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昆布、採ったどー!

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アイリーンが領主として暮らしているであろうこの屋敷は、中に入ってみると外から見た印象よりも、実際は大分天井が低いものだった。
全体の雰囲気は、少し年代が積まれた洋館と言った感じでそれなりに気品はある。

外から見た時は分からなかったが、どうやらこの屋敷は二階建てのようで、横の広さはともかく、延べ床面積で見ればそこそこ広いといっていいのかもしれない。

今は男爵とはいえ、公爵家の令嬢であるアイリーンが暮らす建物なのだから、もっと大きな館でも釣り合うと思うのだが、この屋敷の経年劣化の具合を見ると、恐らく元々ここを治めていた代官の使っていたのにそのまま住んでいるといったところだろう。

驚いたのは、中に入って感じた涼しさにだった。
勿論エアコンが利いているというほどではないが、外の焼けつくような暑さは、屋敷に一歩踏み込んだ瞬間、明らかに弱まったのだ。

この涼しさはソーマルガの城でも感じたものに近く、城に備えられたものよりも性能は劣るだろうが、冷房用の魔道具がしっかり利いている証拠だ。
そこらの下級貴族は冷房用の魔道具ではなく、雇った魔術師による風魔術で涼を得ているはずなので、これは恐らく実家からの支援で揃えたものなのかもしれない。

屋敷の応接用と思われる一室に通され、そこで待っていたレジルとパーラが再会の挨拶を交わす。
俺は半年前に会っているので感動は薄いが、パーラは実に数年ぶりということで、まるで田舎の祖母に会いに来た孫といった感じの喜びようだ。

挨拶を終え、俺達は早速アイリーンの近況を尋ねる。
一応皇都でも事情を知っている人間から話はある程度聞いていたが、それも領外から見た情報であるため、こうして実際に領地にいる人間、それもアイリーンの近くで使えるレジルならではの話が聞きたいものだ。

知っていて言える範囲でという前置きはついたが、ゆっくりとレジルは語りだした。

アイリーンがマルステル男爵領としてここを得たのは三年ほど前だが、実際に領主として赴任してきたのは二年ほど前になる。
この辺りの土地は元々王家直轄領であり、皇都から派遣されていた代官が治めていたのだが、この代官は一言で言ってしまえば無難な人間だったようで、特に産業を発展させることも衰退させることもないまま、領地はアイリーンに引き渡された。

新人領主であるアイリーンは、実家であるマルステル公爵家から借りた人材の助けを受けて領地運営を実地で学んでいき、最近は大分領主としての振る舞いにも随分慣れてきたのだとか。
元々貴族令嬢としての教育は受けているが、それとは別物である領主としての勉強は一からとなるため、今もアイリーンは借り受けた家臣団とレジルによる特別な領主促成カリキュラムでしごかれているらしい。

マルステル男爵領は今いるこの村を含め、ここから南東の海沿いに一つと内陸の北西側に一つの計三つの村を抱えている。
現在アイリーンはこの海沿いのもう一つの村へと視察へと出ているために不在となっていた。
まだまだ若いアイリーンはフットワークも軽く、領主としての信頼を築くためにも頻繁に村々へと足を運んでいるらしい。
領主として充実した日々を送っているのがよく分かる

さて、アイリーンの近況はこれで凡そわかった。
次に気になるのは、やはり目の前にいるレジルのことだろう。

アイリーンがこの地に来たのは三年ほど前。
しかし俺は半年前にエーオシャンでレジルと顔を合わせていた。
ということは、レジルがここに来たのはその時以降ということになる。
その時にもこうして話をしてはいたが、アイリーンが爵位を得たことを喜ぶとともに、きちんとやれているのかという不安も口にしていた。

あの時は呼び出されればすぐにでも飛んでいくといった様子のレジルだったが、こうしてマルステル男爵領で再会したということは、アイリーンが呼び寄せたということなのだろう。

「レジルさんは半年前からこちらにいたんですよね?」
「はい。丁度アンディさんがエーオシャンにいらしたすぐ後のことになりますか。私宛にアイリーン様から直筆のお手紙を頂きまして、屋敷の管理と使用人の教育係にと、お呼びに与った次第です」

レジルはエーオシャンであれだけのホテルの支配人を務めるほどの敏腕経営者だ。
このぐらいの屋敷の管理ならば、何の問題もなく役を果たせるはずだ。
おまけに今ではアイリーンの領主育成にも手をつけているようなので、貴族の教育係だった経験は遺憾なく発揮されているのかもしれない。

しかし、使用人の教育係もとはどういうことだろうか?

「教育係も?でもここの屋敷で働いていた使用人なんかはもういるんじゃないんですか?」
「勿論おりましたよ。ですが、その方達はあくまでも以前までいた代官の身の回りをするという役割を与えられていたにすぎません。分家とはいえ、マルステル公爵家に連なる貴族の下で奉仕する者の振る舞いとしては少々欠けたものがあったのは明らか。そこで、私が手づから教育を施し、アイリーン様に相応しい使用人に育て上げました」

淡々とそう語るレジルだが、自分の施した教育には満足しているのか、その顔はどこか誇らしげだ。

なるほど。
恐らく、先程この部屋まで案内してくれた使用人の女性なんかがそうなのだろう。
既にレジルの教育を受けた後で、所作などは城で見かける使用人と比べても遜色ないほどにちゃんとしたものだった。

別に代官に仕える使用人がダメというわけではないのだろうが、アイリーンから見たこの屋敷の人間は、今後マルステル男爵を訪ねてきた貴族の人間を世話するのには不満があったがゆえに、教育係として信頼のおけるレジルを頼ったわけだ。

この辺りは公爵家で育ってきたアイリーンと、そのアイリーンを教育したレジルが使用人に求めるレベルの高さが普通の貴族家よりも厳しいからだとは思うが、それでも一年以上経ってからレジルに手紙を出したということは、領主としての仕事に慣れて余裕が出来たせいで、余計に気になったのかもしれない。

「こちらにはお一人で?あっちの宿の方はどうしてるんですか?」
「いえ、夫と共に参りました。宿の方はもう娘夫婦に任せてもいい頃かと思っておりましたので、アイリーン様のお手紙は丁度良い切っ掛けとなりました。今頃、慣れぬ差配に目を回していることでしょう」

ふっと微笑んでエーオシャンの方角へと目線を向けるレジルは、なんとも複雑そうな顔をしている。
娘夫婦に宿を任せたということに、自分の手を離れた宿と娘達を寂しく思っているのだろうか。

そう言えば、俺はレジルの旦那の顔を知らないな。
ちょくちょくエーオシャンには行っているが、それでも顔すらも見ていないというのは単にタイミングが悪かっただけか?

「その旦那さんは今どうしてるんですか?」
「あの人はアイリーン様の護衛として同道しています。元々騎士としての実力はかなりのものでしたので、護衛としては申し分ありません」
「でも、レジルさんの旦那ってことは、もう結構年なんじゃない?」

パーラめ、またいらんことを言う~。
年寄りの冷や水とも取られかねないその言葉を受けて、一瞬レジルの眉が跳ね上がる。

「…パーラさん、これでも私も夫もまだまだ現役の者に負けているとは思っていません。正直、この領内にいる誰よりも腕が立ちますし、騎士として護衛に立ち会った経験と実績の量からもうちの人が一番安心して任せられます」
「ア、ハイ」

ピシャリと言い放ったその言葉には強い信頼が含まれており、反論する余地がまるでないと思わせる凄みがある。
その気はなかったとしても、若くないことを揶揄する形になったパーラは、少々気圧されてしまったようだ。

「お二人はしばらくこちらに滞在なさるのでございましょう?よろしければ当館でお部屋をご用意させていただきますが」
「いいんですか?」
「ええ、勿論です。わざわざ訪ねていらしたアイリーン様のご友人を持て成すのは従者の仕事ですから。それに、この村には宿というものはありませんので」

まぁ普通に考えて、この規模の村で風紋船の航路にも入っていないとなれば、人もそう多くは訪ねてこないから、宿はやっていけないだろうしな。

こういった辺境の村なんかでは、宿の代わりに村人の誰かが自宅に泊めてくれたり、空いている家や小屋なんかを宛がうのが一般的だ。
俺達は飛空艇に寝泊まりするというのが選択肢としてはあるが、この館の環境は飛空艇のそれと比べても劣るものはないので、ここは折角の好意に甘えさせてもらおう。

「そういうことでしたら…」
『お世話になります』

パーラと声を揃えてそう言い、アイリーンの屋敷での寝泊まりが決まった。
後でアイリーンが帰ってきたら追認する形で宿泊の許可をもらうことになるが、まず断られることはないだろう。

部屋を用意するのに少し時間がかかるから、その間にこの村を見て回ることをレジルに提案され、アイリーンが帰ってくるのが大体夕方以降になるだろうということもあって、俺とパーラは少し屋敷を出てみることにした。

案内の人間をつけるとレジルに言われたが、それは断らせてもらった。
適当にブラブラと遊びまわるのに、親しくもない人間を同行させるのはちょっとどうかと思ったからだ。
それにどうせアイリーンが帰って来るまでの暇潰しなのだから、パーラと二人で適当に過ごしたい。

準備を終えて館を出ると、館を囲む塀に開いている門から中を覗き込んでいる村人の姿が目に付く。
何人かいるその村人達の視線は館の裏手に泊められている飛空艇に向けられており、どうもこの辺りではまだ珍しい飛空艇が気になっているようだ。

館を警備している門番が、特に追い散らすことをしないのは、恐らく敢えて好きに見せることで下手な混雑を作らないようにしているとかだろう。
顔を知っている村人相手なら、警備をガチガチに固める必要はないし、丁度いいことに最重要人物であるアイリーンが屋敷にいないこともこの対応に繋がっているのかもしれない。

門前に詰めかけている村人達の間を抜け、早速村へと繰り出した俺達の目指す先は、まず何をおいても海だ。
この土地のことを聞いた時から、俺は必ず手に入れると決めているものがある。
それを求めてここまで来たといっても過言ではない。

村の中を通り抜けた先にある浜辺へと着くと、まずは人の姿を探して少し歩きまわる。
海の方では飛空艇から見た光景のまま、何艘かの小舟が走り回っており、時折威勢のいい声が微かにこちらまで届いてくる。

日差しが照り付けるこの浜辺はまさしく南国なのだが、生憎気温が尋常ではないので肌を焼いたりしている人間はいない。
そういう習慣もないしね。

足元からの照り返しもなかなかエグイ中を暫く歩き続けると、前方に屋根だけの簡素な小屋の下で作業する村人の姿があった。
飛空艇を見にそれなりの人間が屋敷の方に来ていたが、ここにいる村人達は漁に使う網の修復の方を優先したようで、黙々と作業を行っていた。

俺達が近付いていくと気付いた何人かは顔を上げて一度こちらを見たが、すぐに手元に視線を戻した。
知らない人間ではあるが、特に興味も警戒も抱かずに作業に戻ったのは、恐らく俺達の見た目がまだ若いことと、武器の類を持っていないせいだろう。
何かあったら周りの猟師達が取り抑えてくれるという信頼も含まれていたに違いない。

実際、日々漁で鍛えられた筋肉を持つ漁師は、そこらの冒険者なんかよりもよっぽど腕っぷしは強い。
強さというものを見た目から判断する彼らからしてみれば、俺とパーラは生っちょろい若者と見えているはずで、暴れたら即叩きのめすという目算でもあったはずだ。

これで俺達が剣の一本でも身に着けていれば話は違ったが、村の中を歩き回るだけならいらないと、今の俺達は丸腰だ。

尤も、俺もパーラも魔術師なので、丸腰であろうと戦闘能力は依然高いままなのだが、それはあえて言うことでもない。
警戒心が薄れるのならそれでいい。

その中で、この場の代表者であろうと思われる一人の老人が立ち上がり、俺達の方へと近付いてきた。
老人とは言うが、顔に刻まれた深い皺と髪に髭にと全て白髪になっている様子からそう見ただけで、背筋はしゃんと伸びているし、袖のない服から覗く腕についたこぶのような筋肉は、まだまだ現役を思わせるだけの張りがある。
どうにもこの世界の人間は、老人になっても身体能力が衰えない法則が適用されている気がしてならない。

老人は一応出迎える姿勢を見せたが、屋根の作り出す影からは出ないで待つのは、やはりこの暑さの中には立ちたくないのだろう。

「あんたらあの飛空艇とやらで来た、領主様の客人ってやつだな?こんなところに来てもおもしろくないだろうに」

開口一番、自分達の土地を卑下するような言葉を吐く老人だが、不敵な笑みが滲むその顔には、こちらの返答次第でこの後の対応を変えると言われているようだ。
それにしてもこの老人、渋くていい声をしている。
漁師にしておくには惜しいほどだ。

「そうですかね?俺達は海のない場所から来ましたので、この景色だけでも十分楽しんでますよ」

俺自身はまったく海を知らないわけではないが、この世界では初の海ではあるし、実際内陸から来たわけなので嘘は言っていない。

「ふむ、内陸から来たならそういうもんか。まぁ海はどれだけ見ても無くならんから好きなだけ見ればいい。ここにはしばらく滞在するのか?」
「ええ、いつまでとは決めていませんが」

すると老人が一度海の向こう、水平線の彼方に何かを見るような目を向け、少しの間顎髭を撫でながら思案に耽った後に口を開く。

「ならそうだな……四日後だ。四日後の朝にまたこの浜に来てみろ。おもしろいものを見せてやる」
「四日後ですか。わかりました、是非お邪魔して見学させてもらいますよ」
「おう、楽しみにしてな」

そう言ってニィっと笑みを見せる老人の顔は、海賊も裸足で逃げそうなぐらいの迫力がある。
本人は笑っているつもりなのだろうが、見る人によっては威嚇されていると勘違いしそうなぐらいだ。

「あぁそうだ。ちょっとお尋ねしたいんですが、この辺りで昆布は採れますかね?」

海に来た大目的である昆布の生息を尋ねる。
これぐらいの歳なら昆布の在り処ぐらい知っているだろう。

「…こんぶ?そりゃどんな魚だ?」

首を傾げ、昆布を魚と勘違いする老人の言葉に、俺は頭を抱えそうになる。
そこからか、と。

「いえ、魚ではなく海藻なんです。茶色でこう…水中でゆらゆら~っとしてるやつ」

分かりやすいように、両手を挙げて全身を揺らめかせることで、海の中で揺蕩う昆布を体現してみた。
それを見てパーラが噴き出しているが無視する。
今は昆布が何かを知ってもらうのが先だ。

「あぁ、それだったらそこらの海で少し潜ればいくらでもあるぞ。なんだ、あんなものが欲しいのか?」
「(あんなもの…)ええまぁ」

考えてみれば、地球でも昆布やワカメなんかを食べるのは日本人ぐらいなものだという。
出汁を取るのにも調理して食べるのにも、昆布は日本食には欠かせない食材ではあるのだが、何せ見た目は茶色くてのぺっとしてるし、触るとぬるぬるも凄い。
普通の感覚なら食べようとは思わないだろう。
そう思うと昔の日本人はクソ度胸というかアホというか…、チャレンジャーだったんだな。

「だったら……あそこに岩場が見えるな?あの辺りにならあんたの言うこんぶってのがバカみたいにあったはずだ」

指さした先には、砂浜から僅かに海へ向かって突き出ている岩場があった。

「なるほど、あそこですか。…ちなみに昆布を採るのに許可を求めるならどなたになるんでしょう?やっぱり領主様とかですかね?」
「…あんなよく分からん海藻採るのに、一々許可なんかいらんだろ。誰も欲しがらんだろうし、好きにしたらいい。それに、ああいう海藻ってのは船の舵に引っかかって邪魔になるんだ。むしろ片付けてくれるってんなら感謝したいぐらいだ」

おやおや、これは有難い。
偏に昆布の価値が知られていないおかげなのだが、漁業権云々を気にせずに済むなら、これほど楽なことはない。
それに、俺は昆布が欲しい、漁師は舵に引っかかる海藻が邪魔となると、もしかしたらwin-winの関係が築けるんじゃないか?

「一応聞きますけど、舵に引っかかるのは俺の言った昆布ばかりなんですか?ちゃんと茶色くて滑りのあるやつですよ?」
「大体はそんなのばっかだ。まぁ他にも黒色とか赤いのとかの時もあるが、ほとんどはその昆布とやらだ。なにせ長さがあるもんでな、海面近くにまで伸びるのは特に引っ掛かりやすい」

確か昆布は一メートル越えはざらだし、長いのだと三メートルはいくと聞いたな。
ただ気になるのは、昆布は海水温の高い地域では生息しないというのもなにかで耳にしたこともある。

ソーマルガほどの高温地帯では海水温も当然高く、昆布が生きられる環境なのかという疑問がある。
そうすると、果たして彼らの言う海藻が本当に昆布なのかと少し不安になる。
これは実際に目で確かめた方がよさそうだ。

ということで、漁師達のいる小屋をいったん後にし、教えられた岩場へと向かう。
海に突き出ている一際大きな岩から身を乗り出して真下の水面を覗き込む。
海洋汚染というものとは縁遠いこの世界の海は、とんでもなく透明度が高い。
波の揺らぎ以外で視界を阻害する要素がないおかげで、海底で揺れる茶色い姿をしっかりと捉えることが出来た。

全体的に若干細身ではあるものの、見た感じでは昆布だと言っていい。
何故海水温の高い場所でも昆布が育つのか、疑問に思うことはあるが、もしかしたら俺の知る昆布とは違う別のものという可能性もある。

考えていても仕方ない。
ここはひとつ、目の前にある昆布をサンプルとして採取して、出汁がとれるかを調べなくてはならない。

「パーラ、俺今からあれを採って来るわ」
「え、大丈夫なの?結構深いよ、ここ」
「なぁに、これぐらいなら問題ないって」

一緒に水面を覗き込んでいたパーラにそう告げ、手っ取り早く服を脱ぐと、まるで我が家の階段を降りるかのように水面に向けて一歩を踏み出す。
実際、今いる岩場から水面までは2メートル弱、水面から海底までは多分3メートルぐらいのはずだ。
光の屈折の関係上、今見えている海面よりももっと深いかもしれないが、まずかったらすぐに戻ってくればいい。
これでも子供の頃は栗中のトビウオと呼ばれた男だよ、俺は。

海中目指して足から一気に飛び込み、すぐに頭を下へ向けると深く潜っていく。
あっという間に海底へと辿り着き、早速目当てのものへと手を伸ばす。
昆布というのは採ろうとする際には素手では取りにくいもので、普通は刃物なんかで根元を切ってしまうのだが、生憎今の俺達は武器の類をもっておらず、ナイフすら置いてきてしまっている。

なので、海底にあった石二つで昆布を挟み、互い違いの方向へ石を何度も動かす。
すると石が鋏のように作用して、荒く昆布を切り取ることができた。
これは子供の頃、よく近場の海で昆布を採った時に使った手だ。
もう何十年ぶりかになろうかという方法だったが、意外と体は覚えているもので、酸素が切れるまでもなく作業を終えて海面へと顔を出すことが出来た。

「ぶはぁっ…昆布、採ったどー!」
「おー」

昆布を持った右手を高く掲げ、手に入れたものを太陽の下に晒して見せると、パーラがパチパチパチと拍手をしてくれた。
うん、やっぱりちゃんと反応があるのは嬉しいよな。
出来れば今の俺の行動にはそれっぽいBGMが欲しいところだが、それはみんなの心の中に響いていると思っておこう。

海から上がり、体を乾かしながら早速昆布を調べてみる。
長さは一メートル半ほど、触った感じのくにゅくにゅとした感触とこの色味、どう見ても昆布以外の何物でもない。

「で、これが昆布?なんか見た目がちょっと…」
「まぁ見た目は、な。けどこいつから作れる出汁は絶品なんだ。干し肉とか骨なんかとはまた別な味わいがあってな」

昆布出汁は他のどの食材から作られる出汁よりもうまいと、俺は密かに思っている。
小難しい話をするとなんとか酸やらなにシン酸やらと、頭でっかちな能書きだけが積み重なってしまうので省かせてもらうが、旨味という第五の味覚を刺激する昆布出汁は地上最強だろう。

相対的に昆布出汁を生み出した日本人が最強ということになってしまうが、仕方ないね。

話は逸れたが、気になるのはこの昆布で果たして出汁がとれるかということだ。
異世界のものが地球のものと全く同じとは限らないことがこの世界ではよくある。

それを確認するためにも、この昆布は一度加工しなければならない。
さしあたって、まずは干すことから始めよう。
普通の日本人ならば、昆布を扱うには乾燥したものが基本となる。
生の状態でも出汁を取る方法があるのかもしれないが、生憎俺は干したものから出汁を取ることしか知らない。

そういえば、俺の地元では昆布をコンクリートの地面に並べて、太陽光に晒していたのを見たことがある。
あんな感じでいいのかと思ったが、ソーマルガの強烈な日差しにそのまま晒してしまって大丈夫なのだろうか?
……ま、いいか。
どうせ実験みたいなもんだし、失敗したらしたで次に生かそう。

ついでに水魔術で海水から真水を手に入れられるかも試したが、こちらはあっけなく成功。
しょっぱくもなく、普通に飲める水が出来上がる。
その際、真水とは別に、塩分濃度が非常に高い海水が残るのだが、ここから更に水分を取りだそうとすると、途端に魔力の消費量が跳ね上がるため、ある程度の水分を抽出したら残る海水は海に返したほうがいいだろう。

この高濃度の塩水を蒸発させたら塩を作れるだろうが、ソーマルガでは普通に塩が安価で出回っているので、かかる手間と時間を考えればやる必要性を感じない。

実験も一先ず終わり、目当てのものも手に入ったことで、一旦屋敷に戻ることにした。
昆布を干すのはレジルに頼んで庭の一角でも貸してもらえばいい。
断られたら村のどこか適当なところでやる。
どうせ昆布には誰も見向きもしないのだから、盗まれる心配もないし。




レジルに頼み込んだ結果として、普通に屋敷の庭で石畳がある場所を借りることが出来た。
客人の頼みはなるべく叶えるというのが使用人の使命であるし、なにより、使っていないスペースを貸すぐらいは手間でも何でもないため、容易に叶ったともいえる。

今はそこで昆布を乾燥中。
時折、様子を見に行く以外はノータッチでいられるので、楽なのは楽だ。

そして、海が夕陽に赤く燃えだした頃、アイリーンの到着が屋敷にいた俺達に伝えられた。
既にアイリーン一行は村の中に入っており、同行していた臨時の護衛や荷物持ちなどを解散させた足で屋敷へと向かっているそうだ。

俺達はレジルと一緒に屋敷の玄関先に並んでアイリーンの到着を待つ。
いきなり玄関先に俺達がいたら驚くだろうと思ってのことだ。
やはり再会にサプライズは必要だろう。

そうしていると、屋敷から伸びる村のメインストリートを歩いてくる大きな影が見えてきた。
ダチョウのようなシルエットの時点で、それは騎乗用の鳥であるガイトゥナだと分かる。
ラクダとガイトゥナの組み合わせの集団という時点で、あのガイトゥナがジェクトだということも気付いていた。

そう言えばジェクトとも久しぶりの再会になるのだったな。
顔を合わせたらしっかりワシャワシャしてやろう。

とうとう集団が屋敷へと到着し、ジェクトから一人の影がスルリと降りてきた。
目の前に立ったのは旅装姿の貴婦人という感じだが、顔を覆っている布から見える目だけで、十分にアイリーンだと分かる。

「アンディ…とパーラですのね?」
「はい。お久-…」

俺達の存在に気付き、どこかぼぅっとした声色でそう呟いたアイリーンは、顔全体を覆っていた布を取り払ってその顔を露にする。
さぁ感動の再会だと口を開こうとした俺達だったが、現れたアイリーンの顔を見て言葉に詰まった。

これはどうしたことだ?
俺の知るアイリーンは知性と意志の強さを体現したようなキリっとした顔立ちの美人だったはずだが、今目の前にいるのは頬にこけが見えて、疲労の極致といった様子の女性だ。

もしやそうなるほどに旅は厳しいのかと思ったが、一緒にいた護衛の人間達はそれほど疲れを見せていない様子から、他の要因によってアイリーンの今の状態があるようだ。

「あの、アイリーンさん…だよね?もしかして疲れてる?病気とかじゃないよね?」

先ず疑問を口にしたのはパーラで恐る恐るといった様子でアイリーンの体調を気に掛ける。

「ええ、別に病気などではありませんけど…何か変わりまして?あぁ、そういえば、ここの所忙し過ぎて少し痩せましたの。そのせいでしょう。フフフ…」

いや、どう見てもそんなレベルじゃないぞ、これは。
漏れた笑いも儚げなもので、放っておくと砂になって消えてしまうんじゃないかと危ぶんでしまったほどだ。

そのあまりの変わりように、俺は動揺を禁じ得ない。
一体何があって今の様子になっているのか。
ひとまず旅の疲れを癒すために、アイリーンは屋敷の中にある浴場へとレジルを伴って移動していく。

今、この屋敷にある浴場には、俺が魔術で沸かしたお湯が張られている。
レジルに聞くと、薪があまり採れないこの辺りでは大量のお湯を沸かすのはそうそうできることではないのだとか。
旅から帰ってくるアイリーンのために、風呂を沸かすことを申し出た時はしきりに礼を言われたぐらいだ。
あの礼には燃料を消費しないで風呂を用意できることに対してのものも含まれていたのだろう。

とにかく、あの憔悴したアイリーンが風呂で幾らかでも元に戻ってくれることを祈ろう。
今日までの話を聞くにしても、まずはしっかりとしてもらわなくては気になって仕方ない。
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