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「…おみつは、娘たちとわしを置いて行きおった。わしを幸せにして…その幸せは、おみつがいたからあったものじゃったのに。そんなわしの気も知らず、毎年あの桜はそれはそれは、きれいな花を咲かせる。」
すっかり冷めてしまったお茶を小次郎爺さんはすすった。
「だから嫌いなんじゃ。わしはただ、娘の成長を見守って、いつもの暮らしを続けて、一緒に歳を重ねていきたかった。それを勝手に『きれいな花を咲かせますから』と言っていなくなって…。」
外の桜の方と反対の方へ顔を向け、小次郎爺さんは吐き捨てるように言った。
「わしはきれいな花なんぞ、いらん。」
弥助も冷めたお茶をすすった。
「なんで…おいらにしてくれたんだ、この話。」
「年寄りの気まぐれじゃ。誰かに自分の話を聞いてもらいたい時があるものよ。」
小次郎爺さんは乾いた笑いと共にそう言った後、胡坐をかいている足を組み替えて弥助の目を見た。
「あとな…お前さっき『この桜が、誰かに会いたいって願っているかのような。でもそれが叶わないって思っているかのような。』って言ったじゃろ。わしはその言葉に少し…救われた。もしかしたら、おみつもわしと同じように感じているかもしれんと思えての…。」
弥助はお茶を飲み干し、礼を言って家に帰った。話し終わった後、心なしか小次郎爺さんの顔は、はじめより穏やかだったと弥助は思い返した。
弥助はその後も時折小次郎爺さんの家を訪ねたが、間が悪かったのか居留守を使われていたのか、爺さんに会うことはなかった。桜は相変わらず、切ない空気を湛えてそこにあった。
何年後かの春、小次郎爺さんが寝たきりだと噂に聞き弥助は見舞いに行った。小次郎爺さんの家の桜は満開だった。
「ごめんくださーい!」
返事はなかったが、弥助は構わず家に上がった。布団が敷かれており、そこに小次郎爺さんは寝ていた。弥助がやってきた音で、小次郎爺さんは目を覚ました。
「おお…いつかの、変わり者の小僧か。」
弥助のことを覚えていた。弥助は小僧と言われるような歳ではなかったが、爺さんの弱々しい声に反論する気が起きず、頷いた。爺さんは起き上がろうとしたようだが、力が入らないのか諦めて寝たまま弥助に顔を向けて言った。
「そこの…障子を開けてくれんか。」
弥助は言われた通り、障子を大きく開けた。
「わぁ…きれいだ。」
縁側の向こうにちょうど、満開の桜が見える。暗い室内から見る桜は、春の日差しに輝いてこの世の物とは思えないほどの美しさだ。
「ああ…やはり、嫌いじゃよ…。」
布団の中から桜を眺めた爺さんは目を細め、消えるような声でそう言った。
そして、それきり、もう動かなかった。爺さんはあの世へ旅立った。
弥助はそっと爺さんの横にひざを折り、爺さんの瞼を閉じさせた。静かに手を合わせて、弥助は目を閉じた。
目を開けた時、弥助は部屋に桜の花びらが何枚も吹き込んでいるのを見た。
ばっと振り向き、弥助は目を丸くした。信じられない光景だった。たった今まで満開だった桜の花が、一斉に散っていく。
花びらは風に煽られ舞い上がり飛んで行く。
ひらひらと。
ひらひらと。
小次郎爺さんの後を追って、桜の花が散っていく。
はらはらと。
はらはらと。
弥助はただただ立ち尽くし、その光景を眺めていた。
その時以来、小次郎爺さんの家の桜は花を咲かせることはなかった。村人たちは「寿命かねぇ。」と残念がったが、弥助は小次郎爺さんとあの世で幸せに暮らしてくれているといい、と願った。
すっかり冷めてしまったお茶を小次郎爺さんはすすった。
「だから嫌いなんじゃ。わしはただ、娘の成長を見守って、いつもの暮らしを続けて、一緒に歳を重ねていきたかった。それを勝手に『きれいな花を咲かせますから』と言っていなくなって…。」
外の桜の方と反対の方へ顔を向け、小次郎爺さんは吐き捨てるように言った。
「わしはきれいな花なんぞ、いらん。」
弥助も冷めたお茶をすすった。
「なんで…おいらにしてくれたんだ、この話。」
「年寄りの気まぐれじゃ。誰かに自分の話を聞いてもらいたい時があるものよ。」
小次郎爺さんは乾いた笑いと共にそう言った後、胡坐をかいている足を組み替えて弥助の目を見た。
「あとな…お前さっき『この桜が、誰かに会いたいって願っているかのような。でもそれが叶わないって思っているかのような。』って言ったじゃろ。わしはその言葉に少し…救われた。もしかしたら、おみつもわしと同じように感じているかもしれんと思えての…。」
弥助はお茶を飲み干し、礼を言って家に帰った。話し終わった後、心なしか小次郎爺さんの顔は、はじめより穏やかだったと弥助は思い返した。
弥助はその後も時折小次郎爺さんの家を訪ねたが、間が悪かったのか居留守を使われていたのか、爺さんに会うことはなかった。桜は相変わらず、切ない空気を湛えてそこにあった。
何年後かの春、小次郎爺さんが寝たきりだと噂に聞き弥助は見舞いに行った。小次郎爺さんの家の桜は満開だった。
「ごめんくださーい!」
返事はなかったが、弥助は構わず家に上がった。布団が敷かれており、そこに小次郎爺さんは寝ていた。弥助がやってきた音で、小次郎爺さんは目を覚ました。
「おお…いつかの、変わり者の小僧か。」
弥助のことを覚えていた。弥助は小僧と言われるような歳ではなかったが、爺さんの弱々しい声に反論する気が起きず、頷いた。爺さんは起き上がろうとしたようだが、力が入らないのか諦めて寝たまま弥助に顔を向けて言った。
「そこの…障子を開けてくれんか。」
弥助は言われた通り、障子を大きく開けた。
「わぁ…きれいだ。」
縁側の向こうにちょうど、満開の桜が見える。暗い室内から見る桜は、春の日差しに輝いてこの世の物とは思えないほどの美しさだ。
「ああ…やはり、嫌いじゃよ…。」
布団の中から桜を眺めた爺さんは目を細め、消えるような声でそう言った。
そして、それきり、もう動かなかった。爺さんはあの世へ旅立った。
弥助はそっと爺さんの横にひざを折り、爺さんの瞼を閉じさせた。静かに手を合わせて、弥助は目を閉じた。
目を開けた時、弥助は部屋に桜の花びらが何枚も吹き込んでいるのを見た。
ばっと振り向き、弥助は目を丸くした。信じられない光景だった。たった今まで満開だった桜の花が、一斉に散っていく。
花びらは風に煽られ舞い上がり飛んで行く。
ひらひらと。
ひらひらと。
小次郎爺さんの後を追って、桜の花が散っていく。
はらはらと。
はらはらと。
弥助はただただ立ち尽くし、その光景を眺めていた。
その時以来、小次郎爺さんの家の桜は花を咲かせることはなかった。村人たちは「寿命かねぇ。」と残念がったが、弥助は小次郎爺さんとあの世で幸せに暮らしてくれているといい、と願った。
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