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探検隊に降りかかる恐怖!仄暗い地底に佇む脅威!
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一夜明け、という表現をするには洞窟内での時間の変遷は分かりにくいのだが、手元に置いてある時計を確認することで今の時刻が大体わかる。
見張りからそのまま朝食の準備へと移り、リビングスペースに朝食の匂いが漂いだした頃、その匂いに惹かれるようにしてダルカンが起きてきた。
「おはよう、アンディ。顔を洗いたいんだけど、水をもらえるかな?」
「おはようございます、殿下。でしたらこちらをお使いください。俺の水魔術で水分を集めましたので、清潔です。この水は飲み水とは別なので使い切って結構ですよ」
「すごいねこれ。じゃあ使わせてもらうよ、ありがとう」
水魔術で宙に浮かせた水球をダルカンの目の前へとゆっくり持っていくと、静かに水面へと顔をつけて洗うのを見守る。
寝起きでもしっかりとした様子のダルカンは、どうやら昨日の疲れが残ってはいないようだ。
「では殿下、俺はバーラを起こしてきますので、先にテーブルでお待ち下さい。すぐに朝食を用意します」
「うん、わかった」
顔を洗ってさっぱりとした様子となったダルカンにタオルを手渡し、朝食の準備が整うまで待ってもらうことになった。
昨夜は別々に夕食を取った俺達だったが、今朝はダルカンの望みで全員一緒のテーブルでの食事というスタイルとなっている。
朝食の準備が整い、テーブルの上に次々と皿が並べられていくが、いつもなら匂いに敏感なパーラはとっくに起きてテーブルへと着いているはずなのだが、今朝はまだ姿を見せていない。
ダルカンに断りパーラの様子を見に行くと、そこには惰眠を貪り、起きる気配を微塵も見せないパーラののんきな寝顔があった。
昨夜、見張りの交代でパーラに起こされるまで時間をすっ飛ばされたような奇妙な睡眠を体験した身としては、こうまで無防備な状態を生み出すこの寝具の恐ろしさに一瞬身震いを覚えた。
疲労回復の観点からすると熟睡することは悪いことではないのだが、安全とは言えない場所で野営をする以上、あまり深い眠りに入ってしまうといざという時に動き出しが遅くなってしまうため、この寝具は色々と危険な道具だと言える。
じゃあ使うのをやめるかと言われれば、一度知ってしまった快適さを手放すには惜しいというのが人間の性というもので…。
まぁ気を付けて使っていこうということだ。
それはともかく、今は目の前で眠りこけるパーラを起こすという本来の目的を果たすとしよう。
寝袋から覗くパーラの肩を揺らしながら声をかけ、意識を覚醒へと促してみる。
「おいパーラ、起きろ。朝食ができてるぞ」
「ん~…もう食べられない……なんて言わないよ絶対~…」
「じゃあ早く起きて食べろよ。いらないなら俺と殿下で全部食っちまうぞ」
「ぁあー…食べるよぉ…」
ある意味ベタだが変化球な寝言を言いながら、寝返りを一回転打ち、もそもそと這い出てくるパーラの背中を軽く叩き、ダルカンが待つ食卓へと戻った。
後からついてくるゾンビのようなパーラの足取りに不安を覚えるが、あれでも一応冒険者なので、寝起きで不覚になるということはないと思いたい。
「いやぁ~あの敷き具は凄いね。あんなに薄いのに包み込まれるみたいで、今まで味わった寝具なんか霞んじゃうよ。私が昨日横になってからすぐアンディに起こされたって感じだもん。あ、お代わりちょうだい」
軽快に喋りながらも食べる手を緩めないという器用な真似を披露するパーラから突き出された皿にお代わりを盛り付けてやる。
「あははは、それだけ喜んでもらえたら城の職人も喜ぶよ、きっと。僕も初めてあれで寝たけど、確かにパーラの言う意通りかもね。城に戻ったらあれ抜きで寝れるか不安になるよ」
「城の職人というと、やはりあの寝具は魔道具なのですか?」
「んー…確か聞いた話だと、寝具の中に詰めている素材が特別で、それを作るのに特別な魔道具が必要だって言ってたね。だから、間に魔道具が関係しているだけで、実際は普通の道具だそうだよ」
あれを普通の道具というのは些か納得のいかないものはあるが、魔道具で製作される特殊な材料を用いているだけで、寝具本体にはなんら魔術的な仕掛けは存在していない以上、あれは魔道具ではないと言える。
しかしそうなると、魔道具でもないのにあれだけの快眠をもたらすとは、その職人はぶっ飛んだ腕の持主かと思えてくる。
「ねぇ殿下~。あの寝具、この試練が終わったら私達に下さいな?」
「ぶっほ―……サーセン」
似合わない猫なで声でそう強請るパーラに、ついツボにはまってしまった俺は噴出してしまうが、ギロリと睨みつける彼女の目に射すくめられてつい謝ってしまった。
特大の猫を被る仕草にそこはかとなく漂うあざとさはどこかチコニアを彷彿とさせ、多分ソーマルガで別れていた間にチコニアから仕込まれたか盗み見たものだろうか。
だがそんなパーラの努力も虚しく、返ってきたダルカンの答えは非情なものだった。
「無理だよ。あれは今回の試練に向かう僕達のために特別に貸してもらえたってネイが言ってたんだ。試練が終わったら返却しなきゃいけないからね」
「ちぇー」
「ちなみにですが、同じものを作ってもらうというのは?」
「出来ないことはないと思うけど、材料が特別なものだからかなり値が張るんじゃないかな。あれ一つで屋敷一つと等価って話をどこかで聞いたことはあるね」
流石に寝具一つ作るのにそこまで金は出せない。
ダルカンのいう屋敷がどの規模を指すのかわからないが、小さいが屋敷と呼べるものを建てようすると大金貨単位での計算となるため、これは諦めたほうがよさそうだ。
まだしつこく食い下がろうとするパーラをデザートで黙らせ、食事を終えた俺達は出発の準備に取り掛かった。
装備を身に着け、道具類を荷車へと積み込むと、一晩世話になった宿をただの土と石へともどしていく。
「へぇ~、面白いね。昨日は出来上がるところを見れなかったけど、これの逆の工程で作ってたんだね。でも土魔術でこういうことが出来るなら、土魔術師ももっと優遇されてもよさそうなんだけど」
「殿下、それは違います。こういうしっかりした家を作るのって今のところアンディぐらいしかできないんです。同じようなことを土魔術師全てに求めてはだめですよ」
小山ぐらいになった土を通路の脇へと移動させている俺の背後で、壁際に並んで腰を下ろしているダルカンとパーラはそんなことを話している。
俺一人で十分な作業なので見ているだけでいいとは確かに言ったが、俺のことを話のネタにしているとなれば、少し気になって耳をそばだててしまう。
「そうなの?でもアンディは簡単そうにやってるけど」
「いいですか、殿下。この言葉を覚えておいてください。『アンディだから仕方ない』」
「アンディだから仕方ない……なるほど」
なるほど、じゃねぇよ。
俺をまるで頭のおかしい人間のように言うパーラもパーラだが、それに納得するダルカンもダルカンだ。
確かにこの世界の人間には発想からして異なるアプローチで魔術を運用していると自負しているが、それを持っておかしい存在という認識を持たれるのは心外の極みというもの。
「そう言えば今朝知ったけど、アンディって水と土の魔術が使えるんだね。二属性持ちの魔術師って初めて会ったよ」
「城にいる魔術師で複数属性の使い手はいないんですか?」
「昔はいたらしいけどね。二属性以上を備えた魔術師はもう随分長いこといないそうだよ」
「はぁ~…やっぱり貴重なんだぁ」
「だねぇ~」
俺の話でやや盛り上がり気味の二人だったが、作業が完全に終わったのを察知すると立ち上がってこちらへと近づいてきた。
「お疲れアンディ。どうする、少し休んでから出発する?」
「いや、これぐらいじゃ疲れなんてないよ。すぐに出発しよう。殿下もそれでよろしいですか?」
「うん、僕は構わないよ」
「では、出発します。隊列は昨日と同じですので、パーラの後に続いてください。パーラ、先行してくれ」
「まっかされよー」
なんだその返事。
洞窟を進む俺達は、昨夜の疲労など完全に取れたおかげで足並みも軽く、少々ハイペース気味ではあるが順調に移動を行っていた。
途中、大昔の調査隊のものと思われる錆びた武具を発見したが、遺体と判断できる骨の欠片も見当たらなかったため、それらを回収することもなく先へと進んだ。
過去に青風洞穴へ送り込まれて亡くなった調査隊は膨大な人数になるのだが、それに対して遺体の回収ができたケースはあまりにも少ない。
そのため、遺体の一部か身元の分かりそうな形見でも見つけたら持ち帰ってやりたいというダルカンの優しさは理解できるが、今のところそういったものとは見つけていない。
あの武具もどちらかというと調査隊に随伴した護衛の兵士が身に着けていた大量生産品であるため、所持していた人間を特定できそうにないとなれば重要度もさほど高くない。
荷物にならない範囲であれば何かしらを持ち帰るというのも構わないが、今の俺達は優先すべき目的もあることだし、帰りに回せる用件であればこの場はスルーしてもいいだろう。
昼食を間に挟み、想定よりも速い速度で進み続けた俺達はもうかなり深いところまで入り込んでいる。
道中に何度か魔物の襲撃を受けるが、大抵はパーラの方が一早く接近に気付いて魔術で先制攻撃を行って対処するため、致命的に危険な状況まで至ることはない。
ちなみに、青風洞窟は周囲が非常に硬質な岩肌となっている場所が多く、跳弾の恐れがある銃は使うのを躊躇われており、持ってきてはいるが今のところ火を吹くこともなくパーラの背に収まっている。
今も襲い掛かってきた魔物を危なげなく撃退し、戦闘終了の後始末をしている最中だ。
青楓洞穴内の魔物は素材としての利用価値はほとんど無く、食べられる魔物以外は放っておくことにしている。
別に何か特別な処理をすることなく、このままにしておけば洞窟内の過酷な食物連鎖が死体を片付けてくれるので楽なものだ。
「アンディ、ちょっと」
「どうした?」
戦闘後の装備確認を行っていると、少し離れた所から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
何やらパーラが見つけたようだ。
安全のためにダルカンを背中に隠しながらパーラの方へと向かうと、そこで地面にしゃがみこんで何かを見ているパーラの姿があった。
何か見つけたかという問いをするよりも、まず血の匂いに気付く。
先程の戦闘では魔物に接近されることなく終わったため、匂いの元はパーラの怪我ということはなく、それは地面に転がっている魔物の死体から発せられているものだった。
ランプの明かりに照らされている白に近い灰色の毛並みと、口元に覗く鋭い牙と強靭な脚力を想像しやすいほどに発達した四肢は、この死体が狼のものであると物語っている。
「これ見て」
「…ノルドオオカミか。こんな所にいるとはな」
ノルドオオカミは青風洞穴の外にも普通に生息している狼で、本来群れで動く狼という種族において、このノルドオオカミは正しく一匹狼で暮らすという珍しい生態を持つ。
狼は群れることで危険度が増す生き物だが、このノルドオオカミは単独で十分に危険な生物として知られており、昔話ではたった一匹で騎士団を壊滅させたこともあるとか。
そんな危険な狼でありながら、恐ろしいことにノルドオオカミは魔物ではなく普通の動物の分類になる。
体内に魔石を持たないので魔物ではないということになっているが、それでも戦闘能力は魔物と比べて非常に高く、その凶暴性もあって危険極まりない存在だ。
青風洞穴の生態系は完全に独自のものというわけではないため、こういう外の動物も入り込んでくるのだが、まさかノルドオオカミまでもがいるとは驚いた。
「しかも二匹か?一匹狼のノルドオオカミにしては珍しいな」
「アンディ、よく見てよ。これ、一匹が縦に両断されてる」
そう言ってノルドオオカミの毛皮をパーラが手で摘まんで持ち上げると、ランプの明かりに照らされた肉の断面がよく見える。
体長2メートルほどの巨体を誇るこの狼が綺麗に半分になっているとなると、洞窟内の魔物の仕業というのは考えにくい。
しかも倒した死体を食べることなく放置しているのだからなおのこと魔物同士の戦闘の結果ではないだろう。
「こりゃあまた見事な切り口だな。まず間違いなく剣か、斧の仕業だな」
「頭の方から刃筋が通って行って、尻の方まで綺麗に一直線ってのもすごいよ」
「はぁ~…俺達以外の誰かが先に潜り込んでるってわけか。どっかの命知らずの馬鹿か?」
「ノルドオオカミを一撃で両断する馬鹿?とんだ手練れの馬鹿もいたもんだね」
俺達とは無関係な侵入者の存在を希望的観測を言ってみただけだが、このノルドオオカミを斬ったのは恐らくダルカンの命を狙った刺客だと考えられる。
青風洞穴までの道のりでダルカンの命を狙うようなことがなかったのは、洞窟内に刺客を潜り込ませて暗殺する予定だったからか。
道中でダルカンが死ねば暗殺を疑われてヘンドリクスやナスターシャに疑いは向くが、洞窟内であれば魔物にやられたと結論付けられて話は終わる。
こうなると、この後洞窟を進むとまず間違いなく刺客の襲撃があるということになりそうだ。
倒されたノルドオオカミの毛皮には傷らしい傷もなく、ほぼ一刀のもとに切り捨てられたと見られ、それができるほどに腕の立つ人間が洞窟内で俺達を狙っているとなれば、改めて気を引き締める必要がある。
「殿下、恐らく俺達を狙う刺客が洞窟内にいるものと考えられます」
「刺客?こんなところで?」
「逆に考えると、こんなところに潜り込める実力のある刺客がいるとすれば、ここは暗殺に向いています。当然、相応に腕の立つ相手だとお考え下さい。パーラ、痕跡は探れるか?」
先程からノルドオオカミの死体の周りを探っているパーラは、痕跡を探して刺客の情報を集めることに集中していた。
森や平地であればパーラの追跡術はかなりの精度で相手の人数や身体的特徴にまで迫れるのだが、この洞窟ではどうだろうか。
「うーん…だめだね。足跡らしきものはあるけど、地面が固いせいでほとんど見分けられないよ」
「そうか。せめて人数は割り出せないか?」
「あぁそれなら分かるよ。何か所か見つけれる足跡は全部同一人物のものばかり。つまり、刺客は一人だけってことになるね」
たった一日しか潜っていないが、青風洞穴が単独でいるには危険な場所だというのは十分身に染みた。
だがこの刺客は一人で洞窟内を歩き回り、魔物も難なく撃退している。
暗殺という目的のためには人目に触れるわけにもいかないので、俺達が青風洞穴へと到着するよりも前にこの洞窟に入っているはずだが、ノルドオオカミを一刀両断するぐらいにはまだまだ元気なようだ。
よほどの手練れであれば一人でも暗殺はこなせるだろうが、まともな精神をしているなら一人で危険な場所に向かうことはしない。
となるとこの刺客は頭がイカレてるか、一人でサバイバルと潜伏、暗殺と脱出をこなせる超人か。
ノルドオオカミの死体の新鮮さからそう遠くには行っていないようだが、この先を進む際には刺客の襲撃にも備えなくてはならない。
魔物と違い、人間が人間を殺そうとする場合、非常にめんどくさい巧妙さを持って襲い掛かってくる。
自然のものと人間の痕跡に気を配って移動するとなれば、精神的な消耗も激しくなりそうだ。
「足跡は多分奥に向かってる。微かにわかる程度だけど、左側に寄って歩いてる感じがするから、武器は右腰に下げてるか、むき身のままで右手に持ってるかだね」
「性別とかは分からないか?」
「無理無理。ここらの通路は地面も岩肌のままだし、所々にあるのも粗い土ばっかりだからね。足跡からあんまり細かい情報は拾えないよ」
地面に頬を押し付けるかのようにして足跡を探るパーラだったが、洞窟の環境のせいで追跡に有用な情報はほとんど得られず、悔しげな顔を浮かべている。
とはいえ、向かった方向と人数が分かったのは十分収穫と言えるので、それ以上は贅沢というものだ。
しかし得られた情報の中で気がかりなのは、俺達がこれから向かう灼銀鉱の鉱脈がある場所と、この刺客と思われる足跡の向かった場所が一緒なことだろう。
俺達の仕事は試練をクリアし、無事にダルカンを帰還させることなので、この刺客との闘いは避けえない。
「パーラ、こいつはかなりやばいぞ」
「そうだね。私らは殿下を狙ってくる刺客のいるかもしれない場所に向かうわけなんだから、絶対戦いになるよ」
色々とダルカンを不安にさせそうな情報が揃ってしまったため、自然と声を潜めてパーラと話すことになった。
別に聞かれて困ることではないのだが、ダルカンがまだ子供だということを考えると、あまりストレスをかけ過ぎるのはまずい。
「…仕方ない。いざとなったら逃げるとして、お前が殿下を担いでけ。殿は俺が務める」
「ま、それが妥当だね。それでいいけど、くれぐれも死に急いだりしないでよね?ソーマルガの時みたいなのはもうごめんだよ」
「わかってる」
前に砂漠の流砂に飲み込まれたことを引き合いに出すあたり、パーラも刺客との闘いに危険なものを感じ取っているようだ。
確かにかなりの手練れであろうと予測される刺客との戦闘は厳しいものになるだろうが、逃げの一手を取るのなら俺もそうそう簡単にやられるつもりはない。
せいぜい時間を稼ぐだけ稼いで逃げ切って見せよう。
「アンディ、殿下にはなんて言うの?」
「まぁ全部話して不安にさせる必要はないが、いざという時に逃げるってことだけは伝えておく」
「殿下なら試練の達成を優先させようとするんじゃない?」
「だろうな。けど俺はナスターシャ殿下とネイさんに殿下の安全を約束してるんだ。渋られたら仕方ない。その時は担いででも逃げるさ」
「担ぐのは私だけどね」
簡単な打ち合わせとなった話を切り上げ、不安はあるものの進むしかない俺達は再び目的地目指して歩き出す。
歩みは若干遅くなったものの、周りを警戒する目はダルカンを含めた全員が持つようになり、危険への対処はしやすくなったと言える。
先程のノルドオオカミの死体以降、魔物の姿は見られず、もしかするとこのまま何事もなく目的地へと行けるのではないかと思った矢先、パーラから停止の合図が鳴らされた。
短く二回、後に一回長めに口笛を鳴らすその音は、事前に決められていた合図の内、停止と前方への集合を現しており、荷車をその場に残し、ダルカンの背中を押してパーラの元へと向かう。
やや左側へ向けてカーブを描く通路の始点で、その向こうを窺うようにして壁に張り付いているパーラの肩を軽く叩く。
するとこちらを向かずに通路の向こう側を指さすので、パーラの頭上にトーテムポール状態で覗き込むと、そこに広がっていた何とも言えない幻想的な光景に思わず息を飲む。
そこは俺達が目指す灼銀鉱の鉱脈があるとされる地点よりも少しばかり手前となる場所で、地図では特に何もない通路となっているのだが、壁面の所々が淡く発光して辺りを照らしていた。
僅かに青の混じった白い光と言ったその光景だが、これは事前に聞かされていた灼銀鉱が発するものだろう。
様々な魔道具にも使用される貴重な金属である灼銀鉱だが、採掘する前でも強い魔力に触れるとこういう色で光を放つという特性があり、それを利用して採掘するという手法があるぐらいだ。
つまり目の前の光景は灼銀鋼の鉱脈がここまで延びていたということと、灼銀鉱が反応するほどの魔力を放つ存在がいるということを現している。
そして、この光景を作り出している原因と推測できるのが、通路のど真ん中で仁王立ちしているフルプレートの鎧の主だろう。
頭から足の先まで全身を金属の鎧で覆った騎士と思われるそれは微動だにせず、ただ何かを待ち受けるかのように立つ姿は、その背に何者をも通さんとする意志のようなものを感じる。
「……アンディ、あれってさ例の刺客かな」
「いや、違うんじゃないか?あんな全身鎧で固めた暗殺者って変だろ」
仮にあの鎧が件の刺客だとして考える場合、一応鎧でガチガチに固めた暗殺者というのも有り得なくはないが、青風洞穴であんな動きにくい恰好でいては、戦闘以前に移動だけで体力を消耗してしまうため、可能性としてはかなり低いと見ていい。
「でもさ、あの右手の剣に付いてる血はまだ新しい感じだよ。さっきのノルドオオカミを倒したのがあいつって考えられない?」
ジワリとした明るさの中で、乾きかけの赤黒い血が剣の腹に張り付いているのは俺にも見えている。
確かにあのノルドオオカミの死体との関連を考えずにはいられない以上、パーラの言う通りあれが刺客なのだろうか。
ただ、先程からあの鎧が微動だにせずに立っているのがどうも気になる。
まるで意思を持たないロボットのような立ち姿には、不思議と違和感を覚えない。
と同時に、人としての意思が感じられないせいで携えている剣が鋭さを増して見え、人として刃物に対する本能的な恐ろしさが際立って感じられた。
「なんかあいつ動かないみたいだし、うまいこと避けて行けないかな?」
「灼銀鉱の鉱脈があるのはこの先で、道はこれ一本だけだ。まぁ避けられないだろう」
「いっそこっちから仕掛けてみる?」
「それも悪くないが、まずは一旦下がろう。殿下、このままゆっくり後ろに―」
「待って。あいつが動く。……こっちを見てるみたい。いや見てる!来るよ!」
後退をしようとした瞬間、パーラの口から鎧の動きが伝えられ、切羽詰まった声色で接近を告げると共に、金属が地面を擦る音が聞こえてきた。
それはつまり、全身鎧が大地を踏みしめ、俺達を目指しているということだ。
「後退!パーラ!殿下を連れてけ!」
「了解!アンディは!?」
「あれを食い止める!行け!」
動きを完全に止めているダルカンの首根っこを掴むようにしてパーラがその場から下がるのと入れ替わりで、俺の目の前に重量を感じさせない軽やかな足取りでフルプレートが壁のように現れた。
遠目ではわからなかったが、細かい装飾の施された鎧は中々の値打ちものだと思われ、今振り上げられている剣も芸術品のような見事さと共に、使い込まれた武器特有の鈍い輝きの刃が業物であることを伝えてくる。
一秒が何倍にも引き延ばされたような錯覚を覚える中でそんなことを冷静に分析していたが、近付かれたことで分かる2メートルはあろうかというその巨体による剣の振り下ろしは正確に俺を捉えようとしている。
そのまま剣を受け入れれば、道中で見たノルドオオカミのように一刀両断されて俺の開きが出来上がってしまう。
勿論そんなものはお断りであるので、こちらも腰に提げた剣を引き抜く動作と振り上げる動作を同時に行う、所謂居合のような形で迎撃を行った。
当然強化魔術による腕力増強も行っており、振り上げる速さは俺史上最速だと言える出来だ。
金属と金属がぶつかり合う音というのはいつ聞いても耳障りなもので、それが互いに力のこもった一撃同士の激突となれば、辺りに響く音も豪音と呼べるものになる。
剣と剣がぶつかるとなれば、普通に考えて重力が味方する振り下ろす側に有利なのだが、強化魔術で底上げした腕力と、受け流すことを意識した刃の立て方によって、俺に圧し掛かるようだった剣身は滑るようにして俺の隣の地面へと落とされた。
たった一瞬の交差であったが、それだけでこいつとの実力の差ははっきりとわかった。
確実に言えるのは剣での勝負となると俺に分が悪いということ。
比較対象としてネイを上げると、こいつはそのネイよりも強いかもしれない。
人を斬ることに一欠けらの躊躇いも見せない剣筋に、重量級の魔物のような重さのある攻撃はネイにはなかった脅威だ。
ネイとこいつには要素要素で優劣はあれど、今この場所この瞬間において、確実にネイよりも強いと思わせる。
狭い洞窟内で動きが制限される中、ガチガチに硬い装甲を身に纏っている人間と剣で相手をするのは、実にやりづらい。
「何者だ!我らをダルカン殿下一行と知っての狼藉か!」
思いの外実力差がある相手に、とりあえずの時間稼ぎをとそう声をかける。
答えが返ってくることは期待していないが、ダルカンの名前を出せば何かしら反応はあると思った。
兜で顔が見えないのはともかく、少なくとも構える剣に感情が現れるだろうという予想だったが、目の前に立つ刺客は全くそういったものを出さない。
正しく感情の希薄な印象そのままといった鎧の主に、交渉の余地はないと分かっただけでも収穫と言っていいのか。
どちらにせよ、こいつを足止めしてパーラ達が逃げる時間を稼ぐためにも、しばらくは剣でやりあう必要がありそうだ。
なんとなくだが、こいつには生半可な魔術は効きそうにない気がしているし、先程の剣の冴えを見るに、溜めの必要な強力な魔術は発動を潰されそうな予感がビンビンしている。
最悪、レールガンモドキで洞窟の天上を打ち抜いて通路の崩落も考えておこう。
逃げるためならそれぐらいはやる必要がある、それほどに目の前の敵から感じるプレッシャーは重いものだった。
見張りからそのまま朝食の準備へと移り、リビングスペースに朝食の匂いが漂いだした頃、その匂いに惹かれるようにしてダルカンが起きてきた。
「おはよう、アンディ。顔を洗いたいんだけど、水をもらえるかな?」
「おはようございます、殿下。でしたらこちらをお使いください。俺の水魔術で水分を集めましたので、清潔です。この水は飲み水とは別なので使い切って結構ですよ」
「すごいねこれ。じゃあ使わせてもらうよ、ありがとう」
水魔術で宙に浮かせた水球をダルカンの目の前へとゆっくり持っていくと、静かに水面へと顔をつけて洗うのを見守る。
寝起きでもしっかりとした様子のダルカンは、どうやら昨日の疲れが残ってはいないようだ。
「では殿下、俺はバーラを起こしてきますので、先にテーブルでお待ち下さい。すぐに朝食を用意します」
「うん、わかった」
顔を洗ってさっぱりとした様子となったダルカンにタオルを手渡し、朝食の準備が整うまで待ってもらうことになった。
昨夜は別々に夕食を取った俺達だったが、今朝はダルカンの望みで全員一緒のテーブルでの食事というスタイルとなっている。
朝食の準備が整い、テーブルの上に次々と皿が並べられていくが、いつもなら匂いに敏感なパーラはとっくに起きてテーブルへと着いているはずなのだが、今朝はまだ姿を見せていない。
ダルカンに断りパーラの様子を見に行くと、そこには惰眠を貪り、起きる気配を微塵も見せないパーラののんきな寝顔があった。
昨夜、見張りの交代でパーラに起こされるまで時間をすっ飛ばされたような奇妙な睡眠を体験した身としては、こうまで無防備な状態を生み出すこの寝具の恐ろしさに一瞬身震いを覚えた。
疲労回復の観点からすると熟睡することは悪いことではないのだが、安全とは言えない場所で野営をする以上、あまり深い眠りに入ってしまうといざという時に動き出しが遅くなってしまうため、この寝具は色々と危険な道具だと言える。
じゃあ使うのをやめるかと言われれば、一度知ってしまった快適さを手放すには惜しいというのが人間の性というもので…。
まぁ気を付けて使っていこうということだ。
それはともかく、今は目の前で眠りこけるパーラを起こすという本来の目的を果たすとしよう。
寝袋から覗くパーラの肩を揺らしながら声をかけ、意識を覚醒へと促してみる。
「おいパーラ、起きろ。朝食ができてるぞ」
「ん~…もう食べられない……なんて言わないよ絶対~…」
「じゃあ早く起きて食べろよ。いらないなら俺と殿下で全部食っちまうぞ」
「ぁあー…食べるよぉ…」
ある意味ベタだが変化球な寝言を言いながら、寝返りを一回転打ち、もそもそと這い出てくるパーラの背中を軽く叩き、ダルカンが待つ食卓へと戻った。
後からついてくるゾンビのようなパーラの足取りに不安を覚えるが、あれでも一応冒険者なので、寝起きで不覚になるということはないと思いたい。
「いやぁ~あの敷き具は凄いね。あんなに薄いのに包み込まれるみたいで、今まで味わった寝具なんか霞んじゃうよ。私が昨日横になってからすぐアンディに起こされたって感じだもん。あ、お代わりちょうだい」
軽快に喋りながらも食べる手を緩めないという器用な真似を披露するパーラから突き出された皿にお代わりを盛り付けてやる。
「あははは、それだけ喜んでもらえたら城の職人も喜ぶよ、きっと。僕も初めてあれで寝たけど、確かにパーラの言う意通りかもね。城に戻ったらあれ抜きで寝れるか不安になるよ」
「城の職人というと、やはりあの寝具は魔道具なのですか?」
「んー…確か聞いた話だと、寝具の中に詰めている素材が特別で、それを作るのに特別な魔道具が必要だって言ってたね。だから、間に魔道具が関係しているだけで、実際は普通の道具だそうだよ」
あれを普通の道具というのは些か納得のいかないものはあるが、魔道具で製作される特殊な材料を用いているだけで、寝具本体にはなんら魔術的な仕掛けは存在していない以上、あれは魔道具ではないと言える。
しかしそうなると、魔道具でもないのにあれだけの快眠をもたらすとは、その職人はぶっ飛んだ腕の持主かと思えてくる。
「ねぇ殿下~。あの寝具、この試練が終わったら私達に下さいな?」
「ぶっほ―……サーセン」
似合わない猫なで声でそう強請るパーラに、ついツボにはまってしまった俺は噴出してしまうが、ギロリと睨みつける彼女の目に射すくめられてつい謝ってしまった。
特大の猫を被る仕草にそこはかとなく漂うあざとさはどこかチコニアを彷彿とさせ、多分ソーマルガで別れていた間にチコニアから仕込まれたか盗み見たものだろうか。
だがそんなパーラの努力も虚しく、返ってきたダルカンの答えは非情なものだった。
「無理だよ。あれは今回の試練に向かう僕達のために特別に貸してもらえたってネイが言ってたんだ。試練が終わったら返却しなきゃいけないからね」
「ちぇー」
「ちなみにですが、同じものを作ってもらうというのは?」
「出来ないことはないと思うけど、材料が特別なものだからかなり値が張るんじゃないかな。あれ一つで屋敷一つと等価って話をどこかで聞いたことはあるね」
流石に寝具一つ作るのにそこまで金は出せない。
ダルカンのいう屋敷がどの規模を指すのかわからないが、小さいが屋敷と呼べるものを建てようすると大金貨単位での計算となるため、これは諦めたほうがよさそうだ。
まだしつこく食い下がろうとするパーラをデザートで黙らせ、食事を終えた俺達は出発の準備に取り掛かった。
装備を身に着け、道具類を荷車へと積み込むと、一晩世話になった宿をただの土と石へともどしていく。
「へぇ~、面白いね。昨日は出来上がるところを見れなかったけど、これの逆の工程で作ってたんだね。でも土魔術でこういうことが出来るなら、土魔術師ももっと優遇されてもよさそうなんだけど」
「殿下、それは違います。こういうしっかりした家を作るのって今のところアンディぐらいしかできないんです。同じようなことを土魔術師全てに求めてはだめですよ」
小山ぐらいになった土を通路の脇へと移動させている俺の背後で、壁際に並んで腰を下ろしているダルカンとパーラはそんなことを話している。
俺一人で十分な作業なので見ているだけでいいとは確かに言ったが、俺のことを話のネタにしているとなれば、少し気になって耳をそばだててしまう。
「そうなの?でもアンディは簡単そうにやってるけど」
「いいですか、殿下。この言葉を覚えておいてください。『アンディだから仕方ない』」
「アンディだから仕方ない……なるほど」
なるほど、じゃねぇよ。
俺をまるで頭のおかしい人間のように言うパーラもパーラだが、それに納得するダルカンもダルカンだ。
確かにこの世界の人間には発想からして異なるアプローチで魔術を運用していると自負しているが、それを持っておかしい存在という認識を持たれるのは心外の極みというもの。
「そう言えば今朝知ったけど、アンディって水と土の魔術が使えるんだね。二属性持ちの魔術師って初めて会ったよ」
「城にいる魔術師で複数属性の使い手はいないんですか?」
「昔はいたらしいけどね。二属性以上を備えた魔術師はもう随分長いこといないそうだよ」
「はぁ~…やっぱり貴重なんだぁ」
「だねぇ~」
俺の話でやや盛り上がり気味の二人だったが、作業が完全に終わったのを察知すると立ち上がってこちらへと近づいてきた。
「お疲れアンディ。どうする、少し休んでから出発する?」
「いや、これぐらいじゃ疲れなんてないよ。すぐに出発しよう。殿下もそれでよろしいですか?」
「うん、僕は構わないよ」
「では、出発します。隊列は昨日と同じですので、パーラの後に続いてください。パーラ、先行してくれ」
「まっかされよー」
なんだその返事。
洞窟を進む俺達は、昨夜の疲労など完全に取れたおかげで足並みも軽く、少々ハイペース気味ではあるが順調に移動を行っていた。
途中、大昔の調査隊のものと思われる錆びた武具を発見したが、遺体と判断できる骨の欠片も見当たらなかったため、それらを回収することもなく先へと進んだ。
過去に青風洞穴へ送り込まれて亡くなった調査隊は膨大な人数になるのだが、それに対して遺体の回収ができたケースはあまりにも少ない。
そのため、遺体の一部か身元の分かりそうな形見でも見つけたら持ち帰ってやりたいというダルカンの優しさは理解できるが、今のところそういったものとは見つけていない。
あの武具もどちらかというと調査隊に随伴した護衛の兵士が身に着けていた大量生産品であるため、所持していた人間を特定できそうにないとなれば重要度もさほど高くない。
荷物にならない範囲であれば何かしらを持ち帰るというのも構わないが、今の俺達は優先すべき目的もあることだし、帰りに回せる用件であればこの場はスルーしてもいいだろう。
昼食を間に挟み、想定よりも速い速度で進み続けた俺達はもうかなり深いところまで入り込んでいる。
道中に何度か魔物の襲撃を受けるが、大抵はパーラの方が一早く接近に気付いて魔術で先制攻撃を行って対処するため、致命的に危険な状況まで至ることはない。
ちなみに、青風洞窟は周囲が非常に硬質な岩肌となっている場所が多く、跳弾の恐れがある銃は使うのを躊躇われており、持ってきてはいるが今のところ火を吹くこともなくパーラの背に収まっている。
今も襲い掛かってきた魔物を危なげなく撃退し、戦闘終了の後始末をしている最中だ。
青楓洞穴内の魔物は素材としての利用価値はほとんど無く、食べられる魔物以外は放っておくことにしている。
別に何か特別な処理をすることなく、このままにしておけば洞窟内の過酷な食物連鎖が死体を片付けてくれるので楽なものだ。
「アンディ、ちょっと」
「どうした?」
戦闘後の装備確認を行っていると、少し離れた所から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
何やらパーラが見つけたようだ。
安全のためにダルカンを背中に隠しながらパーラの方へと向かうと、そこで地面にしゃがみこんで何かを見ているパーラの姿があった。
何か見つけたかという問いをするよりも、まず血の匂いに気付く。
先程の戦闘では魔物に接近されることなく終わったため、匂いの元はパーラの怪我ということはなく、それは地面に転がっている魔物の死体から発せられているものだった。
ランプの明かりに照らされている白に近い灰色の毛並みと、口元に覗く鋭い牙と強靭な脚力を想像しやすいほどに発達した四肢は、この死体が狼のものであると物語っている。
「これ見て」
「…ノルドオオカミか。こんな所にいるとはな」
ノルドオオカミは青風洞穴の外にも普通に生息している狼で、本来群れで動く狼という種族において、このノルドオオカミは正しく一匹狼で暮らすという珍しい生態を持つ。
狼は群れることで危険度が増す生き物だが、このノルドオオカミは単独で十分に危険な生物として知られており、昔話ではたった一匹で騎士団を壊滅させたこともあるとか。
そんな危険な狼でありながら、恐ろしいことにノルドオオカミは魔物ではなく普通の動物の分類になる。
体内に魔石を持たないので魔物ではないということになっているが、それでも戦闘能力は魔物と比べて非常に高く、その凶暴性もあって危険極まりない存在だ。
青風洞穴の生態系は完全に独自のものというわけではないため、こういう外の動物も入り込んでくるのだが、まさかノルドオオカミまでもがいるとは驚いた。
「しかも二匹か?一匹狼のノルドオオカミにしては珍しいな」
「アンディ、よく見てよ。これ、一匹が縦に両断されてる」
そう言ってノルドオオカミの毛皮をパーラが手で摘まんで持ち上げると、ランプの明かりに照らされた肉の断面がよく見える。
体長2メートルほどの巨体を誇るこの狼が綺麗に半分になっているとなると、洞窟内の魔物の仕業というのは考えにくい。
しかも倒した死体を食べることなく放置しているのだからなおのこと魔物同士の戦闘の結果ではないだろう。
「こりゃあまた見事な切り口だな。まず間違いなく剣か、斧の仕業だな」
「頭の方から刃筋が通って行って、尻の方まで綺麗に一直線ってのもすごいよ」
「はぁ~…俺達以外の誰かが先に潜り込んでるってわけか。どっかの命知らずの馬鹿か?」
「ノルドオオカミを一撃で両断する馬鹿?とんだ手練れの馬鹿もいたもんだね」
俺達とは無関係な侵入者の存在を希望的観測を言ってみただけだが、このノルドオオカミを斬ったのは恐らくダルカンの命を狙った刺客だと考えられる。
青風洞穴までの道のりでダルカンの命を狙うようなことがなかったのは、洞窟内に刺客を潜り込ませて暗殺する予定だったからか。
道中でダルカンが死ねば暗殺を疑われてヘンドリクスやナスターシャに疑いは向くが、洞窟内であれば魔物にやられたと結論付けられて話は終わる。
こうなると、この後洞窟を進むとまず間違いなく刺客の襲撃があるということになりそうだ。
倒されたノルドオオカミの毛皮には傷らしい傷もなく、ほぼ一刀のもとに切り捨てられたと見られ、それができるほどに腕の立つ人間が洞窟内で俺達を狙っているとなれば、改めて気を引き締める必要がある。
「殿下、恐らく俺達を狙う刺客が洞窟内にいるものと考えられます」
「刺客?こんなところで?」
「逆に考えると、こんなところに潜り込める実力のある刺客がいるとすれば、ここは暗殺に向いています。当然、相応に腕の立つ相手だとお考え下さい。パーラ、痕跡は探れるか?」
先程からノルドオオカミの死体の周りを探っているパーラは、痕跡を探して刺客の情報を集めることに集中していた。
森や平地であればパーラの追跡術はかなりの精度で相手の人数や身体的特徴にまで迫れるのだが、この洞窟ではどうだろうか。
「うーん…だめだね。足跡らしきものはあるけど、地面が固いせいでほとんど見分けられないよ」
「そうか。せめて人数は割り出せないか?」
「あぁそれなら分かるよ。何か所か見つけれる足跡は全部同一人物のものばかり。つまり、刺客は一人だけってことになるね」
たった一日しか潜っていないが、青風洞穴が単独でいるには危険な場所だというのは十分身に染みた。
だがこの刺客は一人で洞窟内を歩き回り、魔物も難なく撃退している。
暗殺という目的のためには人目に触れるわけにもいかないので、俺達が青風洞穴へと到着するよりも前にこの洞窟に入っているはずだが、ノルドオオカミを一刀両断するぐらいにはまだまだ元気なようだ。
よほどの手練れであれば一人でも暗殺はこなせるだろうが、まともな精神をしているなら一人で危険な場所に向かうことはしない。
となるとこの刺客は頭がイカレてるか、一人でサバイバルと潜伏、暗殺と脱出をこなせる超人か。
ノルドオオカミの死体の新鮮さからそう遠くには行っていないようだが、この先を進む際には刺客の襲撃にも備えなくてはならない。
魔物と違い、人間が人間を殺そうとする場合、非常にめんどくさい巧妙さを持って襲い掛かってくる。
自然のものと人間の痕跡に気を配って移動するとなれば、精神的な消耗も激しくなりそうだ。
「足跡は多分奥に向かってる。微かにわかる程度だけど、左側に寄って歩いてる感じがするから、武器は右腰に下げてるか、むき身のままで右手に持ってるかだね」
「性別とかは分からないか?」
「無理無理。ここらの通路は地面も岩肌のままだし、所々にあるのも粗い土ばっかりだからね。足跡からあんまり細かい情報は拾えないよ」
地面に頬を押し付けるかのようにして足跡を探るパーラだったが、洞窟の環境のせいで追跡に有用な情報はほとんど得られず、悔しげな顔を浮かべている。
とはいえ、向かった方向と人数が分かったのは十分収穫と言えるので、それ以上は贅沢というものだ。
しかし得られた情報の中で気がかりなのは、俺達がこれから向かう灼銀鉱の鉱脈がある場所と、この刺客と思われる足跡の向かった場所が一緒なことだろう。
俺達の仕事は試練をクリアし、無事にダルカンを帰還させることなので、この刺客との闘いは避けえない。
「パーラ、こいつはかなりやばいぞ」
「そうだね。私らは殿下を狙ってくる刺客のいるかもしれない場所に向かうわけなんだから、絶対戦いになるよ」
色々とダルカンを不安にさせそうな情報が揃ってしまったため、自然と声を潜めてパーラと話すことになった。
別に聞かれて困ることではないのだが、ダルカンがまだ子供だということを考えると、あまりストレスをかけ過ぎるのはまずい。
「…仕方ない。いざとなったら逃げるとして、お前が殿下を担いでけ。殿は俺が務める」
「ま、それが妥当だね。それでいいけど、くれぐれも死に急いだりしないでよね?ソーマルガの時みたいなのはもうごめんだよ」
「わかってる」
前に砂漠の流砂に飲み込まれたことを引き合いに出すあたり、パーラも刺客との闘いに危険なものを感じ取っているようだ。
確かにかなりの手練れであろうと予測される刺客との戦闘は厳しいものになるだろうが、逃げの一手を取るのなら俺もそうそう簡単にやられるつもりはない。
せいぜい時間を稼ぐだけ稼いで逃げ切って見せよう。
「アンディ、殿下にはなんて言うの?」
「まぁ全部話して不安にさせる必要はないが、いざという時に逃げるってことだけは伝えておく」
「殿下なら試練の達成を優先させようとするんじゃない?」
「だろうな。けど俺はナスターシャ殿下とネイさんに殿下の安全を約束してるんだ。渋られたら仕方ない。その時は担いででも逃げるさ」
「担ぐのは私だけどね」
簡単な打ち合わせとなった話を切り上げ、不安はあるものの進むしかない俺達は再び目的地目指して歩き出す。
歩みは若干遅くなったものの、周りを警戒する目はダルカンを含めた全員が持つようになり、危険への対処はしやすくなったと言える。
先程のノルドオオカミの死体以降、魔物の姿は見られず、もしかするとこのまま何事もなく目的地へと行けるのではないかと思った矢先、パーラから停止の合図が鳴らされた。
短く二回、後に一回長めに口笛を鳴らすその音は、事前に決められていた合図の内、停止と前方への集合を現しており、荷車をその場に残し、ダルカンの背中を押してパーラの元へと向かう。
やや左側へ向けてカーブを描く通路の始点で、その向こうを窺うようにして壁に張り付いているパーラの肩を軽く叩く。
するとこちらを向かずに通路の向こう側を指さすので、パーラの頭上にトーテムポール状態で覗き込むと、そこに広がっていた何とも言えない幻想的な光景に思わず息を飲む。
そこは俺達が目指す灼銀鉱の鉱脈があるとされる地点よりも少しばかり手前となる場所で、地図では特に何もない通路となっているのだが、壁面の所々が淡く発光して辺りを照らしていた。
僅かに青の混じった白い光と言ったその光景だが、これは事前に聞かされていた灼銀鉱が発するものだろう。
様々な魔道具にも使用される貴重な金属である灼銀鉱だが、採掘する前でも強い魔力に触れるとこういう色で光を放つという特性があり、それを利用して採掘するという手法があるぐらいだ。
つまり目の前の光景は灼銀鋼の鉱脈がここまで延びていたということと、灼銀鉱が反応するほどの魔力を放つ存在がいるということを現している。
そして、この光景を作り出している原因と推測できるのが、通路のど真ん中で仁王立ちしているフルプレートの鎧の主だろう。
頭から足の先まで全身を金属の鎧で覆った騎士と思われるそれは微動だにせず、ただ何かを待ち受けるかのように立つ姿は、その背に何者をも通さんとする意志のようなものを感じる。
「……アンディ、あれってさ例の刺客かな」
「いや、違うんじゃないか?あんな全身鎧で固めた暗殺者って変だろ」
仮にあの鎧が件の刺客だとして考える場合、一応鎧でガチガチに固めた暗殺者というのも有り得なくはないが、青風洞穴であんな動きにくい恰好でいては、戦闘以前に移動だけで体力を消耗してしまうため、可能性としてはかなり低いと見ていい。
「でもさ、あの右手の剣に付いてる血はまだ新しい感じだよ。さっきのノルドオオカミを倒したのがあいつって考えられない?」
ジワリとした明るさの中で、乾きかけの赤黒い血が剣の腹に張り付いているのは俺にも見えている。
確かにあのノルドオオカミの死体との関連を考えずにはいられない以上、パーラの言う通りあれが刺客なのだろうか。
ただ、先程からあの鎧が微動だにせずに立っているのがどうも気になる。
まるで意思を持たないロボットのような立ち姿には、不思議と違和感を覚えない。
と同時に、人としての意思が感じられないせいで携えている剣が鋭さを増して見え、人として刃物に対する本能的な恐ろしさが際立って感じられた。
「なんかあいつ動かないみたいだし、うまいこと避けて行けないかな?」
「灼銀鉱の鉱脈があるのはこの先で、道はこれ一本だけだ。まぁ避けられないだろう」
「いっそこっちから仕掛けてみる?」
「それも悪くないが、まずは一旦下がろう。殿下、このままゆっくり後ろに―」
「待って。あいつが動く。……こっちを見てるみたい。いや見てる!来るよ!」
後退をしようとした瞬間、パーラの口から鎧の動きが伝えられ、切羽詰まった声色で接近を告げると共に、金属が地面を擦る音が聞こえてきた。
それはつまり、全身鎧が大地を踏みしめ、俺達を目指しているということだ。
「後退!パーラ!殿下を連れてけ!」
「了解!アンディは!?」
「あれを食い止める!行け!」
動きを完全に止めているダルカンの首根っこを掴むようにしてパーラがその場から下がるのと入れ替わりで、俺の目の前に重量を感じさせない軽やかな足取りでフルプレートが壁のように現れた。
遠目ではわからなかったが、細かい装飾の施された鎧は中々の値打ちものだと思われ、今振り上げられている剣も芸術品のような見事さと共に、使い込まれた武器特有の鈍い輝きの刃が業物であることを伝えてくる。
一秒が何倍にも引き延ばされたような錯覚を覚える中でそんなことを冷静に分析していたが、近付かれたことで分かる2メートルはあろうかというその巨体による剣の振り下ろしは正確に俺を捉えようとしている。
そのまま剣を受け入れれば、道中で見たノルドオオカミのように一刀両断されて俺の開きが出来上がってしまう。
勿論そんなものはお断りであるので、こちらも腰に提げた剣を引き抜く動作と振り上げる動作を同時に行う、所謂居合のような形で迎撃を行った。
当然強化魔術による腕力増強も行っており、振り上げる速さは俺史上最速だと言える出来だ。
金属と金属がぶつかり合う音というのはいつ聞いても耳障りなもので、それが互いに力のこもった一撃同士の激突となれば、辺りに響く音も豪音と呼べるものになる。
剣と剣がぶつかるとなれば、普通に考えて重力が味方する振り下ろす側に有利なのだが、強化魔術で底上げした腕力と、受け流すことを意識した刃の立て方によって、俺に圧し掛かるようだった剣身は滑るようにして俺の隣の地面へと落とされた。
たった一瞬の交差であったが、それだけでこいつとの実力の差ははっきりとわかった。
確実に言えるのは剣での勝負となると俺に分が悪いということ。
比較対象としてネイを上げると、こいつはそのネイよりも強いかもしれない。
人を斬ることに一欠けらの躊躇いも見せない剣筋に、重量級の魔物のような重さのある攻撃はネイにはなかった脅威だ。
ネイとこいつには要素要素で優劣はあれど、今この場所この瞬間において、確実にネイよりも強いと思わせる。
狭い洞窟内で動きが制限される中、ガチガチに硬い装甲を身に纏っている人間と剣で相手をするのは、実にやりづらい。
「何者だ!我らをダルカン殿下一行と知っての狼藉か!」
思いの外実力差がある相手に、とりあえずの時間稼ぎをとそう声をかける。
答えが返ってくることは期待していないが、ダルカンの名前を出せば何かしら反応はあると思った。
兜で顔が見えないのはともかく、少なくとも構える剣に感情が現れるだろうという予想だったが、目の前に立つ刺客は全くそういったものを出さない。
正しく感情の希薄な印象そのままといった鎧の主に、交渉の余地はないと分かっただけでも収穫と言っていいのか。
どちらにせよ、こいつを足止めしてパーラ達が逃げる時間を稼ぐためにも、しばらくは剣でやりあう必要がありそうだ。
なんとなくだが、こいつには生半可な魔術は効きそうにない気がしているし、先程の剣の冴えを見るに、溜めの必要な強力な魔術は発動を潰されそうな予感がビンビンしている。
最悪、レールガンモドキで洞窟の天上を打ち抜いて通路の崩落も考えておこう。
逃げるためならそれぐらいはやる必要がある、それほどに目の前の敵から感じるプレッシャーは重いものだった。
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