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第三章

三. 狙われたアイドル(一)

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 今日はラジオ番組の収録で、ワタルは直貴とともにFMシーサイドステーションに来ていた。DJブースに入り、ふたりでいつものように台本を元に打ち合わせをする。今日は浅倉梢がゲストだ。それなのにまだ姿を見せていない。そのとき沙樹が難しい表情で入ってきた。
「今、ゲストの浅倉さんから、二十分ほど遅れるって連絡が入りました」
「さすがトップアイドルだね。TVにラジオに忙しいんだろうな。てことは、ひとつ前の仕事が押した?」
 直貴の質問に、沙樹は首を横にふった。
「収録開始の時間がまちがって伝わっていたようなんです。二十分後となると収録が既に始まっている時刻ですよね。到着を待って番組を始めるに越したことはないのですが、スケジュールを動かすわけにもいかないので、時間になったら始めます。浅倉さんは途中から出演ということで、アドリブでうまい具合に対応していただけませんか?」
「それなら安心して。ぼくらの収録って台本がないのと同じだから。毎回アドリブと一緒だよ。ね、ワタル?」
 直貴は平然と答えた。
 それに関してはワタルも同意見だが、梢の遅刻が気になる。体調不良などのハプニングでもない限り、あの森下が遅刻するようなスケジュールを組むとは思えない。
「じゃあ予定通り十五時に始めるってことで。てことは……あと十五分か」
 ワタルがそう返事すると、直貴も納得する。
「ところで浅倉さんだけど……」
 沙樹はほかのスタッフに聞かれないように声を潜めた。
「最近の彼女、仕事がルーズだっていう噂があるの。時間に遅れたり、演技でNGを連発したりしてるらしくて。実力もないのに売れてるからいい気になってるって声が、ラジオ局にまで聞こえてきてるのよ。もっともうちはテレビ局に間借りしてるから、ワイドショーまがいの噂も早いの。無責任な噂なんて放っておけばいいと思っていたら、今日の収録でも遅刻でしょ。あながち噂だけでもないみたいだし。
 このままだと仕事に影響が出て、大事おおごとになるとかわいそうだから、そうなる前に忠告してあげたらいいんだけど……あたしの立場じゃ言えないから、ワタルさんたちからうまく諭してあげられない?」
 沙樹は口元に手を当て眉をひそめた。仕事をともにするスタッフとして、本心から心配している。梢が原因で会える時間が減ったと知っても、同じように気遣うだろうか。
 意図したことではないにせよ、梢といる時間が増えたことやそれを内緒にしていることを考えると、ワタルは沙樹を騙しているような罪悪感でいっぱいになる。
「解ったよ。それとなく伝えておく」
「大丈夫、梢ちゃんはワタルの大ファンだから、素直に忠告を聞き入れてくれるよ」
「浅倉さん……ワタルさんの大ファン、なんだね」
 沙樹は何か不穏なものを感じ取ったのか、やや眉をひそめた。ワタルと沙樹の間に微妙な空気が流れかけたときだ。
「すみません、遅くなって」
 DJブースの扉が開けられ、梢が肩で息をしながら飛び込んできた。ガラスの向こうでは森下がスタッフに頭を下げている。
「髪の毛をふり乱して、必死で間に合わせてくれたんだね。努力は買うけど、収録時間をまちがえちゃダメだよ」
 直貴が軽い口調で注意すると、梢は息を切らしながらもう一度丁寧に頭を下げた。
「じゃああたし、外に出ますね。浅倉さん、お水お持ちしましょうか?」
「あ、はい。お願いします」
 ワタルの隣に座った梢は台本をめくる手を止めて返事をした。三人で最終的な詰めをしていると、沙樹はミネラルウォーターのペットボトルを三本持って戻ってきた。
「浅倉さん、間に合ってよかったですね。十五時になったら始めますので、それまでに打ち合わせを終えてくださるようお願いします」
 事務的に必要事項を伝えると、沙樹はDJブースを出て行った。

   ☆   ☆   ☆

 番組の収録は無事に終了した。このあと同じ建屋にあるミュージック・ストリートのスタジオに移動しなくてはならない。
 楽屋に行くまでの時間で、ワタルは沙樹が話していた噂について考えた。
 梢はわがままで甘えた態度を取っているが、それは気を許した相手にしか見せない部分だ。子役として年端としはもいかないころから芸能界に身をおいている。仕事への情熱や責任感は大人以上にしっかりしていた。
 たとえ過密スケジュールが続いたとしても、森下が管理しているから、時間をまちがえるようなミスをするはずがない。一度や二度ならまだしも、噂になるほどのミスを重ねているとは到底信じられなかった。
「すみません、ワタルさん、ナオキさん。今日は遅刻してしまって」
「そのことだけど、遅刻の原因は仕事がぎゅうぎゅうに詰まってたからなの?」
 直貴は梢の体調を気遣う方面から話を切り出した。
「そういう訳ではないんですけど……」
「もしかして疲れがたまってるんじゃない? 体力のある高校生でも、無理しすぎて体が悲鳴をあげてしまったのかな」
「ありがとうございます、ナオキさん。体の方は大丈夫です。遅刻の原因は……いえ、なんでも……」
 梢が言葉を濁したとき、エレベーターが楽屋のフロアに到着した。梢の楽屋は歩実あゆみと同室だ。歩実は梢が以前所属していた事務所の同期で、一番親しいアイドルだ。
 楽屋の扉にポスターが貼ってあるのが遠目に見える。こんなところに? と違和感を覚えつつ、ワタルは梢や森下と並び、直貴と細井のうしろを歩いた。
「なんだよ、これ。いたずらじゃすまないよっ」
 先を行く直貴が、突然声を上げた。つられて扉を見たワタルは、そこに広がる光景に言葉を失った。
「うそ、ひどい……」
 梢は両手で口をおおい、真っ青になって小刻みに震え始めた。
 扉に貼られたポスターは、梢が主演しいているドラマのものだ。だがそれは普通の状態ではない。梢の顔は口の部分がモンスターように切り取られ、服は赤のマジックで塗られている。目の周りは眼球がえぐられて血まみれになったような、おぞましい演出がなされていた。
「見ちゃダメだ」
 ワタルは扉の前に立ち、かばうように梢を抱き寄せた。直貴と森下がポスターを破る。細井はスタジオに走った。
「だれの仕業だよ。こんな嫌がらせをされて気づかないなんて、スタッフは何してんだ?」
 ポスターをぐちゃぐちゃに丸めながら直貴が怒りをぶつける。細井に連れられたADが血相を変えて走ってきた。直貴と森下が抗議をしている横で、ワタルは力なく床にへたり込んだ梢の前で片膝をついた。
「大丈夫かい?」
 梢は震えながらも、気丈にうなずいた。
「こんなの初めてじゃないから。多分これで十回くらい……かな。最初は……辛かったけど、もう慣れちゃった、みた……い」
「十回も?」
 直樹が大声を張り上げたので、ワタルは静かにするよう注意した。大事になって噂が噂を呼ぶようなことになっては、梢が潰れてしまいかねない。
 なぜこんな嫌がらせを受けなければいけないのか。未成年の女の子がこんなことをされて、大丈夫なはずがない。
 ここまで追い込まれてなお「慣れたみたい……」と強がる梢が、ワタルは不憫ふびんでならなかった。
「もしかして、遅刻したのも嫌がらせのせい?」
「今朝急に局の人から、収録時間が変わったって電話が入ったんです。まさかいたずら電話だなんて……。こんなことが続いているのに、確認しなかった私のミスです」
 直貴の問いかけに、森下は力なく答えた。これでは演技に影響が出ても無理はない。
 スター街道を進む人の足を引っ張るものがいる。
 ドラマのような話を小耳に挟んだことはあったが、実際に目の当たりにするのは初めてだ。ただの都市伝説だと笑い飛ばしていたワタルは、身近な少女が苦しんでいたことに気づくすべもなかった。
「でもね……慣れたといっても、気分がいいことじゃな……い……」
 梢は意識をなくし、その拍子に壁に頭を打ちそうになる。ワタルはとっさに抱きかかえた。
「かわいそうに。森下さんも気が気じゃなかったでしょう」
 直貴は森下に肩を貸していた。ここまで酷い嫌がらせは、気丈な敏腕マネージャーの手にも余る。
 ワタルは梢を抱き上げ、楽屋に入ると椅子にそっと座らせた。程なくして梢は目を覚ました。
「私は大丈夫だから、ワタルさんたちも出演の準備に取り掛かって」
「でも……」
「こんな嫌がらせくらいで体を壊したら、犯人の思う壺だもの」
「おふたりともそうしてください。私がついているし、もうじき歩実も来るでしょう。スタッフにも厳重に注意しましたから、今日はもう何もないと思います」
 できればずっとそばにいてあげたかったが、ワタルたちも準備をしなくてはならない。ふたりは後ろ髪を引かれる思いで、梢の楽屋を後にした。
「ぼくらにはあんな嫌がらせがなかったけど、これってラッキーだったのかな」
「かもな。でもこの先絶対にないとは言えない。おれたちも気をつけないと」
「でも気をつけるっていっても、どうすればいいんだか……」
 楽天家の直貴でも不安を隠せない。無理もない。人の一番汚いところを見せられたのだから。
 そんな中で梢は、荷が重すぎる嫌がらせに耐えてきた。この状況を知ったワタルが知らぬ存ぜぬという態度を取れるはずがない。
 できるだけ梢の力になり、力づけてあげたい。その瞬間、ワタルはそう決心した。

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