スメルスケープ 〜幻想珈琲香〜

市瀬まち

文字の大きさ
上 下
20 / 42

6 祖父の目覚め(1)

しおりを挟む
 一月もまだ正月気分の抜けきらない頃、〈喫珈琲カドー〉に一つの朗報がもたらされた。
 祖父が目を覚ましたのだ。
 意識が回復してからしばらくは母が付き添い、俺が見舞いに行ったのは、連絡があってから数日後のことだった。
 〈喫珈琲カドー〉を休業にして見舞いに出かける前、俺とハナオの間でちょっとした悶着もんちゃくがあった。
「コーヒーを持って行け? 何言ってんだよ、まだ意識が戻ったばっかりだぞ。さすがに飲めるわけねぇだろ」
「もちろん、飲ませるためじゃないよ」
「じゃあ何のために」
「いいから。病室でふたを開けるだけでいい。絶対に、持って行ってよかったと思うから」
 その自信はどこから来るんだろう。とにかくハナオは言いきった。時々見せる一歩も引かない態度。そこまで言われると、持って行かなかった場合にどんな後悔をするのだろうと空恐ろしくなる。
 俺は渋々、腕を通しかけたコートを脱いで、カウンター内に移動した。コーヒーを持って行くとなると、魔法瓶が必要だ。俺が探しはじめると、
「そこの棚の奥から出して」
 ハナオの指示。どうやら発見ずみだったらしい。
「右から二番目をスプーンに半分くらい。次はその隣……」
 準備が整うと、ハナオは営業中同様にコーヒー豆のブレンドから指示を出しはじめる。
(……あれ、このブレンド)
 ここ二ヶ月ほどの間、俺は言われるままに行動し、どの豆をどんな配合で使っているかなんて気にかけたことはなかった。どうせわからないからだ。ハナオも俺の関心のなさを感じ取っているらしく、今のように位置とおおよその分量しか言わない。だから普段どんなブレンドをしているかなんていちいち覚えてはいなかったのだが。
 今回のブレンドには覚えがあった。最初にハナオが指示したブレンドだ。
 淹れ終えたばかりのコーヒーの入ったサーバーを眺め、ハナオは満足げに言った。
「うん、まぁ上出来かな。ミツもだいぶ慣れたね」
「何に?」
「コーヒーの抽出に、だよ」
「そうか? ハナオの指示が上手いんだろ?」
「それもあるかな」
 否定はしないらしい。手早く魔法瓶に注いで蓋をし、念のため傾かないように気をつけながら鞄に入れる。今度こそコートを羽織ったところで、俺はいつもと様子の違うハナオを振り返った。
「……行かねぇの?」
「今日は僕、留守番しているよ。――後できみが、カドーのマスターの様子を教えてくれたらいい」
 気を遣ってくれたのだろうか。「いってらっしゃい」と手を振るハナオを店内に残して、俺は扉を閉めた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

熱い風の果てへ

朝陽ゆりね
ライト文芸
沙良は母が遺した絵を求めてエジプトにやってきた。 カルナック神殿で一服中に池に落ちてしまう。 必死で泳いで這い上がるが、なんだか周囲の様子がおかしい。 そこで出会った青年は自らの名をラムセスと名乗る。 まさか―― そのまさかは的中する。 ここは第18王朝末期の古代エジプトだった。 ※本作はすでに販売終了した作品を改稿したものです。

心の落とし物

緋色刹那
ライト文芸
・完結済み(2024/10/12)。また書きたくなったら、番外編として投稿するかも ・第4回、第5回ライト文芸大賞にて奨励賞をいただきました!!✌︎('ω'✌︎ )✌︎('ω'✌︎ ) 〈本作の楽しみ方〉  本作は読む喫茶店です。順に読んでもいいし、興味を持ったタイトルや季節から読んでもオッケーです。  知らない人、知らない設定が出てきて不安になるかもしれませんが、喫茶店の常連さんのようなものなので、雰囲気を楽しんでください(一応説明↓)。 〈あらすじ〉  〈心の落とし物〉はありませんか?  どこかに失くした物、ずっと探している人、過去の後悔、忘れていた夢。  あなたは忘れているつもりでも、心があなたの代わりに探し続けているかもしれません……。  喫茶店LAMP(ランプ)の店長、添野由良(そえのゆら)は、人の未練が具現化した幻〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉と、それを探す生き霊〈探し人(さがしびと)〉に気づきやすい体質。  ある夏の日、由良は店の前を何度も通る男性に目を止め、声をかける。男性は数年前に移転した古本屋を探していて……。  懐かしくも切ない、過去の未練に魅せられる。 〈主人公と作中用語〉 ・添野由良(そえのゆら)  洋燈町にある喫茶店LAMP(ランプ)の店長。〈心の落とし物〉や〈探し人〉に気づきやすい体質。 ・〈心の落とし物(こころのおとしもの)〉  人の未練が具現化した幻。あるいは、未練そのもの。 ・〈探し人(さがしびと)〉  〈心の落とし物〉を探す生き霊で、落とし主。当人に代わって、〈心の落とし物〉を探している。 ・〈未練溜まり(みれんだまり)〉  忘れられた〈心の落とし物〉が行き着く場所。 ・〈分け御霊(わけみたま)〉  生者の後悔や未練が物に宿り、具現化した者。込められた念が強ければ強いほど、人のように自由意志を持つ。いわゆる付喪神に近い。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

凪の始まり

Shigeru_Kimoto
ライト文芸
佐藤健太郎28歳。場末の風俗店の店長をしている。そんな俺の前に16年前の小学校6年生の時の担任だった満島先生が訪ねてやってきた。 俺はその前の5年生の暮れから学校に行っていなかった。不登校っていう括りだ。 先生は、今年で定年になる。 教師人生、唯一の心残りだという俺の不登校の1年を今の俺が登校することで、後悔が無くなるらしい。そして、もう一度、やり直そうと誘ってくれた。 当時の俺は、毎日、家に宿題を届けてくれていた先生の気持ちなど、考えてもいなかったのだと思う。 でも、あれから16年、俺は手を差し伸べてくれる人がいることが、どれほど、ありがたいかを知っている。 16年たった大人の俺は、そうしてやり直しの小学校6年生をすることになった。 こうして動き出した俺の人生は、新しい世界に飛び込んだことで、別の分かれ道を自ら作り出し、歩き出したのだと思う。 今にして思えば…… さあ、良かったら、俺の動き出した人生の話に付き合ってもらえないだろうか? 長編、1年間連載。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...