スメルスケープ 〜幻想珈琲香〜

市瀬まち

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7 コーヒーと勝負の行方(2)

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 コーヒーが〈喫珈琲カドー〉の商品である以上、客がいない時に何杯も淹れるわけにはいかない。だからブレンドや淹れ方を知るチャンスは、主に営業中の来客時だ。
 まず変化したのが、ブレンドするためのコーヒー豆の指定の仕方だった。今までは「右から二番目」だけだったハナオの指示が「右から二番目のブラジル」に変わった。
 ちなみにブラジルとはブラジル産のコーヒー豆の名称で、そのまま国名が由来になっている。他にも地域名だったり港名や山岳名だったり、格付けだったりとさまざまな由来があり、また複数から名付けられているものまである。
 一度、「どうして今まで豆の名前で言わなかったんだ?」と訊いてみたことがある。もちろん客がいない時にだ。答えは予想どおり。
「だって興味なかったでしょ? それに言ったってわからないだろうし」
 たしかに関心は薄かった。それに祖父はコーヒー豆を入れた瓶にタグをつけていない。傍から見れば、どれも同じ褐色の粒としか思えない。
「タグなんかつけないよー。毎回違うブレンドしといて、〝ブレンドコーヒーです〟って言って出すんだから。嘘は言ってないけど、先の客と違うものを飲まされているなんて、いい気しないでしょ」
「それって、実験台じゃねぇの?」
 じいちゃん、二十五年も何してんだ。引き続きやってるけど。
「考えようによってはね。見方を変えれば、カドーのマスターは、客一人一人に合わせたブレンドコーヒーを淹れることができた。それだけの腕の持ち主だってことだよ」
「え? っと、つまり、客の好みを覚えていたってことか?」
「それもあるね。この客はこのブレンドが好き、こんな風味を好むっていうのを客ごとに区別していたっていうのもそう。他にも、季節や天候、客自身の体調や気分も見ていたと思うよ」
「たとえば、今日は寒いからこのブレンド、雨だからこの豆を多めにしよう、とか?」
「そうそう。この客は二日酔いだなとか、イライラしているとか、逆に何かいいことがあったなとか。持ち込まれる食べ物に合わせたりね」
 〈喫珈琲カドー〉はフードメニューがない分、食べ物の持ち込みは可である。ただし、あまりにもとんでもないモノを持ち込むと、他の常連客によって出入り禁止にされる。
「それは……すごいな」
 相当な観察眼と、コーヒーはもちろん他の知識も必要だ。それを祖父は一人でしてきた。こんな極小喫茶店が二十五年も続き、熱狂的な常連客を持つ理由はここにあったのか。
「――って、まさか、ハナオも?」
「当ったり前じゃない。もしかして、今までただ気まぐれにブレンドしているとでも思っていたわけ?」
 興味がなかったことは責めないくせに、ハナオはこういう時には、本当に心外だと言いたげに頬を膨らませる。
「なぁ、……他の店もそうなのか? ブレンドを客やその日ごとに変えたり……」
「しないでしょ、普通。だからいろんなメニューが用意されているわけだし。店主の思い込みで味を変えられるのも、どうよ、って感じ? それに、カドーだけとは言わないけど、そんな手間なことするのってよっぽどの変人だよ?」
 と、変人・ハナオは肩をすくめた。コーヒーつうの言うことは時々よくわからない。
 ブレンドに関しては、ハナオの言い方と同時に俺の動きにも変化があった。今までは言われるままにグラインダーに放り込んでいたコーヒー豆を、一度別の器に入れてからまとめてグラインダーに入れるようになった。これは俺自身が配合の比率やグラム数を知ってブレンドを覚えようとした結果だ。とにかく来客中にハナオに話しかけることはできない。そばに置いたメモに豆の名前や配合を走り書きして、後で質問や清書をするのが日課になっていた。
 抽出の仕方は、実は以前と変わらない。変わったのはやはり言い方だけだ。ハナオは関心が希薄な俺に、わかりやすく、言葉少なく、風味を落とさない、の三拍子がそろった必要最低限の指示を出していたらしい。その言葉どおりに毎日コーヒーを淹れ続けること約二ヶ月、俺の体はコーヒーを淹れるという動作に、本人が思う以上になじんでいた。
 慣れ親しんだ一連の動き、自然な動作を妨げない程度のハナオの説明、コーヒーを提供し終わった後に隙をみて走り書きするメモ。これが、コーヒーあるいは〈喫珈琲カドー〉と真剣に向き合い始めてからの俺の日常。
 そんな生活が板についてきた一月の終わり、祖父の旧友が再び来店した。
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