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第四章
四. 仲間の大歓迎
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翌日ワタルは沙樹を乗せ、車で東京に出発した。
来るときは長い一人旅だったが、帰りはふたりだ。休憩を入れながら、遠い道のりをのんびりとドライブする。目前に広がる青空には雲ひとつ浮かんでいない。これからの未来を予感させるような晴天に、ワタルは、もう迷わないと心に誓う。
途中でサービスエリアに立ち寄ると、ワタルと梢について書かれているスポーツ紙が目についた。昨日までは忌々しく感じたそれらの報道も、今のワタルは気にならない。まだ報道は収まっていないが、自分にとってすでに過去の一コマになっている。
それもこれも、すぐ側にいる女性が無謀な旅をしてくれたおかげだ。赤い糸が繋がっていたからこそ、予想すらしなかった場所で再会できた。
平日とあって、サービスエリアの人の数は多くない。もちろん人目につかないよう、いつもの変装用メガネでごまかす。テレビや雑誌に出る回数が増えても、ロック畑の人はアイドルほど顔が浸透していない。ファンにしても、ここに北島ワタルがいるとは思わないようだ。
「沙樹」
ワタルの呼びかけに、少し距離をとって歩く沙樹が振り返る。
「こっちにおいでよ」
「え? それって……大丈夫?」
あたりを確認しながら沙樹は遠慮がちに側に立った。
ワタルはなんの予告もなく、沙樹の方に腕を回す。
「ち、ちょっと!」
「大丈夫。そんなに人はいないだろ。見つかったとしても、本命の彼女との熱愛報道なら、おれは気にしないね」
そういうとワタルは、スマートフォンをもった手を伸ばし「自撮りだよ」と、数回シャッターを押した。
撮ったばかりの写真を見ると、そこには日光を受けて輝く海と、上にかかる橋を背景にした自分たちの姿が写っている。残念なことに、ワタルの顔は右半分が画面からはみ出し、真っ赤で俯き加減の沙樹が中央に写っているだけだ。
「うーん。自撮り棒でもないといい感じに撮れないな」
「解ったから、あの……人目のある場所でこんなに接近するのは恥ずかしいから……肩の腕、退けてくれない?」
「そうか? 誰もおれたちを見てなんかないよ」
「けど……いつもと違うと、調子が狂っちゃう」
もう少しこうしていたかったが、沙樹があまりに拒絶するから、ワタルは仕方なく腕を下ろす。これまで人目を避けることばかり考えていたから、急に変えるのは難しいようだ。
だが今のワタルは、沙樹ほど人の目が気にならない。
「ワタルさん、今度の件で開き直って大胆になっていない?」
「そうかな。そんなつもりはないんだけどね」
そのときだ。ワタルのスマートフォンに日下部から連絡が入った。ワタルは日下部に、沙樹がここまで探しにきたことなどをざっと報告する。
『そうか、西田くんの方がおれたちより上だな。まさか居場所を見つけ出すとはね』
日下部が電話の向こうで苦笑しているのが伝わってきた。
『もう帰っても大丈夫だって連絡するつもりだったんだが。すでに出発してたのか』
「はい。事後報告になってすみません。で、状況が変わったのですか?」
『ああ、実は……』
日下部がいうには、大物俳優の不倫疑惑と離婚問題で、芸能ニュースは今朝からそちらに関心が移っている。
今の時代、人の噂は七十五日も持たない。ワタルと梢のことは完全無視になった。
「そろそろ行こうか。今日中に東京に着きたいから」
「あ。あたし、得能くんにお土産を頼まれていたんだ。美味しいものを買ってきてくれって言われてるの。ワタルさんは先に車に戻ってて」
そう言い残すと沙樹は走って売店に向かう。ワタルは運転席に座り、今回の出来事を思い返した。
日下部の話では、梢がブログに書いた熱愛宣言は、ハッキングによるなりすましの悪ふざけだという。梢の熱狂的なファンを彼氏にもつ女性が、ブログの過去記事を読み、梢が飼っているペットの名前を見つけた。試しにそれをパスワードに入力したら、意外なことにアクセスが可能となった。そこでふたりの交際宣言を書くことで、彼氏の気持ちを浅倉梢から自分に向けようとしたらしい。
一見もっともらしい話だが、いささか出来過ぎだったため、ワタルは無理して作ったフィクションにしか思えなかった。だがいまさら追及したところで、誰の得にもならない。この件に関しては自分の胸に収めておくことにした。
とそのとき、森下から電話が入る。噂をすれば影だなと苦笑しながら、ワタルは電話に出る。
詳しいことは日下部に聞いていたので、話は短時間で済んだ。それではまた仕事で、と言って電話を切ろうとすると、森下に引き止められる。
『ところで、梢のブログの件ですが、実はあれを書いたのは……』
「そのことならもういいです。梢ちゃんをそこまで追い込んだ責任はおれにもありますから。真実はさておき、日下部さんが考えてくれたシナリオをそのままいただきましょう」
『北島さんには、本当にご迷惑をおかけしました。私も梢に厳しく指導しますので、どうかご容赦をお願いします』
電話の向こうで頭を下げる森下の姿が浮かんだ。おそらくそばには梢もいるだろう。直接話すより森下にとりなしてもらった方が、へんに期待を持たせずにすむ。
「ではまた、歌番組などの仕事でお会いしましょう。もしご希望ならば、曲の提供もします。仕事は今まで通り、わだかまりなく進めていきませんか。周りが許せば、ですが」
『北島さん、そこまで考えてくださってありがとうございます。感謝しても仕切れません』
電話を切ったタイミングで、沙樹が両手一杯のお土産を持って戻ってきた。
「どうしたんだい? さすがにそれは買いすぎじゃないか」
「だってメンバーは四人もいるし、事務所の人たちやラジオ局の分も考えたら、これくらいは必要よ」
と言いながら助手席に座り、沙樹は続ける。
「さっき買い物中に得能くんから電話があってね。『念のために数日はうちに来いよ』って言ってくれたの。ワタルさんのマンション前はまだ諦めきれないレポーターが少し残ってるんだって。だから家には帰らず、このまま得能くんのマンションに直接行かない?」
「哲哉のところに?」
ワタルの顔が一瞬にして青ざめた。
「何か都合が悪いことでもあるの?」
「いや、そうするくらいなら、どこかのホテルに泊まった方が……」
「得能くんのところには芸能レポーターもいないのに、何を心配してるの?」
「あ、いや……その……」
どうにも嫌な予感がして、ワタルはつい拒否する道を選びたくなる。それは十中八九当たっている確信があった。
「何も心配することないのに。変なワタルさん」
東京に着いたときは、深夜近くになっていた。沙樹に押し切られ、ワタルは哲哉の家に直行する。マンション前にはレポーターの姿もなく、静かな住宅街のままだ。
沙樹は入り口で哲哉の部屋番号を入力した。
『お帰り。ずっと待ちわびてたんだぜ。さ、どうぞ』
弾んだ声に迎えられて部屋まで行くと、哲哉が玄関先で待っていた。
「西田さん、お疲れさま。よくこの莫迦を見つけてくれたな。感謝するぜ」
「莫迦とはなんだ。リーダーに向かって。おれが莫迦なら哲哉は阿呆か?」
口ではお互いを罵りながらも、ふたりとも目が笑っている。
「それより早く中に入りなよ。ここで騒いでたら、ご近所さんに悪いからな」
哲哉は妙ににやにやしながらふたりを中へ誘導する。ところがワタルは、靴を脱いだはいいが、そこで立ち止まった。
「胸騒ぎが……する」
とワタルがつぶやいたとたん、
「お帰りー、ワタル、沙樹ちゃん」
リビングの扉が開き、直貴が飛び出してきた。
「あっ、直貴さん。わざわざ来てくれてたのね。うれしいな」
「リーダーの生還祝いだよ。当然じゃん」
沙樹は直貴に引っ張られてリビングに入った。
「お帰り沙樹ちゃん。本当にお疲れさま」
弘樹と武彦はソファーから立ち上がり、沙樹を拍手で出迎えてくれた。みんなの歓迎ムードが沙樹の心を弾ませ、疲れも苦労も一気に吹き飛ぶ。
ところがワタルは入り口で固まっている。
「みんながいるなんて……でもこれは想定内だから動揺することないんだが……哲哉にバレるとこうなるんだよな……」
「そういうこと。西田さんとのことはみんな知ってんだ。いまさら悪あがきすることねえだろ?」
哲哉がワタルの後ろにまわり、キッチンまで背中を押した。
「仕事以外で会うのって、久しぶりですね。みなさん、元気でした?」
沙樹はテーブルの上にお土産を広げ、ソファーに腰を下ろして一息ついた。
「見ての通り、みんな元気だよ。でも沙樹ちゃんがワタルとつきあってとはね。もっとも仲がいいのはよく解ってたから、いつかはそうなると思ってたよ」
「直貴の言う通り。水面下でこんなことになってたなんて。悪い話じゃないんだから、隠すことないのに」
弘樹の言葉を聞き、武彦は微笑みと共にうなずく。
「哲哉、みんなにしゃべったな」
ワタルはキッチンでグラスを準備する傍ら、氷を用意していた哲哉を横目で睨んだ。とげのような視線をさらっとかわし、哲哉は頭をかきながら答える。
「しゃべったわけじゃなくて、バレちまったんだよ」
「なんだと?」
「最初のうちだったよな。西田さんが『彼女に謝って』って何か勘違いしたことがあっただろ。実はあのとき、おれたち四人はスタジオにいたんだ」
次に出すアルバムの打ち合わせをしていたときに電話がかかってきたと、哲哉がカウンター越しに教えてくれた。
あのとき哲哉は「ひとりでいるとは限らない」と言ったが「彼女といる」とは言わなかった。
「おれは一言もしゃべってないぜ。でもいいじゃないか。みんな大歓迎なんだ。これからはバンド内では、堂々といちゃついてくれ」
グラスを持って戻ったワタルを、みんなが沙樹の隣に座らせる。哲哉はシャンパンを手にして栓を開けた。同時にクラッカーが鳴り響く。
「お帰りー」
「婚約おめでとー」
「結婚式には呼んでくれよー」
口々に祝いの言葉を叫ぶ仲間たちに、ワタルが言い放つ。
「おい、気が早いっ。なんだ、おまえらみんなっ。人をおもちゃにするんじゃないっ! リーダーなんだぞ、おれはっ」
「ワタルさん。みんなにさんざん心配かけておいて、ぞんざいな言い方は失礼よ。それよりあたしは、みんなに大歓迎されて嬉しいな」
ワタルはやや不機嫌になって沙樹を見る。アルコールに弱いというのにシャンパングラスがすでに空っぽになっていた。顔が赤いのは、照れのせいではなく、お酒が原因かもしれない。
「なんてこった。弱いんだから飲みすぎるなとあれほど注意しているのに」
ワタルはがっくりと肩を落とす。
熱愛報道からずっと、沙樹の心は張り詰めていた。それを思うと今日くらいは大目に見ようという気にもなる。
「バレたら大騒ぎになることが解ってたから、内緒にしていたのに……」
ワタルの落胆をよそに、オーバー・ザ・レインボウのみんなはワタルと沙樹の帰還祝いを始めた。
沙樹は祝ってもらえるのが嬉しくてたまらないようだ。ワタルにしても黙っている期間、みんなをだましているようで申し訳ないと思っていた。大騒ぎも冷やかされるのも、これ一回きりのことだ。ここは素直に祝ってもらおう。
梢との熱愛報道も、沙樹とのことを秘密にしていたから話が大きくなったようなものだ。
メンバーはワタルが思っているよりも、 マスコミに対してうまくふるまえる。これからは躊躇うことなく、困ったときは助けを求めよう。今までずっとそうしてきたのだから。
この素敵な仲間たち。これからも、そしていつまでもみんなで音楽を作っていけますように。夢と希望を語れますように。
ワタルは心の中でそう祈った。
来るときは長い一人旅だったが、帰りはふたりだ。休憩を入れながら、遠い道のりをのんびりとドライブする。目前に広がる青空には雲ひとつ浮かんでいない。これからの未来を予感させるような晴天に、ワタルは、もう迷わないと心に誓う。
途中でサービスエリアに立ち寄ると、ワタルと梢について書かれているスポーツ紙が目についた。昨日までは忌々しく感じたそれらの報道も、今のワタルは気にならない。まだ報道は収まっていないが、自分にとってすでに過去の一コマになっている。
それもこれも、すぐ側にいる女性が無謀な旅をしてくれたおかげだ。赤い糸が繋がっていたからこそ、予想すらしなかった場所で再会できた。
平日とあって、サービスエリアの人の数は多くない。もちろん人目につかないよう、いつもの変装用メガネでごまかす。テレビや雑誌に出る回数が増えても、ロック畑の人はアイドルほど顔が浸透していない。ファンにしても、ここに北島ワタルがいるとは思わないようだ。
「沙樹」
ワタルの呼びかけに、少し距離をとって歩く沙樹が振り返る。
「こっちにおいでよ」
「え? それって……大丈夫?」
あたりを確認しながら沙樹は遠慮がちに側に立った。
ワタルはなんの予告もなく、沙樹の方に腕を回す。
「ち、ちょっと!」
「大丈夫。そんなに人はいないだろ。見つかったとしても、本命の彼女との熱愛報道なら、おれは気にしないね」
そういうとワタルは、スマートフォンをもった手を伸ばし「自撮りだよ」と、数回シャッターを押した。
撮ったばかりの写真を見ると、そこには日光を受けて輝く海と、上にかかる橋を背景にした自分たちの姿が写っている。残念なことに、ワタルの顔は右半分が画面からはみ出し、真っ赤で俯き加減の沙樹が中央に写っているだけだ。
「うーん。自撮り棒でもないといい感じに撮れないな」
「解ったから、あの……人目のある場所でこんなに接近するのは恥ずかしいから……肩の腕、退けてくれない?」
「そうか? 誰もおれたちを見てなんかないよ」
「けど……いつもと違うと、調子が狂っちゃう」
もう少しこうしていたかったが、沙樹があまりに拒絶するから、ワタルは仕方なく腕を下ろす。これまで人目を避けることばかり考えていたから、急に変えるのは難しいようだ。
だが今のワタルは、沙樹ほど人の目が気にならない。
「ワタルさん、今度の件で開き直って大胆になっていない?」
「そうかな。そんなつもりはないんだけどね」
そのときだ。ワタルのスマートフォンに日下部から連絡が入った。ワタルは日下部に、沙樹がここまで探しにきたことなどをざっと報告する。
『そうか、西田くんの方がおれたちより上だな。まさか居場所を見つけ出すとはね』
日下部が電話の向こうで苦笑しているのが伝わってきた。
『もう帰っても大丈夫だって連絡するつもりだったんだが。すでに出発してたのか』
「はい。事後報告になってすみません。で、状況が変わったのですか?」
『ああ、実は……』
日下部がいうには、大物俳優の不倫疑惑と離婚問題で、芸能ニュースは今朝からそちらに関心が移っている。
今の時代、人の噂は七十五日も持たない。ワタルと梢のことは完全無視になった。
「そろそろ行こうか。今日中に東京に着きたいから」
「あ。あたし、得能くんにお土産を頼まれていたんだ。美味しいものを買ってきてくれって言われてるの。ワタルさんは先に車に戻ってて」
そう言い残すと沙樹は走って売店に向かう。ワタルは運転席に座り、今回の出来事を思い返した。
日下部の話では、梢がブログに書いた熱愛宣言は、ハッキングによるなりすましの悪ふざけだという。梢の熱狂的なファンを彼氏にもつ女性が、ブログの過去記事を読み、梢が飼っているペットの名前を見つけた。試しにそれをパスワードに入力したら、意外なことにアクセスが可能となった。そこでふたりの交際宣言を書くことで、彼氏の気持ちを浅倉梢から自分に向けようとしたらしい。
一見もっともらしい話だが、いささか出来過ぎだったため、ワタルは無理して作ったフィクションにしか思えなかった。だがいまさら追及したところで、誰の得にもならない。この件に関しては自分の胸に収めておくことにした。
とそのとき、森下から電話が入る。噂をすれば影だなと苦笑しながら、ワタルは電話に出る。
詳しいことは日下部に聞いていたので、話は短時間で済んだ。それではまた仕事で、と言って電話を切ろうとすると、森下に引き止められる。
『ところで、梢のブログの件ですが、実はあれを書いたのは……』
「そのことならもういいです。梢ちゃんをそこまで追い込んだ責任はおれにもありますから。真実はさておき、日下部さんが考えてくれたシナリオをそのままいただきましょう」
『北島さんには、本当にご迷惑をおかけしました。私も梢に厳しく指導しますので、どうかご容赦をお願いします』
電話の向こうで頭を下げる森下の姿が浮かんだ。おそらくそばには梢もいるだろう。直接話すより森下にとりなしてもらった方が、へんに期待を持たせずにすむ。
「ではまた、歌番組などの仕事でお会いしましょう。もしご希望ならば、曲の提供もします。仕事は今まで通り、わだかまりなく進めていきませんか。周りが許せば、ですが」
『北島さん、そこまで考えてくださってありがとうございます。感謝しても仕切れません』
電話を切ったタイミングで、沙樹が両手一杯のお土産を持って戻ってきた。
「どうしたんだい? さすがにそれは買いすぎじゃないか」
「だってメンバーは四人もいるし、事務所の人たちやラジオ局の分も考えたら、これくらいは必要よ」
と言いながら助手席に座り、沙樹は続ける。
「さっき買い物中に得能くんから電話があってね。『念のために数日はうちに来いよ』って言ってくれたの。ワタルさんのマンション前はまだ諦めきれないレポーターが少し残ってるんだって。だから家には帰らず、このまま得能くんのマンションに直接行かない?」
「哲哉のところに?」
ワタルの顔が一瞬にして青ざめた。
「何か都合が悪いことでもあるの?」
「いや、そうするくらいなら、どこかのホテルに泊まった方が……」
「得能くんのところには芸能レポーターもいないのに、何を心配してるの?」
「あ、いや……その……」
どうにも嫌な予感がして、ワタルはつい拒否する道を選びたくなる。それは十中八九当たっている確信があった。
「何も心配することないのに。変なワタルさん」
東京に着いたときは、深夜近くになっていた。沙樹に押し切られ、ワタルは哲哉の家に直行する。マンション前にはレポーターの姿もなく、静かな住宅街のままだ。
沙樹は入り口で哲哉の部屋番号を入力した。
『お帰り。ずっと待ちわびてたんだぜ。さ、どうぞ』
弾んだ声に迎えられて部屋まで行くと、哲哉が玄関先で待っていた。
「西田さん、お疲れさま。よくこの莫迦を見つけてくれたな。感謝するぜ」
「莫迦とはなんだ。リーダーに向かって。おれが莫迦なら哲哉は阿呆か?」
口ではお互いを罵りながらも、ふたりとも目が笑っている。
「それより早く中に入りなよ。ここで騒いでたら、ご近所さんに悪いからな」
哲哉は妙ににやにやしながらふたりを中へ誘導する。ところがワタルは、靴を脱いだはいいが、そこで立ち止まった。
「胸騒ぎが……する」
とワタルがつぶやいたとたん、
「お帰りー、ワタル、沙樹ちゃん」
リビングの扉が開き、直貴が飛び出してきた。
「あっ、直貴さん。わざわざ来てくれてたのね。うれしいな」
「リーダーの生還祝いだよ。当然じゃん」
沙樹は直貴に引っ張られてリビングに入った。
「お帰り沙樹ちゃん。本当にお疲れさま」
弘樹と武彦はソファーから立ち上がり、沙樹を拍手で出迎えてくれた。みんなの歓迎ムードが沙樹の心を弾ませ、疲れも苦労も一気に吹き飛ぶ。
ところがワタルは入り口で固まっている。
「みんながいるなんて……でもこれは想定内だから動揺することないんだが……哲哉にバレるとこうなるんだよな……」
「そういうこと。西田さんとのことはみんな知ってんだ。いまさら悪あがきすることねえだろ?」
哲哉がワタルの後ろにまわり、キッチンまで背中を押した。
「仕事以外で会うのって、久しぶりですね。みなさん、元気でした?」
沙樹はテーブルの上にお土産を広げ、ソファーに腰を下ろして一息ついた。
「見ての通り、みんな元気だよ。でも沙樹ちゃんがワタルとつきあってとはね。もっとも仲がいいのはよく解ってたから、いつかはそうなると思ってたよ」
「直貴の言う通り。水面下でこんなことになってたなんて。悪い話じゃないんだから、隠すことないのに」
弘樹の言葉を聞き、武彦は微笑みと共にうなずく。
「哲哉、みんなにしゃべったな」
ワタルはキッチンでグラスを準備する傍ら、氷を用意していた哲哉を横目で睨んだ。とげのような視線をさらっとかわし、哲哉は頭をかきながら答える。
「しゃべったわけじゃなくて、バレちまったんだよ」
「なんだと?」
「最初のうちだったよな。西田さんが『彼女に謝って』って何か勘違いしたことがあっただろ。実はあのとき、おれたち四人はスタジオにいたんだ」
次に出すアルバムの打ち合わせをしていたときに電話がかかってきたと、哲哉がカウンター越しに教えてくれた。
あのとき哲哉は「ひとりでいるとは限らない」と言ったが「彼女といる」とは言わなかった。
「おれは一言もしゃべってないぜ。でもいいじゃないか。みんな大歓迎なんだ。これからはバンド内では、堂々といちゃついてくれ」
グラスを持って戻ったワタルを、みんなが沙樹の隣に座らせる。哲哉はシャンパンを手にして栓を開けた。同時にクラッカーが鳴り響く。
「お帰りー」
「婚約おめでとー」
「結婚式には呼んでくれよー」
口々に祝いの言葉を叫ぶ仲間たちに、ワタルが言い放つ。
「おい、気が早いっ。なんだ、おまえらみんなっ。人をおもちゃにするんじゃないっ! リーダーなんだぞ、おれはっ」
「ワタルさん。みんなにさんざん心配かけておいて、ぞんざいな言い方は失礼よ。それよりあたしは、みんなに大歓迎されて嬉しいな」
ワタルはやや不機嫌になって沙樹を見る。アルコールに弱いというのにシャンパングラスがすでに空っぽになっていた。顔が赤いのは、照れのせいではなく、お酒が原因かもしれない。
「なんてこった。弱いんだから飲みすぎるなとあれほど注意しているのに」
ワタルはがっくりと肩を落とす。
熱愛報道からずっと、沙樹の心は張り詰めていた。それを思うと今日くらいは大目に見ようという気にもなる。
「バレたら大騒ぎになることが解ってたから、内緒にしていたのに……」
ワタルの落胆をよそに、オーバー・ザ・レインボウのみんなはワタルと沙樹の帰還祝いを始めた。
沙樹は祝ってもらえるのが嬉しくてたまらないようだ。ワタルにしても黙っている期間、みんなをだましているようで申し訳ないと思っていた。大騒ぎも冷やかされるのも、これ一回きりのことだ。ここは素直に祝ってもらおう。
梢との熱愛報道も、沙樹とのことを秘密にしていたから話が大きくなったようなものだ。
メンバーはワタルが思っているよりも、 マスコミに対してうまくふるまえる。これからは躊躇うことなく、困ったときは助けを求めよう。今までずっとそうしてきたのだから。
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ワタルは心の中でそう祈った。
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