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第四十一話 ぼくはもう……
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聖夜と月島が教会に戻るころ、東の空は少しずつ明るくなり始めていた。降り続く雪にあたりは白く染められている。雪になれていない街は混乱し、交通渋滞を招くだろう。聖夜が産まれた日と同じだ。
無事に帰ったふたりを、神父は心から喜んで迎え入れてくれた。冷え切った身体を温めるのは、昨日と同じ、甘いココアだ。
神父の自室で、月島はソファーに座ったまま、外をじっとながめている。その隣で聖夜は、カップを手にして、父の横顔を見ていた。
「そのままでは家に帰るのも困るでしょう。朝になってしまいましたからね」
神父は聖夜が着られそうな服を、寄付されたものの中から見繕って出してくれた。指摘されて初めて、聖夜は自分の着る服が血だらけなのに気づいた。
「どうぞ。着替えるついでに、傷の手当をなさってください」
神父が救急箱をテーブルにおいた。月島が薬を取り出す。聖夜は礼を言って服を脱いだ。
手当をしようとした月島の動きが止まる。ほんの少しのまをおいて、つぶやく。
「……怪我は、なかったのか?」
「いや、そんなことないはずだけど」
手のひらも、足も、腕も、背中も、ガラスの破片を握ったり刃を受けたりして、傷だらけのはずだ。その証拠に服はあちこち破れ、血で汚れている。
「でも聖夜。おまえの身体はどこにも傷跡が残っていない」
言われてみれば、あれだけの傷を負ったのにもかかわらず、痛みは既に消えていた。いやそれ以前に、もし傷が残っていれば、平気で歩いたり会話できたりするはずもないだろう。
聖夜は救急箱の中からはさみを取り出した。柄をにぎりしめ、自分の手のひらを凝視する。
大丈夫だと思っても確信はない。だがどうしても試してみたかった。息をとめ、思い切って手のひらに刃を滑らせる。
「やめろ、なにをするんだ」
月島が止めるまもなかった。
力任せに傷つけた手のひらから血がにじみ出て、肘まで伝わる。月島はあわてて、綿で聖夜の傷口から血をふき取った。
「思った通りだよ」
自分の手をながめて、聖夜がつぶやく。
ぱっくりとわれた大きな傷はほんの数秒で血が止まった。父と神父が見つめる中で、傷が見る見る閉じていき、数分もかからないで完治した。さながら特撮映画のワンシーンだ。
月島が手にした消毒薬が、行き場をなくす。
「やっぱりそうなんだ。ぼくはもう、普通の人とはちがうんだね」
「でもきみは、人々の希望でもあるのですよ」
神父は昨夜と同じ内容を、聖夜にも語ってくれた。そしてコナーの肖像画も見せてくれた。
自分を描いたものだといわれたも、疑うことなく受け入れただろう。それほどに、コナーと自分は似ていた。記録には書かれていないそのあとの物語も、今の聖夜たちには簡単に想像できる。
聖夜は目を閉じ、コナーに思いを馳せた。
昼の世界からも夜の世界からも疎んじられたコナーは、それでも母のいる人間の側につき、たったひとりで彼らのために尽くしてきた。そんな彼が夜の世界に飛び込んだのには、どのような意図があったのだろうか。
夜のなにに魅力を感じ、昼のどこに嫌気がさしたのか。今の聖夜にはわからない。自分の意志で選んだのか、そうせざるを得なかったのか。それも含めて、聖夜には想像できないものばかりだった。
同じ顔をしたダンピールの生き方が、自分の未来を暗示する。
夜の世界か、死か。自分もいつの日か選ぶときがくるだろう。
考えなくてはならないこと、見つけなくてはいけない道。新しい世界の扉を開いてしまった聖夜には、どれもすぐに解決できないものばかりだ。
だが幸いにも時間はありあまるほどある。
「今日はクリスマス・イヴ。おまえの誕生日だな」
月島の言葉が聖夜の思考を止めた。
「約束を覚えているか?」
「約束って?」
「誕生日を一緒に祝おうって言っただろ」
月島の口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「すべては終わったんだ。今日はゆっくり休みなさい。準備はわたしひとりでもできるからな」
「父さん……」
聖夜のつぶやきは、礼拝堂から聞こえ始めた賛美歌に消された。
「さっそく帰って支度を始めるか」
月島は神父に手短に礼を述べ、足早に部屋を出た。あまりの性急な行動に、聖夜はとまどいを覚える。
「父さん、待ってよ」
聖夜は立ち上がり、先を急ぐ月島を追いかけた。
暖かくて力強い父だと思っていた。どんなときも聖夜をかばい、こんな事件の中でさえ、命懸けで守ってくれた。
今はその背中が、とても小さく見える。
進むべき道が、不意に見えた。
教会の門のそばに立ち、月島は聖夜を待っていた。雪の中、傘もさしていない。
顔にはどこか楽しげな表情が浮かんでいる。戦いが終わったことを喜んでいるのだろうか。それともこのあとのパーティーに気持ちをうばわれているのだろうか。
「父さん?」
聖夜が声をかける。
瞬間、月島の口元が小さく震え、ピエロの仮面がはがれた。
無理してはしゃいで、現実からのがれようとしている父がいた。その姿が聖夜の胸を鋭い矢のようにつらぬく。聖夜は歩みをとめ、月島をじっと見た。
「さあ、帰ろう」
父が自分に手を差し伸べる。
無事に帰ったふたりを、神父は心から喜んで迎え入れてくれた。冷え切った身体を温めるのは、昨日と同じ、甘いココアだ。
神父の自室で、月島はソファーに座ったまま、外をじっとながめている。その隣で聖夜は、カップを手にして、父の横顔を見ていた。
「そのままでは家に帰るのも困るでしょう。朝になってしまいましたからね」
神父は聖夜が着られそうな服を、寄付されたものの中から見繕って出してくれた。指摘されて初めて、聖夜は自分の着る服が血だらけなのに気づいた。
「どうぞ。着替えるついでに、傷の手当をなさってください」
神父が救急箱をテーブルにおいた。月島が薬を取り出す。聖夜は礼を言って服を脱いだ。
手当をしようとした月島の動きが止まる。ほんの少しのまをおいて、つぶやく。
「……怪我は、なかったのか?」
「いや、そんなことないはずだけど」
手のひらも、足も、腕も、背中も、ガラスの破片を握ったり刃を受けたりして、傷だらけのはずだ。その証拠に服はあちこち破れ、血で汚れている。
「でも聖夜。おまえの身体はどこにも傷跡が残っていない」
言われてみれば、あれだけの傷を負ったのにもかかわらず、痛みは既に消えていた。いやそれ以前に、もし傷が残っていれば、平気で歩いたり会話できたりするはずもないだろう。
聖夜は救急箱の中からはさみを取り出した。柄をにぎりしめ、自分の手のひらを凝視する。
大丈夫だと思っても確信はない。だがどうしても試してみたかった。息をとめ、思い切って手のひらに刃を滑らせる。
「やめろ、なにをするんだ」
月島が止めるまもなかった。
力任せに傷つけた手のひらから血がにじみ出て、肘まで伝わる。月島はあわてて、綿で聖夜の傷口から血をふき取った。
「思った通りだよ」
自分の手をながめて、聖夜がつぶやく。
ぱっくりとわれた大きな傷はほんの数秒で血が止まった。父と神父が見つめる中で、傷が見る見る閉じていき、数分もかからないで完治した。さながら特撮映画のワンシーンだ。
月島が手にした消毒薬が、行き場をなくす。
「やっぱりそうなんだ。ぼくはもう、普通の人とはちがうんだね」
「でもきみは、人々の希望でもあるのですよ」
神父は昨夜と同じ内容を、聖夜にも語ってくれた。そしてコナーの肖像画も見せてくれた。
自分を描いたものだといわれたも、疑うことなく受け入れただろう。それほどに、コナーと自分は似ていた。記録には書かれていないそのあとの物語も、今の聖夜たちには簡単に想像できる。
聖夜は目を閉じ、コナーに思いを馳せた。
昼の世界からも夜の世界からも疎んじられたコナーは、それでも母のいる人間の側につき、たったひとりで彼らのために尽くしてきた。そんな彼が夜の世界に飛び込んだのには、どのような意図があったのだろうか。
夜のなにに魅力を感じ、昼のどこに嫌気がさしたのか。今の聖夜にはわからない。自分の意志で選んだのか、そうせざるを得なかったのか。それも含めて、聖夜には想像できないものばかりだった。
同じ顔をしたダンピールの生き方が、自分の未来を暗示する。
夜の世界か、死か。自分もいつの日か選ぶときがくるだろう。
考えなくてはならないこと、見つけなくてはいけない道。新しい世界の扉を開いてしまった聖夜には、どれもすぐに解決できないものばかりだ。
だが幸いにも時間はありあまるほどある。
「今日はクリスマス・イヴ。おまえの誕生日だな」
月島の言葉が聖夜の思考を止めた。
「約束を覚えているか?」
「約束って?」
「誕生日を一緒に祝おうって言っただろ」
月島の口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「すべては終わったんだ。今日はゆっくり休みなさい。準備はわたしひとりでもできるからな」
「父さん……」
聖夜のつぶやきは、礼拝堂から聞こえ始めた賛美歌に消された。
「さっそく帰って支度を始めるか」
月島は神父に手短に礼を述べ、足早に部屋を出た。あまりの性急な行動に、聖夜はとまどいを覚える。
「父さん、待ってよ」
聖夜は立ち上がり、先を急ぐ月島を追いかけた。
暖かくて力強い父だと思っていた。どんなときも聖夜をかばい、こんな事件の中でさえ、命懸けで守ってくれた。
今はその背中が、とても小さく見える。
進むべき道が、不意に見えた。
教会の門のそばに立ち、月島は聖夜を待っていた。雪の中、傘もさしていない。
顔にはどこか楽しげな表情が浮かんでいる。戦いが終わったことを喜んでいるのだろうか。それともこのあとのパーティーに気持ちをうばわれているのだろうか。
「父さん?」
聖夜が声をかける。
瞬間、月島の口元が小さく震え、ピエロの仮面がはがれた。
無理してはしゃいで、現実からのがれようとしている父がいた。その姿が聖夜の胸を鋭い矢のようにつらぬく。聖夜は歩みをとめ、月島をじっと見た。
「さあ、帰ろう」
父が自分に手を差し伸べる。
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