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アンディ包囲網
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マハティガル王との謁見から五日程が過ぎただろうか。
その間、様々なことが起きた。
まず病床にあったマハティガル王が自室から出て、短い時間ながら謁見の間へと姿を見せることが増え、王の回復ぶりを臣下へと広く知らせることとなる。
また、それに合わせてヘンドリクスの病気による王位継承権の喪失とダルカンの立太子が大々的に国民へ伝えられた。
ヘンドリクスによる暗殺未遂事件など知らない国民はその突然の通達に困惑していたが、続いて発表されたダルカンの立太子を喜ぶことで、明るいニュースとして受け止めていた。
ただ、ダルカンが正式に次期王として認められはしたものの、王位に就くのは本人の年齢的にまだ当分先のことであることも併せて伝えられ、それで特別お祭り騒ぎにならなかったのはヘンドリクスの病気を心配するという気持ちも確かにあったからだろう。
これにより内外に対してダルカンの立場が固められたこととなり、宮廷内でダルカンを軽く見る人間は官僚・貴族どちらにもほぼいなくなったとネイは喜んでいた。
このほぼと言ったのは、ヘンドリクスに与していた貴族がまだ少なからずいるせいで、その一部の貴族は表向き恭順はしているが、心からダルカンへの忠誠を誓うとまではいかない。
とはいえ、彼らが持ち得る王族への忠誠は疑うものではないため、今後のダルカンの成長次第では味方になる目は十分あるそうだ。
しかしそれだと逆に敵対する可能性もあるわけだが、それならそれで外からダルカンに諫言をする人間がいるとも言えるため、決して悪くはないとのこと。
まぁどちらにせよダルカンが正しく王らしい王として成長すれば問題はないわけで、周りの人間が正しく導いてくれることを俺は祈るばかりだ。
ここ数日、俺は比較的穏やかな日々を送れていた。
王としての教育が本格的に始まったダルカンと顔を合わせる機会が減り、最近では主にネイかマティカと庭園で会って話をするぐらいで一日を終える、そんな毎日だ。
ある日、とある貴族家の使いの者がダルカンの庭園に訪ねてきた。
てっきりダルカンに用事かと思ったのだが、なんと俺に宛てられた茶会の招待状を持参してきた。
正直貴族のお招きが結構めんどくさいと思っているのだが、この使者は一応ナスターシャからの仲介を受けてここまで通されたそうで、少なからず恩のあるナスターシャの顔を立てて会うことにした。
茶会は城内のとある庭園で開かれるということで向かってみると、そこにはなんと妙齢の令嬢四人が待っていた。
てっきり招待状の送り主である貴族家のご令嬢が一人いるだけかと思ったのだが、それぞれ違う貴族家の令嬢が俺を出迎えたのは少々意外だった。
普通、茶会に参加する人間の名前は招待状に書いておくのがマナーなのだが、貰った招待状には一人の名前しか書いていなかった。
やんわりとマナー違反であることと他の三人とはどういう関係なのかを尋ねてみると、俺とのお茶会が開かれるということをどこかから聞きつけてねじ込んできたという。
この四人の令嬢はそれぞれ仲が良く、幼馴染といえる間柄だそうで、その縁で頼まれては断り切れなかったらしい。
申し訳なそうにしているのが茶会を催した本人で、ニコニコ顔を崩さない三人が後から追加された人間というわけだった。
まぁ元々ナスターシャの顔を立てて茶会に参加しただけなので、今更一人二人、三人増えようが大した問題ではない。
五人での茶会を了承し、庭園に設けられたテーブルについて談笑を楽しんだ。
彼女達は主に俺のことを聞きたがり、貴族家の令嬢が喜ぶ話題に疎い俺は少々困ったのだが、ねだられて話した冒険者として旅してきた話が受けて、当初の予定よりも茶会は長引き、意外と盛り上がった。
茶会が終わり、彼女達を庭園の外まで見送りに立ち、ふと思い浮かんだことを尋ねてみた。
それはなぜ俺なんかをわざわざ名指しで茶会に招待などをしたのかということ。
すると元々は主催者である令嬢の父親から勧められたらしく、正直普通のお茶会には飽きていたところに冒険者という初めて触れる職種に興味を持ったのだそうだ。
父親からの勧めには、俺との関係を深めてくることも含まれており、貴族でもないのに父親がこれほど気に掛けるとは一体何者なのかというのも気になったとのだとか。
また次に会う機会があれば、もっと話を聞かせてほしいと四人共に約束させられ、その場は解散となったのだが、一つ俺には解せないことがあった。
全く聞き覚えのない伯爵家がなぜ俺なんかを気にかける?
俺を通じてダルカンに近付きたいのなら、はっきり言って遠回り過ぎる。
伯爵クラスの貴族なら一冒険者である俺なんかを利用するより、ダルカンの護衛を務める騎士かネイ辺りに当たるのが一番手っ取り早い。
とすると俺自身が目当てかと思うも、では何故という疑問に戻ってくる。
気になった俺は王城内での唯一と言っていいダルカン以外のコネであり、尚且つ城中の情報を集めやすい人間を頼ることにした。
それは城の食糧事情を一気に担っている料理長だ。
厨房に出入りする使用人は貴族に警戒されることなく近付ける職業であり、他の使用人達とのネットワークによって色んな情報が手に入る。
頼んですぐに判明したのは、マハティガル王が俺に対して取り込み工作を企んでいるということだった。
なんでも俺をチャスリウスの人間にすべく、若い令嬢がいる知己の貴族にそれとなく情報を流しているらしい。
王が気にする人間ならと貴族が動いた結果、例の茶会が開かれたというわけだ。
まったく、余計な真似をとしか言いようがない。
なんで俺が貴族の令嬢の機嫌を伺うような真似をしなければならないのかと思えば、まさかこの国の王が動いているとは、話がでかいような小さいような、何とも言えない事態だ。
その後も何度か茶会のお誘いがあり、出向くと若い女性がいるというケースが頻発し、それに連日参加するということになってしまった。
招待状を携えた使用人の誰もがナスターシャの仲介を受けており、この時点でナスターシャもマハティガル王の企みに一枚かんでいるのだと気付くが、最初の茶会を受けてしまった以上、相応の理由なしに断ることはできないという立場もまたナスターシャの企みの内だと気付くと膝から力が抜けてしまった。
そんな感じで貴族との不本意な茶会に参加するおかげで、日毎不機嫌になっていくパーラをなだめるという苦行を強いられているのが今の俺の状況だ。
「お見送りいただきありがとうございます。アンディ様」
そう言って目の前で頭を垂れる少女はマリアといい、とある伯爵家のご令嬢だ。
今日はこのマリアと二人だけでお茶を飲んで雑談をするという、ただそれだけの時間を過ごした。
貴族の女性として正しくマナーを身に着けたマリアの礼は、決して形だけのものではなく、今日のお茶会が心の底から楽しんだという意思がこもったものだった。
時刻はもう夕方。
ナスターシャの手配で用意された城の一室を使わせてもらったわけだが、夕方になってお開きとなり、礼儀として迎えの馬車の前までこうして見送るために同行した。
城に併設されている馬車の停留所では二頭立ての立派な箱馬車が待機しており、恐らくそれがマリアの乗る馬車なのだろう。
こちらを見て恭しい礼を見せる年老いた馭者が傍に立っていることからもきっとそうだ。
「いえ、紳士としてお帰りする淑女を見送るのは義務ですから」
「まあ!ふふ、では私はアンディ様の目には淑女として映っているということでしょうか」
「もちろんです。マリア様は誰が見ても伯爵家ご令嬢として相応しい女性ですよ」
柔らかい笑みを浮かべながら、淑女と呼ばれたことを純粋に喜ぶこのマリアは、年齢がまだ12歳と幼い。
ここ最近の状況から外れず、彼女も俺との縁を深めようと送り込まれた子爵家の令嬢なのだが、幼さ故にか俺の話す何にでも感情豊かに反応する子供らしい仕草が好ましく、今日は久々に胃が重くなるような時間とは無縁のお茶会となったのはうれしい誤算だった。
「アンディ様にそう言っていただけて嬉しいです。…名残惜しいですが、お別れですね。本当でしたらナスターシャ殿下にもご挨拶さし上げたかったのですけど」
「仕方ありません。ナスターシャ殿下は急用で不参加となっておりますから」
そう言って残念そうにはにかむマリアは、年相応の無邪気さときちんとした礼儀作法が同居した、まさに今の年齢だけが持てる魅力を生み出している。
今日の茶会は主催がナスターシャということになっていたのだが、当の本人は急用ができたとかで不参加となり、二人だけの茶会だった。
ナスターシャ本人が最後まで姿を見せなかったため、招待の礼と別れの挨拶を直接交わせないことを気に病むあたりから、マリアの律儀な性格がわかる。
「お嬢様、そろそろ…」
馬車の前で話しこんでいたら、馭者の老人がマリアに乗車を勧める。
今のところ停留所には俺達だけだが、この後に馬車が来ないとも限らないので、あまり長く留まるのはよくない。
「わかりました。…ではアンディ様、またお会いできる時を楽しみにしております。今度は砂漠の遺跡のお話を聞かせて下さいね」
「ええ、また機会があれば」
来るかどうかは別として、機会があればソーマルガでの話の続きを約束し、馬車に乗り込んで去っていくマリアを見送った。
門から出ていったのを確認したところで軽く息を吐く。
これで今日の俺の予定はすべて消化された。
後はパーラを回収してそのまま家に帰るだけだ。
結局丸一日パーラを放っておいてしまったため、また機嫌が悪くなっていることだろう。
途中で何かうまい物でも食わしてなだめるしかないな。
そんな風に思っていると、突然背後から声がかかる。
「『紳士としてお帰りする淑女を見送るのは義務ですから』ねぇ~。アンディって自分で自分のこと紳士って言っちゃう人だったんだ。知らなかったなぁ~」
そのどこかネットリとした声に振り向くと、建物の陰から少しだけ顔を出してこちらを除いているパーラと目が合う。
「…お前何やってんの?」
「べっつにぃ。ちょっと散歩してたらアンディがいたから見てただけですけど何か?」
「いやちょっと散歩って、ダルカン殿下の庭園からここまでどんだけ離れてると思ってんだ」
いつもいる庭園からだと、この停留所までは大体城の端から端までぐらい離れている。
フラッっと歩いて来るには遠すぎる。
となれば、俺を目的にしていたということは間違いないとは思う。
「……細かいことはいいの!それよりネイさんが呼んでたから一緒に来て」
「なんだ、ちゃんと俺を探してたのか。ならなんであんなこっそり覗くような真似を?」
「な~んか女の子と楽しそうに話してたから邪魔しないようにしてただけ!いいからほら、行くよ!」
何をそんなにイライラしているのか、それだけ言ってすぐに立ち去るパーラを急いで追いかけ、その隣に並んで歩幅を合わせて歩く。
「なぁ、お前なんでそんな不機嫌なの?今日なんかあった?」
「何も!…アンディさ、もしかして貴族になるの?」
「はあ?なんでそうなるんだよ」
「だって最近ずっとお茶会に出てばっかじゃん。マティカさんはアンディがどっかの貴族家に婿入りするかもって言うしさ」
それでこの態度か。
確かに最近の俺を見てると、まるで地盤固めに走る政治家のようだったしな。
マティカが適当なことを言ってパーラを不安にさせたというところはあるが、じっくりと説明する時間を作らなかった俺の責任もある。
「そんなわけないだろ。俺がお茶会に参加してるのはナスターシャ殿下の顔を立ててなんだから、貴族家に婿入りなんて考えたこともねーよ」
「…だったらいいけど」
チロリとこちらを一瞥するだけですぐに前を向いてしまったパーラだったが、その横顔から先程までの不機嫌は解消されているようだ。
恐らくこいつの不機嫌さの元は、俺が貴族になることで自分が一人になることへの不安からくるものだったのだろう。
俺は別に貴族になるのが嫌というわけではないが、今は冒険者としての身分で満足しているし十分楽しいのだ。
パーラが心配するように冒険者を辞めてまで貴族になることは余ほどのことが無い限り有り得ない。
それこそどっかの貴族が暴虐を働いたのを止めて代官として就任して、といったことでもない限りは。
…これは決して振りではないので、本当にない。
パーラと共にいつもの庭園へと到着する頃には陽も大分落ちて、窓から差し込む濃い萱草色に照らされた植物達はまるで燃えているようだった。
そんな中、ダルカンや俺達が普段から使う椅子に一人座り、物憂げに外へと目を向けている女が一人。
中々絵になる光景だが、俺からすれば詐欺としか思えない。
ああしてただ座っているだけならネイも深窓の令嬢に見えなくもないのだが、これがつい先日、対人戦に慣れた傭兵十数人を剣一本でなます切りにしたという女傑なのだから、まったくもってこの世界では見た目で判断できないことが多すぎる。
「ネイさーん、アンディ連れてきたよー」
「ん…ふぁ~…っあー、やっと来たか。待ちくたびれて眠りかけていたよ」
パーラが声をかけると、先程まで確かにネイが纏っていたはずの繊細な空気は霧散し、欠伸を全開にしてこちらへと手招きをするいつも通りの姿があった。
さっきの絵になる姿はいったい何だったのか。
単に眠かっただけだとしたら、俺の目も曇ったもんだ。
「まぁ掛けたまえよ。…お茶でもどうだい?」
「いえ、俺は結構です。パーラは?」
「私もいいや。それより私達に話すことってのを先に聞かせてよ」
座ってまずお茶を勧められたが、俺はさっきまで茶会でたらふく飲んでいたので断った。
「そうかい?それなら先に話の方を先に済まそうか」
そう言って話し始めたのは、今のネイ達の状況と今後の俺達についてのことだった。
今のダルカン達は非常に忙しい時期を迎えている。
次期王としての立場が明確になり、色んな貴族と会う機会が増えたおかげでダルカンは休みなく毎日動いていた。
そんな中、時々空いた時間で俺やパーラと落ち着いた時間を過ごすことがあったのだが、それがダルカンにとって非常にいいリフレッシュとなっていたそうで、新しくダルカンの世話役として暫く俺達を雇うつもりだったという。
「ということは今はそのつもりはないと?」
「事情が変わったのだよ。実は君達を含めた我々の周囲に少々きな臭い動きが出てきた」
「きな臭い…まさか、ヘンドリクス殿下の一派が?」
ダルカンが忙しくしているのを好機と捉えて、まさかヘンドリクスの残党辺りがいらんちょっかいでも出してきたのだろうか?
「あぁ、いや違う。むしろそっちの方がやりやすかったというか…」
奥歯に物が挟まる言い方をするネイだが、その顔は心底参ってはいても危機的状況ではないと語っている。
例えるなら悪戯を仕掛けられて困っているような…。
そこまで考えてピンと来るものがあった。
「もしやナスターシャ殿下が関係しているのでは?」
「…凄いな、君は。よくわかったね。そう、そのナスターシャ殿下がちょっと面倒なことをしているのだよ」
実に簡単な推理だ。
というか、推理ですらない。
単純に今のネイを困らせる存在はそう多くなく、その中でこういう顔にさせる相手となれば消去法的にナスターシャ以外考えられなかっただけだ。
さて、そのナスターシャが一体何をしてネイを困らせているのかというと、実は俺にも関係していることだった。
マハティガル王の企みに乗っかる形でナスターシャが俺をチャスリウスに引き込もうと、どっかの貴族の令嬢とくっつけようとしているのは俺も突き止めている。
そのため最近急激に増えた茶会に俺は出向かされていたわけだが、それと合わせてナスターシャが裏で俺をチャスリウスの貴族にしようと動いているという。
「ネイさん、俺は貴族には―」
「わかっている。貴族よりも自由な冒険者がいい、だろう?前に君からそう聞かされていたから、私もこうして頭を悩ませているんだ」
「じゃあさ、ネイさんの口からアンディは貴族になる気はないってナスターシャ殿下にもはっきりそう言えばよくない?」
「いや、それが……話はした。したんだが、どうにも私は昔からナスターシャ殿下とは口での勝負にならないというか…」
ネイも決して口下手や駆け引きが苦手というわけではないはずなのだが、相手がナスターシャではやはり口先で丸め込まれてしまうというわけだ。
しかし困ったな。
このままではナスターシャの企みに乗せられてよく知りもしない貴族家の令嬢と結婚させられそうだ。
隣で急激に不機嫌になったパーラからの視線も痛くなってきたことだし、この話はなんとか回避したいところだ。
そうなると取れる手も限られてくる。
「まぁそんなわけで、アンディ君達はなるべく早くチャスリウスを離れたほうがいい」
「…そうしたほうがよさそうですね」
そう、一国の王族が搦手で企み事を仕掛けてきたというのなら、敵ごと策を粉砕するか尻尾を巻いて逃げるかの二つしか手はないため、今回はネイの言う通りチャスリウスから出てしまったほうがよさそうだ。
「出発はいつを考えてるんだい?」
「色々と挨拶もしなくてはなりませんから…。四日後でどうだ?」
「いいんじゃない?」
パーラにも確認をとるが、返事は軽いものだ。
茶会やらなんやらで忙しかった俺とは違い、時間のあったパーラには旅の準備を頼んでいたので、この反応を見るに問題なさそうだ。
「四日か…。よし、少し難しいだろうがダルカン様にもなんとか時間を作って頂こう。別れの挨拶ぐらいはゆっくりとしたいだろう」
「そうですね。お願いします」
こうして俺達は慌しく旅立つこととなってしまった。
ナスターシャのせいで、と言うほどには逼迫したものではないが、やはり旅立ちはもう少しゆっくりとしたものでありたい。
とはいえ、俺達もいつかはチャスリウスを離れる時が来たのだ。
それが少し早まっただけの話と思うことにしよう。
チャスリウスを発つことにした俺達は、世話になった人達への挨拶に動いたのだが、実際ここに来て知り合った人間というのはそう多くない。
飛空艇を置かせてもらったネイの所の人達に、短い時間ながらマンドリンの師匠をしてもらったエファク、あとは城の料理人と多少の使用人といったところか。
一日使ってネイの屋敷の人達との挨拶は済ませ、城の方はダルカンと会える時間が出来た時のついででいいかと思い、俺とパーラはその翌日にまずエファクを訪ねることにした。
エファクは今日も広場で演奏を披露していたが、いつもは一緒にいるひ孫であり歌い手でもある女性の姿がなく、マンドリンの奏でる音だけが辺りに響いている。
曲が一段落したのを見計らって声をかけると、エファクはまるで孫を迎えるような満面の笑みで俺達を呼び寄せてくれた。
歌がセットではないマンドリンに立ち止まって聞き入る人は少なく、少々物寂しさはあるが、近付く分には歩きやすくていい。
エファクの目の前まで来て話を切り出そうとする俺達だったが、エファクはまず久しぶりに俺のマンドリンの腕を見たいと言い出し、特に急いでいない俺達はその願いを聞く。
そう言えばとひ孫の姿がないことを尋ねると、なんでも今日は休ませているという。
このエファクが奏でるメロディーと歌い手の美しい歌声は、今やこの広場でも一二を争う人気の芸となっており、人々に請われるまま連日歌い続けた疲れも大分溜まっていたそうで、少し喉を休める時間をやったそうだ。
エファクが陣取っていた場所から少し下がった場所に、荷物置きと休憩所を兼ねた小さなテントがあり、そこへと招かれて早速マンドリンを手渡された。
歌のない、ただマンドリンを爪弾くだけの時間となったが、やはりエファクから見た俺の腕前はまだまだのようで、色々とダメ出しと指導を受けつつ、演奏の手を休めることなくここに来た目的を話していく。
「―と、そんなわけで、二日後にはここを発つんだ。それで世話になった人達にこうして挨拶回りしてる」
「そうかい、寂しくなるね。…あんたらには本当に世話になったよ。何か餞別をやらないとねぇ」
「いいって餞別なんか。俺達はそういうつもりで来たんじゃないんだ」
そう言ってエファクが自分の後ろに置いていた箱へと手を伸ばそうとするのを声で制する。
くれるというものは基本的に病気以外は何でも貰う質の俺だが、正直エファクの財政状況を考えると余計な出費をさせるのは気が引けて仕方ない。
それに、エファクからはマンドリンの演奏の指南から楽器本体までと十分なものを貰っている。
「けどねぇ…」
「じゃあさ、どうせなら餞別代わりにお婆ちゃんの演奏でもう一回歌わせてよ!」
餞別を断る俺になおも食い下がろうとするエファクだったが、横合いからパーラがそう言い放つのを聞き、エファクは訝し気な顔を浮かべた。
「私の演奏でって、そりゃあ構わないけど、そんなのが餞別でいいのかい?」
「いいのいいの!やっぱりお婆ちゃんの演奏で歌うのが一番気持ちいいんだもん!アンディ、いいでしょ?」
「ああ、勿論だ。…ってわけで婆さん、餞別に一曲頼んでいいか?」
パーラの申し出はとってもナイスとしか言いようがない。
餞別を受け取ってもらえないエファクと、受け取るのが心苦しい俺達の双方が満たされるそのナイスアイディアに、心の中で拍手を送りたい。
「ほっほっほっほっほ、それじゃあ久しぶりに一緒にやろうかね。アンディ、あんたも一緒に弾いておくれよ?」
「おう、そのつもりだったよ」
「曲はなんにする?私はやっぱり―」
演奏が決まったら次は曲を選ぶことになるのだが、今の俺とエファクが揃って演奏することができる曲と言うのは限られてくる。
何にしようかと話し合っていると、広場が少し騒がしくなっているのに気付く。
多くの人が集まっている場所柄、喧嘩騒ぎなんかはよくあることなのだが、伝わってくる声の感じはどうも違うようだ。
それどころか、荒々しい馬蹄の音まで響いてくると、これはいよいよ普通じゃないと思い、三人で広場の様子を伺いに行くと、そこには馬に跨って周囲を睥睨するネイの姿があった。
どこか緊張感の伝わってくる姿にどうしたのかと思い、手を挙げて振ることでこちらへの注意を引いてみる。
するとすぐに目が合い、ネイは馬からヒラリと飛び降りると、こちらへとすごい勢いで駆け寄ってきた。
その様子はこれまでの旅の間にネイが見せたどの姿よりも切羽詰まったものを感じさせ、自分の体がこわばるのを覚えた。
「ここにいたか!おぉ!エファク殿、ご無沙汰しております」
「これはこれは。ルネイ殿までいらっしゃるとは、今日は来客に事欠きませんな。ほっほっほっほ」
俺の姿しか見えていなかったのか、傍らの頭一つ下がった所にあるエファクの顔を見て、一旦落ち着いて挨拶をするネイ。
ネイが自分の元をわざわざ訪ねてきたとは思っていないが、それでも人が来てくれることをエファクは純粋に喜んでいた。
「お騒がせして申し訳ない。今は彼らに用がありまして……アンディ君、まずいことになった」
「まずいこと?まぁとりあえず落ち着きましょう。順を追って話してください」
初めて見るネイの焦った顔に、嫌な汗が背中を伝うが、とにかく詳しい話を聞かないことには始まらない。
「落ち着いているさ。迂遠には言わん…君達の出立のことがナスターシャ殿下にバレた。急いで旅立ったほうがいい」
いかにも悔しいといった顔でネイはそう口にするが、その言い様には首を傾げざるを得ない。
「バレるもなにも、俺達がチャスリウスを離れるのを秘密にしてたつもりはないんですが…なあ?」
「うん。今もお婆ちゃんに旅立ちの挨拶をしてたし」
別に大っぴらに言いふらしているわけではないが、それでも特段秘密にしているわけでもないので、ナスターシャが知ったとしてもおかしいことではない。
だがネイはかぶりを振るとため息を吐き、顔を寄せて小声で話し始めた。
「君達はそうかもしれないが、私はナスターシャ殿下になるべく知られないようにと動いていたんだよ」
「なんでまた」
「説明しよう。そっちの物陰がいいな。エファク殿も一緒に」
そう言って広場中から集まる注目を避けるように、人の目と耳が希薄な物陰へと俺達を誘うネイが今起きている事態の説明をし始めた。
かいつまんで言うと、ナスターシャが何やら仕掛けてきているからとっとと逃げろ、ということであった。
今、俺達がチャスリウスを離れる準備を進めていることがナスターシャに知られ、そのナスターシャが俺達、というか俺を引き留めるための工作を仕掛けようとしているとのこと。
なぜナスターシャはそこまでして俺を引き留めようとしているのかと言うと、やはりこれもダルカンのことを思ってのことだった。
立太子としての立場が決まったダルカンだが、真に側近と呼べる人間はまだまだ少ない。
そこで必要なのはダルカンと歳が近く、頭もそこそこ切れていざという時の護衛も務められる人間、さらにどこかの貴族の息のかかっていない、完全にフリーの人間なら尚良し。
そういう条件で人を探すと自動的に俺が目についたというわけだ。
中々高い評価をしてもらっているようで少し照れるが、そのせいで俺が国に縛り付けられるようなことになるとしたら全くありがたくない。
「ナスターシャ殿下はアンディ君をどうしてもチャスリウスに取り込みたいのだ。だが君は貴族ではないから、適当な貴族の女子とくっつけてチャスリウスの貴族とした上で、ダルカン様の傍仕えに据えようと画策していた。ここまではいいな?」
「連日のナスターシャ殿下仲介によるお茶会はそれが目的でしたからね」
一介の冒険者に過ぎない俺にとって、王族であるナスターシャから強く勧められては貴族相手の婚姻を断るのはやはり難しい。
あのナスターシャのことだ。
それも見込んであれだけの数の茶会を仲介したのだろう。
「恐らく、もう何人かの貴族を君に売り込んでから、婚約の話を持ち掛けようとしたと思うが…」
「その前に俺達がチャスリウスを発つと知った…」
「ああ。焦って荒い手に出たのを私が察知してここに来たというわけだ」
慎重に根回しをしていたことが仇となり、急遽旅立つことになった俺達に焦りを覚えたか。
そもそも今日から数えて二日後の出立となったのには、そういったナスターシャの動きに何かを感じたネイからの進言によるところが大きい。
そういう意味では、ネイはナスターシャの企みを読み切ったと言えなくもない。
「荒い手ってどういうの?言っとくけど、私達は逃げるって決めたらそうそう捕まんないよ?」
フフンと胸を張るパーラの言う通り、俺達はこの世界において飛空艇と言う何より優れた移動手段を持っている。
いかにチャスリウスの人間が馬術に優れていようと、空を飛んでしまえばまず捕まえられまい。
「だろうな。だがな、パーラ君。世の中には搦手というものが存在する。ナスターシャ殿下はそういう手段を得意としているんだ」
「具体的には?」
「一番簡単で有効な手段としては、税金の過少申告の嫌疑をかけて拘束してくるな」
んなバカな。
俺達は冒険者として、ギルドを通して依頼の報酬から税金を払うという形をとっている。
この世界での税金の過少申告と言うのは、貿易を生業としている大手の商人ぐらいしか起こりえないはずだ。
「何ですかそれ。俺達は冒険者ですよ?税金の過少申告なんて」
「灼銀鉱だ。君達はあれを自分達でいくらか確保しているだろう?あれを税金の対象として見るつもりなんだよ」
「…なるほど。確か、チャスリウスでは加工されていない鉱石をそのまま国外に持ち出す際には高い税金がかかるんでしたね?」
高山地帯に国を構えるチャスリウスでは周り中に鉱物資源が多く眠っているため、産出した鉱物は基本的に国内で加工し、インゴットなどにして国外へと持ち出される。
これは、自国で採れる鉱石の純度などを他国に知られないようにすることで、インゴットの値を自分達が操作できることと、優れた精錬技術によって鉱石から多種の金属を無駄なく抽出するためだと言われている。
今回、俺達はダルカンの試練達成のボーナスとして、ダルカンとネイに断って余分に持ち出した灼銀鉱を丸ごと自分達の懐に入れることを許してもらったのだ。
ダルカンが許したのだから、本来なら税金など払わずとも持ち出せるのだが、これはあくまでも内密に事を進めていたため、ナスターシャによって大っぴらに追及されてしまうと隠し通すにはつらい事案だった。
「ナスターシャ殿下はそこを突いて、君達に莫大な追徴金を課すはずだ。当然払えない君達はそれで一時的にでも身柄を押さえられ、その間にアンディ君をチャスリウスに縛り付ける策を実行するかもしれん。…いや、もしかしたらその追徴金をネタにアンディ君と貴族の女子との婚姻を持ち掛けるのもあり得る」
なんとも悪辣な、と思わずにはいられないが、それだけナスターシャも手を選んでいられないほどに時間がないと見える。
「とにかく、ナスターシャ殿下が本格的に動き出すよりも早く、君達はここを出たほうがい。時間をかければかけるほど、向こうの手が伸びてくると思え」
「分かりました。パーラ、出発の準備だ。飛空艇に急ぐぞ」
今はまだ昼にもなっていない時間帯なので、門を出入りする人に紛れれば街を出るのに止められることはないだろう。
「えぇー?お婆ちゃんの演奏で歌わないの?」
「バカ、それどころじゃないってわかるだろ。すまない、婆さん。ちょっとバタついたけど、俺達は行くよ」
「ああ、お行きよ。パーラ、歌はまた今度にすればいいさ」
「でもさー…」
ブーブーと渋るパーラは、やはり久々のエファクとのセッションに期待していた分だけ随分と食い下がっている。
とはいえ、本当にエファクと一曲という時間もないのは事実なので、不承不承といった体でバイクへと歩みを進めるパーラに俺も続く。
だが数歩進んだところで、バッと振り向き、背後にいる俺とネイに声をかけてきた。
「あ、ねぇねぇ。挨拶ってどうするの?まだ城の人達の分が終わってないけど」
「ん、そうだな……まぁ事情が事情だし、ネイさんに言伝ておくか。いいですか?」
「ああ、構わんよ。大っぴらに事情を説明はできんが、急ぎで出立したと伝えておこう。誰に言えばいい?」
別れの挨拶の代理役を快く引き受けてくれたネイに、伝える人の名前を言おうとしたところで、はたと思いとどまる。
ここでチャスリウスを離れるとすれば、ほとぼりが冷めるまではしばらく立ち寄ることはないのだ。
それならいっちょ派手にやってしまってもいいのではないか、という考えが浮かんできた。
ナスターシャのせいでちょっとキていたようで、そういうことを思い始めるとなんだか愉快な気分になってくる。
意趣返しというわけではないが、どうせなら度肝を抜くぐらいのインパクトを残してやりたい、そう思った。
まぁちょっとした混乱を引き起こすことになるので、ダルカン達にも迷惑がかかるとは思うが、それでもやらずにはいられない。
何せこれは、旅立つ俺達から、残る友であるダルカンへ向けたメッセージともなるのだから。
「あ、いや、ネイさん。少し待ってください」
「ん?なんだ、そんなに多いのか?なら道すがら紙にでも―」
「いえ、そうではなく。ちょっといいことを思いついたんですけど、協力してくれませんか?なぁに、悪いようにはなりませんから。…多分」
ついニタリとした笑みがこぼれそうになるが、なんとか堪えてネイに協力を要請してみる。
これから行うことには、ネイの協力が必要なのだ。
何とかして口説いておきたい。
「……君のその顔、ナスターシャ殿下が悪だくみをする時の顔にそっくりだ。そういう顔をして大ごとにならなかったことがないんだが…」
「え、そうですか?まぁちょっと城に混乱を招くことになるかもしれませんけど、不幸になる人間は出ませんよ。…多少苦労する人間はでるかもしれませんが」
「まったく、その言い方もよく似ている。ナスターシャ殿下が君を気に入った理由が、今はっきりと分かったよ」
深い、とても深い溜息を吐きながらこちらを見ルネイの目は、苦労を重ねた人間が醸しだす暗い色に彩られていた。
その間、様々なことが起きた。
まず病床にあったマハティガル王が自室から出て、短い時間ながら謁見の間へと姿を見せることが増え、王の回復ぶりを臣下へと広く知らせることとなる。
また、それに合わせてヘンドリクスの病気による王位継承権の喪失とダルカンの立太子が大々的に国民へ伝えられた。
ヘンドリクスによる暗殺未遂事件など知らない国民はその突然の通達に困惑していたが、続いて発表されたダルカンの立太子を喜ぶことで、明るいニュースとして受け止めていた。
ただ、ダルカンが正式に次期王として認められはしたものの、王位に就くのは本人の年齢的にまだ当分先のことであることも併せて伝えられ、それで特別お祭り騒ぎにならなかったのはヘンドリクスの病気を心配するという気持ちも確かにあったからだろう。
これにより内外に対してダルカンの立場が固められたこととなり、宮廷内でダルカンを軽く見る人間は官僚・貴族どちらにもほぼいなくなったとネイは喜んでいた。
このほぼと言ったのは、ヘンドリクスに与していた貴族がまだ少なからずいるせいで、その一部の貴族は表向き恭順はしているが、心からダルカンへの忠誠を誓うとまではいかない。
とはいえ、彼らが持ち得る王族への忠誠は疑うものではないため、今後のダルカンの成長次第では味方になる目は十分あるそうだ。
しかしそれだと逆に敵対する可能性もあるわけだが、それならそれで外からダルカンに諫言をする人間がいるとも言えるため、決して悪くはないとのこと。
まぁどちらにせよダルカンが正しく王らしい王として成長すれば問題はないわけで、周りの人間が正しく導いてくれることを俺は祈るばかりだ。
ここ数日、俺は比較的穏やかな日々を送れていた。
王としての教育が本格的に始まったダルカンと顔を合わせる機会が減り、最近では主にネイかマティカと庭園で会って話をするぐらいで一日を終える、そんな毎日だ。
ある日、とある貴族家の使いの者がダルカンの庭園に訪ねてきた。
てっきりダルカンに用事かと思ったのだが、なんと俺に宛てられた茶会の招待状を持参してきた。
正直貴族のお招きが結構めんどくさいと思っているのだが、この使者は一応ナスターシャからの仲介を受けてここまで通されたそうで、少なからず恩のあるナスターシャの顔を立てて会うことにした。
茶会は城内のとある庭園で開かれるということで向かってみると、そこにはなんと妙齢の令嬢四人が待っていた。
てっきり招待状の送り主である貴族家のご令嬢が一人いるだけかと思ったのだが、それぞれ違う貴族家の令嬢が俺を出迎えたのは少々意外だった。
普通、茶会に参加する人間の名前は招待状に書いておくのがマナーなのだが、貰った招待状には一人の名前しか書いていなかった。
やんわりとマナー違反であることと他の三人とはどういう関係なのかを尋ねてみると、俺とのお茶会が開かれるということをどこかから聞きつけてねじ込んできたという。
この四人の令嬢はそれぞれ仲が良く、幼馴染といえる間柄だそうで、その縁で頼まれては断り切れなかったらしい。
申し訳なそうにしているのが茶会を催した本人で、ニコニコ顔を崩さない三人が後から追加された人間というわけだった。
まぁ元々ナスターシャの顔を立てて茶会に参加しただけなので、今更一人二人、三人増えようが大した問題ではない。
五人での茶会を了承し、庭園に設けられたテーブルについて談笑を楽しんだ。
彼女達は主に俺のことを聞きたがり、貴族家の令嬢が喜ぶ話題に疎い俺は少々困ったのだが、ねだられて話した冒険者として旅してきた話が受けて、当初の予定よりも茶会は長引き、意外と盛り上がった。
茶会が終わり、彼女達を庭園の外まで見送りに立ち、ふと思い浮かんだことを尋ねてみた。
それはなぜ俺なんかをわざわざ名指しで茶会に招待などをしたのかということ。
すると元々は主催者である令嬢の父親から勧められたらしく、正直普通のお茶会には飽きていたところに冒険者という初めて触れる職種に興味を持ったのだそうだ。
父親からの勧めには、俺との関係を深めてくることも含まれており、貴族でもないのに父親がこれほど気に掛けるとは一体何者なのかというのも気になったとのだとか。
また次に会う機会があれば、もっと話を聞かせてほしいと四人共に約束させられ、その場は解散となったのだが、一つ俺には解せないことがあった。
全く聞き覚えのない伯爵家がなぜ俺なんかを気にかける?
俺を通じてダルカンに近付きたいのなら、はっきり言って遠回り過ぎる。
伯爵クラスの貴族なら一冒険者である俺なんかを利用するより、ダルカンの護衛を務める騎士かネイ辺りに当たるのが一番手っ取り早い。
とすると俺自身が目当てかと思うも、では何故という疑問に戻ってくる。
気になった俺は王城内での唯一と言っていいダルカン以外のコネであり、尚且つ城中の情報を集めやすい人間を頼ることにした。
それは城の食糧事情を一気に担っている料理長だ。
厨房に出入りする使用人は貴族に警戒されることなく近付ける職業であり、他の使用人達とのネットワークによって色んな情報が手に入る。
頼んですぐに判明したのは、マハティガル王が俺に対して取り込み工作を企んでいるということだった。
なんでも俺をチャスリウスの人間にすべく、若い令嬢がいる知己の貴族にそれとなく情報を流しているらしい。
王が気にする人間ならと貴族が動いた結果、例の茶会が開かれたというわけだ。
まったく、余計な真似をとしか言いようがない。
なんで俺が貴族の令嬢の機嫌を伺うような真似をしなければならないのかと思えば、まさかこの国の王が動いているとは、話がでかいような小さいような、何とも言えない事態だ。
その後も何度か茶会のお誘いがあり、出向くと若い女性がいるというケースが頻発し、それに連日参加するということになってしまった。
招待状を携えた使用人の誰もがナスターシャの仲介を受けており、この時点でナスターシャもマハティガル王の企みに一枚かんでいるのだと気付くが、最初の茶会を受けてしまった以上、相応の理由なしに断ることはできないという立場もまたナスターシャの企みの内だと気付くと膝から力が抜けてしまった。
そんな感じで貴族との不本意な茶会に参加するおかげで、日毎不機嫌になっていくパーラをなだめるという苦行を強いられているのが今の俺の状況だ。
「お見送りいただきありがとうございます。アンディ様」
そう言って目の前で頭を垂れる少女はマリアといい、とある伯爵家のご令嬢だ。
今日はこのマリアと二人だけでお茶を飲んで雑談をするという、ただそれだけの時間を過ごした。
貴族の女性として正しくマナーを身に着けたマリアの礼は、決して形だけのものではなく、今日のお茶会が心の底から楽しんだという意思がこもったものだった。
時刻はもう夕方。
ナスターシャの手配で用意された城の一室を使わせてもらったわけだが、夕方になってお開きとなり、礼儀として迎えの馬車の前までこうして見送るために同行した。
城に併設されている馬車の停留所では二頭立ての立派な箱馬車が待機しており、恐らくそれがマリアの乗る馬車なのだろう。
こちらを見て恭しい礼を見せる年老いた馭者が傍に立っていることからもきっとそうだ。
「いえ、紳士としてお帰りする淑女を見送るのは義務ですから」
「まあ!ふふ、では私はアンディ様の目には淑女として映っているということでしょうか」
「もちろんです。マリア様は誰が見ても伯爵家ご令嬢として相応しい女性ですよ」
柔らかい笑みを浮かべながら、淑女と呼ばれたことを純粋に喜ぶこのマリアは、年齢がまだ12歳と幼い。
ここ最近の状況から外れず、彼女も俺との縁を深めようと送り込まれた子爵家の令嬢なのだが、幼さ故にか俺の話す何にでも感情豊かに反応する子供らしい仕草が好ましく、今日は久々に胃が重くなるような時間とは無縁のお茶会となったのはうれしい誤算だった。
「アンディ様にそう言っていただけて嬉しいです。…名残惜しいですが、お別れですね。本当でしたらナスターシャ殿下にもご挨拶さし上げたかったのですけど」
「仕方ありません。ナスターシャ殿下は急用で不参加となっておりますから」
そう言って残念そうにはにかむマリアは、年相応の無邪気さときちんとした礼儀作法が同居した、まさに今の年齢だけが持てる魅力を生み出している。
今日の茶会は主催がナスターシャということになっていたのだが、当の本人は急用ができたとかで不参加となり、二人だけの茶会だった。
ナスターシャ本人が最後まで姿を見せなかったため、招待の礼と別れの挨拶を直接交わせないことを気に病むあたりから、マリアの律儀な性格がわかる。
「お嬢様、そろそろ…」
馬車の前で話しこんでいたら、馭者の老人がマリアに乗車を勧める。
今のところ停留所には俺達だけだが、この後に馬車が来ないとも限らないので、あまり長く留まるのはよくない。
「わかりました。…ではアンディ様、またお会いできる時を楽しみにしております。今度は砂漠の遺跡のお話を聞かせて下さいね」
「ええ、また機会があれば」
来るかどうかは別として、機会があればソーマルガでの話の続きを約束し、馬車に乗り込んで去っていくマリアを見送った。
門から出ていったのを確認したところで軽く息を吐く。
これで今日の俺の予定はすべて消化された。
後はパーラを回収してそのまま家に帰るだけだ。
結局丸一日パーラを放っておいてしまったため、また機嫌が悪くなっていることだろう。
途中で何かうまい物でも食わしてなだめるしかないな。
そんな風に思っていると、突然背後から声がかかる。
「『紳士としてお帰りする淑女を見送るのは義務ですから』ねぇ~。アンディって自分で自分のこと紳士って言っちゃう人だったんだ。知らなかったなぁ~」
そのどこかネットリとした声に振り向くと、建物の陰から少しだけ顔を出してこちらを除いているパーラと目が合う。
「…お前何やってんの?」
「べっつにぃ。ちょっと散歩してたらアンディがいたから見てただけですけど何か?」
「いやちょっと散歩って、ダルカン殿下の庭園からここまでどんだけ離れてると思ってんだ」
いつもいる庭園からだと、この停留所までは大体城の端から端までぐらい離れている。
フラッっと歩いて来るには遠すぎる。
となれば、俺を目的にしていたということは間違いないとは思う。
「……細かいことはいいの!それよりネイさんが呼んでたから一緒に来て」
「なんだ、ちゃんと俺を探してたのか。ならなんであんなこっそり覗くような真似を?」
「な~んか女の子と楽しそうに話してたから邪魔しないようにしてただけ!いいからほら、行くよ!」
何をそんなにイライラしているのか、それだけ言ってすぐに立ち去るパーラを急いで追いかけ、その隣に並んで歩幅を合わせて歩く。
「なぁ、お前なんでそんな不機嫌なの?今日なんかあった?」
「何も!…アンディさ、もしかして貴族になるの?」
「はあ?なんでそうなるんだよ」
「だって最近ずっとお茶会に出てばっかじゃん。マティカさんはアンディがどっかの貴族家に婿入りするかもって言うしさ」
それでこの態度か。
確かに最近の俺を見てると、まるで地盤固めに走る政治家のようだったしな。
マティカが適当なことを言ってパーラを不安にさせたというところはあるが、じっくりと説明する時間を作らなかった俺の責任もある。
「そんなわけないだろ。俺がお茶会に参加してるのはナスターシャ殿下の顔を立ててなんだから、貴族家に婿入りなんて考えたこともねーよ」
「…だったらいいけど」
チロリとこちらを一瞥するだけですぐに前を向いてしまったパーラだったが、その横顔から先程までの不機嫌は解消されているようだ。
恐らくこいつの不機嫌さの元は、俺が貴族になることで自分が一人になることへの不安からくるものだったのだろう。
俺は別に貴族になるのが嫌というわけではないが、今は冒険者としての身分で満足しているし十分楽しいのだ。
パーラが心配するように冒険者を辞めてまで貴族になることは余ほどのことが無い限り有り得ない。
それこそどっかの貴族が暴虐を働いたのを止めて代官として就任して、といったことでもない限りは。
…これは決して振りではないので、本当にない。
パーラと共にいつもの庭園へと到着する頃には陽も大分落ちて、窓から差し込む濃い萱草色に照らされた植物達はまるで燃えているようだった。
そんな中、ダルカンや俺達が普段から使う椅子に一人座り、物憂げに外へと目を向けている女が一人。
中々絵になる光景だが、俺からすれば詐欺としか思えない。
ああしてただ座っているだけならネイも深窓の令嬢に見えなくもないのだが、これがつい先日、対人戦に慣れた傭兵十数人を剣一本でなます切りにしたという女傑なのだから、まったくもってこの世界では見た目で判断できないことが多すぎる。
「ネイさーん、アンディ連れてきたよー」
「ん…ふぁ~…っあー、やっと来たか。待ちくたびれて眠りかけていたよ」
パーラが声をかけると、先程まで確かにネイが纏っていたはずの繊細な空気は霧散し、欠伸を全開にしてこちらへと手招きをするいつも通りの姿があった。
さっきの絵になる姿はいったい何だったのか。
単に眠かっただけだとしたら、俺の目も曇ったもんだ。
「まぁ掛けたまえよ。…お茶でもどうだい?」
「いえ、俺は結構です。パーラは?」
「私もいいや。それより私達に話すことってのを先に聞かせてよ」
座ってまずお茶を勧められたが、俺はさっきまで茶会でたらふく飲んでいたので断った。
「そうかい?それなら先に話の方を先に済まそうか」
そう言って話し始めたのは、今のネイ達の状況と今後の俺達についてのことだった。
今のダルカン達は非常に忙しい時期を迎えている。
次期王としての立場が明確になり、色んな貴族と会う機会が増えたおかげでダルカンは休みなく毎日動いていた。
そんな中、時々空いた時間で俺やパーラと落ち着いた時間を過ごすことがあったのだが、それがダルカンにとって非常にいいリフレッシュとなっていたそうで、新しくダルカンの世話役として暫く俺達を雇うつもりだったという。
「ということは今はそのつもりはないと?」
「事情が変わったのだよ。実は君達を含めた我々の周囲に少々きな臭い動きが出てきた」
「きな臭い…まさか、ヘンドリクス殿下の一派が?」
ダルカンが忙しくしているのを好機と捉えて、まさかヘンドリクスの残党辺りがいらんちょっかいでも出してきたのだろうか?
「あぁ、いや違う。むしろそっちの方がやりやすかったというか…」
奥歯に物が挟まる言い方をするネイだが、その顔は心底参ってはいても危機的状況ではないと語っている。
例えるなら悪戯を仕掛けられて困っているような…。
そこまで考えてピンと来るものがあった。
「もしやナスターシャ殿下が関係しているのでは?」
「…凄いな、君は。よくわかったね。そう、そのナスターシャ殿下がちょっと面倒なことをしているのだよ」
実に簡単な推理だ。
というか、推理ですらない。
単純に今のネイを困らせる存在はそう多くなく、その中でこういう顔にさせる相手となれば消去法的にナスターシャ以外考えられなかっただけだ。
さて、そのナスターシャが一体何をしてネイを困らせているのかというと、実は俺にも関係していることだった。
マハティガル王の企みに乗っかる形でナスターシャが俺をチャスリウスに引き込もうと、どっかの貴族の令嬢とくっつけようとしているのは俺も突き止めている。
そのため最近急激に増えた茶会に俺は出向かされていたわけだが、それと合わせてナスターシャが裏で俺をチャスリウスの貴族にしようと動いているという。
「ネイさん、俺は貴族には―」
「わかっている。貴族よりも自由な冒険者がいい、だろう?前に君からそう聞かされていたから、私もこうして頭を悩ませているんだ」
「じゃあさ、ネイさんの口からアンディは貴族になる気はないってナスターシャ殿下にもはっきりそう言えばよくない?」
「いや、それが……話はした。したんだが、どうにも私は昔からナスターシャ殿下とは口での勝負にならないというか…」
ネイも決して口下手や駆け引きが苦手というわけではないはずなのだが、相手がナスターシャではやはり口先で丸め込まれてしまうというわけだ。
しかし困ったな。
このままではナスターシャの企みに乗せられてよく知りもしない貴族家の令嬢と結婚させられそうだ。
隣で急激に不機嫌になったパーラからの視線も痛くなってきたことだし、この話はなんとか回避したいところだ。
そうなると取れる手も限られてくる。
「まぁそんなわけで、アンディ君達はなるべく早くチャスリウスを離れたほうがいい」
「…そうしたほうがよさそうですね」
そう、一国の王族が搦手で企み事を仕掛けてきたというのなら、敵ごと策を粉砕するか尻尾を巻いて逃げるかの二つしか手はないため、今回はネイの言う通りチャスリウスから出てしまったほうがよさそうだ。
「出発はいつを考えてるんだい?」
「色々と挨拶もしなくてはなりませんから…。四日後でどうだ?」
「いいんじゃない?」
パーラにも確認をとるが、返事は軽いものだ。
茶会やらなんやらで忙しかった俺とは違い、時間のあったパーラには旅の準備を頼んでいたので、この反応を見るに問題なさそうだ。
「四日か…。よし、少し難しいだろうがダルカン様にもなんとか時間を作って頂こう。別れの挨拶ぐらいはゆっくりとしたいだろう」
「そうですね。お願いします」
こうして俺達は慌しく旅立つこととなってしまった。
ナスターシャのせいで、と言うほどには逼迫したものではないが、やはり旅立ちはもう少しゆっくりとしたものでありたい。
とはいえ、俺達もいつかはチャスリウスを離れる時が来たのだ。
それが少し早まっただけの話と思うことにしよう。
チャスリウスを発つことにした俺達は、世話になった人達への挨拶に動いたのだが、実際ここに来て知り合った人間というのはそう多くない。
飛空艇を置かせてもらったネイの所の人達に、短い時間ながらマンドリンの師匠をしてもらったエファク、あとは城の料理人と多少の使用人といったところか。
一日使ってネイの屋敷の人達との挨拶は済ませ、城の方はダルカンと会える時間が出来た時のついででいいかと思い、俺とパーラはその翌日にまずエファクを訪ねることにした。
エファクは今日も広場で演奏を披露していたが、いつもは一緒にいるひ孫であり歌い手でもある女性の姿がなく、マンドリンの奏でる音だけが辺りに響いている。
曲が一段落したのを見計らって声をかけると、エファクはまるで孫を迎えるような満面の笑みで俺達を呼び寄せてくれた。
歌がセットではないマンドリンに立ち止まって聞き入る人は少なく、少々物寂しさはあるが、近付く分には歩きやすくていい。
エファクの目の前まで来て話を切り出そうとする俺達だったが、エファクはまず久しぶりに俺のマンドリンの腕を見たいと言い出し、特に急いでいない俺達はその願いを聞く。
そう言えばとひ孫の姿がないことを尋ねると、なんでも今日は休ませているという。
このエファクが奏でるメロディーと歌い手の美しい歌声は、今やこの広場でも一二を争う人気の芸となっており、人々に請われるまま連日歌い続けた疲れも大分溜まっていたそうで、少し喉を休める時間をやったそうだ。
エファクが陣取っていた場所から少し下がった場所に、荷物置きと休憩所を兼ねた小さなテントがあり、そこへと招かれて早速マンドリンを手渡された。
歌のない、ただマンドリンを爪弾くだけの時間となったが、やはりエファクから見た俺の腕前はまだまだのようで、色々とダメ出しと指導を受けつつ、演奏の手を休めることなくここに来た目的を話していく。
「―と、そんなわけで、二日後にはここを発つんだ。それで世話になった人達にこうして挨拶回りしてる」
「そうかい、寂しくなるね。…あんたらには本当に世話になったよ。何か餞別をやらないとねぇ」
「いいって餞別なんか。俺達はそういうつもりで来たんじゃないんだ」
そう言ってエファクが自分の後ろに置いていた箱へと手を伸ばそうとするのを声で制する。
くれるというものは基本的に病気以外は何でも貰う質の俺だが、正直エファクの財政状況を考えると余計な出費をさせるのは気が引けて仕方ない。
それに、エファクからはマンドリンの演奏の指南から楽器本体までと十分なものを貰っている。
「けどねぇ…」
「じゃあさ、どうせなら餞別代わりにお婆ちゃんの演奏でもう一回歌わせてよ!」
餞別を断る俺になおも食い下がろうとするエファクだったが、横合いからパーラがそう言い放つのを聞き、エファクは訝し気な顔を浮かべた。
「私の演奏でって、そりゃあ構わないけど、そんなのが餞別でいいのかい?」
「いいのいいの!やっぱりお婆ちゃんの演奏で歌うのが一番気持ちいいんだもん!アンディ、いいでしょ?」
「ああ、勿論だ。…ってわけで婆さん、餞別に一曲頼んでいいか?」
パーラの申し出はとってもナイスとしか言いようがない。
餞別を受け取ってもらえないエファクと、受け取るのが心苦しい俺達の双方が満たされるそのナイスアイディアに、心の中で拍手を送りたい。
「ほっほっほっほっほ、それじゃあ久しぶりに一緒にやろうかね。アンディ、あんたも一緒に弾いておくれよ?」
「おう、そのつもりだったよ」
「曲はなんにする?私はやっぱり―」
演奏が決まったら次は曲を選ぶことになるのだが、今の俺とエファクが揃って演奏することができる曲と言うのは限られてくる。
何にしようかと話し合っていると、広場が少し騒がしくなっているのに気付く。
多くの人が集まっている場所柄、喧嘩騒ぎなんかはよくあることなのだが、伝わってくる声の感じはどうも違うようだ。
それどころか、荒々しい馬蹄の音まで響いてくると、これはいよいよ普通じゃないと思い、三人で広場の様子を伺いに行くと、そこには馬に跨って周囲を睥睨するネイの姿があった。
どこか緊張感の伝わってくる姿にどうしたのかと思い、手を挙げて振ることでこちらへの注意を引いてみる。
するとすぐに目が合い、ネイは馬からヒラリと飛び降りると、こちらへとすごい勢いで駆け寄ってきた。
その様子はこれまでの旅の間にネイが見せたどの姿よりも切羽詰まったものを感じさせ、自分の体がこわばるのを覚えた。
「ここにいたか!おぉ!エファク殿、ご無沙汰しております」
「これはこれは。ルネイ殿までいらっしゃるとは、今日は来客に事欠きませんな。ほっほっほっほ」
俺の姿しか見えていなかったのか、傍らの頭一つ下がった所にあるエファクの顔を見て、一旦落ち着いて挨拶をするネイ。
ネイが自分の元をわざわざ訪ねてきたとは思っていないが、それでも人が来てくれることをエファクは純粋に喜んでいた。
「お騒がせして申し訳ない。今は彼らに用がありまして……アンディ君、まずいことになった」
「まずいこと?まぁとりあえず落ち着きましょう。順を追って話してください」
初めて見るネイの焦った顔に、嫌な汗が背中を伝うが、とにかく詳しい話を聞かないことには始まらない。
「落ち着いているさ。迂遠には言わん…君達の出立のことがナスターシャ殿下にバレた。急いで旅立ったほうがいい」
いかにも悔しいといった顔でネイはそう口にするが、その言い様には首を傾げざるを得ない。
「バレるもなにも、俺達がチャスリウスを離れるのを秘密にしてたつもりはないんですが…なあ?」
「うん。今もお婆ちゃんに旅立ちの挨拶をしてたし」
別に大っぴらに言いふらしているわけではないが、それでも特段秘密にしているわけでもないので、ナスターシャが知ったとしてもおかしいことではない。
だがネイはかぶりを振るとため息を吐き、顔を寄せて小声で話し始めた。
「君達はそうかもしれないが、私はナスターシャ殿下になるべく知られないようにと動いていたんだよ」
「なんでまた」
「説明しよう。そっちの物陰がいいな。エファク殿も一緒に」
そう言って広場中から集まる注目を避けるように、人の目と耳が希薄な物陰へと俺達を誘うネイが今起きている事態の説明をし始めた。
かいつまんで言うと、ナスターシャが何やら仕掛けてきているからとっとと逃げろ、ということであった。
今、俺達がチャスリウスを離れる準備を進めていることがナスターシャに知られ、そのナスターシャが俺達、というか俺を引き留めるための工作を仕掛けようとしているとのこと。
なぜナスターシャはそこまでして俺を引き留めようとしているのかと言うと、やはりこれもダルカンのことを思ってのことだった。
立太子としての立場が決まったダルカンだが、真に側近と呼べる人間はまだまだ少ない。
そこで必要なのはダルカンと歳が近く、頭もそこそこ切れていざという時の護衛も務められる人間、さらにどこかの貴族の息のかかっていない、完全にフリーの人間なら尚良し。
そういう条件で人を探すと自動的に俺が目についたというわけだ。
中々高い評価をしてもらっているようで少し照れるが、そのせいで俺が国に縛り付けられるようなことになるとしたら全くありがたくない。
「ナスターシャ殿下はアンディ君をどうしてもチャスリウスに取り込みたいのだ。だが君は貴族ではないから、適当な貴族の女子とくっつけてチャスリウスの貴族とした上で、ダルカン様の傍仕えに据えようと画策していた。ここまではいいな?」
「連日のナスターシャ殿下仲介によるお茶会はそれが目的でしたからね」
一介の冒険者に過ぎない俺にとって、王族であるナスターシャから強く勧められては貴族相手の婚姻を断るのはやはり難しい。
あのナスターシャのことだ。
それも見込んであれだけの数の茶会を仲介したのだろう。
「恐らく、もう何人かの貴族を君に売り込んでから、婚約の話を持ち掛けようとしたと思うが…」
「その前に俺達がチャスリウスを発つと知った…」
「ああ。焦って荒い手に出たのを私が察知してここに来たというわけだ」
慎重に根回しをしていたことが仇となり、急遽旅立つことになった俺達に焦りを覚えたか。
そもそも今日から数えて二日後の出立となったのには、そういったナスターシャの動きに何かを感じたネイからの進言によるところが大きい。
そういう意味では、ネイはナスターシャの企みを読み切ったと言えなくもない。
「荒い手ってどういうの?言っとくけど、私達は逃げるって決めたらそうそう捕まんないよ?」
フフンと胸を張るパーラの言う通り、俺達はこの世界において飛空艇と言う何より優れた移動手段を持っている。
いかにチャスリウスの人間が馬術に優れていようと、空を飛んでしまえばまず捕まえられまい。
「だろうな。だがな、パーラ君。世の中には搦手というものが存在する。ナスターシャ殿下はそういう手段を得意としているんだ」
「具体的には?」
「一番簡単で有効な手段としては、税金の過少申告の嫌疑をかけて拘束してくるな」
んなバカな。
俺達は冒険者として、ギルドを通して依頼の報酬から税金を払うという形をとっている。
この世界での税金の過少申告と言うのは、貿易を生業としている大手の商人ぐらいしか起こりえないはずだ。
「何ですかそれ。俺達は冒険者ですよ?税金の過少申告なんて」
「灼銀鉱だ。君達はあれを自分達でいくらか確保しているだろう?あれを税金の対象として見るつもりなんだよ」
「…なるほど。確か、チャスリウスでは加工されていない鉱石をそのまま国外に持ち出す際には高い税金がかかるんでしたね?」
高山地帯に国を構えるチャスリウスでは周り中に鉱物資源が多く眠っているため、産出した鉱物は基本的に国内で加工し、インゴットなどにして国外へと持ち出される。
これは、自国で採れる鉱石の純度などを他国に知られないようにすることで、インゴットの値を自分達が操作できることと、優れた精錬技術によって鉱石から多種の金属を無駄なく抽出するためだと言われている。
今回、俺達はダルカンの試練達成のボーナスとして、ダルカンとネイに断って余分に持ち出した灼銀鉱を丸ごと自分達の懐に入れることを許してもらったのだ。
ダルカンが許したのだから、本来なら税金など払わずとも持ち出せるのだが、これはあくまでも内密に事を進めていたため、ナスターシャによって大っぴらに追及されてしまうと隠し通すにはつらい事案だった。
「ナスターシャ殿下はそこを突いて、君達に莫大な追徴金を課すはずだ。当然払えない君達はそれで一時的にでも身柄を押さえられ、その間にアンディ君をチャスリウスに縛り付ける策を実行するかもしれん。…いや、もしかしたらその追徴金をネタにアンディ君と貴族の女子との婚姻を持ち掛けるのもあり得る」
なんとも悪辣な、と思わずにはいられないが、それだけナスターシャも手を選んでいられないほどに時間がないと見える。
「とにかく、ナスターシャ殿下が本格的に動き出すよりも早く、君達はここを出たほうがい。時間をかければかけるほど、向こうの手が伸びてくると思え」
「分かりました。パーラ、出発の準備だ。飛空艇に急ぐぞ」
今はまだ昼にもなっていない時間帯なので、門を出入りする人に紛れれば街を出るのに止められることはないだろう。
「えぇー?お婆ちゃんの演奏で歌わないの?」
「バカ、それどころじゃないってわかるだろ。すまない、婆さん。ちょっとバタついたけど、俺達は行くよ」
「ああ、お行きよ。パーラ、歌はまた今度にすればいいさ」
「でもさー…」
ブーブーと渋るパーラは、やはり久々のエファクとのセッションに期待していた分だけ随分と食い下がっている。
とはいえ、本当にエファクと一曲という時間もないのは事実なので、不承不承といった体でバイクへと歩みを進めるパーラに俺も続く。
だが数歩進んだところで、バッと振り向き、背後にいる俺とネイに声をかけてきた。
「あ、ねぇねぇ。挨拶ってどうするの?まだ城の人達の分が終わってないけど」
「ん、そうだな……まぁ事情が事情だし、ネイさんに言伝ておくか。いいですか?」
「ああ、構わんよ。大っぴらに事情を説明はできんが、急ぎで出立したと伝えておこう。誰に言えばいい?」
別れの挨拶の代理役を快く引き受けてくれたネイに、伝える人の名前を言おうとしたところで、はたと思いとどまる。
ここでチャスリウスを離れるとすれば、ほとぼりが冷めるまではしばらく立ち寄ることはないのだ。
それならいっちょ派手にやってしまってもいいのではないか、という考えが浮かんできた。
ナスターシャのせいでちょっとキていたようで、そういうことを思い始めるとなんだか愉快な気分になってくる。
意趣返しというわけではないが、どうせなら度肝を抜くぐらいのインパクトを残してやりたい、そう思った。
まぁちょっとした混乱を引き起こすことになるので、ダルカン達にも迷惑がかかるとは思うが、それでもやらずにはいられない。
何せこれは、旅立つ俺達から、残る友であるダルカンへ向けたメッセージともなるのだから。
「あ、いや、ネイさん。少し待ってください」
「ん?なんだ、そんなに多いのか?なら道すがら紙にでも―」
「いえ、そうではなく。ちょっといいことを思いついたんですけど、協力してくれませんか?なぁに、悪いようにはなりませんから。…多分」
ついニタリとした笑みがこぼれそうになるが、なんとか堪えてネイに協力を要請してみる。
これから行うことには、ネイの協力が必要なのだ。
何とかして口説いておきたい。
「……君のその顔、ナスターシャ殿下が悪だくみをする時の顔にそっくりだ。そういう顔をして大ごとにならなかったことがないんだが…」
「え、そうですか?まぁちょっと城に混乱を招くことになるかもしれませんけど、不幸になる人間は出ませんよ。…多少苦労する人間はでるかもしれませんが」
「まったく、その言い方もよく似ている。ナスターシャ殿下が君を気に入った理由が、今はっきりと分かったよ」
深い、とても深い溜息を吐きながらこちらを見ルネイの目は、苦労を重ねた人間が醸しだす暗い色に彩られていた。
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閲覧、しおり、お気に入りの登録ありがとうございました(*´ω`*)
何となくねっとりじわじわな感じになっていたらいいのにと思ったのですがどうなんでしょうね?
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剣と魔法のファンタジー世界で、精一杯、悪足搔きさせていただきます!
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