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妖怪「果物干し」

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「頼むよぉ~。貸してくれるだけでいいんだよぉ~。先っぽだけ、先っぽだけだから~」
「いやだから、ひと月は長いんですって。なんの先っぽですか。ちょ服引っ張らないでくださいよ。伸びちゃうでしょう」

飛空艇の貸し出しを断ると、ダリアがまるでタコかのように俺の体に縋りつきながら説得してきた。
研究者であるダリアにしてみれば、俺達の飛空艇を借りなければ研究が進まないという焦りを覚えているようだ。

俺達を呼び寄せたダリアの目論見としては、一か月ほど皇都に滞在してもらい、その間にいろいろと調べてしまおうとしていたのだろう。
だが俺達はアイリーンに会いに行くのがメインであり、皇都に立ち寄ったのはあくまでもついでのことだ。

なにより、あまり長いことアイリーンを放っておくのもどうかと思うし、友人との久しぶりの再会を楽しみにしてもいた。
ダリアの提案を受け入れるのはちょっと無理だな。

「じゃあさ、こうしたらいいんじゃない?」
「パーラ?」
「お、何か代案でもあるのかい?」

いつまでも服の引っ張り合いが続くと思われた中、それまで黙って見ていたパーラがおもむろに口を開いた。

「ダリアさんが必要なのは私達の飛空艇なんでしょ?で、アンディはアイリーンさんの所に行く移動手段が無くなるのが困る、と」
「概ねそうだな。もっとも、飛空艇自体が俺達の家だから、その点でも困るんだが」
「あぁ、それもあるのか。まぁ一旦それは置いて。とにかく、移動手段があればいいんでしょ?だったら簡単だよ。ダリアさんに代わりの飛空艇を貸してもらえばいいじゃん」

…おぉ、意外といい案じゃないのか?これ。
いわゆる代車―いや、この場合は代艇とでもいうべきか?預ける飛空艇の代わりに別のを借りるというのであれば、アイリーンの領地へと向かうのにも楽でいい。
流石にあの巨大飛空艇はむりでも、中型のを借りることが出来れば文句はない。

ダリアのこの熱意を感じてしまうと、無碍にはできない思い入れを抱く程度の仲ではあるのだ。
この代案が採用されるのであれば、飛空艇を預けてもいいだろう。
なにより、このままダリアが俺から離れてくれないというのがめんどくさいし。

まぁ難点を挙げるとすれば、借りる飛空艇の居住性が俺達の物よりも下である可能性が高いという事か。
貨客船として運用されていた俺達の飛空艇と、ただ飛ぶだけの機能を持った飛空艇ではその辺で違いはあるが、流石にあれと同等の飛空艇はまず望めないので、そこは我慢してもいい。

「パーラの案は中々いいと思うんですが、どうでしょう?」
「うーん…出来ないこともないだろうが、私の一存では決めきれないな」
「えー…?ダリアさんってここじゃ結構偉いんじゃないの?」
「飛空艇は国が管理・運用しているんだぞ?ただでさえ今稼働している飛空艇はそう多くないのに、その中から貸与するのを抽出するとなれば、私よりももっと上、それこそ宰相閣下辺りの許可がないと」

今のところ、飛空艇を保有しているのはソーマルガ一国のみだ。
他国とのアドバンテージになる飛空艇は、今のところまだまだ研究の途上にある最新鋭の魔道具と言える。
当然ながら厳密に管理されているであろうものを、そこそこ偉い地位にあるとはいえ、ダリア程度の裁量で貸与するというのは容易なことではない。

俺達の家とも呼べる飛空艇を預けるのだから、それぐらいはしてくれてもいいとは思うのだが、その辺りには色々としがらみもあるのかもしれない。
こうなったらハリムに直談判といこう。

「わかりました。じゃあその話は俺からハリム様に聞いてみます。ちなみに今日これからハリム様に会いにっても大丈夫ですかね?」
「いやいやいや、流石に今日はもう遅いぞ。明日、私がハリム殿と会う予定があるから、それに君達も同行するというのはどうだろう?」
「それは助かります。是非」

ダンガ勲章に付随している特権には、登城の際の手続きを大幅に免除するというのがある。
ハリムとの親交のある俺が面会を申しこめば、恐らくすぐに予定を空けてくれるはずだが、宰相というのは暇な仕事でもないので、元々の予定にあるダリアと一緒に行った方が向こうの手間にもならないで済む。
不意の訪問というのは、往々にしてストレスの元になるしな。

「あぁそうそう、君達は今夜の宿は決めているのかな?」
「いえ、これから皇都へ向かって空いてるところを探すつもりです」

飛空艇がメンテナンスに入る以上、俺達は皇都で宿を探す必要がある。
マルステル公爵家の屋敷に世話になるというのもありだが、流石に貴族の屋敷にいきなり押しかけて泊めてくれというのは憚られるので、セキュリティと値段で丁度良く釣り合いの取れる宿が見つかって欲しいものだ。

「ふむ、それなら私の家にこないか?広いわけでもないが、君達二人を泊めるだけの余裕はある。ソーマルガの外で飛空艇を運用している君達の話も色々と聞いてみたいな」

実に研究者としてのダリアらしい理由だが、俺達にしたらこれから街へ行って宿を探す手間を省けるので、申し出は有難く受けさせてもらう。

「それは有難い…パーラ、どうだ?」
「まぁ今から皇都に行って宿を探すのも面倒だしね。お言葉に甘えようよ。てことでダリアさん、お世話になります」
「ああ、お世話させてもらうよ」

そんなわけで、俺達はダリアの家に泊まることになったわけだが、皇都にあるダリアの家へ行ってみると、意外というかなんというか、こじんまりとした実に庶民的な家であった。
ダリアが言うには、普段寝に帰ってくるだけの家だし、一人暮らしにはこんなもので十分なのだとか。

簡単に食事を済ませ、三人での歓談中にメイエルが訪ねてきた。
なんでもダリアが俺達のことを伝えていたらしく、旅の話を聞きたくて押しかける形になったらしい。
手土産に酒と軽くつまめるものを持ってきたあたり、今夜は語り明かすつもりのようだ。

できれば明日のハリムとの面会に備えて早めに眠りたかったのだが、俺も久しぶりに会った二人との会話についつい酒に手を伸ばしてしまった。
気付けばダリアと飛空艇に関する技術的なことを色々と語っており、パーラの方はメイエルと波長が合ったのか、なにやらファッションに関する話題で盛り上がっていた。

結局、眠りについたのは夜もかなり遅い辺りだったと思う。
最後まで酒を酌み交わしていたダリアとメイエルを置いて、俺とパーラはそれぞれ宛がわれた部屋へと引っ込んだ。
籐のような素材で作られたベッドに倒れこむと、アルコールの力もあってか、すぐに眠気が襲ってくる。

明日はハリムとの面会の予定だが、主に交渉するのはダリアになると思うので、俺は気楽なものだ。
予想だと、かなり渋るハリムをいかにダリアが丸め込めるかという一戦となるはず。
インテリ側にいるハリムとダリアによる丁々発止のやりとりが少しだけ楽しみではある。







「構わんよ」

あっさりと…、そう、実にあっさりとハリムは俺達に飛空艇の貸与を許可した。
ここまでかかった時間、なんとわずか2分(体感で)。

ダリアと共にやって来た俺達を、ハリムは歓迎してくれた。
執務室へと通された俺達は、早速飛空艇の件を切り出し、その結果がいっそあっけないと言えるほどの貸与許可の承認であった。

「流石ハリム様!聞いたな、アンディ君!あの飛空艇は私のものだぞ!」
「いや、あげたみたいに言わないで下さいよ。あくまでも一時的に預けるんですからね?」
「ではハリム様、私はアンディ君達に貸し出す飛空艇を手配しますのでこれで!」

一気にテンションが上がったダリアは早口でそれだけを言い残し、先程までのダルそうな動きからは想像もできないほど素早い身のこなしで執務室を飛び出していった。

「あ、待てダリア!報告がまだ終わ……ってないというのに」

引き留めようと伸ばしたハリムの手が、溜息と共に下ろされる。
往々にして、研究者というのはこれと見定めると周りが見えなくなる者が多い。
ダリアもその例に漏れないようで、一度もこちらを見ることなく去っていったその背中に向けたハリムの目には、諦めに似た感情が滲んでいた。

「済まんな。わざわざ来てもらって騒がしい目に合わせた。まったく、あれも興味のあることとなればああなるのが困りものよ」
「いえ、それはいいんですが、飛空艇の件は本当によろしかったので?ソーマルガではまだまだ稼働する飛空艇は少ないのだとか」
「…ダリアから聞いたか?それは一応機密なのだが、まぁお前達であれば構わんか。いかにも、まだまだ復元できた飛空艇の数は足りておらん。研究用と巡察隊に回す以外にも、最近では中型飛空艇を使っての交易も試しているのでな」

その辺りの事情は昨夜にダリアから聞かされていた。
主に研究用で宛がわれる飛空艇の数が足りないという愚痴ではあったが。

元々遺跡から持ち出せた飛空艇はちゃんと動くものがほとんどではあったが、それでも100%完全な機能を維持している機体というのは少なかった。
84号遺跡では俺も手伝って整備を試みたが、やはり異なる技術体系でとまどうこともあったし、パーツも共食い整備で調達したぐらいには足りていない。

皇都近郊の保管施設にどれだけの飛空艇があるかは分からないが、少なくともホイホイと個人に貸し与えるだけの余裕はないはずだ。

「とはいえ、お前達の飛空艇を貸せというのだから、代わりにこちらから飛空艇を一隻貸し出すのは道理だろう。…そういえば、お前達の飛空艇を借りる理由は理解しているか?」
「ダリアさんから聞きました。動力部を制作するのに参考にしたいと」
「うむ。今ソーマルガでは一から飛空艇を作り上げようとしていてな。一番複製に手間かかる動力部に関しては、色々な年代の飛空艇の動力部を解析している最中だ。その一環でお前達の飛空艇も欲しかったというわけだ」

ソーマルガは魔道具技術に優れているとはいえ、砂の上を走る船が最新鋭の国で一足飛びに空を飛ぶものを作り上げようというのだから、その苦労は並大抵ではない。
よく、技術の昇華は模倣から始まるなどと言われるが、より上位の技術というのはその解析だけで長い年月が必要とされる。
ものによっては年単位、それこそ何十年とかかっても不思議ではない。

そう考えると、ほぼコピーとはいえたったの三年弱で飛空艇制作を始めたこの国の研究者は、かなり優秀だと言えるのではなかろうか。

「貸し出す飛空艇は中型を一隻でよいな?流石に小型のでは長旅は窮屈だろう」
「そうして頂ければ助かります。あぁそれと、中型の方にバイクを乗せることはできるでしょうか?」

俺達のものに比べて、ソーマルガで見かけた中型飛空艇は大きさでかなり劣る。
正直、あの外見からは俺達の飛空艇の貨物室にある荷物やバイクを積めるだけのスペースはないだろう。
改めて俺達の飛空艇が航続距離、速度、積載量共にスバ抜けていると思い知らされる。

「あの魔道車か?やめておけ。元々中型の方はそれなりの荷物を積めるが、そのバイクを積んでしまうと、持っていける食料や水はかなり減る。それに、他の荷物もとなると、お前達の飛空艇のようにはいかんだろう」

中型飛空艇は、短距離の交易にも使える程度のキャパシティはある。
しかし、それでも所詮は中型。
食料やバイクに加え、日用品や交易品などを抱え込んでいる俺達の飛空艇の荷物を全部持っていくことはできない。

「やはりそうですか。…中型飛空艇を二隻借りる、なんてことは」
「できるわけがなかろう」
「デスヨネー」

小型の飛空艇を二隻ならあるいは…とも思ったが、それだと結局バイクは運べないし、結局長旅で必要な物資を積み切れないので、中型の飛空艇は必須と言える。

仕方ない。
バイクはここに残していくか。

中型の飛空艇は小回りもそこそこ利くし、幸いにも今の俺達には噴射装置という個人での移動を大きく助けてくれるものもある。
砂漠の大半を占める砂地であれば、バイクを完全に生かしきれない場面もあるだろうし、そのほうがいいかもしれない。

「あぁそういえば、あの巨大飛空艇はどうしたんですか?確か前はそこの湖に浮かべていたと記憶してますが」
「それなら今は海岸線で運用試験をしていたはずだ。航空母艦として海に浮かべての運用を試している。ほれ、前にアンディが言っていたあれだ」
「え、あれマジでやったんですか」

前に少しだけ口走った地球での空母というものを、まさか本当に再現してしまうとは。
巨大飛空艇は空を飛べるし、積載量も段違いなのだから、別に海に浮かべる必要はないと思うが、やはり人間の本能なのか、空に浮かびっぱなしよりも水の上での運用の方が安心するとかなのかもしれない。

「お前の話だけなら穴はあるようだが、一部の軍人からは一考の余地があると言われてはな。それと、あの飛空艇は『ウェフギ・ソーマルガ』という名前が着けられた。分類も航空母艦として、正式に記録してある」
『うぇふぎ?』

ソーマルガの部分はそのままわかるが、その頭についている単語には俺とパーラがそろって首を傾げる。
人の名前だろうか?
耳なじみのないその響きには、何やらエキゾチックさを覚えてしまう。

「ウェフギは古い言葉で旅や出発といったことを指すらしい。これでソーマルガの旅立ちという意味になるそうだ。まぁ発音がしやすい言葉とは言えんから、我らはソーマルガ号と短くして呼んでいるがな」

このウェフギ・ソーマルガ…呼びにくいので俺もソーマルガ号と呼ぶことにしよう。
巨大空母であるソーマルガ号には、多くの飛空艇の搭載が可能で、内部スペースにはかなりの余裕もあったはずだ。
口にしてはいないが、恐らく行政機能の一部を代行できるだけの設備も備えているに違いない。
でなければわざわざ国の名前を冠したりはしないはずだ。

色々と動いているソーマルガ皇国ではあるが、俺達が目下気にしていることとして、この地にいるもう一人の友のことをハリムに尋ねてみた。

「そう言えばエリーは元気にしていますか?学園にいってからは頻繁に手紙を出せないそうですが」
「ああ、特に問題があるとは報告を受けておらんな。友人も出来たそうだし、王女殿下は学園生活を満喫していることだろう」

今のやりとりからわかるように、実はエリーことミエリスタ王女殿下は今、学園に通っている。
ここでいう学園とは、当然ながら世界最高峰と称される学園都市ディケットのことだ。

去年で12歳を迎えたエリーは、王族として以外の立場を経験するということも兼ねて、学園へと通うことにした、と本人からの手紙が俺達に届いた。

俺達がシペア達と行動を共にしていた頃と、丁度すれ違うタイミングでエリーが入学したようだ。
できれば俺達がディケットにいる間に再会したかった。

「ディケットにはやっぱり飛空艇で?」
「うむ。流石にソーマルガ号は出せなかったが、中型1隻と小型3隻でお送りした。…ここだけの話、陛下は保有する艦艇全てを出すつもりだったらしい」
「…ディケットを占領するつもりですか?」

一瞬、数十隻ほどの飛空艇がディケットの空を埋め尽くしている光景を思い浮かべてしまう。
ただでさえ空を飛ぶ乗り物というだけで戦略的な価値があるというのに、数を揃えて進行なんかしたら示威行為の枠を超えてしまう。
それをさせなかったハリムは、見事にグバトリアを御したと言える。

「まぁ王族の入学にはそれなりの箔というものがいる。それを考えてのことだが、陛下は派手好きだからな。それに、今ディケットにはエッケルド殿下…この国の第一王子でミエリスタ様の兄君だが、あの方がおられる。今のソーマルガがもつ飛空艇という力を見せておきたかったのだろう。…勿論、他国にもという意図はあったようだが」

一瞬、エッケルドという名前に首を傾げそうになったが、それをすぐに察したハリムが注釈をくれた。
すんませんね、名前を覚えにくい質なもんで。

様々な国から入学者が集まるディケットには、貴族や豪商なんかが連れてきた護衛や使用人といった者も多く滞在している。
その中にはスパイなんかも混ざっているのは、恐らく公然の秘密なのだろう。
問題を起こすことはしないが、他国の情報なんかを集めるという目的がある彼らに対して、ソーマルガは飛空艇という未知で巨大な力を示すことで、外交におけるカードを手にしたことになる。

勿論、密かに飛空艇を知っている国というのもいないとは限らないが、今のところ飛空艇の存在を正しく掴んでいるとしたら、アシャドルの一部とソーマルガくらいだと俺は睨んでいる。
とはいえ、ソーマルガの空では、もう随分前から小型の飛空艇は飛び回っていたので、噂やスパイの情報などで、その存在をぼんやりとでも知って国は意外と多いのかもしれない。

そんな飛空艇ともなれば、たった4隻ではあっても破格の存在感を示せるというもの。
そういったものがいくつもあると知れば、ソーマルガを警戒して下手なちょっかいをかけてくることはなくなる。

未遂に終わったとはいえ、前にエリーは誘拐されかけたのだ。
学園に行ったらまた同じことが無いとはいえないので、そういう観点からも飛空艇の披露目は必要なことだったのかもしれない。

エリーが学園ではどうしているのかなんかをもう少し聞こうと思っていたら、不意にこの部屋を目指していると思われる激しい足音に気付く。
なにやら慌てたような気配も感じられたため、一応念のためにパーラに目配せをして、いざという時にはハリムを守るように気を構える。

若干の警戒感を抱きながら執務室の扉へ意識を向けていると、その扉が勢いよく開かれ、思わぬ人物が姿を見せた。

「ハリム!アンディ達が来ているそうだな!」
「陛下!扉はそっと開けるようにといつも申しておりましょう!」

ほとんど蹴破るぐらいの勢いで室内へと入ってきたのは、この国のトップであり、たった今話題にしていたエリーの父親であるグバトリア三世だった。
なるほど、接近してきた気配に対して警備の兵が対処しなかったのは、その正体が国王だったからか。

普段からこんなド派手な入室をしているのか、苦言を呈するハリムにも慣れた様子だ。
そんなグバトリアが室内のソファに腰かけると、俺達もそちらの方へと自然に集まる。
ここまでずっとハリムの執務机を挟んで立ったまま話していたため、やっと座れたことで少し気が緩みそうになる。

「まったく、なぜ来ていることを俺に教えないのだ。会って話したいことがあったのだぞ」
「陛下にはそのような暇はございませんでしょうに。お頼みした書類への署名はお済なのですか?」

呆れたようにそう口にするハリムは、一国の王であるグバトリアに対して冷めた目を向けている。
その様子は恐らく、仕事を頼んだはずのグバトリアがそれを放り出してここに来たことを見抜いたのだろう。

「いや、お前それは…あれだ。あれだよお前…」
「あれとは?はっきりと言っていただかねば分かりかねます。あぁ、もしや、もう終られたので?だとしたら陛下の執務における能力を低く見積もっていた私の不徳でございますな。申し訳ございませんでした。次からはもう少しやり応えのある仕事を回すように致しましょう」
「よせ!あれ以上はだめだ!死んでしまう!」
「ご安心を。書類仕事で人は死にません」

日本には過労死というのがあってだな…まぁこの話はしなくていいか。

悲痛な顔で訴えるグバトリアをズバっと切り捨てるハリムが浮かべるのはとてつもなく冷めた目だ。
謝罪こそ口にしてはいたが、あれは皮肉を何重にも折りたたんでグバトリアの胃袋に叩き込んだようなものだ。
その辺りから、普段のグバトリアがいかに仕事をしていないかが逆によく分かる。

「差し出口を挟むようで恐縮なのですが、陛下は俺に何か用があってきたのでは?」

ネチネチとハリムに攻められるグバトリアが多少は哀れに思えたこともあるが、それ以上に放っておくといつまでもこのじゃれ合いを見せつけられることになりそうなので、さっき口にした話したいことというのを促してみる。
するとそれを助けと見たのか、グバトリアが表情を明るくしてこちらへと向き直った。
なお、ハリムが今にも舌打ちをしそうな顔を浮かべたのは見なかったことにする。

「おおっ、そうだそうだ。ん゛ん゛……アンディよ、先の出産祝いはよきものを貰うた。王として、また一人の父としてもそなたに感謝を」

打って変わって王としての空気を纏い、俺に対して感謝の言葉を告げたグバトリアからは、流石は現役の王だけあって滲み出たオーラが圧力のようにして俺達を襲った。
一瞬前までの情けない姿を見ていただけに、一瞬の間に別人にすり替わったと言われても納得してしまうほどだ。
そのあたりの切り替えの上手さにこの男の器の大きさを窺わせる。

グバトリアが言う出産祝いというのは、側室のエインリアが無事に子供を産んだことへのお祝いとして送ったもののことだ。
エインリア本人とは面識はないが、エリーが自分に弟か妹ができると嬉しそうに語っていた時に、つい気軽に出産祝いのことを約束してしまった。

後から王族への祝いの品に下手な物を選べないと随分悩んだが、こうしてグバトリアが王の立場から礼を言ったということは、贈ったものに関しては満足してもらえたようだ。

ちなみに贈ったのは俺とパーラがヘスニルで集めた果物を使ったドライフルーツの詰め合わせだ。
ソーマルガでは見かけない果物を選び、水魔術と風魔術でフリーズドライと砂糖での脱水を組み合わせた非常に手間のかかった品となった。

味も保存性もこの世界の物と比べると格段に優れてはいるが、手間がかかりすぎるので、王族へのプレゼントとしてはいいのではないかとパーラからお墨付きをもらった。
パーラは海原何某並に食い物にはうるさいから。

「勿体なきお言葉。王家に新しい命が生まれるは慶事であります。その喜びの一助になれたのであれば光栄であります」
「うむ。…でだな、その贈り物に関したことで一つ頼みたいことがあるのだ」

普段ではまず口にしないレベルの畏まった言い回しで応えた俺だったが、鷹揚に一度だけ頷いたグバトリアがすぐにその雰囲気を先程までの気安いものへと変わると、本題を切り出してきた。
チラチラとこちらの顔色を窺う仕草は、いい年をしたおっさんがやっても可愛くはないのだが、それを口にするほど俺は国王というものを舐め腐ってはいない。

「お前達からもらった乾し果物があるだろう?あの乾し果物を作った職人を教えてもらいたい」
「…はあ、ですがあれは」
「いやわかる!あまり人に教えたくはないのだろう?あれほどのものを作り出すのだ、並の腕ではない。知れ渡ればたちまち人が殺到して品を手にできなくなるからな」

ビシリとこちらとの間を遮るようにして掌を向けながら声を上げるグバトリアだが、ちょっと俺の言葉を聞いてくれそうにない勢いがある。

「いえ、ですからあれは」
「だがそれを飲みこんだ上で仲介してほしいのだ。なんとしてもあれを手に入れなければ、俺はエインリアばかりかクヌテミアにも見向きをされなくなってしまう!もしその職人が望むなら俺が直々に召し抱えよう。なんなら爵位を与えてもいい。決して悪いようにはしないと約束する。だから頼む!」

……ははぁ~ん、読めたぞ。
どうやらあのドライフルーツはグバトリアの妻達の間で好評だったようだな。
それでグバトリアにもっと手に入れろとねだったか。
まぁ女性というのは甘味に関してはどこまでも妥協しないから。

それにあの言いようだと、多分手に入れるまで夜の方は相手にしないとか言ったのかもしれない。
愛妻家で知られるグバトリアにとって、それは何よりも辛いことだろう。
一国の頂点とはいえ、やはり男なのだな。
言動にわびしさが滲んでいる。

「陛下、あのドライフルーツ―乾し果物のことですが、あれは俺とパーラの手作りです。ですから職人なんていませんよ。強いて言えば俺とパーラがそうですが」
「なんだと!?…カレーといい、料理人としても腕があるとは聞いていたが、あれだけのものを手掛けるほどだったのか」

おや、グバトリアはカレーを知っているのか。
そういえば最近はソーマルガ国内では大分普及していると、昨夜にメイエルが言っていたな。
公爵であるジャンジールの屋敷に世話になっていた頃、そこの料理人に作り方を教えてもいたし、あるいはそっちのルートで城にも広まっている可能性もあり得る。
ならグバトリアが食べていたとしてもおかしくはないのか。

「料理の腕はともかくとして、あの乾し果物は魔術を使って作っていますので、恐らく全く同じものを作れるのは俺達以外にはいませんね。まぁ陛下ほどのお立場でしたら、魔術師を揃えて手掛ければ近いものは作れましょう。ただ、手間がとにかくかかりますから、一先ず四日後までには俺達で少量は用意しますよ。それ以降はそちらの方で作られてはどうかと。後で作り方を書類で纏めてお納めしましょう」

あくまでも前に贈ったのは出産祝いとしてなので、作るのに手間や費用を惜しまなかったが、流石に次からは相応の対価を貰うつもりだ。
それに俺達もそればかりに構ってもいられないので、あまり量も期待しないでもらおう。

「おお!そうか!有難い!はぁ~、これで今夜からは…」

安堵のため息とともにぼそりと呟かれたグバトリアの最後の方の言葉には、女の尻に敷かれる男の悲哀が滲み切っていた。
ますますもって男ってのは…と考えさせられる。

その後、ドライフルーツに関しての細かい話はハリムに調整を任せるということを告げ、グバトリアは上機嫌で部屋を出ていった。

「はぁ…。すまんな、お前達にいらぬ手間をかけさせることになる」
「いえ、陛下直々のお願いとあらば」
「乾し果物の件も、あれはあれで宮中の悩みではあったのだ。妃殿下方がもっと欲しいもっと欲しいと騒いでな」

うーむ、確かにあのドライフルーツは会心の出来ではあるが、王妃が揃って騒ぐほどの影響を齎してしまうとは、少しやり過ぎたか。

「いつぞやの夜などは、夕食時に出された果物をコッソリと庭で干しているクヌテミア様の姿を見た時は腰を抜かしかけたわ。しかも少し笑っておられた」

妖怪か。

こうなると作り方を城の料理人辺りに伝授して、安定的に王妃達の口に届くようにした方がよさそうだな。
王族の食い物のためなら、魔術師も揃えやすいかもしれないし。

まぁ当分は俺とパーラで作ったものを献上することになるだろうが、一遍に食べ尽くされないように周りの人間に調整させた方がいいかもしれない。

イレギュラーな頼み事が加わったものの、ひとまず俺達の飛空艇事情は何とかなる目星はついた。
後は実際に飛空艇を借り受けに行くだけだが、ハリムがその手の許可を出す書類を用意するのに一日かかるので、明日の朝にはダリアの下へ届けさせることを約束してもらい、俺とパーラは城を後にした。

この後は皇都の市場を巡り、手に入った果物でドライフルーツ制作に励むことになるだろう。
何せ明日までやることがないのだ。
今城を悩ませているドライフルーツ不足を幾分解消してやったほうがいい。
王と宰相にガッツリ頼まれてしまっては…ね。
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