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エドアルド・スワイトシアス・アルコー

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『最強の騎士は誰か』、酒の入った人間が話題に挙げることの多いこれは、時代時代によって出てくる名前は異なる。
一騎で敵陣を駆け抜けた武勇を称える声があれば、寡兵を持って敵国の侵攻から国を守ったという知謀を称える声もある中、話の締めくくりとして必ずと言っていいほど名前を挙げられる騎士がいた。

エドアルド・スワイトシアス・アルコー。
彼の偉業を知る人たちは、『世に最強と数える騎士は多くあれど、まこと高潔さにおいてはエドアルドこそまず名を挙げるに相応しい』と語る。

古のチャスリウス公国にあった、その時代随一の軍家であるアルコー侯爵家の五男に生まれ、家督を継げないことから騎士となったエドアルドは、生まれの良さと優れた剣の腕のおかげで、瞬く間に一軍を任せられるまでに出世し、その行いによって多くの人々の記憶へと残る存在になる。

高潔さを称え、騎士の範として今日までのチャスリウスに語られ続けるエドアルド。
そんなエドアルドの為人を知るエピソードに、こんなものがある。

ある時、エドアルドの抱える軍の兵士が、商人達から借りていた借金を踏み倒すという事件が起きる。
借金は十分に正当なものであり、この兵士がただ自分の利のためだけに踏み倒したもので、商人達からの嘆願によって発覚すると、すぐさまエドアルドはこの兵士を鞭打ちの刑に処した。
そして、この事件を引き起こしたのは兵の規範たる己の未熟にあると恥じ、自らにもまた鞭打ちの刑を課した。
しかも、この鞭を打つ役目は件の兵士に任せた。

『打たれる者は打つ者の痛みも知れ。またその逆も然るべし』というエドアルドの言葉に、兵士は涙を流しながら鞭を振るったという。
さらに、刑を受けたその足で商人の元へと出向き、正式な謝罪をして回ったことにより、これ以降エドアルドの騎士としての名は高まっていくことになる。

この世界の騎士というのは貴族同様に特権階級になるため、普通はこの程度の事案には兵士を処分してしまえばそれで話は済む。
一国の武力の象徴である騎士団の長が、わざわざ部下の尻拭いにここまでするというのが、エドアルドの清廉さを表していた。

後年、いくつかあるエピソードは創作だと判明したが、それでも創作のものを弾いてもなお多くのエピソードがエドアルドの騎士としての姿を照らすものであり、チャスリウス公国では下手な英雄譚よりも子供に聞かせるべき話として深く知れ渡っていた。








『いやはや、なんともこそばゆい。某はただ、騎士として恥じぬ生き方を貫いたまで。後世に語られるほどのものでは』
「いいや、それは違うよエドアルド殿。あなたを規範として、我が国では多くの騎士が育ってきたのだから、あなたのしたことは敵を撃ち滅ぼすことよりもずっと偉大なことだ。どうか誇ってほしい」
『は、恐れ入ります。陛下に頂いたお言葉、この身には染み渡る思いにございます』
「また陛下って言う…。さっきも言ったけど、僕はダルカン。チャスリウス公国の第三王子で、あなたの主君であるナルガ王とは別人だってば」
『あいや、これはとんだご無礼を!ですが、貴方様はあまりにも我が主君とお姿が似過ぎております故、どうしても別人とは思えず…』

エドアルドという人物について俺とパーラが知らないといことで、急遽ダルカンによるエドアルドの紹介を兼ねた逸話の披露が始まり、それをエドアルドが横から補強するという形で為人を知ることができた。
歴史上の人物から直接話が聞けるというのはまずないことなので、ダルカンは終始はしゃいでいるように思えた。

その話の中で、エドアルドがかつて仕えていた主君こそが、ダルカンと同じアルビノであり、賢王と称えられるナルガ王だったと教えられた。
王族としての血が成せる業か、アルビノであることに加え、顔立ちもナルガ王と似ているダルカンを見て、つい自分の主君として接してしまうのは仕方のないことだとエドアルドは語る。

このダルカンとナルガ王の見た目の近似のおかげで、先程のノルドオオカミにダルカンが襲われた姿がエドアルドの騎士としての使命に火をつけ、アンデッドの本能の呪縛から抜け出し、あの一戦へとつながったという。
あくまでもエドアルド本人の言うことなので、実際のアンデッドが似たような状況になったら正気に戻るかは疑問ではあるが、気合だけでこうして本来の人格を取り戻せたのはエドアルド個人の資質とも考えるべきだろう。

ちなみに、ダルカンが彷徨う鎧をエドアルドではないかと見抜いたきっかけは、鎧につけられているマントの留め金に、クレマチスの花と剣の柄を象った意匠を見つけたからだ。
これはチャスリウス公国の長い歴史の中でエドアルド唯一人だけが身に着けることが許されたものであるため、もしやと思い至ったという。

「それにしても、エドアルド殿がこんなところでその…アンデッドとなっていたとは驚いたよ。あなたが青風洞穴の調査隊に加わったというのは聞いたことがなかったから」
『まぁこうして死人に身をやつしておりますのは己の未熟と恥じ入っております。それと、当時の調査隊に内密で同行したのもある方をお守りすることが目的でのこと。…その方がこの先で亡骸となって眠っているのですが、よろしければ一目会っていっていただけませぬか?』

アンデッドとなって迷惑をかけたことを申し訳なくは思うが、自分の死を悲観していないエドアルドの姿には、高潔な騎士としての彼の精神性が見られた。
そんなエドアルドがダルカンに会ってほしいという人物とはいったい誰なのか。
口振りからすると遺体となっているその人物こそが、エドアルドが守ろうとしていた対象だったと思える。

案内するように先を行くエドアルドが向かったのは、俺達が目指すべき場所である灼銀鉱があると思われる場所だった。
奇しくも俺達が行きたかった場所とエドアルドが案内する先が同じだったわけだが、果たして好都合だと言っていいのか。

少し歩いて到着したのは、ここまで通ってきた通路よりも大分広い空間となっている場所だ。
周囲がぼんやりと光っているのは、エドアルドが来たことによって灼銀鉱が魔力に反応して輝いているせいなのだが、騎士のアンデッドであるはずのエドアルドにこうまで灼銀鉱が反応しているのは、エドアルド本人が保有する魔力が肉体というフィルターを通さずに外部へと発散されているからで、アンデッドなら必ず灼銀鉱がこういう反応をするというわけではないと言っておこう。

そんな空間には、多くの元人間であった骸骨の姿がそこかしこに見られる。
鎧を身に着けているのは調査隊の護衛として同行していた兵士で、それ以外は調査を行う研究職に就いていた人達だと推測する。

そして、奥まって一段高くなった場所には、壁に寄り掛かるようにして座る白骨がある。
他のに比べ、骨の部位も全てそろっているように見え、肩口に羽織るようにして被せられているローブと、周りが比較的綺麗に片付けられている様子から、この遺体を劣悪な環境の中でも精一杯手厚く弔おうとした何者かの意志が垣間見えた。

『殿下、こちらへ。……この方はニナリア殿下、我が主君であるナルガ王の妹君にあらせられます。ダルカン殿下とは遠縁の叔母とでもなりましょうか。ニナリア殿下は調査隊の中心としてこの青風洞穴へと乗り込みましたが、物資が不足したことによる撤退の帰路の最中、魔物の襲撃により命を落とされ申した。む…失礼』

白骨化した頭部に何か汚れでもあったのか、エドアルドは武骨な手甲に包まれた手を伸ばすと、まるで慈しむかのように繊細な動きで払う動作を見せた。
その動きだけで、エドアルドがこの遺体となったニナリアに対する親愛の情の深さが読み取れる。

敬愛かあるいは恋慕の情かは分からないが、それでももしかしたらエドアルドがアンデッドとなってもこの辺りをうろついていたのはこのニナリアの存在が大きかったと思うのは考えすぎだろうか。
あの手つきを見てしまうとアンデッドであった頃もこうしてニナリアの周囲をきれいに保とうとしていたと言われても納得できてしまう。

兜の向こうにある顔は生きていた頃のものとはだいぶ違うはずだが、なんとなく笑みを浮かべているのだろうなと思わせる雰囲気をエドアルドは纏っている。
ニナリアと同じ年代を生きていたエドアルドなら、恐らく鎧の下の体も目の前にあるニナリアと同程度の状態となっていると推測できる。
不意に、居住まいを正してこちらを向いたエドアルドが、神妙な口調で話しだした。

『…恥を忍んでお頼み申す。殿下方の帰還の折、ニナリア殿下のご遺体をお連れ願えないでしょうか。無論、入り口までの道中、このエドアルドが三方の剣・盾となり、必ず外へ導くことをお約束しましょう』

膝をつき、ダルカンへとそう懇願するエドアルドの姿は、死してなお暗い洞窟内に置かれているニナリアの境遇を憂いて憚らないと体現しており、真摯な頼みを聞かずにはいられない悲壮さがあるようにも思えた。

「エドアルド殿、僕達もここには用があってきたんだ。それが済んで余裕があればその頼みを聞くのも一向に構わないよ。けど一つ教えて欲しい。アンデッドから正気に戻った今の貴方なら、僕達に頼らずとも自らの手でニナリア殿下を外へと連れ出せるのでは?」
『…いえ、恐らくそれは叶いますまい。どういう理屈か、某のこの体では洞窟の外へと出たその瞬間、今ある自我を無くすような気がしてならぬのです。どうか武辺者の杞憂とお笑いになられますな。この世ならざる身である某だからこそ、感じている恐れとご理解くだされ』

エドアルドのその言葉は、現実的な理由や根拠に裏打ちされてはいなくとも、アンデッドから正気へと戻った彼だからこそ感じている何かが口をついて出てきているのではないだろうか。

このエドアルドの状況ははっきり言って尋常なものではない。
これまでの長い歴史上、ただの一人として一度アンデッドに堕ちた人間が理性を取り戻すということはなかったのだ。
そのため、今のところアンデッド経験者の口から語られる情報は非常に貴重かつ説得力のあるものだと考えられる。

「…わかった。あなたのその願い、チャスリウスの王族として引き受けよう」
『おぉ、誠に有り難き!これで某の心残りは失せ申した。……ところで、殿下方の用というのは一体どのようなもので?差し支えなければお聞かせ下され。某で役に立てることがあれば助力は惜しませぬぞ』
「本当に?よかった、どう言い出そうかと思ってたんだ。実はー」

未だ俺達が何の目的で青風洞穴へと来ているのかを話してはいなかったが、ダルカンの試しの儀であることと、灼銀鉱を求めていることを話した。
丁度この場所は灼銀鉱の鉱脈としてかなりの規模であるため、ここで掘らせてもらえるなら用は足りる。
先程のニナリアの遺体へ触れるエドアルドの姿を見てしまうと、静かに眠っている場所を荒らすのは言い出しづらかったのだが、ニナリアを外へと連れ出すという話がついたのであれば、幾分気が楽になっていた。

『試しの儀!まだそんなものが残っていたとは…。なるほど、わざわざこのような場所に僅かな供回りのみでおられたのはそのような事情でしたか』

俺達からすればかなり昔の人間であるエドアルドをしてこうも言わせるほど、試しの儀は廃れたものであると改めて分かる。
やはりエドアルドから見ると、幼いダルカンが試しの儀でこのような過酷な場所に送り込まれるのには思うところはあるようで、天を仰ぐ仕草で嘆いているようだ。

「それでその…ここはニナリア殿下が眠っていた場所だってのは分かるんだけど、僕達には灼銀鉱が必要で…」
『遠慮などなさいますな。どこぞの馬の骨ならともかく、某の忠義を捧げる公国の王族であらせられるダルカン殿下であれば、喜んでこの場を差し出しましょう。なにより、ニナリア殿下を外へとお連れいただくことに、この場に眠る亡き同胞達も感謝しておるはず。何者も文句などありますまい。どうぞ、お好きなだけお持ちくだされ』

遺体への感情などを考慮して説得が必要かと思っていたのだが、意外とあっさりと許可を出されて少し拍子抜けだ。
とはいえ、許可は出たので早速酌銀鉱の採掘を行う。

今の状況では壁が光っている場所を掘ればいいので、辺りに散らばる白骨をなるべく避けて狙いをつけ、持ち込んだつるはしを使って壁を削っていく。

ここで俺が土魔術で掘らないのは、灼銀鉱自体が魔力に反応する鉱物であるため、土魔術で掘り出した場合の影響がどんなものになるのかわからないからだ。
万が一土魔術で掘り出した灼銀鉱が変質してしまっていたら、それを持ち帰っても試練の達成とならない可能性も考えられるため、こうして地道に壁と格闘している。

ちなみに、先程戦闘を行った場所にも灼銀鉱の鉱脈はあったのだが、あれだけ派手な魔術を使いまくったため、まずほとんどが変質していると推測しており、ここに埋蔵してある量で足りなくなった場合困ったことになるのだが、見たところここだけで事足りそうなので一安心だ。
念のためにエドアルドの魔力に反応している表面部分の灼銀鉱は避けて、その奥にある魔力に晒されていなさそうな部分を選んで採掘していく。

事前に言いつけられている必要量は10キログラム以上だが、大体精錬前の鉱石で灼銀の含有量は6・70%ほどなので、鉱石で20キロを持ち帰ればいいはず。
持ち込んだ籠一つで10キロは入るので、二つをいっぱいにすれば十分だ。

ただ、せっかくここまで来たのだから多少余分に持ち帰るのも役得だろう。
俺が掘り出したものをパーラが籠へと移し、用意していた三つの籠の内二つを満たすことで最低限必要分は確保し終え、もう一つの籠までを一杯にしたところで作業を終えた。

「殿下、作業が終わりました」

採掘中、周囲の警戒とダルカンの護衛を請け負ってくれたエドアルドが、俺の声に反応してこちらを向く。
何も言いはしないが、視線にはニナリアの遺体を運び出す準備に移ることの期待が篭っている。

「ご苦労様。それじゃあニナリア殿下の遺体の方に取り掛かってくれるかな」
「承知しました。パーラ、荷車から布と紐を二組持ってきてくれ」
「はいはーい」

改めてじっくり見てみると、ニナリアの遺体は完全に白骨化して入るものの、骨が脆くなっている様子はなく、これなら運搬にも十分耐えられると判断できる。
洞窟という湿度と温度が一定に保たれていたおかげで、派手な風化もなくこうして骨がしっかり残っているという考えもできるが、あるいはこの場所に大量に存在する灼銀鉱が異世界特有の何かしらの特殊効果を齎したという考えは突飛なものだろうか。
または、長年近くにいたと思われるエドアルドの体から漏れる魔力が作用したというのも。

この世界における魔力というのは色んなものに色んな形で作用する性質があり、未だ全容を解明できていないため、そういう効果があるという説ももしかしたらどこかにあるかもしれない。
不自然なまでにと言っていいほどに状態のいいこの遺体に理由をつけるなら、それぐらいのものを想像したほうあまり考えすぎないですむ。

遺体を厚手の布でくるみ、あまり傷がつかないように手足を紐で軽く固定していく。
損壊を防ぐためとはいえ、遺体を紐で縛るような真似はしたくないのだが、じっとこちらを見ているエドアルドも特に口出ししてこないので、このまま進める。

出来上がったのは布で構成されたミノムシと言った感じのもので、見た目はともかく、二重に巻いた布のお陰で衝撃や擦過などからは守られることを思えば最上の出来だ。
荷車にスペースを作って載せると作業は全て終了だ。

用が全て済んだことだし出発かと思われたが、採掘に意外と時間を使ってしまったようで、流石に疲労と空腹を全員(エドアルドを除く)が感じており、今日はここで野営ということになった。
正直、骸骨がゴロゴロ転がっている場所で眠るのに思うところはあるが、ダルカンとパーラはあまり気にしていないようだし、エドアルドという存在が現れたことで俺も今更かと思ってしまう。

土のある場所を見つけて土魔術で家を建てていると、エドアルドが歓声を上げる。

『おぉお!?これは凄い!よもや土で建物を形作るとは、今代の魔術師は随分と腕を上げたものよな!』
「いや、違うよ?これができるのはアンディぐらいで、今の世の普通ってわけじゃないからね」
『なんと…』

騒ぐエドアルドとそれを窘めるようにして話をするダルカンを背に、出来上がったのはここに来るまでに作った最寄りも二回りほど大きいものだ。
睡眠を必要としないアンデッドであるエドアルドが寝ずの番を勝って出てくれたので、巨体が収まるような大きさで作ったためだ。
本人は家の外に立番で構わないと言ったのだが、ダルカンたっての願いで同じ場所で一夜を明かすということになった。

「お~いアンディー。これ持ってきたよー」

完成した家を眺める俺達に、どこかへ行っていたのかパーラが遠くから声をかけてきた。
背後には何かを引きずっており、どうやらそれを取りに行っていたようだ。

「それは…ノルドオオカミの死体か。なんでこんなもんを持ってきたんだ?」
「いや、せっかく私達が倒したんだから戦利品として今夜の料理にどうかと思って。あと素材なんかも取れるし」

素材よりも料理を先に言う辺りはパーラらしい。

「素材はともかく、ノルドオオカミの肉ってどうなんだ?」
「さあ?でもこれだけ大きいんだから食いでがありそうじゃない」
『いや、やめておけ。ノルドオオカミの肉は血生臭くて食えたものではないし、肉の脂が人の腹には合わぬそうだ。今の料理人の腕がどうかは知らぬが、某の頃は下手な調理でノルドオオカミの肉を食って腹を下さぬ者はいなかったな』

死体の前で唸っている俺達にそう助言をくれるエドアルド。
人生の先輩としての彼の知識によってノルドオオカミの肉が食用に向かないことを教えてもらい、代わりに毛皮や爪牙といった装飾や魔道具などに使える部位を解体していく。
特にノルドオオカミの首周りの骨は、加工によって強い風を吹き出す魔道具のパーツに使えるため、丁寧に取り外していった。

灼銀鉱の他に、ニナリアの遺体とノルドオオカミの素材などで荷車が埋まり始め、探索が続くことで減っていった物資を上回る収穫が手に入ったのは嬉しい誤算だ。
帰り道の荷車が少し重くなることに目を瞑れば、そう悪いことではない。







手元の時計は既に夜も更けたことを告げ、食事を終えた俺達はお茶を片手に穏やかな時間を過ごしている。
見張りをエドアルドが引き受けてくれたおかげで、俺とパーラもダルカンと同じように眠れるようになったのはありがたい。
いつのまにか、当初エドアルドをアンデッドだからと疑っていた思いが失せているのは、この短い時間の間に触れた彼の人柄がそうさせているのだろうか。

『…ではアルコー家は絶えましたか』
「うん。分家とかはどうかは知らないけど、最近の侯爵家としてのアルコー家を知らないね」
『左様ですか……まぁあの父と兄ではどの道家は潰えていましたから、おかしな話ではありませんな』

自分の家がどうなったかを知りたがったエドアルドだったが、ダルカンが知る限りの貴族家の中で、アルコー侯爵家が存在しないと知った時の落胆は分かりやすいものだ。
その後に明るい声で気にはしていない風を装ってはいるが、俺達を誤魔化せてはいないあたり、それなりにショックは大きいようだ。

話を聞いていてふと気になったことが出来た俺は、特になんの気無しに尋ねてみる。

「エドアルド殿、生前のあなたに子はおられなかったのですか?」
『おらぬな。某は公国に剣を捧げたのだ。色恋にうつつをぬかしている暇などなかったわ』

いや、それはどうだろう。
本当に国のためを思うなら、自分の子が騎士となって国に仕えることを思うようなものだが。
すると何を思ったのか、パーラがボソリと容赦ない言葉を口走る。

「つまり童貞と」
『どっ、どどど童貞と違うわ!清らかな身のままでいただけだ!』
「え~?そんなの言い方じゃん。童貞なのは変わらないって」

男のプライドというものを真っ向から蹴り倒して、エドアルドを童貞と指差すパーラには戦慄を覚える。
この反応からしてエドアルドが童貞なのは確定したわけだが、何もこのタイミングで本人にそれを突きつけることはなかろうに。

『ぐぬぬぬっ!』
「まぁまぁ!落ち着いてください、エドアルド殿!子は残せずともあなたの精神性は確かに後世へと伝わっているのですから、それで良しとしましょうよ」

このままだと剣を抜いてパーラに襲いかかるんじゃないかと思い、エドアルドの腰にしがみつくようにして宥める。
本当にパーラは天性の煽りストだな。

ただある意味、高潔な騎士と知られるエドアルドだからこそ、浮いた話も少なかったと考えられるが、そのエドアルドの騎士たらんとする精神が今日の騎士達の根底にあるとするならば、その信念こそが彼の残した子供のようなものだと考えられないだろうか。

『…ふん、そうだな。物は言いようではあるが、アンディの言もまた事実よな』
「ええ、そうですよ。……かく言う俺も童貞でしてね」
『そうか…握手を』

気休め程度にしかならないが、俺もまた同士童貞であると告げると、握手を求められた。
俺はこの先、童貞を捨てる機会はあるが、エドアルドは既に肉体を失っているため、永遠の童貞だ。
力強く握られたこの握手には、エドアルドの無念も篭っているような、そんな凄みがある。
目に見えない何かを託されたような気がして少し怖いが、ひとまずエドアルドも落ち着いたようなので安心だ。

ちなみに年齢的に考えるともう一人童貞がこの場にはいるが、流石にそれを尋ねるのは不敬なので止めておいた。



その後も色々とエドアルドからは面白い話が聞けたせいで随分夜遅くまで起きていたが、誰からともなくあくびが出始めると、自然とお開きとなっていく。
手元のお茶を飲み干し、俺達は寝床へと入っていった。

今日は実に濃い戦闘を長く、かつ何回にも渡って行ったせいで疲れが激しい。
エドアルドとの戦いで負った脇腹の傷も、水魔術による治療でもまだ完治には至っておらず、その傷からくる疲れもある。
魔力も枯渇寸前と言った状態で、このまま横になって目をつぶったら一瞬だ、一瞬で眠りに俺は殺される。
おまけにこの寝具の寝心地も相まって、もしかしたらそのまま死ぬんじゃないかと思うぐらいだ。

しかしながら、既に腰をおろした寝具の誘惑は俺をそのまま横にさせようと働き始め、体も重力に従って倒れていく。
全身が寝具に包まれると、俺のまぶたはすぐに重くなっていき、見張りに立つエドアルドの姿を最後に俺の意識は深く堕ちていった。

おぼろになっていく意識の中、俺は手にある金属の感触を確認した。
エドアルドはアンデッドとしての危険性がほぼないと言えるが、それでも完全に無防備ではいられないため、手元には銃の弾倉から抜いた弾丸を数発握っている。
もし万が一エドアルドがアンデッドとしての本能を取り戻してしまった時には、即座にレールガンもどきを打ち込むためだ。
そんな場面など来ないのが一番なのだが、胸に残る不安の最後の一片のために、この手の中にあるものは手放せなかった。
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