんなサプライズが用意されているのやらワクワクが止まらない。
朝の浜に来いというのだから、漁に関連した何かだとは思うが、一体なに引き網なんだ…。
今から楽しみで仕方ないな。
「そう言えばさ、私ちょっとここの屋敷の人から聞いたんだけど」
話しが一段落したタイミングを見計らったのか、パーラが不思議そうな顔でアイリーンへと声を掛けた。
「あら、流石はパーラですわね。もううちの者と仲良くなりましたの?」
「いやぁ、私は仲良くしたいと思ってるんだけど、向こうはやっぱりお客さんとして対応してくれただけだからね。まぁその内仲良くなってみせるよ」
今までも他の国や町を訪れて、パーラはそこに住む人間とすぐに仲良くなる、一種の才能というのを発揮してきた。
それはこの村でも同様で、一日経もたない内に、屋敷の人間に話を聞きだそうと活発に触れ合っているようだ。
「んで、聞いた話だとアイリーンさんてここに来てすぐくらいに、村を困らせてた魔物を倒したんだって?」
「……ええ、確かにジンナ村に赴任してから20日ほどでしたかしら?湾内を荒らしていた巨大な鮫型の魔物を蒸発させましたわ」
「巨大ってどれぐらい?」
「さあ?海中から飛び出た瞬間に消し飛ばしたので正確な大きさまでは。それでも魚影から見た感じでは恐らく15メートルはあったでしょうね」
その魔物が湾内を荒らしまわっていたということは、そこで漁をする人間を困らせていたということになる。
巨大な鮫ということで想像するのは、かつて地球でも存在していたメガロドンだろう。
全長は20メートルにも迫るほどの巨体であるメガロドンだが、こっちの世界でも魔物としての分類で見れば決して非常識な大きさではない。
居てもおかしくはないというレベルだ。
そんなものが悠々と泳ぎまわっていて、しかも魔物という特性から積極的に人間を襲うとなれば、領主としては討伐しないわけにはいかない。
「正直、あの頃は領主としての仕事が忙しくてイライラが溜まってましたの。そんな時に海に魔物が出たと聞いてつい飛び出してしまいましたわ。浜辺に着いた途端、いい具合に目の前の海からその魔物が空中に躍り出たので、自然と全力の火球を叩き込んでましたわ」
「それでさっきの蒸発という言葉で表現したんですね。恐らくその魔物は海面から浜辺に立つアイリーンさんの姿を見て襲ってきたんでしょう。領主の身で随分無茶をしましたね」
「むしゃくしゃしてやりましたわ。反省はしていますけど後悔はしていません」
キレる若者そのものだな。
その時レジルが来ていたら大目玉を食らっていたに違いない。
だがアイリーンが村に迫っていた脅威を取り除いただけでなく、その魔術の力を見せつけたことはある意味では正解だったかもしれない。
その頃は急に現れた領主に対して、ジンナ村の人達も距離を測っていた時期だっただろう。
魔物の討伐と強大な力の披露をもって、村人はアイリーンに対して尊敬や畏敬と言ったものを覚えたはずだ。
それらの感情は度が過ぎれば問題だが、今日一日見て回った村の様子から、その後の統治もしっかりとしているようで、いい具合に領主として認められていると見た。
巨大鮫を倒した英雄としての尊敬と、無体を働かない善政への安堵さえあれば、アイリーンは十分やっていけることだろう。
あとは新規産業をどうにか軌道に乗せれば完璧だが、まぁそこはアイリーン次第だ。
俺はちょっと背中を押すぐらいしかできないが、それでも変な失敗はしないように協力していきたい。
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