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第一章

二. 見つからない足跡と果てしない不安(二)

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 ワタルの件が報道されて四日目を迎えた。
 仕事が早く終わった沙樹は、思い切ってワタルのマンションを訪ねた。通勤時に見かける部屋に明かりのついた日はないので、留守にしているのなら観葉植物に水をやるつもりだ。ふたりでそろえたものばかりだから、枯らせたくなかった。
 マンション前では、数名の報道陣が張り込んでいた。うちひとりは親会社のテレビ局に所属するカメラマンで、何度か顔を見たことがある。向こうが沙樹を知っているか定かではないが、油断は禁物だ。
 これでは住人のふりをして入るのは無理だ。角を曲がる直前で引き返そうとしたとき、沙樹の横に黄色いビートルが止まり、運転席の窓が開いた。
「西田くん、西田沙樹くんだろ」
 声をかけてきたのは、茶髪でサングラスをかけた四十歳前後の男性だ。
 来ているのを見られただけでも気が重いのに、見知らぬ人物に顔を知られているとは。怯えた沙樹が返事もできず固まっていると、相手がサングラスを外した。
「えっ?」
 著名な写真家の須藤すどうあつしだ。
 須藤は過去にオーバー・ザ・レインボウの密着取材を行っていて、FM局の収録現場にも何度か来ていた。沙樹は大学時代のバンド活動を知っていることから、匿名を条件にインタビューを受けていた。
 すべてを見透かされそうな鋭い目が少しだけ怖い。そんな人物だ。
「取材……ではないな。北島のことが心配になって、ようすを見にきたのかい」
「ええ、そんなところです……」
 叱られそうな気がして、沙樹は言葉を濁す。
「気持ちは解るが、もっと考えてから行動すべきだな。下手したら西田くんまで巻き込まれかねない。三角関係に発展したら野次馬が喜ぶだけだ。それにこの調子じゃ北島も帰宅できないだろうて。陣中見舞いなどよして、おとなしく帰れよ」
 意外なことに須藤は沙樹のことを心配している。
「ときに浅倉梢と北島の件だが、西田くんはどう思う?」
「あたしには……よく解りません」
 質問の意図がつかめず、沙樹は首を横にふった。
「おれの勘なんだが、北島の恋人は浅倉じゃないな。いや彼女はいるような気がするが、少なくとも浅倉は違うよ」
 須藤にも気づかれているとは。沙樹とワタルの関係がばれるのは、時間の問題かもしれない。
「どうしてそう思うんですか」
「どうしてって言われてもなあ……強いて言えば、北島の作る歌か。彼の書く詞を読んでると、ときどき身近な誰かに向けたんじゃないかってものがある。おれにはその女性が浅倉梢に思えない。もっと一途で、健気で――ああ、ちょうど西田くんみたいな人だよ」
「あたしですか?」
 須藤は軽くうなずいて続ける。
「もっとも、フィクションで作り上げた人物をもとにしてる可能性もあるし、そのモデルが西田くんかもしれないがな。曲作りのことも含めて取材し、二冊目の写真集をだしたい」
 沙樹はどの曲をさしているのか見当がつかない。だが須藤の言葉で少しだが気が軽くなった。
「須藤さんって、北島さんのことをよく見ているんですね」
「デビュー当時から注目してるんだぞ。この程度のことを見抜けないでどうする。外見だけを見ていたのでは、いい写真は撮れないぜ」
「じゃ、どうして芸能レポートに来たんですか? もしかしてアルバイト?」
 沙樹の軽口に須藤は破顔し、ワタルの部屋の窓を見上げて目を細めた。
「いやいや。おれも友人としてようすを見に来たんだ。でもこんなふうに張り込まれていたら、帰りたくても帰れないだろうね」
 沙樹は、須藤が撮影やインタビューの最中に見せる、何もかも見透かすような視線が怖かった。だがあれは被写体をとらえるときのカメラマン特有のもので、相手を威圧するためのものではなかった。今日の目は鋭さがなく眼差しが柔らかい。
「須藤さんって、友達思いで情の厚い人なんですね」
「やっと解ったか。いつになったら怖がるのをやめてくれるかなって思ってたんだぞ」
 須藤は豪快に笑う。
「それより早いとこ帰れよ。よかったら送ろうか」
「ありがとうございます。でもうちまで一駅ですから」
「そうか。じゃあ、気をつけてな」
 須藤の車を見送って、沙樹はもう一度ワタルの部屋を見上げた。
 観葉植物が気になる。だが、自分を知っているかもしれないカメラマンの前を、堂々と通り抜けるような危険は冒したくなかった。

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