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明日のナスターシャ

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晩餐会の翌日、ナスターシャの使者として訪れた使用人に案内されて茶の席が用意されているという部屋へと向かった。
王族でしかも女性であるナスターシャは生活の場所もダルカンとは大分違うようで、若干煌びやかさが3割増しと言った調度品が並ぶ通路を抜けた先にあった豪奢な扉の先でナスターシャが待っていた。

昨夜とは打って変わった薄紫のデール姿は、怜悧な雰囲気もあってか、キャリアウーマンという言葉が相応しい印象を受ける。
ドレスではなくデールを着ているナスターシャの姿の方が妙にしっくり来るように感じるのは、普段から動きやすさを重視した服装を愛用しているからかもしれない。

「ナスターシャ殿下、この度はお招きいただき光栄の至りに存じます」

部屋に入ってまずはナスターシャへと誘ってもらったことの礼を口にする。
本心でどう思っていようと、王族からの誘いに乗ってこうしてやってきた以上、こういう挨拶は欠くわけにはいかない。

「ようこそいらっしゃいました。さぁ、お掛けになって。今お茶を用意させます」
「は、失礼します」

部屋の窓際に置かれたテーブルへと着いたナスターシャに続き、その対面に俺も座る。
すぐに運ばれてきたお茶とお茶請けによって、テーブルの上が埋められていく。
準備が整うまでの間、室内を見てみる。

ダルカンもそうだったが、王族は自室とは別にそれぞれ自分が好きなように使える部屋と言うのを持っており、この部屋もそういうもののようだ。
室内にあるテーブルや椅子などといったものを含めた調度品全般がシックな感じでまとめられているのは、恐らくナスターシャの趣味だろう。
想像通り、実用性を重視する性格がこういうところにも表れている。

「さあ、まずはお茶を楽しみましょう。知人の伝手でいい茶葉を手に入れることができましたから、味わって下さいな」

目の前に置かれたカップを手にし、顔を近づけると立ち上る湯気と共にお茶の香りが鼻腔を満たす。
てっきり紅茶なのかと思っていたのだが、匂いは烏龍茶っぽい感じだ。
チラリとナスターシャの方を窺うと普通に飲んでいるので、お茶としてはおかしな飲み物ではないらしい。

口に含んでみると風味は烏龍茶、渋みはほぼなく酸味が強いという味は少し変わっているように舌で感じた。
だが悪くない、決して悪くないぞ。
気が付くと一杯目を飲み干しており、空になったカップを覗いて思わずため息が出てしまう。

それに気づいたのか、ナスターシャが手ずから俺のカップへとお茶を注いでくれる。
ナスターシャ直々にお茶を入れるとは少し驚いたが、気が付くと先程までいた使用人がいつの間にかいなくなっており、部屋の中には俺とナスターシャだけがいるという状況になっていた。
余人を交えず話したいということだろう。

二杯目のお茶を今度はゆっくりと味わう時間は暫く沈黙をもたらしていた。
ふと目を向けた窓の外には、ダルカンのところほどではないが青々として植物の茂庭が広がっていた。
ここも温室のように天井がガラス張りとなっているようで、降り注ぐ太陽を浴びて育つ植物達の賛歌が聞こえてくるようだ。

「アンディ、とお呼びしてよろしいかしら?」
「ええ、勿論です。どうかご随意に」

ここに来て俺の呼び方を決めかねていたのか、いやどちらかというと会話の糸口に使われたような気がしているが、それをきっかけにナスターシャが相変わらずの平坦な感情のままに話し始めた。

「あなた方はアシャドルからこちらへと来たそうですね。いかがかしら?我が国を見てどう感じたのか、忌憚のない意見を聞かせていただきたいのですが」
「どう、とは…また答えに困る質問ですね。いい国だとは思っていますが、それだけでは満足なさらないのでしょう?一体何をお答えすればよいのやら」
「何でも構いません。あなたの目で見、耳で聞き、肌で感じたものを知りたいのですよ」

世間話のつもりなのか、この国についての感想を求められたわけだが、普通なら美辞麗句を並べて国と統治する人間を褒めればまぁ大抵はやり過ごせるのだが、このナスターシャの場合はそれが正解だとは思えない。
俺が今まで見てきた人間の中で、断トツに頭がいいであろうこのナスターシャが求める答えは、恐らく俺の本心からのものだ。
客観的にチャスリウスを見た他国の人間で、言葉を飾らないものを欲していると予想する。

そういうことならこの国に来てから体験したものを俺の言葉で語るのが一番だ。
馬やバイクなどで陸路を進んでいれば国民の暮らしぶりなども肌で知ることができたのだが、飛空艇という移動手段のおかげで大幅にショートカット出来てしまった弊害で、俺が話せるのは首都に来てからの暮らしぶりから得たものになってしまう。

「広場一つが大道芸人の集まる場となっているのには驚きました。勿論アシャドルにも大道芸人はいるのですが、あれだけの人数が一箇所に集まってというのは初めて見ました」
「ああいう大道芸人が一箇所に集められたのは昔いた貴族による発案だそうです。わたくしも詳しくは知りませんが、多くの芸が混ざり合って新しい文化が生まれるのだとか」
「なるほど、自分以外の芸人と触れ合って刺激を与え合うという狙いですか。その発案されたという貴族の方は先見の明がおありのようですね」
「きっとそうなのでしょう。現に、あなたとエファクが出会って生まれたというあの歌。芸術に疎いわたくしでも唸らずにはいられないものでしたから」

流石チャスリウスの王族というだけあって、ナスターシャの語るバックグランドはかなり面白い。
大道芸人にとって自分の芸というのは飯の種だ。
それを見せあって刺激とするという考えは、かなり大胆で先進的な発想と言える。

そういう頭を持つ人間であれば、さぞや公国の発展に尽力したのだろうと思ったが、残念ながら当時の保守勢力によって政治の中枢から遠ざけられた件の貴族がチャスリウスに残せたものは先の大道芸人関係のものだけだ。

方向性は違えど、芸術関係で後世にまで影響を残しているその貴族の偉業に、かつてアシャドルで知った古の軍師ルフマに似た何かを感じてしまう。
為人を知ることのできる資料が殆どないという点までもそっくりで、何かしらの関係性を疑ってしまうが、ルフマよりも生きている時代は大分最近なので偶然だろう。

ここまで話して少し乾いた喉をお茶で潤し、一息ついたところでこちらを見ているナスターシャと目が合い、彼女の方から口を開いた。

「アンディ、あなたは冒険者だと聞いています。しかしながらその見識には舌を巻く思いです。一体どのような生き方をすればその歳でそこまで老成するのか、非常に興味があります」

実は中身は30越えのおっさんでしたなどとは言えないので、ここは曖昧な笑みでとそれっぽい言葉で濁しておくのがよさそうだ。

「色々と旅を続けていると、違う見方が必要な場面というものも多くあります。もし殿下が私をそのように思われるとすれば、それは旅の中で身に着けた小賢しさに過ぎません。見識などという大それた言葉は似合わぬでしょう」
「そうでしょうか?少し話しただけでも、わたくしにはあなたの内に潜む知識の塊を匂わされました」

買い被りすぎだと言いたいところだが、この世界よりも科学技術という点では大分進んだ世界を知っているだけに、確かにナスターシャが思いつかないようなものも考えつく。
さらに言えば、王族と農家では根っこの考え方も大きく違う。
先程の会話も、その差異からナスターシャには刺激のあるものとなっていたようだ。

「…アンディ、あなたは先ほど、この国をいい国だと仰いましたね」

唐突に振られた話に、一瞬怪訝な顔になるが、ナスターシャが庭の先のさらに遠くを眺めるような眼をしているのに気付き、黙って続きを待つ。

「わたくしはこの国を愛しています。今日までわたくしを育んでくれた大地とそこに暮らす民を含めた全てを愛しています」
「ナスターシャ殿下は王族であらせられますれば」

自国を愛するというのはその国の王族であれば当然のように育てられる思想だ。
国を愛さずに家を、民を、国を治めることは出来ない。
ナスターシャにしてみれば当然の思いを口にしているだけなのだが、聞いている側からは悲しみと怒りもその言葉の根底に流れているように聞こえてならない。

「ええ、その通りです。王族であるのならば国と民を愛するものです。ならば、王となる者もまた国を思う人間がなるべきだと思いませんか?」
「…それが自分だと?」

ヘンドリクスでもダルカンでもない、この国を愛している自分こそが王となるべきだ、と言いたいのだろうか。
思いの強さを誰かと比べるということは難しいもので、このナスターシャの言い分は今一つ説得力に欠けている。
しかし、次にナスターシャの口から飛び出した言葉はあまりにも意外なものだった。

「いいえ、わたくしでは国は割れましょう。真に王となるべきなのはダルカンです。そのためにわたくしは今日まで生きてきたのですから」
「…は?いや、ちょっと待ってください。どういうことでしょうか?ナスターシャ殿下はダルカン殿下を王とするのを阻止するために、試しの儀を用意したはずです」

つい直接的にナスターシャの狙いを口走ってしまったが、それだけ今の俺が受けた衝撃は大きかったのだ。

確かヘンドリクスとナスターシャが水面下で玉座を巡って争っていたところに、急遽持ち上がったダルカンの後継者指名が今の状況へと繋がっていると聞いていた。
だからナスターシャはダルカンの排除を企んだものだと思っていたのに、これではまるでダルカンを王にするため動いていたということになる。
てっきりダルカンを亡き者とするための試練だと思っていたのだが、こうなってくると見方も変わってくる。

「……全ては兄上、ヘンドリクスへの対抗だった、と言えば信じてもらえますか?」
「ヘンドリクス殿下への対抗、ですか…。よろしければ詳しくお聞かせ下さい」
「ええ。…長くなりますから、新しいお茶を用意させましょう」





そもそもナスターシャがヘンドリクスと玉座を巡って争うという今の状況は、3年前ほどから続いていることだ。
何もなければ王となることが約束されているヘンドリクスだったが、傲慢な性格故に素行の悪さが問題となったようで、多くの諸侯が国の行く末を憂い、ナスターシャを次期王へと動く貴族が増えていった。

チャスリウスの長い歴史上、女性が王となったケースもあり、それを倣いにしてナスターシャを担ぎ上げようとしたのだが、当の本人はこれに難色を示し続けていた。
なぜなら、彼女自身は自分が王の器にないことを早くに悟っており、国を愛するが故に王となることは考えられなかった。

今は王に相応しくないヘンドリクスだが、それも現公王である父親が矯正してくれるだろうと思っていたところ、マハティガル王が倒れてしまう。
王が病に伏せたことで、ナスターシャはヘンドリクスの矯正が難しくなったことを悟る。
そこでナスターシャは自分が王位を窺っているという姿勢をヘンドリクスとその周辺へと示すことで、互いの牽制で勢力の拮抗状態を作り出し、ヘンドリクスの周囲へ王を諫める良識ある重臣が配されるようにと動き出した。

傍目にはヘンドリクスの王位継承を妨害するための人脈作りをしているように見せかけ、その実国家運営に役立ちそうな人間をヘンドリクス側に向かうように、わざと自分の周りには偏った人材を集めたそうだ。

だがここで予想外の事態が発生する。
ヘンドリクスが思いの外アホだった。
集まった優秀な人材を自ら手放し、身の回りをイエスマンで固めてしまった結果、ナスターシャの本来の目論見であった、優秀な家臣団を引き連れたヘンドリクスによる国家運営という絵図はあっさりと崩れ去ってしまった。

困ったナスターシャだったが、災難はまだ続いた。
なんと、マハティガル王がダルカンを後継者指名してしまい、ヘンドリクスがダルカンを排除しようとする気配を見せ始めたのだ。

その容姿から古の賢王の再来と噂されてはいたものの、まだ幼いダルカンが王位継承争いに巻き込まれることはないだろうと思っていただけに、ナスターシャは焦りに焦った。
幼い頃から可愛がっており、最近はあまり会う機会のなかったダルカンだが、弟として愛している思いに変わりはなく、このままヘンドリクスがダルカンを亡き者とするのを何とか防ぎたい。

そして考えついたのが、古い時代にあったと言われる試しの儀によってダルカンの王としての器を試すということだった。
これは表向きの理由であり、実際はダルカンが試練に赴いて死亡する確率が高いということを大々的に知らせることで、ヘンドリクスとその周辺の人間からの攻撃を防ぐという狙いがあった。

これは一定の効果を発揮し、一時はヘンドリクスを担いでダルカン排斥に動いていた貴族も鳴りを潜め、どうせ試練の先で死ぬだろうということでダルカンの身はいくらか安全なものとなった。
引き換えに、実の弟を死地へと叩き込む冷徹な姉というナスターシャの姿が広く知れ渡り、愛すべき弟にも怖がられてしまったのには胸を痛めたようだが、それも覚悟してのことだそうだ。

「…色々と考えられてのことだと思いますが、それにしてもダルカン殿下を青風洞穴へ向かわせるというのは些かやりすぎではないかと。私も少し聞いただけですが、それだけでも十分危険な場所だと分かりますよ」

「あれぐらいでなければ兄上の陣営を騙せなかったでしょう。それにわたくしとて、なにも無策でダルカンを送り込むつもりはありません。青風洞穴までの護衛にはわたくしの息のかかった手練れを紛れ込ませています。ダルカンが洞窟へと進む際、密かに後を着いていって、危険があれば助けさせます」
「…試しの儀に赴く者は自国の者の手助けを受けられないというルールがあったと思いますが」
「そうですね。ですが、そんな顔も知らない人間が作ったルールに従って愛すべき弟を見殺しにするなど有り得ません。無論、見届け役として着いていく者達の口封じも想定していますから、問題はありません」

いや問題ないことはないだろ。
よくもまぁ恐ろしいことをシレっと話すものだ。
過去から続くしきたりや伝統と言ったものをとかく重く見るのが本来の王族だが、このナスターシャは因習なんぞクソくらえというスタイルには、清々しいほどに迷いがない。

どうもここまで聞いていると、国と民を愛しているというナスターシャだが、その実、何よりも弟を優先しているように思えてならない。
所謂姉バカとでも言うのか、弟のためならそこまでするかという過激さがあるのは、それだけ愛情の深さがあってのことだ。

最初ナスターシャを見た時は、随分感情の薄い顔をしているものだと思ったが、まさかその下にこれほどの激情が潜んでいようとは。
ちょっと怖い。

しかしこれでナスターシャがダルカンの敵ではないことは分かった。
少し粗さは目立つものの、今日までのやり方も国と民、そしてダルカンを守るために苦心したということだろう。
食えない人物ではあるが、弟を思う気持ちには真に迫ったものを感じたのもまた事実だ。

完全に信頼するのはまだ早いかもしれないが、それでも完全に敵に回るということはないと俺は思っている。
ナスターシャの陣営にいる人間がすべて彼女と同じ考えを共有しているとは限らないが、少なくともトップであるナスターシャの意思が介在する事柄に関しては、ダルカンが害される心配はないようだ。
ただ一つだけ、聞いておきたいことがある。

「ナスターシャ殿下、あなたは非常に聡明で落ち着きのある人物です。私はあなたが王となっても、この国はよく治められると思っています。ですが、自分は王とならずに、ダルカン殿下を王にしようと考えている…。なぜでしょう?どうも、陛下の後継者指名があったこととは別の理由があるように思えてなりません」

ダルカンを可愛がっているナスターシャだが、ただそれだけでダルカンを王とするには、彼女の優れた頭脳が警鐘を鳴らすはずだ。
国を愛しているからこそ、ヘンドリクスを王とするのをよしとしなかったナスターシャが、親愛の情で判断を誤ることはあり得ない。

「…王となる者には器が求められます。器の深さは変えられずとも、広さは成長させることができます。わたくしや兄上ではもはや器の成長はさほど見込めないでしょう。ですが、ダルカンであれば王となるに相応しい成長を遂げてくれると信じています。幸い、あの子の周りにはよい人材が集まっています。彼らがダルカンを立派な王へと導いてくれることでしょう」
「よい人材と言うとネイさんのことですか?もしや、それもナスターシャ殿下が?」
「いいえ、わたくしは直接関係していません。ユーイ家がもともと、ダルカンの母君の実家と親しかったからこそ、ネイは今、ダルカンに仕えているのです。あの二人の築いた信に、わたくしの関与したものは一切ありません」

ここでネイがダルカンに仕えるようになったのもナスターシャが手を回したとあれば、この女に今孔明の称号を密かに付けるところだが、どうやらそこまで暗躍してはいないと知り一安心だ。

俺などよりも王族としての在り方をよく知るナスターシャがダルカンの器を保証するのだから、俺がダルカンが王となることを心配することはない。
仮にもし、ダルカンが道を誤りそうになったとしても、ネイ達がそれを正すし、ナスターシャも黙っていない。
ある意味、王としての道程が示された道をこれからのダルカンは歩むことになる。
流石に試練をクリアしてすぐに玉座へ就くということはないだろうが、やがては立派な王として立つダルカンを見たいものだ。

「あぁそうそう。一つわたくしから聞いてもよろしいかしら?」
「なんでしょう?」
「ネイがダルカンの試しの儀へと同行する人間を国外から連れてくるという情報は以前から掴んでいました。そしてそれがあなた達だということは少し前に知りました」

俺達がダルカンの儀式における護衛役だということは、妨害を避けるためにも直前まで秘密にしておきたいとネイが色々と手配していたわけだが、ナスターシャには色々と筒抜けになっていたようで、ネイの努力を思うとこのことは彼女には言わないほうがよさそうだ。

「率直に言って、あなた方はダルカンを守れるだけの強さをお持ちなのでしょうか?青風洞穴は我が国でも屈指の危険地帯。それこそ、長年にわたって精強な兵士を飲み込み続けるドラゴンの口とも例えられるほどです。そんな場所に向かうダルカンを、あなたは傷一つなくわたくし達の下へ帰すことができると言い切れますか?」

スッと細められた目が俺を捉え、まるで大蛇が巻き付くかのような圧迫感を覚えた。
ナスターシャは自分の策略でダルカンの身を危険に晒すことになったことの責任を痛感しているようで、昔からの掟を破ってまで同行させる護衛を密かに洞窟へと送り込むことすら考えている。
それほどまでにダルカンを案じているナスターシャだからこそ、俺とパーラはどれぐらいの強さがあるのかを知りたいというわけだ。

「…ご安心ください。私ともう一人を含めた二名はともに魔術師です。そして、私はネイ殿にダルカン殿下の護衛役としての任を直接託されました。この意味をお判りいただけますね?」

この国でしばらく過ごしてみて、ネイがいかに優れた騎士なのかを改めて知ることになった。
人格的なものは勿論、剣の腕は公国一というのは何人からも聞いた。
そのネイが試しの儀の掟のせいで同行できない自分の代わりとして、俺にダルカンの護衛を託したというのは、この国の人間にとっては驚くことだというのは分かっていたが、今目の前で大きく目を見開いているナスターシャを見ると、どうやらお眼鏡に適ういい材料となってくれたようだ、

「そうでしたか。ネイから直々に託されたのであれば、わたくしから言うことはありません」
「ありがとうございます。ではナスターシャ殿下の手の者を洞窟へと潜り込ませる必要もありませんね?どうか、試練へ赴くダルカン殿下の意気を汲み取りください」
「それはそれ…と言いたいところですが、わたくしもあなた方への信頼を示すとしましょう。ただし、何かあった場合は直ちに手の者をダルカンの助けに向かわせます。よろしいですね?」
「無論です」

実際のところ、ダルカンの安全を考えるなら、洞窟内にナスターシャの手の者がついてくるのは歓迎するべきだが、この試しの儀はダルカンの王としての資質を見る物ということで貴族達に伝わっている。
もし仮にここへナスターシャの手助けがあったと知られれば、ダルカンは勿論、王族全体への信頼は失われることになる。

護衛としてダルカンを生きて帰すというのは勿論だが、試練を正しい形で完遂することこそが俺達に依頼をしてきたネイの信頼へ応えることになるだろう。

色々と得るものもあったナスターシャとのお茶会も、気付けばかなりの時間が過ぎており、次の予定があるナスターシャはここで退室することになるのだが、その前に気になっていたことを尋ねてみた。

「ところで殿下。どうもネイさんがナスターシャ殿下のことをあまりよく思っていないような節があるのですが、何かあったんですか?」
「ネイがわたくしを?それは試しの儀に関してのことではなく?」
「いえ、どうも根底には私怨のようなものがあるような気がしまして…」
「……あぁ!なるほど、多分あのことでしょう。はぁ~…あの子はまだ根に持っているのですね」

少し考えるしぐさを見せた後、何かを思い出してか頭を抱えたナスターシャは、過去にネイとの間にあったある事件を俺に語ってくれた。

まぁ事件というが実際はなんてことはない、ただの誤解によって生まれた行き違いに過ぎない。
まだマハティガル王が健在だった頃、ナスターシャはネイとも身分差はあれど親しくしていた。

ある時、ナスターシャがネイを供にして遠乗りへと出かける。
その際、戯れにネイが身に着けていた剣をナスターシャが強引に借りて、破損させてしまったという。
壊すつもりなどなかったナスターシャはネイに謝罪したが、よっぽどのショックだったのかその日一日は亡霊のような沈み方を見せ、それ以来ネイはナスターシャに冷たく当たるようになったそうだ。

「…色々と突っ込みたいところがありますが、剣の破損となると、刃が欠けでもしましたか?」
「いいえ、半ばから折れてしまいました。こうポッキリと」

両の指先を合わせて三角形を作り、剣が折れたことをジェスチャーで表すナスターシャ。

「ポッキリて…。ネイさんにとってその剣は大事なものだったのでは?」
「小遣いを貯めて買った新品だったそうです。あれは悪いことをしました。…言い訳をさせてもらえるなら、まさか倒木に引っ掛けただけで折れるなど想像できませんでしたし」

ネイが剣のために小遣いを貯めている姿を想像して微笑ましい気持ちになるが、同時にそれだけで簡単に折れる剣となると、よほどのなまくらだったということではないか。
なまくらと見抜けなかったネイが少し意外だが、若い頃であれば剣の良しあしを判断する経験も少ないだろうから、仕方なかったともいえる。

「その折れた剣を弁償しなかったのですか?」
「とんでもない!あんな姿のネイを見たのは初めてで、わたくしとても悪いことをしたと思いまして、私費で買った剣を贈ったのですが…」
「受け取ってもらえなかったと」
「ええ。ユーイ侯爵…ネイの父親からの丁寧な礼状と共に送り返されました」

王族が用意したとあればかなりいい剣のはずなのだが、父親が代わりに礼状を書くほどによっぽど許せなかったのか。
話しているナスターシャは心底申し訳なさそうにしているのを見ると、もういい加減許してやればいいのにと思う反面、ぶっちゃけ剣の一本で今日までナスターシャを恨むネイの器の小ささに呆れそうになる。

本来当事者でない俺がどうこういうのもなんだが、ナスターシャは弁償品の剣を贈って終わりではなく、ちゃんと口で謝っておくべきだったし、ネイもあの剣がなぜ壊れたのかをしっかりと調べて、ナスターシャに非があったかを明らかにすれば、今日までこじれた関係のままになることはなかったはずだ。

そうしているうちに、今のナスターシャがダルカンを追い込むような状況になってしまったわけだが、こうなると仲直りは難しい。
まぁ今回のナスターシャとの会話で彼女がダルカンと真に敵対しているわけではないことは分かったのだが、だからと言ってすぐにネイとナスターシャを引き合わせるには早い。

人に何と思われようと気にしないのではないかと思っていたナスターシャだが、今日何度目かになる分かりやすい感情をその顔に見てしまうと、彼女も人間なのだなと不謹慎なことを考えてしまう。
ネイのことを話すナスターシャは楽し気でもあり、また悲し気な顔も見せていたのが印象に残った。

ネイには大分世話になっているし、ナスターシャは今後ダルカンを助けてくれうかもしれない人間だ。
別に俺が何とかする義理はないのだが、茶の礼ということにして、ネイとナスターシャの仲違いを解消する手助けぐらいならしてもいいかもしれない。
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