1 / 2
第一話 死神の影
しおりを挟む
みすみす手放してなるものか。
決して逃がしはしない。
自分の運命、課せられた使命を受け入れろ。
おまえの生き延びる道は、それしかない――。
☆ ☆ ☆
降り積もった雪の上に、柴崎レンは仰向けに倒れていた。
灰色の厚い雲から白く冷たい雪がゆっくりと舞い降りる。
身体に降り注ぐそれは時折吹き抜ける風に追いやられ、幸いにして積もることはない。だがそのたびに体温は奪われ、命の灯火が小さくなるのを感じる。
レンは顔に落ちた雪を力なく払いのけた。息をするために必要最低限の行為だ。
すぐそばには豪華な造りの洋館が立っている。以前の持ち主がわざわざ英国から移転させた、本格的なものだ。
起き上がってそこに入れば、少なくとも体温を奪われることはない。しかし今のレンには、失血のためにたったそれだけ体力も残っていなかった。
心臓の鼓動にあわせて、切られた右足から血が噴き出し、雪を赤く染める。
染まっているのはここだけではない。広い庭に積もった雪は、いたるところが踏みにじられ、血の跡が点在していた。
先ほどまで繰り広げられていた死闘の痕跡だ。
レンはそのようすを一段高いところから観察していた。
月島聖夜――あのダンピール――を見くびっていた。
ダンピールと呼ばれる彼らは人間のハンターと違い、いとも簡単にヴァンパイアの息の根をとめる。もちろんそれには生まれたときからの訓練の積み重ねが必要だ。
しかし聖夜は自分の能力を知らずに育った。覚醒したところで大して役に立たないだろう。貴重なダンピールをみすみす犬死にさせるわけにはいかない。
ヴァンパイア・ハンターの組織からダンピールがいなくなって、数十年単位の時間が過ぎている。ヴァンパイアにはなんでもない時間でも、人間にとっては気の遠くなる時間だ。
人間のハンターたちは、ヴァンパイア退治に疲れ切っていた。そして組織内にダンピールを探すことを専用にした部門が立ち上がり、ブラッディ・ハンターをそれとなくウォッチし続ける。
結果、そんな貴重なダンピール候補をやっと見つけた。しかしその候補者である月島聖夜は、自らがそこまで重要な存在と知らず、もう少しで覚醒し損なうところだった。
――組織で訓練を受けさせたのち、ブラッディ・マスターと対決させる。
それは幹部たちのくだした決定だ。
レンは彼らの命令で身分を隠したままドルーに近づき、新たなダンピールの誕生を待っていた。
そしてようやく月島聖夜は、期限まであと少しというところで自らの本能に目覚めた。
聖夜は何の訓練も受けていないダンピールゆえ、マスターどころかスレーブにさえやられる可能性の方が高いと思われていた。
だが聖夜は苦労の末とはいえ、覚醒前にヴァンパイアを消滅させた。
そして何の技術もない未熟なはずのダンピールが覚醒直後に、最強のひとりと言われるドルー――ブラッディ・マスター――を倒した。レンにとって、この目で見ても信じられない光景だ。まったくの計算外だった。
それだけではない。人間の身体を流れる血の道を、正確に読み取る。
人間としてヴァンバイア・ハンターの訓練を重ねてきたレンは、覚醒直後の聖夜を一度取り逃すという失敗をした上に、組織への合流を拒絶された。
そしてあろうことか、いとも簡単に致命傷を負わされ、今こうして死の淵に立たされている。
「ダンピールとはそこまでの能力をもっているのか」
組織の、そして自分自身の判断ミスだ。いまさら悔やんでもしかたがない。
手足が少しずつ冷えてくる。だが止血に使えそうな布がない。
「仕方がないか」
レンは最後の力で体を起こしてコートを脱ぎ、袖の部分を傷口に固く結びつけた。寒さを防ぐより血を止める方が先だ。
愛用の黒いコートだったが、こんなに大量の血を吸ってしまえばもう着られない。
もっとも着る人間が死んでしまっては、コートが無事でも意味がない。残されたところで形見分けの価値すらないだろう。
「はぁ」
一息ついて雪の上で仰向けになると、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、残された力で部下にもう一度連絡を入れる。
『す、すみません。一分前後でそちらに到着します』
聖夜を組織に連れて帰るために待機させていた者たちだ。
「ダンピールに……逃げられた。そ……そのときに……致命傷を負った……」
現状を説明すると、部下の声に動揺の色がにじむ。
「わかりました。救助班を至急まわしますっ」
そういうと電話を切った。
「月島――聖夜か」
こちらが差し伸べた手を取り、素直についてくればよいものを。
ダンピールと自分たちの組織は、ヴァンパイアを倒し昼の世界を守るという同じ目的を持っている。それなのになぜ奴は拒否した?
組織のメンバーは皆、実戦においてはダンピールを中心に行動する。彼らの手足も同然だ。協力することはあっても、敵対するために集まったのではない。
「おまえはまだ、自分が何者かを理解していない」
人々がダンピールに寄せる期待と畏怖、課せられた仕事、そして人間を凌駕する能力――ハンターを目指す者が手にしたくとも届かないすべてを持っている。
冷たい聖夜の瞳が、レンの脳裏に浮かんだ。
不意に噛まれた首筋が熱くなる。降る雪に体温を奪われているのに、そこだけが熱を持っている。
あの瞬間の得難い感覚。あそこまで甘美なものは、二十数年間の人生で得たことがない。
一度襲われた犠牲者が、逃げることなく何度も血を与える理由が今までどうしても解らなかったが、体験すればすんなりと理解できるものだった。
全身が冷え、手足の感覚が消え始めた。寒さは雪のせいか、あるいは血を流しすぎたためか。
もう、我が身に降り積もる雪を払いのける気力は残っていない。冷たいはずの雪が暖かく感じられる。まぶたが重くなり、気を緩ませると今にも眠ってしまいそうだ。
意識が途切れるのと、部下たちが救助に来るのと、どちらが先だろう。
死にたくない。組織をまとめて絶対にヴァンパイアの魔の手から人間を守る。志半ばで死んではならない。
遠くで車のエンジン音がかすかに聞こえる。救助の者たちだといいが。
だがそれを確認する前に、レンのまぶたは閉じられ、意識が途切れた。
☆ ☆ ☆
決して逃がしはしない。
自分の運命、課せられた使命を受け入れろ。
おまえの生き延びる道は、それしかない――。
☆ ☆ ☆
降り積もった雪の上に、柴崎レンは仰向けに倒れていた。
灰色の厚い雲から白く冷たい雪がゆっくりと舞い降りる。
身体に降り注ぐそれは時折吹き抜ける風に追いやられ、幸いにして積もることはない。だがそのたびに体温は奪われ、命の灯火が小さくなるのを感じる。
レンは顔に落ちた雪を力なく払いのけた。息をするために必要最低限の行為だ。
すぐそばには豪華な造りの洋館が立っている。以前の持ち主がわざわざ英国から移転させた、本格的なものだ。
起き上がってそこに入れば、少なくとも体温を奪われることはない。しかし今のレンには、失血のためにたったそれだけ体力も残っていなかった。
心臓の鼓動にあわせて、切られた右足から血が噴き出し、雪を赤く染める。
染まっているのはここだけではない。広い庭に積もった雪は、いたるところが踏みにじられ、血の跡が点在していた。
先ほどまで繰り広げられていた死闘の痕跡だ。
レンはそのようすを一段高いところから観察していた。
月島聖夜――あのダンピール――を見くびっていた。
ダンピールと呼ばれる彼らは人間のハンターと違い、いとも簡単にヴァンパイアの息の根をとめる。もちろんそれには生まれたときからの訓練の積み重ねが必要だ。
しかし聖夜は自分の能力を知らずに育った。覚醒したところで大して役に立たないだろう。貴重なダンピールをみすみす犬死にさせるわけにはいかない。
ヴァンパイア・ハンターの組織からダンピールがいなくなって、数十年単位の時間が過ぎている。ヴァンパイアにはなんでもない時間でも、人間にとっては気の遠くなる時間だ。
人間のハンターたちは、ヴァンパイア退治に疲れ切っていた。そして組織内にダンピールを探すことを専用にした部門が立ち上がり、ブラッディ・ハンターをそれとなくウォッチし続ける。
結果、そんな貴重なダンピール候補をやっと見つけた。しかしその候補者である月島聖夜は、自らがそこまで重要な存在と知らず、もう少しで覚醒し損なうところだった。
――組織で訓練を受けさせたのち、ブラッディ・マスターと対決させる。
それは幹部たちのくだした決定だ。
レンは彼らの命令で身分を隠したままドルーに近づき、新たなダンピールの誕生を待っていた。
そしてようやく月島聖夜は、期限まであと少しというところで自らの本能に目覚めた。
聖夜は何の訓練も受けていないダンピールゆえ、マスターどころかスレーブにさえやられる可能性の方が高いと思われていた。
だが聖夜は苦労の末とはいえ、覚醒前にヴァンパイアを消滅させた。
そして何の技術もない未熟なはずのダンピールが覚醒直後に、最強のひとりと言われるドルー――ブラッディ・マスター――を倒した。レンにとって、この目で見ても信じられない光景だ。まったくの計算外だった。
それだけではない。人間の身体を流れる血の道を、正確に読み取る。
人間としてヴァンバイア・ハンターの訓練を重ねてきたレンは、覚醒直後の聖夜を一度取り逃すという失敗をした上に、組織への合流を拒絶された。
そしてあろうことか、いとも簡単に致命傷を負わされ、今こうして死の淵に立たされている。
「ダンピールとはそこまでの能力をもっているのか」
組織の、そして自分自身の判断ミスだ。いまさら悔やんでもしかたがない。
手足が少しずつ冷えてくる。だが止血に使えそうな布がない。
「仕方がないか」
レンは最後の力で体を起こしてコートを脱ぎ、袖の部分を傷口に固く結びつけた。寒さを防ぐより血を止める方が先だ。
愛用の黒いコートだったが、こんなに大量の血を吸ってしまえばもう着られない。
もっとも着る人間が死んでしまっては、コートが無事でも意味がない。残されたところで形見分けの価値すらないだろう。
「はぁ」
一息ついて雪の上で仰向けになると、ズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、残された力で部下にもう一度連絡を入れる。
『す、すみません。一分前後でそちらに到着します』
聖夜を組織に連れて帰るために待機させていた者たちだ。
「ダンピールに……逃げられた。そ……そのときに……致命傷を負った……」
現状を説明すると、部下の声に動揺の色がにじむ。
「わかりました。救助班を至急まわしますっ」
そういうと電話を切った。
「月島――聖夜か」
こちらが差し伸べた手を取り、素直についてくればよいものを。
ダンピールと自分たちの組織は、ヴァンパイアを倒し昼の世界を守るという同じ目的を持っている。それなのになぜ奴は拒否した?
組織のメンバーは皆、実戦においてはダンピールを中心に行動する。彼らの手足も同然だ。協力することはあっても、敵対するために集まったのではない。
「おまえはまだ、自分が何者かを理解していない」
人々がダンピールに寄せる期待と畏怖、課せられた仕事、そして人間を凌駕する能力――ハンターを目指す者が手にしたくとも届かないすべてを持っている。
冷たい聖夜の瞳が、レンの脳裏に浮かんだ。
不意に噛まれた首筋が熱くなる。降る雪に体温を奪われているのに、そこだけが熱を持っている。
あの瞬間の得難い感覚。あそこまで甘美なものは、二十数年間の人生で得たことがない。
一度襲われた犠牲者が、逃げることなく何度も血を与える理由が今までどうしても解らなかったが、体験すればすんなりと理解できるものだった。
全身が冷え、手足の感覚が消え始めた。寒さは雪のせいか、あるいは血を流しすぎたためか。
もう、我が身に降り積もる雪を払いのける気力は残っていない。冷たいはずの雪が暖かく感じられる。まぶたが重くなり、気を緩ませると今にも眠ってしまいそうだ。
意識が途切れるのと、部下たちが救助に来るのと、どちらが先だろう。
死にたくない。組織をまとめて絶対にヴァンパイアの魔の手から人間を守る。志半ばで死んではならない。
遠くで車のエンジン音がかすかに聞こえる。救助の者たちだといいが。
だがそれを確認する前に、レンのまぶたは閉じられ、意識が途切れた。
☆ ☆ ☆
1
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
視える棺―この世とあの世の狭間で起こる12の奇譚
中岡 始
ホラー
この短編集に登場するのは、「気づいてしまった者たち」 である。
誰もいないはずの部屋に届く手紙。
鏡の中で先に笑う「もうひとりの自分」。
数え間違えたはずの足音。
夜のバスで揺れる「灰色の手」。
撮ったはずのない「3枚目の写真」。
どの話にも共通するのは、「この世に残るべきでない存在」 の気配。
それは時に、死者の残した痕跡であり、時に、境界を越えてしまった者の行き場のない魂でもある。
だが、"それ"に気づいた者は、もう後戻りができない。
見てはいけないものを見た者は、見られる側に回るのだから。
そして、最終話「最期のページ」。
読み進めることで、読者は気づくことになる。
なぜ、この短編集のタイトルが『視える棺』なのか。
なぜ、彼らは"見えてしまった"のか。
そして、最後のページに書かれていたのは——
「そして、彼が振り返った瞬間——」
その瞬間、あなたは気づくだろう。
この物語の本当の意味に。
熾ーおこりー
ようさん
ホラー
【第8回ホラー・ミステリー小説大賞参加予定作品(リライト)】
幕末一の剣客集団、新撰組。
疾風怒濤の時代、徳川幕府への忠誠を頑なに貫き時に鉄の掟の下同志の粛清も辞さない戦闘派治安組織として、倒幕派から庶民にまで恐れられた。
組織の転機となった初代局長・芹澤鴨暗殺事件を、原田左之助の視点で描く。
志と名誉のためなら死をも厭わず、やがて新政府軍との絶望的な戦争に飲み込まれていった彼らを蝕む闇とはーー
※史実をヒントにしたフィクション(心理ホラー)です
【登場人物】(ネタバレを含みます)
原田左之助(二三歳) 伊代松山藩出身で槍の名手。新撰組隊士(試衛館派)
芹澤鴨(三七歳) 新撰組筆頭局長。文武両道の北辰一刀流師範。刀を抜くまでもない戦闘の際には鉄製の軍扇を武器とする。水戸派のリーダー。
沖田総司(二一歳) 江戸出身。新撰組隊士の中では最年少だが剣の腕前は五本の指に入る(試衛館派)
山南敬助(二七歳) 仙台藩出身。土方と共に新撰組副長を務める。温厚な調整役(試衛館派)
土方歳三(二八歳)武州出身。新撰組副長。冷静沈着で自分にも他人にも厳しい。試衛館の弟子筆頭で一本気な男だが、策士の一面も(試衛館派)
近藤勇(二九歳) 新撰組局長。土方とは同郷。江戸に上り天然理心流の名門道場・試衛館を継ぐ。
井上源三郎(三四歳) 新撰組では一番年長の隊士。近藤とは先代の兄弟弟子にあたり、唯一の相談役でもある。
新見錦 芹沢の腹心。頭脳派で水戸派のブレインでもある
平山五郎 芹澤の腹心。直情的な男(水戸派)
平間(水戸派)
野口(水戸派)
(画像・速水御舟「炎舞」部分)
十一人目の同窓生
羽柴吉高
ホラー
20年ぶりに届いた同窓会の招待状。それは、がんの手術を終えた板橋史良の「みんなに会いたい」という願いから始まった。しかし、当日彼は現れなかった。
その後、私は奇妙な夢を見る。板橋の葬儀、泣き崩れる奥さん、誰もいないはずの同級生の席。
——そして、夢は現実となる。
3年後、再び開かれた同窓会。私は板橋の墓参りを済ませ、会場へ向かった。だが、店の店員は言った。
「お客さん、今二人で入ってきましたよ?」
10人のはずの同窓生。しかし、そこにはもうひとつの席があった……。
夢と現実が交錯し、静かに忍び寄る違和感。
目に見えない何かが、確かにそこにいた。
取れない車
津嶋朋靖(つしまともやす)
ホラー
その車に放置駐車違反の確認標章を貼った駐車監視員はその場で死んでしまう。そんな都市伝説があった。
新米駐車監視員の英子は秋葉原の路上で呪いの車と遭遇する。
果たして呪いは本当なのか?

視える棺2 ── もう一つの扉
中岡 始
ホラー
この短編集に登場するのは、"視えてしまった"者たちの記録である。
影がずれる。
自分ではない"もう一人"が存在する。
そして、見つけたはずのない"棺"が、自分の名前を刻んで待っている——。
前作 『視える棺』 では、「この世に留まるべきではない存在」を視てしまった者たちの恐怖が描かれた。
だが、"視える者"は、それだけでは終わらない。
"棺"に閉じ込められるべきだった者たちは、まだ完全に封じられてはいなかった。
彼らは、"もう一つの扉"を探している。
影を踏んだ者、"13階"に足を踏み入れた者、消えた友人の遺書を見つけた者——
すべての怪異は、"どこかへ繋がる"ために存在していた。
そして、最後の話 『視える棺──最後の欠片』 では、ついに"棺"の正体が明かされる。
"視える棺"とは何だったのか?
視えてしまった者の運命とは?
この物語を読んだあなたも、すでに"視えている"のかもしれない——。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる