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ガスティーゾVSネイ

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時間は少し遡る―

SIDE:ネイ




「ナスターシャ殿下から?」
「は。ユーイ卿に直接お渡しせよと仰せつかっております」

そう言って恭しく差し出された手紙を受け取り、一度それに目を落としてから再び目の前の男に注視する。
兜から覗く顔は何度か見たことのあるものだ。
ナスターシャが公務で城を出る際の護衛を務めていたと記憶しており、そういう人物であればこの手紙も偽物ということはなかろう。

手紙の封緘に押された印もナスターシャが私的に使う特別なもので、これがナスターシャからのものだとわかるのは彼女と親しい者くらいだ。
その点でも手紙の主を疑うことはない。

気になるのは、引き連れていた騎士の誰もが一戦を想定した装備であることだ。
ナスターシャがここにいない以上は護衛役としての立場ではなく、独自に誰かしらと戦闘を行うつもりだろうか。

首都へ戻る途中の私達の前に突然現れたこの騎士達は、名乗りもそこそこに私への目通りを願い出たため、こうして直接顔を合わせて話をしているが、改めてよく観察してみると尋常ではない様子が行動と身なりの端々から窺える。
色々と聞きたいことはあるが、目の前で膝をついて動かない騎士の様子を見るに、手紙をまず読んだほうが良さそうだ。

封蝋を割って封筒を開けると、なかには丁寧に折り畳まれた手紙が見えた。
それを取り出して開いていくと、まず目に飛び込んできたのはナスターシャのサインだ。
名前の最後の文字を少し丸く書く癖がまだ治っていないそれは、子供の頃の彼女の姿を私の脳裏に呼び起こさせる。
まだ仲違いをする前、ナスターシャと一緒に文字の練習をしていた頃に、彼女のこの文字の癖をよくからかったものだ。

だがそんな感傷を抱いたのは一瞬だ。
手紙を見ていくと、そこに書かれた内容に顔が強張った。

まずダルカン様の試練達成を喜ぶ言葉で始まる手紙だが、そのすぐあとに続く本題の方には、あのヘンドリクスめがダルカン様の命を狙って動いていると書かれていた。
アンディ君達が既に捕らえた暗殺犯とは別に、ヘンドリクスが急遽揃えた者達で、この先の街道で張っているという。

手紙を運んできた騎士達は、ナスターシャの命を受けてそのヘンドリクス達を捕らえるためにここにいることも手紙には書かれていた。
そして、私にはこの騎士達に同行して手伝って欲しいそうだ。

「…貴公は手紙の内容を知っているのか?」

今だ膝を付いた姿勢のままでいる騎士に尋ねる。
彼らが私の同行を知っていて納得しているかかどうか、それによってはこの先ありうる戦闘における連携も怪しくなる。

「いえ、内容までは。ですが、ナスターシャ殿下からはユーイ卿にご助力を請うものだとは聞いております」
「ふむ。そうすると、私がナスターシャ殿下の要請を受け入れたとして、指揮系統はどうなる?」
「それもユーイ卿には好きに動いてもらうようにと」
「なるほど。…その判断はこの手紙にもあったガスティーゾとかいう輩のせいか?」
「その通りです」

手紙にはヘンドリクスの企みが詳らかに書かれており、読むだけで腸が煮えくり返る思いだが、それをぐっと抑えて読み進めていくと、今回私に協力を要請した理由として、ヘンドリクス陣営が雇った傭兵達の中にいるガスティーゾという存在が問題であり、それの対処を私に頼むということだった。

正直、ダルカン様の護衛を放り出して傭兵共を叩きに行くなど有り得ないのだが、ナスターシャの手紙に書かれた一文が私を動かす。

『ダルカンの命を狙うなど言語道断。ネイも同じ怒りを抱くのならその不逞の輩をその手で討ちたく思っているのでは?』

そう言われては大人しくしていられない。
煽られているというのは分かっていても、指摘されることで改めて湧き上がってくる感情までは無視できず、私の手でヘンドリクス達の企みを阻止してみせようという気になる。

「見たところ、貴公らの練度は低くないようだが、それでもガスティーゾとやらは手強いと?」
「確かに我々も騎士としての実力はガスティーゾなぞに劣らない自負はあります。ですが、ナスターシャ殿下はガスティーゾの相手はユーイ卿に任せよと」

騎士としての腕前を疑われているととられかねないナスターシャの命令に対し、別段思うところがないという態度でそう言う騎士の態度は、それだけナスターシャに対する信頼を示していることになる。
与えられた任務の遂行を優先し、私情を抑え込めるというのは王族に仕える騎士として大事なことだ。
ナスターシャも随分いい部下を持ったものだ。

「しかし私がダルカン様の元を離れるというのは少々不安が残る。できればそちらから護衛の人出を抽出してもらえないか?」

ダルカン様の護衛についているマティカは信頼しているし、パーラ君も戦闘要員としてみると十分に心強いが、私が協力するための対価のとして向こうから多少の人員を引き出しておきたい。
ヘンドリクス側の人間程度が、まさかガスティーゾを陽動にしてダルカン様の命を狙うという小知恵を出せるとは思えないが、私の抜けた穴をそのままにしておくのは流石によろしくない。

「ふむ、では一個小隊を残します。マティカ殿と知古の騎士がおりますので、その者達ならばいざという時の連携も取れましょう。正直、ユーイ卿の代わりとしては戦力的に不足でしょうが、我々も兵員に余裕はないのでご容赦ください」
「いや、十分だ。ありがとう」

向こうも私の意図を汲んでくれたようで、少ない人員の中から人出を出してくれたのは素直にありがたかった。
残るのもマティカとの顔見知りということなので、余計な問題事も心配しなくていいだろう。

不安が完全に払拭されたというわけではないが、この手の行動は早いほうがいいため、早速私の馬の下へと行こうとしたところ、今まで膝をついていた騎士が立ち上がって何かを差し出してきた。

「お待ちください、ユーイ卿。これを」
「む?なんだ…兜か?これを着けろと?」

とっさに受け取ってしまったそれは、私も若い頃に身に着けたことのあるもので、落馬時の頭部保護を目的とする木製の兜だ。
主に馬に乗りたてか、騎兵としての戦闘経験が未熟な者が使うものだが、ある程度馬上での戦いに馴れると視界の邪魔だとして敬遠される、そんな装備だ。

「ナスターシャ殿下より、ユーイ卿が同行される際には顔を隠させるようにと言われております。…敵方にユーイ卿がいると悟らせず、戦いが始まってから兜を脱いで驚かせるために、とのことです」
「ハァ…ナスターシャ殿下の考えそうなことだ。まぁそれぐらいの悪戯はよかろう。借りるぞ」

人の驚く顔を見ることに人生の意味を見出しているといっても過言ではないナスターシャだ。
ダルカン様の命を狙う輩に対してそれぐらいの悪戯はむしろ可愛いぐらいだろう。

これでも私はチャスリウスでは馬術と剣の腕でそこそこ名が知れていると思う。
そんな私が、まさか馬に乗りたての人間が使うような兜を被っているなど思わず、戦闘中に突然これを脱いだらきっと驚くということには同意できる。
ナスターシャに毒されたというわけではないが、確かに想像してみると面白そうではある。

……おぉ、なんだワクワクしてきたぞ。













朝日が霧を追い払い始めた街道を移動してたどり着いたのは、私達より先行していた騎士達が正体不明の集団と戦闘をしている真っ只中であった。
相対する敵集団の中で一際目立つ巨躯の男は、先に特徴からガスティーゾ本人だとすぐに分かった。
その体格に見合うだけの膂力で振るわれる大斧によって、先頭に立つ騎士達を圧し始めたのを察した私は、潜むように控えていた後方から一騎駆けを仕掛ける。
すぐに私に気付いたガスティーゾは一撃を見舞おうとするが、それを剣で逸らすようにして防ぐことでガスティーゾの注意を引き付けたまま、距離をとる。

ようやく窮屈な兜を脱ぐことができた解放感を深呼吸と共に味わいつつ、視線の先にいるガスティーゾからは視線を外すことはしない。
先ほど逸らした攻撃の威力を鑑みて、一介の傭兵と侮るにはこの男は危険すぎる。

注がれる視線に返そうとしたのか、ガスティーゾは私の顔をしばしジッと見つめたかと思うと、顔をクシャリと歪めて突然笑い出した。

「くはっはっはっはっは!お前があのルネイ!?あのホーバンを倒したって言うからどんな厳つい女かと思ったら!随分と華奢な体だなぁ、おい!…だがまぁ、さっきの俺の攻撃を逸らした腕前は大したもんだ。酒飲みの詩歌も捨てたもんじゃあない」
「ほぅ、どんな噂か気になるな。よければ教えてくれないか?」
「あん?なんだ、知らねぇのかよ。『天下無双の悪党、ホーバンを討ち取ったチャスリウスの剣と称えるに相応しきその名はルネイ・アロ・ユーイ。世に蔓延る悪意ある者よ。ルネイ・アロ・ユーイを恐れるとともに歓喜せよ。その麗しき剣技に酔いしれたまま死ねるは幸運であろう』ってな」

……なんっだその噂は!
いったい誰がそんな恥ずかしいことを広めているのだ!

チャスリウスでも名の知れた悪党であるホーバンを倒したことは広まっていてもおかしくはないが、この恥ずかしい台詞を考えた奴は後で見つけ出して締め上げてやる。

「ほ、ほう!私も知らぬ間に中々愉快な言い方をされているようだ」
「ああ、全くだ。本当ならお前の相手はもう少し先のことだと思ってたんだが、出会っちまったなら仕方ねぇ。ここでやらせてもらうぜ!」

一度大きく真横に振るわれた大斧を、すぐさま肩に担ぐ様にして構えたガスティーゾがこちらへと踏み込んでくる。
その巨体のせいで一歩が大きく、普通の人間で十歩の距離をたったの二歩で詰めてくる勢いはかなりの迫力だ。

地面が揺れるかのような強い踏み込みの力をそのまま乗せて振り下ろされる斧は、まさに必殺の一撃だった。
人の目では負えないほどの速さで回避は至難、剣で受ければ諸共両断されるほどの鋭さ、振り下ろしの威力が強すぎて逸らすのも危険。
普通の人間なら勝負あり、だ。

だが私にはこれに抗するだけの技がある。
迫る斧に対し、左右前後のいずれにも動くには間に合わないと思われたが、私は膝から力を抜き、体が崩れるのを利用した回避方法を行う。
倒れる勢いでガスティーゾの左脇側に抜けていくと、斧は私の頭を捉えることなく地面を激しく揺るがすだけに終わった。

これは以前アンディ君との手合わせで見たものを私なりに再現したもので、咄嗟に行ったにしては上手くいった。
流石に倒れたままで攻撃をすることはできなかったが、体勢を立て直してから見えたガスティーゾの驚いた顔には胸が空いた。

「…おいおいおい、なんだ今のは。まるで煙みてぇに抜けやがった。まさか、特殊な魔術とかじゃねーだろうな?」
「さて、どうかな?」
「ちっ、妙にあっさりと馬上の有利を捨てたと思ったらこんな隠し芸を持ってやがったのか。おい、今のどうやったか教えろよ」
「ふっ、馬上の有利とは言うが、貴様の斧をそう何度も受けては馬が潰れかねなかっただけのことさ。それと、淑女の秘密をそう簡単に知りたがってはモテないぞ」
「てめぇが淑女ってガラかよ」

お互いに軽口での応酬をしながら、立ち位置を調整すると今度は私の方から攻め込む。
大斧という重量物を扱っている以上、速度を生かした攻撃には弱いはず。
そう思って変則的な足捌きで様々な方向から剣を見舞うが、敵もなかなかやるもので、重心を生かした柄での防御によって悉くを防がれてしまう。

こうまで私の剣を防ぐことができる人間が在野に埋もれているとは、世の中は広いと感心する。
と同時に残念でならない。
その力がダルカン様のお命を狙うことに使われるということが。

普通ならここでガスティーゾを屈服させて勧誘にと持っていくところだが、残念ながら王族の命を狙った時点で生かしておくことはできない。

「吹っ飛べや!」
「むぉ!…っとと、流石の力自慢だな。随分飛ばされた」
「けっ、涼しい顔やがるじゃねぇか。……あんた本当に強えな。それだけ強えと…殺しがいがあるぜ!」

こちらが別のことに思考を割いていた隙を突かれた形になるが、一度懐近くにまで私の剣を引き入れ、その後に大きく吹き飛ばすことで距離をとったガスティーゾは、再び大斧を振るっての攻撃を繰り出してくる。

武器の重さを利用した振り下ろしだけならば大した脅威ではないが、このガスティーゾという男は振り上げから横薙ぎまで、膂力を十二分に生かした戦いをしてくる手練れであるため、一度攻勢に出られると近づくことが難しい。

ただ、先程とは違い距離を取ったことによって向こうの攻撃もある程度対応できるだけの余裕がある。
なので、左右への回避と攻撃を時折剣で逸らすことでこちらの被害はないが、いつまでもこうしているわけにはいかない。

次の回避時に、わざと振り上げを大げさに避けることで隙をあえて作り、誘いを仕掛けてみた。
するとガスティーゾも打ち合いに焦れていたのか、あるいは誘いごと叩き伏せるつもりだったのか、私の想定する通りの、上から斜めに振り下ろす一撃を放ってきた。

それは速さ、鋭さ、重さのどれも揃った会心の一撃といえただろう。
だがあくまでもそれは誘いによって引き起こされたものであり、私の望む軌道を描いていた。

すぐさま体を巡る魔力を右半身へと集中させ、肩から肘、手首までを強化。
一度腰の後ろまで腕を引き、魔力を腕全体に染み込ませるようにして溜め、一気に開放する。

人の知覚できる外にある速さを伴って走る剣閃は、迫る斧の刃と柄の繋ぎ目に吸い込まれるようにして、全く同じ箇所を寸分違わず三度突く。
ガスティーゾの並外れた膂力に加え、大地に落ちる勢いをも得た斧は当然とてつもない速度にあり、そのおかげで迎え撃つ形だった私の剣も威力を増していた。

辺りに響いたのはギンという金属音がたったの一度だけであったが、実際は三度繰り出された突きによって、折れ飛ばされた斧頭は私の頭を飛び越えて地面に落ちた。
一方のガスティーゾは地面に向けて空振る姿勢になり、柄だけになった得物を見て目を見開いている。

たったの一瞬、驚愕で動きを止めたその隙だけで私には十分だ。
突きに使った腕を伸ばしたまま、その場で踏み込むと同時に軸足として一回転、その勢いを乗せた剣でガスティーゾに切りつける。

私の動きに気付いたガスティーゾがすぐに反応して飛び退るが、回転によって加速した横薙ぎの剣はまず右腕を半ばから断ち、胸に一筋の切れ込みを作ってそのまま左腕にも浅からぬ傷を作って通り抜けていった。

「ぐうぅぅぉおおッッ!っはぁっはぁ…くそ、俺の腕がっ…」
「これまでだな―おっと、左手がおいたをしてるぞ」

ほとんどちぎれかけの右腕を見て、絶叫するガスティーゾだったが、まだ多少は動く左手で腰に提げた剣を握ろうとするのを蹴って阻止する。
その際、左腕の傷が広がり、辺りに鮮血が散らばった。

この状態でまだ戦おうとする気概は大したものだが、左腕もまともに武器を振るえる状態とは言えないため、無駄な抵抗だと思うがいい。
おまけに出血も相当ひどく、これではまず助かるまい。

「ぐぁっ!…ひ、ひでぇ女だな、くそったれが……はぁ、はぁ…もういい。降参だ、降参」

それまでの戦士としての雰囲気を一転させ、いっそ気安いほどの薄笑いを浮かべながら、戦闘の意志がないことを告げてきた。
脂汗を滲ませながらもこちらを見る目に戦意は見えず、どうやら本当に戦いを続けるつもりはないらしい。

「ふむ…よかろう。その潔さに免じて、苦しまぬようにとどめをくれてやる」
「あ?……いやいやちょっと待て!俺は降参するってんだ!この腕じゃ抵抗もできやしねぇ。だったら捕虜にするってのが普通だろ!」
「何を言っている?貴様らはダルカン様のお命を狙ったのだ。生かしておくわけがなかろう」

この期に及んで命乞いをするとは、どうやらこいつらは王族の暗殺がどれだけ重い罪なのかを理解していないらしい。
これがただの武装集団による強盗であったのなら確かに捕縛して奴隷にでもするところだが、ガスティーゾは声高に街道の先にいる何某かを討ち取ると叫んでいた。
この先に誰がいるかは明らかであり、言い逃れはできない。

「ダルカン?そりゃあ確かここの王子の名前だったか。…ちっ、そういうことか」
「その様子では自分達が誰を狙ったか知らなかったようだな」
「…ああ。俺達はどっかの貴族のガキを殺すってことで依頼を受けてたんだよ。…へっ、まさか本当は王族だったとはな」

なるほど、ヘンドリクス達にしてみれば確かに殺害対象が誰かをわざわざ正確に教える必要はない。
要はそれができるだけの力があるかどうかが大事であって、むしろ王族の命を狙うと知れば腰が引けることも十分に考えられる。
それに恐らくは全てを終えたら傭兵達を始末するつもりでもあったのだろう。

「なぁ、俺はこの通り腕をやられちまった。周りの連中も戦う気は失せてる」

ガスティーゾの言う通り、私達の戦いに決着がついてすぐに、他の傭兵達に動揺が走り、一目散に逃げる姿が目立っていた。
もちろん、騎士達がただ黙って見逃すはずがなく、次々に捕まえるか切り捨てていく。
中には戦意を失わず戦闘を続行している者もいるが、数に押されて結局は倒される。
最早この場での戦いは収束へと向かっているとみていい。

「そのようだな。で、何が言いたい?」
「これ以上は戦えねぇんだ。命だけは見逃してくれねぇか?なんだったら依頼人のことを話してもいい。へへ…頼むからよ」

傷の痛みもあってか、卑屈さが多分に込められた声だ。
あれだけの強さを見せつけたガスティーゾであってもやはり死は恐ろしいと見える。

「なるほど、確かに依頼人の情報は欲しいところだ」
「だろ!?だったら―」
「だが断る。情報ならあそこの岩陰に潜んでいる連中に聞けば事足りるだろう」

一瞬表情に明るいものが宿ったガスティーゾだったが、すぐに苦い顔に戻る。

戦闘が始まってすぐ、街道の脇にある岩陰に不自然なまでに人数の多い気配を敏感に感じ取っていた。
恐らく暗殺を見届ける立場の人間がいると推測する。
そちらに視線を向けると、明らかに動揺したような気配が立ち上った。
すぐに馬が走り去っていく音が聞こえたが、こちら側の誰かで追う者はいない。
どうやら気配に気づいていたのは私だけらしい。

岩陰にはまだ多くの気配があるのを感じるため、去っていった馬は暗殺の失敗を首都にいる何者かに伝えに行ったか、あるいは誰よりも優先して逃がすべき人物だったかのどちらかだろう。
いずれにせよ、残った者から情報を得て、辿っていければ関与した人間は判明するはずだ。
今回の暗殺計画が急に立てられたものだというナスターシャの見立て通りなら、情報の隠蔽も緩いものに違いない。

「おっと、向こうも動きが出たな。私はもう行くよ。ガスティーゾ、もし次に生まれることがあったら真っ当に生きるといい」
「待―」

言い切るよりも早く、私の剣はガスティーゾの口に差し込まれ、うなじ側から剣先が肉を裂いて姿を見せる。
直後、体を何度か激しく痙攣したのち、ガスティーゾは白目を向いて絶命した。

チャスリウスの騎士を相手取って猛威を振るった傭兵にしては至極あっさりとした死に様だが、決して弱いわけではなかった。
明らかに鋼体法による腕力の強化をしていたし、戦闘経験も決して少なくなかった。

ガスティーゾの敗因はたった一つ、たった一つだけだ。
こいつらは私を怒らせた。
それだけの話だ。

既に息のない死体にそれ以上何かを思うことはなく、私は岩陰に潜んでいる何者かの下へと近づいていく。
すると、武器を構えた数人が飛び出してきたが、どいつも腰の引けてばかりで、数度剣を振るうだけで倒れていく。

そして、潜んでいる人間の姿が明らかになると、ある意味想像通りではあるが、本来であればこの場には相応しくない人間がそこにいた。

「これはこれは。ブリッグ伯爵閣下ではありませんか。それに…おやおや、内務から外務まで役方が随分と揃っておりますね。この場所で会議でも開くおつもりでしたか?」
「ふん。白々しい物言いはよせ。どうせ全て分かっているのであろう?」
「全て…とは、どこまでを言うのかはわかりませんが、まぁそちら方の企みはある程度判明しておりますよ」

ブリッぐ伯爵を筆頭に、ヘンドリクスを支持する貴族達の多くがこの場にいるということは、やはりダルカン様の暗殺に関わっているということに他ならない。
正直、暗殺の現場に居合わせることがいかにまずいことなのか分からないはずがないのだが、確実に暗殺の成功を見届けなければならないほどにヘンドリクス陣営も追い詰められていたということだろう。

「ところで先ほど走り去っていった馬がありましたね。あれにはどなたが?」
「…答える義務はない」
「そうですか。私はてっきりヘンドリクス殿下かと思ったのですが」

そう言うと、ブリッグ伯爵を除く他の貴族連中は揃って驚いた顔を浮かべる。
なぜ分かったのか、とでも言いたげだ。
戦場の空気に触れ、暗殺の失敗もあって冷静さを保てない連中にはこういう不意を突いた言葉はよく効く。

「なるほど、その反応だけで十分です」
「なんのことやら、と言うのも無駄か……まんまと乗せられたわ」
「血の匂いの濃いこのような場所で、腹芸までこなせるブリッグ伯爵の胆力は流石です。他の方々この場に一番いてはならない人間の名前をとりあえず口にしてみたのですが、甲斐はありましたね。しかしそうなると、この場の皆様方の他にヘンドリクス殿下も暗殺に関与していたことになりますね」
「それを知ったところで意味はない。最早あの方は遠くへと逃げられた。今更追ったところで…」
「あぁ言い忘れていました。この街道の先、首都近郊にはナスターシャ殿下が網を張っております。恐らくヘンドリクス殿下はまもなく捕縛されますよ」

これは半分ほんとで半分嘘だ。
確かにナスターシャは首都近郊へ(勝手に)出張っているそうだが、それはダルカンを出迎えるためであり、ヘンドリクスを捕まえるためではない。
とはいえ、暗殺の情報を掴んでいたナスターシャが街道をやってくるヘンドリクスに疑いを持たないわけがないので、とりあえず捕まえて話を聞くぐらいはするはずだ。

「なん…だと……それでは、殿下は」
「ナスターシャ殿下の供を務める兵を上回る数と腕の護衛がいるのであれば話は違いますが、どうやらそうではないようですね。…あなた方にはダルカン殿下暗殺を支持した嫌疑がかかっております。この場で手打ちにすることはいたしませんが、各々厳しい沙汰をご覚悟召されよ!」

これまで抱いていた怒りの感情を込めて言い放つ。
彼らは皆一様に自分達の未来が暗いものだと理解し、顔を覆って泣き崩れる者やぶつけ所のない怒りを露わにする者など様々な反応を見せた。
その中でブリッグ伯爵は完全に自失しており、膝をついたまま呆けた顔で天を仰ぐのみであった。

ほどなくして傭兵達の始末を終えた騎士達がブリッグ伯爵一行に次々と縄をかけていき、ダルカン様暗殺の騒動はこれにて一件落着と言ってもいいだろう。

泣き喚きながら連行されていく中にあるブリッグ伯爵は、この短時間で一気に老け込んだように見えた。
年齢の割に矍鑠かくしゃくとしていた姿は影もなく、まるで枯れ葉が落ちる手前のような儚さを感じてしまう。

ブリッグ伯爵にしてみれば、ヘンドリクスを王にすることを一番に動いてきたのに、王族の暗殺土地う最悪にして最後の手段を採っても叶わないことに絶望を感じていたことだろう。
おまけにヘンドリクスがナスターシャに捕まったと聞いたのも堪えたようだ。

捕まってさえいなければヘンドリクスの暗殺容疑など、ブリッグ伯爵の伝手を総動員して有耶無耶にできたかもしれないのだ。
おまけに捕まえたのがナスターシャというのが効いたはずだ。

ナスターシャという女の有能さを知る人間なら、追及の手が決して手緩い物ではないことは容易に想像できる。
その罪を全て暴かれた暁には、ヘンドリクスの王位への道は完全に閉ざされることになる。
そして、その後の扱いも決していいものではないだろう。

ヘンドリクスの傳役であったブリッグ伯爵ならば、ヘンドリクスの行く末を想像してこうなってしまうのも仕方ないことだ。

まぁそれはそれとして、ダルカン様のお命を狙ったことの罪はしっかりと償ってもらう。
ブリッグ伯爵のこれまでの国への貢献を考えれば、辛うじて死罪を免れたとしても、残された生涯を僻地で隠居という名の幽閉生活が妥当だろう。

そうして私の周りから人がいなくなり、一人になって改めて辺りを見回してみる。
街道に多くの死体が転がっている惨状に色々やるべきことはあるが、これは他の騎士達に任せるとしよう。

私の役目はダルカン様の護衛だ。
そう時間は経っていないとはいえ、やはりお傍を離れることに不安を覚えている。
早いところ戻って今回の顛末を報告しなければ。







その後、首都に戻った私達は、ヘンドリクスがナスターシャに捕縛されたことを知り、その騒動を指揮するために首都近郊でダルカン様を出迎える計画を潰されたナスターシャが不機嫌になるのをなだめるのに少し苦労することになった。



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