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チャスリウス公国首都サリカラ
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夏も近付く八十八夜などと歌にあるが、季節はもうすっかり夏を迎えたヘバ村に滞在して、今日で八日目になった。
マクイルーパはアシャドルと気候的な差はさほど無いため、このところ暑さを増した日々に、ここへ来た当初の過ごしやすさはすっかり遠のいている。
滞在中、村の畑仕事を手伝ったり、壊された家屋や塀の修復などをして過ごしていたが、ついに今日、盗賊共を領主の元へ護送する一団がヘバ村を訪れた。
朝から姿を見せたのは、武装した兵士十数人と騎馬に跨る騎士二名という、護送にしてはなんだか心許ない気もする構成だが、中規模の盗賊団であれば護送につく人数もこのぐらいが妥当だとネイは語る。
盗賊達が閉じ込められていた倉庫から連れ出されると改めて縄をかけられ、広場に並ばされていくのを遠巻きに見る村人達の目は、恨み辛みの籠った険しいものだ。
護送の手はずが整い、代表者と思われる壮年の男性騎士が、村長とその横に立つネイへと声をかけてきた。
「確かに18名の引き渡しを確認した。証明のための印章を押すが、用紙はあるか?」
「はい、こちらに」
村長が差し出した紙を受け取り、さっと眺めた騎士が大きく頷くと、小手を裏あてにして取り出した印章を紙に押し付ける。
そうして身柄の引き渡しが行われたことを示す紙を二枚作り、それぞれを村と領主側で持つことにより、後日盗賊共を奴隷にして作られた金を受け取ることが出来るとのこと。
大抵は農奴として扱われるが、罪状認否の内容によっては処刑か、より労働環境の悪い鉱山へ送り出されるかの処遇が決められていく。
中には賞金首もいる可能性もあり、今の段階ではどれだけの金額が村に入ってくるかはわからない。
ただ、チャスリウス公国によってかけられていたホーバンの懸賞金は丸々俺とパーラがもらうことになった。
チャスリウスの騎士であるネイにはこの懸賞金を受け取る権利はないそうで、今回の依頼の旅が終わったらまとめて報酬に含んで支払うと約束してくれた。
驚いたのはその懸賞金の額で、一般的に規模の大きい盗賊団の頭にかけられる懸賞金としては金貨五枚から大金貨一枚が相場なのだが、ホーバンに関してはなんと大金貨五枚!
しかしこれは生きていればの話で、殺してしまうと大金貨三枚となってしまうのだが、それでもかなりの額だろう。
チャスリウスとマクイルーパの二国に跨って暴れまわったホーバンは、やはり懸賞金も相応に高いもようだ。
「…よし、ではこちらは吾輩が、もう一つはそちらで持つように。その紙は無くすなよ?金との引き換えには必ず必要になる」
「はい。心得ております」
「うむ。…そちらの方。ルネイ・アロ・ユーイ殿とお見受けするが、いかがか?」
それまで村長と話していた騎士がネイへと視線を移して問いかける。
心なしか、居住まいをただしたような感じがしたのは、ネイに対して敬意を払ったのだろうか。
「いかにも。私はルネイ・アロ・ユーイであるが、貴公とは面識があっただろうか?」
「おお、やはりそうでしたか。お目にかかれて光栄であります。ご高名と共に容姿もお聞きしておりましたので、ついお声をかけてしまいました」
「そうか。隣国まで名が知れているのは騎士として嬉しいものだが、同時に気恥ずかしさも覚えるな」
「はっはっはっは。ユーイ殿ほど勇名をはせた者はここ十年おりませんでしたから、仕方ありますまい」
ネイがマクイルーパの一騎士にまで名前を知られているというのは少し驚いたが、あれほどの強さを持つのだから納得もする。
この騎士からすれば、ネイはアイドルか金メダリストにでも当たる存在なのかもしれない。
興奮気味にネイと話す騎士の姿に若干引きそうになるが、娯楽の少ないこの世界では有名人に会えるというのも楽しみの一つなのだろう。
盗賊達は三台用意された護送用の荷馬車へと詰め込まれていき、最後の一人が乗ったところで見張っていた兵士の一人から用意が整った旨が騎士へと伝えられた。
「隊長、護送の準備が終わりました。よろしければすぐにでも出発できますが…」
楽しげに話す様子からは出発の言葉を躊躇ったように見えたが、仕事へと意識を切り替えた騎士の纏う空気は、すぐに引き締まったものへと変わっていく。
「ご苦労。…もう少しお話をしたかったところですが、自分は任務に戻らなくてはならないのでこれで」
「ああ。護送のほうはしっかりと頼むよ」
「無論です」
馬に跨る騎士を先頭に、護送用の馬車が三台とその周囲を囲むようにして配置された兵士達の集団が村を発つ。
大人にしてみればようやく不安の種が取り除かれたと胸をなでおろす一方、村の子供達は初めて見る集団の兵士とそれを率いる騎士という存在に目を輝かせている。
村の外へまで見送りに走る子供達と、それに手を振る兵士達という平和な光景は、俺達が守ったものの尊さを改めて認識させてくれたものとなった。
捕えていた盗賊も村からいなくなり、心残りとなるものもなくなったため、この日の昼に俺達は村を出ていくことにした。
護送の馬車が去ったその場で村長にその旨を話すと、それを脇で聞いていた村人達から別れを惜しまれてしまう。
せめて別れの宴をという申し出も丁重に断り、昼を少し過ぎたぐらいには村人達の見送りを受けながら村を後にする。
夕暮れ前には隠していた飛空艇に戻って来ると、すぐさま飛び立ってチャスリウス公国のある方角へと飛んでいく。
別段急ぐこともないのだが、穏やかでゆっくりとした時間をヘバ村で過ごしたせいか、心情的には何か急かされる感じを覚えるのは俺だけだろうか?
「それにしても、ここにきてようやくネイさんの名前を完全に聞くことができましたね」
「おや?言ってなかったか?…ふむ、思い返してみるとネイとしか名乗っていなかったか。まぁ大体知り合いはネイと呼ぶし、私も特に必要がなければネイと名乗るのが癖みたいなものだからな」
初対面で聞いた話では王族から信を受けている騎士だとは気づいていたが、やはりミドルネームと家名を聞くと改めて貴族だったと気付かされた。
ネイ自身、ここまで特に貴族であることを意識した振る舞いをしていなかったし、先ほどの言葉を聞く限りでは接し方もフランクなものを好むようだ。
あまり急激に態度を変えては本人も居心地を悪くするだろうから、今の関係はそのままでいいだろう。
パーラなんかは気にしていない様子だがそれもそのはず、俺達が知り合った中には伯爵家の当主に公爵令嬢、一国の王女すらもいたのだから、今更貴族の知り合いが一人増えるのも大した問題ではないようだ。
そうこうしている間も俺達は北東へ進んでいたため、惑星の自転の関係上少し飛んだだけで夕闇はすぐそこまで迫る時間となり、適当な場所に飛空艇を下ろして夜を迎えた。
食事を済ませ、風呂へと向かったネイが浴室で突然、大声を上げる。
『風呂!浸からずにはいられない!』
「…びっくりした。ネイさんどうかしたのかな?」
「久しぶりの広い湯船に高ぶってんだろ。放っておいてやれ」
ヘバ村にいた時も一応土魔術で作った湯舟で風呂に入ることは何度かあったが、野外で裸になるということに若干の抵抗があったネイはあまり満喫できなかったと零していたため、ちゃんとした浴室で入る風呂にテンションが上がっているのだろう。
長風呂を堪能したネイと入れ替わりでパーラが風呂へと入り、そしてパーラが上がったら俺が風呂へと入る。
特に意識していなかったが、やはりネイと同様に俺もこの浴室での風呂に体がすっかり慣らさられていたようで、湯船に浸かると妙な安心感を覚える。
野外での露天風呂風に楽しむのも悪くないが、裸の状態で無防備になるのを考えるとやはり飛空艇の風呂の方が安全性は段違いだ。
俺もまた普段よりも若干の長風呂から上がり、喉の渇きを癒そうと冷蔵庫へと足を向けたところでパーラの大声が響き渡った。
なんだか今日は女性陣が叫んでばかりだ。
「嘘だ~。そんなことのためにぃ?」
「嘘じゃないさ。本当にチーズを作るために仔牛を殺していたんだよ。それも大量にね」
目を向けた先にあるテーブルでは、何やら半信半疑といったパーラの視線にネイが困った笑いを浮かべていた。
チーズを作るために仔牛を殺す…。
それを聞いてなるほどと凡その話が読めてきた。
つい横から口を挟んでしまう。
「胃の消化液のことですね?レンネット、それも仔牛からとれるのはカーフレンネットと呼ばれて、動物から搾った乳を固めるのに使えると聞いたことがあります」
地球でも中世あたりまではそうしてチーズ作りのために牛の胃からレンネットを取り出して利用していたと、某教育テレビで見た記憶がある。
この世界ではまず見かけることがなかった牛だが、どうやらチャスリウスでは牛を使っての酪農が行われているらしい。
これは向こうに行く楽しみが一つ出来てしまったな。
「…本当に君は博識だな。城の学者連中よりも物を知っているよ。その通り、チーズ作りが盛んな我が国では、仔牛の胃からしか取れない凝固液を取り出すために、多くの仔牛を殺してきた過去がある」
「それって殺さなきゃダメだったの?消化液が欲しいなら吐き出させるとかさ」
「もちろんそういう試みはあったさ。だがね、やはり吐き出させた胃液ではうまくいかなかったらしい。だから長い間、殺した牛の胃袋から消化液を取り出すやり方が続いたのだ」
この辺りは地球の歴史でも辿ったものではあるので、想像は出来なくとも予想は出来る。
そして、先ほどからネイが言う言葉には過去形のニュアンスが多く使われていることも理解できていた。
「まぁそれも過去の話だ。今はそんなことはしていないぞ」
「そうなの?」
「うむ。大分昔にその…れんねっと?とやらの代わりになるものが使われだしてな。今ではチーズ作りのために家畜を殺すということはまずしないのさ」
どうやらネイはパーラをからかうために過去のチーズ作りの話をしていたらしい。
もうやっていないということを聞いて露骨に安堵するパーラの様子を見ると、ネイの企みは上手くいったようだ。
「もぉ~そういうことは先に行ってよ。…もしかしてアンディ知ってた?」
「いや、知らない。けどレンネットの代わりになる微生物の存在は知ってる。確かカビを利用するんだったかな?」
「カビ?カビって…あの黒とか青とかのあれ?」
「まぁカビという括りなら同じだけど、多分それとは違う、チーズ作りに使う種類のカビがいるんだろうよ」
流石に酪農は門外漢なので、どんなカビが使われていたのかまでは覚えていないが、聞いた話だと普通に昔から日本にいた菌だったとか。
あまり記憶にはないが、こういう浅い知識が頭に刻み込まれている辺り、日本のテレビの凄さを改めて思い知る。
「私もそこまでは知らないが、なにやらそういう薬を使うとは聞いていたな。多分、アンディ君の言うカビというのがそれだろう」
チャスリウスでは既に微生物レンネットへと切り替わったようだが、では他の国でのチーズ作りはどうなのかというと、実はこの微生物レンネットに相当する薬品は今やどこの国でも出回っているそうで、俺達が今まで食べてきたヤギのチーズなんかはこれで作られたものだそうだ。
「殊更重要なものというわけではないし、そもそも発祥がわかっていない薬品でな。作り方は知っているが誰の手によるのかを知らないまま使っているのも少し不気味ではある。一説によると、御使いの一人が開発に関わっていたとも言われているが、定かではない」
御使いは五人いたとされているが、その全員がこの世界に何を残したのかを完全に知ることはできない。
何せ大昔の話なのだから。
ただ、ヘバ村の近くの丘にあった桜の木が品種改良されたものだとするのなら、菌類の扱いに長けた人間が御使いの中にいたとするのも十分ありうる。
俺の中では御使い達は何かしらの専門分野に造詣が深いと思っているので。
「まぁそれはともかく、今はうまいチーズが食えるんだから、誰が齎したものかを今の私達が深く考えることはないさ。あのチーズを肴に酒を傾けるのに小難しいことはいらんよ」
「ふーん…。でもそうまで言われると牛から作るチーズってのに益々興味がわいて来ジュル」
パーラよ、涎で言葉を締めるのはやめなさい。
暫くはネイによるチーズ談義と料理の話に花が咲き、空腹を訴えたパーラとネイに夜食を作ったところで、俺は一足先に部屋へと戻ることにした。
散々チーズの話を聞かされたおかげで、俺の口はチーズを求めている。
だが生憎、飛空艇に積んである食料にはチーズの在庫があまりなく、作った夜食も当然チーズは使っていない。
多少の空腹は覚えたものの、今の俺はチーズ以外に食指が動かない状態なので、寝台に寝転がって目を閉じるだけですぐに眠りに落ちていった。
翌日、この季節には珍しく、冷たい雨が降る中で俺達は飛び立った。
チャスリウスを目指す俺達は、元々マクイルーパとチャスリウスの国境にかなり近い位置で一夜を明かしたこともあって、昼を過ぎるが夕方にはまだ早いという時間帯には国境地帯を飛び越えていた。
朝方よりは弱まったとはいえ、まだ小雨が降る中で飛び続けていた飛空艇がチャスリウス公国へと侵入すると、これまでに見たこともない雄大な光景が目の前に広がっていた。
チャスリウス公国は周囲を山に囲まれた国だということは聞いていたのだが、てっきり盆地の中に国があるのを想像していた。
だがこうして実際に国土を目にしてみると、どうやらチャスリウスというのは準高山地帯とでも呼ぶような場所に造られた国のようだ。
いわゆる森林限界と呼ばれる高木が育たないほどの高さではなくとも、平地と比べれば明らかに山の上と言える高さにあるこのチャスリウスは、なんとなくだが昔テレビで見たマチュピチュのような神秘的な土地が各所にあるように感じられた。
「ほう、こうして我が国も空から見ると中々どうして。想像以上に雄大で美しいじゃないか」
「うーん、確かに景色はいいと思うけど、雨のせいでちょっと暗いよね」
「そうだな。晴れていれば草原を走る馬群や、草を食む動物の姿も見られただろう。まぁ私はこの霧雨の舞う大地を見下ろすのもなかなか気に入ったがね」
初めて飛空艇に乗った時のガクブル具合はどこに行ったという感じのネイを見て、ついクスリとした笑みをこぼしてしまう。
チャスリウスという国を見るという目的も兼ね、日が沈むまではゆっくり飛んで、眼下の景色を楽しむ。
所々に見える集落と思しき建物の集まったエリアでは、この国独特な建築様式によって建てられた家々も見受けられ、異国情緒というのもを強く感じられて面白い。
名馬の産地であり牧畜も盛んという話を聞いていただけに、モンゴルのような感じを想像していたが、立ち並ぶ家はどちらかというとレンガを積んで作られたものが多いように感じる。
「チャスリウスは国土のほとんどを標高が高い土地で占められているせいで、強い風と低い気温が住民には辛くてね。強く寒い風を防ぎ、中で熾した火の熱が逃げないようにほとんどの家はレンガ造りになっている」
「ネイさん、あの煙突から出てる煙が青いように見えるんだけど?」
この国の建物事情を説明するネイに、パーラが聞いたのは俺も気になっていた煙突の様子だ。
屋根から延びる煙突の先から出ている煙は、明らかに普通の白煙よりも大分青い。
何か体に良くない物質でも出ているのかと不安になるぐらいだ。
「あぁ、あれはコケ炭を燃やした煙だ」
『こけすみ?』
図らずも俺とパーラの声が被る。
「チャスリウスは平地に比べて森や林なんかがあまりなくて、薪代わりにできるコケが昔から栽培されているんだ。それを燃やすとああした青やら緑やらの煙が出るというわけさ」
「あの煙は体に害があったりするんですか?」
「いいや。もう何百年とこの国では燃料に使われてるが、そういうのは聞いたことがないな」
化学物質というのがまず考えられないこの世界で、あの煙の色はまず間違いなく天然由来のものであり、長い年月使い続けたチャスリウスの人間が健康に害がないというのなら問題ないのだろう。
中々興味深いコケ炭というものをいくつかサンプルとしてネイに手配してもらう約束を取り付け、この日はいい具合に台地となっている場所へ飛空艇を着陸させて夜を迎えた。
その後もゆっくりとだが飛空艇は順調に進み続け、四日後の昼前には俺達の目的地としている街へとたどり着こうとしていた。
飛空艇の操縦室から見る遠景には、巨大な都市の輪郭が朧気に存在を主張し始めている。
「今度の街は大きいね。もしかしてこの国の主都?」
「ああ、そうだ。あれがチャスリウス公国の首都サリカラで、遠くに見えるひときわ大きいのが王城だ」
ネイが指さす先には、北へ向けて緩やかに高くなっていく地形に沿って建てられたと思われる街並みと、その向こうにある巨大な城の影が見えた。
上から見下ろしてわかるのは、長大な外壁が都市を丸ごと囲み、歪な八角形の内側にある建物群は、外苑がみすぼらしい家から始まり、王城に近づくにつれて徐々に綺麗でしっかりとした建物になっていくのは、やはり貧富の差がどこの国にもあるせいだろう。
ネイの説明によると、外壁に近い順で貧民街、商業地区、一般居住区、富裕層の住宅地区、そして城郭という順になっているそうだ。
これは今まで旅をしてきた中で見た他の国とよく似ている。
巨大な都市が出来上がるということは、やはりこういう感じになっていくのが世の常なのかもしれない。
街を形成している建物はここに来るまでに見てきたチャスリウス各地の町村にあった建物と雰囲気は似ているが、どこか洗練されているように感じるのはやはり首都だからだろうか。
気になるのは、都市の北側にドンと重厚な存在感を放っている王城だ。
まだ外から見ただけでしかない感想だが、なんとなくこの城の建築様式は他の建物と違うような気がしている。
普通の家から貴族のものと思われる巨大な屋敷に至るまで、この国の建物はレンガが使われているはずだというのに、目の前に見える城の壁はレンガ造り特有の継ぎ目のようなものが見当たらない。
継ぎ目が出ない建て方をしたと言われたらそれまでだが、どうも全体から受ける印象としては、かつて見たカーリピオ団地遺跡に似たものがある。
もしかしたら遺跡由来の技術で建てたか、もっと単純に考えて遺跡にそのまま住んでいるのではないか?
そのあたりをネイに尋ねてみると、やはり俺の勘も捨てたものではなかった。
「流石、よくぞ気付いたものだ。確かに城は古代文明時代のものをそのまま使っている。元々あの城があって、そこに住んだ昔の権力者が周りに街を作り、そして首都になったと言われている。遺跡としては特別な機能のようなものはないそうだが、歴史的な価値は相当なものだと聞く」
「やっぱりそうでしたか。ちなみに遺跡はどれくらい昔のものなんですか?」
「大体1500年から800年前のものだと言われているな」
「…ずいぶん幅がありますね」
700年分の年代を特定できないほどにこの国の学者は能力が低いのだろうか?
ソーマルガにいた時に話を聞いた学者は、年代の特定は誤差100年以内に抑えられないと専門家は名乗れないと言っていたが。
「どうも複数の時代にわたって手が加わっているらしくてな。正確な年代はわからないそうだ」
なるほど。
恐らく昔の権力者が住んだ時点で環境が整えられ、その後も住み続けた人間たちの手によって色々といじられていったのだろうと推測する。
地球の世界遺産なんかでもよく聞く話だ。
「ねぇそれよりさ、私達ってこのまま飛空艇で街に降りてもいいものなの?」
「いや、それはまずい。流石にこの大きさのものが空を飛んで近付いてくれば大騒ぎになる。闇に紛れる夜を待って、郊外にある馬場に降りよう。幸い、私の家が所有する馬場なら大きさも足りるだろう」
そういうわけで、俺達は日が落ちるまでネイによる空からのチャスリウス観光を楽しみ、日が落ちたところで首都郊外にある馬場へと飛空艇を静かに降ろした。
ネイの家、つまりユーイ家が所有するこの馬場は、乗馬の訓練や馬同士の交配などを行うそうで、それだけにかなりの広さがある。
今飛空艇が着地した場所は、本来であれば馬具の調子を確かめるために馬のテスト走行を行うトラックのような所で、使用頻度があまり高くないため、しばらくはここを飛空艇の停泊地に貸してくれるという。
この馬場がある場所自体が周囲よりも小高い場所で、周りにめぐらされた柵と盛り土がいい具合に目隠しになって飛空艇が目立たないのがまたありがたい。
急に空から降り立った飛空艇に、ユーイ家に仕える兵士がその周りを囲むという場面はあったものの、掲げられた松明の明かりにネイの姿が照らされるとすぐに警戒は解かれた。
馬場の責任者らしき男性に、飛空艇の停泊と可能な限り人目を避けることをネイが頼み、この日は飛空艇内で夜を明かすことにした。
ネイはこの近くに別邸があるのでそちらに行くこともできたのだが、飛空艇の快適な環境に首まで浸かってしまったせいで自分の屋敷で寝るのも気が進まないそうだ。
「君達が悪いのだよ。この飛空艇を家にして暮らす快適さを私の体に教え込んだのだから、責任を取ってくれ」
そう言ってネイはすっかり自分専用の部屋着となった甚平に袖を通し、風呂の準備をし始めた。
完全に風呂にはまってしまったネイにとって、一日を終えるのに風呂は何よりなのだという。
しかしそうなると、この依頼が終わって俺達と別れたら、風呂のない生活に戻れるのだろうか?
と思ったら、ネイは自分の屋敷に風呂を作ることを計画していると俺に明かし、設計のアドバイスを後でほしいと言われた。
まぁそれぐらいは別に構わんのだが、俺の飛空艇にある浴室を基準にされると困る。
あれはソーマルガの魔道具職人と熟練の大工の手による傑作だ。
多少の性能劣化は覚悟してもらいたい。
―え?何とかしろ?
いやいや、こればっかりは―はい、なんとかします…。
マクイルーパはアシャドルと気候的な差はさほど無いため、このところ暑さを増した日々に、ここへ来た当初の過ごしやすさはすっかり遠のいている。
滞在中、村の畑仕事を手伝ったり、壊された家屋や塀の修復などをして過ごしていたが、ついに今日、盗賊共を領主の元へ護送する一団がヘバ村を訪れた。
朝から姿を見せたのは、武装した兵士十数人と騎馬に跨る騎士二名という、護送にしてはなんだか心許ない気もする構成だが、中規模の盗賊団であれば護送につく人数もこのぐらいが妥当だとネイは語る。
盗賊達が閉じ込められていた倉庫から連れ出されると改めて縄をかけられ、広場に並ばされていくのを遠巻きに見る村人達の目は、恨み辛みの籠った険しいものだ。
護送の手はずが整い、代表者と思われる壮年の男性騎士が、村長とその横に立つネイへと声をかけてきた。
「確かに18名の引き渡しを確認した。証明のための印章を押すが、用紙はあるか?」
「はい、こちらに」
村長が差し出した紙を受け取り、さっと眺めた騎士が大きく頷くと、小手を裏あてにして取り出した印章を紙に押し付ける。
そうして身柄の引き渡しが行われたことを示す紙を二枚作り、それぞれを村と領主側で持つことにより、後日盗賊共を奴隷にして作られた金を受け取ることが出来るとのこと。
大抵は農奴として扱われるが、罪状認否の内容によっては処刑か、より労働環境の悪い鉱山へ送り出されるかの処遇が決められていく。
中には賞金首もいる可能性もあり、今の段階ではどれだけの金額が村に入ってくるかはわからない。
ただ、チャスリウス公国によってかけられていたホーバンの懸賞金は丸々俺とパーラがもらうことになった。
チャスリウスの騎士であるネイにはこの懸賞金を受け取る権利はないそうで、今回の依頼の旅が終わったらまとめて報酬に含んで支払うと約束してくれた。
驚いたのはその懸賞金の額で、一般的に規模の大きい盗賊団の頭にかけられる懸賞金としては金貨五枚から大金貨一枚が相場なのだが、ホーバンに関してはなんと大金貨五枚!
しかしこれは生きていればの話で、殺してしまうと大金貨三枚となってしまうのだが、それでもかなりの額だろう。
チャスリウスとマクイルーパの二国に跨って暴れまわったホーバンは、やはり懸賞金も相応に高いもようだ。
「…よし、ではこちらは吾輩が、もう一つはそちらで持つように。その紙は無くすなよ?金との引き換えには必ず必要になる」
「はい。心得ております」
「うむ。…そちらの方。ルネイ・アロ・ユーイ殿とお見受けするが、いかがか?」
それまで村長と話していた騎士がネイへと視線を移して問いかける。
心なしか、居住まいをただしたような感じがしたのは、ネイに対して敬意を払ったのだろうか。
「いかにも。私はルネイ・アロ・ユーイであるが、貴公とは面識があっただろうか?」
「おお、やはりそうでしたか。お目にかかれて光栄であります。ご高名と共に容姿もお聞きしておりましたので、ついお声をかけてしまいました」
「そうか。隣国まで名が知れているのは騎士として嬉しいものだが、同時に気恥ずかしさも覚えるな」
「はっはっはっは。ユーイ殿ほど勇名をはせた者はここ十年おりませんでしたから、仕方ありますまい」
ネイがマクイルーパの一騎士にまで名前を知られているというのは少し驚いたが、あれほどの強さを持つのだから納得もする。
この騎士からすれば、ネイはアイドルか金メダリストにでも当たる存在なのかもしれない。
興奮気味にネイと話す騎士の姿に若干引きそうになるが、娯楽の少ないこの世界では有名人に会えるというのも楽しみの一つなのだろう。
盗賊達は三台用意された護送用の荷馬車へと詰め込まれていき、最後の一人が乗ったところで見張っていた兵士の一人から用意が整った旨が騎士へと伝えられた。
「隊長、護送の準備が終わりました。よろしければすぐにでも出発できますが…」
楽しげに話す様子からは出発の言葉を躊躇ったように見えたが、仕事へと意識を切り替えた騎士の纏う空気は、すぐに引き締まったものへと変わっていく。
「ご苦労。…もう少しお話をしたかったところですが、自分は任務に戻らなくてはならないのでこれで」
「ああ。護送のほうはしっかりと頼むよ」
「無論です」
馬に跨る騎士を先頭に、護送用の馬車が三台とその周囲を囲むようにして配置された兵士達の集団が村を発つ。
大人にしてみればようやく不安の種が取り除かれたと胸をなでおろす一方、村の子供達は初めて見る集団の兵士とそれを率いる騎士という存在に目を輝かせている。
村の外へまで見送りに走る子供達と、それに手を振る兵士達という平和な光景は、俺達が守ったものの尊さを改めて認識させてくれたものとなった。
捕えていた盗賊も村からいなくなり、心残りとなるものもなくなったため、この日の昼に俺達は村を出ていくことにした。
護送の馬車が去ったその場で村長にその旨を話すと、それを脇で聞いていた村人達から別れを惜しまれてしまう。
せめて別れの宴をという申し出も丁重に断り、昼を少し過ぎたぐらいには村人達の見送りを受けながら村を後にする。
夕暮れ前には隠していた飛空艇に戻って来ると、すぐさま飛び立ってチャスリウス公国のある方角へと飛んでいく。
別段急ぐこともないのだが、穏やかでゆっくりとした時間をヘバ村で過ごしたせいか、心情的には何か急かされる感じを覚えるのは俺だけだろうか?
「それにしても、ここにきてようやくネイさんの名前を完全に聞くことができましたね」
「おや?言ってなかったか?…ふむ、思い返してみるとネイとしか名乗っていなかったか。まぁ大体知り合いはネイと呼ぶし、私も特に必要がなければネイと名乗るのが癖みたいなものだからな」
初対面で聞いた話では王族から信を受けている騎士だとは気づいていたが、やはりミドルネームと家名を聞くと改めて貴族だったと気付かされた。
ネイ自身、ここまで特に貴族であることを意識した振る舞いをしていなかったし、先ほどの言葉を聞く限りでは接し方もフランクなものを好むようだ。
あまり急激に態度を変えては本人も居心地を悪くするだろうから、今の関係はそのままでいいだろう。
パーラなんかは気にしていない様子だがそれもそのはず、俺達が知り合った中には伯爵家の当主に公爵令嬢、一国の王女すらもいたのだから、今更貴族の知り合いが一人増えるのも大した問題ではないようだ。
そうこうしている間も俺達は北東へ進んでいたため、惑星の自転の関係上少し飛んだだけで夕闇はすぐそこまで迫る時間となり、適当な場所に飛空艇を下ろして夜を迎えた。
食事を済ませ、風呂へと向かったネイが浴室で突然、大声を上げる。
『風呂!浸からずにはいられない!』
「…びっくりした。ネイさんどうかしたのかな?」
「久しぶりの広い湯船に高ぶってんだろ。放っておいてやれ」
ヘバ村にいた時も一応土魔術で作った湯舟で風呂に入ることは何度かあったが、野外で裸になるということに若干の抵抗があったネイはあまり満喫できなかったと零していたため、ちゃんとした浴室で入る風呂にテンションが上がっているのだろう。
長風呂を堪能したネイと入れ替わりでパーラが風呂へと入り、そしてパーラが上がったら俺が風呂へと入る。
特に意識していなかったが、やはりネイと同様に俺もこの浴室での風呂に体がすっかり慣らさられていたようで、湯船に浸かると妙な安心感を覚える。
野外での露天風呂風に楽しむのも悪くないが、裸の状態で無防備になるのを考えるとやはり飛空艇の風呂の方が安全性は段違いだ。
俺もまた普段よりも若干の長風呂から上がり、喉の渇きを癒そうと冷蔵庫へと足を向けたところでパーラの大声が響き渡った。
なんだか今日は女性陣が叫んでばかりだ。
「嘘だ~。そんなことのためにぃ?」
「嘘じゃないさ。本当にチーズを作るために仔牛を殺していたんだよ。それも大量にね」
目を向けた先にあるテーブルでは、何やら半信半疑といったパーラの視線にネイが困った笑いを浮かべていた。
チーズを作るために仔牛を殺す…。
それを聞いてなるほどと凡その話が読めてきた。
つい横から口を挟んでしまう。
「胃の消化液のことですね?レンネット、それも仔牛からとれるのはカーフレンネットと呼ばれて、動物から搾った乳を固めるのに使えると聞いたことがあります」
地球でも中世あたりまではそうしてチーズ作りのために牛の胃からレンネットを取り出して利用していたと、某教育テレビで見た記憶がある。
この世界ではまず見かけることがなかった牛だが、どうやらチャスリウスでは牛を使っての酪農が行われているらしい。
これは向こうに行く楽しみが一つ出来てしまったな。
「…本当に君は博識だな。城の学者連中よりも物を知っているよ。その通り、チーズ作りが盛んな我が国では、仔牛の胃からしか取れない凝固液を取り出すために、多くの仔牛を殺してきた過去がある」
「それって殺さなきゃダメだったの?消化液が欲しいなら吐き出させるとかさ」
「もちろんそういう試みはあったさ。だがね、やはり吐き出させた胃液ではうまくいかなかったらしい。だから長い間、殺した牛の胃袋から消化液を取り出すやり方が続いたのだ」
この辺りは地球の歴史でも辿ったものではあるので、想像は出来なくとも予想は出来る。
そして、先ほどからネイが言う言葉には過去形のニュアンスが多く使われていることも理解できていた。
「まぁそれも過去の話だ。今はそんなことはしていないぞ」
「そうなの?」
「うむ。大分昔にその…れんねっと?とやらの代わりになるものが使われだしてな。今ではチーズ作りのために家畜を殺すということはまずしないのさ」
どうやらネイはパーラをからかうために過去のチーズ作りの話をしていたらしい。
もうやっていないということを聞いて露骨に安堵するパーラの様子を見ると、ネイの企みは上手くいったようだ。
「もぉ~そういうことは先に行ってよ。…もしかしてアンディ知ってた?」
「いや、知らない。けどレンネットの代わりになる微生物の存在は知ってる。確かカビを利用するんだったかな?」
「カビ?カビって…あの黒とか青とかのあれ?」
「まぁカビという括りなら同じだけど、多分それとは違う、チーズ作りに使う種類のカビがいるんだろうよ」
流石に酪農は門外漢なので、どんなカビが使われていたのかまでは覚えていないが、聞いた話だと普通に昔から日本にいた菌だったとか。
あまり記憶にはないが、こういう浅い知識が頭に刻み込まれている辺り、日本のテレビの凄さを改めて思い知る。
「私もそこまでは知らないが、なにやらそういう薬を使うとは聞いていたな。多分、アンディ君の言うカビというのがそれだろう」
チャスリウスでは既に微生物レンネットへと切り替わったようだが、では他の国でのチーズ作りはどうなのかというと、実はこの微生物レンネットに相当する薬品は今やどこの国でも出回っているそうで、俺達が今まで食べてきたヤギのチーズなんかはこれで作られたものだそうだ。
「殊更重要なものというわけではないし、そもそも発祥がわかっていない薬品でな。作り方は知っているが誰の手によるのかを知らないまま使っているのも少し不気味ではある。一説によると、御使いの一人が開発に関わっていたとも言われているが、定かではない」
御使いは五人いたとされているが、その全員がこの世界に何を残したのかを完全に知ることはできない。
何せ大昔の話なのだから。
ただ、ヘバ村の近くの丘にあった桜の木が品種改良されたものだとするのなら、菌類の扱いに長けた人間が御使いの中にいたとするのも十分ありうる。
俺の中では御使い達は何かしらの専門分野に造詣が深いと思っているので。
「まぁそれはともかく、今はうまいチーズが食えるんだから、誰が齎したものかを今の私達が深く考えることはないさ。あのチーズを肴に酒を傾けるのに小難しいことはいらんよ」
「ふーん…。でもそうまで言われると牛から作るチーズってのに益々興味がわいて来ジュル」
パーラよ、涎で言葉を締めるのはやめなさい。
暫くはネイによるチーズ談義と料理の話に花が咲き、空腹を訴えたパーラとネイに夜食を作ったところで、俺は一足先に部屋へと戻ることにした。
散々チーズの話を聞かされたおかげで、俺の口はチーズを求めている。
だが生憎、飛空艇に積んである食料にはチーズの在庫があまりなく、作った夜食も当然チーズは使っていない。
多少の空腹は覚えたものの、今の俺はチーズ以外に食指が動かない状態なので、寝台に寝転がって目を閉じるだけですぐに眠りに落ちていった。
翌日、この季節には珍しく、冷たい雨が降る中で俺達は飛び立った。
チャスリウスを目指す俺達は、元々マクイルーパとチャスリウスの国境にかなり近い位置で一夜を明かしたこともあって、昼を過ぎるが夕方にはまだ早いという時間帯には国境地帯を飛び越えていた。
朝方よりは弱まったとはいえ、まだ小雨が降る中で飛び続けていた飛空艇がチャスリウス公国へと侵入すると、これまでに見たこともない雄大な光景が目の前に広がっていた。
チャスリウス公国は周囲を山に囲まれた国だということは聞いていたのだが、てっきり盆地の中に国があるのを想像していた。
だがこうして実際に国土を目にしてみると、どうやらチャスリウスというのは準高山地帯とでも呼ぶような場所に造られた国のようだ。
いわゆる森林限界と呼ばれる高木が育たないほどの高さではなくとも、平地と比べれば明らかに山の上と言える高さにあるこのチャスリウスは、なんとなくだが昔テレビで見たマチュピチュのような神秘的な土地が各所にあるように感じられた。
「ほう、こうして我が国も空から見ると中々どうして。想像以上に雄大で美しいじゃないか」
「うーん、確かに景色はいいと思うけど、雨のせいでちょっと暗いよね」
「そうだな。晴れていれば草原を走る馬群や、草を食む動物の姿も見られただろう。まぁ私はこの霧雨の舞う大地を見下ろすのもなかなか気に入ったがね」
初めて飛空艇に乗った時のガクブル具合はどこに行ったという感じのネイを見て、ついクスリとした笑みをこぼしてしまう。
チャスリウスという国を見るという目的も兼ね、日が沈むまではゆっくり飛んで、眼下の景色を楽しむ。
所々に見える集落と思しき建物の集まったエリアでは、この国独特な建築様式によって建てられた家々も見受けられ、異国情緒というのもを強く感じられて面白い。
名馬の産地であり牧畜も盛んという話を聞いていただけに、モンゴルのような感じを想像していたが、立ち並ぶ家はどちらかというとレンガを積んで作られたものが多いように感じる。
「チャスリウスは国土のほとんどを標高が高い土地で占められているせいで、強い風と低い気温が住民には辛くてね。強く寒い風を防ぎ、中で熾した火の熱が逃げないようにほとんどの家はレンガ造りになっている」
「ネイさん、あの煙突から出てる煙が青いように見えるんだけど?」
この国の建物事情を説明するネイに、パーラが聞いたのは俺も気になっていた煙突の様子だ。
屋根から延びる煙突の先から出ている煙は、明らかに普通の白煙よりも大分青い。
何か体に良くない物質でも出ているのかと不安になるぐらいだ。
「あぁ、あれはコケ炭を燃やした煙だ」
『こけすみ?』
図らずも俺とパーラの声が被る。
「チャスリウスは平地に比べて森や林なんかがあまりなくて、薪代わりにできるコケが昔から栽培されているんだ。それを燃やすとああした青やら緑やらの煙が出るというわけさ」
「あの煙は体に害があったりするんですか?」
「いいや。もう何百年とこの国では燃料に使われてるが、そういうのは聞いたことがないな」
化学物質というのがまず考えられないこの世界で、あの煙の色はまず間違いなく天然由来のものであり、長い年月使い続けたチャスリウスの人間が健康に害がないというのなら問題ないのだろう。
中々興味深いコケ炭というものをいくつかサンプルとしてネイに手配してもらう約束を取り付け、この日はいい具合に台地となっている場所へ飛空艇を着陸させて夜を迎えた。
その後もゆっくりとだが飛空艇は順調に進み続け、四日後の昼前には俺達の目的地としている街へとたどり着こうとしていた。
飛空艇の操縦室から見る遠景には、巨大な都市の輪郭が朧気に存在を主張し始めている。
「今度の街は大きいね。もしかしてこの国の主都?」
「ああ、そうだ。あれがチャスリウス公国の首都サリカラで、遠くに見えるひときわ大きいのが王城だ」
ネイが指さす先には、北へ向けて緩やかに高くなっていく地形に沿って建てられたと思われる街並みと、その向こうにある巨大な城の影が見えた。
上から見下ろしてわかるのは、長大な外壁が都市を丸ごと囲み、歪な八角形の内側にある建物群は、外苑がみすぼらしい家から始まり、王城に近づくにつれて徐々に綺麗でしっかりとした建物になっていくのは、やはり貧富の差がどこの国にもあるせいだろう。
ネイの説明によると、外壁に近い順で貧民街、商業地区、一般居住区、富裕層の住宅地区、そして城郭という順になっているそうだ。
これは今まで旅をしてきた中で見た他の国とよく似ている。
巨大な都市が出来上がるということは、やはりこういう感じになっていくのが世の常なのかもしれない。
街を形成している建物はここに来るまでに見てきたチャスリウス各地の町村にあった建物と雰囲気は似ているが、どこか洗練されているように感じるのはやはり首都だからだろうか。
気になるのは、都市の北側にドンと重厚な存在感を放っている王城だ。
まだ外から見ただけでしかない感想だが、なんとなくこの城の建築様式は他の建物と違うような気がしている。
普通の家から貴族のものと思われる巨大な屋敷に至るまで、この国の建物はレンガが使われているはずだというのに、目の前に見える城の壁はレンガ造り特有の継ぎ目のようなものが見当たらない。
継ぎ目が出ない建て方をしたと言われたらそれまでだが、どうも全体から受ける印象としては、かつて見たカーリピオ団地遺跡に似たものがある。
もしかしたら遺跡由来の技術で建てたか、もっと単純に考えて遺跡にそのまま住んでいるのではないか?
そのあたりをネイに尋ねてみると、やはり俺の勘も捨てたものではなかった。
「流石、よくぞ気付いたものだ。確かに城は古代文明時代のものをそのまま使っている。元々あの城があって、そこに住んだ昔の権力者が周りに街を作り、そして首都になったと言われている。遺跡としては特別な機能のようなものはないそうだが、歴史的な価値は相当なものだと聞く」
「やっぱりそうでしたか。ちなみに遺跡はどれくらい昔のものなんですか?」
「大体1500年から800年前のものだと言われているな」
「…ずいぶん幅がありますね」
700年分の年代を特定できないほどにこの国の学者は能力が低いのだろうか?
ソーマルガにいた時に話を聞いた学者は、年代の特定は誤差100年以内に抑えられないと専門家は名乗れないと言っていたが。
「どうも複数の時代にわたって手が加わっているらしくてな。正確な年代はわからないそうだ」
なるほど。
恐らく昔の権力者が住んだ時点で環境が整えられ、その後も住み続けた人間たちの手によって色々といじられていったのだろうと推測する。
地球の世界遺産なんかでもよく聞く話だ。
「ねぇそれよりさ、私達ってこのまま飛空艇で街に降りてもいいものなの?」
「いや、それはまずい。流石にこの大きさのものが空を飛んで近付いてくれば大騒ぎになる。闇に紛れる夜を待って、郊外にある馬場に降りよう。幸い、私の家が所有する馬場なら大きさも足りるだろう」
そういうわけで、俺達は日が落ちるまでネイによる空からのチャスリウス観光を楽しみ、日が落ちたところで首都郊外にある馬場へと飛空艇を静かに降ろした。
ネイの家、つまりユーイ家が所有するこの馬場は、乗馬の訓練や馬同士の交配などを行うそうで、それだけにかなりの広さがある。
今飛空艇が着地した場所は、本来であれば馬具の調子を確かめるために馬のテスト走行を行うトラックのような所で、使用頻度があまり高くないため、しばらくはここを飛空艇の停泊地に貸してくれるという。
この馬場がある場所自体が周囲よりも小高い場所で、周りにめぐらされた柵と盛り土がいい具合に目隠しになって飛空艇が目立たないのがまたありがたい。
急に空から降り立った飛空艇に、ユーイ家に仕える兵士がその周りを囲むという場面はあったものの、掲げられた松明の明かりにネイの姿が照らされるとすぐに警戒は解かれた。
馬場の責任者らしき男性に、飛空艇の停泊と可能な限り人目を避けることをネイが頼み、この日は飛空艇内で夜を明かすことにした。
ネイはこの近くに別邸があるのでそちらに行くこともできたのだが、飛空艇の快適な環境に首まで浸かってしまったせいで自分の屋敷で寝るのも気が進まないそうだ。
「君達が悪いのだよ。この飛空艇を家にして暮らす快適さを私の体に教え込んだのだから、責任を取ってくれ」
そう言ってネイはすっかり自分専用の部屋着となった甚平に袖を通し、風呂の準備をし始めた。
完全に風呂にはまってしまったネイにとって、一日を終えるのに風呂は何よりなのだという。
しかしそうなると、この依頼が終わって俺達と別れたら、風呂のない生活に戻れるのだろうか?
と思ったら、ネイは自分の屋敷に風呂を作ることを計画していると俺に明かし、設計のアドバイスを後でほしいと言われた。
まぁそれぐらいは別に構わんのだが、俺の飛空艇にある浴室を基準にされると困る。
あれはソーマルガの魔道具職人と熟練の大工の手による傑作だ。
多少の性能劣化は覚悟してもらいたい。
―え?何とかしろ?
いやいや、こればっかりは―はい、なんとかします…。
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