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4 ハナオ(1)
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活気に満ちたざわめきが周りを取り囲んでいる。話し声や笑い声。時にはじけるように大きくなり、たまにひそむように小さくなる。
俺は友人二人と居酒屋にいた。巷にあふれるチェーン展開する店舗の一つ。店内は快適さをうたった個室形式だが、間仕切りのふすまに周囲の騒音を防ぐ気まではないらしい。三人で囲んだ掘りごたつのテーブルには、ビールジョッキと枝豆や唐揚げといった定番のつまみが並ぶ。
「――でだな、こういうわけだよ。充嗣、お前どう思うよ?」
「そうだなー」
アルコールが回ってご機嫌な友人の言葉に、俺も笑いながら声を張り上げる。交わされる会話は大した内容でもなく、くだらなくて楽しい。仕事帰りの緩んだネクタイ。仕事用に整えた髪形を友人たちとからかい合う。忙しい毎日の中で、肩の力が抜ける瞬間。こんな雰囲気は久しぶりだ。
ビールのアルコール臭、揚げ物の油臭さ、肉や野菜の焼けた匂い、それからさまざまな人の汗や疲れの匂い。おそらく店内に立ち込めているであろう、あらゆるものがない交ぜになった匂いはやっぱり感じない。親しいはずの友人たちが以前と比べて少しだけ遠く感じるのは、本当に久しぶりに会ったせいだけだろうか。
(あれ、俺、まだ仕事続けてたんだ)
なんか、辞めた夢でも見たみたいだ。それで、じいちゃんの喫茶店を手伝うんだ。
そんな話をしたら、友人が揃って爆笑した。働きすぎだぞ、充嗣。そりゃ願望じゃねぇの。
口元に持ってきたジョッキは生ぬるくて水滴だらけ。飲みこんだ液体は気の抜けた炭酸を舌の上ではじけさせた。少しだけ苦みを残す。
それで、その喫茶店でさ、会ったんだ。何によ? それは――。
(……え?)
しばらくして、やっと違和感に気づいた。
友人二人が楽しげに喋っている。周囲は雑然とした音であふれ、騒がしい。舌の上にはもう何の苦みも残っていない。
(いつからだ?)
俺はいつから彼らの会話に参加していなかったのだろう。いつから料理にも飲み物にも手をつけていなかったのだろう。いつから、友人たちは俺を見ていない?
平静を装って友人の名前を呼んだ。その声がだんだん震えだす。耳の奥で脈を打つ音がうるさくて、周囲の雑音が遠ざかる。隠しようのない動揺に語気が荒くなる。――それでも友人たちは笑顔で話し続け、振り向かない。
「――おいっ」
とうとう隣に座る友人をつかもうとした。相当な力を込めたはずの俺の手は、友人の肩をすり抜けて空を切った。狭い個室を囲むふすまに、腕は激突せずに埋まった――ように見えた。慌てて引き抜く。ふすまは無傷。掘りごたつから飛び出て立ち上がりかけ、足をすべらせて尻もちをつく。震える腕で体勢を立て直し、今度はジョッキをつかもうとする。何でもいい。何でもいいからさわりたい。
(俺は、その喫茶店で、何に会った?)
血が一気に引いていくような感覚。恐怖が全身に満ちる。俺は何にもさわれなかった。のばした腕が、テーブルに影を作っていない。急いで引っ込めて、後ずさる。友人たちのバカみたいな笑い声が遠い。この場を離れたい。誰かに助けを求めたい。
足を踏みしめて駆けだすと、体が閉まっていたふすまを抜けた。スポットライトを多用しすぎて眩しい廊下に突然現れた、どこからどう見ても挙動不審でしかない客を、無関心な顔をした店員が透り過ぎた。――パニックが襲い来る。
俺はたまらず頭を抱えて、叫んだ。
俺は友人二人と居酒屋にいた。巷にあふれるチェーン展開する店舗の一つ。店内は快適さをうたった個室形式だが、間仕切りのふすまに周囲の騒音を防ぐ気まではないらしい。三人で囲んだ掘りごたつのテーブルには、ビールジョッキと枝豆や唐揚げといった定番のつまみが並ぶ。
「――でだな、こういうわけだよ。充嗣、お前どう思うよ?」
「そうだなー」
アルコールが回ってご機嫌な友人の言葉に、俺も笑いながら声を張り上げる。交わされる会話は大した内容でもなく、くだらなくて楽しい。仕事帰りの緩んだネクタイ。仕事用に整えた髪形を友人たちとからかい合う。忙しい毎日の中で、肩の力が抜ける瞬間。こんな雰囲気は久しぶりだ。
ビールのアルコール臭、揚げ物の油臭さ、肉や野菜の焼けた匂い、それからさまざまな人の汗や疲れの匂い。おそらく店内に立ち込めているであろう、あらゆるものがない交ぜになった匂いはやっぱり感じない。親しいはずの友人たちが以前と比べて少しだけ遠く感じるのは、本当に久しぶりに会ったせいだけだろうか。
(あれ、俺、まだ仕事続けてたんだ)
なんか、辞めた夢でも見たみたいだ。それで、じいちゃんの喫茶店を手伝うんだ。
そんな話をしたら、友人が揃って爆笑した。働きすぎだぞ、充嗣。そりゃ願望じゃねぇの。
口元に持ってきたジョッキは生ぬるくて水滴だらけ。飲みこんだ液体は気の抜けた炭酸を舌の上ではじけさせた。少しだけ苦みを残す。
それで、その喫茶店でさ、会ったんだ。何によ? それは――。
(……え?)
しばらくして、やっと違和感に気づいた。
友人二人が楽しげに喋っている。周囲は雑然とした音であふれ、騒がしい。舌の上にはもう何の苦みも残っていない。
(いつからだ?)
俺はいつから彼らの会話に参加していなかったのだろう。いつから料理にも飲み物にも手をつけていなかったのだろう。いつから、友人たちは俺を見ていない?
平静を装って友人の名前を呼んだ。その声がだんだん震えだす。耳の奥で脈を打つ音がうるさくて、周囲の雑音が遠ざかる。隠しようのない動揺に語気が荒くなる。――それでも友人たちは笑顔で話し続け、振り向かない。
「――おいっ」
とうとう隣に座る友人をつかもうとした。相当な力を込めたはずの俺の手は、友人の肩をすり抜けて空を切った。狭い個室を囲むふすまに、腕は激突せずに埋まった――ように見えた。慌てて引き抜く。ふすまは無傷。掘りごたつから飛び出て立ち上がりかけ、足をすべらせて尻もちをつく。震える腕で体勢を立て直し、今度はジョッキをつかもうとする。何でもいい。何でもいいからさわりたい。
(俺は、その喫茶店で、何に会った?)
血が一気に引いていくような感覚。恐怖が全身に満ちる。俺は何にもさわれなかった。のばした腕が、テーブルに影を作っていない。急いで引っ込めて、後ずさる。友人たちのバカみたいな笑い声が遠い。この場を離れたい。誰かに助けを求めたい。
足を踏みしめて駆けだすと、体が閉まっていたふすまを抜けた。スポットライトを多用しすぎて眩しい廊下に突然現れた、どこからどう見ても挙動不審でしかない客を、無関心な顔をした店員が透り過ぎた。――パニックが襲い来る。
俺はたまらず頭を抱えて、叫んだ。
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