世の中は意外と魔術で何とかなる

ものまねの実

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コット達の成長

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白一色の世界に彩りが戻り始める春。
雪が解けた街道を行き来する人が増え始めると、街も眠りから覚めたように活気を纏い始める。

冬の間、止まっていた物流も動きだすと様々な人や物がへスニルにも流れ込んでくるもので、あれほどガラガラだったギルドの依頼掲示板が数日で一杯になったのは、冒険者に春の始まりを告げるものだと言っていい。

俺とパーラも冒険者としての習性で、朝一番にギルドを訪れたらまず掲示板を見に行くのだが、この日はギルドに足を踏み入れた途端、待ち構えていたイムルに捕まり、ギルドの小部屋へと連行されて尋問に掛けられてしまった。

「それで、急にこんなところに連れ込んだのはどんな理由でしょう?」

四畳もない広さの小部屋に、テーブルを挟んでイムルと向き合い、パーラと並んで腰かけながらここへ連れ込んだ理由を尋ねる。
先程のイムルは不機嫌そのものと言った感じだったので、心当たりはないとはいえ、俺達が何かをしでかした可能性も排除しないでおく。

「あそこは人目が多いから、ゆっくり話したくてここを借りたの。ちょっと聞きたいことがあってね」
「イムルさん、それって私達二人に関係すること?」
「そうよ」

俺とパーラに関係したことで、イムルが個人的な感情をこうまで見せることとなれば、直近の出来事では一つしか思い当たることが無い。

「もしかしてコットさん達のことで?」
「まぁそうね」

実は少し前、コット達が槌猪を倒したことはへスニルのギルドでちょっとした事件として知れ渡っていた。
なにせ事情を知る人間にしてみれば、一度槌猪に襲われて心を挫いたと思われた駆け出しの冒険者が、僅か半年足らずでリベンジを果たしたというのだから、一体何があったのかと話題になるのも当然だ。

それと同時に、ギルドが調査中だった案件を横取りした形になったコット達の行動も問題となったが、あくまでも偶然遭遇した槌猪を倒したと言い張ったため、特にお咎め無しとなった。
だが一方で、イムルはギルド側の人間として、またコット達の保護者的立場から彼らのしたことを手放しに誉められないはずだ。

少し考えれば、イムルから情報を得たパーラに話を聞いたコット達が行動したということは予想できるので、冒険者としての規範と安全面から逸った行動をしたと責めるぐらいはするだろう。
しかも、コット達を鍛えたのは俺とパーラだ。
全く関係していないというのはいささか不自然だろう。

「…槌猪を勝手に倒したことに俺達が関係してるってバレましたか」
「あら、そう言うってことは全く関与してないってわけじゃないのね」

あれ?そのことに関する用で俺達をここに連れこんだんじゃないのか?
…これはもしかしたら、いらんこと言ったかもしれん。
仕方ない。
経験上、ここまで言ってシラを切るのは印象もよくないのでここは白状しよう。


~カクカクシカジカ~


「道理で…。おかしいと思ったのよ。あの子達の性格からして随分大胆なことしたと思ったら、アンディ君の入れ知恵だったわけね。おまけにそのことを追求したら三人とも白々しいとぼけ方して」

イムルの言う通り、獲物を横から掻っ攫うことにコット達はよく思わなかったし、そういう性格だということを知っているイムルだからこそ、コット達が槌猪を倒したのは偶然の遭遇からだったという根拠が問題なく信じられていたわけだ。

「入れ知恵とは人聞きの悪い。…まさかコットさん達が処罰されたりは?」
「それは大丈夫よ。あの子達のしたことは褒められたことではないけど、別にギルドの規約に違反したわけじゃないから」

それはよかった。
バレようがバレまいが、コット達のしたことはギルドの仕事を途中で掠め取ったことに変わりはない。
発案が俺からということもあり、もし何らかの処罰が下されるとしたら責任も感じるというものだ。

「まぁそれはいいのよ。いや、いいわけじゃないけど今は横に置いて。私がアンディ君達に聞きたいのは、コット達に仕込んだことについてなの」
「仕込んだ…って何がですか?」
「とぼけないで」

とぼけるもなにも、イムルが何を言いたいのかよく分からない俺はパーラと顔を見合わせて首を傾げる。
そんな俺達の様子に、イムルは一度大きく溜め息を吐き出してからゆっくりと話し始めた。
その内容はほとんど愚痴に近いものだったが、要点を纏めると次のようになる。

コット達が槌猪を倒したことでちょっとした話題として冒険者の間に名前が広まると、自然と色んな所から注目を集めていた。
熟練の冒険者からは意外とやる奴らだと見られているし、同ランク帯の連中からはライバル視されたりと、色々と周りの状況が変わっているそうだ。

そんな中、コット達が槌猪を倒したということ自体に疑問を持つ冒険者が出てきた。
曰く、『駆け出しの冒険者が一度倒された相手に半年も経たないうちに再戦して勝てたのはおかしい。何か後ろ暗いことをしているに違いない』とのこと。

その冒険者の気持ちもわからんでもない。
俺達はコット達が強くなろうと努力していたのを知っているが、そうでない人間にしてみれば突然強くなって槌猪を討伐したということに違和感を覚えるのは当然だと言える。

普通はそう思っても口に出さず、少し探りを入れたり情報を集めたりして自分なりの答えを得るのだが、その冒険者は随分短慮な人物だったらしい。
たまたまギルドにいたコット達に絡む形で槌猪のことを追求し、どういう風に話が進んだのかイムルには理解できないが、何故かコット達は件の冒険者に決闘を挑まれたそうだ。
なんでも、本当に槌猪を倒せるだけの力があるのか見せてみろとかそんな感じで。

全く持って言いがかりも甚だしいことだが、実力を重視する冒険者同士ならこういう形で相手を納得させることは日常茶飯事なので、コット達もその決闘を受けることにした。
だが問題はそこで起きた。

決闘なら普通は広い場所、ギルドでなら訓練場などを使うのだが、コット達はその場でいきなり決闘開始を宣言し、その冒険者を不意打ちで叩きのめしてしまった。
しかも、相手の目に塩を投げつけて行動を制限した上での勝利と言うことだ。
これはもう、明らかに以前パーラにされたことを根に持った手口だと言える。

「あれ絶対にアンディ君達の仕込みでしょ?前にパーラちゃんがやったみたいに、相手の準備する隙を与えないってのもそうだし、いきなり塩で目潰しなんて、駆け出し冒険者の発想じゃないわよ。そもそも前までのコット達じゃあんなこと思いつかないわ」
「まぁそうですね。コットさん達には実戦での目潰しがいかに厄介かを芯まで理解させたと自負してます。常に塩か唐辛子の粉末を携帯するようにと言った記憶もありますね」

模擬戦の中で足元の土は勿論、塩から酒にいたるまであらゆる目潰しをコット達に使ってきたため、訓練が一カ月もすればコット達も目潰しなど当然と言った感じで戦いに臨む姿勢になっていた。
卑怯な手を率先して使う、相手に使わせないという意識は三人に十分刷り込んだと言っていい。

「『卑怯な手は思いついたら即使え。相手に先に使われることを最も恐れろ』ってのがアンディの口癖だからね」

俺の言葉にパーラが注釈を入れ、コット達が使った手は俺達の教育の賜だということがはっきりとイムルには伝わった。
イムルが再び盛大な溜め息を吐くが、果たしてその意味するところは何なのか。
察するに、コット達が卑怯な手を躊躇わない性格になったことに対する嘆きかもしれない。

少し前まで駆け出しの冒険者相応の振る舞いをしていたコット達が、俺達の錬成によって泥臭い戦い方を身に着けたことで、黒四級には見合わない熟れた決闘の仕方をした。
弟分達の成長を喜ぶべきか、不意打ち上等なグレた思考に染まったことを悲しむべきか、そんなところだろう。

ともかく決闘は決着し、一応コット達はいらぬ疑いから解放はされたのだが、同時に卑怯な手を使うということで同ランク帯の冒険者からは白い目で見られるようになる。
反対に、上位ランクの者達からはコット達が見せた戦う前に勝つというスタンスが気に入られ、期待が籠った注目のされ方をしているという。

二通りの見方をされるコット達だが、これは偏に見る側の経験の差のせいだ。
卑怯な手を使って勝ったと悪い目で見るのは主に駆け出しか根っからの潔癖な者ばかりで、ある程度経験を積んだ人間にしてみたら、余計な手間を大幅に省いて決着させた手腕を高く買っているのだとか。

何より、コット達が使った手は相手の弱みや人質を握ったりしたものではなく、隙や不意を突いただけのだ。
自分から挑んでおいて防げないのは弛んでいるというのが大半の意見だろう。
それにコット達は卑怯ではあるが外道ではないのも評価されている要因だと思われる。

「そんなわけで、今コット達は色んなとこから勧誘を受けてるって状態ね。結構有望株に見られてるみたいで……メルリキアさんっているじゃない?あそこのパーティもコット達を引き抜こうとしてるらしいわよ」

面識はないが、メルリキアは黄二級の冒険者で、この辺りでは結構な大所帯のパーティでリーダーを務めている。
本人は筋骨隆々の大男でありながら、趣味が裁縫というメルヘンマッチョな人物として有名だ。
しかしその実力は誰もが認めるもので、ランクこそ黄二級に収まっているが、単独での戦闘能力は赤級に迫るとも言われている偉丈夫らしい。

おまけに自作の衣服を貧しい人達へ無償で提供している人格者としても知れ渡っていた。
実力・性格ともに優れた人物だというのが周りの評価だ。
唯一、見た目と趣味のギャップに戸惑うこともあるそうだが、まぁそこは特に問題ではない。

俺とパーラが二人だけでパーティを組んでいるのに対し、メルリキアは十人でパーティを組んでいるという、まさに大手と言っていい存在だ。
そんな所から勧誘されるとは、コット達も立派になったものだ…。

「んで、こっからが本題なんだけど、実際コット達はメルリキアさんのとことかでもやってけそうなの?あの子達を鍛えた二人の目から見た本当のところを聞かせて欲しいのよ」
「なるほど、それは確かに人の目が多いところではし辛い話ですね。個人情報も含まれてそうですし」

ギルド内で注目の的となっているコット達の話を大っぴらにし出すと、そこらで聞き耳を立てさせることになる。
イムルが気にしているのは、メルリキアのパーティにコット達が加わるとして、使い潰されたりしないかと言うことだろう。

パーティ内で付いていけずに引退ということは有り得ることで、コット達もメルリキア達のパーティでしっかりとした実力を示せなければ自信を無くしてしまうかもしれない。
こればかりは流石にイムルの個人的な心配事なので、贔屓ととられかねないこの相談を人目の多い場所で話さないのはいい配慮だったといえる。

「そういうこと。で、どうなの?」
「あの三人の連携はそこらのパーティと比べるとかなりのもんですよ。そのメルリキアって人がどういうパーティ構成をしているのかは知りませんけど、よっぽど変な組み合わせでもない限りは十分やってけるはずかと」
「私もアンディと同じ意見だね。実際実力的には黒級にしては破格だと思う。心配なのはドネンさんが寡黙なせいで周りに誤解されないかってことだけど、まぁそれも他の二人が上手いことやってくれるだろうから、心配しなくてもいいと思うよ」

実力的なことを言えば、個々の戦闘能力は黒級の域を飛び出すものではないが、三人合わされば白級はもちろん、黄級にも届くのではないかと思えるほどの強さを発揮する。
前衛後衛がきちんと揃って十全に機能している三人を、きちんと役割通りに運用すればどこのパーティでも問題なく仕事はしてくれるだろう。

パーティ内でのコミュニケーションに関しては、パーラが言うようにドネンが少し心配ではあるが、人当たりの良さで定評のあるシアがきっと何とかしてくれるに違いない。

「なるほど……二人共、ありがとうね。とりあえずそれだけ聞ければいいわ。このお礼はそのうち」
「いえ、大したことはしていないのでお気になさらず。しかしイムルさんも心配症ですね。コットさん達が他のパーティに入る時のことまで心配して俺達に話を聞こうだなんて」
「心配にもなるわよ。あの三人は私の姉弟みたいなものなんだから。あ、でも勘違いしないでよね!だからって他の人達よりも優遇したりなんかしてないんだから!」

ツンデレ乙。
俺も別にイムルが他をないがしろにしてまでコット達を優先するなどと考えてはいないが、思いついてすぐに改めて口に出すあたり、彼女も真面目な性格をしている。

「ところでそのコットさん達は今どうしてますか?」
「あぁ、あの子達なら今頃北門の修繕をやってるんじゃない?ほら、模擬戦用の武器の弁償でお金稼がなきゃならないから」

この時期、冬の間に壊れたり後回しにされた街中の設備の修繕を依頼が増える。
主に黒級の駆け出し冒険者救済のために、ギルド側が行政へ掛け合って張り出しているもので、春からの本格的な活動に向けての資金調達や、まだまだ雪の残る場所へと赴くのを嫌う冒険者などはこれを狙ってギルドに顔を出すことも多い。

仕事はハードだがいい金になるので、コット達も色々と入用の今、そっちに出向いているようだ。
それを聞いてパーラが不思議そうに呟く。

「…あれ?でも確か槌猪を丸ごとギルドに持ち込んでなかったっけ?結構いい値段で買い取ってくれたってシアさんから聞いたけど、まだお金が必要なの?」
「そういやそうだ。市場に流れたのを俺達も買ったけど、ありゃあ美味かったなぁ」

ふと先日、ヘスニルの街中で売りに出された槌猪の味を思い出す。
他の猪系の魔物なんかと比べると中々の高値で売られていたのを俺達も食べたが、和牛とも見まがうほどの上質な脂と蕩けるような肉質で、鍋にしたらべらぼうにうまかった。

あれほどのものならギルドも高値で買い取るのも十分に予想できただけに、今のコット達がなぜ賠償金の支払いに追われているのか首をかしげざるを得ない。
パーラと共にその辺りのことをイムルに目で尋ねてみると、なんとも呆れた様子でイムルが答えた。

「槌猪の査定なら私もその場にいたからコット達がいくら受け取ったか分かってるわ。でもね、あの子達ったらそのお金で他の冒険者にお酒を奢ったらしいの。それで弁償費用が無くなったってんだから、呆れるわね」
「えぇ…何やってんのよ」

それ以上言葉のないパーラの気持ちは俺も同じだが、コット達の行動は一概に悪いとも言えない側面がある。
槌猪の査定額の詳細は知らないが、俺が買った槌猪の肉の値段から考えると、決して低いわけがない額であり、それだけの金を一度に手に入れたとしたら、やはり他からの嫉妬は免れない。
そういうのを逸らすためにも、大金を手に入れた冒険者は誰かしらに酒の一杯でも奢るというのが慣例となっている。

とは言え、それもあくまでも幸せのおすそ分けという程度のものなので、自分達の取り分を大幅に減らすような金の使い方は普通はしないし、周りもそこまでは望まないものだ。
駆け出しの冒険者が大金を手にした場合の典型的なミスを、コット達も順当に犯していたわけだ。
まぁ俺も冒険者なりたての頃に手にした大金をバイク制作に丸ごとつぎ込んでいるので、コット達のことをあまり強く言えない。

そんなわけで、コット達は大金を手にしたにもかかわらず、金策に走るというなんともまぁお粗末な状況に身を置いていた。

金に関することで俺から彼らにしてやれることは今のところない。
見知った者同士であっても、いやだからこそと言うべきか、金のやりとりは非常にセンシティブな問題だ。
コット達が尻に火がついてミディアムレアにでもならない限り、こっちから援助を申し出ることはしてはならないのだ。

なにより、彼らは今自分達の手で何とかしようと動いている最中なのだから、わざわざプライドを傷付けるような申し出は必要ないだろう。

ひとまずコット達の近況も分かり、イムルの用も済んだようなので、場は雑談へと移行していた。
内容は主にコット達のことを含めた最近のギルドで起きた出来事を愚痴ったり、どこそこにできた新しい店に売っていた服が可愛いなど、パーラとイムルによる女子トークが主だったため、俺は少し居心地の悪さを覚えていた。

そんな俺の様子に気付いたのかどうかは分からないが、それまでの会話の内容からガラリと変わった話をイムルの方から打ち明けられた。

「そういえば冬になる前に聞いた話なんだけど、アシャドル王国でまた新しい遺跡が見つかりそうなんだって。知ってた?」
「いえ、初耳ですね」
「ていうか、見つかりそうってどういうこと?予言でもあったの?」
「あ、パーラちゃん知らないんだ。遺跡って文献とか口伝から大体の場所に当たりをつけて、詳しく調べて痕跡を見つけたら掘り返すってのが普通なんだよ。それでも痕跡すら見つけられないのが遺跡調査じゃよくある話なんだけど、今回は有力なのが発見されたから、遺跡もまず間違いなくあるだろうって」

その話は俺も初めて聞いたが、パーラに向けられた説明だったので、なんとなく俺は分かってる風で聞いていた。
だってなんか『アンディ君は当然知ってる』って感じの空気がイムルから感じられてしまったから。

「ほぉーん、そんなことが」

感心したように返事をするパーラだが、今一つ興味はないようだ。
まぁそれも仕方ない。
今のところ、遺跡で発掘されたもので一番のお宝と言える飛空艇を俺達が所有しているのだから、それ以上のものを想像できないパーラにしてみれば、遺跡が見つかったとしても関っ係ないねって感じだろう。
遺跡というもの自体にロマンを感じる人間はそれほど多くはない。

その時、突然部屋の扉が勢いよく開かれた。
ドバンッという感じで。
同時に、姿を見せたのはこのギルドで二番目に偉く、イムルの上司に当たる人物であるヘルガだった。

「イムル!」
「おわぁ!びっくりしたぁ…な、なんすかヘルガさん」
「なんすか、じゃありません!いつまで業務を放り投げているつもりですか!?もう窓口は全部動いてるんですよ!」
「え!ウソ!?す、すいませーん!すぐに行きまーす!二人共、ごめんねー!」

すごい剣幕で怒鳴られ、自分の仕事を思い出したイムルは風のように部屋を飛び出していった。
どうやらイムルは仕事を放って俺達と話していたようだ。
多少は他の職員がフォローできるとしても、あまり長い時間業務を空けてしまっては、このヘルガの怒りようも当然の物だろう。

「まったく、あの娘は…。失礼しました、お二人共。イムルは業務へ復帰しましたので、お二人もどうぞ仕事に戻ってください」

振り向きざまに完璧な笑顔でそうのたまうヘルガだが、先程までの姿とのギャップに戦慄を覚える。
出来る女との印象しかなかったが、今後は怒らせると怖いというのも頭に入れておいたほうがよさそうだ。

「は、はあ、ヘルガさんも大変ですね」
「ええ、まぁ。イムルも優秀ではあるんですけど、仕事に臨む姿勢にムラっけがあるというかなんというか…。この前も―」

いかん、失敗した。
何かのトリガーを引いてしまったのか、突然愚痴りだすヘルガは先程までイムルが使っていた椅子に座ってしまった。
日頃の鬱憤が溜まっていたのか、止まる気配のないヘルガに、場を外すタイミングを逸してしまい、隣にいるパーラ共々大人しく話を聞くしかなかった。





結構長いことヘルガの愚痴に付き合っていると、扉がノックされて開かれる。
今度は誰がと思いそちらへ目を向けると、困った顔をしたメルクスラが立っていた。

「失礼します。ヘルガさんはこちらに…いましたね。ヘルガさん、そろそろ業務に戻って頂きませんと書類が山になってしまいます」
「あ、あらやだ!ごめんなさい、つい長話しちゃって。すぐに行きます。二人共、お話を聞いていただいてありがとうございます。失礼しますね」

今度はヘルガがイムルの立場になったようで、メルクスラに呼ばれて仕事へと戻っていった。
そしてなぜか今度はメルクスラが残っており、ヘルガの出ていった扉を無機質な顔で見つめている。

「あの、メルクスラさん?行かなくてもよろしいので?」

なんだか放っておくといつまでもそのままな気がして、とりあえず仕事に戻ることをやんわりと勧めてみる。

「はい。私は今、休憩を頂いていますので。ヘルガさんを呼びに来たのは休むついででしたから」

なるほど、休憩ということならもしやこの部屋を使うのだろうか?
そういうことなら俺達が出ていく方がいいか。

「そうですか。…あの、俺達はもう行っても?」
「え、行くんですか?ここにくれば受付嬢の愚痴を聞いてもらえると伺ったのですが」
「え…」
「…え」
『え?』

いやいや、誰がそんなことを言ったんだ?
そもそもここにはイムルに連れられて入っただけで、別にギルドのお悩み相談室ではない。
愚痴っていたのもイムルとヘルガの二人だけで、なぜそんな話になっているのか。

…あ、なるほど、そういうことね。

イムルかヘルガがここで俺達に愚痴を話していたのを誰かが聞いたか見たかして、それが広まったのだろう。
こうしてメルクスラがいるということは、ごく短い時間で噂になったようだが、それだけ受付嬢も内面に溜まるものがあって、吐き出す場所を求めているからなのかもしれない。

いつもと変わらない冷静沈着が形になったような顔のメルクスラだが、その目には何か縋るようなものを感じる。
この目を見てしまうと、愚痴を聞かないで放り出すにはなんだか忍びない。

結局、メルクスラの休憩が終わるまで愚痴に付き合い、そしてその後に入れ替わるようにして現れる受付嬢の愚痴を聞くだけで一日を過ごしてしまった。
げに恐ろしきは、あのいつも笑顔を浮かべている受付嬢の内に溜まっていた鬱憤の多さだ。

どこどこの貴族が相場に合わない依頼を通そうとしてくるだとか、どこかから流れてきた冒険者が問題を起こすだとか、俺達が知らないところでギルド側も面倒なことを多く抱えていたのだろう。
それらを処理するのはギルドマスターやヘルガといったいわゆる偉い人達だが、最初に矢面に立たされるのは常に受付業務に就く人間であるため、中々心労も絶えないのだとか。
命を懸けて戦う冒険者も大変だが、それを相手する受付嬢も色々大変なようだ。

人の愚痴を聞くというのもあまり楽しいものではないが、いつも世話になっている受付嬢達が愚痴を吐き出してすっきりした顔で仕事に戻っていくのを見てしまうと、こんな日もあっていいかと思った。
流石に二度やりたいというものではないがな。

尚、途中で昼食を買ってくると言って抜け出し、それ以降帰ってこなかったパーラだけは許さん。
後で説教だ。







後日、受付嬢達の連名で俺とパーラを指名したお悩み相談室の開催を依頼されたが、丁重に断らせてもらった。

そういうのは専門の人間をそちらで用意してください。
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